はてなキーワード: コメ欄とは
はてなブックマークをきちんとブックマークとして使う人は多いが、それ以上に個人の日記やツイートに寄生する方を殆のブクマカは選んでいる
なのに都合よく「ブックマークなんだから好きなことを書いていいだろう」は実態に即していない
通常のブックマークと寄生の定義が曖昧だからもう少しかみ砕いた方がいいんじゃないか。後者は他人の書いた記事をもとに自分の言いたいことを書いてスターを得る行為あたりだろ?たぶん。
普通の人にとって、親しい人による数件のコメントならまだしも、数十〜数百もの乱雑なコメント群は全てがノイズでありアラシ行為とかわりがない
それも、記事に直接コメントとして書かずにハテブを介して間接的に言及する行為そのものは寄生でしかない。知らず知らずに侵略しているんだよ
他の大手サービスよりマイナーだからか、さらに自己中心的なコメントが多く、記事とは無関係な手斧を投げつけるだけの場になりやすい。
視聴者コメも楽しみでしたし、なによりGigaByteとAsus,DynabookとNECパーソナルコンピュータとVAIO、富士通が同席するとどうなるんだろという期待感で見てみました。
休憩を挟んで3時間超くらいの時間配分で、最初は各担当者さん思い出のメモリアルPCの紹介から始まり、本題の前もって200くらい集まった要望のなかから各社がチョイスした要望の紹介、締めは各社力を入れてる製品の紹介で終わりました。
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"ノートPCからモニタもキーボードもタッチパッドも全部取っ払ってタブレットとかスマホと連携するPC”
"VAIO P の正当後継機がほしい"
”Core UやPのCPUと控えめなTDPに設定したdGPUを組み合わせたライトゲーミングノートPC”
”かつてのモバイルギアのような小型軽量でバッテリのもちがよくフルキーボードに近い打ち心地のキーボードを備えたPCがほしいです”
”軽量金属やカーボンをフレームにつかった軽量フルタワーPC”
”家中どこでもモニタたけ運べば使える、全てがワイヤレスのハイスペックデスクトップPC”
”一つの端末を長く使う時代が来ると思うので、少なくともバッテリーは取り外しができる端末”
”誰かVAIO HXかVAIO Type Masterを蘇らせて”
"バッテリと入出力、5G / WiFi のみを備えた純粋なシンクライアント”
"キーボード型PCは最近みないので、最新のAPU搭載で作ってほしい”
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ドラえもんがいないと無理じゃんという要望があった一方で、既に製品化されてんじゃん
ソフトウェア的にできてるじゃん、みたいな要望がでてきましたが、
コメ欄はとにかく平和でした。どうしてそんなに平和だったのでしょう?
もっと大荒れになったほうが楽しめたです。
※ 残念ながらリアルタイムで見た人しかコメント欄は見れません、
(その2)とっくに解決済みであろう案と、印象に残った案について
この記事目に余るから言うけどコメ欄にこんなん信じてるアホが多すぎてほんま臭い。
こういう臭い輩ってすぐクソデマ信じて踊って「メスブタに権利を持たせた結果がこれ」とか言いやがる。
反ワクチンとか水素水とかデマ信じて暴れる素人ばかりで医学界隈や科学健康界隈も大変そうだなあと思うがこっちもなかなか酷いよ。
https://karapaia.com/archives/52315464.html
こんなの「自称」連れ去られ被害者の被害妄想に決まっとるやろ。
まずね、弁護士が依頼者にこんなリスクある誘導的な言い回しなんかできるわけないんですね。
こんなんとかほんとマジでありえないよ
弁護士職務基本規定違反で懲戒免職になるよ。リスクが高すぎる。コンプライアンスの権化みたいな仕事なのにこんなこと言える弁護士いたら教えてほしい。
