はてなキーワード: 創作物とは
先刻、ウマ娘公式からの二次創作に対する注意喚起が掲載された訳だけど(一応リンク貼っとくとhttps://umamusume.jp/sp/news/detail.php?id=news-0106)、
要約すると公式が二次創作に関して、「キャラや競走馬のイメージを損なう創作はおやめください馬主や競馬ファンを怒らせたらウマ娘というコンテンツ自体の存続が難しくなるから」てこと。
ここの「イメージを損なう創作」ってのをどう受け取るかで同人界隈がザワついてるようで。
個人的には「エロやグロ、ブラックなギャグは原則禁止、デフォルメされたアニメからの描写だけじゃなくて実際に競馬に触れ、様式や実際の競走馬同士の関係性などについてある程度勉強してから描いて欲しい。いろいろぼやかしてるけどこれで伝わって欲しい公式に凸とかOKのライン具体的に教えてとか聞かないで!」と解釈しました。
で、ここからが本題なんだけど、これを曲解して「"二次創作"に対して全面撤退勧告だ!」だとか「表現の自由の侵害だ!」とか騒ぎ立てる同人作家がTwitterでチラホラ見られるんですよ。
それ以外にもフォロワー何万人の大手サークル主なんかが「エロはOKってことじゃん!楽しみにしてるファンのために夏コミはエロで売りまーす!ってかもうほとんど描いてるし今さら変更出来ないよねw」とか「元ネタの馬が種付けとかしてるんだからOKでしょw(ニチャァ)」「俺は別にエロがイメージを損なうとおもってないからw」「そもそもウマ娘自体が競馬ファン不快にさせてるからw」
「ウマ娘公式の運営下手過ぎw」「同人作家様に見放されるとオワコンまっしぐらだよ?」みたいに騒ぐ訳ですよ。挙げ句の果てに「馬主や権利者は同人界隈が規制されようが心を痛めない懐の狭い屑な金持ちばっか」みたいな完全な偏見を吹く始末。
この人たち一体どこまでつけあがるんだろうね。
どう考えても最近の二次創作同人作家って調子に乗り過ぎでしょ。
「同人って存在がそもそもグレーで〜」とか「原作愛故に公式側に目をつむってもらってる〜」とかそんなんはもうさんざん議論し尽くされてるし今更私が言ってもしょうがないと思う。つーか誰も守ってないじゃん今そんな心構え。だって現実として大手の作家の大部分が営利目的で本を売ってるし、流行ってるなら原作未プレイ未視聴でもフォロワー稼ぎのために本にするなんてザラだし、平気で設定も無視する。で、そんな状態でも自分は、自分の友人は、同人175の定義には当てはまってないと思い込んでるのよ。何が原作愛だよ人気作品使って小銭稼ぎたいですって正直に言えよ。
そもそもさ、乞食の様な物言いになるけど本当に原作愛があるなら今はもうTwitterに無料公開するだけで済むよね。
インターネットの発展する前だったら同好の士を探すため、自分の創作物を人に見てもらうために、物販に行くのも個人サイトを開設することも必要なことだったんだろうさ。でもさ、今はTwitterがあるじゃん。いくらでも人と繋がれるじゃん。ファンアートなんて世界中に見てもらえるじゃん。現物が欲しいって?普段、電子書籍崇めてるくせに?
