はてなキーワード: 度会とは
日常生活で出会いが無いので、マッチングアプリを使って何人かの女と会ってみた。たいてい一回会っただけで、そのあと何となく続けてるLINEも次第に間があいて、二回目はない。
パターンとしては、Rettyの【行ってよかった】中目黒デートに使える人気20店みたいなレストランを予約して、なんとなくお互いの仕事やら恋愛やら出身地やらの話をして、最後はデート代を払ってまたねってバイバイ。お別れしたあとは、ごちそうさま、楽しかった、またご飯行こう、のLINE。
だけど、実際にそのあとに2回目、もう一度会う=何らかの進展が期待されると考えると、そこまで思えるような人はほとんどいない。2回目があれば、3回目、4回目って想像すると、そこまで興味がわかない。
これって続ける意味あるのか?と自問しながらも、まあ、でも、他にすることもないし、しばらく続けていたら、2回目会ってみたいな、って子に出会った。
一般的な女の人って、初回会うのに、そこそこおしゃれなレストラン予約して、当然、待ち合わせに遅刻しないことを期待しているだろう。でも、その子とは予約もしてなかったし、遅刻もした。その挙句僕はスタバに行こう、と提案したのだが「コーヒー飲めない」「お腹空いてる」「あそこに見えるマイアミガーデン(チェーン店)に行こう」
イタリアンってサイゼリヤだろうがそこそこおしゃれなレストランだろうが、値段の差ほどは味の差はないってのが僕の実感ではあるけれど、最初のデートでマイアミガーデンって、その印象だけでひく女子もいると思う。というか、変に気取ってマイアミガーデンっていう提案すらないと思う。
さらに驚いたのが、そんなマイアミガーデンのパスタを全力で完食して(スープパスタのスープがなくなるほど)、その子が最後に「美味っ(ビミッ)!」って言ったんだ。そんな子は不必要なくだらない体裁とかを気にしない子なんだなって思った。
また「ビミッ!」って聞いたみたくて、今度の金曜日に2回目のデートに誘ってOKをもらった。
3回目はわからないけど。
僕はある恋をした。去年の1月の末頃の話だ。
相手はマッチングアプリで知り合ったカザフスタンから来た女性だった。
初めて会った時はラーメン屋に連れて行った。来日したての彼女は自分で勉強したという拙い日本語を使って、自分のことや、カザフスタンのことを頑張って話していた。
ただ純粋に1人の女性として魅力的だった。彼女は日本の大学の大学院に進学することを目的に来日して、日本語学校に通っていた。カザフスタンの日本企業で働いていた彼女は、日本での進学に向けて頑張っていた。そんな彼女に、僕は恋をした。
彼女の友達と3人で東京ドームシティで遊んだ。寮を出て先の友達と住む家を探す、という時には通訳、というと聞こえはいいけどどちらかというと家に関する説明を日本語でする、ということもした。
彼女のことが毎日頭に浮かんでいた。2歳年上の彼女に大人に見られたくて、彼女が好きなタバコをもらってふかしてはむせたりもした。
最後に会ったのは、だいぶ前になる。スカイツリーかすみだ水族館に行こう、と話していたが、まだバイトをそんなにしてない彼女にはどっちも値段が高くて、ソフトクリームを食べることになった。その後彼女は具合が悪くなって、すぐに帰ってしまった。
それ以来、彼女からは連絡がなかった。僕はてっきり、何か失礼なことをして、嫌われてしまったのだと思っていた。何度かメッセージを送ったけど、一向に既読がつかないから、それこそブロックされてしまったのだと思っていた。
それからの僕は、普通に暮らしていた。勉強、バイト、趣味。全部、それなりにやって。9月には彼女もできた。今も付き合っている。彼女と恋に落ちた、それだけだった。もちろん、付き合う前、恋に落ちる前に、一瞬カザフスタンから来た女性、好きだった人のことが頭によぎった。でも、嫌われてしまったのだとしたら、どうしようもない。そう思って諦めた。
それからは、あまりその人のことを考えることはなかった。第一、彼女がいるわけだし、考えるタイミングもなかった。
そうして、半年弱が過ぎた今日、突然その人から連絡が来た。その人は、昔と変わらない感じで、連絡をしてきた。僕はびっくりして、てっきり何か家に関して問題が起こってしまったのかと思った。でも、違った。
その人は、僕と連絡が途切れた頃、東京ドームシティで遊んだ友達と仲が悪くなってしまい、引っ越しをしたことや、それこそ大学院について色々調べることで忙しかったのだという。
僕は、ああ、嫌われた訳じゃなかったんだな、と思った。とりあえず、久々に近況報告を兼ねて通話をすることにした。
そこでその人は、1年間の日本語学校で学ぶ留学ビザが切れるので、カザフスタンに帰るのだと語ってくれた。そこでお世話になった人、日本で会った人に連絡を取っているのだという。
大学院の試験は落ちてしまったらしい。でも、その大学院の教授と話すことができ、「日本での就職にはその分野の修士課程を修了したことがあまり役に立たないこと」「もし研究職に就きたいのなら、入るのも一つの道だということ」を教わったらしい。
