はてなキーワード: 交流とは
子供の頃に読んだ少年誌が正義感に与える影響はめちゃくちゃ大きいか、というのが論旨?
「めちゃくちゃ大きい」ってどれくらい?3割以上?半分以上?8割以上?
そもそも割合で言うべきなのかが合ってるかもよく分からんけど。
まあとりあえず、「18歳までに読んだ少年誌は正義感に影響を与える主要因になるか?」って読み替えとくか。
少年漫画と一般的に解釈される漫画は、18歳までにそれなりの数を単行本で読んだ。
これが論旨に当てはまるのかどうか。
とりあえず元増田はガッシュという単一の少年漫画で育ったと書いてるので、まあ単行本でもギリおけ、ということに勝手にしとく。
あと、「正しい正義感」って表現がなんかふわっとしてるので、元増田の主張に則って「善意を良しとする考え方」と読み替える。
自分の半生でもって賛成か反対かを述べて欲しいと書かれているので、反対する。
つまり「主要因にはなっていない」ということで。
一応18歳までに読んだ少年漫画を思い出せる限りで列挙しとく。
やべえ、思ったより思い出せねえ。
16歳〜18歳くらいまでは、もしかしたらジャンプ・マガジン・サンデーを不定期に買って読んでたかもしれない。買ったら載ってる漫画は全部読む派だったから、当時の3誌のタイトルとかあらすじは大抵分かる。
まあとにかく、これらの少年漫画は、というか少年漫画関係なく「あらゆる娯楽を直接的に享受する行為」は、善意を良しとする考え方どころか、考え方そのものにさえほとんど影響を与えてない。
この記事のタイトルに書いたように、俺は善意を絶えず疑ってかかっている。
善意ってのは自分から与える善意と、他人から与えられる善意があるだろう。
そのどちらも絶えず疑ってる。
今でもたまに思い出す。俺は小学1年生の頃から、「なぜか」人には優しくしようと思ってて、実際周囲に対してそのように振る舞ってた。
この時点ではもちろん、少年漫画なんて読んでない。
だけどその一方で、小学生時代には色々と悪いことをやってた。ピンポンダッシュとか、空き家侵入して(経緯は忘れたけど)ボヤ騒ぎ起こしたりとか、親のお金を財布から盗んで菓子買ったりとか、友達のポケカやゲームパクったりとか。とにかくひたすらシンプルに、純粋に悪いことだ。
同調圧力に関しては、ここ2年くらいでやっと克服できたと感じられるレベルになったけど、欲に関しては今でもものすごく脆い。
どれくらい脆いかっていうと、ゲームやりたくて仕事を無断欠勤してそのままバックレるレベル、無職で実家にいても(流石にお金出したり最小限の家事手伝いはするけど)ひたすらオナったりこうやって増田に張り付いたりして日々を過ごすレベルだ。
良かれと思って衝動的に起こした言動さえ、実は欲に由来してたって後から気づくことが何度もあった。それを見透かされて相手からはねつけられたことも何度もあった。
要するに、俺はこの抗いようのない欲と、これまでの半生そのものを主要因として、自分の善意を全く信用してない。
悪いことをする動機に比べると、善いことをする動機ってのは実に分かりづれえんだよ。
ふと頭の中に善意みたいなものが生まれることがあっても、実はそれ、欲に由来してるんじゃね?と考え続ける。で、突きつめるとやっぱり、漏れなく全部、欲由来だ。
小学1年生の頃の俺が、なぜ人には優しくしようと思ったか。それは単純に、好きな女の子がいたからだ。その子に振り向いて欲しかったからだ。少年漫画だとか関係ねえよ。本当の最初からずっと、その根源は欲なんだよ。くだらねえ。
俺に対して与えられる善意。
俺は俺自身を善人だと思ってないし、見た目や性格やコミュニケーション能力が魅力的な人間でもない。なので、初めて会った人やろくに交流してない人から善意を与えられたら、まず疑う。
世の中に善人がいるのは否定しない。だけど俺にとって、善人と、善意を隠れ蓑に俺を騙そうとしている人を見分けるのにはときに時間がかかる。だから考える。前者なのか、後者なのか。
疑いを向けたままその人と表面上親しくすることもある。こういうときは非常にストレスが溜まる。
必然的に、善意の由来が欲であると自覚していて、それを自ら開けっ広げにしていて、長い付き合いでその態度が真であると判断できる材料が揃っている人たちとの親交だけが残る。そういう人たちとはある程度本音が話せるので付き合いやすい。
唯一の例外は俺の父親だけだ。彼は、少なくとも俺にとっては紛れもない善人だ。
それよりも(これは悪意に関してもだけど)「そいつの言ってることが一言一句事実であるか?言動が理にかなっているか?」みたいなことが気になり、疑う。
身振り手振り、口調、表情、見て取れる感情、一連の言動などから、矛盾や嘘や破綻がないかをはっきりさせたくなる。
