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はてなキーワード: リベラルアーツとは

2021-03-18

anond:20210318152245

院生講義は流石に1年では取れんけど、「副専攻」ならふつうにあったけどなあ・・

学部の授業でいいなら別に学部でも取るだけなら自由だったよ。

他のトラバで言われてるようにいわゆる専門科目のうち高度なものアメリカではリベラルアーツ系の学部ではそもそも無いってことを踏まえると、

数学科の3年生用専門科目を履修できるだけで日本では十分ってことなのでは。

anond:20210318152245

それはアメリカの多くの大学が4年間ずっと教養科目をやっているからです(リベラルアーツといいます

アメリカでは専門科目は大学院に行って学びます

日本でもICUとかお茶大とかはそんな感じです(いくつかの大学にある文理学部というわけわからん存在も該当するかも)

2021-03-05

anond:20210305002558

いわゆるリベラルの話とは関係なく「リベラルアーツ系」の話をしている可能性。

リベラルアーツ系」というのがどういう人達か今一わかりにくいけど、「リベラルアーツ系の学問を修めて大学卒業したような人たち」のうち、世界を飛び回ってそうな感じの人達ではないか

またいわゆる日本語でいう「リベラル」はアメリカでいう「リベラル左翼」に意味が近く、その結果リベラリズムとそこまで関係なくなっていると思う。

2021-02-17

anond:20210217202655

あー今は教養じゃなくてリベラルアーツって呼ぶんだっけ?

いや教養深い、の意味教養はいるけど、大学まで入って1年2年専門学ばせませーんってのはいらねえと思うんだよな。

どうせ大半の人間にとって職業訓練校なんだし。そんなに教養(リベラルアーツ)が必要なら高校でやれよと。

2021-02-03

anond:20210203124148

アメリカ大学リベラルアーツなんてマジでやってるようには思えない。多少はそういう側面もあるかもしれないけど、単位数は日本より遥かに少ないし(その分ひとつクラスの重さが段違い)、大学院に入るためにGPA維持しなきゃならないしで教養なんて悠長なこと言ってる余裕はなさそう。最近競争が激しすぎて大学院に入るために既に研究成果がいくつかないとダメみたいな感じだし。

anond:20210202084333

アメリカ学部4年間は基本的リベラルアーツ教養)を学んで、専門領域大学院がメイン

日本戦後学制改革の時に、6-5-3-3(飛び級だと最短5-4-2-3)をアメリカに合わせて6-3-3-4に変えたんだけど、旧制高校旧制大学の3+3を2+2に圧縮しちゃった

お金もなかったし、旧制高校専門学校(高等商業とか高等工業)が大学への昇格を望んだから

研究者になるつもりのない人は4年間教養をやればいいし、研究者コースの人は6年制を前提としたコースに組み替えればいい

アメリカみたいに最短24歳でPhDとれるようにしてほしい

2021-01-09

教育押し付けの失敗

教育学者様と現場先生様が決めた完璧カリキュラムなんだから間違ってるはず無い

あれを無くせ、これを追加しろとど素人が言ってんじゃねえ」

みたいなこと言う奴いるけど

当の義務教育完了者が「学んだけど必要なかった」「学ばなかったけど必要だった」と言ってるのを無視する方がわからない

教育利益は生徒に還元されるべき」みたいなこと言ってたドイツ人だかの人いたけど、その通りだと思う

結局学んだ人間が学んでよかったと思える内容、学んで人生に活かせたと思える内容じゃないと教わる意味がない

「これは教養から身につけるべき」「これぐらいは知っておくべき」ってのは、教えたい人間押し付けしかない(裏を返せば、「教える以上学んでよかったと最終的に思わせられるようにすべき」ってことなんだが)

