はてなキーワード: 自殺願望とは
どうやって知ったか覚えていないが、インターネットを徘徊するのが好きだったので、もしかしたらこの匿名ダイアリーをきっかけに知ったのかもしれない。
過去の遍歴が興味深いと言ってくださる友人がいたので、久しぶりに投稿してみる。先に言っておくがオチはない。
当時の私は親のDVやモラハラに苦しめられ、学校ではいじめられて孤立。
今ならTikTokでDVやいじめの証拠を上げたら味方になってくれる人が沢山いただろうが、当時はTwitterに画像や動画を載せる公式機能がない時代だった。
今も昔も、相も変わらず悲劇のヒロインだ。
親ガチャは中の下だと思う。
小さい頃から家ではひっくり返った家具が散乱し、壁やドアには穴が空いていた。この惨状を掃除をすると怒られるため、割れたガラスの上を歩いていた。
夜明けまで怒鳴り声が聞こえ、家は度々揺れた。何かが壊れる音は日常茶飯事だったが、そのおかげで電話の着信音や車のクラクションで頭が真っ白になるようになった。
DV被害者の専業主婦の母には、離婚してほしいことや転校したいことを懇願したが、「この家に生まれたからには人生を諦めなさい」と言われ、私は事あるごとに諦めるのが習慣となった。
進路も親の意向が厳しく、父はコミュニケーションも適切にとれない人間だったから、自分が希望する大学の出願書はビリビリに破られた。
質問サイトに経緯を綴って相談したら「学費を払ってもらえるなら我慢して言うことを聞くべき」と言われた。
過保護に育てられた世間知らずな自分が家出をしてお金を稼ぐ勇気もなく、結果的にはその通りの道を歩んだ。
高校ではいじめっ子に盗撮されてネットに悪口付きで晒されるなどの被害を受けたため、受験シーズンでも授業は図書館、カウンセラー室、校長室でサボっていた。
お昼はもちろん便所飯。(便所飯の存在を否定するコメントを目にすると胸が痛くなる)
学校の先生に強制的に診療所に連行されたことがある。その時お医者さんに「一時的な悲しみですね」と言われた。
これが私の最初の診断だった。自分は病気ではなく、これは一般的な苦しみなんだと解釈して絶望した。
それでも、できることは全部したつもりだ。
命の電話に相談、学校の先生に相談、心療内科・精神科に通院。医者が合わなければ他を探し、いろんな薬を試し、カウンセラーも何名かとお話した。
結局のところどれも解決には至らなかった。
それどころか、大学時代には死ぬと思われたのか、とあるカウンセラーには警察に通報されて逮捕されたことがある。それ以来、カウンセラーは一切信用しなくなった。
皆が寝ているであろう深夜に警察に部屋を侵入され、「動くな」と拳銃を所持した警官に言われた。「寮の鍵や財布を持っていって良いですか」と聞いたら「ダメだ、お前はもうここには帰らない」と言われた。
パトカーの光が暗闇で飛び交う中、カウンセラーと寮長が遠くからこちらを見ていた。意味が分からなかった。
牢屋のような個室で凍えながら数時間放置され、検査が終わったら「特に問題ありませんね」と夜明けに病院から追い出された。
面白いことにどう帰宅したか全く覚えていないのだが、気がついたら寮の前にいた。おそらく警察が車で送ってくれたたのだろう。ドアをノックしたら寮長が気づいてくれて鍵は再発行してもらった。
DVといじめの経験があると、友達の作り方が尚更分からず、大学時代は声を発する機会がほとんどなかった。この地獄が終われば親の呪縛から解放されると思った。
親の夢を一通り叶えた時に私は束縛から少し解放された。だがしかし、親の敷いたレールから外れようとした時に精神的な暴力を受けていた人間は、解放されたとて自発的な意欲や判断能力が蘇ることはもうないのだ。
もう遅かったのだ。
当然の如く就活は失敗し、実家でニートをしていた。それでも自分のペースで努力はした。
重い腰を上げて心療内科に通い、ひきこもりの集会に参加し、会話の練習をした。
死ぬ前にもう一度だけ頑張ってみようと思い、ハロワで就職支援を受けた。中小企業になんとか採用してもらえることになった。
