はてなキーワード: リットルとは
ふとした疑問なのですが普通の家庭ではどんな会話ができるのでしょうか?
私の家は一般的な家庭とは少し違うみたいで、純粋にどんな会話をしているのかが気になりました。
親は子供の好きなものを知っていますか?好きなものの話題になることはありますか?テレビは自由にみれますか?好きなものを否定されていませんか?怒られるならどんなことで怒られますか?
支離滅裂な文章だと思います。けど最近毎日死ぬことしか考えられなくなるほどにしんどくなってきたので吐き出させてください。
私の家は、私が物心ついた時にはすでに家で騒がしくしていたら「ニュースが聞こえない。黙っていろ」と注意される家でした。公園などで遊んではしゃいでいてもみっともないと注意されました。小さい頃から友達になった子はいましたが一人一人、あの子の家はこうだからあんまり…と言われたりあの子は頭がいいから仲良く、と言われたこともたくさんありました。
私は小さい頃からペンと紙を持って絵を描くのが大好きでした。そして外で遊ぶよりも中で遊ぶ方が好きで、アニメを見るのも大好きでした。
勉強はそこそこで平均くらいでしたが絵は人並みに描けていたと思います。
毎回絵を描くたびに「絵なんか描いて何になる」と言われ続けてきましたがやっぱり絵を描くことが好きだったのでやめられませんでした。
アニメも自分の知らない世界がたくさん広がっていて大好きです。見るたびに「こんなくだらない、つまらんものを見て何になる。つまらないからニュースに変えろ」と言われてもそれでも大好きです。
年の近い弟が一人いましたが、弟は外向的でテニスがとても得意です。
弟は小学校からテニスのクラブに入っていて、中学、高校でもずっとテニス部で遠征によく行ったり試合がある日は両親揃って弟の試合を観に行ってました。テニスの道具なども進んで買ってもらっていたと思います。
弟の方が手間かかることがあり私のことはほとんど放置で一人でいることが多かったのですが、思春期だったこともあり放っておいてくれて良かったと当時は感じていました。
私も弟がテニスを好きだったのと同じように私も絵を描くことが好きだったのでイラストコンクールなどに参加していました。
その時に、私の作品が入賞して主催の方から絵を学ばないかと勧誘を受けました。いわゆる通信講座のようなものです。本格的に絵を学びたいと思い親にその旨を伝えてみました。
返ってきたのは「くだらない。そんな口車に乗せられて情けない」でした。挙句には勧誘してくださった方にくだらないことに誘いやがって、詐欺だ!!とクレームの電話を入れられてしまいとても誘っていただいた方に申し訳なくてたまりませんでした。今でもふとした疑問なのですが絵を描くことはそんなにくだらないことなのでしょうか?勉強する価値もないのでしょうか?弟もテニス用具だったりシーズン毎の遠征費はかかっているのですが全て親が払っています。私は水彩絵の具や絵筆、キャンパスは学校で使う以外は全て自分のお小遣いの範囲です。そして弟のテニスについては一言もくだらない、と言われている記憶がありません。それどころかいつも褒められていてどこか他所に行っても毎回弟はテニスが上手で…、と自慢げに他の人に話しています。私は自分の絵をくだらないと言われたことはあっても褒められたことは一度もありません。不公平に感じるのは私の心が狭いからでしょうか?
高校生の時、大学をそろそろ決めないといけない時期にどうしても絵を学びたくて美術学科があるところを視野に入れていました。昔から絵を描くことはくだらないと言われ続けていたので言うに言えずに高校二年生の冬が来ました。頑張って美術学科に行きたいこと、入試でデッサンがあるので画塾に通いたいことを打ち明けると渋々了承を得られました。そこから頑張って画塾に通って同じ受験生の子と切磋琢磨して厳しくても毎日が楽しかったです。でも、通っていた時にも度々画塾なんてお金の無駄、と言われていたので最後までいたやめさせられるかわからないと怯えながら画塾に通っていました。
話は変わりますが親は所謂アルコール依存症のようなもので一日中お酒を飲んでいました。朝や昼、夜も関係なくひたすら飲んで落ち着いたら寝て、目が覚めたらまた飲んでの繰り返しです。なので夕方から夜にかけて寝て、私が寝ようと思った頃(23時くらい)に目が覚めてテレビを大音量で付けて夜中まで騒がれていることがほとんどです。2リットルの紙パックの焼酎?も一晩で全て無くなるくらいにはずっとお酒ばかりでした。
