はてなキーワード: 安全神話とは
選択の余地はなかったと思い込むことももちろん自由な選択の結果だよ
今の時点でも選択の余地はどこにでも潜んでいると信じている選択をしている俺と
そうは思わずに選択の余地がないと信じているそちらで選択が分岐してるじゃん
選択結果が複数存在する、選ばなかった場合の結果が存在する(実在する、ではない)ということは選択の余地があったということ
分かれ道があったということは、そこで左道を選ぼうが選ばなかろうが右道の選択を行ったということ
分かれ道に差し掛かったときに自動的に右に進むと予め決定するという選択の結果で右を自動的に進むのもそれは選択
分かれ道に差し掛かって選択した後であの時は選択の余地がなかったと理由づけできることそのものが
その分かれ道でどちらに進むのかを持てる情報と感覚を全て消費した故の結果であり
それを積み重ねた先で片方を除外してもう片方を選ぶしかない状況になったのならまさしく完全に自由なる意志的な選択行動の結果
ただそれにしても人間が現実を認識しきる能力というのはどこか欠けているのが常なので結局何かしらどこかしらに情報不測による選択の余地は付きまとう
原子力発電所を安全神話で信じていた選択は100%余地のない選択だったが現実の方は許してくれなかったわけだ
なるようになるしかないというのは生来の自分の価値観による自動行動選択に委ねるっていう選択をして思考的な労力を無くしたいという願望選択だろう
ラットでさえ経験で迷路の道を選ぶが同じ影響を与えても同じ反応を全くたどるわけではない
つまりそこでラットの個体間に思考の際が生じているということでラットは各々別の思考を持ってして選択しているわけだ、これは自由だな
なお、この実験は結果を人間が予期しているので強制させられている、という見方はそれこそ傲慢だ
実験する研究員はコンマ何秒後にラットがどのルートをたどるとか完全な予測なんてしてない
単にデータからこうなるだろうなと予測をしてこうなったらいいなくらいの感覚で行っている、研究者の大半はこうなってくれ頼むくらいで実験結果を待ってる
なお本能に基づく習性とか反射とかは個人の努力や経験からはどうしようもないことが多いのでその領域に関しては君のように自由も選択の余地もないだろうな
呼吸を止め続けるとか心臓を意識的に止めるとか無理だし自由はないだろう、
だけど顔面に物が迫ってきて目をつぶる反射的行動は訓練で抑えられたり本能的領域のものでも自動化を解除する方法はある
それを訓練しない人にとっては選択の余地がないように思えるけど格闘技や武道をやるやつにとっては自力で主導権を握れる選択権のあるものだと認識するわけだ
極論を言うと全能感のあるマッチョほど選択権が増えていき、そうでないクソ雑魚ナメクジほど世界は狭く不自由になっていく
なにせ自分の選びたい選択結果にどうやってもたどり着けないんじゃ、経験を重ねるたびに自分の無力さと不自由さを重ねるだけだからな
仮に産まれてこのかた自分の第一希望しか叶わなかったような人間が世界に選択はなく、全てがこうするしかなかったんだと言い聞かせて信じ込む必要なんてないんだから
だいたいそういうやつは自分の無力さを呪いながら別の選択をできなかったことを何らかのせいにして自責の念や後悔を払しょくさせたいだけ
しかし実際問題として自分の能力値さえ足りているならその問題は解決でき別の選択行動に移れたと仮定できた時点で自分がそこまで到達しなかったという選択をしたとも認識できる
テストの赤点取るのはなるようになったんじゃなくて、単純に学力が足りないのに勉強サボった選択の結果
ただし現実は死ぬほど強いのでどれだけマッチョでも選択を誤るときがくる、問題は同じことがあったときに自分がどう次の選択をするか考えて備えることだ
http://anond.hatelabo.jp/20170606174324
『原発は安全』な神話も御用学者によって"作られ"てきた。そして事実は暴かれた。メルトダウンによって。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%AD%A6%E8%80%85
現代における用法を定義することは難しいが、学術的な調査を改竄ないしは恣意的に解釈し、権力者や統治者、ないしは依頼者に都合の良い結果を導き出す者がこう呼ばれる。一方で、権力者などへの批判側が恣意的な解釈に基づき自らに都合の良い結果を導き出していることを指摘・批判する学者に対して、反権力側がレッテル張りとして用いる場合もある。
現代日本においては水俣病の例が嚆矢である。1956年(昭和31年)、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視されたのだが、同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌13日に同部会を突如解散。1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表し、彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた[1]。
