はてなキーワード: 自殺願望とは
いちばん古い記憶は幼稚園の頃。親に怒られ、私がいなければ大切な人たちを悲しませずに済むのだと思った。
中学生の頃、自殺未遂をした。睡眠導入剤だと思って大量に飲んだそれは鎮痛剤だったらしく、生還した。
高校生の頃、勉強も人間関係も上手くいかず、大して好きでもないパートナーを取っ替え引っ替えした。
専門学生の頃、周りのレベルが大幅に下がり、勉強やバイトが上手くいくようになった。本気で好きな人ができた。
感染症が流行した。会社は傾き、無職になった。好きな人はずっと優しかった。
家族に愛されてる自覚がある。親にも、パートナーにも大切にされている。金銭的には余裕はないものの、今のところ困窮しているとも言えない。恵まれていると思う。幸せなのだと思う。多少なりとも感じている。
ただ、私は私が許せない。努力が足りない。気力が足りない。何もかもが下手くそだ。こうやって自分を責め続けているところがなによりも無駄だ。
1秒でも早く私という存在が消えて欲しい。
幸せになれよ、
よく自殺者は自分と云う人間を殺した者なのだから殺人者と変わらないと言われますが、何故、他人の事を傷つける訳でもなく自分の命を終わらす事なのに罪が生まれるのでしょうか?神様は言いました、右頬を打たれたら左頬も差し出しなさいと、でも私達は人間ですから、ましてやこのギスギスとした人間社会で何かを差し出す事が出来る人間は、誰かに利用されてしまい無残な結末になる事が常なのですから、利用されたくないと思うのが普通でしょう。だけど人に対する優しさは忘れたくないから、でも自分自身と云う存在を都合よく扱われたくないから、生きていく事に悩んだ末に死のうとするのに、自死してしまった魂は天には登らずに地の底に沈んでしまうと云うのはとても悲しく感じてしまうのです。生きている限り誰かの事を思いながら生きなければ、いつか一人になってしまった時に誰もが軽蔑してくるのでしょう。「あいつは自分の調子が良い時には人の顔色ばかり見て得する事ばっかり考えてきた。それなのにいざ落ちぶれだした途端、人の前で被害者面するふざけた奴だ」と思われてしまうのでしょう。だからこそ、成功も失敗も捨てた先にある自殺に辿り着きたいのに神様は許してくれません。人の否定的な言葉に囚われて居るから今も死のうとしないのではありません。ただ怖いのです、死んだ先に有るのが天か地か、或いは無なのか、そこが常用な点であり一番の悩みどころなのです。死ぬ事にしか救いを見出だせない精神状態なら何も気にせずに死ねるのでしょうが、死んだ先の事を考えられる精神状態の今は無駄な事に頭を回してしまいます。まぁ今の世の中は、自殺以外にもコロナで感染死と云うものができましたから、こんな悩みを持ち合わせている意味もあんまり無いのかもしれませんね。コロナが社会に大きな亀裂を入れるたびに人の死ぬ理由が増えるかもしれないと考えると勉強になります。ただ、人の不幸せを願いたい訳でもないので、自殺がやり方次第では人を傷つけない唯一の死に方だと信じて死ねたらいいなと思います。まぁいつか死ぬもんだと思えるようになれば、こんな日常は大した事ないエピローグでしかないの無いでしょうね。
が好きだ。
厳密に言うと、自殺願望(というよりは自己嫌悪か)が屈折して自己犠牲的に『ヒーロー』に“なりたいと思う”系主人公。なるかどうかは重要ではない。
映画漫画小説フィクションノンフィクションなんでもいい。主人公じゃなくてもいい。
って、このタイトルで注意書きに挙げた時点でネタバレは終わっているようなものなのだが。
わたしがこのテのキャラクターにはまった最初が、『コードギアス』の「枢木スザク」だ。
で、最近、タイトルに該当するようなキャラクターに出くわした。
彼の独白で「誰かのために命をかけてみたい」という台詞の裏に「かっこよく死にたい」とあった。
もう正直に言って、「いつ面白くなるのだろう……?」と思いながら、佐々木はいせになる前の数巻を読んでいたんだが、この台詞で「あ〜読み進めてみてよかった〜」と思ったり、枢木スザクのことを思い出したり、あ、わたしはこういうキャラクターが好きなんだなと思ったりした。
タイトルのようなキャラクターを見つけたくて、「自殺願望 自己犠牲」とかいろいろぐぐったりもしたんだが、これがなかなか見つからない。
堺雅人がトリガーのアニメの声優をしたときのインタビューがヒットして、『プロメア』は観てみようかと思った。
