はてなキーワード: カウンセラーとは
仕事上でどうしても接点のある人がHSPらしく、いろいろ疲れた。
人よりも敏感に察して、人よりも相手の気持ちを慮ってしまうらしい。(その人曰く)
みんなが気づかないようなことも、敏感に感じ取ってしまうから、色々としんどい思いをするそうだ。
身内に鬱病と診断され治療中の家族がいるから、メンタル的なことの大変さ・辛さは当人にしか分からないしね。とも思っている。
私でできることは対応しますよ、とは言ったものの、とにかく風当たりが強くてもうしんどい。
特にその人が生理期間中は、ちょっとしたことでも食ってかかられるから、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
今日は暑くてバテてますねーって他の人と世間話していただけでキレられた。
「私がしんどくて、いつものように仕事できないからって嫌味言わなくても」だそう。
でもさ、私はその人の家族でも友人でもないのだから、なぜ私がこんなに気を使って耐えなきゃいけないの?という気持ちが強くなってきた。
上司はなぁなぁで済ませようとする。
下手に何か事を起こされたら困るからだろう。
この私の気持ちは敏感に感じとってくれないのかな。
夫に不倫されて(https://anond.hatelabo.jp/20200725094913)、話し合いの結果、反省している・初犯・酒の勢い・性欲のみ(相手を好きになってとかじゃない)ということで離婚はせず関係を再構築していくことになって、妊娠して、ありがたいことにおなかの子も順調に育ってくれているんだけど、まーーーーートラウマになるよね。
不貞行為の動画を見てしまって、それが不意によみがえってきてしまってものすごいストレスになっている。
ストレスなんていいことなんにもないし、おなかの子にもきっとよくないだろうし、忘れたいんだけど小さなきっかけで高解像度で思い出してしまう。当初はそのたび夫に話して気持ちを整理しようとしたんだけど、気持ちは全然整理できないし、お互い愉快な気持ちになるわけないしで、この件については話さなくなった。
夫の事はまだ許せる気はしないけど、こっちに気を遣ってくれてるのはすごくわかるし、体のことも気にしていたわってくれていると思う。家の中の空気も、ギスギス感はずいぶんなくなって、子ども生まれるの楽しみだね、性別どっちかなっていう楽しい話もできるようになった。
切り替えていければいいんだけど、毎日なにかしらフラッシュバックは続いていて、切り替えられない。
カウンセリングを受けたいと思っていろいろ調べて、何件かカウンセラーやメンタルクリニックに行ってみたんだけど、相性があるみたいでなかなかピンとこない。
(フラバに困ってるって言ったのに「考えないようにしなさい」とか、話聞いてたか?みたいな反応だし・・・)
初回でいきなりうまくいくっていうのはないとわかってはいるんだけど、収入も少ないので「微妙だな・・・」と思ったカウンセリングにお金をかけることができない。
以前ここにグチって、
「そんな歪みを抱えた夫婦の間に生まれてくる子の未来を思うと暗い気持ちになるな」ってコメをもらった。
これは自分でも危惧してることで、自分が精神的に不安定だと産後うつとかも心配だし、何より子どもにいろんな思いを託してしまいそうで怖い。
ずっと子どもが欲しくて、でもできなくて、やっとできたと思ったら流産して、アラフォーだから高齢出産になるし、そんな中自分のところに来てくれた子どもには本当に感謝をしている。
初期、切迫流産になって諦めかけたけど踏みとどまってくれて、その後は順調に成長して、最近胎動がわかるようになった。
生まれる前からメチャクチャ親孝行してくれてて、めっちゃありがとう大好きってずっと思ってる。
なので、私の不安とかそういう重いものを託したくないんだよ・・・。
カウンセリングすりゃ解決するわけじゃないけど、自分の気持ちを整理してちゃんと前を向けるようになりたい。
