はてなキーワード: ペーストとは
推しが童貞ネタを言わなくなったのはいつからだっただろう。昨年は言っていた気がする。別に、それが楽しみだった訳ではない。
好きな女の子のタイプや恋愛観なんてものを自ら口に出すようになった。
休みは家にいると宣言していた彼が、最近はよく友人と遊びに行くようにしていると言う。
仕事が恋人だ、結婚は来世……なんてことも言わなくなってしまった。
整った顔をしているし、魅力がたくさんある。才能も努力もある。
そんな彼に恋人がいないなんておかしな話だ、ましてや童貞なんて嘘に決まってる。友人からそう言われるし、私だって「そうなんだろうな」と冷めた目で見る自分もいるのだ。
ただ、「そんなことない、彼は特別!ファンを思って彼女なんて作らない!仕事が恋人だって言ってた!」という夢を見てる自分がいる。
頭ではわかっているのに、胸が苦しい。
接触イベントも少ない、出待ちも禁止、どれだけ参加しても自分が覚えられているかの自信だってない。覚えられたいのかと言われればどちらとも言い難い。
彼女になりたいのか?の問いには「滅相も無い」と答える。
それなのに、彼が誰かのものになるのに耐えられない自分がいる。
今まで彼が紡いだ「僕とファンのラブソング」が「僕と彼女のラブソング」になってしまうことが耐えられない。
「君」や「あなた」が特別な誰かになってしまうことが(もしかしたらもうなっているのかもしれない)
よく俗に言うカノバレを起こす場合、「カノバレをするような女と付き合わなければいい」と言う人がいる。私もそう思っていた。
裏でやってくれれば、夢を見させていてくれるのならそれでいいと。
本当にそうなのか。夢を見させてくれているのは変わらないのに粗探しをしているのは私自身ではないか。
勝手に点と点を線にしようとしているのは自分なのに、自分の妄想で自分を傷つけることをやめられない。
本当のあしながおじさんは、恋人ができたって喜ばしい感情が出るだろう。結婚も祝福するんだろう。
でも、何故だろう、私は喜べないんだ。
彼はもう30歳。
この業界、実は結婚してました。または、かねてから同棲してました、なんてことがよくある。
隠してほしいと思うのに、一番に報告してほしいとも思う、厄介だなあと我ながらに思った。
メモアプリに「結婚を発表した時になんてツイートするか」を決めて保存してある。
万が一(という言葉を使わせてもらう)彼が結婚を発表した時にはどんなに泣いても、喚いても、エゴサをする彼を悲しませたくはないから。
彼が幸せになることを祈っているのに、その幸せに自分が関われないことが悲しいのかな。と自己分析もしてみた。
でも、近々何かがある気がする。全てが全てただの気のせいであればいいな。
昨今のマスコミ批判において、頻繁に取沙汰される問題の一つに「報道しない自由」がある。
この語は「報道の自由」に引っかけた単語であるが、要するに「メディアは自分たちの主義・主張にとって都合の悪いことは報道しない」というものである。最近の例では、加計学園の獣医学部新設をめぐる一連の報道の中で、マスメディアは前川前文部科学省事務次官の国会発言ばかり取り上げ、加戸前愛媛県知事の発言はごく短い時間しか取り上げないか、あるいは存在すらしなかったかのように無視したことが問題視された。「放送法順守を求める視聴者の会」がテレビ報道の在り方について新聞に意見広告を出した他、主に右派系のネットメディアでも頻繁に取り上げられていた。同様の批判は安保法制や共謀罪に関する報道でも行われた他、日常の事象においても「犯罪報道において犯人が報道関係者だったら追及が甘い」など、「報道しない自由」の事例は枚挙に暇がない。
この問題に対しては「マスメディアは自分たちの都合の悪いことを隠蔽せずに報道しろ」という旨の批判がなされることがあるが、私はそれは不可能だと思う。何故なら、媒体を問わず、偏向しないメディアなど存在しないからである。
ある事象において報道がなされる際、メディアが割ける報道資源には限りがある。テレビであれば一つの番組の中で数十秒~数十分。特番を組んだとしてもせいぜい2時間程度だろう。新聞であれば紙面の数%~全面、マックスでも広告欄を除いた全ページである。イラク戦争開戦の際に、新聞がほぼ紙面の全てをイラク戦争に割いていたのは、非常に印象的であった。
一方で、報道の元となる一次ソースは、膨大な量となる。行政機関が発行する資料では、少ない物でもA4で1枚、多い物なら数百枚にものぼる。これらの内容を、テレビや新聞で一字一句逃さず報道するのは不可能であろう。ネットであれば可能かもしれないが、そんなに大量の情報に全て目を通す人はそう多くはない。これが事件報道になれば、事件の経緯、加害者の背景、被害者の背景、関係者の証言、その他諸々…「事件に関わる全ての情報」を挙げていけば、際限が無くなってしまう。