そして、彼女は帰ることを決めた。僕が日本で就職するのはどうかと訊ねると、試験が終わってからではもう遅く、前に就職活動した時には日本語能力試験のグレードN2をまだ取っていなかったので、就職もできなかったのだと教えてくれた。
僕は、どうしようもない寂しさを感じた。好きだった、というだけであり、今恋心を抱いているわけではないのに、ただ、寂しかった。
彼女はこうとも言った。せっかく日本語を1年頑張って勉強したけど、帰ってしまったら忘れてしまうだろう。少し、もったいなく思う、と。
何故だか、落ち込んでいる自分がいる。ただただ、寂しさを感じている自分がいる。これが何の寂しさなのかはわからないが、とても孤独感に苛まれている。
実を言うと、僕はその人に好きだと言ったことがある。しかし、彼女は日本に来る時に、カザフスタンでの彼氏と別れたばかりで付き合う気にはなれない、と言って断られた。
きっと彼女は、特に覚えてないだろう。ただ、それでも、僕はしっかりと覚えていた。
彼女が彼女なりに考えた結果が、カザフスタンに帰るということなのだろう。僕は彼女の何でもないし、止める権利もないだろう。
でも、何故だろうか。いざそう告げられると、まるで自分が1人になってしまうような感覚になってしまう。
これが恋でないことは確信できる。何故なら、前とは全く違った気持ちでその人のことを考えているからだ。それでも、不思議なもので、やはり寂しさを感じてしまう。それこそ、もったいないなぁと思う気持ちや、残念だなぁといった気持ちが大きいが、それでない「寂しい」という気持ちが湧いて出て来るのである。
僕は、彼女が帰る前に一度会ってみようと思う。どうなるかはわからないけど、それが僕の、僕がどうするか、ということの道標になる気がするからだ。
「知らないで親切にした」ってまるで損したみたいに言ってるけど、初対面の人に親切にするの別に得するためじゃないだろ。
「「あの人いつもそんな感じだよ」と言われた。先に言ってほしい。」そうやって人の悪口を先行させるんですね。わかります。女が損しないためだもの、悪口は必要悪。
「会社の飲み会のあとの二次会で、自分が転職を考えているということを相談」これも自分さえよければ感が隠せない。
「バイト先の非モテ正社員」「基本人畜無害だったので特に女の子バイトが露骨に避けてたわけじゃない」見下し感がハンパないですな。自分の好きなモノ以外は、無害ならば存在していてもギリギリ許す。キモいけど表面上避けてないんだから、すごく譲歩してやってるよね。
「結婚を意識している彼がいるというので一度会わせてもらった」これは値踏みのために、元増田がリクエストしたんだよね。幼馴染は生涯のライバル。マウンティング合戦で寝首を掻かれるわけにはいきません。
「子供の時から親類のイベントで顔を会わせててそれなりかわいがってもらっていたオッサン」これだけは増田がかわいそう。てか、こういう人間関係構築法が増田に遺伝してると思う。
「実は痴漢擁護派だった自分の父親」高校生で痴漢にあって泣いて帰ってきた日に、ヨシヨシと慰めてくれたんだろ。まともじゃん。社会人になってからのは、被害当日じゃなくて後日帰省した時。最初は大変だったねとか相槌を打っても、長時間になればウザくなってくる。周囲の反応を気にせず気分よく演説してたから、「いきなり「お前にも責任がある」と言われた」って感じるんだよ。
「女を心の底では憎みきっている底意地の悪い男」を引き寄せてる、てか、そう仕向けてるのは増田のような気がする。増田のほうこそ、目印をつけておいてほしい。私はお近づきになりたくない。
よく「そんなクズ男を選んで付き合った(結婚した)お前が悪い」的な批判をされるを見るけど、実際こじらせた男を見抜くのって難しいと思う。
私自身も知らないで親切にした男から突然豹変されたことが何度かあるし、そうした愚痴をこぼすと「自己責任」と批判する人が一定数いる。
個人的な経験として今思い出せるものだけを挙げるとこんな感じ。
猫好きで一人暮らしのアパートでメス猫を飼っていた。宅飲みで何度か他の人と一緒に行ったとき、ニコニコと猫を抱いていた姿が印象的だった。
卒業後数年した時に同じサークルにいた女の子が結婚報告をして、妊娠したから会社を最近休職したと報告をしたら豹変。
「暇で暇で仕方ないでしょ」
その他色々と専業主婦下げ発言を連発して汚い酒の飲み方をしていた。その場に参加した女の同窓生はもうその先輩とは会ってない。
地元に帰省した時に親から数合わせで来てほしいと言われた合コン(婚活?)イベントで隣になった男。
最初は「何の仕事してんの?」「そのアクセサリーって(某ブランド名)のだよね」などとこっちに興味があるかのように話しかけてきた。
素直に答えていたら突然豹変して「どうせ男に買ってもらったやつでしょ」「大学出てそんな仕事ってみじめだね」「男に貢がせるためにここに来たんでしょ」とか一方的に言い出した。