だから元増田にもこうやって突っかかっている。これも俺の一つの欲なんだろなと思う。
今回自分の欲に素直に従ったのは、悪いけど、自分のことを善人って言う奴のことは信用ならないからだ。
自分の善意は本当に善なんだろうか?自分は本当に善人なのか?そもそも善意ってなんだ?とか一生懸命考え続けてる奴の方がまだ信用できる。
沖縄の基地問題が騒がれているけど、ブコメやヨッピーさんの記事を見てると、明確な沖縄県民差別もあったり、自覚してなさそうなナチュラルな差別もあって、とても悲しい。
・生まれ育った地域は激戦区だったので今でも不発弾が見つかる。そのためか大規模な開発はあまり行われていない。周囲に米軍基地も無かった。小中学校では、体験者の話を聞くのはもちろん、轟壕と呼ばれる防空壕の中に入って真っ暗で冷たい空間を体感するなどした。他にもいろいろな学習があったが、とにかく戦争は悲惨である記憶だけが色濃く残っている。
・卒業後、辺野古に7年住んだ。近くには米軍基地があったため、産まれて初めて基地が近くにある日常を目の当たりにする。銃声や爆発音がなんの予告も無しに当たり前のように響く毎日に驚いた。オスプレイと呼ばれる軍用機が飛行する際には、教室の窓が振動し、授業が中断することもあったらしい。
・在学中、在日米軍の迷惑行為(校門で爆竹を鳴らし大声で騒いでいた。近くの学生寮に住んでいたので当時かなりうるさかった)もあった。ただし、地域の運動会には米軍の人も参加するし、米軍基地の中に入って軍の人と交流するイベントもあったので地域住民との交流も大事にしているんだなという印象もあった。
・また、在学中に民主党政権になり、例の「最低でも県外」発言もあったせいか、基地反対派の活動もそれなりに活発だったと思う。基地反対派の基地のゲート前道路座り込みの影響で、テスト期間中なのに学校に辿り着けない学生もいた。基地反対派の活動にうんざりしている学生も多かったように思う。私もうんざりしていた。
・卒業後、県外で就職し働く。当たり前だが、県外の人の基地問題の無関心さに驚く。沖縄とは距離が離れてるから、そりゃ当たり前か…と思うも少し悲しくなる(私も沖縄県外にある基地のことは詳しく知らないので、あまり言えたもんではないが)
その他、肌で感じたこと。
・当時、日本兵に自決を命じられたという戦争体験者の証言があり、高齢者は特にナイチャー(県外の人)に対する差別意識が根強い人もいる。私の祖父母も例外ではなく「ナイチャーとは結婚しないでねー」と度々言われていた。
・しかし結局、私は県外の人と縁があり結婚した。だが祖父母は煙たがりもせず理解を示してくれた。本当にありがたいことである。思わず泣きそうになったことを覚えている。
・基地問題については、本当に根深い問題であると感じる。今回の騒動で注目されたことは良いことかもしれないが、いたずらに対立を煽ってほしくない。イチ沖縄県民として非常に心が痛む。
インターネットで交流すると明らかに過剰に接してくるやつがいる。
「こういうことはやめてほしい」というと大体スンッとおとなしくなるんだけど、その言い訳に毎回「自分はADHD診断で」とか「アスペルガー症候群で」って言われる。
それ言われるたびに「なら強く言えんな」
と、なるはずもなく、
病気を盾にすればなんでも許してもらえるんかどアホがって言いたくなってくる。
一回本当に許せない事をされた。簡単に言うと自分の共有した写真から自分が住んでる住所について連続で聞き込みリプ(近くに○○ある?とか)されたあげく「こんどそこいくから会おう」された。
もちろんこれは自分の落ち度もある。スタバの店内なら別にいいだろうとあげた写真から内装で推測されたのだ。SNSから個人情報探るなんて簡単にできる。
だからそういうことはやめてとまた言った。お決まりの「ADHDだから」だった。
いい加減キレてブロックした。
後日共通の知り合いから「めちゃくちゃ悪口いわれてるよ」って言われたが「そういう報告もしてこないでもう関わりたくもない」っていうと「ごめん…あることないこと言いふらしてるから見かねて言及したほうがいいとおもって」と言われた。
その共通の友人はADHDがどうこうとかいってきた覚えはないから勝手に健常者として扱うけど、健常者だって人の気持ちわからなくて失敗することがあるんだから、ADHDだからコミュニケーションに失敗して当たり前とか思わないでほしい。
大人の異性との性的交流が不十分で、情報があまりに不足しすぎているせいで、
欲情対象を未成年というか、自分が十分に理解している(と思える)年齢の異性に設定しないと、
twitterアカウントも知ってるけど、そっちは自分が交流用のアカウントを持っていない
オタク活動用のtwitterアカウント(つまり増田の本垢)で交流すれば良いのでは?