29条2項 弁護士は、事件について、依頼者に有利な結果となることを請け合い、又は保証してはならない。
事案や訴訟手法が具体的すぎる。全てが妄想というのも考えにくい。実際に起こった事案を別の視点から書いた物語だと考えると納得がいく。
おそらく、これをやられた男性が、相手方女性視点を想像して書いた文章なんだろう。
高葛藤離婚事案でのDV加害者は、相手が弁護士にそそのかされて弁護士に嘘を言わされてるとかと言うことは本当に多いし。
みんなも嘘を嘘と見抜ける人になろうな。
本当はアクシア・クローネの今回の活動休止のお知らせ動画後半部分・ラップ動画に対する怒りと悲しみを理路整然と正論パンチで書いてやろうと思ってたけど、面倒くさくなったからやめた。増田なんてチラ裏と一緒なのに、なんで頭使って書かないといけないんだろう。もう疲れたよ。
以下に書いてるのは休止動画の後半とラップ動画に対する愚痴で、動画前半で触れてる誹謗中傷については迷惑行為をする人間が悪いと思ってるのであしからず。
私はアクシアの配信でコメントしたこともなければTwitterも鍵垢で、アクシアの視界に入ったことは無いはずだった。だけどアクシアのガワをかわいいかわいいって褒めたり、ゲームに興味はないけどアクシアが楽しそうに遊んでるのを目当てに配信を見てたりしていた。アクシアにとってはそういった行為も不快だったんだろうな。私がアクシアに直接言わなくても。
夢女子も腐女子も好きじゃないって言われて、好きじゃない=嫌いじゃないって受け取れると思ってんの???あんな語気が強い動画の内の一言なんだから好きじゃない=嫌いだよね。今まで好きだった人から突然嫌いって突き放されてショックを受けない方が無理だろうが。あの動画を見た時の悲しさは多分外野は察してくれないんだろうけど。
アクシアは女オタクのこと今までずっと気持ち悪いって思ってたんだろうな。化け物扱いされて奇行種だの寄生虫だの蚊だの言われたら凹むよ。どっちが誹謗中傷なんだろうね。私はアクシアに酷い言葉を投げたことはないけど、今アクシアからの言葉で傷付いてるよ。
ここまで読んだ人の中には「アクシアが言ってんのは誹謗中傷した害悪ファンなのに被害妄想激しすぎ」とか「出た母親面!w」なんて言う人もいそうだけど、そもそもアクシアに誹謗中傷していたのがアクシエイドかどうかなんて誰も分からない。ファンを装ったアンチなんてこの世に五万といるし。特定の害悪ファンではなくファン全体を憎んでるのかなってそう受け取ってしまうくらいの強い言葉の羅列だったね。私はそう思ったよ。
推しに対してかわいいって言うのが怖くなった。私はアクシアだけのファンじゃないしむしろ本命は別なんだけど、推しの新規供給を受けて「かわいい!」って言った瞬間「私のこういうところがアクシアを不快にさせたんた……」って凹んでしまった。
女が言うかわいいなんて「好き」でもあり「美味しい」でもあり「キモい」でもある便利な多義語なのに、かわいいって言葉が地雷になりそう。なんならトラウマになってる。タイトルのPTSDはそういうこと。
アクシアが出した動画で傷付いてる私はアクシアが一掃したかった化け物なのかもしれない。これが化け物が受けるべき罰だったのかもしれない
けど多分、本物の化け物はノーダメージで今日もアクシアのことをかわいいって言ってるよ。本物の化け物とあの頭の悪いクソガキラップでファンになった精神年齢低そうなファンしか残ってない復帰後のコメ欄が楽しみだな〜 おわり
許さない。
初オナニーもそれだった。
なのに「ショタ優位のおねショタは許せない」というのが何故か常識となり「ショタ優位のおねショタは悪」という風潮が広がった。
それを感じる主人公の女の子の立場になって、抜くのが大好きだったのに。
ショタ優位のおねショタをみつけてノリノリで読んでみれば、コメ欄は批判の嵐。もうこちらは抜き終わっているのに、それらを読めば心底萎えてしまう。
「ショタ優位のおねショタは許せない」って言い出したの誰なんだよ。