中途入社の社員が一ヶ月で退職することが珍しくなく、3年で社員がほぼ全員入れ替わるような会社だった。同僚が突然音信不通のまま出勤しなくなったり、新卒が鬱病で休職したのちに退職した。
転職にも挑戦してなんとか成功したのだが、入社して半年で部署の上司が全員退職した。
会社のシステムがボロボロなことに気づき、どうにか変えられないかと偉い人に提案を試みたものの、最終的には「お前は前の上司に洗脳されている。俺には弁護士がいる。過去に社員を訴えようと思ったことがある。口コミサイトにたとえ事実だけ書いても被害は発生するから損害賠償を請求する。」と脅された。(本人は誹謗中傷や脅迫の自覚は一切ないようだった。)
仕事に向いていないことに気づいたので定職についている時に婚活にも勤しんだ。
大学院卒で大企業勤務、趣味も同じという人と奇跡的に出会ったが、交際後に相手が少しモラハラ気質であることが発覚した。
身だしなみに興味がない相手に鼻毛や眉毛を整える提案(よければ私がやる)、美容院の選定、洋服のコーデを一緒に選び、「興味がなければ私が払う!」と言ってみたものの彼は嫌がった。その否定の仕方はどれも心無いものだった。
他にもエピソードは沢山あるが、頑なに別れの相談に応じなかったところでブロックした。
ここで、最低限の清潔感もない男性は外見や内面をアップデートする努力を拒否する可能性が高い種族だと学んだ。(一緒くたにするのは良くないが、個人的にはもうこりごり)
その後、またニートに戻ったのが今。
運や環境が悪かったのもあるし、会社や人を見極めるのが下手な自分も悪かった。努力の方向が間違っていると指摘する人もいるだろう。
10年前もある種無敵な人だった。死にたかったし、誰かを巻き添えにしたって構わなかった。友人がなんとかできた今でさえ薄らそう思う。
でもどうすれば救いがあったのか?
今でも疑問に思う。
当時、子供なら誰か助けてくれると思っていたが、実際には学校もカウンセラーも命の電話もできることに限界があった。
若い女性は男性より支援を受けやすい聞くが、あまり性差はなかったように思う。(特権に気づいていないだけかもしれないが)
お前がブサイクなだけだからでは?と思うかもしれないが、ファッションやメイクの流行を追うのは好きだし、軽い美容整形にも投資しているので、表向きはむしろ幸せそうな人間に見えていると思う。
なら風俗やキャバクラで頑張ればいいじゃんと言われるが、TikTokでキャバ嬢、メンエス嬢、風俗嬢の日常を見る限り、彼女らはとてつもない努力と精神力で今の地位を得ている。
どれもリスクが高い仕事だし、メンタルが弱く話術がない自分には不向きだ。
こんなパッと見普通の女性の苦労話をもっと可視化して発信すれば、幸せそうな女性に対する偏見が少し収まるのかなとも思うが、嘘松認定されたらそれで終わるので難しいところである。
希死念慮を抱えていた人間が「いつか絶対に報われる」と言われ続けて10年生きてみた人の感想。
時間が経ったからか、トラウマは笑いながら話せるくらいには乗り越えたし、鬱状態の自分を静観?できるようになり、ゲームをする元気も出るようにはなった。親も歳をとり、物をひっくり返したり家が揺れることも減った。また、親の夢を叶えたことに免じて、ニート状態も許してもらっている。
挑戦することから逃げなかったという意味では、小さな前進は継続的にできていた人生だったと思う。
しかしながら、お金を稼ぐための力や社会の厳しさに耐えられるメンタルがないと分かった今、正直当時自殺しても良かったんじゃないかとも思う。
今後何しようかというと、死ぬ前に同人エロゲでも作ろうかなーと思ってる。
絵も描けるし動画も作れるしゲーム開発経験もあるから。今は3Dモデリング勉強中。
それとも自分の境遇をブログでコミックエッセイのように発信しようかなとか。
でもただの悲劇のヒロインエピソードだし、オチもないし、批判や個人特定が怖いしなーと公表することに悩み中。
でもなんでもやってみることが大事だよね。
10年以上はてなにいる皆さんはどのように暮らしが変わりましたか?