相手は普通にtwitterなりはてななりで色々と語ってるわけだから、増田も自己開示の一環として普段使ってるアカウントで交流を試みるのが良いと思う
アセクシャル(女)のTwitterアカウントを見ると漏れなく地獄で草。高確率で昔の彼氏ガーとかセクハラがーとか男ガーキイイイイイイとかやってる
いやそれアセクシャルじゃなくてただの性嫌悪やんけ・・・っていう
まぁわざわざTwitterで自分のセックスについて世界中に向けて発信しようって言うんだから、
LGBTQAに限らず、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』が原動力になっているのは必然か
人のむちゃくちゃ多い東京に出る機会があったのでせっかくだからセクマイ交流に参加してみようかなと思ったけどなんか難しそうやな
あと人となりがわかって交流がしやすい?ってことなのかTwitterをベースにしてるの多いな
いやいや何が楽しくてTwitterで自分のセックスについて熱心に発信せなアカンねん
さっきも書いた通り、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』があるか、ジェンダーにまつわる活動家じゃないと無理くない?
どうしてもTwitterでやるなら仕事の関係者に見せても大丈夫な『見せる様のネットの自分』を作ってそれに紐づけるかだな
最近、名刺やプロモーション代わりに見せる様のネットの自分があっても良いかなと思い始めている
けどインスタ映えみたいな事に時間を割くのって増田で無為に過ごす以上にどうなの?とも同時に思っている
増田はストレス解消や考えの整理に役立つけど、オンラインサロンみたいのでメシ食う心づもりがあるわけでもないのに
便利かどうかはわからないが、視覚的にはとりあえず新しく、手触り・操作感がいい、
見せる様の自分をゆるくげられるSNS作っても良いかなぁとぼんやり思ったり
マイノリティー向けに限定したSNS作ってもいいかなって一瞬思ったけど、昔作って運営してた時は手間ほど得るものはなかったので、
マイノリティーには限定せず、最初から人に見せていい自分でお願いする
あとメタバースな。1秒も関わってないけど見せる様ならうってつけな気はする
「漫画版フェアトレード認証」、面白いアイデアだとは思うが、部分的にイビルな場合はどうする。
拾ってきた外国人の少女を男手一つで育てる、近所の家庭との緩やかな交流がある、ほのぼのとした雰囲気で全体的な安息感が特A級の、具現化した安らぎとでも言うべき傑作子育てマンガ。
しかし、あるとき、全体として善の象徴として描かれてる男親が、近所の女子高生らにセクハラする描写が出てきた。ヨガを始めるという彼女たちに、どれだけ体重が増えたかと聞いたのだ。2人はポカーンとするばかり。発言者は特に咎められたりはされずにスルーされた。彼ら3人以外に聞いてくれてた誰かもいない。天罰表現も特になし。作品世界から容認された、ようだ。
…以来オレは、「嫌なら読まなければいい」を実践する羽目になりましたとさ(ヽ´ω`)
ポイントは、地雷シーンが一点か二点のようなケースの厄介さにある。
親の立場では当該シーンを黒塗りとかすればいいかもしれんが、レビューサイトにはどう振る舞わせるつもりだ? 話数ごとに異なる ☆☆☆☆★ 表記を付けるのか。ツリー状に。親の手間を省くのが目的のサイトなのに、複雑すぎてついてけないだろう。
securecat 交流って具体的にどんなの? 2022/10/10
https://anond.hatelabo.jp/securecat/
読めないか?
