はてなキーワード: スカウトとは
○朝食:チョコ一つ
○夕食:冷やし中華
○調子
むきゅー。
相変わらず喉の強烈な痛みが続くもさすがにこう何度も何度も休んでられないので、頑張って頑張って出社した。
水曜日にまた通院のため休まないといけないし。
ただ、出社したはいいけど、辛くてあまり仕事にはならなかった。
とはいえ、あの頓服を飲まないと熱で座ってもられないシンドさはひとまず去ったみたいで、昨日今日ともう二日も頓服は飲んでいない。
微熱も朝起きた直後と、今この寝る前に少しあるだけで、日中帯は熱はなかった(シンドさはあったけど)。
うん、だいぶこれは治りだしているんじゃなかろうか?
水曜日にまた通院するので、その時に見てもらうのが楽しみだし、明日起きたら喉の痛みもどこへやらかもしれない。
ただこのデッキ模索中って勝率だだ落ちするから、モチベが下がるね。
○グラブル
先のガチャピンモードで水着土ヴィーラさんとキャタピラさん、それと周年スカチケでリミ光ヴィーラさんを引いているので、これで四人目のヴィーラさん。
コンプまではスカチケはヴィーラさんに回す予定なので、あとは恒常闇SRと恒常風SSRの二回。
恒常風SSRは、かなり最近のキャラなのでスカチケでスカウトできるのは少し先になりそうなので、先にSRを取得になるのかなあ。(あんまりSRにスカチケ使うの嫌だけど、こればっかりはちかたないね)
今気づいたけど、サプチケか。
ゼノコキュ周回中。
いまではURとかで多少はイメージが変わったのかもしれないが、昭和平成が生んだ「団地」という住まいとそのスティグマ、偏見差別を述べたい。
自分は両親健在で母は多少裕福で女性ながらに四年生大学まで行かせてもらえる経済環境に育った。父は祖父祖母ともに定職に就いても長続きせず、学力はあったが経済難にあり、掘っ建て小屋のような家で育った。そのためか結婚したら必ず持家を購入しようという意志があったようだ。堅実に新婚時代から団地で暮らし貯蓄していく生活を選んだと聞いている。
その団地は15階建てという昭和後期には珍しい高層建築物であったが、そのせいか自殺の名所になってしまっていた。月に1〜2人は飛び降りをするというその団地は年月の経過を得ていくほどに地域から煙たがられる存在になっていったのである。
そんな団地で何も知らず生まれ育った自分は当時サッカーに専念しており小学生クラブから私立中学へスカウトのお声をかけてもらうことができ、そのまま進学をすることとなるが、それが差別偏見、果てはいじめへと繋がっていくのである。
地域ではある程度裕福な子供が通う私立ながらに地域性も高いその学校では、自分の住む場所によってヒエラルキーが生じていた。定期券など見ればある程度住まいがわかってしまうため、団地暮らしである自分は「自殺の名所育ちかよ」「団地暮らしの貧乏人」と罵られた。何かと生活レベルの違う同級生はそのままエスカレーターで進学したが、自分はその環境に耐えきれずサッカーをやめて公立高校に進学した。
今でもその団地は存在し両親はそこに暮らしている。持家の夢は団地というコスパの良い暮らしにより妥協と、労働への意欲の低下へと変化していった。もちろん団地暮らしの人々すべてがそうだとは言わないが、いわゆる訳ありですよねと言われてしまう住人が多いのも事実だ。
だがそのような場所で暮らし生きていくというのは常に差別偏見を受けていくということで、豊かな生活とは程遠い。本来どんな人でも安心して暮らしていく権利があるものではないのだろうか。
めっちゃ単純化した計算だけど、ある限定されたジャンルの研究職のポストが仮に100あるとして、これを専有する研究者が30歳から65歳まで35年で均等に分布してたとすると、卒業生が出て毎年開くポストは2.85席になるよね。
んで、研究職100人が理系職とかで、民間企業で研究開発してたら話は別だけど、マイナーな文系ジャンルで100人ほとんどそのままが大学組織に残っていた場合、100人のうち過半数が教育兼務で、自分の後続メンバーを育ててることになる。たぶん、毎年500人位はそのマイナージャンルの研究者の卵が「出荷」されることになるんじゃなかろうか。
500人のうち2.85人しか研究職につけないとすれば、そりゃあぶれる地獄にもなるでしょうよ。
それでもなお、国益観点に立って、国家の国力を高めるために優秀な研究者が必要で、優秀な研究者を選抜するためにこの倍率が必要なのだとすれば、そこは個人の悲劇はスルーしつつ「能力ないのに目指したのが悪かったね」というしかないんでねえの?(この場合の能力が無いってのは、本人に能力がない場合と、能力があるのに政治力がない研究者をすくい上げる監査側のスカウト能力がない場合の両方)
あるいは個々人の悲劇に着目してその撲滅に動くのだとすれば、そもそも500人もの研究者の卵を作っちゃったのが悪いんでね? 極論になっちゃうけれど、確実にポストを斡旋できるような人間以外、研究教育者は「弟子」をとるべきではないんでね? 中世のギルドの親分株みたいな発想で。あるいは、それこそ女性が花嫁修業として日本舞踊や事を習うような、趣味として大学にゼミをもうけるしかないんでね?