話が完全に逸れましたわ。同人と小銭稼ぎの話は私にとっての主題ではないです。
私が言いたいのは、一体何が二次創作同人作家をここまで調子に乗らせたのかってこと。
コンテンツの潤いってのはさ、アニメに限定して考えてみると、まぁ単純にBD・グッズの売り上げが好調であるとか、最近では動画配信サービスでの視聴・購入回数、放送中のツイート数だとか数字として分かりやすいもので、アニメ制作会社も原作者もそこに一喜一憂する訳じゃないですか。
でも昔から暗黙の了解としてあり続けた指標として「同人即売会でのサークル数」てのがありますよね
描かれた同人誌・ファンアートの数がアニメの人気に直結してると言っても過言じゃないですよね。何を当たり前なことを言ってるんだと思うかもしれないけど、同人誌がいくら売れようと公式には一銭も入らず、結局あるのは宣伝効果のみですよね。
娯楽の溢れた今日に、宣伝てのは重要なことですよ。でも最近の同人作家はそこを完全に利用して、「アニメに同人から入る奴なんて大勢いる。俺は公式に対して善意で動いてやってるんだから多少の罪には目を瞑れ!」って主張しだしたわけだよ。
なんなんこの人たち、寄生虫の癖に耳元で喚き散らし、鼻の先で小躍りしだしたぞ。
アニメに心を動かされ、原作にない展開を創りたい、推しカプの尊さを人に知ってもらいたい、とにかくエロい絵が見たい描きたいって感じることは素晴らしいことだと思ってますよちなみに。
それでも最近の二次創作同人作家は調子に乗り過ぎ。公式の注意勧告に文句を言うな、エロ絵を公式のハッシュタグつけて垂れ流すな、そもそもデカい声で二次創作の話をするな、原作に対するリスペクトとか言えばなんでも許されると思うな、無料公開すべきって言ったけど流石にそこまでしろとは正直思ってないです。とにかく慎ましく生きろ。
自分はツイッターをやっていて、今は3つ目的を分けたアカウントを持っている。
どれも木端アカウントでフォロワーは2000、600、300とかそんなものだ。
アカウントを分けている理由としてはゲームアカウントで得た人気を創作アカウントで利用したくないし、また創作アカウントで得た人気を日常アカウントで利用したくないし……ということによる。
虚栄心でゲーム動画や創作物を見せびらかしながら、意図したのと違う理由で評価されたくないのである。
拗らせた古いオタクだから気に入らない媚びの売り方もしたくない。
なので自分はリツイートを稼いでフォロワーを増やしていくという行為も(売り出し中の作家とか企業アカウントならわかるが)滅茶苦茶嫌いで、トレンドにただ乗りした「ところで○○が話題ですが、関連する××も最高です、お納めください」とか「○○尊い……無理……(受けのいい画像4枚貼り)」とかみたいなのを見ると超ムカつく。
面白い動画をアップすれば勝手にリツイートはされる、というか自分で何かせずとも勝手にツイートされる、フォロワーも増える、それがオタクのありようだろうと少なくとも自分では思っていた。
が、最近、大好きなある名作を宣伝したくなって、一番フォロワーの多いアカウントで紹介ツイートを書こうとして気付いた。
自分の書きかけたツイートは「○○尊い……無理……(受けのいい画像4枚貼り)」と内容的に大差ないのだ。
RTを稼がなければ宣伝としての価値はないのだから、宣伝する思考がある限りどうしたってRT稼ぎツイートにならざるを得ない。
ツイートを投稿すれば、元の影響力と絵面の良さとタイミングから言ってそこそこバズるだろう。そしてフォロワーも増える。
これは全く、見下していたRTを稼いでフォロワーを増やす行為そのものではないか。
というよりも、RTを稼いでフォロワーを増やしに行っていると思って一方的に憎んでいたあれらのツイートの何割かは、本当に純粋に宣伝だけが目的だったのではないか?
元々、ただのオタクリーマンだった自分が4月頃にツイッターを眺めてたらキズナアイの動画が流れてきて
そこからVtuberの存在を知った。最初は、今でいう大手(キズナアイ、ミライアカリ)の動画だけ見ていたが
に〇さんじのVtuberを知り、恥ずかしい話ドハマりしてしまった。可愛いキャラが可愛い声で自分の好きなゲームやアニメの話をしてる。ハマるにはこれで十分だった
このサイト見てる人間に若年層は居ないと思いながら敢えて書くけど、自分は所謂「ちょwwおまww」(この表現も古いかな)
