はてなキーワード: ソ映画とは
これ事故だと思うんスよ
彼岸島をホラー漫画として売り出したら全然怖くないじゃんって叩かれたみたいな
ワイも映画館でチラっとポスターみたけど三木聡作品だとは気づかなかったし
https://www.daikaijyu-atoshimatsu.jp/
今日から公開だがなかなかの作品のようでTwitterでは「令和のデビルマン」というトレンドトピックまであがっている。
しかし実際に実写版デビルマンを観たら分かるだろうが、あの作品を超えるのは容易ではない。
これら全てが酷くて初めて実写版デビルマンと比較が出来るのだ。仮に大怪獣のあとしまつがこれらのどれかが実写版デビルマン以下だったとしても、恐らくそれ以外の項目は実写版デビルマンより上であろう。その時点で実写版デビルマンよりはマシなのは確かだ。(増田的に主演の演技力を超えることはこの先一生無理だと思っている)
別に実写版デビルマンが大好きではないが、ちょっとつまらないくらいで実写版デビルマンを引き合いに出すのは実写版デビルマンを観た人に失礼だ。そろそろ実写版デビルマンよりはマシだがクソ映画も定義すべきではないか。
美男美女アイドル集めてラブコメするクソ映画あるだろ?あれと同じ。
話題性だけあれば映画は売れるんだよ。ポリコレなんてわかりやすい話題性をスポンサーが見逃すわけないだろ。
そんなもんに初めから期待するな。
これって俺だけ?
ポリコレしたいならデモにでも参加すればいいし、政治家にでもなりなよって感じじゃない?
けど、バリバリの商業映画なのにそこにポリコレを持ち込むなよと
おそらくだけど糞映画認定を避ける為にわざとポリコレ持ち込んでるんじゃないか?
ポリコレがここまで急進的かつ効果的な表現の自由を邪魔するようになると誰が思った?
本当しょうもないな
【ブコメ返答】
「kei_ex これ言う人多いけど、黒人やアジア系や同性愛者が作中に出てくることによって感じるストレスって何?」→何言ってんの?黒人やアジア系や同性愛者が作中に出てきてストレスに感じたことなんてねーよ。こういう相手の内心を勝手に想像して決めうちしてくるやつって、違う意味で差別してるって自覚ないのかね
「ponpon_qonqon 具体的におまえがポリコレクソ映画だと思ったものの作品名を挙げてからじゃないと話にならんのだが。」→アマプラのシンデレラとかどうよ?
「B2igwzEE ポリコレがなかったら、例えばこの人に共通する容姿・人種・持病・職業などが片っ端から偏見にまみれた笑いのネタにされ侮辱される可能性もあるんだがな。」→ポリコレ全能かよwポリコレにそんな力があると思ってるんだな。むしろ偏ったポリコレとか逆差別にしか見えんけどな。
「Arturo_Ui 「ポリコレ」という概念そのものが無かった時代の名作も沢山ある」→洋画がひどいだけでそれ以外は言うほど侵食されてなくない?