詳細はナイロンザイル事件を参照のこと。1955年(昭和30年)、日本の登山者がナイロン製のクライミングロープ(以降ロープと記述する)を原因として死亡した。ナイロンは引張りについては従来の麻のロープよりも遥かに丈夫だが、鋭利な岩角などに擦れた場合には容易に切断される。これはすぐに明らかになったが、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治は、事前の実験でザイルが容易に切れることを確認した上で、公開実験ではあらかじめザイルが接触するコンクリート製のかどにヤスリがけをして十分な丸みをつけた状態で、作為的な実験を新聞記者等の前でデモンストレーションしてみせ、ロープメーカーの東京製綱および日本山岳会と共謀して、犠牲者に対する誹謗中傷運動を山岳雑誌・化学学会誌などで長期にわたって続けた。法改正で安全規格が定められ交付されたのは1975年(昭和50年)、最初の事故以降に確認されているロープの欠陥による死者(通産省の調査した範囲内での数字)は、20人を越えるとされる。なお、偽装実験をマスコミの前で実行した篠田軍治は、日本山岳会の名誉会員推薦により、1989年(平成元年)に評議委員会の全会一致で同会の名誉会員になっている。
哲学者の山脇直司東京大学教授は、安保理決議のないままブッシュ政権主導で2003年3月イラク戦争が始められたことへの日本政府の対応について、「アカデミシャンとしての私が今一番一番懸念していることは、アメリカを無邪気に支持し、フランスなどを非協力と言って批判する小泉首相や川口外相のお粗末きわまりない答弁の背後にいる『外務省お抱えの御用学者』の存在です。」「外務省お抱えの『御用学者の知的退廃』を暴く必要を今痛感しています。」[2]と書いている。また、2003年12月からの自衛隊イラク派遣を決定する過程について、政治学者でイスラーム教シーア派に詳しい松永泰行日本大学助教授は「私の知る限り、政府は研究者の実力よりも、政治家や官僚の都合で彼らが望むことを言ってくれる御用学者を起用している」と述べた[3]。
日本たばこ産業に研究費を支援してもらうかわりに、タバコを擁護する発言を行うなど、消費者の健康よりも特定企業の利益を優先するような行為をしている学者を指して使われた事例がある。[4] また、メーカーから多額の研究費を受け取っていたために、タバコと乳幼児突然死症候群との関係があるという論文が、根拠が乏しいというように書き換えられてしまったとの指摘が存在する[5]。 タバコ産業等からの研究助成については学界において問題視されており[6][7]、2003年10月22日に日本公衆衛生学会は学会員に対し「たばこ産業及びその関連機関との共同研究、及び同産業等から研究費等の助成を受けた研究を行わない。」との行動宣言を発している[8]。また、国際的にもたばこ産業による研究助成等について全面規制を求めるたばこ規制枠組条約のガイドラインが追加採択されている[9]。
今日の現実の社会の中では、例えば有力な学者が政府の公共事業などの施策に対して、自己の信念に基づく意見、思想を審議会などの場で反映させる為に、そうした機関に呼ばれる立場を確保するべく、ある種の手練手管として、権力へのおもねりと自己の真の主張を両天秤にかけながら駆け引きをする場合がある[10]。そのため御用学者か否かの線引きは困難な側面を有する。駆け引きに失敗して結果として権力へのおもねりの手練手管を権力に利用されるだけの結果となったときには、結果として御用学者呼ばわりされてやむを得ない側面がある一方、駆け引きに成功して自己の信念を政策に反映させることに成功した場合には、反骨の策士と評価される場合もありうる。また原子力発電の分野では、研究に多額の費用がかかることから権力におもねり、「安全神話」のお墨付きを与えることで電力会社等の支援[11]を受ける例があり、このもたれあいの関係を「原子力村」[12]と評される。
例えば、より殺傷能力をある爆弾を作る方法を全世界中に教授していたり
例えば、安全神話であった新幹線をとても簡単にテロできることを教授していたり
いろんな方法もあるだろう。
これらの存在を世に知らしめたから、どんどん犯罪は凶悪化する。
オレオレ詐欺だって、方法をニュースが教授しているから、余計にひどくなる。
警察力がいくら強化されても、犯罪は凶悪化し、かつ、減らない。
むしろ、警察なんて、ある一定の分野においては、完全にお箱だろう。
最後に、真似されると、日本国民どころか、世界人類が困るから言わないが
本来、三大命題の二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。
この論考は以下のURLにたいする一人の若者からの反論である。
https://togetter.com/li/1080097
以上の新聞記事で、上野女史は「経済を犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。
この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。
上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。
この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。
そもそも、戦後日本の社会体制は1940年代の「総力戦」体制を「経済最優先」の形として再編したものである。
扶養控除、源泉徴収、終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。
1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動、市民運動、社会不安が吹き荒れていた。
70~90年代にかけては、家庭や企業に社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。
これが少年非行やいじめ、過労死などの狂気的な状況を引き起こした。
戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたかな社会」である。
まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである。