みたいな人間とは相容れないと思っていたが、コメントしそれにVtuberが返事をくれるのは嬉しいものだった。
そこからはそのVtuberのツイッターもフォローして、配信がある日は上司に早上がりを願って配信の前にはPCに立つ自分がいた。それだけ興味を惹いていたコンテンツだった。
でも、ある日の配信でVtuberが「〇〇さんって絵描きの方が~」とか、みたいな事を自慢気に話していた。何気なく見ていたが、
心の底で「羨ましいな、自分も絵が描けたら~」くらいの感情が浮かんでいた。でまたふとある日に、Vtuberが絵描きと仲良くリプライを飛ばしあってるのを見て
自分の中の黒い感情がハッキリと浮かんでしまった。「絵が描ける奴が羨ましい」これだ。色々オブラートな書き方も考えられたが、多分これが一番伝わりやすいだろう。
そもそも何も生み出さない有象無象の中であるファンの一人を認識しろなんて事は言わないが、やっぱりファンの中で一部の人間とだけ関わってるのを見るとどうしても嫉妬してしまった。
こんな事で嫉妬する自分が情けないと思いながらも、嫉妬心という物はどうしても湧いて出てくる物で辛かった。
じゃあお前も絵を描けばいいじゃんという話だが、自慢じゃないが自分はピカチュウを描いて10人に見せて3人がピカチュウと認識出来るレベルの画力なので、ファンアートなんて投稿しようものなら
Vtuberがコメントに困りながら「独創的ですね」みたいな気まずい返事をされる事だろうと思い、描けなかった。
その感情が生まれてからは、そのVtuberがリツイート也でファンアートの紹介やリプライで絵描きと慣れ合うのを見て、辛くなりツイッターのフォローも外して見なくなってしまった。
それ以来、Vtuberの動画はあまり見てない。こんな日記書いてる時点で未練タラタラだが、辛くなるのが分かってるので見なくなってしまった。
距離感の近いのがVtuberの人を惹き付ける所でもあり、また離れる原因にもなるのだろうか?それともこの感情を持ったのは自分だけなのだろうか。それが知りたくて日記を書いた。
勘違いされたくないので最後に書いておくが、絵描きとだけリプライを飛ばしあうのも、Vtuberの「自身の知名度を上げる」という本来の目的の一つだろうし何も悪い事はしていないと思う。寧ろ正解である。
Vtuberを嫌いになったのではなく、自分が辛くなるから自分から距離を置いただけの話だ。
思いの外反応を貰ったので驚愕している。黙って絵を描く努力をしろという意見や、他の創作物で、無産の嫉妬etc等の言及は正直最初から来るだろうなと思っていたし、
が、「Vtuberになればいい」等の意見が点々あるのを見て驚いた(現実性は兎も角として)。全く自分の中にその考えが無かったし、これもまた的を得ている言及だと思った。
最後に、自分は"まだ"誰も嫌っていないという事だけ伝えさせて欲しい。強いて言及するならこんな情けない記事を書いている自分くらいのもの。
こんな記事書いておいてなんだが、自分が絵描きだったらVtuberとリプライ飛ばし合ってるだろうと考えるし、そもそも好きなキャラクターの絵を描いている人間を嫌う訳が無い。
彼等はコンテンツの拡大という点において凄まじい貢献をしている。嫉妬と憎悪はかなり近い存在だが、本質的には別物と考えている。
登場人物の心情にスポット当てない小説、創作物なんてのあるのだろうか。
と言っても、一昔前のライトノベル的な主人公が努力して世界を平和に導くみたいな一生懸命のし上がるタイプと言っても、
今の御時世やりがい搾取だの、起業家煽りにやられて不幸になるだけだよなぁとも半分思ったりする。
そのもう一昔のほんまドロドロとした人間模様というのも、ある程度同調圧力臭いのも薄まり、逃げようと思えば逃げれる今となってはあわないよなとおもったりする。
一方で、色恋はセクハラがらみでホンマに失敗したら地獄を見るようになりつつあるので、やっぱり色恋でいい子と巡り会いたいってのは多少あるのかもね。
子どもがもうちょっと大きくなって、お小遣いをあげるようになったら
ひと月に渡す基本的なお小遣いとは別にお駄賃を渡したいのだけど
自分で何かを作って、それを私や夫に売る。という事をやってみたい
作ったものが売れていくうれしい気持を知ってもらいたいし
どういうものを作りたいか、どういうものが売れるか、収入をどう使うか
みたいな事を考えられるのも良いのではないかと思う