試してみろ
嫁からすれば俺の親戚づきあいというか友達を含む交友関係はかなり希薄だという
同級生→10年どころではなく会っていない。というか結婚式や葬式に呼ばれたことすらないし年賀状も皆無
親戚→名字程度は知っているがもちろん連絡先は知らない
そういえば元職場の同僚の人が唯一友達と呼べるかもしれないが、逆に言えばその人くらいしか話す人はいない
この年になると結婚式や場合によっては葬式の頻度が上がるんだろうけど、2年くらい前の従兄弟の葬式以外に参列したことがない
極めつけは親戚なんだが、母親の妹が実家の近所に住んでいるがその人が姉か妹かを知ったのはごく最近
他の親戚に関しても中学時代に少しだけ交流があった程度で誰と誰がどういう関係なのかという相関図はまるでわかっていない
母親がちょっとあれなせいで親戚一同からかなり避けられていたからな
年賀状を書く風習もないし季節ごとの贈り物や冠婚葬祭とも無縁な生活を送ってきたけど、嫁からすれば親戚の名前もまともに言えないことに驚愕された
anond:20221001090653の続きのようなもの。
南島原市・西有家町では「みそ五郎」という名前のキャラクターを見かけた。これは、町民・市民がゼロから生み出した存在ではなく、この地に伝わる民話に登場する人物である。
1980年代の旧・西有家町時代から、地元の有志の人々が地域興しのシンボルとして用い始めたとのことである。したがって、近年の日本各地における「ゆるキャラ」の乱立・流行とは無関係であるが、その流行が少しは追い風になったのかもしれない。今では、役場に像が設置されたり、地域特産品のパッケージにイラストがあしらわれるなど、みそ五郎は各方面で活躍している様子である。
以前、日本テレビの番組『TOKIOのザ!鉄腕!DASH!!』で、ソーラー発電パネルを搭載したカスタム軽自動車に乗り込み、日本全国の海岸線沿い道路を走破するという企画に挑戦していたことがある。その中で、TOKIOが西有家町を通過した際には、番組内VTRでも全国に紹介されたそうである。その番組を見た記憶が有るという人も、存在するかもしれない。
味噌が大好物とされる。里の者から味噌をもらえば、御返しに、巨体と怪力を活かして力仕事などを手伝ってくれたという。
また、高岩山(たかいわさん)に腰掛けて有明海で顔を洗ったとか、対岸の肥後(熊本)・天草まで一足で跳躍して有明海を越えて渡ったという巨体ぶりも語られる。
住処とされた高岩山には、今でも、みそ五郎の足跡を残していると言われる岩石が存在する。
みそ五郎は、妖怪呼ばわりされている訳では無いが、水木しげる等の著した様々な妖怪関連書籍で紹介される山中の妖怪ヤマオトコや、日本各地に存在するダイダラボッチを筆頭とした巨人伝説との共通点・類似点を持つ。
ヤマオトコも、みそ五郎やダイダラボッチほどではないが巨人であり、酒が大好物とされ、人間から酒をもらえば返礼に杣人(そまびと)らの力仕事などを手伝ってくれるという、温和な妖怪である。味噌と酒という違いはあるが、みそ五郎もヤマオトコも、共に発酵食品を好むとされる点が興味深い。
海を一息に越えるとか一跨ぎにするとか、山に腰掛けて海で顔や手足を洗うというのは、これは巨人伝説においては、巨大さを表現するための常套手段である。竹原春泉斎の挿絵で名高い『絵本百物語(桃山人夜話)』に登場する、讃岐の手洗い鬼が瀬戸内海を跨いで手を洗った話など、様々な類話が知られている。
このように見ると、みそ五郎は孤立した存在ではなく、日本各地で広く見られる、山中の温和な妖怪や、巨人型妖怪の系譜に連なることが分かる。
みそ五郎に何らかの独自性を感じるとすれば、まずは彼の好物である味噌なのであろうが、むしろ私は、呼び名である「みそ五郎」そのものに興味をそそられた。
何故「みそ『五郎』」なのだろうか? そう考えたのである。単に「味噌が好物の(大)男」というのであれば、別に「みそ太郎」でも「みそ彦」でも「みそ兵衛」でも構わないはずではないか。
みそ五郎が、有明海を飛び越えて肥後・天草に向かったのに倣い、私も同じ九州の他県へと(想像の中で)跳躍してみることにする。そうすると直ぐに、南九州の宮崎県・鹿児島県に伝わる巨人「大人弥五郎(おおひとやごろう)」の伝説を見出す。奇しくも「五郎」の名を持つことに、注目してもよいであろう。
大人弥五郎の伝説は、怪力で里人を助けてくれたり、山に腰掛けて海で顔を洗うといった、みそ五郎その他の巨人・妖怪と類似するものである。みそ五郎と異なる点としては、好物が明確でない点、特に山を根城としているとは明言されていない点、軽い悪さやイタズラをして里人を困らせるといったトリックスター的なエピソードを持つ点などが挙げられる。
有明海を挟んで「五郎」の名を共有する巨人が存在するのは、海を経由したにせよ陸地を経由したにせよ、島原半島と南九州との間に、人的及び文化的な交流があったことの名残であろう。