すぐに席を変わってもらったけど、あとからその人を知ってる地元の友人に「あの人いつもそんな感じだよ」と言われた。先に言ってほしい。てか、女下げたいのになんで合コンイベントに来るのかわからない。
職場の先輩で、40代だったが若い見た目をしていてそこそこ女にもてる(自己申告)の人。
仕事は真面目だし教え方もうまかったので職場では尊敬をしていた。
会社の飲み会のあとの二次会で、自分が転職を考えているということを相談したときに豹変。
「女はすぐに仕事が見つかっていいな」「面接担当の人(男)に胸とか見せればすぐに採用されるんじゃない?」「女はそうして気軽に職を変えられていいよな」というようなことを言い出した。
そういうことを言う人と思っていなかったので何を言っているのか最初理解できないほどだった。
学生時代にお店でバイトしてたときに新卒で配属された正社員の男。
仕事では正社員2人が交代で、バイトは全員で10人くらいが4~5人ずつシフトに入る感じ。
年齢が近いこともあって最初はバイト同士の話によくその正社員も加わってはいたけど、なんか陰気で話してて少し浮くなって感じがしてた。
でも基本人畜無害だったので特に女の子バイトが露骨に避けてたわけじゃない。
バイトの中で可愛い目の女の子が別の男性バイトと付き合い始めたらしいことが噂になり始めたときに豹変。
「あいつらできてんだぜ」「これから彼氏んちでやりまくるんだろうな」「バイトに男作りに来てるとか、下品だな」とか、汚い言い方で女の子を下げまくってた。
特に「突っ込まれてる」とか「くわえたのかな」とかシモ系の言葉遣いがすごく汚かった。
幼馴染の女の子が結婚を意識している彼がいるというので一度会わせてもらった。
三人で一緒に食事をしてそれなり楽しく会話をしていたんだけど、友人が席を外したら突然豹変した。
「女同士で紹介とか意味がわからない」「今日もしかたなく来た」「こうやって値踏みされるのは正直不愉快」「さっさと帰りたい」とかうわ、裏表あるわこの人と思うような発言をする。
その後私と幼馴染が会う約束をしていたりすると突然ドタキャンされることが続いて、あとから理由を聞いたら「彼がどうしても行くなって言うから」というようなことを言われた。
事情は深く聞かなかったが、その後その人と幼馴染は結婚しなかった。
子供の時から親類のイベントで顔を会わせててそれなりかわいがってもらっていたオッサン。
中学生くらいになったときから「大人になったね。もうすぐ嫁入りか?」とかやたら結婚結婚みたいなこと言われてたけど、特にその時は気にしてなかった。
それが20歳を過ぎたあたりから「早く嫁に行かないと嫁き遅れるぞ」「若いうちに男を捕まえておかないと後悔するぞ」という言動が増えていく。
最近では「仕事が可愛くないから男が捕まらない」「男に愛されてないと女は干からびる」「男のいない人生は寂しい」とか言われるので極力顔をあわせないようにしている。
一番ショックだったのがこれ。
高校生くらいの時に初めて痴漢にあって、パニックになって泣いていた時にはそれなりに怒ってくれていると思っていた。
しかし社会人になって痴漢にあって、その時には気も強くなっていたので痴漢は最低だというようなことを実家に帰った時にこぼしていたらいきなり「お前にも責任がある」と言われた。
男はそういう生き物だから仕方ない、お前が注意すれば防げる、高校生の時は世の中を知らないので仕方ないがお前はもう社会人なんだから自衛できないのはおかしいという話しだった。
それと「いい年して痴漢にあったとか言うと周りがおかしな目で見るから黙ってろ」とまで言われた。もうね。
一見人当たりがよくて親切そうな男が突然豹変することがよくあるので、正直女を心の底では憎みきっている底意地の悪い男を見抜くのはかなり厳しい気がしている。
元増田です。ついき。
お父さんは昔から人の嫌がることばかり言って、嫌味を言われて嫌がる人を見て喜ぶような父親で、私は彼のことを、おとうさんという役割を求めないことでなんとか仲良くやってて、それぐらい、人として本当に嫌な人なんだ。妖怪みたいで、人の話をまったく聞かない。お父さんは、学生時代の先輩以外とは付き合いがほぼない。それも数年に一度会うぐらい。兄弟仲もよくない。遺産問題での兄弟間のやりとりめっちゃ怖かったし、叔母はお母さんのこといじめるし、私も父方の親戚はみんな苦手。心がない。
年齢の価値観的に、病院に連れて行くのも無理だと思うし、そもそも、なにかあっても絶対に病院にはいかないひとだ。趣味はもうなくしてしまった。昔は海が好きだったけど、今は体力もなくなっていかなくなってしまった。人の嫌がることを言うのが好き。自分にいつも絶望してる。食べてばかりで、一切動かない。食べるのは好きだけど野菜は食べないな。ブラックホールみたいに、絶望しかないひとだよ。
