区切り方が逆。地方で、文化に敬意を払わない人がいっぱいいる。だが、文化人たる研究者本人がそれを内面化してどうする。ということ。
もうちょっとくだけたこというと地方で男尊女卑にどっぷり浸ってる人独特の「文化とか学問とか象牙の塔には全く敬意を払わないし、娘は大学にいかせるのはもったいない、というような態度」(+その人たち独特の言葉遣いやいいまわし)をそのまま内面化しちゃっててどうすんだ?何研究してんの?それで批判的になれるのか?ということ。
もしそれでいいとおもっているのなら、北大助手が北大助手として敬意を払われ仕事をまかされているのは、ただたんに「北大からきた薄い給料袋に」であって、「北大助手としてなしとげた仕事に。また北大助手という人物の文化水準のたかさに」ではまったくないですと自ら世間にさらしあげてるわけですよ。毎晩場末のキャバクラにいってフィリピーナに社長さんといわれているうちに自分は社長と呼ばれるに値する人物なのだとおもいはじめちゃったような腐敗臭を感じる。
もちろん古くは文豪たちもそういうのを自嘲的に、ネタとしてやってたけど。これはツイッターで本気でいってるじゃん。通訳して働いてる人が「専業」主婦のわけないじゃん・・・万が一専業主婦を自称したのだったら自嘲こみか、よほどひどい態度(「賃金500円でもいいですか」とか)をすでに北大助手側=雇用主がやっちゃってるからだよ。いわせんなだよな。
頭くさってそう。