そもそも全ての人が一次ソースを参照するのであれば、報道など不要である。一次ソースをかいつまんで分かりやすく説明したり、内容を解説して理解しやすくすることが、報道に求められることであろう。それがいわゆる「編集」と呼ばれる作業である。
そして、編集の過程において、どう頑張っても排除される情報というのは生じるものである。その事象にあまり関係のない情報、専門的過ぎたり限定的過ぎたりするために掲載しない方が理解しやすくなる情報などは、むしろ省いた方が視聴しやすくなる。また、編者の意見に会わない情報は、意識的か無意識的かに関わらず、省かれてしまうこともあるだろう。すなわち、一次ソースをそのまま掲載しない限り、テレビだろうが新聞だろうがネットだろうが偏向は必ず生じるものなのである。掲示板の書き込みを編集した「まとめサイト」などはその典型例で、記事の主旨とは異なる書込みは省かれるし、管理人の主義主張に反する書き込みも、もしかしたら排除されているかもしれない。いくらメディアが「公平公正」を標榜していたとしても、それを100%成し遂げることは、到底不可能なのである。
だから私は「報道しない自由」自体は全てのメディアが持っているものだと思うし、それ自体を批判することは的外れであると考えている。その批判は容易にブーメランになり得るからである。テレビにおいては放送法第4条を根拠に公平性を求められるケースもあるが、放送法自体問題が山積みの法律であるため、早急な改正が必要と言える(テレビ局の人間が「倫理規範だからセーフ!」とか言ってる時点で機能してない)。
では、マスメディアの持つ本当の問題点とは何か。当たり前すぎて今更語るまでもないことかもしれないが、今一度整理したみたい。
ネットとの比較という意味で、最も顕著なのはこの点だろう。テレビ、新聞などの既存メディアは、発信者と受信者が固定されており、受信者が発信者に対して同じ立場で発言することができない。テレビは総務省の許可が無ければそもそも放送できないし、新聞なら発行すること自体は誰でも可能かもしれないが、一般人が大手メディアと同じ量の情報を発信するのは、現実的ではない。
一方でネット上は、基本的に誰でも平等に発言することができる。もちろん、発言の影響力は立場によって異なるが、例えばツイッター上で批判されたら同じくツイッター上で反論することも可能だし、ブログの意見に対して別のブログを自分で立ち上げて反論することも可能である。グーグルなどのポータルサイトやSNSの運営会社が強い影響力を持つことは否めないが、利用者はそれらのサービスが気に入らなければ、容易に他のサービスに切り替えられる。また、例えば国が法律によってネット上の情報発信を規制したとしても、法の及ばない海外のサーバーを利用することだってできる。ネット上には絶対的な情報発信の強者は存在しないのだ。
これは利用者にとって、単一方向メディアにはない大きな利点である。今までは情報発信はマスメディアが独占していたが、現在では個人が自由に発信者になれるのである。その一方で憶測や捏造に基づいた情報を発信すれば、簡単に批判を受けてしまうというリスクも負っている。これまで独占的な情報発信者としてその恩恵を最大限に受けて来た既存メディアにとっては、到底受け入れがたいことだろう。だが残念ながら、どんなに望んでも時代が遡ることはない。
いわゆる「記者クラブ」に関しての問題点である。マスメディアの記者のほとんどは業界団体で作る「記者クラブ」という組織に属している。記者クラブには、行政組織や大企業の記者会見に優先して参加でき、クラブに属さないフリーランスの記者などはそもそも会見に参加すらできないことが多い。すなわち、日本ではマスメディアによって、ジャーナリストに対する言論弾圧が行われているのである。
また、記者クラブの中で、異なる報道機関の記者同士が取材した内容を互いに確認し合っているという問題も指摘されている。取材メモの内容を他の記者と「答え合わせ」し、内容に漏れや間違いがないかを確認しているという。これは関係者が著書などにおいて発言した内容であるため、事実か否かを確認する術を私は落ち合わせていないが、もし事実であるとすれば、報道機関としていかがなものかと思う。扱うのが情報だという点を除けば、他業種における「談合」と何ら変わりない。
記者クラブの存在を別にするとしても、報道内容が画一的であるという点は批判されるべきだろう。特にテレビ報道においてその傾向は顕著で、芸能人のスキャンダル、政治問題、相撲界の不祥事、どの事象においても、全てのチャンネルにおいて、まるでコピー&ペーストのように同じ論調でしか報じていない。ワイドショーだけならまだしも、ニュースにおいても同様である。そして、同業他社であるマスコミ各社の不祥事については、どの報道機関も一斉に口を閉ざすのである。これではマスコミ同士の相互チェックは全く機能せず、業界全体が腐敗してしまう。