だからでしょうか、何か少し自分の気にくわないことがあればどんな理不尽なことでも怖いことや暴言をたくさん吐かれました。
弟と違い、私はずっと否定されてばかりなのでつい気になって私をどうして作ったのだと聞いたことがあります。「間違えだった」と返って来ました。そして私は本来双子で生まれるはずだったのですが生まれる前に一人流れてしまったことも同じ時期くらいに知りました。その時から今もですがずっと間違えて生まれて来た私に生きる意味まあるのだろうか?ずっと疑問でいっぱいです。また、あの子ではなく私が代わりに流れていたら良かったのではないか?むしろその方が良くて、あの子の方が私よりも出来が良くて怒鳴られずに済んだんだろうか?所謂普通の、好きなことを、好きなものを、ありのままでいられる、ビクビクしなくてすむ家族になれたのではないかとずっと思うのです。
椅子に座ってパソコンに向かってるだけなのに頭がまわってる感じのめまいがするから病院に行った
めまいってどこだろうと思ってぐぐったら耳鼻科だったので耳鼻科にいった
会社・駅の近くの耳鼻科は評判悪かったから、家の近くの耳鼻科に行った
耳鼻科って駅近とかさかえてるところ以外だとかなり少ないという知識を得た
歯医者は多すぎるくらいたくさんあるのに、なんで耳鼻科は少ないんだろう
患者多くて30分も待たされた
診療開始時間ちょいすぎにいったのに、受付は30分前からやってますとかでたくさん患者いたから
もっと早くいけばよかった
聴力検査の電話ボックスみたいなのに入ったけど全然防音なってなくて隣の診察室の笑い声とか聞こえて正確な聴力はかれてねーだろこれと思った
あと聴力けんさのピー音を出すときに電話ボックスの外でボタン教えてるんだけど、ボタン押したりはなしたりしてるかちゃかちゃいう音がきこえてきて、なおさらいみねーなと思った
何も見えないVRゴーグルつけて、ゆっくり体を後ろに倒したり、体を右に向けたり左に向けたり
それで何がわかるんだろうと思ったけど、あとで教えてもらった
こういう現象がでるのは内耳の水分不足(体重53kgだと一日1.5リットルは飲まないといけないらしい)、睡眠不足が原因らしい
めまいおさえる薬(ツムラの漢方を処方されてびびった)と睡眠の質を上げる薬をもらった
幼児とか小学生低学年くらいのときに飲んでた抗生物質だったかな、白くてつぶが大き目の粉末の薬、すっげー苦くて大嫌いで、かぼちゃとかさつまいもに混ぜてだんごにしてもらったりしてたのに
まあ大人が苦くないって思うのでも子供にとっては苦いってのもあるのかな
病院だからクレカ使えなくて札くずさないといけなくて小銭がめっちゃ増えてしまった
スーパーとかブックオフで100円の本かうときすらクレカだから、たまに病院いくと不便でしゃーないわ
でもかといって早くねたら翌日疲れがとれるわけでもなくなってきたのが、30超えて一気にでてきた気がする
20代はどんなに疲れてても寝たら翌日は元気になってたから体調不良で休みたくても休めない健康体がうらめしく思えたくらいだったけど
体力おちてるんだろうなあ
筋トレしなくなったのもあると思う
私もパーティのときに1.5リットル入りペットボトルの水を、コーラやウーロン茶と一緒に買いますけれど、ミネラルウォーターを日常的に買うのってよくわからなかったんですよ。
500ml入ボトルはまあ、私でしたらお茶を買いますけど、出先ならわかります。
でも、〇〇の水っていって8リットル入りの水タンクを月に何個も配達するというサービスあるじゃないですか。
専用のウォーターサーバーの器械を設置して飲む。
美容室とかリフレの店とかスポーツクラブの待合室ならわかります。
でも自宅に配達しますよ~ってショッピングモールの通路で宣伝してる。
水ですよ水。
コスパ厨ってわけではないですが、日本の水道水は飲めるじゃないですか。
と思いました。
皆外でご飯を食べる事が中々ないので、カップ麺、カップスープ、カレーメシ等を
食べる為に電気ポッドがよく利用されている(5リットルタイプが2つ並んでいる)。
そこで問題なのが保温の設定。
私は大体朝一番早く来るので、ポットに水を入れ98℃の設定にする。
でもお昼前になると二つとも90度に下がっている。
……誰かが下げているのだ。
インスタント食品に対して90℃は若干温い。
だからまた98℃に戻す。
でも、また直ぐに90℃に下げられているのだ。
これはどういうことか?
