はてなキーワード: リベラルアーツとは
俺は昔男だった
女になりたいと思ってたし、女だったらイージーだと思ってた。
優しいとか人当たりがいいとか言われてたし、フツメンだと思うし(チビ&&デブ&&ハゲとかではない)、家事もわりと好きだ。
会社勤めが苦痛なので、そのへんの非モテ童貞ちょろまかして結婚に持ち込めば悠々自適のお気楽人生が待ってると思っていた。
男だった頃は女慣れしてない非モテが気持ち悪いなんて思ったことなかった。
自分も童貞で女に憧れる気持ちがわかるし、哀れみと可愛さすら感じていた。
俺が女だったら理想のお姉さんになりきって乳でも触らせてやって童貞卒業させてやりたいなんて思ったものだ。
実際は想像と違った。
なんというか、女の体に慣れきってしまったのだ。
変な言い方だが男だった頃想像していた「お姉さんになりきった自分」は、男としての心と女の体が分離してた。
男の自分が他者の体を使う感覚、だから想像の中で自由に操れた。
今は自分の心と体が切り離せない。
乳くらいならもませてやってもいいが、中に挿れられることに抵抗を感じてしまう。
遊び道具として捉えていた(自分の)女の体が絶対守るべき貯金みたいに感じてしまう。
非モテ童貞とヤるのは資金を頼りない銀行マンに預けるようなものだ。
ヤリチンならそこまで不安感はないが、性欲もあまりないのでヤリチンとわざわざヤる意味を見いだせない。
普通の女は恋愛感情で良さそうな男とヤれるんだろうが、俺は今でも恋愛対象は女性だ。
女性を好きになることもあるが、女友達の一人もできなかった俺は憧れの女性と友達にすらなれない。
でも男だった頃あった性欲由来の独占欲とかもなくなったので、たいしてつらいと思わなくなった。
レズにでもなるかと思ってそっちの世界を覗いたこともあったけど、
女と結婚してもイージーになれるわけでもないし、性欲もそんなにないしメリットがない。
というわけで前世も今も非モテなのは変わらずだが、昔ほど惨めに感じないのは女のいいところだと思う。
性欲に苦しめられないのもそうだし、男は男同士の中で序列をつけたがる。
自慢になるが、昔の俺は理数系が得意だった。
わりと優等生だったし、国立の工学部に入ってエンジニアとして働いていた。
今回もそのルートに入ろうと思っていた。工学部女子はモテるし、安牌な男みつくろって結婚すればイージーだと思ったからな。
これは人によると思うが、女になると理数系が弱くなる。
今は全部ぼんやりして見える。
俺は別に数学に意味とか見出してたわけじゃなくて、ただ人より出来たから好きなだけなんだな。
できなくなったら興味なくなったし、勉強する気も消えてしまった。
結局たいして興味はないがなぜか出来る英語を生かして英文科に入り、今は事務として働いてる。
今でも考えることは好きだ。
好きだけど、理数系の思考回路がふさがってしまったせいかターゲットがリベラルアーツに向く。
社会をどうしたらいいかとか、差別はどうすればなくなるかとか。
そっちを専攻すればいいとも思うんだが、昔「食えもしないお遊びの学問」ってバカにしてたんだよな。
その偏見が残ってるのと、実際学んだところで食っていけるイメージが湧かないので動けずにいる。
筋力や体力もないので仕事もすぐ疲れるし、全体的に行動力が落ちた。
とにかく昔と比べて体が重い。
オーバーに言うとクマの機動力持ってたのがパンダになった感じ。
なんか思う。
SNS上のどうでもいいなんか社会的な議論の際に「中学生のままみたいな全能感」とか「厨二病・高二病」とか最近煽りなのか説教なのか人にぶつける奴いるけど
その「中学生みたいな全能感」の持ち主がそのまま高校や大学も卒業出来て有力な地位に付けて他人に対して発言できる環境がある時点で、
ぶつけてる側の、なんだろう、「ちゃんと大学教育を経たリベラルアーツ的世界観」「老練した大人」ってものが環境とか知性とか広い範疇で敗北してるし、
全然議論に絡まないから何かオチつけるんなら「中学生みたいな全能感」のままでも社会を生きていけること自体が素晴らしいみたいな話にしかならんのよね
どうなっていくのかについては言及されても、何故合併するのかについての言及が少ないような気がしたので書いてみる。先に言っておくが、これから先に書くことに明確な根拠はない。最近の国の方針から俺が独自に推測しただけだ。
少子化に伴って大学も学生の獲得に躍起になってる。その対策として大学の統合は有効な手段だ。ただ、東工大も医科歯科大も超人気大学で少なくとも今後100年は安泰と言って良い大学だろう。
では、なぜ今回統合したのか。まず前提となる知識として、あまり知られていないが東工大、医科歯科大どちらにもリベラルアーツや教養部という名で文系の学問をする部門がある。当然だがそこには人文系や社会科学系を専門とする教員が在籍し教授の役職についてる人もいる。
そして今回の統合はこの教養科目の負担を減らすためではないだろうか?