自分の仕事はちょっと特殊で、複数のバーチャルYouTuber(以下「vtuber」とする)運営会社と関わる機会があった。
以下は私見であり事実では無いかもしれないけど、こういう立場の人間もそう居ないと思うので書いておく。
vtuber運営会社はだいたい大学生ノリかブラック企業かに分けることが出来る。
大学生ノリは特に深く考えて運営をしていないせいで、いろんな面でまともな会社とは言えない。給料面だったり福利厚生面だったり。
ブラック企業は当然社員を使い捨てのコマとしか思ってない。ただブラック企業としてやってきたおかげで、外から見ればまともな会社に見える。ただ中身は大学生ノリの会社以上にヤバい。
なので一見してまともじゃ無さそうに見える会社以上に、一見してまともそうに見える会社の方がヤバかったりする。
なぜこのような企業が幅を効かせているかというと、競合に大手がいないこととvtuberになりたいというのが若年層の子が多いこと。大手がいれば自身の会社がやばい事が知れ渡ってたちまち立ちいかなくなる。だからどんどん大手には参入して欲しい。若年層の子が搾取されるのは見ていて辛い。表に出てきてないけど普通の企業じゃ考えられないようなことをしてるvtuber運営会社がある。たぶんこれは近いうちに問題が表面化すると思う。
街でモデルにスカウトされたってよく分からない会社の誘いに乗る人は少ない。それなのに何故vtuberはよく分からない会社を信用してしまうのか。君たちの時間は有限なんだ。vtuberデビューに応募するなら本当にその時間を使う価値がある会社か本当に吟味してからやって欲しい。社会の色んな所を見てきたおじさんからの忠告だ。
ライバーが手がける、よみうりランドとのコラボイベント、ライバーフェスinよみうりランド。
コレコレや石川典行、ヒイラギリオなど、人気配信者が出演する、リアルイベントだ。
このイベントに出演予定だった、石川典行の出演がキャンセルされた。
石川典行という配信者は、過去に荒らし配信などを行っていたりしたので、根強いアンチを抱えている。
その為、最近でもギャンブーという競輪関連の企業配信への出演がアンチの妨害電話でキャンセルに
なるなどしており、断言はできないが、その類の妨害であったことは想像に難くない。
※※以下は、「アンチの妨害で出演がキャンセルされた」という仮定の元に書かれた、想像が含まれた文章として見てほしい※※
※※また、本件、2019年4月4日0時時点ライバー(旧テクサ)側の見解は公表されていない。石川典行の配信上での発言をもとに記載している※※
石川典行は、上記の通り最近もアンチの妨害で出演をキャンセルせざるを得ない事態になっていることから、
主催や共催の企業担当からすれば、そういったトラブルの種になりそうなことは極力避けようとするので、
彼のようなアンチの妨害を受けている配信者を起用するには、それなりの配慮が必要となる。
出演告知をしないで、当日のシークレットゲストとして起用する、よみうりランド担当に事前に
説明をして「このような電話が来ると思いますが、適切に対応すれば問題ありません」と根回しするなどが挙げられる。
していれば、このようなことにはならなかったのではないだろうか。
また、そういうリスクが発生することが知りえないレベルの付き合いなら、まだ少しは理解できるが
(にしても、調査不足のそしりは否めない)、同社主催のリアルイベントうず祭りのMCに起用したり、
様々な配信サイトの公式番組への出演も手がけていることから、無知だったという言い訳はできないだろう。
ライバーフェスは、このようなトラブルに対して、「出演を取りやめる」という方向に舵を切った。
確かに、クレームを受ける原因を取り除けば、トラブルは発生しなくなるかもしれない。
しかし、「クレームの電話が有効」ということをアンチ気質のリスナーに知らしめる結果となり、
また、出演キャンセルとして、切り捨てられた配信者側も「彼に企業案件は任せられない」という
悪い評価が傷として残ることになり、キャンセルとなった配信者のファンの期待も裏切られ、
関連企業への妨害の電話から「窓口はこちら」と案内できる電話番号を公開するなど、
妨害電話に屈しないための手立てを講じることは出来なかったのだろうか?
