いまではURとかで多少はイメージが変わったのかもしれないが、昭和平成が生んだ「団地」という住まいとそのスティグマ、偏見差別を述べたい。
自分は両親健在で母は多少裕福で女性ながらに四年生大学まで行かせてもらえる経済環境に育った。父は祖父祖母ともに定職に就いても長続きせず、学力はあったが経済難にあり、掘っ建て小屋のような家で育った。そのためか結婚したら必ず持家を購入しようという意志があったようだ。堅実に新婚時代から団地で暮らし貯蓄していく生活を選んだと聞いている。
その団地は15階建てという昭和後期には珍しい高層建築物であったが、そのせいか自殺の名所になってしまっていた。月に1〜2人は飛び降りをするというその団地は年月の経過を得ていくほどに地域から煙たがられる存在になっていったのである。
そんな団地で何も知らず生まれ育った自分は当時サッカーに専念しており小学生クラブから私立中学へスカウトのお声をかけてもらうことができ、そのまま進学をすることとなるが、それが差別偏見、果てはいじめへと繋がっていくのである。
地域ではある程度裕福な子供が通う私立ながらに地域性も高いその学校では、自分の住む場所によってヒエラルキーが生じていた。定期券など見ればある程度住まいがわかってしまうため、団地暮らしである自分は「自殺の名所育ちかよ」「団地暮らしの貧乏人」と罵られた。何かと生活レベルの違う同級生はそのままエスカレーターで進学したが、自分はその環境に耐えきれずサッカーをやめて公立高校に進学した。
今でもその団地は存在し両親はそこに暮らしている。持家の夢は団地というコスパの良い暮らしにより妥協と、労働への意欲の低下へと変化していった。もちろん団地暮らしの人々すべてがそうだとは言わないが、いわゆる訳ありですよねと言われてしまう住人が多いのも事実だ。
だがそのような場所で暮らし生きていくというのは常に差別偏見を受けていくということで、豊かな生活とは程遠い。本来どんな人でも安心して暮らしていく権利があるものではないのだろうか。
でもボロアパートで暮らしているキモくて金のないおっさんが歩いていると不審者扱いし避けてしまうんですよねわかります
家あるのに貯蓄ってなんのため?教育費用?だとしたら増田のせいやん
「家あるのに」 →持ち家購入したって記述が見当たらないんだけど、どこにあるの?
家は買えなかった
こういうのを言葉にしてしまうと、嘘から出たまことになってしまいそうで不安。 ガキなんて目の上のたんこぶだと思った奴に対しては何か違いを探し出してそれについて囃し立てるこ...