「maruX 現実に存在する人々が映画に出てくるだけでうんざりする増田」→お前のそういう妄想のほうがずっとうんざりさせられるぞw
「t714431169 お前を喜ばせるためにお前好みの配慮が持ち込まれまくっている映画の多さに気づいた方がいいんじゃないの。」→言ってないことを勝手に想像して何言ってんだ?w誰と戦ってんだよお前
10年前くらいはインターネットで「好きな漫画はONE PIECE!全巻持ってる!」と言っている奴は偽物みたいな風潮があったんだ。今じゃ100巻近くなり、みんながみんな話をしなくなって逆に全巻持ってる奴ガチでは?みたいな感じになってるけどね。つまり見る人や時代でそのコンテンツの評価って変わるんだよね当たり前なんだけど。
洋画と比べて邦画はゴミって奴いるけどさ、そりゃ洋画の方が種類多いから当たり前じゃない?面白いと思う映画が多かっただけでしょ。そもそもクソ映画見てないんじゃない?洋画のゴミみたいな作品もたくさんあるけど目につかないだけじゃないのか。
今の曲は薄っぺらい、昔の曲は良かったって言う奴。それはお前が老けただけなんだよ。流行りの曲は流行りに流れてく若者のためにあるんだからさ。そもそも昔の名曲だってご老人どもが若者の時に歌ってたんだからさ。新しい物を理解できないのは老化の第一歩だからお互いめんどくさいジジババにならないように頑張ろうな。
好きな実況者の再生数や同接の人数で戦う視聴者達。お前らは本当になんなんだ。テレビより距離が近いと関係者になった気持ちになるのかな?最近のファンって応援だけじゃなくて後方プロデューサー面で腕組みしながら他人と比べてグチャグヂャ言うのが主流なんだろうな。
自分が好きな物が「一部の知識人」「社会的な成功者」と同じって快感だよな。自分もそっち側に行った気持ちになるもんな?なるなバカお前は何も変わってないんだぞ。
最近増田で「スパチャしたけど振り向いてもらえなかった」系ブンガクの多くて、「は~ほんとこいつら楽しそうにVTuber語るなぁ」とここ最近思ってる。
ちょびっツのセリフみたいに「そんなに推しに熱入れて楽しい?他のことよりもずっと?」って聞いてみたい気もある。他にやることあるだろうに。暇なのか?義務からの逃避なのか?そんなことも気にならないくらい熱中してるのか?
それはそれとして、自分の稼いだ金(か、親か配偶者が稼いだ金)を自分の関係のない人につぎ込んで、挙句それがドブ金になった!って、
自分から見たら単なる身から出た錆、穴があったら入りたい系の体験でしかないわけだけど、
それをさも「悲劇の恋物語」のように語れる増田には感心するし、そのナイーブなこころもちというものを一遍体験してみたいもんだなと思ったりもする
でも今のところスパチャしようとか思うVTuberとかいないんだよね。1万円は大金だ
だもんだからなんか面白そうなVTuber知ってたら教えてほしい
なんかチャット中にお布施として1000円ぐらいは出してもいいかなって思えるような感じの奴を。
もし動画紹介してくれるんなら、アイドル系みたいな「このノリ知ってて当然」みたいな動画じゃなくてそういうのに疎い奴用に普通に面白いか自己紹介系の動画にしてほしいです
あとてぇてぇとか言わないやつ
参考に今まで見たVTuberとその感想みたいなのをあげておきます
生放送とかフルで見たりすると大体退屈なのも相変わらず
とはいえ最近は見ていないがたまに見ても楽しいと思えるのでクオリティは落ちていないんだと思われる
定期的に見てる。よく考えたら初期からずっと途切れずに見てるのはこの人ぐらいしかいないかもしれないな
見ている理由は、知ってる作品のパロディ解説だと結構ツボったことがあるから
ファスト映画騒動で映画紹介動画は消されてしまったのでもう見ることはないかもしれない
見た目は最高にいいんだが
案の定言葉は分からないので挙動見てるか歌って見た系のまとめだけ見てる
もう字幕付きもめんどくさくて見てないな
ただのヤンキー
ヤンキーなのにこの見た目はなんなの?
でもしゃべりがそんなに面白くない。
銀髪ポニーテールって見た目が最初にこいつにとられたせいで、このタイプの見た目の奴が一個も出てこないのがきつい。
あんまり嫌いになりたくないから動画は見ないでファンアートだけ見てる
見た目と声はいいんだが
その声通りに中身が子供なのか企画がどれも詰まらんし、これいまだに見てるやつがいるんだろうか?