しっくりくるカウンセラーに巡り合いてえ~~~~~
同じ仕事してる人(同僚とか同じような職業の知り合いとか)に話を聞いてみるとか。
そもそも親は私のことを小さい頃からずっと「バカ」と言い続けてきたし、ブスな上に努力もせず、ボーッとしてる上に人付き合いが苦手でいじめに合い……周りから奪われる自信と、それをはねのける自分の精神力の無さが原因だと自分では思っている。
親や周りの人間への怒りと、自責の念が交互に出てきて、ずっと頭の中でグルグルと回って動けなくなる感じ。
自分の場合は、「過去の自分辛かったよな。あんな環境でよく頑張ってたよな。偉いよな。」って心底思えたら、一歩先に進めた。
誰かのせいにするでも無く、自分のせいにするでも無く、全部仕方なかったことだけど、そこには確かに頑張って耐えていた自分が居たと認めること。そんな自分を労ってあげること。
もし次メンタルクリニックに行く機会があったら、幼少期〜思春期にこんな辛い体験をした、という視点で話してみたらどうだろう。
大人になって起こる不適応は大体生育歴に原因が潜んでるって最近はもはや常識だし、医者やカウンセラーもちゃんと聞いてくれると思うよ。
あんなめちゃくちゃな長文お気持ちをたくさんの人に読んでもらえてびっくりしています。
やべー……くそみたいな記事にこれまた正論でぶん殴ってくるコメントが多いのに普通に超嬉しい~
同情してくださったコメントはもちろん、きっつい正論もこれだから女はみたいなミソジニー風コメントも全部嬉しい~!
交霊処女ができあがる一例というパロディ記事まであったよ!くだらねぇ!嬉しい~!!
そもそも増田が何で結婚したいのかが分からない。(中略)そこまでして結婚したい理由もないなら、別に結婚する必要もないんじゃないかと。
結構料理とか掃除とか家事も好きだし、怒られそうだけど週5~6で8時間とか働くの私にとっては本当にキツいんですよ…これからもっと体力なくなって気力もなくなってくのかと思うと本当に怖い。パートタイム労働者くらいがなんの才能もない私には合ってるんだろうなと思う。誰かそこそこに気の合う人と結婚して、家のことしながらパートして社会参加するのが未来のヴィジョンとしては働き続けるよりか現実的に思えて…
でも子どもが欲しいわけでもなく、ただ別の寄生先探してるだけって言われるとぐうの音も出ない
おまんこポエム!いい得て妙だね!おまんこの精神的所有権についておまんことそのおまんこの母がギャースカやってんだもんね
まごうことなきおまんこポエム。長文読んでくれてありがとうね!
(略)挙げ句の果てにwebデザインの勉強?30歳にもなって?バカじゃないの?通信教育で一人前になれるほど優しい世界じゃないよ。(略)
その世界で一角の人間になれる!なんてことは全く思ってないです。ただ、今はほんと何の特別な能力もない事務仕事してるわけですよ。Excelも表面的な機能のみ、電話とったりパソコン上で書類をPDF化してまとまってるのをまたExcelで編集してPDF化し直したり、ほんとめっちゃ普通の仕事。契約社員なんで切れたらさようならだし、もうちょっとましな事務社員として継続的に採って貰えるとこに転職したいんすよ…
はてな記法もムズいな~と思って使ってる様な人間から脱したいわけです。
Webデザイナーになれると思ってるわけでもなく、ただもうちょっと契約きれて次行くときやら転職するときにマシになれるひとつのスキルになればいいんだけどね…とりあえず勉強頑張ります。
大病していた時期に親に逆らえなかったのは同情するけど もう治ったんだよね?だったらもうどうでもよくね?
体調に波があって一生薬飲んで付き合っていかなきゃならないやつなので治りはしないんですよ…
でも最近はまぁまぁ付き合って生きてってるんでお金と比較的安定的な職を見つけられたら(言うのだけは簡単だね…)自立は不可能じゃないかなとは思う
なんで「隠れてやる」って発想が一切無いんだろう?