他に「五郎」の名前が関係する九州の伝説や民話といえば、これは巨人・妖怪ではないものの、大分県に伝わる「炭焼小五郎(すみやきこごろう)」が思い浮かぶ。これは、豊後の山中で炭焼の仕事をして暮らす善人の小五郎が、顔にアザの有る姫と結ばれ、最終的に金山の所有者となり、姫の顔のアザも消え、幸せな長者夫婦となるという筋書きである。
金に限らず、山で採掘された金属の精錬のプロセスには熔鉱炉が付き物であり、それには炭が不可欠である。炭焼小五郎の伝説は、山での金属生産に従事した、山の民の存在を我々現代人に伝えるものである。
みそ五郎、ヤマオトコも、炭焼小五郎のように山を生活や仕事の場としていた山の民の姿を反映しているのであろう。味噌・酒など彼らの好物である発酵食品をもらった返礼に、力仕事を手伝うという物語は、山の民と下界の農耕民との交易を反映したものなのだろう。
九州以外の地域も広く探せば、日本各地で更に「五郎」の名を持つ巨人や妖怪、伝説上の人物を発見できる可能性はある。しかし、何故「五郎」なのかについての手掛かりは、今のところ無さそうである。
そこで、少し外に目を向けてみようと思う。中国の書物『聊斎志異』『獪園』『劇説』などに名の見える怪異に「五通(ごつう)」というものがある。
これは、蘇州の方面に横行したとされる、五人一組の好色財神である。夜毎、人間の女性のもとへ通っては犯すという。言うことを聞けば人間に財貨を与えるが、逆らえば害をなすともいう。体格偉大とされ、別名として「五郎(ごろう)」とも呼ばれる。(参考:実吉達郎『中国妖怪人物事典』講談社)
体格が大きく、名前が「五郎」という点に、我が国の巨人・妖怪「五郎」との関係を想像せずにはいられない。女性に手を出すところや、人間に害を与えもすれば福を齎しもするという両面性は、大人弥五郎の人助けも悪戯もするトリックスター性に通じるところがある。
今のところ、中国の「五通」が我が国の「五郎」の起源となった、或いは、影響を与えたという確証は無い。無いのだが、可能性は有ると思っている。有った方が面白いからである。とはいえ、もう少し調べるべきであろう。
古代ギリシャ的な素朴な議論になってしまうかもしれないが、人間が他の人間を認識する時には、『自分と似ている部分』を共通項にすることで、認識が上手くいくようにしている。
単純な話、自分と全く違う人格を持っていたり、自分と全く違う経験をしている人間のことを理解することはできないけれど、自分と似ている部分を持っている人間や似たような経験をしたことのある人間はより理解しやすいということである。本当に単純な話だ。
このようにして、人間は他者を理解する。ある意味、自分の一部分を他者に擬態させて、記憶するのである。自分の中に他者の疑似人格を構成していると言っても差し支えないだろう。
ある意味、この疑似人格は、作成した当初は、自己の人格をアレンジしつつ複製したものと言ってもいいので、完全な他者ではない。
とは言え、その他者(自分の中に複製した他者ではなく、現実にいるオリジナルの他者)を認識し続けることで、その疑似人格としての他者は変化を続ける。現実の、オリジナルの他者について認識を続けていく中で、この疑似人格が当初の認識から変様を続けていくのである。
このように認識が変化すると、どうなるのか。
つまり、当初自身の人格の疑似複製でしかなかった他者が変化し成長することで、自己の複製としての他者人格が変化し、それによって自己自身さえもが変化していくのである。自身と他者との共通項を基に形作られた疑似人格が変化することで、共通項を基点として自分自身の人格が変化し、時に新たな属性を手に入れることになる。つまり、自己が『延長』されることになるのである。
そんな風に、誰か自分と共通項を持った他者に関する認識が、その他者との交流を通じて変化し、新たな属性を身につけ、その新たな属性によって自己そのものに変化が及ぼされる過程――そのような仮定を、人は愛と言っていいのではないかとか、そんなことを思うのである。
そんな感じ。
この話のポイントは、このような自己の『延長』は、そもそも自分と共通項のある他者(を基に作り上げた疑似人格)を媒介にしてでしか成立し得ないということである。人は時に、自分と全く異なる人間に対して、愛着に似た感情を抱くことがある。これは、ある種環境に堪えうるための多様性を人が獲得しようとして生じる現象なのではないかと個人的には思っている。とは言え、このような愛着は、自己を延長させうる愛にはなり得ないと個人的には思っている。何せ、共通項が希薄な人間に関しては、自己を延長させ得るような疑似人格を構成することが難しいのだから。
ルービックキューブ早解き競技(通称スピードキューブ)の国内女性競技者層の薄さについて、増田の意見。「記録更新」に目を向けさせないと層は薄いままって話です。