中身幼女かもしれない疑惑でフォローだけはしてるけど動画はすでに見なくなって久しい
そもそもシスターってだけでエロいんで見ない方がいいんだろうなと想像しているのと、そうでなかった時の失望を味わうのが嫌で手を出してはいない
元ネタ一個ぐらい見ておこうと動画見たけどアバターが思ったよりしょぼかったんでそれ以降見てない
いつの間にか消えてた
というかまあ、あの内容だけだとこの先続けて他も飽きた可能性が大の気がする
実際あの時期のVTuber界隈ではトップクラスに面白かったのだが、流石にノリにつかれたのかピー丸様動画でもう大体補充出来ることに気づいて以降はなんか興味が右肩下がりになっていった
ソシャゲコラボ動画辺りがなんか妙にとんがってて面白かった記憶がある
10連ガチャでコラボキャラが外れる度に排出率決定した奴に電流流すってやつ
また路線変更して元の自称吸血鬼系のノリに戻ってしまってからはまぁあまり見なくなった
まぁいつまでも裏を突いたようなネタ続けられるわけでもないしね。
なんか見るの辛くなってやめた覚えがある
見た目は最高で、声はそこそこ
がまあ、可愛いだけで別に中身は面白くない典型的なアイドル系だったと思われる
面白かったのがAstronomiaとかScatManのコピーぐらいか
見た目、喋り方はそこそこいいのに、あまりの中身のなさに見るのを辞めてしまったのだと思われる
ゲームにしてもなんにしてもお仲間とつるんでキャッうふふしてる系で、そのお仲間に対する知識とかが無い状態だと
アイドル声優系のコンテンツで見かける女性同士が何かお喋りしているだけの奴を延々見せられてる感
ああいうものを見て滾るタイプの人にはいいのかもしれないけど、別に自分には響かなかったな
がうるぐらも同系統くさいんだけど、あちらは中身何喋ってるかわからんから判断保留状態なんだと思われる
知ったのはのじゃおじより後
あんま特徴無いなと思ってたけど、大体バイオハザード実況とか悪夢っぽいゲームお実況辺りで好きになった
その後なんか分裂していったあとは追うの大変だなって面倒くさくなったのか急速に関心が薄れていった
という結論になりました
欲を言うならゲーム系実況はボイスロイド実況並みに「ゲーム知らなくても楽しめる」系の奴がいい
「お前にふさわしいVTuberはこれや!」って叩きつけてください
ルックバックがバズり散らかして、藤本タツキの名前の通りがよくなったことを勝手に喜ばしく思っているところである。
さて、この「ルックバック」であるが、タイトルに何重もの意味が込められていることは、バズり散らかし作品に真っ先にいっちょ噛みしたいパーソン、および俺が一番藤本タツキのことをわかってると思いたい後方腕組み彼氏面パーソンに任せるとしよう。
藤本タツキの前作であるチェンソーマン、このタイトルの連載であるが、チェンソーの悪魔でもなく、デンジくんでもなく、チェンソーマンがタイトルだ。今回の「チェンソーマンは何故『チェンソーマン』というタイトルだったか」という表題であるが、最初からこの表題でなんか書こうと思ったわけではなく、チェンソーマンの考察をしていたら、「チェンソーマン」というタイトル、なんも知らん人からみたらB級にもほどがあるこのタイトルに込められた想いに関しての妄想が膨らんでいた。そこにルックバックという弩級の、しかもタイトルが芸術的な読み切りが出てきてしまったので、書かずには居られなくなった。
以下、私の誤読発表会であること、誤読発表会に過ぎないことを甘んじて受け入れる。
なお、完結済みのチェンソーマンのネタバレは一切避けない。ネタバレを気にする人は絶対に読んではいけない。
まず、主人公のデンジはずっと「普通の生活」への憧れ、パンにジャム塗って食うことに憧れを抱いていたほど貧しく、その日その日を必死でサヴァイヴしてきた。第1話でその憧れを手に入れたデンジと同じような放心感と、第1話を読んだときの私の放心感はきっと近いものがあった。
その後、デンジは上がり続ける「普通」のレベルや、望むものが手に入った時の「こんなもんか……」という失望、望むものをぶち壊された、ぶち壊した絶望などを通し、考えなければならないことが増えすぎた結果、「なんにも考えずに生きてえ」「マキマさんの犬になりてえ」と思うほどの生活になることができた。なってしまった。そりゃそうだ、さんざん死ぬ思いして、せっかく手に入れた「普通の家族」も、あっというまに終わりを迎えてしまったのだ。それも自らの手によってだ。裏ではマキマさんが糸を引いていたが。