人生に悩んでいる後輩がこれを読んでいるとしたら、参考にならなくてごめんね。
先輩は何か知恵があったら教えてね!
追記読んだ。とりあえず娘さんと話できたのは良かったですね。
現場に特攻するって勇気と行動力ありますねー。じゃないと言い逃れられちゃいますもんね。
私には息子しかいませんが、彼に「悪さ」の疑い出た時、こんなんできるかな……
娘さんも誰かに止めてほしかったのかもしれませんね。不安を聞いてほしかったかも。
それでも、コロナ禍での高3生活で友人トラブルがあったことや、進路の不安などは本当のことだと思います。現実逃避ってのもわかるかな。
それにしても思春期における不安ってのは、大人の想像以上のものがありますね。
夏期講習がないときも自習室を使うと言っていたので、それを信じていた。
父親としては、本人の意見を尊重しながら適度な距離感のコミュニケーションをとりつつ、育ててきたつもりだったが、なにかが欠けていたのだろう。
あるとき予備校に行くはずなのに、違う方向の電車に乗る娘を見た。
そういえば、勉強しにいくにしては妙に化粧に力をいれている。嫌な予感がする。
ということで、隙をついて、娘のスマホをのぞいて見ると、案の定売春に絡んだ連絡をとった履歴がズラリ。
すべては把握できないが、おそらくこの夏休みに入るくらいから始まって、夏休みが終わるまでに二桁に達しそうな勢いだ。
避妊はしているようだが、この調子だと悪い男にいてこまされかねない。
売春に気がついたことはまだ本人には知られていないし、妻にも知らせていない。
年齢に応じた恋愛をするのは賛成だが、こんなカジュアルな売春はだめだ、と思っている。
本人にも性的な興味や欲求はあるだろうが、あきらかに金を目的としている。
月々の小遣いは多くはないけど、高校生の社交辞令くらいできるくらいはあげているつもりだった。
一応、証拠としてスマホ上でのやり取りは写真を撮っておいてある。
書いていても、ちょっと同様していて冷静な判断力を欠いているのを痛感する。
このような場合にどのようなアプローチをとるべきか、はてなの皆さんの意見を聞かせてほしい。
娘が相手に会いに出かけたところを街なかで捕まえて、二人で話しました。
スマホの中のことは言及しないでも、現行犯を捕まえて、ほかにいくつか怪しい点をあげると、本人はあっさり認めました。
コロナ禍での高3生活、学校での多くの友人を失うことがあったこと、
進路も決まるか不安で成績がなかなか上がらないことに対する不安などから、
この自殺願望がどの程度のものだったのか、本当に鬱なのかどうかは判断できませんが、
方便だとしても、とにかくまずは心療内科を受診しようという結果に。
そして、母親には言わない代わりに、もうこういうことはやめると約束させました。
説教したい気持ちはかなり抑えたので、こちらの考えはまだ十分に伝えられていません。
それでも、今後とも、娘の話を聞くことを続けていこうと思います。
アドバイスくださった方、ありがとうございました。大変参考になりました。
とくに、anond:20210821125957 さんで、娘に「逃げ場」を作っておくこと、anond:20210821150511 さんの妻と娘の関係に配慮すること、は、anond:20210821123722 さん怒るより心配モードで、とのあたりが特に。御礼申し上げます。
声優のオタクを一口に声豚、キモオタだと言ってもその中にはいろいろな人がいる。
恋愛を許せない人だっているし、どうでもいいと言う人もいる。ここが分かり合うのは不可能に近い。これはライト層とガチ勢の区別という訳でもないのだろう。単なる精神性の問題だと思う。
だからこそ分かり合わなくても声優の結婚を喜べるような人は喜べないような人のことも尊重するべきだ。一部のすぐネタツイに走る攻撃的なオタクは除き、外野が悲しもうが発狂しようが本人には関係ないはずなのだから。