わたしは中学生の頃に家庭環境のストレスから拒食症と強迫性障害を発症し、何度も精神科への入退院を繰り返してきました。幼少期からの虚弱体質に加えて、精神的にも不安定で弱い人間です。高校は通信制、大学は行っておらず、今は姉の仕事の手伝いで細々と暮らしています。
このような弱者女性当事者として、いわゆるメンヘラを狙う男性の殆どは、支配欲や性欲から近づいているというのは、事実だと思います。信じられないのならば、弱者女性という設定でTwitterアカウントを作ってみて頂ければわかると思います。ヤリモクの男性のアカウントからDMが届きますし、他の弱者女性なマッチングアプリで出会った彼氏にDVされて悲しくてODした、のようなツイートをしょっちゅうしているのを目にできます。
ただ、メンヘラと気づかずに近づいた男性の中には、情に駆られて「理解ある彼くん」になることもあります。相当重度でない限り、女性の場合見た目から障害がわかりにくいです。また、レアケースですが人間とは不思議なもので、交際中はメンヘラ女を虐げ浮気三昧だった男性も、デキ婚を期にすっかり付き物が落ち「理解ある彼くん」になることもあります。
ただ、これらは全て運が良かったケースです。運が悪ければ、、、最悪の場合、自殺願望のある女性をTwitterで探して殺したような男性の被害者になります。自殺オフでの強姦が多いのはご存知でしょうか?悪い人間はいつも弱みにつけこみ搾取しようとするものです。
わたしの知る限り、「理解ある彼くん」のいる弱者女性は圧倒的少数派です。そもそも身近な人の精神疾患に理解を示せる人自体が、体感2割程度ですし、初めから障害者とわかって付き合おうとする人は少ないです。傷のあるりんごと、ないりんご、どちらもあるなら後者を選ぶのが人間です。
「障害者の女だから」という理由で近づく人は、絶対とは言えませんが、何か心に歪みのある場合が殆どです。俗に言うイネイブラーもいますし、コントロールしやすい女性を好む男性もいます。そのような男性の存在が、弱者女性にとって良い影響を与える事もありますが、悪い影響を与えることも多いです。精神障害を持つ人間にとって、対人関係のトラブルは病気にダイレクトに深刻な被害を及ぼします。これは断言できますが、そのような悪影響はほぼ100%、自殺・自傷・再発・悪化に繋がります。弱者にとって、恋愛のリスクはとても大きいです。
リスクを乗り越え、宝くじに当たり、「理解ある彼くん」を手に入れた女性の未来も、必ずしも明るいものではありません。恋は一過性のものです。恋の盲目の効果は次第に切れていきます。次第に「理解ある彼くん」は疲弊していきます。そうして弱者女性は振られることも多いですし、付き合い続けたとしても、共倒れしてしまうことも多いです。初めは皆、理解を示そうとするものですが、それが続く事はとても少ないです。恋人は精神障害を治す魔法の薬ではありません。
「理解のある彼くん」の話をしていた人が、後になって別れている事はよくあります。さらに、いわゆるメンヘラのわたしたちは、恋人ができた時、過剰に美化し、熱烈に愛し、依存してしまうことが多いです。優しい普通の人が、初めに示すほんの少しの努力を針小棒大に話すこともあります。それは、家族や周囲から優しくされた経験が少なく、まいがあってしまうためです。見栄の嘘ではありません。
障害者が、理解のある恋人を得てサポートを受け続けるのが難しい事はわかってもらえたと思います。ですが、逆に交際後、結婚後精神疾患を持つようになった女性はそこそこいるようです。しかし、彼女らはもともとは強者です。鬱などになる前までは、学歴やキャリアを普通に積んできた人間です。そういう意味で、わたしのような弱者よりはずっと上の存在だと思います。学校や就職に耐えられる程度の健康さは待ち合わせていた側なのです。
最後にわたしの話をします。わたしは摂食障害を抱えていたため、脱ぐと皮膚がかなり弛んでいます。肌も以前よりはマシですが年齢+7歳は老けて見えます。長年の不摂生がたたって、ホルモンバランスも崩れていますし、体つきも直線的で女性らしくありません。また、極度の虚弱体質とメニエール病のため、性行為は失神すると思います。こんなわたしも20代前半の頃に、2人とのお付き合いの経験があります。あまりいい思い出ではありません。1人目は10も年上で、支配欲の強い人でした。2人目は、いいところも悪いところもある普通の人でしたが、わたしの身勝手な態度で振り回し、疲弊させてしまいました。結果、彼のキャリアに穴けさせ、お互いにとって最悪な関係で終わりを迎えました。恋人ができる事自体、男性の弱者にとっては羨ましい事なのかもしれません。ですが、私にとっては羨ましがられるような幸せな経験ではありませんでした。