私はそんなに情はないけど、母親や弟は一緒に住んでるし、情はかなりある。心の病気とかいっても、「そこまでじゃない」「昔からあんなんだし」って言ってあんまり聞いてもらえない。
いまは、みんなの意見でどれが自分に合ってるのか、ぜんぜんわからないや。いま、まだ気持ちが乱れてる最中だから、落ち着いたらまた見直すね。ありがとう。
高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。
しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学も学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子に家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかないかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビングで数学の課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。
その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。
そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。
そしてその人が通っていた難関大学に志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死に勉強した。
次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部の院生で(院生だから学部はおかしいか)俺は文系の比較的偏差値が低い方だ。
それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったから約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメールで告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションのエントランスで話して、付き合うことになった。
それから、彼女が卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼントも背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。
冬が過ぎ、また春がきて、彼女は就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。
学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。
それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。
箱根に泊まりで旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。
本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。
それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位を結構取り落としていた。それからまた大学→バイト→ゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。
就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女が就職した会社のブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。
そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばい。そもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手がいるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。
電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。
突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。
現在都内近くの団地に住んでる独身のアラフォーです。最近自己破産した、貯蓄はありません。離婚歴あり、面会交流で月一度会う子供が一人います。年収は600万くらいです。月7万円程養育費を払ってます。
このまま団地(月10万)に住んでいたいのですが、年金暮らし(月16万くらい?)になった時に辛そうです。そのため、老後の選択肢を考えておきたいのですが、以下のどれが妥当だと思いますか?