このあたりのテーマは、岸辺とクァンシの会話の中でも明示されている。幸せに生きるには無知で馬鹿のまま生きること。「自分」の考えなど持たないほうが幸せだということだ。
最終決戦、デンジはマキマさんに「あんたの理想の世界にクソ映画はあるのかい」と問う。「無い方が良い」と答えるマキマさんに、明確に敵対するデンジ。この成長っぷりだ。完全に「少年漫画の主人公」だ。
直前のコベニちゃんとの会話で、嫌なことがない人生なんてない、という「普通」に気づくのだ。
作中の悪魔には名前がない。○○の悪魔、という概念でしかない。マキマさんも、チェンソーマンと呼んではいるが、デンジくんでもなくチェンソーマンでもなく、「チェンソーの悪魔」にしか興味がないのだ。これは作中でほぼ明示的に示されている。マキマさんは徹底的に、チェンソーマンの中のチェンソーの悪魔という概念にしか興味がないのだ。デンジくんだからではなく、「チェンソーの悪魔の拠り所」としてしか興味がない。典型的な悪女である。えてして悪女は魅力的で、私もコロッと騙された質の人間はあるのだが、とんでもない奴だ。好き。
ここのズレなんだよ、ここのブレなんだよ。チェンソーマンというキャラクターのペルソナをかぶりたいデンジと、チェンソーの悪魔を支配したい(またはチェンソーの悪魔に支配されたい)マキマさん。他人が作った、他人が求めるキャラクターになりたいデンジと、他人を恐れて全てを支配したいマキマさん。クソ映画も映画なりと、ゴミみたいな感情も人生なりと受け入れたデンジと、ゴミみたいな感情になるなら無いほうが良いとしたマキマさん。
これは藤本タツキファン、ファイアパンチファンにとっては「また」なんだよ。また演技と、狂言と、ペルソナの話なんだ。デンジは目的=自らの欲望に関して嘘は付かないし、付けないのだ。自らの欲望に嘘を付くくらいならデンジという個、ゴミみたいな人間であるという個を捨て、民間のヒーローである「チェンソーマン」になる、なれる、なりたいヒーローなのだ。朝からステーキ食いたい、彼女がほしい、「悪いことだとわかってるけど」5人10人ほしい、たくさんセックスしたい、「だから」チェンソーマンになりたい。デンジくんは、チェンソーの悪魔でもなく、デンジでもなく、誰かの望んだチェンソーマンになりたいのだ。だからこの作品は「チェンソーマン」なのだ。
結論から言うと、この作品は低品質なタイプのクソ映画ではない。
たしかに動きは少ないが「100日後に死ぬワニ」の作画としては妥当な範囲内だ。
劇判がでかすぎるとかそういうことはなくちゃんとコントロールされてるし、役者もさすが一流どころなだけあって違和感のある演技には感じなかった。
ただ良くも悪くも原作の雰囲気が再現された結果、演出に抑揚がなく多くの人はつまらないと感じるだろう。
63分の上映時間で1900円のフルプライスをとってることに目を瞑れば、100ワニに相応な映像化といってよい。
ではクソ映画ではないのか?
以下にその理由を記す。
無駄に音がデカかったり音割れしてたり演技が棒だったり合成されたCGがショボすぎたりして興をそがれるタイプだ。
主人公に目的が設定されてなく、起きる物事をカメラが追いかけるだけでただひたすら時間が経過していくタイプや、物語の展開の仕方が強引を通り越して牽強付会でぐちゃぐちゃになってるタイプなどだ。
原作のキャラクターなどの要素を使ってるだけで全く別の作品となっててファンが怒り狂うタイプの原作付き映画がこれに当たる。
この作品は前半でワニが生きた100日間、後半でワニが死んでからの100日間を描く。
そして、前半で描かれたワニを中心とした友達のコミュニティにこのカエルが入ってくるのだ。
これは見方によってはワニのポジションをカエルが乗っ取ったように見える。
しかもこのカエルは観客のヘイトをめちゃくちゃ稼ぐ立ち回りをしてるので余計にこのクソガエルが!という心情になってしまうのだ。
この点で、ワニが好きだった人ほど、この映画は受け入れがたいものになってしまった。
友人が死んだとしても、残された人は生きていかなければならない。
しかし、ワニを主人公にした物語でその主人公が死んだあと、その主人公の代替品を手に入れて乗り越えましたという印象になりかねない物語展開はワニが好きだった人ほど受け入れられないだろう(ワニのことを忘れたわけではないという演出はされているが、観客の印象をコントロールできるほどかというとそこまでではない)。
ではどうすればよかったのか?