98℃派 VS 90℃派
そう。フロアには98℃派と90℃派の二つの派閥が存在しているのだ。
一時期80℃派という過激派がいたが、直ぐにケトルが導入され、
そのケルト和平が結ばれた後、気が付くと5リットルタイプの電気ポッドが増えて2つなっていた。
これで解決されると思いきや、増えたことで争いがより明確になってしまった。
二つある電気ポットの片方が98℃、もう片方が90℃の場合でも、
両方共98℃に上げられるか、90℃に下げられている。
派閥を特定しようにも、電気ポットは死角になっているので、中々温度設定を変えているところを見ることは出来ない。
いつまでこの状態が続くのか……。
噂によると3台目の電気ポットが導入されるとかされないとか……。
体がだるいし、目が開けられない。私の寝起きには良くあることだが、今回は一段と重い。
何とか体を起こして立ち上がるが、どうもふらふらする。しかも動悸と吐き気がする。いつものように首筋に寝汗をかいていない。なんだこれは?
温度計を見ると30度とある。熱中症や脱水症状に思い至り、冷蔵庫を開けてお茶を飲み、また横になる。リモコンで扇風機を付けた。冷房は壊れている。
少し経ってもいずれの症状も治まらない。お茶では足りないのか。
どうにか起きてコップに水を入れ、塩を溶かして二口ほど飲む。まずいが仕方がない。
再度横になって様子を見る。
16:00分頃、周期的にこみ上げる吐き気と動悸は一向に回復する様子はない。悪化している?
意識はしっかりしているつもりだが、一人暮らしなので、もし失神でもしたら恐らくアウトだ。
私は緊急社会システムにアクセスすることにした。即ち119への電話である。
電話口の相手には救急であること、住所、アパート名、名前、症状を伝えた。
「熱中症とおっしゃいますが思い当たる節があるんですか?」「30度の部屋で寝すぎました」
「わかりました。今救急車が向かっています。ドアの鍵を開けてお待ちください」
大体このようなやり取りで電話は終了し、私はベッドに倒れる。その後体感で5分程度でサイレンの音が聞こえてきた。
インターフォンが鳴らされたので出る。もう何も考えたくない状態になっており、救急隊員とのやり取りは覚えていないが、症状を説明して歩けるかどうか確認され、身分証が入っている鞄を持って戸締りをしたことは記憶に残っている。そういえば隊員の方に顔が真っ白と言われた。
寝巻きのまま自力で歩いて救急車まで行き、中のベッドに横になる。
そして指や腹部に何やら得体の知れないものを付けられる。どうやら指に付いたもので脈を取るらしい。
次いで血圧と体温をはかる。体温37度らしい。平熱34~35度の私にとっては発熱状態と言えそうだ。風邪でもないのにこんな体温になるとは。
搬送先の病院を見つけて頂く間、ライトで目の確認、痺れや神経の確認などをされる。
3名の隊員に来て頂いているが、常に1人は私の横にいて見張ってくれるようだ。大変失礼だがこの方の目は怖かった。口調は丁寧そのものであるのに。
「お名前言えますか?」「生年月日は?」「年齢は?」「今日の日付は?」「ご実家の電話番号は?もしかしたらご家族に来てほしいということがあるかもしれません」「今の症状はいかがですか?」「ご職業は?」
質問には全て答えられたが、いかんせん体がだるい。喋るのも億劫だったが否やもない。
他には、今まで似たような症状を経験したかどうか、過去に何か大きな病気にかかったか、持病はあるか、普段何か薬を飲んでいるか、などだった。それ以外にもあったかもしれないが覚えていない。一週間前まで夏風邪にかかっていたことを確かここで話したか。
質問の最中には別の隊員の方が私の状況を年齢性別と共に病院に伝えてくれているのが聞こえてくる。2、3回、この病院はかかった事があるかと聞かれるが、全て初診の病院である。金曜午後4時とあってなかなか搬送先が見つからないようだ。付近で行った事のある病院を聞かれたので、以前風邪のとき見てもらった個人のクリニックの診察券を見せるが、すでに診療時間外であった。
今思えばこの質問攻めとも言えるものは、必要な情報を得ると同時に意識を失わせないようにするためのものだったのだろうか。
この間に動悸は治まり、めまいも軽減したようだ。何も考えたくない状態は変わらないが、症状としては吐き気のみになっている。救急車の中の温度が功を奏したのだろう。
やがて搬送先が見つかり、移動開始。車内はゆれるので何かあったら伝えてほしいと言われる。
10分ほど揺られて病院に着いた。体に付いた器具は到着直前に全て外される。
どこにある何という名前の病院なのかもわからなかったが、どうでも良いことだった。ベッドごと救急車から降ろされ、救急室へ運ばれる。