いや~…結構厳しいっすよ…一時間で繁華街に出られる立地なんで、帰るのに一時間は見とかないといけなくて、まぁ6時とかにご飯食べるじゃないすか、小一時間たって7時、残された時間は2時間弱です。9時くらいには身なり整えて帰路につかなきゃいけないんですよ。「隠れてやる」ならね。でもみんなそうやって大人になってくんだよね?めちゃくちゃ器用じゃね…?しかも何食わぬ顔してなきゃならないんだぞ…女の子たちほんとすごいよ…元々、今日はセックスすんぞ!って計画で行きゃよかったんかなー
なんかこの辺りの「隠れてやりたきゃ不倫並に計画して隠し通せ」みたいなのを出来るほどセックスに積極的になれて耽溺できてたらこんなことで悩まないんじゃない?って矛盾すら感じるよ。
親が生きてるだけで何事にも変えられんくらいありがたいやろ
仕事クビになっても布団と飯にありつけるんやぞ
煽りじゃなくてどちゃくそわかる。だから母を安易に裏切れないんだよ。私の生活費やら医療費を親は負担してくれてるんだもんよ。寝る場所も大事な物もぜーんぶ実家にあるわけだし、唐突に切られたらめっちゃ怖いわ。今になってやっと、まぁ遅かれ早かれ…って感じで受け入れてきっとレオパでも探すけど、意志薄弱に生きてて生活基盤も親依存でとにかくリスクとりたくない時もあった。
セックスさせられないという後ろめたさがあったからほとんど割り勘を申し出てて、まじでほんとに割り勘してきたから無罪かな?
子供部屋おばさんですね。
前述しましたがほんとその通り。こどおじという言葉が流行り出したときドキッとしたもんだわ。
私もあると思ってたのになかったんだよ~!その上父親自営なんだよ?なんかツテありそうなのにね~!ないんだって。
面白いこと言いたいオタク女だからお高く留まってるつもりは1ミリもなかったが、セックスさせない時点でお高く留まってるというならお高く留まってました。ブコメだったかで「過去の男は『ブスの癖に出し惜しみしやがって~』って思ってるよ」みたいなのがあったけど絶対思ってるね!
私は20代半ばで脱会を決意し、親と争いながら自分の人生を生きることに成功したけれど、その道のりはあまりにもエネルギーを消費するものだった。
大学時代、就活の時期や恋人ができるかどうかという瀬戸際だった時期、周りの友人や先生方、カウンセラーの方が私の抵抗にも介さずゆっくりと洗脳を解いてくれて、最終的に脱会を決め、自分が就職したい会社に就職し、恋人を作ることができた
こんな記事に本当に闘って乗り越えつつある方がこうしてコメントしてくれて恐縮します。親がそのときの流行りだのノリじゃなく禁止して、その上監視してくるって想像より何倍もきついですよね。あなたは今の生活を勝ち取ってこうして私にバトンを渡してくれようとしてる。恩師の言葉も、なんというかいいなぁ……あなたが自分が楽しいと思うことをして欲しい…かぁ、こういう肯定的な温かなエールってほんと素晴らしい。あなたの選んだことを応援するよって言ってくれる人に出会える体験って素敵だなぁ……
きっと運だけじゃなくて、あなたが人生に真摯に立ち向かってたから応援できるんだろうなぁと感じます。
その他父親不在をしてきたしていたブコメがちらほら見られたけれど、父親も一緒に暮らしてるはずなのに助け船もなければ掩護射撃も鶴の一声もなかったね。無関心一択って感じだった。ただ父親から早く帰れだのどんな男か連れてこいみたいな話もなかった。
よかったのか悪かったのかはよくわからないが、早いうちから無関心一択を父が選択したんだから仕方ない……
あと性欲あるのかという話には多分人並みレベルにはあると思います。
たまにエロ同人(男女)読んでたまにオナニーする普通の性欲だと思う。
ただほんとにリスクとれない時期があったから性欲より生活基盤を失いたくなかった。
あとほんとに過去の彼氏やデートしてくれた男性陣には感謝してます。
もう一回いうけど私を闇落ちさせてるのは、男性の性欲とかいう問題ではなく、母親に見捨てられたらどうしようと思う私の幼稚な恐怖心なんです。
だから私を変えてくれなかったとか救ってくれなかったとか亡霊みたいに思ってる訳じゃないことをいっておきたい。
セックス抜きの清い恋愛が最高で素晴らしい!って手放し絶賛できるほど母親みたいに純潔主義にどっぷりなら悩んでないわけだし、私を彼女にしていてセックスできずに悔しい思いをした男性陣には申し訳なさももちろん感じてるわけです。
ただ振り返って書きたくなったから書きなぐったけど、割と反響があって嬉しかったのでまた書きに来たわけです。
追記にしなかったのは元記事もくそ長いからさすがに気が引けたのと、分けとくとこの浮わついた気持ちで書いたやつだけ消してもいいかって思ったから。はてな記法頑張って使ってみた!