というか究極的に「学びたがっていない人間に教える」こと自体、ある種の悪だと思う

公園で遊びたい小学生自由を奪って机に縛り付ける悪行は、小学生が将来学んでよかったと思わせることで帳消ししないといけないんだよ

学習者の利益にならない教育なんて、国ぐるみ思想身体自由を(事実上)奪う行為しかない

つか教育側がカリキュラムを組む行為パターナリズムなんだよ

パターナリズム人間子育てする生き物である以上必要もので、それ自体は全く悪いものってわけじゃないけどさ

リベラル的には、学ぶ側が何を学ぶか取捨選択出来るようになってるべきなんだよ

英語、体育、音楽美術は4割減くらいでもいいかな。古典は8割減で。現国も1割くらいは削れそう。」なんかこういう安直リベラルアーツ軽視・実学至上主義みたいな考えにこそ薄ら寒さと危機感を覚える。

教養強要した結果、「リベラルアーツ要らね」って人間を作っちゃったのは教育者側の失敗なんだよね

受験が終わったら95割人間が全部忘れるような古典単語をひたすら暗記させたり、生徒がやりたくもない合唱練習を延々とさせたり、そういうことを生徒に意義を示せないままに続けてきちゃったから「古典8割要らねえ。美術音楽体育要らねえ。」って思われるようになっちゃったんだよ

危機感を覚えるならそれこそ、教育の方を改革すべき

リベラルアーツ重視・実学軽視」の価値観こそが正しいのだと生徒に押し付けるならば、リベラルアーツ万歳と思わせられるような素晴らしいリベラルアーツを用意するのは教育者の責務だ

anond:20210108232516

2020-12-28

anond:20201227223731

そら草津やら豊橋やらの田舎の人はその辺のキャベツでも食ってれば人生満足一本でええんのかもしらんけど

まともなリベラルアーツ知識人を育てようと思うたら全然足りへんの

野球に例えたら三塁や三塁

ハフポス読めや

2020-12-06

anond:20201206091100

理工系志望者の中学生にとって、高専を捨ててまで通う価値のある普通科高校って実際は少ないと思う

まあ本当の意味での名門校だね

アカデミズムリベラルアーツ精神もない、もっぱら生徒を大学入試に受からせることしか関心のない「自称進学校」には、高専を捨ててまで通う価値は全くない

2020-07-14

anond:20200714204000

リベラルアーツでは証明などの論理天体の円運動幾何学などは自由人として生きるために必要って話ではある。いまさらリベラルアーツでもないが

2020-07-02

自分で考え続けなくちゃダメだよ」を中学生に伝えるにはなんて言っ



2020年6月30日にまたここで会おう』は、瀧本哲史さんが2012年6月30日東京大学で講演された内容を1冊の本にまとめたもの。これが期間限定で全文無料公開されたので読んだ。

勉強になるし、考えさせられる面白い文章だったのでぜひ一読をおすすめします。


瀧本さんは20代とかの若者に向けて話していて、いろんなメッセージがあるんだけれど重要だと思う前半からいくつか引用

>> ・次の日本を支える世代である若者自由人として生きていくために必要不可欠な「武器としての教養」を配りたい。

・外見だけは人間なんですけど、やってることは人間以下という人が老若男女問わず世の中にはたくさんいる。「自分で考えてない人は、人じゃない」

・「正解」なんてものはない。 自分人生は、自分で考えて、自分で決める。

・そのための「思考の枠組み」として、リベラルアーツがある。 自分自身を拠りどころとするために、学ぶ。

・まず「言葉」によって正しい認識にいたり、「言葉」を磨くことでその認識の確度を上げていく。そして「言葉」を使って相手の行動を変えていくことで、仲間を増やし、世の中のルール空気を変えていくことが可能

パラダイムシフトとは、「世代交代」である

・ 君と君たちが正しい選択をし続ければ、いつか必ず世界は変わる。<<

以後も大事な考え方を教えてくれます

歴史的なことを散りばめて語られるから、すごく説得力があるなと思った。現代史も含め、歴史事実に近いことだから、知っていることはものすごく大事だよな。パラダイムシフトについてなんか眼から鱗でした。