移動中、看護師さんらしき方が「大丈夫ですよ~病院に着きましたからね~」と声をかけてくれる。
救急室に入室。時計をチラッと見てみると、16:28分ごろだった。
救急車のベッドから救急室のベッドへ体を移動する。「ゆっくりで良いですよ」と優しい。
そして胸部腹部に器具を付けられる。心電図か。指にも脈を取るための何かを付けられる。たちまち救急車の中とほぼ同じような状態になった。
症状とそうなった経緯を聞かれたので説明する。もともとロングスリーパーで、前日の22時から寝ていたと言うと驚かれた。
ここで気付いたが、やたらと女性が多い。医師の方も女性であり、経緯と症状を説明している救急隊の方以外に男性がいない。
救急室で何をされたか、おぼろげにしか覚えていない。時系列がぐちゃぐちゃだが思い出してみる。
思考停止状態の私はなされるがままぼーっと目の前にある特徴的なライトを見ていたと思う。手術室にありそうなUFOのごときあれである。
確か、もう一度目にライトを当てられる。首を左右に振られる、などだ。眩暈はしない。
「採血しますよ。その後点滴打ちますからね」なんと。この状況で血を抜かれるのか。まあ、もう任せておこう。「アルコールはかぶれませんか?」かぶれたことはない。大丈夫だ。
じゃあ3本などと聞こえた気がするが、見ていないのでどれだけ採られたのかは定かではない。
点滴の後、それから看護師の方に心臓部に何やらローラーを当てられてぐりぐりと動かされる。なかなか終わらない。鈍痛的刺激である。私の体のせいか、どうやら目的を達しづらかったようだ。医師の方に交代するが、それでも時間がかかっていた。体を左に傾けるように指示される。よくわからないが、これで成功したようだ。
喫煙と飲酒の確認をされる。煙草は吸わないし酒は2週間に一度ぐらいだ。
あとは、目の前に指を出され、目で追ってくださいと言われる。問題なくできた。
めがねのような物をつけて天井を見るようにと言われる。とてもぼやけるレンズで、まともに外界を見ることが出来ない。気持ち悪くなったりしないかと言われるが、大丈夫だった。
「私の指先と自分の額を指で往復してください」これもできた。
親指に何かを打たれ、出血したときにその血を器具で調べるということもされた。結構痛くて指が震えてしまった。チラッと顔を確認される。「痛かったですか?」「はい少し」などと会話して気恥ずかしくなった私は目をそらす。
おおよそ処置が終了したようで、救急室にいる人数も少なくなってきたか。
点滴が効いたのか、この頃になると吐き気もほぼなくなっていた。
実家に電話して頂いたようだが、出なかったのだろう。連絡の付く時間を聞かれるが、今いないのなら深夜でないと連絡不能である。我が両親は忙しい。
迎えのための連絡先を聞き出される。
しかし、連絡先が入っているスマートフォンは持ってきていない(これがまずかった)し、普段の連絡はメールである。デジタルネイティブである私は両親の携帯の番号など全く覚えていない。「おじいちゃんおばあちゃんは?」実家にいるが、祖父はすでになく祖母は離れにいる。電話したとしても聞こえない。「他に近くに知り合いはいないか」いない。
いよいよ困らせてしまったようで、鞄の中のファイルに閉じられた紙に書いてある電話番号を見せられる。「ここは?」「それは職場の人間の番号です」「よくわからないな~」申し訳ない。
そうこうしている間に別の患者が来たようで、私は車椅子で別室に移される。何かあったらナースコールをお願いしますと言われ、カーテンを閉められる。
ここでもぼーっと寝ていた。点滴を見る。かなり速いペースで滴が落ちていて、少し経ったら終わった。まさか25歳で救急車のお世話になるとは思わなかった。天井を見ながら、そういえばネットでふぐの毒にあたった人がこのような光景の写真をアップしていたな、いやあれはただのネタだったか、などと考える。余裕が出てきたのか。
その後、先ほどの看護師の方がやってきた。曰く、連絡が付かないなら無理に付けなくて良い。血液検査の結果が出て問題なければ帰宅。と先生がおっしゃっていたということだった。
またしばらくして先ほどと同じ方がやってくる。「救急車で来た方は、病院が荷物を預かったことになるんです。今回は靴と鞄です。お受け取りのサインをして下さい」なるほど。いつの間にか私の鞄も右に置いてある。気付かなかった。
さらに少し経って医師の方が血液検査の結果を持ってやってきた。2項目ほど異常値だが比較的きれいであり、問題は見受けられない。めまいには二つあって、脳か耳が原因だが、前者は考え辛く、後者をチェックするために耳鼻科の受診をお勧めする。それから、ご家族には今日救急車で運ばれたことを伝えるように。それから暑いので、クーラーを付けないなら窓を開けて寝ること。脱水は正直わからないが、水を2リットルほど飲んだほうが良いことを伝えられる。