あとコロナを理由にせずにとっとと結婚相談所登録しろよという意見にもそうだなと思った。30過ぎてる女が結婚相談所いくのは要で急だ。今から検索して探します。
生後2ヶ月で新興宗教に入信させられ、20年以上、性やその他に関して増田と似たような固定観念を植え付けられた身としては「いい年していつなでも親のせいにするな、成人したら自己責任」の声が辛すぎて泣きそう
私は20代半ばで脱会を決意し、親と争いながら自分の人生を生きることに成功したけれど、その道のりはあまりにもエネルギーを消費するものだった。
大学時代、就活の時期や恋人ができるかどうかという瀬戸際だった時期、周りの友人や先生方、カウンセラーの方が私の抵抗にも介さずゆっくりと洗脳を解いてくれて、最終的に脱会を決め、自分が就職したい会社に就職し、恋人を作ることができた
それでも、今でも2週に1度くらい「いい子になれなくてごめんなさい、望む子になれず、幸せにしてあげられなくてごめんなさい、親不孝でごめんなさい」と寝起きや寝入り前涙が止まらなくなる。
ずっと罪悪感との戦いだった。何度も聞いた親の言葉、宗教の教えがフラッシュバックしてきて、それに抗うために、親の洗脳に負けるな、親の言葉に負けるなと親を悪者にし続けなくてはいけなかった。親のせいにしなければ、私は宗教から脱会できなかった。
私にとって親を責めることは、自分の人生を歩み始めようというはじめの一歩だったから、簡単に「親のせいにするな」なんて言えない
新興宗教信者であるというカミングアウトにも引かず、「親や宗教と同じ意見じゃなくていいんだよ、自分の人生を生きて」と言い続けてくれた周りには感謝しかない
大学時代の恩師に泣きながら悩みを打ち明けた時「大学に入るまでの育ての親が生みの親、社会に出るまでの育ての親は指導教員だと思ってる。あなたは一人の親の言葉に振り回される必要はないし、僕はあなたに自分が楽しいことをしてほしいと思っているよ。」と言ってもらい、怒ったり反発することを肯定してもらった経験がある。それがどれだけ救いになったかわからない。
親を責めていいんだ。それこそが元増田が自分の人生を生きようとしてる証拠だと思ってる。
そして、自分の好きなもの、嫌いなもの、怒りを感じることに敏感になって、小さなことからでいいから自分がしたいことを自分に沢山してあげてほしい。
結婚相談所で出会い、真剣交際(結婚前提でのお付き合い)に進んだ人と交際期間2ヶ月ちょっとでお別れした。
■増田のこと
30歳
女
年収500万くらい
大学時代から6年付き合った人に27歳の時に婚約破棄された後、どうやって彼氏を見つけたら良いのか分からず3年彼氏なし。
■彼のこと
30歳(同い年)
年収700万くらい
身長私と同じくらい
■最初の印象
同い年という事もありリラックスして話が出来た。
話は仕事の話6割、趣味の話3割、最近の事1割って感じでバランス良かった。
ヒールを履いていったので私の方が身長が高くなってしまった事をしきりに「かっこ悪くてすいません」と謝っていた。
悪い意味ではないけど、話の節々から陰キャなんだろうな~って感じ取った。
私も陽キャかと言われれば違うし、こういう仕事熱心で落ち着いた人の方が結婚に向いてるかもなーと思い、交際希望とした。
■付き合ってから
仮交際になってから2回位ご飯を食べに行き、帰り際に「結婚を前提に付き合ってください」と言われて真剣交際へ。
付き合ってからは水族館、動物園、アウトレットなど休日にデートをした。
平日は朝から夜まで仕事をしていてLINEもほとんど返ってこなかった。
■別れの理由
結婚相談所の中では顔も悪くないし、ハゲてないし、高年収だし、若い。つまりかなり条件の良い人だった。
だけど、異性として全く惹かれなかった。
会いたいとか、手を繋ぎたいとか、キスしたいとか全然思わなかった。
具体的には
・顔がタイプじゃない