しかも、「ゆたかな社会」は90年代~2011年にかけて完全に崩壊した。
最後に、原発事故とともに社会の安全神話が吹き飛んでしまった。
この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である。
それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的」である。
企業におけるセーフティーネットが「生産性や自己実現の神話」の名のもとに縮小され、
政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、
監視カメラやSNSの監視なしに、人々は安心して生きることができない。
不誠実な脳科学や認知神経科学、AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、
人々は常に失職と人間的尊厳の消失を心配するようになっている。
そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。
このように、後期近代社会とは
当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間を永遠の虚無へと投げ出すのである。
このような状況では、人々は二つのレベルの不安を抱えることになる。
である。
人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。
一方、ただ一日中、パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。
「不当な地位にいる!」
「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」
という相対的剥奪感を抱かせる。
また、後期近代の社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。
軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者に追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。
そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。
二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論的不安を抱かせる。
そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。
「私はこうなれたのに……」
「私もこうしたかった……」
ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情が現代の社会不安の核心にあるように思う。
上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である。
この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである。
――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。
このような後期近代のグロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。
彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺の理論を主張した。
今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。
加藤智大、植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。
そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆の不可能性を解き、
後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっとも積極的な「支援行為」なのだ。
防ぎようのない「天災」によって、
この瞬間を心の底から待ち望む。
109が崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町のサーバーがダウンし
白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき、
そのときに来るのが、
東のいう変質したファシズムなのか
知ったことではない。
相対的剥奪感や存在論的不安に晒されることなく嗤いたいのである。
そして、私は嗤いながら確信する。
再生可能エネルギーはコストがー…って言うけれど、原発推進派の最大のウソは「安全神話」よりも「原発はコスト安い」という言説だと思う。
核のゴミの処理費用を「いつかかがくがはったつしたらだいじょうぶ」とか小学生以下の言い訳で
「いつか」までの土地代も、「はったつ」にかかる研究費用も、碌々計上しない都合のよい計算で
国民の金を先の見えない「うまいもうけ話」に馬鹿みたいに投資させてきたことが一番罪深い。
「いつか逆転すっから!」と繰り返し口にしながらビジョンも方法論もなく金たかるばかりの男にひっかかって
「今更別れるのも…」とか、「そうは言ってもさすがに限界…」とか悩んでる可哀想なヒトみたいな。
あるいは単純に『コンコルドの誤り』と言おうか?
実際、10万年分の核のゴミ保管費用(管理費、土地代)考えただけで、
この狭い国土にひしめき合ってる日本人にとっては特に事故起こさなくても原発は明らかにコスト高いよね?