さらに、冒頭に挙げた前川氏にまつわる報道では、読売新聞が「前川氏が未成年が働いている出会い系バーに出入りしていた」ことを報じ、他のマスメディアから一斉に批判がなされた。全く意味不明である。読売新聞は報道の自由に基づいて報じただけであるし、元文科省の役人が、任期中に児童買春を行っていた疑いがあるのだとすれば、報道すべき大問題であろう。マスメディア各社の中で前川氏に関する報道姿勢について合意がなされており、それを読売が「抜け駆け」したことに対して怒っているのであろうことは、想像に難くない。前川氏自身は(苦しい言い訳をしながらも)出会い系バーに出入りしたいたこと自体は認めており、読売の報道内容は事実であった。事実を報道したことに対して批判をするのであれば、日本のマスメディア各社は報道機関として終わっているとしか言いようがない。
もはや誰がありがたがっているかよくわからない年中行事の一つとして、自由国民社という一出版社が数人の選考委員会を集めて勝手に決めている「新語・流行語大賞」というものがある。最近では野球業界以外では全く流行っていない言葉や、日本に対するヘイトスピーチに当たる言葉を流行語として選び、物議を醸している同賞だが、先日発表された2017年の流行語のトップテンの中に「フェイクニュース」という言葉が選ばれた。その定義は、新語・流行語大賞のホームページを引用すれば、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ。」だそうだ。
このように、マスメディアがネット批判を行う際の常套手段として、「ネット上には嘘や質の低い情報が多く含まれている」という主張がある。「それに対して新聞やテレビは、社内で十分に内容を確認・検証しているから、正しい情報である」と言いたい訳であるが、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがない。
ネット上の情報に嘘が多いというのは事実であるし、そんなことは普段ネットを利用している人であれば十分承知の上である。一部の情報弱者が、良く調べもせずにその情報を鵜呑みにしたり、タイトルだけ見て記事の内容を読まずに早合点したりして、騙されている訳である。ネットを使っていれば関連する情報をその場ですぐに参照することは容易だし、先述した通り間違った内容であれば他者が指摘することも容易である。
対して新聞やテレビは、偏向や捏造があっても、個人が指摘して正すことはできない。サンゴ・グリコ・アジトや、椿事件、慰安婦問題などは、捏造が明るみに出たため、謝罪、訂正した例であるが、間違いを指摘されても訂正・謝罪していない例もいくらでも存在する。そもそも先に挙げた「フェイクニュース」という単語自体、元々トランプ大統領が言い出した言葉で、「テレビなどの既存メディアの捏造」を指す言葉であるが、マスメディアはこれを「ネット発の捏造・誤報」という意味に「捏造」しようとしているのである。
近年、「若者のテレビ・新聞離れ」を憂う声がメディアから上がっているが、若者に原因があるのではなく、自分たちに原因があることを理解しているのだろうか。メディアにとっての商品は「情報」である。その商品の品質が低ければ、顧客が離れるのは当たり前だ。提供する料理がマズい店は、客足が遠のくのと同じである。これまでは情報そのものが大手メディアにより独占されていたが、現在はネットの出現によってその独占状態も瓦解してしまった。既存メディアがいくら「ネット情報は玉石混淆だ!」と叫んでも、石しか扱っていない既存メディアは一笑に付されて終わりである。
徒然と書き殴ってしまったが、ひとまずここまでにしたい。他にも、視聴者が直接の顧客ではないこととか、テレビ局が国民の資源である電波を独占していることとか、新聞社が企業買収から守られていることとか、メディア自体が権力化していることとか、いろいろと問題はあるが、ともかく「既存メディアがネットよりも優れている」というのはまやかしでしかない。「ネットの情報ばかりでは偏る」という意見もあるが、それはテレビや新聞でも同じことである。メディアの媒体問わず、一つの報道だけを鵜呑みにせずに、様々な情報を加味して判断すべきなのだ。要は個人のメディアリテラシーの問題でしかないのである。
また、単一のメディアの情報だけを信じてしまう人の特徴として、「自分で判断することを放棄している」という点が挙げられる。そういう人ほど誤報・捏造報道があった時に、「騙された!」と叫ぶのである。もちろん、捏造したり、ちゃんと確認をせずに報道したりするメディアは悪であり、糾弾されなければならない。しかし本来は、何が事実で何が嘘かは、情報の受け手個人個人が、自分の責任において判断しなければならない。それができない人間が「情報弱者」と呼ばれるのである。
メディアはその媒体を問わずに「報道しない自由」を有している。だからこそ受け手は偏向・誤報・捏造に踊らされないように、一人一人がメディアリテラシーを身に着けることが重要なのではないだろうか。
どうなるか?