まず、「層が薄い」っていうのは、国内女性トップ記録が11年前から破られてないからそう言った。層が厚かったら、2~3年で破られてるはず。
んで、女性で大会出る人って、以下の3種類で説明つくと思うんだけど、割合としては①50%、②40%、③10%かな。
①身内(男児や父親)がスピードキューブをしていて、練習に付き合ううちにできるようになった女児や母親
②大学のスピードキューブサークルに入った女性(高校の同好会、会社の部活など含む)
①は家族行事みたいな感じで大会参加してるから、子どもが中学校入って部活だ塾だで忙しくなったらフェードアウトしていく。
②は卒業、退職などで人間関係リセットされたらフェードアウトってことが多い。
③はスピードキューブ自体が楽しいってタイプだから、自分の記録を更新し続けられる限りは大会参加し続けて、更新できなくなったら辞めていく。
で、この①②がめちゃくちゃもったいないと思ってる。毎年、初参加の人が一定数いるのに層が厚くならないのは、①②のようにあっけなく辞めていく人たちが多いからだよ。この人たちが自分の記録に興味をもって、記録更新を目標に掲げてくれれば、層は厚くなるのになーって。キューブ界は昔から交流が大事だって言ってそういう場を提供してるけど、それって継続の理由にならないと思う。むしろ芋づる式に去っていくだけ。
増田はというと③のタイプで、記録停滞して大会出なくなりました。まあ大会の雰囲気が嫌いっていうのもあったけど。もっと殺伐としててほしかった。なんで次の試技待ちしてるときに「女性なのに珍しいですね」なんて話しかけるの?集中したいんですけど。ふだんの情報収集用にtwitter使ってたけど、ROM専だったな。性別を理由に関わられるのめんどすぎる。
ブコメの内容から(恋愛的な意味でなく)好きになって、ぜひ交流したいのだが、ご本人は交流を求めてないオーラがすごい
その方は、ブコメで交流を求めるようなそぶりを見せることもあるけど、お気に入りにアカウントをひとつも入れてないので、他人のブコメには興味なさそう
かといってブコメで突然話しかけたらドン引きされそうだし、twitterアカウントも知ってるけど、そっちは自分が交流用のアカウントを持っていない
追記: トラバで馴れ合うなって言われたから馴れ合いさせてもらうわ。メタブはMidas閣下のイメージが強くて怖い。
id:c_shiika, redreborn, catsnail, dominion525, tomiyai
オタク活動用のtwitterアカウントは持ってるけどサブアカ作って交流するほどの器量が自分にないんだ
しかもその人だけに接触するために作ったアカウントって気持ち悪くない?偽装するためにいろいろフォローするのもめんどくさいし、フォロワー0のアカウントにtwitterで話しかけられたらけっきょく怪しまれそう
同上。ブログにも二次元コンテンツの感想しかアップしてないからいきなり話しかけるような余地はない
理屈ではわかってるんだけど、話しかける道筋そのものが気持ち悪いとまあ気持ち悪がられるだろうなと想像がついてしまって……気持ち悪がられたくないし、相手を不快にさせたくないので一歩が踏み出せない
ライトな接触が思いつかないので教えてほしい。スターつけるとか?(もうやってる
はてブで交流したいというか、ブコメをずっと見ていて、この人と話してみたいと思った感じなので、交流する場がはてブでなくてもよい
二次創作界隈のぼやきを眺めていると、「マイナーCP」についての愚痴をよく見かける。
そのほぼすべてが「マイナーCP界隈の内側」からのぼやきだろう。
これを書いている人間は、界隈の人数とか生産数とか関係なくその時ハマったものを好きなように生産している人間なので、そういう嘆きを見ても「わあ大変な思いをしている人もいるんだなあ」程度にしか考えていなかった。
持論としては、作品は描(書)いたら増える。それを見て魅力に感じた人がいれば界隈人数も増える。それはどのキャラクター・CPも同じこと。
それでもマイナーと大手の差が開くのは、純粋なキャラクター人気の差とかその時の情勢とかもろもろが関わってくるものなのだから、そのCP並びに作り手や語り手が悪いわけではない。ただ運が悪かっただけ。
そう考えていた時代もあった。
しかしこの度、あるマイナーCPのイベントに参加したことがきっかけで
と考えるようになったので、日記に残そうと思う。
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上に書いた通り自分はその時ハマったものを好きなように生産する人間なので、今作っているものがマイナーかどうかなんて全く認識していなかった。(そもそもマイナーとか大手とかでCPに優劣をつけて見たりもしない)