①安い団地に引っ越す
→埼玉や神奈川で場所が悪ければ月4万程度の団地があります。この程度の値段だったら年金からも捻出できそうです。
デメリットとしては、老いが進んだ時に街から離れているため苦労しそうなこと。その地域に知り合いがいなくて寂しいこと。場所が悪すぎて子供も私に会いにきづらいであろうことです。
②中古マンション、戸建購入
55歳くらいになったら、1000万円以内の近隣の安いマンションを定年まで探し続け、出たらそれを買う。これから都内以外のマンションや戸建は暴落していくと思いますので、今ではなくギリギリを狙って買おうと思います。都内のマンションはローンできないしお金もないので買えません。
デメリットとしては①と同じで老いが進んだ時にきついであろうと言うことです。戸建で子供が一緒に住んでくれれば一番ですが離婚してるのでこの可能性はないでしょう。
いわゆるサコウジュウというやつです。食事付きで15万弱です。年金をほぼフルで使うことで生活でき、食事や孤独死の心配もなく友達もできるだろうとは思います。
一方で年金をフルで毎月使ってしまうので、子供が来た時や孫ができた時に振舞ってあげることができず可愛そうです。
退職金である個人型の401Kが定年時には1000〜2000万位にはなってると思いますが、これがなくなった途端、人生の楽しみがなくなります。ちなみに私の親はこのパターンです。私も破産して貧乏なので親は支援できてないです。たまにあってあげたり、映画に連れて行って親孝行しています。
以上です。
婚活アプリに登録してみて初めて分かったけど、女版のオレが意外と多いんだなと思った
結構な年なのにかわいい年下君と仲良しになりたいですハートとか、
プロフィールに好きなジャニーズのことをつらつらと書き連ねてそれ聞かされてどうすんだよってのとかそういうの
おれの半生もろくなもんじゃなかったけど、この人たちもかなり厳しい半生だったんだろうなって思ってしまう
今まで選ばれない側だと思ってたけど、これはパスだわ・・・って選り好みしてる自分がいる
一度会ってお互いの苦労を語り合ってみたいと思うけど容姿もスペックも彼女たちの理想とは程遠いからマッチングはしないだろうなと思う
名も知らずまじあうこともないけど君らも同じ戦友だよ、とそう思った
今度会社立てるんだが
手伝ってくれてる人達やその周囲が自分よりはるかに優秀でつらい
俺が社長でほんとにいいのか? しょぼいぞ俺、そこらの増田だぞ
(ちなみに俺の人柄で手伝ってくれてるとかではない、たまたまだ)
いや違うな
そういう「そこらの社長よりはるかに優秀な人」って世の中ちょいちょい居るよな
手伝ってくれるけど社員にはなってくれないんだよ
社員になったとしても1年だけとかだ
非常に自立して、それぞれやるべきと思うことをやってる人たち
社長ってそういう人をどう巻き込んで手伝っていただくか、みたいなところあるよな
自信ねーわ
何やってんだ俺
全員のなかで一番下が俺じゃねーか
優秀になりたい
どれだけ成功しようが優秀にはなれない
だめだ考えるのをやめよう、手を動かせ
こんなしょぼしょぼを手伝ってくれてありがとうございます靴舐めます
はぁ
__
思い出したが俺の周りはいつもそうだ
田舎の小学校の友人は京大で今教授コースに乗ったらしいし、別の友人は弁護士になった
何でだ、何であいつセンター試験1週間前から世界史始めて91点取ってんだ
俺の地理71点だぞ
皆俺の低レベルっぷりを認識していない、TOEIC350点の実力を見くびっている
無勉で600点しか取れなかったとかいう友人の話を聞くたびに顔が引きつる
英語は世界共通語かもしれないが、俺のハウスルールではそうではないから、すいません、英語覚えてる暇ないの、ジャパニーズプリーズ
帰ってオナって寝たい
最初に著者の経歴を書くと、
学部卒業後、SIerで2年弱勤務→某大学院修士課程進学(旧帝大より1ランク下)
という流れで、現在修士1年です。ストレートで来ている人とは、2年ほどの差はあります。
今回は、社会人にとっては特にイメージしにくい『大学院入試に突破するにはどうしたら良いか?』
大学院生活とか就活については、また別なタイミングで意欲が湧いたら書きます。
※MBA等の社会人向け大学院は当記事は対応していません。ご了承ください。
一般入試という手が真っ先に上がりますが、時間がとれない社会人には相性が悪いです。
しかし、社会人入試といっておきながら、通常の学部生と全く同じ受験科目の場合もあるので、
そこの確認はすべきです。
ちなみに、働き始めてから数年であれば学部時代の成績を元に推薦入試を受けるという抜け道もあるので、
募集要項を見つつ検討してみて下さい(社会人で推薦入試で入ったのは私だけでした・・・)。
推薦入試で受けると社会人で課されている小論文すらなくなる大学院もあるので、格段に入りやすくなります。
という訳で、オススメ順は
となります。推薦入試を受けれそうになかったら社会人入試で合格を目指しましょう。
ちなみに、どのレベルの大学院を受ければ良いか?という話ですが
大学院入試の倍率で見て1倍を下回っていれば、合格基準に達していれば全入ですので
目安としては中堅国立・MARCH以下は全入のところが多いです。
しかし、心理学系etcの大学院はネームバリューによらず倍率が高いので、
倍率はちゃんと確認した方が良いです。
それらよりネームバリューで上の大学は、ペーパー試験を考慮する必要があり、