流行らせたのも誰なんだよ。
ショタ優位のおねショタも、おね優位のおねショタもいいじゃないか。
どちらも素晴らしい。
それでいいじゃないか。
多数派の専制でよく思うのがまさにこのコメ欄です。例えば料理チャンネルでレバーを扱う動画が上がるとコメ欄は
「美味しそう!」
「作ってみてすごく美味しいかったです!」
「家族に好評でした」
「久々に料理して5個も食べちゃったよ」
「寝る前のメシテロやめろ」
「わーいいなー」
「レバー美味しいし動画の通りにやれば臭みも抜けるし鉄分豊富だし安いし最高」
「いやいやレバーはビタミンA多すぎるから鉄分目的で食い過ぎたらかえって毒だぞ」
「苦手だけどこれなら食べれそう」
「すみません正直私には合いませんでした」
って感じになって、少数派はビタミンAに触れてる人と不味かった人。
それ以外のコメはほとんど動画を漠然と肯定してるだけで、その数に見合うほどの具体的で価値ある事を特に言ってない。
だったらコメ欄をまとめれば(そういう動画見る人はレバー=鉄分くらいの知識は誰でも持ってるものと考えれば)
「美味しそう(まだ作ってない人)」
「食べてみて不味かった人(作った否定派)」
「ビタミンAに注意」
の4つだけでいい、これで少数意見が目立てる。疑似意見はいちいちツリー立てて書かずに既に書かれてる所にいいねするだけでいい。
でもそのビタミンさんと不味かったさんは発言したくても肯定的なコメだらけの中で細かい事やネガティブな事言ったら
空気読めない奴みたいに思われるから勇気が必要になるし、書いたところで多数の疑似コメに埋もれて見つけて貰えない。
俺も少数派でいる事が多いので疑似コメ増やして他の少数意見を埋もれさせる加害者になりたくないので、
なるべく全てのコメを読んで既に言いたい事が書かれてればそこにいいねするだけにして同じ内容は書かないようにしてるし、コメツリーをいくつも立てません。
長文を書きはするけどツリーが一つだけなら読みたくない人はさっと飛ばせる。もしこの文をツリー10個に分けたら他人に迷惑がかかる。
でもこんな事考えて書いてるのたぶん俺くらい、どの言語の母語話者でもです。
日本の動画はどんなに人気のものでもコメは4桁だけど英語動画になると5桁がザラにある。
その5桁のコメも内容ごとに整理したらきっとせいぜい100通りくらいしかない。
500回くらい書かれてる意見は大勢の目につくけど3回しか書かれない意見は誰にも気づいてもらえない。
コメの多さが動画主の収入に繋がるなら疑似コメを増やす事は否定できないけどyoutubeにその仕組みは辞めてって言いたくなる。
でもyoutube以外のどんなサイトでもそこを効率化できていない。
みんな多数派に属していたい気持ちと、自分個人のオンリーワンそうな意見に耳を傾けて欲しい気持ちがある、
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
今日からのジャンプラ新連載の「もえばな」、どうにも薄味でつまらんな…と思った。男子高校生が華道部に入る話。
話自体が盛り上がりに欠けるし、うまく言えんが主人公がみんなに好かれるのがよく分からん。妹の展開も予想の範疇を出なかった。
一番面白かったのは、話の最後に載ってた注意書き。用意周到だなって笑った。
ふむ、not for meだったか…と思って上位のコメントを眺めてたんだが、どうも女性支持率高めっぽい。(一人称「私」な男もいるとは思うけど…語尾だけで判断もできないけど…)
話の雰囲気の柔らかさとか、灰汁の無さ…みたいなものが評価されてる様子だった。(これは邪推だけど、たぶん腐女子も付いた)
あと、「むかし生け花やってて…」みたいな自分語りニキ・ネキ、大量発生。
まぁ「応援コメント」だし無粋なことを書くのもなぁと思って自分の感想は特に書かなかったんだけど、女性ファンは一定数稼いだと思われるあの漫画がこのあと連載し続けられるのか、少し楽しみだ。