はてなキーワード: カウンセラーとは
妻が仕事から帰ってくる。管理職と相談したが、管理職は成果報告を求めてきた、とのこと。妻は鬱を患っていて、この4月から職場に復帰をした。ここまでの半年間、なんとか仕事を続けていた。しかし、その仕事っぷりは鬱明けの人間の働き方ではなかった。医師からの診断書にはおそらく、残業はしないように、という勧告もでているはずだが、膨大な仕事量が与えられていた(ように思う)。そこに対して管理職からのフォローが入るわけでもなく、ここまで心身を確認するための面談が行われるわけでもなく、毎日3〜4時間くらい残業をこなして帰ってきた。到底家事をすることもままならず、風呂洗濯、食事などのいわゆる日常を回していく家事は、全てぼくがこなしていた。早く管理職に「しんどい」といいなよ。と伝えていた。
冒頭にもどる。妻が管理職と面談をとった。昨日の17時ごろ、妻から連絡が入る。「面談をする」と。とうとう妻が管理職と向き合うことができたのか、と嬉しく思いながら帰宅をした。カレーを作って待っていた。帰った妻は、暗い顔をしていた。仕事の成果をみとめてもらえていないのが悔しい、と。ん???体調について話をしてきたのではないのか、と混乱する。詳しく聞くと、半年間の仕事の評価のための面談をしてきたようだった。仕事量が過度であること、体調が悪くなっていること、そういうことにはほとんど触れることがなかったようだ。
絶望した。
もともと、妻の職場の在り方にはずっと前からがっかりしていた。同業種だから、知人もいる。なんとなく職場のイメージも検討がつく。ゆえに、組合も機能しない。同僚性もない。管理職も想像力が欠如している。そして、誰かを助ける余裕もない。そんな職場に、妻ではなくぼくがずいぶん前からがっかりしていた。今回のことは、そのがっかり感によって途方もない穴に落とされたような気がした。
カレーがグツグツにられている横で、妻がしゃがみながら、どうしたらいいかわからない、と嘆く。ぼくもしゃがみこみ、妻に、職場に、どうしようもない自分に苛立ちながらしゃがみこむ。気持ちのやり場がなくて、身動きがとれなくなった。本当に深い怒りに包まれたり、悲しい気持ちになった時には動けなくなるのだと、ぼんやりと思った。
どんよりとした思い空気の中、カレーを食べた。少し落ち着いたときに、その中で文脈に沿わないのだが、その後別居の話をぼくから持ち出した。正直にいうと、この一件もふくめ、ぼくの何かが限界に近づいているのを感じていた。夫婦生活に限界を感じていたのかもしれない。仕事に復帰しようとしている妻に対して、全部の面倒をみている保護者のような振る舞いをすることが多かった。それは妻も呼応するように、ぼくにたいして依存をしているようであった。今回の職場のことに関してもだけれども、ぼくがいないと次に進むことができないような状況に、妻自身がなっていた。買い物を行くときにも、いつも一緒にきて欲しいと言われる。どこかに行くときにも一緒。そういう妻からの依存的傾向に、ぼくはうんざりとしはじめていた。じゃあ、自分はどうなんだと言われたら、妻の依存的傾向に拍車をかけるような関わりをしていたのは間違いがないと思う。だから、共依存の状態なんだ。妻のかかりつけの医師やカウンセラーからは療養休暇明けの一年間は環境を変えずに、仕事ができるといいと言われていた。別居とか引っ越しとかそういうことをするのは、まぁ今年度を乗り切ってからだろうと思っていた。我慢もしていた。しかし、今回の一件でぼく自身の気持ちの栓が開いてしまった。
限りなくエゴイスティックな話なんだとわかっている。苦しんでいる妻を見ているのは辛い。妻との何をするのも一緒、みたいな共依存的な関係も苦しい。一人の時間が多少は欲しい。結局自分のエゴなんだな、とここまで書いて改めて思うし、実は知っていた。でもこの気持ちを現実をどうすり合わせていくのか、まだまだ悩むしかないのか。
優しくできなきゃじゃなくて、優しい振りしてぶん殴ってくるやつがおぞましい、という話であって、お前みたいにクズっぽい感じで書き始めるのであればOKなんよ。だれも本気に読まないから。カウンセラーっぽく熱意込めた長文かいておきながら単なる揚げ足取りだったら何様なんだよこいつって何だろ。むしろなんで説教増田を擁護しているのかが分からん。まあ今となってはみんなから叩かれているからかわいそうだけど、それぐらいしか擁護の余地ないわ。説教増田を褒めてる増田/ブクマカって、底浅すぎてリアルの世界ではまじで関わりたくないわー。
アクティブヒアリングするプロのカウンセラー使ったら解決しそう (anond:20200721180526)
相談者が期待しているのは「解決」ではなくて
○ 「傾聴」の英語は「active hearing」
「傾聴」は英語で「active hearing」または「attentive hearing」です。「active hearing」は臨床心理学で「積極的傾聴」と呼ばれ、アメリカの心理学者カール・ロジャースが提唱した手法として知られています。
○ 傾聴:共感的理解
「共感的理解」とは「相手の視点、相手の立場に立ち、相手の気持ちや話の内容に共感しながら聴き入れることです。「共感する」という行いは相手にとって「話を聴いてくれている」「認めてくれている」という安心感を与えてくれます。
○ 傾聴:無条件の肯定的関心
「無条件の肯定的関心」とは、聴き手の私的な感情を取っ払い、無条件で肯定的に話を聴くことです。たとえ、話の内容に誤りや間違いがあっても、また社会的に反する内容であっても、否定をせず関心を持って聴く技法です。
○ 傾聴:自己一致