先ほど述べたように、大学院入試はかなり門戸が広いので社会人経験を持ち合わせていれば
ただし、より注意すべきことは、『受け入れ先の研究室に枠が存在するか?』という
問題です。受け入れ先の指導教官(=教授)にOKを貰えないと、いくらペーパーで点数がとれても、
試験的に大丈夫そうな専攻×自分の興味のある研究室という2つの視点で調べ、
大学に願書を提出する数カ月前に、受け入れ先の指導教官に一度会えないかアポイントをとるべきです。
何故直接会うことを薦めるかというと、受け入れ先の指導教官に直接会った時に
入試に合格するためにするべきこと(ペーパー含め)も教えてもらえるからです。
ですが、入学してから思うのは、本当に研究が好きでないと大学院生にはならない方が良いです。
学歴目当てで受験すると、貴重な2年間を棒に振るのでオススメしません。
私が入学してから思っていることとしては、学部時代よりも勉強意欲の高い方が多く設備が整っているという点で、
2018/01/18 追記
遅くなりましたが、励ましのコメントありがとうございます。頑張ります。
友人のとても曖昧な記憶。具体的なストーリーはまったく覚えていない。
「『ガンダム』じゃね?」って聞いたら、「それは絶対に違う」そうです。
話を聞くと、面白そうだから観てみたいけど、タイトルも何も覚えていないとのこと。
その場にいた何人かと考えてみたけど、誰も思い出せなかった。
「何かの本編とスピンオフを、別々の作品と勘違いしてる」というのがその場の結論。
でも本人は納得していない。
物知りの増田さん(またはブクマカさん)ならご存知ないですか?
(追記)
友人(って書いたけど本当は後輩)は30代前半女。
(追記2)
たくさんの方にコメントいただいき、ありがとうございます。
その場にいた5人とも あまり映画やアニメに詳しくないので、みなさんが「これは有名だから覚えているだろう」と言っている作品かもしれません。
転職しても同じだった。
同じチームの人たちとは仕事という共通の話題があるから仲良くはなれるが、他のチームの人たちとなると話すことがなくて途端にダメだ。もともと自分は閉鎖的な人間だし、できるだけ誰とも関わらずに穏便に毎日をやり過ごしたいと思っている。こうやって時を過ごしていくと、当然ながら会社内の人たちのパーソナルな情報から全く遮断されてしまう。
だから、例えば今日みたいに日付変更まで残業して偶然帰るタイミングが一緒になった隣の島のあの人に対して、明らかに異常な感じで一緒の帰宅を避けてしまう。だってある程度会社歴がついてきてしまって、それなのにその人のことを何も知らない、会社の人のことも何も知らない自分が、どうやってその人と帰途を過ごせるだろうか。自分が息苦しいのは勿論、相手にとっても迷惑だ。
なんでこんな人間が管理部門の仕事をしているんだろう。社交力がないから営業も無理だし。詰んでるなぁ。組織で働きたくないなぁ。
中高女子校で育ち、男子と喋る機会が一切ないまま女子9割の共学大学へ進学。大学では告白されることは1度ではなかったものの、進展せずに卒業。同級生も彼氏がいる方が少数派だったので、さほど危機感のないまま就職。
けれど就職後、会社の同期の話を聞いていると、男子の8割は彼女がいる。なんなら結婚を考えているとすら言う。まじか。しかも就職後は新しい出会いが一切ない。ぜんぜんない。このままだと結婚できる気がしない。このまま動かないと本当に何もない。そういうわけで、婚活と恋活を開始した。
街コンは行ったし相席居酒屋も行った。マッチングアプリも複数使い、昨日はアプリで知り合った人と夕御飯を食べに行った。初対面の男性と一対一でご飯を食べたのは初めてだった。
ご飯を食べながら2時間ほど話をして解散。話が途切れることはなかったし、普通にいい人だと思った。ただもう一度会うことになってもあと2時間もつ気がしないと思いつつ、普通にいい人だったし条件も悪くなったので、別れたあとに連絡をした。素っ気なかった。これは脈がないと思った。
私の何が悪かったのか考えた。豚カツを注文しかぶりついたことか。伝票を持ってくれたのに、会計のときにデカい声で会計は別々でと言ったことか。反省点を見つけ出し、次回に活かさなくてはいけない。これは回数を重ねるごとにメンタルが削られていきそうだ。そう考えたところでふと、私は、何が目的だったのだろうかと思った。
できれば結婚したいし、恋愛したい。街を歩いているカップルをみて羨ましいと思う。けれど無理して誰かと付き合えることになったとしても何の意味もないのではないか。楽しくなさそう。と思う程度には夢をみている。でも多少猫を被って取り繕わなくては誰ともどうにもなれない気がする。そもそも結婚と恋愛は違う。私はどちらに重きを置きたいのか。
私がどう考えても、人間関係は私1人でどうにかなるものではない。今回、好感を抱いたのに今後に繋がらなさそうなことが意外と堪えた。
ただ、最初は、変な薬でも盛られて殺されたらどうしようなどと考えていたけれど殺されなかったし(食事中に席を外さないようには気をつけた)、もう少し気楽に会ってもいいのかもしれないと思った。
マッチングアプリのメッセージに返信し、迷っていた食事の誘いに了承の返事を送った。
つづく。
先日、学生時代から仲良くしている後輩と久しぶりに飲むことがあった。彼女は今年の春から翻訳の会社で働いている。
飲みながらしきりに仕事への不満や将来的にやりたい事の話をしていた。