「いつかみらいのかがくがー」という言い訳使わずに(※)、この点について説明できる推進派の意見ってあるの?
http://anond.hatelabo.jp/20160919085338
※言うまでもないけど「いつかみらいのかがくがー」って言えるなら、高効率な地熱発電が開発されてマグマの熱が完全にベースロード使用できるようになったり、月に設置された太陽光プラントから無線送電技術でいくらでも電気が送られる未来の方がずっと早く来そう。
事故前の絶対安全神話は、単にそれを言っている研究者が、原発利権の汁を吸っていたというだけ。金の前には研究者倫理もへったくれもあったものではない。
事故後はまた違う。それは、早野氏や田崎氏のように、金ももらっていないのに安全だと叫ぶ研究者が出てきたことである。(もちろん科研費とかはもらっているだろうが、何を公言しようと研究がマトモなら科研費はもらえるので、関係ない)
なぜ彼らが研究者倫理をかなぐり捨ててまで安全神話を唱えているのか。もちろんいびつな自己顕示欲だったり、責任感といったものがあるのかもしれないが、それ以上に、「日本人的なメンタリティ」があるのではないだろうか。一度安全だといったからにはずっと安全でなくてはならない。失敗を認めることは許されない。そういった考え方である。
一応研究者の考え方はタフでグローバルなはずなのだが、なぜこのようなことになったのかはよくわからない。逆説的に、「そのようなメンタリティを持っている輩が声高に叫んでいるのだ」と言うのが正しいのかもしれない。
少なくとも今の日本には福島に関する言論の自由は実質的にないので、福島絶対安全カルトを苦々しく思っている人々は、こうして増田に書き込むくらいしかできないのである。
ちなみに一応特殊警察のみなさまに向けて繰り返し言わせてもらうが、私は別に福島が危ないと言っているわけではない。元増田参照。
今回の震災で確信した。原発はこの国から滅ぼさなくてはならない。
昨日熊本で震度7の直下型の大地震があって、被害は甚大だけど、でも正直、二次被害は東日本に比べて少ないことに安心した。このまま余震は段々小さくなっていって収まるもんだと思ったんだよ。
今これ書いてる時点で、ド深夜だよ?昨日よりデカい地震が2回あったって。前回よりも九州全体に範囲広がってて。
もうさ。
自然災害には、1分後の安全の保証もないってことを、1日で忘れた。
次の瞬間に川内原発の真下で大地震が起こる可能性が、この世にはある。それはセーフかもしれないし、アウトかもしれない。
でも、2011年より後の世界でその二択を優しく見守ってる状況、おかしいだろ。日本はもう一度負けてんだよ。何がセーフなんだよ。アウトだったら今度こそ日本どうなっちゃうんだよ。
俺たちは何で、地震があるたびに「原発大丈夫か!?」って思わなきゃいけないんだよ。
国民が原発にビクビク「させられて」るんだよ。俺たちは現在進行形で精神的ハラスメントを受けてんの。
反・反原発?逆張り系?の人がTwitterとかで放射脳とか色々言ってるの見るけど、
「被災者より前に原発の心配をしている。震災を政治的主張に利用している」とか
地震があったら地震被害と被災者の心配だけしてたいのに、何で原発の心配しなきゃいけないんだよ。
安全神話の一度崩れた原発の存在のせいで、被災地を越えて日本全国でその精神的被害者も増えるんだよ。
一時の利益のためにこんなリスク高いもん作ってさ。廃炉にするっつったってこれから何十年も付き合わされる訳じゃん。
政府はさぁ何ツーアウトもスリーアウトもあるような顔して「(今回は)異常なし」とか言ってんだよ。
もう無えよ。
何で俺は俺が生まれる前に誰かが作ったものにビビらせられてんだよ。
ふざけんな。
他の増田も指摘してたけど、
憲法9条尊重派は,憲法9条の為であれば国民の人権は制約しても構わないとの立場をとっています。例えば非武装無抵抗で国民が殺されようと,憲法で定めたのだから死ぬことを強いて構わないとの立場です。
まずこの認識が「憲法9条尊重派」に対する偏見に基づいている。このお花畑の平和バカ的なイメージは、9条アンチが散々宣伝してきた主張そのまんまだ。