ライバー社は、石川典行に「コンプライアンスの問題から」本件の公表を拒んだ。
結果、実際のところ出演の取りやめになった明確な理由はまだわからない。
しかも、出演のキャンセルではなく、自主的な石川典行の「出演辞退」を求めた。
辞退であれば、ライバーフェス側は、説明をする責任から逃れられるからだ。
しかし、石川典行は出演辞退は拒み、結果、理由は説明されること無く、
配信者側としては、イベント告知に協力した手前、自分目的でチケットを購入した
しかし、ライバー社の口を閉ざさせる対応で、石川典行は自由に発言できない事態に至っている。
スケジュールをあけさせ、告知に協力させ、キャンセル料の支払いもないという。
開いた口が塞がらない。
ライバー(旧テクサ)社は、日本最大級のライバー(配信者)と提携する企業を自称し、
「ライバーを全力でサポートするとともに、ライバーが活躍する場を広げるべく、
活動していきたいと考えております」と企業ホームページのトップで謳っている。
本当にそうなのだろうか?
企業へのアピールとなる配信者との提携数ばかり追い、「多大なる才能を感じた」と無差別に配信者をスカウトし、
都合よく使い倒して、いざとなったら切り捨てる会社を、誰が信用するのだろうか。
・ライバー(旧テクサ):https://livestreamers.co.jp/
忍びの者をスカウトですか!すっごーい!
別にそんな大した話ではない。
冷やかしでGAFAのスカウトを受けて、3社受かるぐらいの能力はあるから……世界的に見てもきっとレベルは高い方に入るんだろう。
別にプログラミングが出来るとか、ディープラーニングができるとか、ビジネスを拡大してくとか……そういうのじゃないんだよ。
人それぞれ専門もあるし得手不得手もあるだろうしね。
ただ、ちょっとドキュメントを書く時にも、これじゃお客さんわかりにくいから、こう書かないといけないよな、とか
ソースコードでも、ここは行間が詰まってるから見にくいよな……とか、わかるじゃん。
なんで資料作らせて上の行と下の行で微妙に色が違うんだよとか、フォントサイズが違うとか。
別に能力が求められるとかじゃなくって、ちょっとした気遣いというかなんというか、人間として必要最低限っていうか。
そういう細かいところは指摘したくない。
もう姑みたいな指摘ばっかりするのは嫌なんだ。
お客が馬鹿なのは良い。金払ってるし。いくらでも何度でも丁寧に教えるし。
人と働くのに疲れた。
これは新しく「デレステ」で緒方智絵里が気になるから智絵里Pやろうかなって人に見てもらいたい記事です。モバマスで智絵里Pやりたいって人は是非どうぞ。
デレステで智絵里Pをやるのは全くもってお勧めできない。その理由はたったひとつ、温泉ガシャの復刻が絶対に無いからだ。
そんなこと?と思うかもしれない。
僕が智絵里Pになったのはアニメ放映からしばらくしてデレステを始めた時のこと。
中1の時にアニマスの再放送を観て元々アイマスというコンテンツを好意的に捉えていた僕は当然デレアニも(当時中2)観ていた。
デレアニでは卯月ちゃんが好きだったのだが当時中学生の僕はガラケーを使っていたのでデレステやモバマスはプレー出来ず、程なくしてシンデレラガールズ自体への興味を失った。(まあ今思えば数あるアニメの中のひとつぐらいにしか思っていなかった)
そしてしばらくして高校生になり親からスマートフォンを買ってもらった。
高1の春休みのとある日、本当に暇だったので布団に寝転がりながら「そういえばアイマスのゲームってあるんだったな」と思いデレステをインストールした。
そこで出会ったのが他でもない緒方智絵里だった。ただ、その時は一目惚れという感じではなく、始めた時に持っていたカードの中で自分が一番好きそうな娘だったのでセンターにしていた程度だった。
ところが月日が経ち、緒方智絵里を知れば知るほどめちゃくちゃに好きになっていった。まあ単純に緒方智絵里はただひたすらに可愛い。
それに加えて家庭環境の話とかを聞くと保護欲を掻き立てられるというか....