今の日本は「選択と集中」という政策をとっており、その中で理系は優遇されやすく、文系は待遇が悪くなる場合が多い。そして東工大も医科歯科大も理系の単科大学であり、自分の大学内の文系の学問に対してあまり期待していないのだろう。ここの負担を減らすために今回統合に踏み切ったのではないかと俺は考えてる。
加えて、医科歯科大に関しての話をすると、医学を学ぶのに必要な自然科学の知識は実はかなり限定的だ。例えば医学を学ぶのに数学はいらない(医学部に入るのにほぼ必須なので実際の医者はほとんど数学できるけど)。この辺の医学には不要な自然科学系の教養科目の負担を東工大に任せられるのは願ったり叶ったりだろう。
東工大に関してはあまり詳しくないが生命理工あたりは医学部の知見を生かす機会があるのではないだろうか?
今回の統合は両大学にとって傍流でしかない文系科目を共有することで負担を減らし、それぞれの強みを合わせることでさらなる飛躍を遂げることになるだろう。
まず東工大生は医療費の負担が減る可能性がある。医学部のある大学は医療費補助があることが多く東工大もこの恩恵を受けられる可能性が高い。
次に医科歯科大生はあんまり変わらないように思う。強いて言うなら東工大の第二外国語にロシア語があるのでこれが選択出来るようになるかもしれない。
そして東工大、医科歯科大の教授はは変わらないのではないかと思う。ただし、医科歯科大生用の教養科目を東工大の教授が担当することになるかもしれない。
最後に、一番被害を受けるのが教養科目の教授らだろう。確実に予算が減らされる。東工大と医科歯科大の教養科目の予算の合計より合併後の大学で与えられる予算が多いことはまず間違いなくありえない。さらに授業が統合されることで非常勤の仕事は減るので、この辺の立場の人は今頃戦々恐々としているだろう。
最後に簡単にまとめると俺は今回の統合を理系分野を強くしつつ、文系分野を弱体化させる政策だと思ってる。個人的には東工大や医科歯科大は理系分野に集中してもらって、文系分野の研究はそれこそ一橋あたりにでもやらせておけば良いと思ってる。(余談だが一橋にも自然科学を専門とする教授がいるが、これも正直いらないと思ってる)
機会があって予備校の数学の授業と司法試験の授業受けたのだが草生えましたわ
『オンライン学習にして予備校から優秀な講師引っ張ってきた方がコスパ良い』
『授業は予備校講師に任せて、公立教師はわからない子や逆にもっと学びたい子のフォローと化学実験や家庭科のフォローや体育のフォローだけやっとけ』
・・・って思ってたが、ここまでわかりやすさ+エンタメ性にはっきりと差がついちゃうのかよとね
確かにわかりやすい予備校の授業でのみ勉強してきたヤツは考える力がつかないことも起こり得そうではあるが、
専門課程に進む前に知識を詰め込む、あるいは何かをする(たとえばプログラムとか)ための知識を得てる段階で考えるも何もねーだろうよ
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業を受けたらからってどうこうなるレベルのものじゃない(そもそも高等教育もリベラルアーツとほぼ遠い)
社会で不自由しないために・詰め込んだ知識を活かすために、最低限は考える力を鍛えなければの場合も、
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業をもって考える力を養うをやりました!とか怠惰なことはやらずに
極端に思考力が弱い人がいると言う前提に立って訓練メニューを用意すべき
あと思考力を養う授業では『理解しました』といっても、極端に思考力が弱い人は覚えた数式を具体的にどう使うのかはわからないとかフツーに言い出すので、