基本は専守防衛だろ。個別的自衛権まで否定している9条尊重派なんて知らないな。探せばいるかもしれないが、さすがに主流ではないだろう。
あれを観て,一学生として感じるのは,「人権尊重派」が賛成し,「憲法9条尊重派」が反対するという対立軸になっているのではないかという点。
なぜ人権尊重派が賛成するのかというと,国民の人権(生命身体財産自由…)を守ることが至上の価値だと考えていて,憲法9条はその為の
手段に過ぎないと考えるからです。つまり,国民の人権を守るために必要であれば憲法9条はそれを許容すると考えるのです。
ここで出てくる概念が「憲法制定権の限界」の議論。これは,憲法と言えども国民の人権を侵害するような規定は無効=国民の人権を守れるように
読まなければならないという話になります。
それを支えるのは,絶対安全ではない(リスクが一定程度ある)のであれば,備えるべきだとの主張です。
原発でも絶対安全ではないならリスク回避すべきだとの見解がありますが,あれと根は近いです。
他方で,憲法9条尊重派は,憲法9条の為であれば国民の人権は制約しても構わないとの立場をとっています。例えば非武装無抵抗で国民が
殺されようと,憲法で定めたのだから死ぬことを強いて構わないとの立場です。
そこで上記の憲法制定権の限界の議論が出てきてしまい,国民の人権を守るための憲法が国民に不当な死を強要できることになってしまいます。
その為に,憲法9条尊重派は,日本は絶対に安全だという絶対安全神話を掲げます。そうすることで,上記の矛盾から目を背けているのです。
と書くと,安保法案が正しくどんどんやるべきだという結論になりそうに見えますが,実はそう単純でもありません。
理屈の上では,安保法案には一理ありますが,それはあくまで抽象論です。具体的な場面でどうするのが一番良いかという本当の問題点が
まだ丸々残っているのです。
このように,本当の問題点は,「どうすれば日本の安全を守れるか」という点にこそあり,それは国際的な状況に大きく依存します。
そこの結論次第で「人権尊重派であろうとも,集団的自衛権の実施には反対する」ということだって起きえます。
つまるところ,思考停止せずに安全保障の議論をしっかりして,どちらにすれば国民の人権を守れるかを真っ当に議論することこそが
議論のテーマとしてふさわしいのではないでしょうか。その為には,今の「人権尊重派」も「憲法9条尊重派」も協力し合うべきです。
最近のカルピスには人工甘味料、主にアスパルテームとスクラロース、アセスルファムカリウムを含んだ物が多い。
そして、つい最近にはカルピスソーダにまでブドウ糖果糖の他に人工甘味料が添加されてしまった。
昔は脱脂粉乳のカルピスウォーターと対になるソーダとして重宝したものだったが、
安く簡単に手に入る人工甘味料に手を出すという事は、これまで愛されてきたカルピスの味を捨てるも同じ事である。
また、近年には天然甘味料ステビアの様な健康に良い事が判明したキシリトール系の甘味料も発見されてきたのに対し
株式会社カルピスは未だ発がん性物質を大量に含み、糖尿病を促進し、(汚い話だが)精液分泌量を多分に減らす人工甘味料を
第一線級として添加している事は、まこと愚の骨頂としかいいようがない。
早々に辞めるべきである。
あと、現在レアシュガーこと希少糖が安価かつ簡単に入手し易くなった事が先月ほど話題になったが、カルピス社は何故これを使わないのだろうか。
人工甘味料を使い続けるという事は、これまで安全神話が囁かれ安価で簡単に発電が可能と嘯いたものの
後にそれが全て虚構だと判明して信用が地に落ちた原子力発電を再稼働する事と何ら変わらない。
人工甘味料もまた、安易に手に入るという事から重宝しているのだろうが、健康ブームに乗りかかったものの次々と明らかになる人工甘味料の不都合な真実に、
那珂にある日本原子力研究開発機構の核融合炉、炉のすぐ隣に『神棚』があるんですよ。
核融合でもわずかですが放射性物質のセシウムを使うんで神頼み、安全神話が必要なのです。
私、原子炉は見たことないんですが、たぶん福一にも神棚はあったんだと思います。
あずまんのダークツーリズムじゃないですが、1Fで働いてみたいです。
SEKAI NO OWARIみたいな様相を呈しているでしょうから後学のために……ね?