「俺が絶対に幸せにする」みたいな感じで気づいた時には緒方智絵里以外のアイドルは見えなくなっていた。(気持ち悪くて申し訳ない)
僕は居ても立っても居られずに初心者向けのスカチケ販売みたいなやつをすぐに購入した。スカウトしたのは当然緒方智絵里。はじめてソシャゲに課金して得た初めてのSSRカード、可愛い絵柄に可愛いセリフにひたすら興奮した。
当時から自分はいわゆる"プロデューサー"としては緒方智絵里を見ていなかったと思う。
単純に好きで好きで好きでしょうがなくて深く深く彼女を愛していた。
千年の恋も冷めないといったぐらい緒方智絵里に、デレステに入れ込んだ。
そして程なくしてデレステはやってるのにモバマスはやってないのはおかしくないか?と思いモバマスも始めた。
(今思うとデレステより先にモバマスを始めていたら違った未来があったのかもしれない)
当然モバマスでも緒方智絵里のカードを集めようとしたが、緒方智絵里のカードは初心者の自分からすればかなりの高値で取引されていた。
なので本当に最低な理由で申し訳ないのだが、初心者でも手が届きやすいという事で一旦小日向美穂ちゃんのカードをスカウトした。
ただ、デレステの音ゲー要素にハマった側面もある自分としてはポチゲーのモバマスはあまり面白いものではなかった。モバマスにはそこまで入れ込むこと無く、当たり前のようにデレステばかりやり「デレステの緒方智絵里」に入れ込んでいった。
そしてデレステで他のアイドルのSSR2周目が登場するのを見ていくうちに「智絵里ちゃんの限定カードは無いのかな?」なんて思った。
ただ調べていくうちに、そのカードは絶対に復刻出来ないという事が分かった。それも運営の凡ミスで。
しかしその事実を知った当時はこれを全くもって深く受け止めなかった。
別に衣装もそこまで好きな感じではなかったし、「ふーんそうなんだ」程度で流して緒方智絵里のプロデューサー業(笑)に専念した。
限定カードが復刻されない程度の事で僕の緒方智絵里への愛が冷めるなんてことはないし、当時はそんなこと考えもしなかったと思う。(今も緒方智絵里が好きなことには変わりないのでこの言い方はちょっと違うかもしれないが)
17年12月、メリーメリーホワイトのカードが登場した。自分がデレステを始めてから初めての緒方智絵里の限定登場だ。
ウオオと思ってたくさん課金し石をたくさん用意したがこの時は運良く60連程度で引けた。衣装もイラストもセリフもめちゃくちゃ可愛くて愛おしくてしょうがなかった。
この頃は純粋に心の底から緒方智絵里が好きだったと思う。本当愛していた。
そしてそれと同じぐらいの頃から(もちろんアイマスの影響で)声優さんにも興味を持つようになった。
当時から僕はゆゆ式の櫟井唯やゆるゆりの船見結衣役をしていた津田美波さんの低め少女という感じの声が好きだった。
そしてそれまでは「あっふ〜んこの人なんだ〜」程度であまり意識していなかった声優さんを意識するようになった。
そして自分は津田美波さんが好きだなあと思ってすぐに衝撃の事実を知った。
なんと小日向美穂ちゃんの声を演じていたのは津田美波さんだったのだ。
先ほども言ったように低めの声というイメージが強かったのでこれには衝撃を受け声優さんってすげえ!となった。
津田美波さんをいわゆる"推しの声優さん"として意識するようになった頃、同時にどこか心の片隅で小日向美穂ちゃんも意識するようになった。
デレステでカードを得るにはガシャを引く必要があり、そもそも限定登場のカードなどは復刻されるまで待たないといけない。
ところがモバマスにはフリートレード機能がある。ならばモバマスで小日向美穂ちゃんのカードを集めよう。僕がそう思い行動に移すのに5分もいらなかった。先程申した通り小日向美穂ちゃんは割と低コストで集めることができたので3ヶ月も経たないうちに小日向美穂艦隊が出来上がった。
僕はこれにえも言われぬ快感を感じた。
もちろん、小日向美穂ちゃんの内面を知っていくうちに好きなっていたのはある。ただ声優さんがきっかけで小日向美穂を気にするようになった僕はどうも胸を張って俺は小日向美穂担当だ!とは言い難い状況だった。
それにデレステでは心から愛した女、緒方智絵里の担当なのだ。僕が小日向美穂ちゃん担当を自信を持って名乗るにはモバマスでカードを揃えることが急務だった。とにかく集めることに固執していたと思う。
今思えば既にこの頃からカードをほぼ完璧に集めた自分に酔っていたのかもしれない。いやまあ今も自分に酔っているわけではないのだが.....
