はてなキーワード: ありすとは
知人が整形手術で失敗され、美醜の面だけでなく、生きる上での機能面まで悪影響が出ることになってしまった。ほぼ泣きつくような感じで親に相談したところ、セカンドレイプを受けたという感じ。
・お前は失敗したときのことを考えてないからこうなる。小さい頃からいつもこうだ
・お前は振興宗教にハマっているのと同じだから整形ではなく精神科の治療を受けるべきだったな
・(顔が普通に崩れて形成外科案件なのだが)もう一切顔2メスをいれるな。その姿を背負って生きることが整形したお前の償いだ
みたいな感じ。でも一方で失敗した医者から慰謝料を取る協力をかなりしっかりしてたり、子供の人生めちゃくちゃにした医者を一生許さないと言ってたり(たぶん本気で言ってるしやってる)
いやこういう親に心当たりありすぎて俺ァ苦い気持ちになったよ。セカンドレイプも本当の気持ちだし、全力でサポートして医者を許さないのも本当の気持ち。
色々な部分が食べづらい。
まず唐揚げがデカいので、大口開けてかぶりつくか、唇や鼻先に付くのを覚悟で齧るしかない。
半分に切って出してもらう事もできるが、どこにも書いてないし訊かれもしないので、知っている人しか使う事ができないオプションである。
デフォルトで付いてくる二種類のタレも、掛けるのではなく小さな小鉢なので、ゴツゴツした不定形であるからあげには付けづらい。(ついでに、丼とセットのからあげや、単品のからあげには付いて来ないので、追加の料金を払うかマヨネーズで食べる事になる)
味は悪くないが、とろろ昆布は割り箸に絡みつくし、雫とともに垂れ下がるので異様に食べづらい。
付け合せもなぜかイカの塩辛である。別に嫌いではないが、定食屋のデフォルトのオプションとしては癖がありすぎて微妙だ。たくあんのような漬物か、フリカケの方がありがたい。
総じて、綺麗に食べる事が難しいのだ。
Vtuber好きだけど、テレビのバラエティトーク番組はあんま好きじゃないわ。昔はテレビっ子だったけどな。
テレビのどこが嫌かと言うと、タレントの発言がおかしいだろとか、偏見ありすぎだろとか、ゲームなり映画なりでの理解で勘違いしてるとか、そういうものへの指摘が届かないのがどうにもストレス。
踊るさんま御殿とか何かの拍子に目に入ると、さんまが偏見まみれのことを言いまくるし、それに出演者がツッコミを入れるわけでもなく進んでるし、ひでえもんだわ。
Vtuberは配信者が勘違いをしていたら、リスナーからチャットで指摘が入ってリアルタイムで正されることが多い。
最悪配信者がチャットを見落としたままだとしても、俺と同じ「いやそれは違うだろ」と思ってるリスナーがいるから多少はマシ。
だからVtuberでも、配信者がチャット欄からのツッコミをほぼ見なくなる、七、八人以上のコラボは俺は楽しめない事が多い。
ただ、最近はVtuber事務所側がテレビ業界出身のスタッフを呼んだネット番組とかもあって、それはやっぱりうまいなと思うから、テレビ的な演出は基本的には娯楽性が高いと思う。
あと、格付けチェックとか、テストをやってバカを決めるとか、テレビのヒット企画を真似た配信も時々行われてて、人気がある。
そういうテレビ企画の真似は大がかりかつ大人数になりやすく、前述の通りリスナーのツッコミが届きづらい欠点はあるので俺はあまり好んで見ないが、テレビでヒットした企画だけあって面白さがあるのはわかる。
結局のところ、テレビのテンポや画面作りはやはり見やすいし、バラエティ企画もヒットしたものを選べばとても面白いアイデアがあると思う。
だが、出演者の方に、古臭い価値観のおっさんおばさんや、オタクの心情に理解の薄いオラついた感じのやつが目立ち、そいつらが共演者や視聴者からのツッコミを受けることなく出ているのが不快である。
また、初期は面白い番組であっても、続けているうちにどんどん過激になっていったり、変な豪華さを出そうとしてかえって安っぽくなるのがキツい。
つまりタレントの老害化と、番組が続いた時の過剰演出化がテレビの欠点なのだが、これらはVtuberでもいずれそうなっていきそうな問題である。
特に過剰演出はすぐにも起きかねない。世間に認められ、金が動くようになったら、世間の耳目を引くために派手なことをやらねばならんだとか、大人の事情で滑ったシーンも面白く見せかけなきゃだとかの圧力がかかってくるだろう。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
物体が反射する光を感じ取ることができるってのは理屈ではわかるよ?