・仕事の話ばかり
・要領が悪い
・記憶力が乏しい
・笑いの好みが違う
・平日はほぼ存在感がない
など。
■別れるか迷った
彼の事を好きになれさえすれば幸せな結婚はすぐそこなのは分かっていた。
顔なんてすぐ慣れるし、私がカバーする事で気にならなくなる点も多いし、結婚して一緒に住めば改善出来ることもいくつかある。
自分の親世代にはお見合いで好きでもない人と結婚している人もいるし、同世代の人だってお金目当てで結婚した人もいて、好きになる事は結婚に必ずしも必要ではない。
この先、これ以上良い人に出会えるかも分からないし、別れるかかなり迷った。
でも今思うと別れてよかった。
■締め
もし「婚活 好きになれない」「婚活 好きになる方法」とかググッてる人がいたら、私は早めに手放す事をおすすめする。
彼に伝えたい事としては、
会社の人とかお笑い芸人とかのすべらない話()を披露されても全然面白くないよって事と、
以上
普通に腹が立ってきた。自尊心の低い人間にどう対応しろっていうんだよ!
指摘すれば「私が出来損ないだから…」ってさらに悪循環になるし、同情してヨシヨシすれば味を占めたのか毎回同じやり取りやんなきゃいけなくなるし!!
私はお前のカウンセラーじゃないんだけど!?ゴミ箱でもないんだけど!!??
とにかく、その悲劇のヒロイン面を即刻やめろ!!
みんな多かれ少なかれ闇抱えて生きてんだよ。助けを求めるなって言いたいわけじゃない。
その!!被害妄想とか!!「どうせ私は…」みたいな卑屈な考えをどうにかしてくれっていう話なの!!!!!
確かにお前は不運な部類だろうが、ぶっちゃけ私にはどうしようもできないんだって!自分で乗り越えてくれ!寄りかからないでくれ!!
本当にキツい。重い。どうすればいいんだ…見捨てたいわけじゃないんだけど、あまりにもお気持ちヤクザみたいでめんどくさいししんどい。
お前が思ってるほど皆大事にされてないよ。愚痴なんてたいてい聞き流されてるし、ドラマみたいに親身に相談のってくれる人なんていないし、体調崩しても上っ面の「大丈夫~?」くらいだからね。それもないときのほうが多いしな。
ていうか私が体調崩してるときお前「機嫌悪くてうざい」みたいなこと言ってなかったか?思い出したら腹立ってきた。いやさっきから立ってるけど。
マジでマジでめんどくせえ。いちいち泣かれるのも面倒だし、根に持つから気をつかうし、とにかく窮屈。
あと自分繊細アピもだるい。そんだけ繊細なくせになんで人の痛みには疎いんだ?察しろよお得意の人間観察でよ。
見返り求めて優しくされてもうさん臭さしかないことにはやく気づいてくれ。
あと誰も要求してないのに勝手に自分責めて謝りだすのもやめてくれ。こっちからしたら「は?」としか思えん。
完璧主義?なとこも自己犠牲精神が強いとこも全然美点じゃないから。自分がやりたくてやってるのに、さも周りのためですとでも言いたげなその態度がムカつくんだよ。誰も頼んでねーよ。
私はおとなになってからカウンセリングいったが、話すのも苦痛ななかどうにか伝えてみたものの、女性カウンセラーに「私もそういう経験あるけど、なんでだろう。もっと女を利用していきていけばいいじゃない」と言われて心が折れた。
こんな目にあうのは自分の性別のせいだ、と毎日毎晩考えて過ごしたせいで、女であることを思春期以降ずっと呪ってきてしまっていたんだな、となんとなく気づき、ようやく折り合いつけられるかもとおもっていた最中だったので。辛かった。
今は年取ってあんまり性別意識することなく生活できるようになったから楽にはなったものの、結婚や恋愛という普通のことから身を遠くに置いて40も近くなってしまったこと、おそらく今後も一人で生きて、いまだにあるトラウマやフラッシュバックにうなされるんだろうなと思うとやや切ない。
カウンセラーSakurakoです^^
涼しい日が続き、
秋かな?まだかな?