「Googleが開かれる」と思うじゃん?違うんだわ
こうなってしまう
どうもCtrl+Lを押すと、0.5秒くらい空けて今現在のページのURIが選択状態になるっぽい
選択状態になる前に素早く別のURIをペーストしても、無視されて今現在のURIが選択状態になってしまう
マジでこれどうにかして欲しい
「喫煙をしよう」と考えるとどうしても金銭の支払いは避けられない。気軽に栽培できるものでもないし、人にもらうこともあまりない(もらいタバコは流儀に反する)。日頃から喫煙している私のような人間は、財産が不足している状況では満足に思考もできなくなってしまう。そこで、知人に頂いたアッサムティーを吸うことに決めた。
まずは手巻きタバコ同様、紙で巻いて着火し喫煙してみる。ちなみに手巻きタバコ用の紙などという上等な物品を購入する余裕はないので、メモ帳を適当なサイズにちぎって使用する。フィルターはシケモクの使い回しだ。紙に紅茶を乗せ、巻く。ここで通常のタバコ葉とは感触が違うことに気づく。固い。粒が大きい。これでは形として巻くことができても、火を点けて吸っている最中に中から葉が流れ出てしまうのではないか。ということで一旦撤収し、紅茶葉に水を含ませたのち適度に乾いたものを使うことにした。これなら柔らかく、また葉が多少膨らんでいるため、巻きやすく落ちにくい。メモ帳で手巻きする際に注意すべきなのは、糊付きの紙と違って固定されていないので、常に指で押さえていないと解けてしまう点だろう。灰を落とすときにうっかり開放してしまい、クラッカーさながらに赤熱した葉が飛び散る事態だけは避けたいところだ。慎重に着火し吸ってみる。……なんだろう。煙はそこそこ出るが、遠くで野焼きしているような味がする。美味くはない。しかし似非とはいえ1週間ぶりに火をつけたタバコである。燃焼温度を上げないよう、ゆっくりと吸っていく。吸えば吸うほど分かるが、これは完全に失敗である。バーベキューをやった日に着ていた服の匂いのようなものが喉と鼻腔にまとわりついている。二度と吸うことはないだろう。
とはいえ、タバコの吸い方は様々存在する。次は水タバコ(シーシャ)を試してみよう。水タバコはタバコ葉に直接火を点けないかたちで喫煙できるため、普通に喫煙して失敗したネタでも美味しく吸える可能性が残されている希望の星である。私は水タバコを吸うための器具を持ち合わせていないが、時間だけはあるのでなんとかなるだろう。調べてみると、1.5Lのペットボトル・キャップ付きスチール缶・ビニールテープ・アルミホイル・ストロー2本を使って作れそうだ。キャップ付きスチール缶の底面にアイスピックで穴を空け、底から高さ3~4cmほどで切断し、ひっくり返してビニールテープで留める。漏斗のような形になるが、この穴の空いた面に葉を乗せ、アルミホイルを被せた上に熱した炭を置いてキャップ側から吸うのである。缶のキャップに穴を空け、ビニールテープで補強したストローを差し込む。同様に、ペットボトルのキャップにもストローを差し込み連結する。一本残ったストローはペットボトルの肩のあたりに穴を空けて差し込む。これに水を入れて吸えば、煙が水を通過し肺に流れてくるということになる。さて、水タバコを吸う際にネタとする葉っぱ類だが、こちらにも多少の準備が要る。少し水を含ませるなどして適度に加湿したあと、蜂蜜を少しだけ加えて練るのである。本来は煙の量を多くするためにグリセリンも加えるのだが、味がすれば煙など出ても出なくても関係ない。一人暮らしの経験が長い方なら蜂蜜くらい調味料入れの奥に眠っているのではないだろうか。幸いなことに私の家にも白くなった蜂蜜が転がっていたので、湯煎して使うことにする。炭がない、という方は、残念ながら私と同じようにライターなどで常に熱を加え続けるしかない。