でも反射した光を『見る』ことによって物体の3D構造や距離感を正確かつ瞬時に脳内で把握できちゃうって冷静に考えたら凄すぎないか?
その点耳や鼻はしょぼいよ
聴覚だって嗅覚だってなんとなくの距離感くらいはわかるかもだけど、音とか臭いをどれだけ反射させたところで
目の前に置いてあるものがウォーグレイモンのフィギュアなのかフィリップスの髭剃りなのかすら判別できないわけじゃん?
目って当たり前にありすぎて皆気にもとめてないけどちょっと過小評価されてると思うんだよね、こんなんSFの世界の器官じゃん
もしかしてイルカとかコウモリだと『見る』に近い感覚で聞こえてたりするんだろうか
不思議だなぁ
件のショタドールに関するツイート、問題になる前に流れてきてふーん……くらいのもんだったんだけど、後からめちゃくちゃ炎上して表現規制とかの話にまで発展してるの驚きしかない
私なんかほんまに人のこととかどうでもいいタイプだし危機察知の能力めちゃくちゃ低いし想像力も低いのであのツイートを見て現実の少年少女の性被害に思いを馳せることはできないわけなので…… まあ怒ってる人たちがおかしいとも思わんですが
だけどまあ、正直怒り方がなんか違和感があるんよな
というのは、あのツイートそもそもそんなに拡散されることを想定されてなかったというか、身内とその周辺相手に見て見て以上の意図なかったんじゃないかなって思うわけです
そりゃ公開垢だし真意はわからんけど、まあ私は公開垢でいろいろ言いたい放題してた時理解されない人に見られたら?とかは考えてなかったから……
で、まあちょっと拗らせた性癖持ちの人ならわかってくれるかもしれんけど、ちょっとお喋りしたくなるわけ
極論鍵でやれなんだけど件の人はもとが絵師なわけだし、ツイートでも言われてたけど結構男性ショタコンって小さなコミュニティじゃないかなぁ、と思うんですよ
ROMとかだけならまあまあいると思うけど、お喋りしたりお絵かきする人ってなるとやっぱりね……
で、そんな小さなコミュニティの中で見て見てした結果思ってた以上に拡散されて目についた そんだけなんじゃない?て思うんですよね
オタク……というかそういう性癖持ちのコミュニティが性癖晒すことと、一般でそういう話するのの意味合いが違いすぎるってことが今回の原因なんかなぁという感想
で、ここからちょっと加害性とかの話になるんですけど、少年少女に性欲を持つこと自体は仕方ないけど後ろめたさはあるべきでしょ実際やったら加害なんだから、ていう論調がわりかし多いですね
いや……少年少女は性合意もクソもないからどんな場合でもダメってのはわかるよ でもそれって性合意が「ない」じゃん
それと対称にされるべきなのは性合意が「ない」事例であって性合意が「ある」大人とかLGBTとかは何にも関係ないっていうのは間違いなの??
いやそもそもヘテロとかLGBTとかはショタコンとかとはまた別軸だしさぁ……
なんかそこが違和感ある
で、社会的責任に関するnoteとか読んでめっちゃ絶賛されてるから自分もこの辺理解したくて読んだんだけどそういう話ではなかったしな もうどうすればいいんや
社会的責任、ちょっとなんか同意しかねるところがあったのは作品に影響される人がいるから犯罪行為は否定の姿勢を入れるのが責任ってところ
いやそれ説教くさくね??
こっちがグロゴア読みたくてそういう漫画読んでたらこんなこと本当はしちゃダメですよ!とか言われても……知ってるが???そりゃそうだろ
ショタコンもロリコンもそれは知ってるでしょ 人が死ぬ漫画読んでる人が人殺した!て報道されたら怒るのにロリショタコンがドール持ってた!LO読んでた!て報道されたらやっぱりねってなるん??