アメリカみたいに世界中から優秀な若者が勝手にやってくる+資源があるなら学位商法やっててもオッケーだが
大人向けのオンラインセミナーが月額980円でいくらでも見れる、みたいなサービスがあるらしいんですよ。
その内容がさ、プログラミングのやり方とかエクセルの使い方とか文書の書き方なら全然いいと思うのね。
でも、
「エシカル消費」がどうたらこうたらとか、「ヴィーガンでSDGs」とかを語ってるとか
あるいは「私の履歴書」みたいなノリで偉い人が自分の人生と哲学を語る動画とかそういうものもあって
それらの価値をどのぐらい高く評価すればいいのかよくわからんのよな。
SNSの普及で、今まで有識者扱いされてた人たちがどんだけいい加減な人たちだったかってのがわかってきたじゃん。
そういう中で「人」の考え方を聞くことにどれだけの価値があるのか、
俺にはよくわからなくなってきたよ。
なんか怖いんだよな。
ネット上のバッシングに悩むM自動車の正社員K.Sさん(女性)は様々な人物とネット論争を引き起こしたせいか、対立するネット論客から誹謗中傷の被害に遭っていました。
その中にはK自動車勤務の非正規雇用Y.Sさん(男性)が含まれていることに気づきました。
M自動車とK自動車は業界団体のリベラルアーツ自動車会で連携企業となっているのを知っていたので、Kさんは弁護士に依頼してK自動車のハラスメント相談室とK自動車勤務の非正規労働者Kさん宛に誹謗中傷を辞めるよう文書を送付しました。
その後、2人は両者ともネット論客なのでTwitter上でこの通知が非常識だの正当だの論争をしていましたとさ。
訴えの内容自体はとても正当だけど、やっぱり2者の私人間のトラブルなのに法人にも送りつけて企業間の問題のようにしてるのは不思議な感じがするよ。
そりゃ ICU にいたオレは、1年学年が違うけど「眞子さまには幸せになってほしいなあ」って思ってるけど、KKがヤバイやつで「やり捨て御免」っていう未来が見えてるから KK が嫌いだし、KK のせいで「ICUのお前もKKくらい頭悪いのだろ?」って言われるし、KK のせいで ICU ブランドも崩壊したし、早稲田を STAP やスーフリ大学って言って馬鹿にできなくなったし、慶應 SFC でなくて ICU に行った意味が KK でなくなったし、KK には迷惑してるし、なんと言ってもリベラルアーツ教育が KK のような「堪え性のない無能を創る」という事実が世間に露呈したのがバレちゃって迷惑してるの。おかげさまで ICU の男っていうだけで、ICU KK みたいな扱いされているから、KK には消えてほしいです。
良いね!その質問は、実に好ましい。なぜなら、統計学が意味をなさないことが多いのに、なんで勉強するか疑問だろ?そりゃ、統計学が『ノイズ』を除去するからだよ。統計学は N/A とかあるのに、P値だ言って誤魔化しているのに、いざ自分たちの理論が破綻したら「シックス・シグマ的にありえない!」とか言って逃げるだろ。バブルも、リーマンショックも、自分たちが都合の良い数値を適当に取り繕って、レバレッジをかけて破綻していった。そうだよ、大きく社会学といったら会計学も経済学も「左辺と右辺が一致する」という数学の理論を無理やり当てはめて、一致すると安堵するということを繰り返しすぎなんだよ。違うね。社会学においては「左辺と右辺が一致しない」ということに意味がある。例えば、昔の人間と DNA的には同じだろうが、社会は常に変化していくのだ。まさかだけど、資本主義があるから共産主義があるとか思ってないか?違うぞ。共産主義がおこって、資本主義というレッテルが作られたのだよ。マクロ経済学があるから、ミクロ経済学があるのか?