と思うこのごろですが、どうなのでしょうか?
ところで皆さんは
『Fall』『Autum』の違いはご存知でしょうか?
Fall はアメリカ英語
Autum はイギリス英語なんです!!
https://www.aeonet.co.jp/school/kanto/chiba/1218/blog/2019/09/029056.html
食事が取れない(一日一食程度が限界)、無理して食べても嘔吐、浅い眠り、ちょっとしたことで落ち込みやすい情緒、耐えられない逼迫感や不安感、これらの症状がもう自分の力でどうにかできる状態ではなくなり、カウンセラーの勧めもあって心療内科を受診した。
前(といっても半年以上遡るけど)の病院は1週間分の薬を出されてはい終わりだったので今回もそうならないかとどきどきしながら初診に行った。まともに話せる自信がなかったので相談したいことや自分の心情をあらかじめ紙に書いて渡したらとても褒められた。大切だからとっておいてくださいねと言われた。先生は頷きながら読んでくれて、いくつか質問した。過食で吐いちゃいますかとか、緊張しやすいですかとか色々。答える範囲で答えたら質問リストを渡されて(胸がつまる感じがあるかとか、食事はおいしいかとか、騒音が気になるかとか)、それにも答えた。
ちなみに紙を渡してからずっと泣きっぱなしだったけど先生は気にしなかった。患者が泣くの慣れてるんだろうな。私もその方が気が楽でよかった。泣いてもいいと肯定された気がしてほっとする。(余談だけどそろそろ泣くことは恥ずかしいという風潮なくなってもいいんじゃないかと思う。)
「長い間、強いストレスに晒されたせいで、ちょっとしたことで感情の振り幅が大きくなっています。小さなストレスにも弱くなってる。それに体がついていかないから辛いんです。今はガソリンの少ない車で何とか走ってる状態なんですね。食事や睡眠が不十分なせいで更にガソリンも少なくなってる」
「だから少しでも振り幅が小さくなるように、そして少しでもガソリンを増やすために、治療していきましょう」
そしてお薬なんかの相談と次回の予約をして、自分のペースで大丈夫ですからね、と念押しされて診察は終わった。
まず私は治療しましょうという言葉に不謹慎だけどほっとした。私のこの状態を一緒に治そうとしてくれる人ができたことに心から安堵した(数いる患者の一人だということは自覚しているけれど)。周りは今私がとてもストレスのかかる状況下にいることを知っているから眠れなかったり食べれなかったりするのは仕方ないと言うだけだったので、そういうこともあって、一緒に治しましょうという言葉にほっとした。
読んでもらった通り私はうつ病だとか適応障害だとかそういう病気にかかってるわけじゃない。でも、先生は治療しましょうと言ってくれた。あなただけの力では無理ですと言われたような気がして、病気じゃなくても、頼ってよかったんだと少し心が軽くなった。(気力で乗り切るのは難しいですと言われたのもかなり心にきた。)
「感情の振り幅が大きくとてもストレスに弱くなっていて、体もついていっていない状態」って人に言っても「はあ」って感じだし、たぶん自力でなんとかできる人もいるんだろうけど私には無理で、でも先生はそんな弱さを否定せず、治しましょうと言ってくれて心の底から安堵した。
感情の振り幅が大きくなって体がついていかないから苦しいって私はすごくピンときた説明だけど、これを言われてどれだけの人が理解できるんだろう。私はちょっとしたことで激しく落ち込んで頭の中がぐちゃぐちゃになって、涙が出て、息が詰まって苦しくなる感じだけど、そこから抜け出すのももう辛くて苦しくてたまらない。緊張や不安のコントロールが利かなくなってて、このどうしようもなさを周りにうまく伝えられなくて私は大変な思いをした。
でも、病院の先生ならその悩みを否定せず、理解してくれるかもしれない。何か苦しくて自分ではままならない悩みがあるなら、思い切ってカウンセリングに行ってみるのもいいと思う。