昨今、「喜ぶのが普通であり、喜べないのは異常者である」というような圧力が強すぎる。オタクが異常者であるというのは間違いないが異常者に異常者扱いされるのは気持ちのいいものでは無い。
ここまで書いたが私自身は声優の結婚を許せないタイプの人間だ。
以前2ちゃんねるだったかで女性声優の彼氏発覚を定食屋にゴキブリが出た状況に例えた人がいてうまいなと思った記憶がある。
結局そういうことで、何となく足が遠のくのは避けられないのではないか。別に衛生環境を求めていた訳ではなくて飯を食いに行っていただけのはずである。声優も別に第一に純潔を求めていたわけではないがやはり少し離れるのはしょうがないように思う。
そもそもこの声優戦国時代でいくらでも推す候補はいるわけで少しの汚点もファンが離れる原因になるのはしょうがない事だし、ドル売りとは関係なくガチ恋ファンは一定数つくはずなのだ。
それは時代の変化としかいいようがないしそういうオタクがいることも尊重されるべきだ。それこそ時代の変化に合わせて多様性が尊重されるべきなのと同じである。
私自身は竹達彩奈さんのファンでも何でもなかったが、彼女が声優を務める「けいおん!」の中野梓のことが特に好きだった。竹達彩奈さんが結婚した時ファンでもないのに辛くて涙が出てきた。世の中にはそういう人間もいるのだ。可哀想では無いか?精神に傷を負ったオタクを更に「祝え」という圧力で傷つけるのはさながらイジメの構図だ。
許せない理由は様々だ。自分の状況と対比してしまう。ガチ恋してたのに結婚して裏切られた気持ちになる。キャラと重ねて見てしまう。
そういったことをする人間がキモいということは認めよう。私自身もキモいとは思う。でもキモいことと攻撃されることは違う。許せない人間を許せない人間は同じ穴の狢でしょう?
だから「普通なら祝うでしょ」「祝ってあげればいいのに」と簡単に言うがそういう問題では無いのだ。傷ついているオタクを見たら慰めるか放っておいて欲しい。その圧力はオタクに対する攻撃でしかないしその発言をする明確な意図がないならやめて欲しいと思う。
我々は声優を推す対象と見て、イベントに足繁く通い、CDやBlu-rayを積み、接近イベントに行く。そういった状況の中で突然その対象が結婚して今まで通りいられる方がおかしいとも思う。別にワンチャン狙っていた訳でもない。ただ推しは皆の推しであって欲しいし、どこかの男と結婚した時点で皆のものではない。少なくとも私は辛い世の中で推しを逃げ場、縋る対象として見ているし、そこで急にハシゴを外されたら辛いに決まっている。
「オタクが結婚出来るわけないだろ」という批判は最も正解から外れている。二度と発言するな。これは地雷だ。自殺願望がないなら発言するな。
とにかくいろいろな考え方があるんだから本人に実害が出ないなら批判も擁護も干渉するべきではない。少なくとも批判派と擁護派が口論するような現状は何も生まない。お互いに放っておいて平和な世界を作りましょう。
私は別に結婚したり彼氏がいることを悪いと思っている訳ではなく、結婚という状況をファンに知られる状況がまずいと思っています。だから人知れず結婚するなら子どもがいても別にいいです。知らなきゃノーダメージなので。結局イメージ商売の1つだし、そういった所を突いて飯を食ってる週刊誌という存在が私は一番嫌いです。平穏に生きたい。
「殺してやりたかった」としつつ、犯人は誰一人殺すことが出来なかった。
ただ、これはあくまで犯人視点での話であることには念を押したい。
誰も傷つかないに越したことはなく、誰も死ななくて良かった。そして重傷の女子大生の回復をお祈り申し上げたい。
死者が出なかったので、犯人は恐らく極刑になることがないと推測される。