ある意味で使命感みたいなのに駆られていたのかもしれない。
そしてその、「担当ならカードを集める」という意識は当然デレステにも及んだ。
終わりの始まりだ。
ただデレステで緒方智絵里真剣侍であった僕は緒方智絵里のカードはSSRも含め全て持っていたつもりだった。
あれ?
しかしこのカードは絶対に復刻されないのだ。最初に登場した時に運営が復刻の可能性を示唆しなかった以上、絶対に復刻出来ないのだ。
このカードについては考えてもしょうがないな、とその時は割り切ろうとした。
しかし他のアイドルたちの限定カードが復刻登場しているのを見るたびに頭に温泉智絵里がチラついてしまい、悶々とした。
とにかく自分を納得させようとして色々と調べた。温泉ガシャは2回目の限定登場だった。
では1回目の限定登場だったアイドルは復刻されているのか?これがされていなかったら限定の復刻は3回目の登場以降という事になるし、しょうがないかもしれない。そう思いたくて調べた。
普通に復刻されていたのだ。
は?
なんで?
え、は????
先述の通り、本当に運営の凡ミスだったのだ。1回目の登場は復刻の可能性を示唆したから復刻できるのに、2回目は復刻するかもって書かなかったから復刻出来んわwすまんwという感じらしいのだ。
は?
納得いくわけなくね??
は?
いや
は??
しかしいくら僕が納得いかないからといって温泉智絵里が復刻されないという事実は絶対に変わらないのだ。
「絶対に手に入れられない」
今まで知っていた緒方智絵里がどこかに行ってしまったような感覚がしてとても怖くて悲しかった。
元々自己矛盾や理想の自分と現実の自分の乖離に悩む事が多かった自分にとって、ゲームの中さえも「緒方智絵里のカードを全て揃えている理想の自分」になれないのは苦痛だったという側面もあるだろう。
しかし見て見ぬ振りをした。
この頃はなるべく前向きに前向きにと考えていたと思う。
その頃の自分はもうデレステを楽しんでやれる段階ではなく、ファン数を稼ぐためにやらなくちゃいけないと思いながらやっていた。
デレステが音ゲーからファン数を稼ぐためのゲームに変わった頃からモバマスの方が時間も取られないしカードも揃えられるし楽しいゲームになっていった。
ただデレステが楽しくないからといって辞められるわけでもなく脳死でやりながら緒方智絵里のファン数を稼いだ。
6thライブも現地で全通した。西武ドームは近くなので当然行ったが、わざわざ担当がいるから名古屋も行った。あれは本当に楽しかった。
アイマスが好きでよかったと思った。
もうすでに心の底から純粋に緒方智絵里を愛してるからそのカードが欲しいといえる状態ではなかったし無理に天井しにいかなくても良かったかもしれない。
ただ、緒方智絵里担当でただでさえ「温泉智絵里」がある以上は天井してでも引けるのはありがたいんだ(*^○^*)と自分を言い聞かせて回し続けた。
普通に考えて9万円は学生の僕にとってまったくもって安い金額ではない。ちょっと冷静になれば他のことに使おうとなれる金額だ。
その頃無料10連期間だったこともあり、普段僕よりも全然デレステをプレーしていないようなリア友たちが緒方智絵里をいとも容易く引いていったのを目の当たりにした。僕が知る限りでは3人のリア友が無料で引いていた。
まあ思ったよね
なんでこんな金かけてる僕のとこに来ないんだ、と。
今思うとバカでしかない、確率の問題なんだから誰のせいでもないのに。
そしてついに300連を終え天井でスカウトしたその夜、何か張り詰めた糸が切れたような感じがした。
自分と緒方智絵里の間にとって天井というのは些細な事だと思いたかった。でもこれで少し冷静になった。
それに俺がいくら金をかけてフェス限の緒方智絵里を手に入れたところで、温泉智絵里は手に入らないから完全に緒方智絵里のカードを揃えられることは無いんだ。
そう思うと自分は何をしてきたのだろうかと思ってとてつもない空虚感に襲われた。
涙が出てきた。
今までずっとどこかズレてきてると分かっていながら無視して無理して緒方智絵里担当をやってきたんだ、と思って泣いた。
本当に愛していたはずだったのに、こんな手に届かないものがあって悲しい思いするぐらいなら緒方智絵里なんか好きにならなければよかったとも思ってしまった。(結局好きだという気持ちは変わってないが)
そして自分がそんな思いをする原因になったデレステ運営が本当に嫌いになった。死んじまえと思った。
そしてそんな、緒方智絵里なんて知らなければよかったと最低な発想をする自分も大嫌いだと完全な自己嫌悪に陥った。
もうめちゃくちゃだった。
疲れた。
もう、完全に辞めよう、限界だ。
しかし辞められなかった。
またしばらくしてやるようになっしまった。もう習慣、中毒なのだ。
それにここで退いたら今までかけた金と時間はどうなるんだ。
引くに引けない状況だった。
見たくなかった。そのカードを見ると余計に温泉智絵里が手に入らないという事実を突きつけられている感じがした。
あとこれは個人的な感想だが、あのカードの衣装、温泉智絵里に似てないか?色合いとか....