で、これを読んで私が考えたこと。


これを「賢い」と言われる人たちに話す意味はすごく大きい。賢い人が世界を動かしていく(はず)だから。だけど、私はそれだけじゃ足りないんじゃないかと思う。

ある程度理解する力がないと、自分の中に噛み砕けなくて受け入れられないのは確かだけど、「賢くない」人の方が多いんだよ、世界

しかも今は発言権拡散力)はみんなが持っているし、賢くない人は、数の多い「仲間」=大衆に受けやすい。

けど、賢くない人ほど、こうした話は聞きたくないし、聞けない。受け入れられない(たくない?)。

じゃあどうするかって、もっと早くにこういう考え方をわかりやすく、広く、教えなくちゃじゃない?って思う。中学高校、それも地方を含めた公立とか、「普通」なところで教えていくべきなんじゃないかと。やっぱり教育って大事と思う。



中学生って大人が思うより、考えられるよ。いろんな空気を読みながら生活してるし、いろんなことに影響されて学んで生きてると思う。だからこそ、そこで思想は固定されてしまいがちなんだよ。どれだけ勉強ができていい大学にいけた人だって、育った場所(家庭・小学中学高校)でできた思想ってなかなか変えられない。むしろガチガチな人も多いんじゃないかって思う。

そういうことでいうと、中学生って無垢ではないけど、まだまだ足りなくて、考えがかっちり固定されてないと思うんだ。(まだ変えられる、というか。)

でも既に、変に諦めてる子とか、頑張るのバカじゃん、どうせ自分バカだし、みたいな子も多いだろうと思うんだよね。そのまま行っちゃうと、世の中の、その地域での「普通」の道を辿ることに疑問をもたないまま進んでしまうことになるわけ。これって今の時代の「再生産」的な人間じゃん。




からさ、できれば中学生とかの内に、せめて高校生のときに、こういう話を聞いて、自分可能性とかを自分で考えてほしいなと思うわけ。

じゃないと多分、「パラダイムシフト」は起こんないよ。世代交代は必然的に起こるけど、次の世代もおんなじ考えの人が再生産されてたら意味ないんだよ。


パラダイムシフトを起こすためには、賢い・意欲のある20代に話しているだけじゃ足りない。

人の考え方は基本変わらない。歳を取ればとるだけ、変化は期待できない。

から固定される前の中学生とかに伝えたくない?

ってことです。(この考えにつっつポイントもあると思うが)


で、じゃあ中学生(賢くない)にどうやってこの話を伝えたらいいんだろう?って考えた。

メッセージの大ポイントは「自分で考えることをやめるな」ってことだと思うんだけど…

>>大人自分考えるのをやめたダメ!」

中学生「なんで?」<<



ってなるじゃん。これ、なんて答えたらいいんだろう……というのがいま見つからない。

だって中学生はまだ社会を知らない。今の社会のなにが未来にとってよくない考え方なのか、その考えがどれほどスタンダードなのか……絶望感を知らないと、「今のままじゃダメだ!自分たちの世代が変えるんだ!」なんて思えないんじゃないかなって。



この「なんで?」に対する答えをちゃんと伝えられる大人になりたい。

誰か手伝って!なんて答えたらいいと思う?

2020-04-30

anond:20200429141921

基本、学力で輪切りされてる高校場合は、一つの科目について、それぞれの学力に応じた動画必要になる。

高校生は全員が大学に進学するわけじゃない。商業科や工業科もある。

授業を静かに座って聞いていられないような底辺校もある。

そうした生徒向けのオンライン授業というのは、スタディサプリなどの大学受験向け動画とは、全く異なるものになるだろう。

大学受験という足枷から自由な反面、逆に、その教科をもってして何を学ばせるか、またどう関心を持たせてオンライン授業に参加させるか、本質的デザインの段階から教員の側が厳しく問われることになり、なかなか難しいと思う。

教科書レイヤーでいえば、何を捨てて何を残すか、何を加えるかという話になったとき、どのような観点からそれがなされるべきか。

まずは、多くが就職専門学校へ進学する生徒たちについて、キャリア教育的な観点からなされること。

もう一つは、教科の全体をもって、教養すなわちリベラルアーツ入り口に足を突っ込ませること。

オンライン授業の強みは何といっても視覚化に優れたところなので、サブカルチャーからから総動員して、彼らの身近な関心や今後のキャリアに教科の内容をつなげ、全体として必要教養に触れさせることは不可能ではないと思う。