いきなり海賊にはなれんけど少年少女加害はできるよねっていうのもある意味大喜利と同じじゃね?て思っちゃった 海賊にはなれんくても人殺せるし殴れるし金品強奪はできるので……
まあともかく色んな話が出てるしカウンターも出てるけど、性癖に後ろめたさ持ってっていうのはちょっと困るなぁ 私は現実人間の造形気持ち悪いからあんまり好きじゃない二次元で死体画像漁ってる人間ですが、絵師が後ろめたさ持って公開やめたりめちゃくちゃ見るの難しいようにされたら悲しいし……ごめんなさいめちゃくちゃ私情挟んだ
つかそういう思想は持ってていいけど後ろめたさは必要、大人しくしとけば怒らないって言うけど後ろめたさ持たなきゃ殴られる時点で衰退確定なわけでそれっていいの?てなる
思想とかはよくわからんのでこれはおかしいよってところあったら教えてください
件のツイートに関してはもう出ちゃったもんはしゃあないからあんま燃えそうなものは鍵でお喋りした方がいいなぁです 性癖持ちにも性癖持たない人にとっても……
性に目覚めたのがいつだったか、覚えている者は少ない。たとえば、裸がエッチだということを知っていて、のぞいて見たいと思うことがあっても、その願望とおちんちんをいじっていて気持ちよくなることと結びつくのは、おそらく思春期以降なのだと思う。性欲は、具体的な対象を持つよりもずっと前から心の奥に不可解なエネルギーとして蓄えられていて、それが将来何に向かうのか、誰にもわからない。
小学生の頃の自分にとって一番エッチだったのは、成熟した女性の裸やおっぱいよりも、同級生のパンチラだった。姉妹と一緒に風呂に入っていたので、女性の体など珍しくなかったのだろう。それよりも、めったに見る機会のない同級生の下着のほうが、性器そのものよりもエッチだった。
スカートめくりはしてはいけないことだと知っていたので、掃除の時間の雑巾がけの時間に、ばれないようにのぞいていたことを覚えている。どうして中身よりも布切れに興奮していたのか、今になってもわからない。ただ、今でも生のおっぱいよりも長袖レオタードやブルマーに興奮してしまうのだから、おそらくおっぱいよりも、パンツというかお尻の曲線に対する執念が根深いのだろう。
そういうわけだから、初めてチアリーダーを見たときには、子どもながらに衝撃を受けた。なぜなら、パンツが見えていると恥ずかしがる普通の女の子たちと違って、彼女たちは大胆にも片足を上げてスカートの中を見せるし、時には飛び上がって開脚しながらブルマーを見せる。スカートの色とおそろいのブルマーはかわいらしいし、逆にスカートとブルマーの色が違っていたときには、ますます本物のパンチラっぽいというか、見てはいけないものを見てしまったとき特有の興奮があった。今にして思えば、あれだけの体を鍛えている人に対して欲情してしまうのは失礼だと思うのだけれど、きれいな人が多いし、性に目覚めたばかりの少年にとって性欲は未知のもので、どうやってコントロールすればいいのかもわからず、困惑するばかりであった。
ところで、チアリーダーの歴史は古い。チア衣装のコスチュームは1920年代にまでさかのぼる(https://cheer.epicsports.com/cheerleading-shorts-history.html#:~:text=Cheer%20shorts%20or%20bottoms%20worn,of%20spectators%20at%20football%20games.)。もちろん、保守的な時代のことだから、今みたいに下着のようなものを見せることはなかった。
流れが変わったのは1960年代だ。スカートの長さが膝丈くらいになり、下着が見えるのを防ぐために、ブルマーを導入したようだ(同上)
ただし、あまりにもスカートを短くしすぎてブルマーが丸出しになるのもだめらしい。次の資料によれば、米国の高校のチア連盟では、スカートの丈は12から14インチ、(30から35センチ)と指定されている。また、ショーツ型ブルマーよりも2インチ(5センチ)、ボクサーショーツよりも1.5インチ(4.25センチ)長くないといけないらしい。
(https://www.wisegeek.com/what-is-cheerleading-underwear.htm)
NFLでは、さまざまなチアの衣装があって、かっこいいけれども、やっぱり高校生のチアみたいにシンプルで、色気がありすぎないのが、私は好きだ。
(https://www.insider.com/history-of-nfl-cheerleader-uniforms-2017-2)
純白のテニスウエアの下にブルマーをはいているところにとてもドキドキしてしまった記憶がある。やはり、見られることが前提ではないものを見てしまったことによる戸惑いなのだろうか。それとも、同級生の女の子がパンチラ防止にブルマーをはくようになったせいで、ブルマチラにまで欲情するようになってしまったのだろうか。
さて、古い英国の小説を読んでいると、しばしばテニスをやる場面が出てくる。当時のことだから、やはり長いスカートを身に着けて行っていたようだ。それが、やはり60年代にミニスカートが流行し、そういうスタイリッシュな姿で運動することがもてはやされた。その結果、パンチラを防止するためにアンダースコートを身に着けるようになったのだろう。
https://www.allure.com/gallery/tennis-fashion-history
ただ、資料が少ないために、フリフリのアンダースコートと、今のようなホットパンツのようなアンダースコートがどのように移り変わったのかの資料は、まだ見つけられていないわざわざ写真に残している人が少ないというのもあるのだろう。下着の服飾史を研究している人々は、こういう人々の恥じらいというか慎み深さで、苦労しているに違いない。
ところで、とある人から、テニス部の少女でスカートの下にはアンダースコートを身に着けているのはレギュラーで、それ以外の子はブルマーだ、という説を聞いたことがあるのだが、本当だろうか?
