めっちゃ単純化した計算だけど、ある限定されたジャンルの研究職のポストが仮に100あるとして、これを専有する研究者が30歳から65歳まで35年で均等に分布してたとすると、卒業生が出て毎年開くポストは2.85席になるよね。
んで、研究職100人が理系職とかで、民間企業で研究開発してたら話は別だけど、マイナーな文系ジャンルで100人ほとんどそのままが大学組織に残っていた場合、100人のうち過半数が教育兼務で、自分の後続メンバーを育ててることになる。たぶん、毎年500人位はそのマイナージャンルの研究者の卵が「出荷」されることになるんじゃなかろうか。
500人のうち2.85人しか研究職につけないとすれば、そりゃあぶれる地獄にもなるでしょうよ。
それでもなお、国益観点に立って、国家の国力を高めるために優秀な研究者が必要で、優秀な研究者を選抜するためにこの倍率が必要なのだとすれば、そこは個人の悲劇はスルーしつつ「能力ないのに目指したのが悪かったね」というしかないんでねえの?(この場合の能力が無いってのは、本人に能力がない場合と、能力があるのに政治力がない研究者をすくい上げる監査側のスカウト能力がない場合の両方)
あるいは個々人の悲劇に着目してその撲滅に動くのだとすれば、そもそも500人もの研究者の卵を作っちゃったのが悪いんでね? 極論になっちゃうけれど、確実にポストを斡旋できるような人間以外、研究教育者は「弟子」をとるべきではないんでね? 中世のギルドの親分株みたいな発想で。あるいは、それこそ女性が花嫁修業として日本舞踊や事を習うような、趣味として大学にゼミをもうけるしかないんでね?