SNSでも仲のいい友達といくつかの無難な公式アカウントしかフォローしていないので、そのCPに今どれだけ作り手がいてどれだけ盛り上がっているか、も知らない。
だからその「マイナーCP」が人に飢えているマイナーということも、イベント中の参加者のボヤキで初めて知った。
web上で品物のやり取りをし、アバター越しにチャットで参加者と交流をし、主催者が設定したデザインに彩られたイベント会場を楽しむ、というもの。
リアルのイベントとは違って対面での個人交流がしにくいのがオンラインイベントなので、そうした交流会を設けているイベントは珍しくないと思う。
似たようなwebイベントに何回か参加したけど、やはりどこも参加者同士が盛り上がるための交流会を設けていた。
webイベントというものは、そのように特定の時間と場所を設定しなくても会場のどこでもチャットでの個人交流ができる。
にも関わらずわざわざ交流会を開催する意味合いとしては、積極的なコミュニケーションの場を通じてファン同士の絆を深めたりCPへの熱意を発散したりといった「界隈をより盛り上げたい」という村興し的な面が強いと私は考えている。
何度か参加した他イベントの交流会でも、話したこともなかった相手と言葉を交わせたり、好きなキャラクターやCPの話だけで知らない相手の友達の友達まで巻き込んで大勢で盛り上がれたりして楽しかったので、その「マイナーCP」のイベントの交流会も楽しみにしていた。
当然CPイベントの主軸はそのCPの作品をめいいっぱい楽しむことにあるので、交流会だけがメインではなくあくまでおまけ程度。
例えるならスーパーの買い物でたまに引ける福引程度のものなので、「買い物ついでにこれも楽しめたらいいな」くらいの期待度。
ティッシュが当たろうが掃除機が当たろうが、目当ての買い物はクリアしているのでまあいいや、の感覚。
それでもイベントに参加するなら「そのCPを取り巻く人々の空気感を味わいたい」のが個人的な趣向だ。
CP好きで集まった人々なら、CPやキャラクターについての熱い萌え語りが聞けるかもしれない。
好きな作品の同人に関わる人と交流ができることが楽しみだった。
しかしいざ交流会がはじまると、CPやキャラクターの話はエッセンス程度。
発言しているのはほんの一部の人のみ。おそらく「界隈の中心にいる人」たちなのだろう。
(交流会には20人くらいが参加していたが、会話していたのは5人程度だったと思う。他の人たちは「お疲れ様です」「開催ありがとうございます」といった挨拶をはじめと最後にしているのみでほぼ無言)
その中心の人たちの話題も、「〇〇さん相変わらずですよねー!」「出た〜w ✕✕さんのこれ〜ww」といった『人いじり』がメイン。
界隈や人ではなくCPやキャラクターが好きな私には全くわからない。
要は身内ノリが激しいのだ。
その「身内」の外側にいる人間には入る隙間がない。
先程福引で例えたが、福引を引きに行ったらスーパーのスタッフの個人的な話をずっとされて楽しいと思う人はいないだろう。
それでも折角交流会に来たのだから一緒に盛り上がろうと自分なりに入れる話題を見つけて乗ろうとしたりした。
たまにキャラクター中心の話になった時にそのキャラクターを掘り下げる発言をしたり、『界隈の人』の話でも頑張って乗って一緒に盛り上げようとしたり。
もちろん私の他にも同じように乗ろうと一生懸命発言している人もいた。
しかし私やその人の発言に対する共感も相槌もないまま、すぐ『界隈の人』同士の話に戻る。
こんなに虚無を感じる交流会もない、と思った。
交流会の会場設定もその狭い交流を加速させているように感じた。
とにかく狭いのだ。本来は広い会場を、デザインでかなり狭くしている。中心以外は入れないように真っ暗にされている。
そのままの広さなら、参加者があちこちに散らばってそれぞれ発言が誰かの邪魔をすることもなく個々人で交流ができただろう。というかこれまでに参加したイベントは全部その形式だ。
しかしこのイベントは参加者全員が中心に押し込められる形になっているため、一つの話題でしか盛り上がれない。他の話や個人的な交流をしようとすると、今盛り上がっている場にノイズを撒くことになる。
だから今進んでいる話題に乗れない人間たちはみんな押し黙って、僅かに発言できる挨拶の瞬間に短いチャットを打つことしかできない。
主催もその『身内ノリ』を止めるどころか、進んで乗って盛り上げていた。
参加者全員を楽しませるように、ではなく、「自分が自分と仲のいい相手と楽しめるように」そんな盛り上げ方しかしていなかった。
乗ることができない人間にとっては、他人同士の身内通話を延々と聞かされているような、そんな時間。
なんのために参加しているのか、これはなんの時間なのかとさえ感じている頃、その『話題の中心』の人が発言した。
「まだまだマイナーだよね、ここ」
--
それで私が感じたのは、ああこれがマイナーCP界隈というものなのだな、という認識だ。
