あれを観て,一学生として感じるのは,「人権尊重派」が賛成し,「憲法9条尊重派」が反対するという対立軸になっているのではないかという点。
なぜ人権尊重派が賛成するのかというと,国民の人権(生命身体財産自由…)を守ることが至上の価値だと考えていて,憲法9条はその為の
手段に過ぎないと考えるからです。つまり,国民の人権を守るために必要であれば憲法9条はそれを許容すると考えるのです。
ここで出てくる概念が「憲法制定権の限界」の議論。これは,憲法と言えども国民の人権を侵害するような規定は無効=国民の人権を守れるように
読まなければならないという話になります。
それを支えるのは,絶対安全ではない(リスクが一定程度ある)のであれば,備えるべきだとの主張です。
原発でも絶対安全ではないならリスク回避すべきだとの見解がありますが,あれと根は近いです。
他方で,憲法9条尊重派は,憲法9条の為であれば国民の人権は制約しても構わないとの立場をとっています。例えば非武装無抵抗で国民が
殺されようと,憲法で定めたのだから死ぬことを強いて構わないとの立場です。
そこで上記の憲法制定権の限界の議論が出てきてしまい,国民の人権を守るための憲法が国民に不当な死を強要できることになってしまいます。
その為に,憲法9条尊重派は,日本は絶対に安全だという絶対安全神話を掲げます。そうすることで,上記の矛盾から目を背けているのです。
と書くと,安保法案が正しくどんどんやるべきだという結論になりそうに見えますが,実はそう単純でもありません。
理屈の上では,安保法案には一理ありますが,それはあくまで抽象論です。具体的な場面でどうするのが一番良いかという本当の問題点が
まだ丸々残っているのです。
このように,本当の問題点は,「どうすれば日本の安全を守れるか」という点にこそあり,それは国際的な状況に大きく依存します。
そこの結論次第で「人権尊重派であろうとも,集団的自衛権の実施には反対する」ということだって起きえます。
つまるところ,思考停止せずに安全保障の議論をしっかりして,どちらにすれば国民の人権を守れるかを真っ当に議論することこそが
議論のテーマとしてふさわしいのではないでしょうか。その為には,今の「人権尊重派」も「憲法9条尊重派」も協力し合うべきです。
他方で,憲法9条尊重派は,憲法9条の為であれば国民の人権は制約しても構わないとの立場をとっています。例えば非武装無抵抗で国民が 殺されようと,憲法で定めたのだから死ぬ...
他の増田も指摘してたけど、 憲法9条尊重派は,憲法9条の為であれば国民の人権は制約しても構わないとの立場をとっています。例えば非武装無抵抗で国民が殺されようと,憲法で...
http://anond.hatelabo.jp/20150921151845 個別的自衛権しか使わないとの制約もまた、集団的自衛権で守れるはずの人を 切り捨てるという立場ですよ。