5分ほど炙り続け、ようやく温まってきたところだろうか。少し吸ってみる。煙はほとんど出ないが、ほんのりと紅茶の匂いがする。不味くはない。むしろいけるんじゃないか。ペットボトルをボコボコ鳴らしながら勢い良く吸ってみる。水タバコは肺を使って強く吸う吸い方が適した喫煙器具である。紅茶の匂いが確実に感じられる。気のせいではない。嫌な匂いは今のところなく、「いい香りを肺いっぱい嗅いでいる」という感覚が一番近い。味も匂いも強くはないが、これはどちらかと言えば美味い部類である。水タバコのいいところは、一度環境を整えて吸える状態にしてしまえば相当長い時間吸っていられるという持久力にあるだろう。今回はネタの分量が少なかったが、30分ほどいい香りを嗅ぎ続けることができた。調子に乗って吸いすぎると炭化しきったペーストを炙って吸っているだけということにもなりかねないので、適当な時間で切り上げたほうがいい。
紅茶を力技で吸ったときの記録は以上だが、推奨は決してしない。単純に面倒で、失敗する危険もそこそこある上、それに見合うほどの美味さはない。ただ、私と同じように金がない状況でどうしても喫煙かそれに似た行為をしたい場合、参考になれば幸いである。運良くハーブティーなどが手に入った場合、水タバコはそれなりに吸える選択肢の1つと言えるだろう。
この品物を指すときにはつい「歯みがき粉」と言ってしまう。そうでなければ「歯みがきのチューブ」とか。親世代は子供のころに使っていたと言う。小麦粉みたいなのを歯ブラシにちょっと付けてみがいていたのだと。だからチューブ入りになってもつい「歯みがき粉」と言ってしまい、それが俺にも伝わったのだろう。
品物を見ると「tooth paste」とある。ペースト、練ったもの、粉をねりねりしたやつ。ああそうか、練り歯みがきとも聞いたことがある。練り歯みがき、うん。正確には「練り歯みがき粉」とでもいうべきものを粉落としした。だから歯みがきという行為を練る、なんて妙な言葉になってしまった。これはちょいとおさまりが悪い。だから「歯みがき粉」とか「歯みがきのチューブ」とかいう用いられかたをするのかもしれない。この「歯みがきのチューブ」なんて表現もへんてこりんなものだが……
はてなブログ編集中、なんかの拍子にプリントスクリーンボタンを押していたらしく、ブログの編集画面で少し前のテキストをペーストしようとCtrl+Vしたら勝手に画面のスクショがフォトライフにアップロードされた
画像に関してはもうちょっと管理を厳格にしてくれ。クリップボードにコピーした画像をアップロードするという需要がいったいどれだけあると思ってるんだ
…いや、結構ありそうだが、せめて一度聞けよ
どうせいやらしい画像とか上げたらアカウントBANだろうにお前はツイッターか
なお、うっかり強制アップロードされた画像は自分の http://f.hatena.ne.jp/ の「Hatena Blog」フォルダに勝手に入ってるのでフォルダに入って消そう
サザエさんのエンディングで家の中に行列で入っていく絵が思い浮かべる、
きっとあの家は空間のゆがみが生じているはず。
完全な平面の時だけ。
歪んだ空間のなかでは
180度以上になったりそれ以下になったりすると言う
一度吸い込まれると、
光すら再び出てくることが出来ないほどの
意外とメンテナンスフリーでいいと思うの。
だって取り替えるだけで済むでしょ?
例コップ的な掃除機で
こまめに布団もケアして吸い込んでいた方がいいわよ。
干せば一番早いんだけど!
まあやっと台風は行ったみたいで
洗濯物が捗りそうよ!
おかげで街はそのせいで
木々の枝や葉っぱで散らかっていたわ。
上昇しちゃうのかしら?
今度血液検査行ってみようかしら?