創作物だけでなくても、アイデアや何かのプランを売るでもいいし
売り物は何でもいいんだけど、あくまでも家庭の範囲内で(友達とかには広がらないように)
最初の内は何を売るか、どんな値段にするかなど相談に乗りながら
そのうち自分で考えてできるようになれば良いな
「オタク」という呼称は70年代生まれと言われるけど、それ以前からもオタクに類する人はいたはずだ。
マニアとかフリークスと言った単語も、「躁状態」「中毒者」といった「病気」と見なすニュアンスがある。
しかし時代をさらに遡ると、創作物にハマったり道具を集めたりというのは金持ちの道楽ということになり、富の証とされていたのではないかとも伺える。
数寄者や好事家というような言葉は、どちらかといえばそのような意味で、茶道のようなハイカルチャーの愛好家や、学者といったようなニュアンスのようだ。
それに対して「オタク」という言葉が指すのは「大衆文化の熱狂的消費者」であり、「オタク差別」も大衆文化が花開いた以降の時代の産物と言えるだろう。
そして、「オタク差別」は度を過ぎた趣味人を揶揄するようなものではなく、「趣味のジャンルそのもの」に貴賤をつけるものであると定義できる。
その意味で、調べると明治の頃に郷土玩具を集めるブームがあり、その収集家は大きな子供という意味で「大供」と揶揄されたらしい。
更にさかのぼって江戸時代ならば、水野忠邦による「天保の改革」。あれはオタク差別の走りではないか。
目的は倹約による物価の引き下げだが、たとえば寄席では滑稽噺を禁止して教訓性の高いものだけ残すというような娯楽の峻別が行われており、
元民進党候補者である青地まみ氏の「パブリックエネミー」騒動について、少々遅くなってしまったが、少しこの問題に便乗して自分の思うところを色々書いてみたい。
まず「パブリックエネミー」という言葉であるが、前都議選で民進党から出馬して落選した青地まみ氏が「オタクをパブリックエネミーとして認定したい」という内容のツイッターを書いたことで、ここ数日ほど炎上したらしい。青地氏が民進党から立候補して落選した経緯から、民進党や立憲民主党にも批判の矛先が向けられているとのこと。
パブリックエネミーとは、公的な敵だと社会全体で認定する行為である。
炎上自体に関しては、日本の野党らしくありふれた光景であり、特に目新しさはない。リベラルな価値観を共有しているはずの人間が、オタク全般のことを「萌え豚」という蔑称で書いたらしく、そのオタクを社会の敵認定してやりたいという趣旨のツイートをした。
まあ日本のリベラルは、口では平和だ人権だと高潔な思想を掲げていても、実際は偽リベラルのレイシストに過ぎないといういつもの平常運転です、本当にありがとうございましたというだけの話。
本題はここからであるが、なぜオタク全般は、社会から(特に女性たちから)目の敵にされやすいのだろうか、ということ。パブリックエネミー認定とは「公的な敵」とみなすということであり、上記の青地氏には多数の批判も集中したが、青地氏を擁護するツイートも多かったとのこと。
賛否両論があるにせよ、オタクの存在を忌々しく思っている一定数の人間が世の中には明確に存在しているということでもあるよね。
オタクが社会から嫌われやすい属性集団だと思われやすいのは、やはり犯罪集団みたいなものだと思われているからだろうか。確かに、宮崎勤事件などオタクの中で重大犯罪を犯した一部の人間がいることも事実であるし、それは受け止めるべきだろう。
しかし、社会全体でみた場合はオタクは性犯罪を犯しやすい属性ではないはずである。一番性犯罪を犯しやすいのは、オタクとは正反対の野球部やサッカー部などの運動系の人間ではないのか。
例えば福田元事務次官やTOKIOの山口元メンバー、女性問題で辞任した米山新潟県知事の三者はオタクとは正反対の人種である。
それでもオタク全般が性犯罪者予備軍として扱われてしまう一番の理由は、オタクが扱っている創作物の性表現がストレートすぎるからではないか。
美人や可愛い女だけしか出てこなくて、ブスな女はオタク世界から排除されているのは、テレビや映画などのメインストリーム文化と共通であるが、やっぱり表現がストレート過ぎるのである。
だから、女性たち(特にリベラルの女性たち)に敵視されやすい素地がある。
今の社会は、女性たちから敵視されると社会的生命を失いやすい状況になっている。私達は知らずのうちに、そんな社会の中を生きている。