「今の仕事は面白くないが、将来的にやりたい仕事につながる業種ではあるし、今は勉強期間として経験を積んでいる...」というような内容だったと思う。
新卒で入社して数ヶ月、研修も終わったくらいの頃のあるある話として聞いていたが、ちょうど私の友人に、彼女が将来的にやりたいと言っている仕事をしている友人がいたので彼女の為になればと思い、紹介することにした。彼女も乗り気だった。
それから一ヶ月後の今日、新宿三丁目の沖縄料理店にて、彼女とその友人を交えて数人で飲んだのだが、彼女はせっかく目指している仕事をしている人と同席したのに関わらず、特に何を聞く訳でも無く、目も合わせることもほとんど無く、しまいには隣の席にいた知らないおっちゃんと話し込み、そちらの席へ行ってしまった。
もともと愛想のいいタイプではないし、人見知りするタイプなのはわかっていたが、大の大人が初対面の人にあの対応はひどい...。というかおっちゃんとはすぐ仲良くなるのか...。(彼女は椎名誠ファンなのだが、その話で盛り上がりこちらの席に戻れなくなってしまったらしい。)
友人は、「あんまり話せなかったけど役に立ったかな...。」と気を遣ってくれる始末。
友人に謝罪しつつ、彼女には、「ちゃんとお礼言っといてね」とラインしたが既読無視。
最後のラインは私の余計な行動だったかもしれないが、彼女の行動にひどくショックを受けてしまった。
確かにコミュニケーションが苦手なタイプではあるが、大学で出会って数年、常識は人並みにあると思っていた。
色々なことを考えてしまう。
友人を紹介すると言ったとき、とても乗り気なように見えたが、実は断るに断れず疎ましかったのだろうか。私は世話を焼き過ぎてしまうところがある。
それとも飲み会の際、何か彼女の気に触る事を言ってしまったのだろうか。社会人になってからは気をつけているが、不用意な発言は私の欠点だ。
それとも、それまで私が知らなかっただけで、彼女はそういったことを平気でやれてしまう人間だったということだろうか。確かに彼女は今も昔も友達が少ない。
今度会うことがあったらどうしてああなってしまったのか聞いてみたい。それも彼女にとっては疎ましいことかもしれないけれど..。
25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。
面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。
子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。
元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたものを子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手に電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なうつ状態に陥っていた気がする。マインドフルネスや仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。
一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなたは絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。
自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。
ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず、子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母に電話し事情を説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。
義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗だからこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。
離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚したかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれて子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。
離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。
それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。
一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。
俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分の人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供を言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。