デレステ運営の申し訳程度の贖罪のつもりか知らんけど、せっかくの限定登場なんだから温泉智絵里に似せるとかで終わらせて欲しくなかった。もっとこだわって欲しかった。(その点メリーメリーホワイトはガチで天才だと思っている)
特訓前のカード、泣いてばっかり。
泣き止んで欲しい。
あ、ここまであまり触れてなかったがデレステで小日向美穂ちゃんの恒常SSRは自引きできた。ユースフルロマンスも、9月ぐらいにあった限定登場確定のガシャで運良く引けた。
そして脳死しながら続けたデレステで、小日向美穂ちゃんの2週目復刻があった。
運良く20連で引けた。
なんか燃え尽きた。
やる事がなくなったというか
これで綺麗さっぱりデレステは辞められるのかなと思った。
しかし完全に辞めることはできず今では小日向美穂ちゃんの担当(少なくともプロフィールの称号はそれにしてある)としてずるずるデイリーを消化する程度には続けている。
担当ってなんだろうね。
どうしてこうなってしまったんだろう。
そんなことはないはずなんだけど
まあこんな感じになってしまったやつがいるんです。だからデレステから智絵里Pになろうという人はちょっと考え直して欲しい。以上です。
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。
ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督のロバート・ゼメキスはDVDの副音声でこう言ってる。
監督が求めたのは、自分の意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢なキャラクターだった。90年代の映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。
じゃあさ、「フォレスト・ガンプの時代に現実の知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年~1990年のアメリカは知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。
劇中、フォレスト・ガンプ少年はIQの低さから公立小学校への入学を拒否されかけたのだが、ママが校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。
愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者は施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。
1965年にウィローブロック州立学校という知的障害児の施設がリークされた。
潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間が生活する環境とはとても思えない状況だった。
とにもかくにも、この時代に知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間の尊厳はない。
1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。
ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法を勉強させません」なんて言い返している。
個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。
というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。
それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者のコメントを求む。
血の日曜日事件のアラバマ州が舞台でありながら公民権運動をスルーしたことで、白人礼賛の保守映画と認定されがちな本作であるが、1960年代は黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。
1963年には脱施設化の転機である「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、
1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設に収容されるべきではないという判決が出された。
公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカの障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)
設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州で公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。
個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクにスカウトされてないほうが疑問なわけだ。
アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。
ガンプは走りたいから走っていたが、現実の知的障害者たちはそういうわけにはいかない。
結局デモなりなんなりで、「地域で暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民の了解を得るしかない。
というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別を禁止する公民権法だ。ダン中尉、政府のおっぱいは限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府が障害者の権利を認めたのだ。
「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。
90年代ハリウッドでは障害を肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。
革命的なのは2000年代のファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。
さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害を肯定的に捉える映画の企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。
「だって俺、興味ねーし」っていう。
結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラのフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。
まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。
「知的障害者」だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。
今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活をエンジョイしてる知的障害者もいる。
日本の話だけど、この前バリバラに地域で子育てしてる知的障害者の夫婦が出てたぜ。ハロー・1950年代、これが2019年だ。
だから、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。
当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。