特に、この20年間の間にセクハラやコンプラの法整備などは進んだ。それ時代は社会が良くなることでもあるから歓迎すべきだろう。
男全般を痴漢予備軍だと見なす女性専用車両や、女性の申告によるセクハラは認定されやすいことなど、思いつこうと思えばいくらでも思いつく。
そんな社会風潮という根拠があるからこそ、オタク全般を「パブリックエネミー」に認定しようという政治的主張も生まれてしまうのではないか。
「オタクは女性の敵だから、社会の敵認定したい」ともっともらしい事を言っているけど、それはナチスドイツやボリシェビキのユダヤ人虐殺と同じ構図だからね。
創作物の嗜好は人それぞれなので、良いんじゃないでしょうか。
引用されたくない著者や批判されたくないクリエイターの作品も、公表していれば引用・批判の対象としていいと著作権法に書いてあるわけだから、二次創作だけ著者の感情を尊重するのはなんか変だと思います。作品を公表した以上批判を受け引用されパロディを作られるのを許容すべきで、それが表現の自由の根幹でしょう?(もちろん、内心でふざけんなと怒るのは内心の自由の範疇だし、気に食わない批判や二次創作に言論や創作物を使って喧嘩を売るのも表現の自由で保護されるべき)
引用はあくまでそれに伴う批評が主体であって引用される側は従であるけれど、
二次創作は基本的に原作ありきで、原作の魅力がなければ何の価値もないものなわけで。
価値ある著作物を生み出した人間が、それを独占出来る権利はあるべきだろ。
価値あるキャラクターを生み出しても、それを他人が勝手に使って商売してもOK、生み出した側が独占する権利なし、ってなら
わざわざ生み出そうとは思わなくなるしな。
pixiv fanboxの件。
https://togetter.com/li/1222306
https://togetter.com/li/1222309
大原則として無償配布だろうがコミケの薄い本だろうがpixiv fanboxだろうが二次創作の公表は著作権法違反に決まってるでしょ(「○○という条件を満たした場合は許諾不要」みたいなポリシー掲げてるところは除く。あと著作権者から公認されてる場合も)。
その上で、「ホソボソと同人誌作ってる連中は見逃してやるか」って思われてるだけだから。
「黙認はセーフ」ってのは、逮捕されたり裁判起こされたりしない、っていう意味であって、合法って意味じゃないから。
地元民が20キロオーバーで走るのが当たり前で普段は警察もうるさく言ってこなくても、警察が取り締まりしてる日に15キロオーバーしてたら捕まるのと同じ。違法だけど取り締まられてないだけ。
その意味で、「法的にセーフ」って言ってる擁護派はおかしい。同時に、「コミケはセーフだけどfanboxはアウト」って言ってる批判派もおかしい。
私が擁護するとしたら「fanboxがアウトならコミケの薄い本やpixivのファンアートだってアウトじゃん! 何で私たちだけ責められるの?」って言うと思うし、私が批判するなら「そもそもコミケから違法な二次創作は追放されるべきだし、pixivも違法な二次創作の掲載をやめるべきだ」という論陣を張るだろう。現行法を前提とする限り。
有償で頒布してる二次創作同人誌はOKでpixiv fanboxをNGとするのは、身内ルールに縛られているだけだ。そんなの、法的に何の根拠もないのにね。
別に、法律とは違った身内ルールを設定することそれ自体は悪くない。私が風呂掃除とゴミ出しを担当し、相方が洗濯を担当する、というのは法的根拠のない我が家の身内ルールに過ぎないが、しかし別に問題はない。このルールが拘束するのは私たち2人だけだし、私たちは法的根拠がないことを知った上で概ねこのルールに納得して合意している。
だけど二次創作界隈の身内ルールは違う。それは根拠なんてないのに、根拠があるかのように信じ込む人は後を絶たない。信じ込むだけじゃなくて、その無根拠ルールを振りかざして「ルールに背いた」とみなされる色々な人を攻撃している。
去年もそういうのあったよね。pixivで公開していた二次創作小説をURL付きで引用されて、激怒して引用した学生をタコ殴りにした事件。無許可で二次創作やってるひとたちが無許可で引用するなとか言ってた光景は私の心に深くこの界隈の理不尽さを刻んだよ(論文の批判自体は言論の自由だから悪くないけど、さんざん他人の小説を無断で引用するなだの著者に敬意を払えだの言ってきた人たちが、論文を無断で引用した挙げ句に論文書いた人相手に人格攻撃まがいの批判を垂れ流してたのはただひたすらに醜悪だった)。