違うよ。最初は、ミクロ経済学なんてなかったんだよ。なぜに、人は「反対のもの」を探そうとするのかね。おかげで、ミクロを積分するとマクロになるという研究に一生を注げてしまう人が出てきた。可哀想にね。今では、合成の誤謬とか言うがね。世の中は、シンプルじゃないんだ。今では、複雑系という領域が勃興したおかげで、(古典な)物理学や(過去のデータを扱う)統計学、そして数学のテクニックを社会学に応用して「未来を想定する」という学問は死に絶えつつあるのさ。間違っているのは、私立文系の教授たちであって、自分達の地位が規模に依存していて、学生を無意味なテキストを買わせるだけの私立文系と芸術学部(市井の画家とかは除く)がイキっているアホしかいないのに、拝めているのだよ。特に、日本銀行券にのっている「日本のボルテール(大爆笑)」さんの大学とかさ、みのもんたや石原慎太郎の子弟とか、統計学を使うと「慶應義塾大学の受験なんてしないと、有能になる」ということを「信頼区間的には、棄却される」としか出せないだろ。ウケるw。文系は無理して数学を使役しようなんてするのではなくて、本や資料、そして『リアル』に触れる機会を徹底的に増やしていくべきなんだよ。一橋大学に文学部を作って、早稲田と慶応は文系人員を減らして、国立の理工学のリベラルアーツ教育の復興を目指すべきなのだ。根拠は、私立文系は「既卒は採用されない」という現実に向き合うべきだろ。まだ、四十路で看護学部にいった方が就職があるって変じゃないか?あれだけ数学を否定して入学させて、あまつさえ本人たちも得意でない統計学やデータサイエンスを教えるなんて、教育者として失格だろ。ちゃっちゃと、似非・数学者はくたばってください、としか思わねーよ。閑話休題。最初の「社会学や心理学」で統計学が使えないのは何故かという疑問に答えるぞ。わかりやすい例だと、かの有名な「校長」という事例があるじゃん。世の中には「一騎当千の強者」がいて、そういう統計的には「ノイズ」として棄却されるような、通常は起きないけど「未知の未知」という人知を超えた「何か」がいるの。ほら、新型コロナウイルスは「1つの『①新型コロナウイルス』が『②武漢』に生じた」というだけじゃん。これを「①イエス・キリスト、②エルサレム」「①ポル・ポト、②カンボジア」「①スマホ、②シリコンバレー」「①自動車、②ドイツ」というのとどう違うのさ。①から②は成り立つが、②から①は成立しねーよ。そんなのは、「オッカムの剃刀」とかで徹底的に洗い出されているのであって、帰納法と演繹法では「世の中を描けないのだ」よ。つまり、人文系と人工知能のように社会学的な方向に、ベンサムを始祖として常に繰り返されてきた、物理学や数学のメソッドの応用は事故の元です。なぜなら、ヒトは「変わらない」が、社会は「変わる」のです。光の速さは(俺が生きている間は)不変ですが、社会は(テレビ・新聞・インターネットとか出てきたせいで)変わるのです。つまり、統計学のような「観測できなかったことを誤魔化す」「そもそもサンプルが全て出揃うのが不可能」「過去に起きなかったから、未来にも起きないと思い込む」ような、雑な『算数』で「数学を理解していると信じる私立文系ども」はオウム真理教で「サリンをばら撒いた高学歴」と何ら変わらないよー、って言いたいのですよ。天才の麻原がいなかったら、地下鉄サリン事件なんて高学歴の秀才どもが起こすわけないじゃん?(q.e.d)
別に教えてもいいけど、この中から有用なチャンネルを掘り出すのは結構シンドいと思うよ
はてな的には、徳丸浩のウェブセキュリティ講座 を実は知らない人も多いかも
あと どうぶつ奇想天外 と さまーず は自力で検索してて発見したので、このあたりも知らない人多いと思う