そう思うほど食べ過ぎちゃうのよね。
すっかり寒くなってきて厚い布団よろしく、
ホッツ梅ウォーラーで埋め合わせ。
これでカロリーを梅パワーで消費するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここに書くべきか迷ったものの、書こうと思った。
僕は個人的なサービスを運営していて、スキンケアなど悩みを持った人が相談し合える掲示板みたいなものを運営している。
ただ誰も使っていない...。設計もデザインもイマイチで、かなりニッチな人々が使っている程度で以前から趣味程度で運営している。
少し前にWelq問題があったので、それ以来、数少ないユーザーへ掲示板のように機能していたウチのサービス内の情報でも
素人同士の悩み情報で、自分の悩みや問題を解決しない・本気で参考にしないように利用者に注意を促している。
同時に、第三者が情報を使うことを禁じるために右クリック禁止(コピー禁止)などの処置をしていている。
が最近、ちょっとした問題が起きている...。全く知らないサイト内にて、ウチに投稿された悩みに関する投稿がなぜか再構成されて記事化されている。つまり、一部一部をコピーされて記事化されている。。
問題のサイトは https://hifuka.co/ (Web皮フ科クリニックさん?)。で、気になったので色々調べていたところ、
雇われているライターさんがWeb皮フ科クリニックさんからの依頼に関することをツイートしており、
運営からの指示によって「記事を書くよりも構成している」とツイートしていた。
このライターさんのツイートを見ても、どうやらコピーやキュレーションというものを知らない、リテラシーが低くめな真面目な方なのかな。と..。
で、ここで感じてしまったのが、他社のサイトコンテンツをコピーして記事化することをライターさんに指示し量産させていたWelqだ。
どうやら https://hifuka.co/ はWelq問題があった今でも同じようなことをライターさんに依頼して行なっている可能性がある。
ただ、運営元を調べてみても情報は未掲載で問い合わせる窓口もない。Web皮フ科クリニックのサイトはWordpressで作られていて、有料テーマかどうかは知らないものの
同じWordpressテーマを使っている某大手メディアさんは1つだけ知っている。。
サイト内では「うちはキュレーションメディアではない」と断言しているし、記事は「はるこ先生」という名前でアップロードされている。
ただ、僕の掲示板サイトに投稿された内容が勝手にコンテンツ化されて記事として配信されている。
しかもうちはコピー禁止(右クリック禁止)にしているので、仕事を依頼されているライターさん達が簡単にコピーペーストはできないようにしている。
また、僕の運営する掲示板サイトは悩みを持った人同士が話し合うもの程度のもので、プロの方が載せている悩み解決の情報ではない。
道ばたでお金みっけ!
みたいなことあるけど、
それだいたいワッシャーなのよね。
あちゃーっと思うけど、
今日は100円だったので
よっしゃーって思っちゃったわ。
拾ったんだけど、
まああぶく銭じゃない
その私の好意
少なくとも盗んだバイクで走り出すよりマシだと思うけど。
よく、
とかって言うじゃない。
そのフレーズが出るごとに
と言いたくなる15歳の夜を思い出したわ。
うふふ。
ダブルタマゴサンドという夢のようなものがあったのでおもわず。
プリッとした歯ごたえと
ベストマッチングなのよね!
黒柳さん!
