事故前の絶対安全神話は、単にそれを言っている研究者が、原発利権の汁を吸っていたというだけ。金の前には研究者倫理もへったくれもあったものではない。
事故後はまた違う。それは、早野氏や田崎氏のように、金ももらっていないのに安全だと叫ぶ研究者が出てきたことである。(もちろん科研費とかはもらっているだろうが、何を公言しようと研究がマトモなら科研費はもらえるので、関係ない)
なぜ彼らが研究者倫理をかなぐり捨ててまで安全神話を唱えているのか。もちろんいびつな自己顕示欲だったり、責任感といったものがあるのかもしれないが、それ以上に、「日本人的なメンタリティ」があるのではないだろうか。一度安全だといったからにはずっと安全でなくてはならない。失敗を認めることは許されない。そういった考え方である。
一応研究者の考え方はタフでグローバルなはずなのだが、なぜこのようなことになったのかはよくわからない。逆説的に、「そのようなメンタリティを持っている輩が声高に叫んでいるのだ」と言うのが正しいのかもしれない。
少なくとも今の日本には福島に関する言論の自由は実質的にないので、福島絶対安全カルトを苦々しく思っている人々は、こうして増田に書き込むくらいしかできないのである。
ちなみに一応特殊警察のみなさまに向けて繰り返し言わせてもらうが、私は別に福島が危ないと言っているわけではない。元増田参照。