けっきょく、フェアユースを認めない日本の著作権法に問題があるのにね。
非親告罪化のときも、一部の漫画家の人が積極的に運動して「二次創作には適用しない」という言質を取ってた。運動とか私にはできないことだから、それ自体は尊敬する。でもその運動が、二次創作を著作権者の告訴なく捜査しない、という戦術目標を掲げたことには違和感があった。本丸は別にあるでしょ。
私はfanboxも同人誌も支持する。そしてそれらが違法状態に置かれている現行の著作権法を批判する。
fanboxを批判する人はいずれ同人誌を焼くだろう。法的にはどちらも同じことで、それらを区別するのは一部の人が掲げる身内ルールに過ぎず、身内の中でさえ合意が取れていないのだから二次創作界隈の総意というわけでもない。とすれば、今fanboxに向けられている矛先が、コミケに向けられることはないなんてとてもじゃないけど思えない。法的・論理的には、どちらもNG、という結論しか導かれないのだから。
ほんとfanboxは著作権侵害でアウトだと本気で思ってるなら二次創作から足洗ってほしいわ。謎の身内ルール振りかざしてpixivを叩いてる連中には自分の首を絞めているという意識がないんだろうか。
kato_19 親告罪の趣旨は『身内ルール』を尊重しましょうという事なんだから・・・当事者が納得してる範囲なら問題ない。判例で利用範囲を決める米著作権法とは根本的に違う。フェアユースの代わりが日本のグレーゾーン。
親告罪によるグレーゾーンがフェアユースの代わりになる? ご冗談を。
親告罪って字面からわかるように「犯罪だけど、訴えないと捜査されない」ってことですからね。ちょっと前まで女性を強姦することやわいせつ目的で他人を誘拐することも親告罪だったけど(今は非親告罪)、被害者が泣き寝入りすればそれが犯罪じゃなくなるわけないですよね。著作権侵害も同じ。
tick2tack ダブスタは問題。/ 増田の理屈で法を厳密に適用、となると赤信号など道交法無視は全部犯罪ということになり、あげく "そしてそれらが違法状態に置かれている現行の" 道交法がおかしいのだ!となってしまわないかな?
歩行者が赤信号を無視することは犯罪であり、2万円以下の罰金または科料に値する行為ですが何か。
第一二一条 次の各号のいずれかに該当する者は、二万円以下の罰金又は科料に処する。
一 第四条(公安委員会の交通規制)第一項後段に規定する警察官の現場における指示若しくは第六条(警察官等の交通規制)第四項の規定による警察官の禁止若しくは制限に従わず、又は第七条(信号機の信号等に従う義務)若しくは第八条(通行の禁止等)第一項の規定に違反した歩行者
「犯罪ではあるが、大抵の場合処罰されない」と「犯罪ではない」の区別がつかないんですかね……
当たり前だけど、自動車を運転してて法定速度を1キロでもオーバーしたら速度超過であり違法行為ですよ。40キロ制限の道路で、円滑な交通のために日常的にほとんどのドライバーが60キロ出していたとして、それはその地域の住民がほぼ毎日のように法を犯しているっていうだけ。
で、今、65キロで走る人たちが地域住民の一部から批判を受けている。
このとき、自分たちも法を犯しているのに他人の触法行為を責めるのはおかしい、という主張と、法定速度が厳しすぎるから法定速度を引き上げるべきだ、という主張は普通に両立しますよね。
法律と現実に齟齬があり、現実にありふれていて皆が日常的に行っている営みが形式的に違法とされる状況では、法律の方がおかしい、という主張が成立する余地はあるのでは。典型的には単純賭博罪とか。
何でもかんでも現実を法律に優先させるべきとは思わないから個々の事情を酌むべきだけど、少なくとも二次創作が著作権侵害になる問題に関しては法律の方が間違ってるので変えるべきだと私は思うし、同時に自分たちが著作権を侵害していると自覚せずfanboxを叩く人は頭おかしいと思いますわ。どっちも同罪でしょうよ。
turanukimaru はて著作権はそもそも身内で頒布するのは合法だったはずだが?コミケとかサイトでの公開は身内と言うにはでかすぎるが身内の範囲は当事者で決めろってのが親告罪なわけでなんか増田のが論拠がおかしくない?