放射線はおっかないですよ。
でも、被曝で氏ぬのはたぶん二、三十年後なんですね。
それくらいならいいかなと。
SEISHI NO OWARIやRANSHI NO OWARIになってもだからなんだという話です。
だいたい未婚・晩婚・貧困化で子供作れる人はもう一部になってるじゃないですか。放射線関係ないですよ。
『ドラゲナイ言ってる中坊を育てられる家庭』持てる人間なんて僅かなんですから、『ドラゲナイ言ってる中坊を育てられる家庭』持てそうにない人はガンガン廃炉作業すれば良いと思います。
『美味しんぼ』は、雁屋哲の自己表現。監視社会がとうとう漫画の内容にまで干渉して変えようと動き始めた。これでまた、日本が世界からバカにされる材料がひとつ増えた。もはや福島はタブーだね。権力の失政を、「福島安全神話」でごまかし、国民を犠牲にするわけだ。
兵頭正俊
コレ本気でわかってなくて言ってるのかなぁ、RTしてる人もどうかと思うけど。
自己表現は別に構わないの。フィクションの漫画でコレは事実ですって言って書いてるのが問題なの。
そもそも、福島のタブーみたいなのを書いてる本はいくらでもあるでしょ。ノンフィクションとしてね。
皆福島が安全だって信じてるから叩いてるわけじゃないの。まぁ、鼻血が云々とか突拍子もない表現がアレっていうのもあるんだけど。
802 :ソーゾー君:2014/02/24(月) 07:59:18 ID:aq2Anaq.
安全神話を捏造して国民を騙していた連中のざれ言を誰が信用すると思うの?
「自民党=行政府=電力会社」の当事者がやれよ?下請けに委託して日雇い労働者やホームレスにやらせるなよ?
中抜きとか賃金の話なんかしてねーんだよ?利用料値上げで用意しているだけだからな・・
あと補助金=税金で原発は火力より低コストと神話を作ってたこともばれてるよ?
なんのメリットがあるの?
原発を再稼働させなければならない理由は?もう一度言ってみ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1393680484/
802 :ソーゾー君:2014/02/24(月) 07:59:18 ID:aq2Anaq.
安全神話を捏造して国民を騙していた連中のざれ言を誰が信用すると思うの?
「自民党=行政府=電力会社」の当事者がやれよ?下請けに委託して日雇い労働者やホームレスにやらせるなよ?
中抜きとか賃金の話なんかしてねーんだよ?利用料値上げで用意しているだけだからな・・
あと補助金=税金で原発は火力より低コストと神話を作ってたこともばれてるよ?
なんのメリットがあるの?
原発を再稼働させなければならない理由は?もう一度言ってみ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1393680484/
802 :ソーゾー君:2014/02/24(月) 07:59:18 ID:aq2Anaq.
安全神話を捏造して国民を騙していた連中のざれ言を誰が信用すると思うの?
「自民党=行政府=電力会社」の当事者がやれよ?下請けに委託して日雇い労働者やホームレスにやらせるなよ?
中抜きとか賃金の話なんかしてねーんだよ?利用料値上げで用意しているだけだからな・・
あと補助金=税金で原発は火力より低コストと神話を作ってたこともばれてるよ?
なんのメリットがあるの?
原発を再稼働させなければならない理由は?もう一度言ってみ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
802 :ソーゾー君:2014/02/24(月) 07:59:18 ID:aq2Anaq.
安全神話を捏造して国民を騙していた連中のざれ言を誰が信用すると思うの?
「自民党=行政府=電力会社」の当事者がやれよ?下請けに委託して日雇い労働者やホームレスにやらせるなよ?
中抜きとか賃金の話なんかしてねーんだよ?利用料値上げで用意しているだけだからな・・
あと補助金=税金で原発は火力より低コストと神話を作ってたこともばれてるよ?
なんのメリットがあるの?
原発を再稼働させなければならない理由は?もう一度言ってみ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/