こういう事件は大半、犯人にも破滅願望・自殺願望があって、死刑を望んで事件を起こす事もよくある。
だが、この事件では多分無理だろうなあ。
散々話題になっているが、犯人はサラダ油で火をつけようとして失敗している。
犯人にとってはそれなりに一世一代の舞台だったろうに失敗してるっていう。
多分まともに料理もしたこともなければ、サラダ油に火をつけるとどうなるか事前に試したり調べたりすることもなかったのだろう。
まず万引きがよくないとして、増田も小売店で働いていたことがあるが、その場で気付かれるような万引きは相当ヘタクソだと思う。
サラダ油の話と同様だが、とにかく計画性が皆無で行動が突発的すぎる。煽り抜きで何かの障害なのかもしれない。
閉店時間の想像がつかなかったのか?とか別に閉店してても明日行けばいいのでは?とか、冷静に考えるとツッコミどころが多い。
とにかく事件の詳細が出れば出るほど、犯人がいかに無計画かつ突発的な人物であることと、そして彼の今までの人生が何をやってもうまくいかなかった事は想像に容易く、なんだかやるせない気持ちになってくる。
天は二物を与えないと言うが、実際には何でもできる奴と何をやっても上手くいかない奴がいる。その差になるのが一つこの計画性で、計画性がないやつはだいたい何をやっても上手くできないのだ。
いや、犯人に計画性があったらあったで事件がもっと大ごとになっていたので、公共的な意味で言えばこちらの方が良かったのかもしれない。
だが彼と言う人間1人にフォーカスすると、とても悲しい事件だと思う。
一番可哀想なのは被害者なのは当然だが、加害者が加害を起こさなければそもそも被害者は生まれることがなかった。彼がここに至る前に社会は何か出来なかったのだろうか。
女性側の意見は散々フェミ界隈が盛り上げてくれてるのでここでは省略するが、この事件はもっと「無能男性」が声をあげるべきだと思う。
女性が等しく救われる社会は同時に、無能男性が救われる社会でもあるはずだからである。これはどちらか片方だけが進行する事はあり得ず、今回の事件はまさに女性も無能男性も差別されたが故に起きたものだと思う。
だが無能男性は計画的ではないので、どう声をあげたらいいかも分からないか、あげ方を間違えて大体失敗するのも分かる。悲しい。
エヴァの元ネタはウルトラマンだとよく言われている。ウルトラマンは巨大で強く、強い自己の化身でもあり、男の憧れる父親そのものでもあり、自分を包み込んでくれる母親でもある。
庵野秀明にとって、エヴァンゲリオンという「作品」は外界と自分を繋げる唯一のものであり、庵野秀明は監督としてそれを操作していた。同時に、エヴァという機体は自分自身の才能でもあった。
同時にその「巨大で強い自己の化身」は、自分のコンプレックスの表れでもある。シンジの持つエヴァの搭乗への葛藤は、創作の才能一つで生きてきた庵野にとっての葛藤そのモノであったのだろう。
エヴァを作るころには周囲には才能を認められていた。宮崎駿やその他の監督、自分の親からの期待、「逃げちゃダメだ」という言葉は、まさに当時の庵野秀明の感情でもあったのではないか。
同時に、当時エヴァの最終話での制作の難航と、それに伴うネットからのバッシング。そして思った以上の膨大な反響、オタクたちはエヴァ作品にのめり込み、数々の作品がエヴァに影響を受け始め世界の潮流を変えた事。
自分の人格を込めたエヴァへの批判は、シンクロすればシンクロする程思い通りに動く作品の代償として、そのまま彼の精神自体に傷をつけただろう。心を無にして、ダミープラグを使いたいと思ったのではないか。
これはエヴァの暴走そのもので、彼自身にとっての作品の勝手な暴走、庵野にとっての一番大きな原体験となっただろう。同時に作品にそれらを「重ねる」という事もまごころを君にでやり始める。