残された側のネズミを主人公にすればこの問題は回避できたと思われる。
これならワニという親友を失ったネズミの心情に観客は寄り添うので、ワニを失った悲しみを乗り越える様子にも肯定的な感情を抱くことができただろう。
実際、監督としても可能な限りネズミに感情移入してもらおうとしたのか、その工夫をした余地は作品からもうかがえる。
例えば前半のワニのエピソードはネズミとのやりとりが多く、後半もネズミのシーンが多い。
しかし、原作はワニの物語、映画のタイトルもワニ、前半のエピソードもネズミと関わってるものが多いもののネズミが絡まないワニのエピソード(特にワニと先輩ワニの恋愛模様のシーンのほうがネズミとのものより観客には印象に残った可能性が高い)も多く、ネズミが主人公であるという刷り込みを観客にするには不徹底なため、ネズミを主人公と捉えることは難しい。
結果として、観客は主人公はワニだと思い込んだまま、ワニが死んだ後のコミュニティにカエルが入り込むのを眺めるというグロテスクなシーンを見せられることとなってしまった。
とはいえ、ワニではなくネズミを主人公にするのはマーケティングの観点から言っても難しかったと思われるので、その点は監督に同情する。
えぇ、わざわざ踏みに行きましたとも
見えている地雷を
感想としては可もなく不可もなく
特に不快感もなく60分拘束されるだけだし、時間をムダにしても気にならないんなら見に行けばいい
本音を言えばお前らにも苦しんで欲しい
オレはおなか壊して二周見ることになった
南無三
ワニが死んだ後にやってきたカエル君がワニのポジションを引き継ぎましたとさ、ちゃんちゃん
以上、閉廷!
ほんとうにこれだけの映画です
対戦ありがとうございました
合わない人にはキツいだろうし、まぁつまらないのもわかる
1点だけ擁護するとしたら
それは間違いない
100日間かけて成立してたコンテンツにメッセージ性を入れて完成させただけで称賛モノでしょ
登場キャラ達はワニ君がきっかけで友達になっただけだから、ワニが死んで疎遠になってしまう
みんな気分が落ち込んでる中、田舎から能天気なカエル君がやってくる
親しい人が亡くなった悲しみを共有して仲良くなるってのは、不謹慎だけどリアルに感じたよ
ネズミみたいに落ち込むのか、カエルみたいに無理に元気出して空回りするのか
実はこのバイクどこも悪くないんすよ
悪意をもって考えれば、ネズミと友達になりたくて必要のない修理を依頼しただけに見えるけど
そうじゃないんすよ
直接は描写されないんだけど、カエルはバイク事故で親友を亡くしてて(たぶん)
それを察したネズミが
「このバイクどこも悪くなってないよ(お前はまだ走れるぞ、頑張れカエル)」って励ましながら
このシーンは人によっては泣けるかもね
(ワニの扱い悪すぎてカワイソス)
そうしてカエル君は見事にワニのポジションに成り代わる、ちゃんちゃん
画風や普段のtwitterを見るに原作の[きくちゆうき]氏は死ぬほど趣味が悪い
監督か脚本か原作か知らんが死ぬほど悪趣味なやつが制作陣に紛れてる
原作者説濃厚
空いた席には気がつけば他の誰かが居座っている
当たり前の話だけど、それって人間関係でも同じよねって
良い悪いじゃなくで逃れられぬカルマって感じ
ニュアンスよ!これで届いてくれ!