そもそも病気じゃなくても具合が悪くなることはあって、腹痛なら市販の薬で何とかできることもあるけど、心はそうはいかない。精神に作用する薬は病院でしか処方してもらえない。これだけでも精神科や心療内科にかかる意味はあると思う。(薬を飲まない治療も選べるだろうけど)少量の服薬で改善に向かうなら行かないのはもったいないと思う。(ただ先生との相性は祈るしかないので、元気なうちに近場の病院の連絡先をリストアップしておくと病院探しが楽になると思う)
まだ私の治療は始まったばかりだし、服薬も増えるかもしれないし、悪化するかもしれないし、まだ分からないことだらけだけど、治しましょうと言ってくれる人がいるのだから、自分のペースでいいから頑張ってみようと思える。明日もできることから頑張ろう。
カウンセリングもそうだし精神科の投薬だってちょっと鬱っぽい程度なら意欲が落ちてますねみたいな感じでプラセボと数ポイントしか変わらないような薬を適当に出されてあしらわれるだけだしな
まあ、あの手のアドバイスをしてくる奴らは実際に医者やカウンセラーと接した経験もなければ具体的な助言ができる知識もないからバカなんだなと思ってスルーしとくのが良い
あの頃のことを書きたくて初めてはてな匿名ダイアリーに登録しました。
その頃の私は、見た感じは明るく、普段からハツラツとした人間で、
グループでもいわゆる盛り上げ役みたいな存在だった。てか今もそう。
祭りとかもどんどんいってました〜
たまに辛いなあ〜と思うくらいで、
そんなに苦しい!とか死にたい!とか
思ったことはなかった。
自分でいうのもなんですが、
そんな楽しくルンルン!で生きていたある日、
「ブス」と。
私はその日、その言葉をいわれた瞬間から次の日の朝までの記憶はほとんどありません。
私は先輩にとあの言葉を言われたあと
高い所にのぼり、、、。
真似されたりとかも困るので具体的なことは書きませんが、
わたしは次の日の朝、ベッドで傷だらけで目を覚ました。
起きた実感もわかず、記憶もなく、
周りからいわれた「自殺未遂をした」という言葉と記憶のない傷とかの証拠にただひたすら泣いて、涙を流して、
生きていることにほっとしました。
都会とかで悲しいけどよくある
あの電車への飛び降り、、、私はあのひとたちの気持ちが正直にいうとわかる。
ふと、なにがきっかけかは人それぞれ、
だって足をふみだせば、少し体を前のめりにすれば、簡単に、、、
よくいうじゃないですか、
どんなひとでもやる。
人は火種が常にあって、いつ爆発してもおかしくない生き物なんだよ。
アレみたいなもので、普通に歩いてる分には特になにもないけど、見えない粉が沢山まっていて、
気づかずに誰かが、自分が、何かが火をつけて爆発する。
そして私は起きたあと、怪我だけだったので、その後普通の日々に戻りました。
でも先輩とあう機会もあるサークルは辞めた。
サークル内では腫れ物として扱われていて、
そして時期が飛ぶんですが、半年くらい「普通」の生活をしていました。
笑ってずっとショックを誤魔化してた。
ある日学校の先生に「自殺未遂したんですよ〜www」と言った瞬間
先生の顔は真顔になり、
「どうしてカウンセリングを受けないの?
笑って誤魔化さないで。
辛いってずっと言えないままになるよ。」
といわれ、私は立っていられないほど泣きました。
初めての感覚だった。
みんな心配はしても、カウンセリングを受けろといわれたことはなかった。
そして私は次の日、初めて臨床心理士のカウンセリングをうけた。
予約はその先生が取ってくれていて、
私はそれによって、誇張ではなく人生が変わることになった。
そこで自分の本当の気持ち、辛かったこと、苦しかったこと、全てを話し、
カウンセラーの方から心の向き合い方や自己肯定感についてなど、様々なことを教えていただきました。
そうして3年。無事に生きてます。
3年の間に人生に色々ありました。
今ははっきり言える。
死にたくねえ!ぜったいに生きてやる!