エヴァに頼るな、現実を生きろ。そういうオタクへの批判は同時に、自分自身への批判でもあったんじゃないだろうか。
新劇場版はそういった「エヴァンゲリヲンという作品の制作」を通じて感じたことを再度「エヴァと言う作品」に落とし込む作業だったんだろう。新エヴァでは特に、「エヴァへの搭乗に対するシンジの心の変化」について重点的に視点がある。これは庵野のエヴァ作品への向かい合い方を落とし込んだに違いない。
やれと言われてやった(作った)→批判された(バッシング)→自分に選択肢はない(拗ねる)→他人に任せる。批判されて辞める(エヴァから手を引く)→やっぱり調子に乗って自分の為に乗る(つくる)→失敗……そこから先は庵野の「エヴァと言う作品の向き合い方」そのものなんじゃないだろうか。「エヴァと言う作品」を作った事により、他人を虚構へ誘った罪の意識から同時に、「ニアサーも悪い事ばかりじゃなかった」という言葉は自己への客観視と許しにも思える。ニアサーが起きた後の世界は、エヴァのテレビシリーズが出てからの彼から見えた世界。自分が引き起こした破片があちらこちらに浮かぶ。シンゴジラと言う作品は彼にとって第三村のようなものだったのではないか。
おそらく新劇の時から欝の兆候があったんだろう。周囲に「エヴァを作るな」と言われたことは、そのまま脚本へ落とし込まれていると思う。それでも乗り、精神を壊し、作品を狂わせてしまった。
その作品の中で、異色の存在が出てくる。エヴァを難なく乗りこなし、明るく自分に接してくれた存在。これって妻である「安野モヨコ」そのものなんじゃないかと。いろいろな「エヴァ」つまり「作品」を吸収し、精神も病まず自由に乗りこなす彼女。友達に紹介されたそうなので、パラシュートで降りてきたような物だろう。今まで他人に拒否される事に恐れていた庵野にとっての救済だったのではないか。
庵野にとっての「人類補完」へのあこがれはこの結婚によって無くなったんじゃないかと思う。この時点で多分、「妻にもう一度会いたいゲンドウ」にしか感情移入できなくなってる。
世界を変えてしまった庵野にとって、ニアサーの後の世界は、新劇を作り始めた時の世界そのモノだったんだろう。やっぱり彼は止められても新劇を作り、自分を傷つけた。そしてギリギリ自殺しそうになったのをニアサーで表現したんじゃないか。自分を、他人を変えたいと思い始めた創作、エヴァ化しそこなった首の無い人はファンたちの事だろう。
ミサト率いるヴィレは自殺を止める自分の理性であり、シンエヴァの幻想的な戦いは彼の心象風景そのものだったんじゃないか。
・エヴァの居ない世界は、そのまま庵野にとって「エヴァを作る必要のない世界」の事
作中の突如現れる空白の14年は、庵野にとってエヴァを作らなかった数年の事だろう。当時の声優も、アニメーターもファンも大人になってしまった。
第三村で、嘗て殴ってきた友達も、カメラ片手にちょこまかしてたアホガキも、かたや医者になり子供を作り、かたや一人で生き抜く一人前の男になっていた。
色に乱れてた赤城リツコも「煩悩」を髪の毛と一緒に切り、ミサトは母になった。その中で、エヴァを作り続けて悩んで苦しんでる庵野は自分自身を「何も変わってない少年」だと思っただろう。
庵野にとってそんな自分に優しく手を差し伸べる周囲の人間は、なお一層コンプレックスを掻きたてたに違いない。しかし一方で、「エヴァで皆を助けただけでも偉い」という自己肯定の言葉もちらほらみられる。
シンゴジラも成功したし、安野モヨコの夫婦漫画でありのままの自分を受け入れてもらえるし、庵野は社会的地位を手に入れて金もある。尊敬もある。
彼は自分自身を知ってもらうために「エヴァ」を作る必要などないのだ。エヴァに乗る必要なんかない。エヴァを作らなくても、エヴァに乗らなくても自分を認めてくれる人が沢山いるから。