言うは易し行うは難しだが、少なくとも、動画一本あれば解決するような問題ではないよ、ということで。

2020-03-08

anond:20200308135523

こういう人ばかり幅をきかせてると危険から教養学部とかリベラルアーツ教育必要ってことがよくわかる。

2020-02-04

anond:20200204171445

日本で1番リベラルアーツって言葉に近いのって、公民館とか土日の大学開放してやってるナントカ講座やろ

anond:20200204163830

ちょっと前にアメリカでの用例見て思ったのは金にならない学問リベラルアーツとくくられてるんじゃないかなということ。

今どきは金の臭いがプンプンする統計学はもちろん、数学全般入れてもらえ無さそうだし、物理も除外される。語学も入らない。

リベラルアーツに入れてもらえてるのは文学などの芸術宗教学ソーシャルサイエンス全般あたりみたい。

Wikipediaで答え合わせしたらまた別の分別がされていて、人により、場合により境界はブレてるのかなと思った。

https://en.wikipedia.org/wiki/Liberal_arts_education#Modern_usage

anond:20200204163830

元ツイの意図からいけば、リベラルアーツっていうのは要するに「既説や自説を疑い確認しながら広範に学ぶスキル」のことだから別にそこまでカッチリした話じゃあないだろう。

何が必要かでいえば全部必要だし、同時にどれも必須ではないと言えないこともない。

 

この話、ツイートから一方的な主張みたいになってるけど、もし議論の形で展開するなら「リベラルアーツ」の有用性の有無から始めないといけないとこだと思うわ。

もしくは、これは大学側の「リベラルアーツ」の解釈が元ツイの人の解釈(旧来の解釈)と相いれなかっただけなので。池上彰がやるのが、リベラルアーツではなくて教養特別講義とかジャーナリズム論とかなら問題はなかっただろう。

 

2019-12-06

anond:20191206203533

学歴自慢してる奴って大学院行けなかった、つまりリベラルアーツ教育までで終了して専門分野を持ってない奴だから

2019-11-28

筑波大学が例の特任准教授を生んだ理由

筑波大には「総合科目」という、まぁ教養みたいな感じでさまざまな分野(他学類)の授業がとれる科目があるのだが、

その授業は割と甘めで、出席+簡単レポートだけで取れてしまものも多い。

しかも、総合科目は「必ずこれをとれ」という全学生共通する講座はなく(「ほんの」一部は共通の必修がある)、選択式だ。そのため、割と自分が好きな科目で組めてしまう一面がある。

ほかの大学は知らないが、「歴史」や「古典」は雑学からイラネ、みたいに切り捨てることができるわけで、これって教養勉強にもならないのではないかと思った次第。

リベラルアーツ教育ガチでやらないと、いろいろとゆがんだ方面に行ってしまうのではと考えてしまう。そもそもオウムの一件で「科学的な知識」だけで倫理をもたない危険性を反省して大学教養科目の充実が図られた、みたいな話を聞いたことがあるので、もっとマジメに大学教養を組んだほうがいいんじゃないか。

2019-08-09

大学でのリベラルアーツ教育が待たれる。 anond:20190808221613

結局、会場にも行かないし、展示物の持つコンテクスト無視して議論するような(あるいは自分コンテクストしか議論できない)人々たちによる、

罵詈雑言やら衒学的な批評やら美術批評やら憲法論議やらが同じ土俵でゴチャゴチャ行われて収集つかなくなってる感

津田本来「高尚」なる議論が行われるように思っていたんだろうが、

まりにも皆の議論能力芸術歴史学的なリテラシーが低すぎて盛大にコケた。

さらSNS禁止なんてやるから伝言で伝えられた展示物のインパクト否定的な人々によるデマや誇張に繋がり、デマや誇張された伝聞が彼らを取り巻くコンテクストの中でエコーチェンバーになって

ついに暴発したのでは。

我々には数十年早すぎた代物。大学でのリベラルアーツ教育が待たれる。

anond:20190808221613

2019-07-02

anond:20190702101955

残念なことに世の中の人は「学ぶ楽しさ」みたいなのを理解せずに、利得を得るための苦行として扱ってる感じぽい。

なので、受験以降の発展性に乏しかったり、リベラルアーツみたいなのが理解できなかったりする。

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