ちょっといい茶葉買ってみました。
と思ってしまうわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日、貸してもらった本を返す。
だけで返せたらいいなと思う。
年下の友人が先週貸してくれた。それはもう、ありきたりなぐらいにありきたりな軽い小説で、映画化されて流行っているからという、おそらくただそれだけの理由で彼女はそれを読んでいた。本をあまり読まない人が持っているのを見たこともあるぐらいだから、乱読気味の彼女が読んでいて、それで、「面白いから読んでみ」と貸してくれたのは、まったく不自然じゃない。
けれど、本を貸すのはむずかしい。彼女はまだそれを知らない。知らないままにしておいてあげるほうがいいのかなと思う。まだそれでいい。
なぜなら、読書は人の心をかき乱す。たとえそれが安っぽいお涙頂戴式の小説であっても、思いもかけないところで心の平安に波風をたてる。
「貸して欲しい」と言われて貸す本ならかまわない。本屋で手に取っていくのと同じで、いくら取り乱そうが、それは借りていった者の責任だ。そこで完結する。しかし、「ぜひ読んで」と貸した場合、ダメージを受けた側はやはり相手に責任を求めたくなる。それを求めることをまた、求められているのではないかと思う。つまりは、なにか気の利いた感想でも言わねばならないような気になる。
だが、いかにも仕組まれたクライマックスでボロボロ涙を流した者にとって、気の利いた感想などいえるはずがない。こんなご都合主義で泣くなんて、恥以外の何物でもない。その恥を否定するために、あえてその物語をくさすのか。不治難病モノは定期的に流行するキッシュだと、知ったかぶりの韜晦に逃げこむのか。それとも、涙もろい自分を素直に認めてしまうのか。だが、それはとてつもなくややこしい。
なぜなら、年下のきみが感動した理由と、もう長いこと生きてきたぼくがやられてしまった理由は、たぶんちがうからだ。ぼくにとっては、舞台設定そのものが痛かった。その感覚は、きみにはわかるまい。
きみは信じないだろうが、こんなぼくにだって高校生だったときはあった。きみはよく「青春」なんて言葉を口にしてぼくを笑わせるけれど(たぶん意識してカギカッコ付きで使っているんだというのはわかるけど)、どんな意味においてさえ、ぼくにとって高校時代は青春なんかじゃなかった。ひたすらしんどい時代だった。そして、この小説の舞台設定は、まさにその果てしなくしんどい時代を思い出させる。
美化してしまえば、ぼくにだって「青春の思い出」みたいなものがないわけじゃない。だけど、時間のレタッチと自己正当化を取っ払ってしまったら、そこに残るのはただただめんどくさくておもしろみのない屈辱の日々だ。
典型的な場面を思い出す。それは、昼休み、グラウンドに面した廊下、ぼくはグラウンドを見て退屈している。なぜ退屈する場所にそこを選ぶのかというと、グラウンドの木陰はリア充たちが(「リア充」なんて言葉はその時代にはもちろんなかったのだけれど)占拠しているし、教室内にはまだ弁当を食っている人や早速にお勉強をしている優秀な生徒たちがいる。そういう人たちの邪魔はしたくないし、だいたい教室内の席なんて飽きるほど座っている。友だちの少ない、話題の乏しいぼくにとって、いられる場所は限られていた。そして、人の邪魔にならないわずかな隙間のようないくつかの場所の中でも、グラウンドの見える廊下は特等席だった。なぜなら、そこからはクラスでいちばんのお気に入りの女の子と、クラスでいちばんの美人と評判の女の子が眺められたからだ。親友である二人は、たいていつもグラウンドの向こうの特別教室の日陰でおしゃべりをしている。もちろんぼくは、ただ鑑賞するだけ。それだけ遠いと見ていることもあんまりわからないだろうから、まあ人畜無害な楽しみだ。
そうやってしばらくすると、ぼくと同じぐらい冴えない女子が弁当を食い終わって廊下に出てくる。いつも凄まじい寝癖のついた髪をしている。彼女もまた、昼休みにどこに行くアテもないのだろう。ぼくと彼女は少し言葉をかわす。話題のないぼくと同じくらい、彼女も話題がない。だから食い物のことばかりしゃべっている。カレーの玉ねぎは具であるべきなのか、ペーストの一部であるべきなのかみたいなことを、特に目的もなくしゃべっている。
そうこうするうちに、学級委員長が廊下に出てくる。いや、彼は正確には学級委員長ではない。彼がその役にいたのは一年生のときだから、「元」をつけるべきなんだろう。彼はぼくの数少ない友だちの一人で、というよりもぼくにとってはその高校で唯一の友だちで、だからぼくは少しホッとする。ただ、彼が加わってからの話はちょっとぎこちなくなる。彼にとっては食い物のことは重要ではない。いや、ぼくにとってもそうだよ。だけど、他に話すこともない。彼はちがう。なにか、他に話すべきことがある。けれど、ぼくにはそれが見えない。そのうちにチャイムが鳴って、ぼくらは教室に戻る。