マイナーCP界隈者が時折自虐的に使う「村」とは、なるほど的を射た表現だったのだ。
よその人を招くイベントを開催しても、村人たちが結束しすぎて、結局よその人が居着く隙がない。
私はこれまでマイナーCPとは「キャラクターの露出が少ない、公式での絡みが少ないなどといった理由でどうしょうもなく人が増えない界隈」だと考えていたが、実態は違ったようだ。
「結託しすぎて排他的になっている界隈」これこそがマイナーCPであり、マイナーCPに人が増えない理由なのだ。
このCPを嫌いになったわけではないので生産自体はやめないが、このCPのオンリーイベントに参加することはもう二度とないだろう。
このCPのリアルイベント参加も検討していたが、リアルはより一層身内とアウェイの差が開くと感じたため、参加を取りやめた。
(リアルイベントも「界隈の中心者」が開催に一役噛んでいるらしいのもその理由だ)
このイベントに関しては参加させてもらった以上は大人の対応として「楽しかったです、運営お疲れ様でした」と主催に伝えたが、本音としては「楽しくなかった。二度と参加しない」が全てだ。さすがに本音は言えないので心とこの日記にナイナイした。
身内ノリが悪いと考えているわけではない。
同じ志を持つコミュニティに所属し仲のいい相手と絆を深めることは人間にとって最大の幸福なのだと某有名大学も発表している。
「界隈感」が嫌いな私の好みもある。
ただ、やはりマイナーCP界隈は自ら「ここはマイナーCPだ」と発信して界隈を狭めても得にはならないと思う。
マイナーであることに良さを感じているのなら好きに狭くなればいいと思うが、「人が増えてほしい」ならせめて公募イベントでの身内ノリを抑えたほうがいいのではないだろうか…。
そのイベントでも「もっと盛り上がってほしい」「人が増えて嬉しい、もっとたくさん来てほしい」と発言する「界隈者」たちに何度も心の中でツッコミを入れていた。
新参をちやほやしろと言いたいのではない。せめて身内以外が参加しているイベントなら、身内ノリを控えたほうがみんなで盛り上がれるんじゃないか…。
まあ、ことwebイベントに関しては開催者が全てなので開催者が身内ノリに賛成するなら、もういいのかもしれない。
そんな日記。
一応前書きとして、これは一個人の話であって4世皆がそうとは限らないし、内容は割と愚痴。
当方宗教4世、母方の曽祖母から始まった信仰の連鎖の末端にいる。
よくニュースで取り上げられるような宗教2世の人たちほどは苦労はしてないと思う。親がやる献金は最低限、厳しい縛りもあんまりなかった。他の神社仏閣で手を合わせるなってくらい。
でも、4世となると割と根深い問題もあって今は割とこれに悩まされてる。
起点は曽祖母で、彼女は熱心な信者で人望もある人だった。宗教2世の祖父はボケても尚、曽祖母と宗教の話だけはハキハキとよく喋る。
たまたま同じ宗教を信仰していたことをきっかけに祖父は祖母と結婚。その二人から生まれた母は立派な宗教3世。宗教に無頓着な父(家にほとんどいない)と結婚して4世の自分が生まれた。
生まれた時に勝手に加入させられ、物心ついたときから決まった方角に手を合わせることを習慣づけられてた環境で育ち、幼い頃は違和感もなく献身的な信者をやってた。
運動をやることよりも、勉強するよりも、手を合わせてお経読む方が何よりも喜ばれるから幼い自分は褒められたくてそりゃもう熱心に手を合わせた。小学校4年生くらいまでの話だけど。
祖父が信者すぎて、テストでいい点取っても神様のおかげ、試合に勝っても神様のおかげって言われまくるせいで見事に反抗期突入して中学生あたりで完全に目が覚めた。俺の努力じゃボケ!!!って感じで。
それで高校生くらいには無神論者になったけど親にそれを仄めかしたらブチギレられた。扶養に入っている子どもは親に逆らえないのですぐに撤回した。結局、今も伝えられていないし、誰にも相談できていない。
恐ろしいことにここまで代々引き継がれていると、交流のある親戚全員信者しかいない。
信仰してない者は異端扱いどころか、そもそも信仰を否定する奴が親戚に誰一人としていない。ガチの孤独。
生まれた時から洗脳教育されてきた信仰猛者に囲まれてる4世だよ。
選挙権得たら「うちの宗教が応援してるここの党に入れてね、皆やってるからね」って強制されたりね。
当たり前のように恐ろしいこと言ってくるんだよ。
「〇〇さんの息子さんは選挙行ってくれなかったらしいよ」
「親不孝だよね」
みたいな会話が平然と祖母と母で行われる。
育児のリターンが親が望む党に票を入れることになっていてドン引きした。人権とは?
世代を超えて長年引き継がれてると、こういう常識として日常と宗教がかなり密接になってるからなかなか目が覚めにくいっていう状況。
自分の言動や思考の根底に宗教があるんじゃないかって、不安はまだちょっとある。