『人間が生きてれば、良くも悪くも影響を与える
ポジションを奪われて
存在を忘れ去られたとしても
それが生きた証になるんだよ~ん 』
くっさ
けど伝えたかったのはそんなとこかなと
ネズミくんはワニの真似して
ミカンのうまさに101点つけたり
六時の真似をしたりする
まぁわからんくはない
オレだって
ファミレスでライスにペペロンチーノとオリーブオイルかけて食べたり
ALI PROJECTの曲が唐突に聞きたくなったりする
急に思い出してしんどくなった。
すまん。
これは多くの人が勘違いしてるとおもうんだけど、100ワニは感動ポルノじゃないよ
もう一回言います
映画を見終わってそう思った
そんな配慮のなさを感じた
そもそも100日後に死ぬワニをみんなで眺めようって企画が死ぬほど悪趣味
だから勝手に<命の大切さ>や<何気ない日々の大切さ>が主題だと思い込んでた
オレたちは
だけど違うんだよ
だってキャラの死を玩具にしようと本気で考えるヤツがいるなんて考えもしないよ
サイ〇パスだよ
でもキクチユウキ氏の作風を見てると、そんな気かしてくるでしょ
友人の死を乗り越えて、
それでもなお<お前の代わりはいくらでもいる>
そんなドロドロした不気味なクリエイターの情熱を感じました まる
記事を書くにあたって、100ワニ前のきくちゆうき氏のインタビューを読んだ
読まんでもいいです
どうやったらグッズが売れるか
100ワニは
どうすればグッズが売れるのか
キャラを死なせて香典を作者が回収するってのは手法として理にかなってるよ
自分も倫理0点なのでこれに関しては何が悪かったのかわかりません
ツイート控えめで最初から悪趣味な企画であることを明言しなかったことか
1).みんな誰かの死を抱えて生きてる
2).死に直面した反応は人によりけり
3).お前の代わりはいくらでもいる
4).与えた影響は不変
良いところもない、ひたすらに無難でした
映画は全体的に薄味です
薄めた毒に近いかも
人によっては薬になるよ
みんなオーバードーズで死んでね
マルチまがいのプぺ〇だか、過去作レイプのトイ4なんかよりは実害はないから作品としてはちゃんとしていたと思います
とはいえ、わざわざ劇場の音響とスクリーンで見る意味はないかな
広い箱をほぼ貸し切りってのは気持ちよかったから、公開終了が近づいたらまた行くかもしれません
読みにくい部分を少し書きなおしました
反応があるとやっぱり嬉しいものですね
ユアスト>>ニノ国=100ワニ>>プペル>トイ4
自分の主観がかなり偏ってる自覚はありますが、制作陣が創作物に思いを注いでいるかが評価に直結してます
(ほとんど見ないけど)
あーこれはクソ映画でどうしようもないけど好きで作ったんだな~って作品は駄作ではあっても不快ではありません
そういった意味ではドラゴンクエストユアストーリズは好きな作品でした(オチは許さん)
だってあのビアンカ、フローラのモデルは絶対こだわって作ってたじゃん
愛ですよ
一言で言えば単純につまらない映画だった。おススメはしない。つまらないし。退屈だし、眠いし、60分の映画じゃないとたぶん寝てた。
物語自体は破綻しているわけでもないし、矛盾やおかしな演出があるわけでもない。個人的にはそういうものを求めて見に行ったけども、思いのほか綺麗に纏まっていた。ただ、物語が破綻しているのであれば、実写版デビルマンみたいに映画にツッコミを入れて楽しむという、やや歪んだ形ではあるけども玩具のような楽しみ方はできるが、そういう楽しみ方もできない。
原作だと100日後に死ぬことがメタ視点で提示されており、それを当然ながら知るはずのないワニの日常を眺めるという手法で描かれている。で、ワニの日常を見ているだけなんだから、とくに盛り上がりもなくてつまらないんだわ。画面の端でカウントダウンをするとか、せめてシーンの切り替わりに「運命の日まであと〇〇日」とか入れてくれればいいのに。
日常がつまらないのもそうだし、やたらと間があったり、格ゲーを遊んでるシーンや大会では尺稼ぎをしているとかしか思えんくらい長かったりするのも退屈に拍車を掛けている。