そういうことを思い出してしまう。だから、ぼくは泣いてしまう。
なぜなら、シチューをご飯にかけるのは有りか無しか、ナポリタンスパゲッティの麺は柔らかいほうがいいのかどうかなんてどうでもいい話をする過程で、ぼくはとんでもなく人を傷つけていたからだ。
後になって、ぼくはその寝癖の女の子から聞いた。学級委員長と彼女はそのとき付き合っていた。だというのに、彼女はぼくとばかり話しているものだから、最後に学級委員長は傷ついて、そして、結局別れ話につながった。そういう展開が愉快な人はいないだろう。親友の失恋を喜ぶような奴はいないし、自分がその原因だったら焼きそばノドにつめて死んでしまったほうがマシだと思っても仕方ないんじゃないだろうか。
だから、ぼくはもう、そこから先の筋書きがどうであれ、泣く準備はできていた。そして、ヒロインが死ぬところでやっぱり泣いてしまった。
それでもあのとき、おにぎりノドにつめて死ななくてよかったなあと、いま、そんなふうに思う。
なぜなら、いま、こうやって気軽に本を貸してくれる友人がここにいる。それを感じることができる。そして、ぼくはいま、ちくわに詰めるのはキュウリがいいのかチーズがいいのか、ナスは田楽と揚げびたしのどちらを奨めるのか、寿司屋で卵焼きを食べるべきなのか否か、そんなことを熱くもなく語ることができることの嬉しさを知っている。
だからぼくは、うっかりと誰かを傷つけてしまうようなことをしたくない。気づかないうちに自分の力を超えることをしてしまいたくない。
そんなわけで、ぼくは何も感想とかいわずに、この本を返そうと思う。こんなことを喋らないために、ちょっとだけ皮肉っぽい表情も見せるかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20170829154930
淡いピンク色程度だったら、まだどうということはないなw
オレがかつて仕事のストレスとかいろいろあって前立腺炎とやらになったときは、尿がトマトジュースを2倍に薄めたくらいの感じで真っ赤っかだったし、精液はトマトペースト混ぜたくらいの赤白まだら模様だったぜw
俺たちからすれば無理やり辻褄合わせをしただけの内容だったのだが、これが意外にも教師からは高評価だった。
ヤケクソ気味な発表スタイルが真に迫っているように見えたのだろうか。
メンバーの一人であるタイナイの分析によると、他のグループがネットで簡単に手に入る文献からコピー&ペーストしたみたいな成果物だったので、俺たちの発表が新鮮に映ったのではと言っていた。
カジマはというと、各文献の記述をどれも否定しない、その姿勢が何より評価につながったんだと前向きな解釈だ。
何はともあれ俺たちは成し遂げたのだ。
しかし、課題のためとはいえテキトーなことをでっちあげた後ろめたさもグループ内にはあった。
俺も多少はあったものの、それも数日経つと薄れていく程度のもので、他のメンバーも同じだった。
ウサクを除いては。
「あの時は課題をこなすことで必死だったが、我々は大罪を犯してしまったのではないか? もし、我らの説が正史のように扱われてしまったらと思うと……早起きしてしまう」
会うたびに毎回こんな話をしてきて面倒くさかったので、俺はとある人物を紹介することにした。
正直なところ俺は未だにこいつの言うことをマトモに信じる気はないのだが、それっぽいことを見せたり言ったりはできるので、これでウサクに程よく納得してもらおうと思ったのだ。
「まあ、いいや。リダイアに関する記録だけど、マスダたちの説を後押しするような記録は未来にも存在しないね」
それは俺たちの発表内容がデタラメであることを示していたが、同時に未来には俺たちの成果物が禍根と共に残っていないことも示していた。
ウサクが信じるかどうかは分からないが、とりあえず気休めにはなるだろう。
「そうか……では、どのような記録が残っているんだ?」
「そうだなあ、例えば銀河大戦においてスパイとして、リダイアという名前の宇宙人が活動していた記録があるね」
どうしてそんなことを言うんだ。
それを周りに見られないよう、おもむろに自分の口元を左手で覆う。
「そりゃそうさ。君たちのいる時代から、数百年後の出来事だからね」
ガイドはそれに気づくと、慌てて取り繕い始めた。
「ええと、ウサク? 歴史ってのはね、あくまで歴史なんだ。ボクはそう思うよ」
訳の分からない説明に俺は思わずため息が出そうになるが、堪えてフォローした。
「ウサク、お前はちょっと難しく考えすぎなんだよ。リダイアがどんな人物であるか、何を為したかなんて、俺たちにはさして重要な事柄じゃないんだ。真偽がどうあれ、な」
後にウサクは、リダイアに関する資料を独自に纏め上げ、一部界隈で脚光を浴びることになる。
まあ、それはまた別のお話。
「ガイド、ウサクが書いた文献、記録は未来に残っているのか?」
「知らない」
こいつに話を聞いたのは失敗だったな。