スカートの中が見えないようにブルマーあるいはそれに準ずるものをはく習慣は、おそらくミニスカートが流行しだした60年代に端を発する。そうしたファッションを受け入れる下地が、その時代までにはできていたということか。とはいえ、ビキニの発明は1946年のこと、ずっと早い。
今後は同じようにレオタードやバニーガール、競泳水着の起源について調べ、脚を見せるようになる習慣が同時多発的に発生したのかどうかを検証したい。時間もあまりないので、今調べた範囲でごく簡単に述べておくと、バニーガールについては、ヒュー・ヘフナー氏が1960年2月29日に、バニーガールコスチュームを発表したそうである。
https://www.pixiv.net/artworks/64464179
また、レオタードについては、元は男性の衣装だったように記憶している。
それが、自由を求める女性の間で1960年代以降に広まった、と書かれている。ただし、資料によっては年度のずれがある。
https://fashion-history.lovetoknow.com/clothing-types-styles/leotard
また、暇ができたときにでも調べるつもりだ。
たくさんありすぎるのでは
ある意味ではさ、自分から手に入れようとしたものしか、人間、本当には手に入れられないんだと思うんだよな。
時間がいくらあっても、仕事しなくて良くても、何も欲しいと思わないならそれでおしまい。いかに良い会社に行ったってダメだ。
ログ速とか見たってなんの役にも立たねえよな。ありすがわなんてカッコいい名字でも意味ないよ。
あいーん!つってたあのおっさんももうあの世。つか、あんのかなあの世なんてさ。
同人ゴロがどうとか騒いでさあ、…江畑諒真って誰だよ。知らねえぞ。助けてくれ。脈絡がなさすぎる。ヲチスレって見たことないけど本当に醜くて怖い。 立太子ボタンってなんだ?押したら皇太子になれるみたいな話か?皇太子にはなりたくねえな。 opera最強伝説は俺が終わらせた。今後は俺が最強伝説だ。世界の自治厨アメリカ
たつき信者ってどうなんだ。あの辺バトってて怖いよ。パソナルーム絶対入りたくねえ。キニ速度っていうのはキニ速っぽさを示す尺度で、俺のキニ速度は2。 はてサ、一つの見方を提供してくれるという意味では結構ありがたい。口汚い罵倒はどうかと思うけどね。 やおらんっていうのは八尾市のゆるキャラで、名産の岩海苔の塊に目がついた不気味な姿をしている。 あさめしんぶんを読んでいるやつは世界への理解があさめ。ふかめしんぶんを読んだほうがいい。
ああ、なんてことだ、ここは中世ジャップランドだったのか! 男性と名誉男性だけが幸せになるこの国を壊すにはサイレントテロしかない。
自分から選んだものしか人間は真の意味で愛せないんだ。やるしかない。もう時間がないんだ。仕事なんてするな。社会なんか壊れてしまえ。いかないぞ、会社。
芸スポなんて読むな。有村悠ってなんの人だっけ。はてサ側か?ジャップランドというのは実はジ・アップランド(昇りし国)のことで、本当の日本はザ・ダウンランドにある。 死んで生き返りましたれぽに書いてあった。 DD論を崩すにはBB弾しかない。