物語の中盤(映画の開始時でも描写はあるが)、ワニが何らかの要因で死んでしまい、本作最大の山場のはずではあるが、原作からしてそうなんだから仕方がないけど、明確に死が語られるわけでもなく、日常描写と同じノリで淡々としているのだから、やっぱり盛り上がらない。
そして終盤、うざいと評判のカエルが出てくる。マジでウザい。でも、ワニやネズミも声が付くとかなりウザいよ。とくにネズミ。
ワニを失って意気消沈していたコミュニティが、その死を乗り越える展開になっているけども、心理描写は多くは語らないが、かといって表情で表現するというわけでもないので、単純にカエルがウザいだけなのが癪に障るだけだった。
100ワニの映画を見た感想としてはこんな感じ。クソ映画だと言うつもりはないけど、ただひたすらつまらない。100ワニ映画叩きで「虚無」って言葉がちょいちょい使われているのはそのとおりだと思うし、〇〇の部分がクソ!みたいな叩きが少ないのは、盛り上がりなくて語りようがないということもあると思う。
自分が見たときは劇場には30人くらいはいたが、映画が終わった後、誰も言葉を発しなくてなんとも気まずい空気になっていた個人的には印象的だった。
「アレみたいだけどアレじゃない新作を{見たい|見せろ|作れ}」という声は観客からもスポンサーからも上がるものです。
ある程度以上たくさん作られると”西部劇”「ジャンル」になり、数が少なくて類似度が高いと「パクリ」と言われたり。
ジョーズ然り、スターウォーズ然り。ゴジラ然り。PUBG然り。ドラクエ然り。
吸血鬼を狩るアニメも鬼滅のヒットを受けてきっと企画が走っているでしょう。
で、本作は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ものと言えます。実際はそれよりずっと前からの企画だったようですが。
(「ヘイル・シーザー!」「プロデューサーズ」という作品もありました)
1974年のハリウッドを舞台にした、人間の屑映画プロデューサーが主人公の、映画作りを舞台にしたコメディ。
主たる劇中劇がマッチョな映画の代表ともいえる西部劇作品なんですけど、女性が監督に立候補する。え?西部劇だよ?無理無理、って反対する主人公(プロデューサー)らがちょっと間抜けに描かれます。逆にマッチョの体現者(ジョンウェインを思わせる)老俳優がその女性監督を抜擢させます。
映画の内容も、ざっくり言うとインディアン(アメリカンネイティブ)を敵として生きてきた主人公が老人となって最後にインディアン(アメリカンネイティブ)の味方になるというもの。これもステレオタイプではない、「新しい」西部劇っぽいですよね。
BLM時代を反映する黒人差別ギャグもあります。メインキャラクターの一人、モーガン・フリーマンは映画オタクで部下のチンピラを引き連れて主人公の映画製作の邪魔をしたりする悪役なんですけど美味しい役どころ。
部下も当然黒人。
親分が「ここで○○(作品名)がShotされたんだ」って言うと
撮影のことをShootっていうのが掛け言葉になってるんですね。(ツーショット写真のShotと散弾銃ショットガンのShot)
でも最後には「これからは黒人主演の黒人のための映画を作るぜ」ってなっちゃう。(タランティーノも好きな「ブラックエクスプロイテーション」ってやつを反映してるんだと思う)
これは字幕で訳出されていないんですけど、新進気鋭の女性監督はリアルを追及して地味な色調のまま画を撮ろうとする。インディアンの服も、橋も、建物もみんな茶色。
頭が古そうなベテランスタッフは「カラーが足りない…」とボヤく。
で、撮影中に上記の黒人ヤクザの子分が派手な服装で現れたのを見てそのスタッフが一言
これ、服の色だけじゃなく、Colored People =有色人種 というネタですね。
英辞郎でいうと”1.色のついた、色付きの、着色[彩色]された、有色の、色づいた
2.有色人種の ◆特に「黒人の」という意味で用いられた時期もあったが、今日ではblackを用いるのが一般的。”
また、若き日の俳優は黒人女性と愛し合っており、結婚したかったのですが、キャリアのためにそれを断念したー断念させられたという過去が明かされます。ここも現代風ですね。
現代社会視点の盛沢山の中に、最後にLGBネタまでもぶち込んでくるのはサービスしすぎかな?