次に医師ともう1人の方が水を持ってきた。「体を起こして、飲めますか」問題なく一口飲む。「込みあがってきたりしませんか」大丈夫だった。
最後の確認として、点滴スタンドの取っ手を杖代わりにして立つことを指示される。立てるし、眩暈はない。そして、靴を履いて歩く。歩ける。綱渡りをするように、前に出ている足のつま先に後ろの足のかかとを持ってくる歩き方でまっすぐ歩けるか。できた。
大丈夫そうだ。医師も同じ判断らしく、帰宅の準備に入る。「お帰りはどうしますか?」「どうしましょうね……」「お金があればタクシーが良いですね」なるほど。
点滴を外され、消毒したガーゼを当てられるので、自分で押さえておく。太い針だったようで、少し待つ必要があった。その後テープで固定される。
荷物を持って靴を履く。会計の場所を説明されたので、医師の方に今回のお礼を言って移動する。
そういえばめがねをかけていない。視力が悪いので少し視界がぼやけているが、目を細めながら会計に到着し、救急で来たことを伝える。診断書を書いて提出して待つ。この間に時計を見やると、18:40分ごろだった。少し経つと名前を呼ばれる。
この病院の診察券を発行して頂いたようなので受け取って精算する。合計8000円と少しらしい。持ち合わせの現金では足りなかったが、クレジットカードが使えて助かった。会計後、タクシーの駐輪場所を聞いてそこへ向かう。ちょっと迷った。
最初は寝巻きのまま外を出歩くのに違和感があったが、状況が状況である。気にしたところでどうしようもない。会計では、タクシーが駐輪場所にいなかったら自分で呼ぶようにと電話番号を書いた紙を貰っているが、電話がないのでいないと困る。しかし、運良く一台のタクシーがとまっていた。
手を挙げて乗る意思を伝え、自宅アパートの住所を伝える。タクシー代は1700円と少し。現金で支払った。
帰宅後、何はともあれ水分補給をする。そして熱中症で運ばれたことを家族と友人に伝える。だが、ここで部屋の温度と湿度に気付く。間抜けな!この環境だから事が起こったんだろう。
すぐに窓を開け、付けたままになっていた扇風機の風力を上げる。これで涼しくなる。
何時間か休んだのち、着替えて近所のスーパーへ向かう。ポカリスエットと水とカロリーメイト、そして食料を買った。
ところで私が運ばれた病院はなんという病院なのか?診察券を見てみると……なるほど、女性が多かったのはそのせいか。
なんとも稀有な体験をした一日だった。直接お礼が言えたのは医師の方のみだったが、今回119の電話を受けて下さった方、私を運んでくれた救急隊員の方、処置をしてくれた医師及び看護師の方には心よりお礼を申し上げたい。
反省点
・初期の対処
扇風機を付けただけでは足りなかった。すぐに窓を開けるべきだった。
・部屋の冷房が壊れたまま
早く直さなければならない。
・病院に両親の連絡先を伝えられなかった
・めがねを忘れる
持って行く。
暖かい言葉を頂いてとてもうれしい。私の部屋も暖かいぐらいの温度だったら良かったのだが。
こんなことで救急車呼ぶなと言われるのも覚悟していたが、全くの杞憂だったようだ。
30度でもここまでの症状になるのか。体質にもよるんだろうけど。
素人の推測だが、長時間の睡眠で水分が取れなかったためだろう。目が覚めて良かった。
冷房使わなかった頃は2Lのペットボトルを凍らせてバスタオルに包んで寝てたな。500MLのPBでもタオルでくるんで脇の下、首筋、太もものいずれか(動脈のある部分)に充てるだけでも体内の温度を下げる効果がある。
発想がすごい。これはやってみよう。
あなたは熱中症ですとははっきり言われなかったので真相はわからない。
重症だと意識障害や手足の痙攣などが起こるらしいので、私の場合は熱中症だとしても比較的軽いものだったのだろう。
生まれ持った体質と思って諦めているが、確かに少し調べてみても良いかも知れない。
興味深かったが何故そうしたのかよくわからない箇所でぼかした記述が入ってる。増田は肥満体型で搬送されたのは産婦人科だったのだろうか?
それは昼下がりのマクドナルドでのことであった。
わたしがいつものように夏の暑さとセミの音と夏休み乱交合宿の打ち合わせにはしゃいでいるヤリサー学生どもを呪いつつマンゴースムージーをすすりながら次の次の次くらいのどうでもいい会議書類に目を通していると、どこからか甘く懐かしいささやき声がひびいてきた。
そ、その声ーーあなたはうん子!