不特定の1人以上あるいは特定の50人程度以上の人数に対し頒布するのは公衆に向けた「公表」にあたりますが何か。
「公衆」とは、「不特定の人」又は「特定多数の人」を意味します。相手が「ひとりの人」であっても、「誰でも対象となる」ような場合は、「不特定の人」に当たりますので、公衆向けになります。
例えば、「上映」について言うと、1人しか入れない電話ボックス程度の大きさの箱の中でビデオを上映している場合、「1回に入れるのは1人だが、順番を待って100円払えば誰でも入れる」というときは「公衆向けに上映した」ことになります。 また、「送信」について言えば、ファックス送信などの場合、1回の送信は「1人向け」ですが、「申込みがあれば『誰にでも』送信する」というサービスを行うと「公衆向けに送信した」ことになります(これを自動的に行っているのがサーバーなどの自動公衆送信装置)。
さらに、1つしかない複製物を「譲渡」「貸与」するような場合、「特定の1人」に対して、「あなたに見て(聞いて)欲しいのです」と言って渡す場合は「公衆」向けとはなりませんが、「誰か欲しい人はいませんか?」と言って希望した人に渡した場合は、「不特定の人」=「公衆」向けということになります。
「特定多数の人」を「公衆」に含めているのは、「会員のみが対象なので、不特定の人向けではない」という脱法行為を防ぐためです。何人以上が「多数」かはケースによって異なると思われますが、一般には「50人を超えれば多数」と言われています。
「不特定」でも「特定多数」でもない人は「特定少数の人」ですが、例えば「電話で話しているときに歌を歌う」とか「子どもたちが両親の前で劇をする」といった場合がこれに当たり、こうした場合には著作権は働きません。
https://pf.bunka.go.jp/chosaku/chosakuken/naruhodo/outline/4.3.html
コミケでサークルスペースに並べた段階でどんな島中サークルでもコピ本でも「公表」ですよ、よかったですね!
(1)利用の目的・性質については、かつては商業性があるかどうかが重視され、商業性があると、裁判でフェアユースが認められない傾向がありました。しかし1990年代のパロディをめぐる裁判で、米最高裁は、商用目的であっても「変容的」であればフェアユースにあたると判断しました。
「変容的」というのは、「別の作品」になっているかどうかということです。この点、パロディは、元の作品とは別の価値を作り出しているといえるので「フェアユースにあたる」と、最高裁は認めたのです。
イラスト模写本とかは厳しいかもしれないけど、たいていの薄い本は問題ないのでは。
mohno 「フェアユース……そもそも二次創作は犯罪ではない」と認められる場合があるだけで免責が保証されているわけでも、民事裁判のおそれがないわけでもないがな。アメリカでコミケやって放置されるとでも思ってんの?
そうだとしても、無許可の二次創作には(権利者がガイドラインを定めている場合を除き)自動的に著作権侵害が成立し、権利者のお目こぼしで民事裁判に引きずり出されていないだけ、という日本法よりだいぶマシなんでは。フェアユースと認められれば著作権侵害ではなくなるわけで、デフォルトで著作権侵害になってしまう日本法より利点は多いでしょう。
また、仮に日本で導入されたら日本の裁判所が運用することになるわけで、そこも考慮すべきかなと。
私は二次創作が著作権侵害にならないような法制を支持していて、フェアユースはパロディを許容する法制ということで現行の著作権法よりマシだと思ってはいますが、フェアユースよりも二次創作の保護に適した法制があるならそっちを支持するのでぜひ教えてください。フェアユース原理主義者ではないんでいつでも棄教します。
nmcli "二次創作が著作権侵害になる問題に関しては法律の方が間違ってるので変えるべきだ" って主張は、二次創作されたくない権利者のことをきちんと想像できてないように思う。
引用されたくない著者や批判されたくないクリエイターの作品も、公表していれば引用・批判の対象としていいと著作権法に書いてあるわけだから、二次創作だけ著者の感情を尊重するのはなんか変だと思います。作品を公表した以上批判を受け引用されパロディを作られるのを許容すべきで、それが表現の自由の根幹でしょう?(もちろん、内心でふざけんなと怒るのは内心の自由の範疇だし、気に食わない批判や二次創作に言論や創作物を使って喧嘩を売るのも表現の自由で保護されるべき)
当然、これは二次創作を引用して論文とか書くのも自由であるべきだという主張を含意します。公表した著作物を引用されない権利なんてないわけですからね(論文が気に食わなかったら批判すればよいし、作品を引っ込める自由もある)。
mr_mayama 著作権法は親告罪なので著作権者が訴えるまでは合法です。前提を間違ってる人ほど勘違いで声がでかいの何とかならんのか???