多幸感に満ちた、「これぞ大団円」って感じで終わるので、多少のツッコミどころはありますが、おおらかな気持ちで楽しめる、良い作品でした。
エンドロールが始まってから、冒頭の屑プロデューサーの作ったクソ映画の嘘予告編が流れて、これもタランティーノを連想する要素でした。
もう5番煎じくらいだけど、書きたくなったので筆を執る。
こういうところがいけないんだよなあとは思う。
増田でも満たせそうだがどっちかってえと読む方なんだよな。増田でも承認欲求満たせるかな?
今期放送のアニメとかを適当に消費してTwitterあたりに感想を書くだけで共感が貰える。こんな楽なもんはないよ。
重要なことは、どこか人が見てるところに吐き捨てるってところだ。
オタク的な深堀りや探求をしようとすると苦痛になるだけだからしなくていい。
この目的のために見たくもねえ定番コンテンツを消化しようとするから続かないのさ。
やりたいことは知識バトルでバチバチすることじゃないはずさ。なら、やることは決まってくる。
俺はバチバチしながらチヤホヤされたいから自分が生まれる前のクソ映画の消化してるよ。ああ。
ジャンルを間違ってしまったので反応が薄く、あんまり承認欲求は満たせなかった。
短期目標で1エピソード何字くらいってボリュームをきめて、毎日投稿できる量を書いた。
プロットと設定を大まかに決め、1話あたりの展開を前者に沿って、たまに外したりしてた。
液晶タブレットや左手デバイス、参考用の画集やらを買ったりするくらいは投資している。
俺がやりたいのは絵が描きたいんじゃなくて絵で承認欲求が得たいんだ。
だけど、そのためには手が早くないといけない。手が致命的に遅くなってしまったのでコスパは最低。
別にうまくなくていいんだが、中途半端に絵を描く人間やってるせいでうまくなりたいと思ってしまう。
あー、絵でバズんねえかなー。
練習が苦痛なら手先も不器用で運指もままならねえ。続くわけがない。
ちょっとでも内容についてぐぐったらトップに出る程度にはネットで有名になった。
細かく色々ジャンルはあるけど、自分の守備範囲のコミュニティで「しってるー」って言ってもらえる事が多くて満足している。
だが信じていて頭がいい連中を欺くには相当気合を入れて自分から騙す必要がある。
韓国映画パラサイトの金持ちが住んでるような1階はガラス張り、広い庭、愛玩動物ミニチュアダックスフンド付きで、若干雑然としていて生活感はあるもののアイテムの一つ一つが洗煉されオシャレな一軒家に暮らす幼い主人公。
彼は妹が生まれたことで両親の愛情や関心が妹にばかり向かってしまい嫉妬し泣いてしまう。
妻が職場復帰したことで在宅勤務の仕事(恐らく相当な高給取りであろう)とそんな2人の幼子の育児に忙殺される父親の苦悩。
両親の実家との関係も良好そうで、祖父母からは孫である主人公と妹に多大なる愛情が向けられていた。恐らく実家の方もそれなりには裕福であろうことが覗かせる。
冒頭ではそんな様子がいろいろと描写されていた。
こいつらに苦悩があるなら俺の人生はなんだ?
こいつらからすると俺の住処などうさぎ小屋にでも見えてるのだろうか?いや俺みたいな階層の底辺、視界にすら入ってないんだろうな。
そんなに辛いのだったら俺がお前の人生変わってやろうか?こいつらは明日俺と身分が変わってたら絶望し発狂して死ぬんだろうか?
そんなことばかりが頭に浮かんだ。本編など何も頭に入らなかった。いや正確にはあの辺りから先を見ることができなかった。
気づけば涙が止まらなかった。
俺の生きてきたすべてが侮辱された気がした。
俺にはわかる。