「よかった。おぼえていてくれたのね。忘れられちゃったかもと思ったけれど……」
忘れるわけはない。
うん子はうんこの精霊である。うんこに関するあらゆる事象を司り、時に歴史の流れを決定づけるほどの暗躍を果たしてきた。
カエサル、ナポレオン、徳川家康、コロコロコミック、ドナルド・トランプ……偉人たちの便意と決断の裏には常に彼女の姿があったといっていい。
わたしの人生においても、常にうん子の助力があった。そう、幼稚園でのお遊戯の時間にうんこを盛大に漏らしてから、小二の給食、小五の運動会、中一の合唱会、高一の塾合宿ーーずっとわたしとうん子はいっしょだった。
唯一の友達だったといってもいい。
心無い同級生から「うんこ」「うんこ漏らし」「下痢便カレー」「うんこに愛されし子」「ザ・うんこ」「進撃のうんこ」「逢うんこ時うんこ園(ジャンプの打ち切りマンガにちなんだあだ名は他にも30ほどあった))「うんこ界の稲尾和久(約三日に一度のペースで漏らしていたため)」などと残酷なあだ名をつけられ、うんこにちなんだいじめを散々受けていたわたしに近づくものなどいなかった。
だが、気にしなかった。彼女と一緒にいたころは、うんこを漏らすことがはずかしいことだなんて微塵も思っていなかった。
パンツを茶一色に染めたことで母親からものすごく叱られて、ひとり部屋で泣きはらしていた夜にも彼女は現れ、
「うんこを漏らすことをできるのは、選ばれた子どもだけなのよ」と、励ましてくれた。
うん子さえいれば、わたしは他に誰もいらなかった。
だが、いつのころからだろう。おとなになるにつれて、わたしには彼女の姿が見えなくなり、彼女の声が聞こえなくなった。
大学生から社会人になる過程で段々と「ほんとうはうんこを人前で漏らすのははずかしいことなんだ」という意識が芽生えるようになり、今の職場の面接を受けるさいの「うんこを漏らしたことはありますか?」というよくある質問にも平然と「ありません」と答えた。
そして、毎月給料をもらい、ちゃんとトイレを便座に座ってやるようになると(ウォシュレットの存在を知ったのもこのころだ)、うんこの精霊うん子の存在も忘れ去ったーー。
「落ち着いてよく聞いて。これから十数秒後にものすごい勢いで貴方はうんこをもらす」
再会の驚きをふっとばすうん子のことばにわたしはことばを失った。
漏らす?
このわたしが?
今ここで漏らしたらどうなる?
隣の席で互いに性的な視線を送りっているヤリサーのブスどもは持ち前の野生の勘で間違いなくうんこのにおいを嗅ぎつけるだろう。そして瞬時にそのにおいの発生源を特定するだろう。
彼らはわたしをゆびさして嘲笑し、周囲の客たちもわたしに汚物を見るような視線を投げるだろう。
うんこ漏らした汚物のニュースはたちまちその日のトップニュースとしてローカル局に報道され、会社にも伝わり、わたしは面接のときについたウソをとがめられ(「おとなになってうんこを漏らすような人間が、以前にもうんこを漏らした経験がないはずがないよな?」)、おりもののついたナプキンがごとき扱いで会社から、そして地域社会から追放される。借りているマンションも追い出されるだろう。実家からも縁は切られる。
それからは宿無し生活だ。行く先々でこどもたちから「いたぞ! うんこだ! マックでうんこをもらした早打ちマックとはあいつのこと!」とはやしたられ、石を投げられる。
額に投石を受けて、地に倒れ込んでも、わたしは「しょうがないんだ」と自分に言い聞かせなければならない。それだけの罪を犯したのだから……と。
「あきらめないで増田ちゃん!」
「わたしがーーこのうん子がどうにかするわ。あなたにうんこなんて漏らさせない。絶対にあなたを助けてみせる」
ほんとうに? と絶望するわたしは疑念を口にしかけるが、できる、ほんとうに彼女なら可能なのだとおもいなおす。
だがーー。
今は声しか聞こえない彼女だけれど、わたしが「実」をこの場で出せば、その姿を現前させられる。
あの愛らしい、あの懐かしい、
わたしのたったひとりの友だち。
会いたい。
眼から涙が溢れ出していた。
会いたい。会いたい。会いたい。
うん子にもう一度会いたい。
この十年間、十五年だっけ?
ほんとうにいろいろあったんだよ。
あなたに話したいこといっぱいあるんだよ。
話したい、お話したい、
三ヶ月溜めた便秘を吐き出すように私の話を聞かせたい。
とうん子は言う。
だったら、漏らしたってわたしはーー
「でも、ダメ。あなたはおとなになったのよ、増田。うんこを漏らすことをできるのは子どものあいだだけ。おとなはうんこをもらしちゃだめなの。わたしと会っちゃ、ダメなの」
わたしはマックの硬いソファの上で恥も外聞もなく駄々をこねた。いやだいやだいやだ私はうんこを漏らすんだ。
うん子の「ふふっ」という笑い声が虚空のかなたから漏れた。戸惑うような、愛情の篭った吐息だった。
ブリブリブリブリブリイジギュルリルリイリブリッブッブッブッブーブリリリリィ!!!