なんか薄々そうじゃないかと思ったけどマジで「親告罪は訴えられるまで合法」って勘違いしてる人がけっこういるんですか……? 警察が被害者の同意なく介入するのは相応しくない犯罪(親族内での窃盗、著作権侵害など。ほんの数年前まで強姦もこの範疇だった)について、被害者が訴え出るまで捜査したり起訴したりしない、ってのが親告罪で、上に書いたように犯罪自体は成立してます。
一昔前に、強姦された女性が泣き寝入りして警察に訴え出なかったとして、「被害者が訴えるまでは合法」だと思いますか? そんなわけないでしょ常識的に考えて。
「親告罪だからセーフ!」じゃねえよ自分で犯罪者って告白してどうするんだよ……
meganeya3 身内の中で「誰かほしい人はいませんか」が公衆にあたるのかな? コミケの構図はそうなってて、結局部数の線引きと、ピンポイント政治的圧力が法律問題としてごくまれに浮き上がってくるのが現実では
著作権法でいう「私的利用」って、おとうさんとおかあさんとおねえちゃんとか、よく部室でつるんでる友達4、5人とか、そういうレベルなので……。何万人も来場するイベントで頒布してるものはどこからどう見ても公衆向けに頒布されてるものです。それが身内という理屈は、少なくとも著作権法の観点からは通じないですわ。
eirun だからといって「著作権法がおかしい」という結論こそおかしいだろ。むしろ法的に犯罪の範囲を広く取って司法が恣意的に犯罪検挙してる現在の運用のほうがおかしいわけで。
??? 法的に犯罪の範囲を広く取るのがおかしいという主張は結局「著作権法がおかしい」ということなのでは??? 何が著作権侵害なのか決めて、その罰則を定めてるのは著作権法ですよ。一緒に著作権法に文句を言いましょう。
silvermoai なし崩しの状況に対する危機感はあるけど「自衛隊は憲法違反」みたいな段階から話したいならちょっと関わりたくないです
政府解釈によって合憲との判断が示され、それに対するコンセンサスが立憲民主党など野党の多くにも共有され、自衛隊法などの法律も整備されていて建前では憲法秩序の枠内に存在していることになっている自衛隊と、当事者たちが「親告罪だから訴えられるまでセーフ」「著作権法違反の非親告罪化は同人文化を萎縮させるので反対!」と自ら違法であることを触れ回っている二次創作は同じ土俵では語れませんね。「自衛隊は違憲か否か」は高度な法律論争だけど、「無許可の二次創作の公表は違法」は論争の余地のない単なる事実なので……。
有名人とかアイドルとか声優とかにときめく奴、心のなかで見下してたのに
悔しい
創作物の方がまだ軽症だ
「楽しいクリスマス」やればいいんだろ?
あ、でも未だ手広く手を出してる人は見下してる
友人は5窓で見てるらしい
聖徳太子かな?
____
友人
・アニメほぼ全話を1.2倍速〜2倍速で見るという謎の修行をやってるタイプ
・最近にじさんじ沼にハマりあえなく全放送を追うようになる(男キャラも)
・「三期生が来たら死ぬ」「アニメ溜まってきた死ぬ」と言ってる
楽しそうで何より
こういう人、たぶん日本に1000人くらいいるんじゃないかな、生放送の視聴者数みるに
声ヲタ兼ねてるタイプ多いと予想(全イベント攻略してる人とかいるよね)
俺は声優も俳優もタレントも歌手も覚えられない、顔と名前と声が一致しない
ただ、極稀に余ったエネルギーが1人に向かうことがあるのが非常にツライ
25歳くらいまでマジでそんなこと知らなかった。
だって学校でも教えてくれないし、そんな教育受けたこともない。
大学生くらいのときは普通に男友達の家に1人で遊びに行ったりしてたけど、もちろん何もなかった。
お互い興味のある話を延々としていたし、男女ではなく対等な関係だった。
他の大学に行った知り合いがそういう系の話をしてたような気もするが、
(こういう言い方をするのは何だけど)知能指数が低いのかなぁと思っていた。
別の世界の住人って感じだった。
周りでもそういう話は聞いたことがなかった。
そういうプロセスをみんな普通に踏んでいたし、それが当たり前だと思っていた。
男女が対等でないと感じたり、人間ではなく物のように見られていると感じたり。