わたしは、件のブコメを差別や侮辱だとは思いません。端的な事実であるからです。むしろ、そのようなリスクを隠し、「あなたにも理解のある彼くんが出来るはず」「彼氏を作れば治るんだから」と弱者女性の背中を押すことのほうが残酷だと思います。
献身することも、献身されることも難しいことです。犠牲が伴います。だから、国からは嫌がられることかもしれませんが、公助に頼って欲しいです。長くなりましたが、わたしの言いたい事は以上です。
地方国立大の理系修士1年、周りは就活準備を着々としているというのに、自分は2年ほど前から始まった摂食障害や希死念慮と毎日格闘するだけで疲弊している。
去年の3月、卒論提出の頃は本当に自殺願望が強く、何度もベランダに足をかけた。
それでも2020年はなんとか生き延びた。
前から知っていた同い年のジャニーズJr.の子を好きになった。私の知っていた彼はシャカリキシンメのニコニコ笑顔のかわいいちびっこだったが、22歳になった彼はかわいい笑顔はそのままにかっこよく成長していた。彼は、ユニットにも所属しJr.の中でもかなりいい立ち位置にいるから、供給も多い。久々にするジャニオタはやっぱり楽しくて、久々に毎日に色がついたようだった。
でも摂食障害や鬱は、そんなすぐに治るものでもなく、むしろ過食嘔吐に無駄なお金を使ってしまうことや、鬱がひどくて情報が全くチェックできなくなったりすることへのストレスは増えた。
今の私は、現場に行きたい、現場さえ無ければ死んで楽になれるのに、の相反する感情をいったりきたりしている。
去年、散々自殺未遂をして感じたのは、死のうとして死ねないのは、生きるよりもつらいということだった。なのでどうせ完遂できないなら死のうという気を起こしたくない。
だから気分の安定してるときに、推しのJr.くんのデビューを見届けたいと色んなところで言うようにしている。自分の見栄っ張りな性格を利用した、自殺を実行しないための保険みたいなものかな。絶対デビューしようね。そうしたら私もきっと幸せになれる。
よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。
自分は「もし自分が明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。
だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない。交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル(事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係のトラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれた自分であっても決して遠い状況ではないのだ。
こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分が死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。
最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校を卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそのプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときにプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。
他にも、人との出会いを一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかったか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。
(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分が遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)
まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれる場合がほとんどだ。もちろん、自分のことを必要な存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。
先ほども述べたように、死はいつだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。
ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない
その原因は、生活している中での自己(内面・心情)との乖離である
私はかなり暗い人間であるが、接客業をしている(暗い人間が接客をしてはいけないということではない)
そのため、暗いなあと客に思わせない程度の接客をしているが、仕事中のほとんどは自分は死ぬべきだとか陰鬱なことを考えている
明るい接客と暗い自己の間に激しい乖離が生まれ、ここを意識してしまうと日常がすごく苦しくなる
友人と飲み会で話している時、美容室で美容師さんと話している時、家族団欒を過ごしている時など、
様々な場面で違和感や苦しさを感じていて、その正体にやっと気がついた
この乖離を減らしていくことによって、生きづらさや死にたい気持ちが減るかもしれない、確証はないけど
まあ私は今すぐ接客をやめるべきだろう
姉は鬱で会社辞めて実家に戻り、今はスーパーマーケットでバイトしながら介護職に転職するために色々やっている。
過眠症で体調不良もひどく、成人してとっくにたっているが、よく子供みたいに泣いている。あと子供みたいに人形に話しかけている。頼りの実家は母親と、俺達が大学卒業してから再婚した義父という微妙な居心地の悪さ+早く自立しろとハッパをかけるタイプの母親なので相性も悪い。かと言って寮住まいの俺に姉を引き取ることはできないし、薄給ゆえに支援することもできない俺が親を責めることはできない
その姉の自殺願望がすごい。二言目には死にたいと言ってる。最低賃金で働いて生きてる価値ある?とSNSに書いていたし、今日は踏切行ってきたけど帰ってきたとか書いてもいる。そのうち本当に死ぬかもしれん。いや踏切は損害賠償がやばいからやめてとかそういうことを考えるおれがいる
核抑止は、自国が打ったら相手国からも打ち返されて共倒れで文明崩壊するから、戦争が起きないって理論じゃん。
首都や主要都市が核攻撃されて、火の海に包まれるのは割に合わない、だから戦争が起きない。
自由主義国だったら、選挙で選んでくれた国民を不幸にしてしまうし、独裁者や専制君主であったとしても、自国が火の海になればものすごいダメージを受けて失脚する可能性が高い。
でも、個人で核兵器を持ててしまうと、このバランスの外にでちゃうじゃん。
ぶっちゃけ、自国や外国の知らない都市が火に包まれても知ったことじゃないわけじゃん。
報復で特殊部隊か何かに乗り込まれて殺されるかもしれんが、自殺願望の持ち主なら知るかよそんな事といえてしまう。
これはあまりにリスクの方が大きいから、個人では核兵器などの大量破壊兵器は持てない方が社会を守る上で合理的だと判断しているのだと思う。
今回の新型コロナによる不況は、下記の記事のように、元々サービス業・非正規雇用者が多い女性へのダメージが大きいそうだ。独り身を嘆いている男性諸君は今婚活を始めれば有利な結婚ができるのではないかな?
https://www.bloomberg.co.jp/news/videos/2020-10-19/QIFGL2DWRGG701
先月の自殺者 去年より40%増加 女性が大幅増 コロナの影響も 新型コロナウイルス NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201110/k10012704501000.html
こんなことを思いついた理由は、私自身も、妻と結婚したきっかけが彼女の新卒就職の時期とリーマン・ショックの不況が不幸にも重なったことがきっかけだったからだ。
当時の私はエンタメ業界の裏方(機材やハコの手配や経理・総務的な事務全般)、彼女はエンタメ業界を目指す専門学校生だった。
元から裏方希望だったわけじゃないし、なれるなら華々しいプロデューサー職をやりたかったけど、「○大卒なら数字強いでしょ? 書類仕事できるよね?」と押し付けられてこなしているうちに裏方が板に付いてそろそろ10年という状況。