盛大に漏れる音がした。
この感触。
終わった、と思った。
だが、不思議とヤリサーたちが異臭に気づいたようすはない。わたしにもにおいはわからない。自分の便だからだろうか?
うん子の気配もどこかへ失せていた。
便座に座って下を脱ぎ、解脱した僧侶のような心持ちでパンツを見つめる。買ったときには真っ白だった、清純と純潔の象徴のようなパンツ……。
白いままだった。
夏空に浮かぶ背の高い雲、この前観た『メアリと魔女の花』に描かれていた積乱雲のように晴れやかな白だった。
わたしは漏らしていなかったのだ。
だとしたら、あの確実に三リットルはぶちまけたような大きな排便音はいったいーー?
トイレから出て、席に戻ろうして、店内がやたら騒がしいことに気づいた。
「テメーおまえウンコなんか漏らしやがって」「マジふざけんな」「これからおまえの名前はウンコノミクスだ」
わたしはそのまま席に戻らず、店外へと出た。
雲ひとつない、パンツをはいていないお尻のように清潔な空に、純白の肛門にも似た太陽が燦々と輝き、けがれのない世界をつつんでいた。
1年経ち、2年も経つころには、すっかり自炊熱も冷めほとんど外食か、ホカホカ弁当になっていました。
大学4年になったころ、また少々自炊するようになり、入学した頃に購入した
四角い1リットルくらいの缶入りサラダオイルが再び日の目をあびることになりました。
「まあ、4年も経てばアブラも酸化するしなあ、まあ、火を通すからOKだよね」
なんて一人で納得して気にもとめず、そのまま使い続けました。
大学も卒業間近になって、ようやくそのサラダオイルも無くなりそうになってきて、
缶を大きく傾けなければ油が出ないようになってきました。
ある日、缶の口から油と一緒につぶ餡の小倉の皮のようなものが2~3枚出てきました。
次の日もまた次の日もアブラを出すたびにつぶ餡の皮がどんどん出てきます。
不信に思った私は、意を決して、サラダ油の缶の蓋全体を缶きりでキコキコ開けたのです。
その瞬間、目に飛び込んできたものは…百匹はいるであろう大小のゴキブリの大群。
まだ、半分くらいは息がある様子でウヨウヨとうごめいていました。
そう、私が使用していたサラダオイルの缶は4年の間にゴキブリの巣と化していたのです。
そして、つぶ餡の皮はゴキブリの死骸からもげた羽だったのです。
その事実を悟った時、一瞬にして顔面蒼白になったのを感じました。
いやさすがにマジで信じたりはしてないが、それでもちょっと心のどこかで期待してた気持ちがあった。
正直防災グッズ買ってきてた。
もう少しだけ白状すると、昨夜からいつでも逃げ出せる服装してたんだよね。
まぁ、たまの防災訓練になったけどさ。
呼気中アルコール濃度0.15mg/リットル以上という基準があるのに、一滴でも飲んでいたらアウトな風潮はどうにかならないものか。
料理にもアルコールは使われているし、アルコールが含まれている消毒液などに触れても皮膚を通して体内に少しは取り込まれると思うけど、それはOKなのか。
ちなみにアメリカは血中アルコール濃度0.08%以上が法律違反となるが、それ未満なら何も問題ないし(車社会ということもあるが)みんな飲んでも運転している。
血中アルコール濃度0.08%というのは呼気中アルコール濃度でいうと0.40mg/リットルで、日本の酒酔い運転の基準0.25mg/リットルをはるかに超える(日本なら免許取り消しだ)。
その代わり、アメリカでは酷く酔っ払っていると判断されると警察に捕まり留置所送りになる。血中アルコール濃度など関係なく、正常な判断ができなくなっていると判定されると飲酒運転だし、歩いているだけでも違法だ。
日本でも警察が認めれば酒酔い運転とすることはできるようだが、現実的には呼気中アルコール濃度が基準を超えている必要がある。いかにも日本的なお役所仕事(世間の風潮も含めて)といった感がある。
元来航空主兵論信者かつ五航戦ファンだった流れで、2013年9月から艦これを初め、2015年夏イベを最後に離脱。
その後実装された基地航空隊に興味があったので、それだけGW中に開放できればと再開。
鹿島の爆発的人気にびっくりとか、サラトガ取り逃したとか色々思う所もあるけど、それもまあ些細な話ということで。
改めて遊んでみて感じたけど、本当にこのゲームは屋上屋を架し続けて、無駄に複雑化してしまったなあと。
なんかこう、無駄に複雑なルールで運ゲーという意味では、もはや麻雀といい勝負な気がしてきた。
以下、複雑な諸々の中でも特に思った点について。
戦艦とか空母とか巡洋艦とか、色々艦種があって、それらを把握するのも結構大変なのに、こうした特徴については今や「基本的に」という但し書きが必要である。
殆どの艦種で、艦種としての特徴を逸脱する例外を備えた艦娘がいるとか、「奥が深い」というよりテキトー過ぎじゃね?という感想しか湧いてこない。
しかも、ゲーム上そうした例外が無視できる内容ならまだしも、攻略に少なからず重要だったりするのだ。
それこそ何かあれば攻略wikiを読んで「ああ、その例外要素を突くことでその任務を攻略するのね」と思うことしきりである。
作っている方もプレイヤーがwiki片手に攻略進めるのを踏まえて実装しているきらいがあるけど、それもなんだかズレているよなあという感じ。
艦種の話もそうだけど、正直言ってこのゲームの目玉の一つである戦闘システム、今始める人に理解できるとは到底思えない。
というか今遊んでる人、戦闘がどういう順番で進み、各フェーズでどんな条件で何が発生し、それを有利に進めるのにどんな編成/装備が必要で、そもそも戦闘に備えてどんな段取りをすればいいかなど、分かりやすく初心者提督に説明できます?