自殺について考えているひと、
カウンセリングをできるところを探そう。
それか病院にいこう。
やってみたりしてね。
自殺を考えている友人がいるひと、
あなたにできることはもちろんあるけど、
適切な方法を知っているカウンセラーや医師に任せることも大切です。
手遅れになる前にカウンセラーを勧めるのも方法の1つとして考えてみてほしい。
辞めよう。画面の向こうにひとがいる。
周りにクソみたいなこと言うやつがいたら「は??それがなに?私は私で素晴らしい!」って思っちゃいな!?
最後に!見た目のこと(胸、背丈、体型など)をいわれて傷ついているひと!
気にしないで!!と言っても気になるよねわかる〜!めっちゃムカつかん!?逃げてもいいんだよ!
私を自殺未遂においやった先輩は私に一言も謝ることはなかったよ!(今でもこれは嫌)
そういうことを言うひとなんてあなたがどうなろうと、ムカつくけど!すごいムカつくけど!気にしないよ!!
だからあなたも気にしないで!そして逃げて!生きてることが一番大事だから!
お願い!!!!
のんびり呑気に生きよ!
生きてたら実はいい事があるよ!
締め方がわかりません笑
それでは!
TwitterでG県厨っていうまとめが回ってたから読んだけどめっちゃ怖かった
頭ヤバかった厨の親もカウンセリング受けたら多少は話わかるようになったって書いてあったけど、それって誰でも精神状態しだいではあんな話通じない奴になりうるってことだよな…… そしてカウンセラーってすげえな 昔カウンセラーなろうかなって思ったこともあったけどやめといてよかった 自分には無理だわ
なんであんなに日本語読めない人でもメールの文章は一応作文できてるんだろう……Aさんがだいぶまとめてるんだろうけど つかよく高校受かったな
釣りだったら引っかかったm9(^Д^)で済むしこういうのはみんな釣りであってほしい
その後Twitterで「ギックリ腰を経験すると一人で生きていけないことがわかって人に優しくなれる」みたいなのも回ってきたけど、G県厨のことを引きずってしまって、「多分G県厨みたいな奴は自分は病人なんだから当然世話しろ!冷たい!みたいに文句垂れるばっかりなんだろうな……」と思ってしまった あとからでも優しくなれるのは才能
もう書くことないしここみることもないです
仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校の同級生で、今も一緒に暮らしてる。
彼女は大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。
ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。
めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。
その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。
常連のクレーマーとかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。
多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那の会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。
お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっと、クリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。
バイト始めてからは仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達も不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。
ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。
行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。
そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)
その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達も自分のことみたいに喜んでくれた。
今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロのライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。
転職先はインフラ系IT企業。警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!
研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社で研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリで彼氏と出会ってお付き合いに至る。
なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするときは絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。
私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。
年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイトな現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……
初めての夜勤で最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。
夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナが流行りだしてからも通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。
それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。
夜勤は広いフロアに20人しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。
通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。
日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。
この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手に解釈して片付けてた。
食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。
これが、5月20日頃の話。
私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。
今までにないくらいの満員電車、職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。
コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所の現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。
6月10日の夜。
気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去の自分に言いたい。
痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。
そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社をメンタル病んで辞めた人だった。
日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINEの自殺相談チャットとか、自殺相談の電話とかを週に2、3回してた。
6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手に会社の中で泣きそうだった。
15日以降は通勤の電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。
確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。
22日はコロナの抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。
自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。
その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。
突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。
流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホームの椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。
先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。
その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。
やっと自分が限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科に電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。
最初に看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。
カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。
私は今までの人生、母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。
お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事を社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。
私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。
他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。
その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。
心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。
そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病の一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなたの場合はお母さんからの言葉があるのかも」と言われハッとした。
「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識に解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。
元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすいタイプなこと。今回は後者がきっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職の診断書を書いてくれた。
私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。
会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。
一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。
最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。
でも、彼氏や友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給や祝日は存在しない」と言われた。
そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。
薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。
何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏の言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!
今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。
外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。
当面の課題は電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。
徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。
最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。