妻との出会いは、知人が妻の通う専門学校の講師で「生徒たちに、業界に入ったらこういう裏方さんにもお世話になるんだ、ということを教えてやって欲しい」と、何度か授業に呼ばれて講義後の懇親会で就職の相談に乗ってあげたこと。
妻は勤勉で熱意のある学生で、私も何度か会って書類選考でのポートフォリオの見せ方などできる限りの助言をしたけど、就職活動の時期が悪すぎた。今回もそうだけど、世間が不況となるとエンタメ業界って真っ先に仕事も求人も削られちゃう。
専門学校を卒業して晴れてフリーターとして社会に出るハメになってしまった彼女の憔悴ぶりといったら見ちゃいられなかった。
そこから、なし崩し的に寝て付き合うことになって、バイトをしながら続けていた業界への就職活動が一向に実らない彼女が自殺願望を仄めかした日に「もうこの子は俺が守ってやるしかない」と覚悟を決めてプロポーズした。
その後、エンタメ業界に見切りを付けて他業種に転職したり、色々苦労もあったけど子供も生まれて、ありがたいことにコロナ不況に強い業種・ポジションでまあまあ幸せに暮らせている。
結婚当時の私の年齢はまだ結婚を諦めるには早かったけど、流石に学生の女の子から見たらオッサンもいいところで相手にはされないだろうという自覚はあったので、妻と結婚できたのは結果だけ見れば相当に有利なディールだったと思っている。
今のコロナ不況で苦境に陥っている女の子は多いことだろう。自分が元いたエンタメ業界で例えるなら、ウェイトレスのバイトをしながらいつかはブロードウェイのミュージカルに、みたいな夢を持って生きていた女の子にとって、バイト先のレストランではクビになるわ、夢見ていた演劇はクラスター発生装置と叩かれて当分の間自粛を強いられるわで本当にキツい状況だと思う。って、ここはニューヨークじゃねえけどさ。
もしこれ読んでる男子で、知り合いにこんな感じの飲食・小売で生計立てつつエンタメ業界を目指している女の子がいたら、これまではちょっと高目で声掛けられない美人でも、今連絡してあげたらワンチャンあるかもよ?
AEDではないが、川に飛び降り自殺した人が沈んでいく様子を見たことがある。
橋の上から5.6人が下を覗き込んでいたから、イルミネーションかな?と思って私も見てみたんだ。
スーツのおじさんが浮いたり沈んだりしてた。
近くの人が110か119に電話してる様子だった。
そこらへんにロープもハシゴもなくて、飛び込んだところで私は泳げないから無駄死にするだけだ。浮き輪になりそうなものもない。
帰宅ラッシュの時間で、オフィス街にある橋。いつの間にか人が無数に集まっていた。
おじさんが浮いてる時間はだんだん短くなっていく。私は何も出来ない。
しばらくして、おじさんは浮いてこなくなった。時間にして5分ほど。
近くにいたおばさんが「あ~あ、沈んじゃった」おじさんが沈んだ後にきたカップルは「え!なに?なにかイベント?!」「クリスマスのイルミネーションかな?」なんて話している。
私はただ、立っていた。
自転車のおじさんに何があったの?と聞かれたが、声が震えて答えられなかった。おじさんに謝られた。
いまだによく、沈んでいくおじさんが頭の中に浮かんでくる。その度に苦しくなる。
自殺願望のある私にとってはおじさんが羨ましく、そう感じてしまう私自身が悔しいからだ。
あの時、近くに交番があった。私はそれを知っていた。あそこに走り込んでいれば、という後悔が大きい。
今回、おじさんは自殺だったのでこれでよかったと思えるが、AEDはまた違うんだろう。
車無し生活をして数年経った
大きい荷物を度々運びたくて車を買った
車で県内の海とか山とかに行って気晴らしもできるといいなと思った
やっぱなんかいらない気がしてきた
荷物は運びたいんだけど
毎日乗るわけじゃないからカーシェアとかでもいいかなと思ったけど
もともと車興味なさすぎというか
むしろ嫌い
コストかかるのはもちろんだし
本当に危ないと思う
車社会なのが災いして歩行者無視して横断歩道曲がってくのとか日常
こんな中どんなに気をつけて走っても事故もらうに決まってる
本当に憂鬱になる
自転車だと夕日がきれいな時はちょっと止まって眺める事だってできる
車なんて普及させるより公共交通機関を編みの目のように充実させた方がいい
公共交通機関を今よりもっと充実させれば自ずと満員電車なんかも解消する
今まで自殺願望なかった多くの人が交通事故で死んでるわけだから
これが正しい未来への道だと思うんだけど