夜戦連撃/カットイン、支援艦隊、弾着観測、艦載機熟練度、主砲のフィット、索敵成否、基地航空隊、開幕対潜攻撃、対空カットインと、ざっと思いつくだけでこれだけの要素が最終的に絡んでくるのである。
戦闘要素以外でも大型艦建造、改修工廠、遠征の効率、工作艦の活用などなど、気にかけることが少なからず存在する。
4年かけて、ここまで複雑化してきたわけだ。
それこそ昔はもっとずっとシンプルだったのに、どうしてこうなった。
しかもwikiで調査する有志が存在することに胡座をかいているのか知らないが、上述の要素が未だにほぼ全てマスクデータというのも、何か間違っている気がする。
隣の芝生は青いことを差っ引いても、流石腐ってもセガと言っていいだろう。
プレイ動画を見る限り、直感的に遊べて、ブラゲのオリジナルよりは遥かにシンプルで、しかも必要な情報はかなり開示されているっぽい。
これは面白そう。
ちなみに航空主兵提督の筆者は当然空母機動部隊で遊びたいのだが、そういう偏ったプレイスタイルであっても案外遊べそうなのも良さげ。
勿論空母の戦力がまともに機能するまでは壮絶なコストが掛かりそう(艦載機の開発とかプレイヤースキルの錬成とか)だけど、それもゲーム的に納得できるのである。
もし空母の運用が今よりハードル低かったら、AC版は「アウトレンジから索敵機飛ばして攻撃隊でボス艦隊だけをスナイプして一撃離脱する」というプレイに終始することになり、「毎日がドーリットル空襲」みたいなゲームになってしまうだろう。
そんなことを考えた、我ながらしょーもないGWだった。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
君のそれは、本当に子供の頃と“変わらない在り方”といえるのかな?
同じものに付き合い続けたとしても、“付き合い方”は変わる。
付き合い方が変わる、言い換えれば、それは「変えなければ付き合えない」からだ。
それは君自身の趣味嗜好が、実質は変わっていることの所作だと言っても過言ではないだろう。
結婚してから数十年経った熟年夫婦の仲が変わらず良好でも、セックスはしないだろうっていう話だ。
ちなみに私はそんな熟年夫婦を一組知っているが、話の趣旨が逸れるし、そんな話をしたくもない。
食べ物で例えるなら、ラーメンを今でも食べるが、スープは飲み干さなくなったみたいな話だ。
私は飲み干すがな。
……ピンとこないか。
……あ? ピッツァ?
……チッ……お互い歳はとりたくないものだな。
まあお得意の下手な皮肉(「馬鹿という奴が馬鹿」くらいの子供の駄々)で発狂してるバカウヨは
ここで話題にしていること以前の、ただの現実を見失ったカルトなのでほっておくとして。
便所行ってさっぱりしてから思うに、やっぱり「人は元々それくらいの馬鹿」ってことなんだろうな。
要するに単に「応用力」とか言われてたアレの問題なんだろう。
水1リットルが1kgという知識はあるはずなのに、とっさに2リットルのペットボトルの重さが概算出来ない(という奴が実際いた)。
そう言えば俺は昔から、縦横無尽にあの知識この知識を繋げてものを考えるのが他人より得意な方だった。
そういう学際的素養のない奴が、インターネットで体系的でない情報の洪水に触れてしまうとそうなってしまうのだろう。
例え体系化された教科書の知識でテストをやっつけるのは誰より得意な奴であろうと。
そう考えると、そもそも知識の量ばかりを競って学際的な応用の訓練をほとんどしない
日本の教育に順応してる奴ほどこのとんでもない健忘傾向が強いのも納得出来る。
要するにそういうことなんだな。