もう他人の血も、友達を殴った手の感触も、やけどする程の熱さも、自慰で流した精子も、彼の右手には必要ない。だってもう彼の右手には握ってくれるもう一つの手があるのだから。
・雑感
無責任。これに尽きる。最近の監督は無責任だ。新宿を綺麗に描くのが得意な監督は、今まで自分が作ってきた、願った世界を子供に押し付けて「大丈夫だ」なんて言わせるし
庵野秀明は勝手に悩んで、勝手に大人になって、ずっと自分しか見えていない癖に、子供のままの俺たちを置いて去ってしまった。
世の中にはな、世界を作れなかった人間、人を気にして何も動けず下敷きになってしまった人、大人になれない髭の生えた子供たちが沢山いるんだ
そういう人に寄り添ってくれる作品を作ってくれる人はおらんのかね。若者に厳しい世の中になってしまった。
とりあえず↓コピペして送ってるんだけど
・よりそいホットライン(電話相談)https://www.since2011.net/yorisoi/
・生きづらびっと(SNS 相談)https://yorisoi-chat.jp/
・厚生労働省 相談先一覧 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html
・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php
これがちょっと分からん。血栓ができやすい層は特定されてるんだから、それに引っかからない奴ならいつ来るか分からんより優れた奴よりは先に打つべきだろうに。
J&JもAZも、他所が手を出さないのをダボハゼみたいに食らいついてとりあえず撃って回って運悪く死んだらアキラメロン、という方向にしたほうが、ワクチン打ちましたので経済全面再開しますね、には効きそうなのにな。
ファイザーが当初の予定を消化できなくて供給が追い付かず、EUがファイザーに対してキレ散らかしてる位だし
それでEUが輸出規制かけてるから、日本にも入ってこなくなりそうになってんのよね
とりあえず、高齢者に使う分の3600万回分は確保して6月末までに入れる様だけど、残りの3億回分は
年内に入ってくるかどうかは、EU次第になってしまってる。基本合意して、一部は正式に契約も結んでるのにね。
国内で生産する為に、武田製薬などに300億円も投資してんのに、製薬会社も成果あげらんないし割と手詰まりではある。
とは言え、AZのワクチンなんて自殺願望でもなければ打ちたくない。
韓国で死者出しまくってて、ワクチン接種しはじめてからコロナ死者数よりもワクチン接種で死ぬ人の方が多いくらい。
スプートニクや、シノファームのワクチンは仕組み的に劣るし、mRNAワクチンが打てないのならば、俺は打ちたくない。
そういったものが現れたのは18歳の頃。それまではツライ、逃げたいと思っても現実逃避できる何かしらを持っていた。しかし、いつの間にか、現実逃避できる何かしらを失ってしまい、現実から物理的に逃避する行動、つまり自殺願望が生まれるようになった。
それ以来、どうにか紛らわせたり、たまに完全消失させたり、ぶり返したり、弱まったり強まったりと、波のようにこの気持ちを避けながら暮らしてきた。
それがどうしたものか。今、この気持ちは常に張りついている。胃の内側に、心臓の内壁に、べったりと。粘性が強く、擦っても擦っても消えない、まるでタールのよう。少しずつ少しずつ溜まり、呼吸すら苦しさを感じてしまう。
どこで拾ってきてしまったんだろう。四六時中まとわりついているわけじゃないはずなのに、気持ちが緩んだ瞬間、べったりと、来る。
何かで洗浄できたらいいのに。まっさらな、生死なんて他人事と思える場所に行けたらいいのに。そう思いながらも、図々しく生きている自分を嫌らしいと思う。ただそれだけの話。