「自己一致」とは、聴き手自身の感情や意見も尊重し、相手の話で理解できない点がある時は内容を確認しながら、真摯な姿勢で話を聴いていくという技法です。分からない点をそのまま置き去りしてしまうと、相手に「私の話はそれほど重要ではない」と誤解を招いてしまうこともあるでしょう。質問と答えを確認する行程が加わりますが、相互理解はお互いに安心感を与えてくれます。
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会社の福利厚生でカウンセラー使えたので試したけど、素晴らしいプロフェッショナル意識だなぁと思ったよ
カウンセラーの人を誘導してカウンセラーの人が不利になるような言質を取ろうとしたけど
カウンセラーの人はキレなかったかつ不快感を全然表に出さなかったよ
すごく感心した
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そんなのクレーマーに耐える接客業と同じで、 彼らはみんなが嫌がる人間の相手をすることで対価をもらうんだから、 逆キレしないことは最低限の技能だよ
https://anond.hatelabo.jp/20200924185457
読みました。あなたの自他の分離、Iメッセージ、カウンセラーの役割などの記述から、メンタル系の専門職とお見受けします。私もメンタル系職のはしくれです。
心理を言語化する能力に長けているようですが、残念ながら、元増田があなたのメッセージをどう受け取るかまで想像が及んでないようです。
いきなりそれですか。煽りタイトルで元増田の注意を引こうとしたのかもしれませんが、それにしても悪手に過ぎます。
否定、攻撃の意思から始まる長文を、弱った元増田が読めると思っているんですか。ブコメで指摘されていた通り、元増田は読まないでしょう。読めないでしょう。無理やり読ませたとしたら…危機的状況に陥ります。自殺してもおかしくありません。
あなたがやったのは、まさにこの"それを言う"、しかも専門職による具体的かつ的確にヒットする長文で、です。
自他の境界に詳しいのならば、他者の気持ちを動かす手順についても詳しいはずでしょう。傾聴、受容による信頼関係の構築なしに頭ごなしに正論をぶつけてどうするんですか。元増田があなたの正論をすべて咀嚼できるようになるには、理想的な回復を遂げたとしても、まず年単位の時間がかかります。
生兵法は大怪我の元です。知識を深めるのはいいですが、運用を間違えているので説教します。
・本職であった場合
患者とのトラブルが頻発しています。なぜなら、エンターテイメントとして煽り気味に書いた文章だとしても、説教と配慮のバランスが悪すぎるからです。普段の職務で患者のダメージに気を使えるのならば、冒頭で「最後まで読んで」など絶対に書きません。私なら少なくとも「今のあなたには厳しい表現が並んでいます。覚悟を持って読み進めてください」と前置きします。患者の回復過程で患者がヒントを求めてきた場合のみ、チラ見せして回復を助けるやり方でなければいけません。
・本職ではなかった場合
本職ではないという視点は正直抜けていました。職務に支障をきたすため本職たりえないという点では、こちらのような気がします。この場合も深刻です。なぜなら、説教増田は心理の言語化に長けているという、強力な武器を手にしているのです。その武器は様々な文献が基礎になっています。受け売りの表現が複数認められるからです。それを手にしている人は、本職の中でも多くありません。私のものとは切れ味が段違いで、羨ましくさえ思いました。使い方を間違えなければ、治療の舵取りの大きな拠り所になるからです。本職でもなかなか手に入らない取扱注意な代物を、配慮に欠けた素人が手にしたとしたら。説教増田は、それを振り回したいという欲求があるだけに、想像したくありません。そして残念ながら、その武器は実践で磨かれている形跡がみられます。聞きかじっただけでは、あそこまで確信を持って無駄のない文章にできないと思います。
頭悪いって言われて悔しいなら頭良くなればいいじゃん。
自分が頭悪いまんまでいいや、って思ってるならあー頭悪いんだなーで終わるんだけど、頭悪いまんまじゃ嫌っていう判断してるのに頭良くならないのはなんでなの?頭良くなろうぜ。
他人からよく頭が悪いって言われる?確かにお前は頭が悪いな。でもな、頭が悪いって平気で他人に言う奴なんて、人類の99%が頭悪いと思ってるし、自分は残りの1%だって無根拠に思ってるぞ。そんなバカになりたいか?なりたくないよな。人類の99%は頭が悪いし、自分は99%の部類だって自覚してるもんな。
勉強ができないから頭が悪い?まあそれもあるだろうな。お勉強ができたら頭が良い、これも一つの側面ではあるだろうな。私はお勉強はできたけど、まだまだ頭悪いぞ。人類の99%は頭が悪いんだ。安心しろ。
文章が書けない?それは訓練だ。学術論文は、「なぜやったか」「何をやったか」「どうなったか」「こうなった理由は何か」という、最も誤解の余地が少ないテンプレートに沿って書かれている。真似してみろ。
会話が苦手?これもほぼ訓練。でも雑談はかなり高度なスキルだ。できなくても気にすんな。しゃーない。
とどのつまり、「自分は頭が悪い」と思ってるってことは、何かしらのコンプレックスがあるんだろ。他人から言われるでも、学校で落ちこぼれたでも、まともな文章が書けないでも、会話が続かないでも、コンプレックスになっちまったら気になるよな。さて、じゃあそれを如何にして変えていくかだ。ああ、頭悪くていいやって思ってるならここでおさらば。コンプレックスの1つ2つ解決にもっていこうとしたところで、次のコンプレックスが出てきて「あーやっぱ自分頭悪いんだなー」ってなるから、疲れちゃったら休もう。休んで良いぞ。やる気が出てきたら、また地獄を生きよう。
学校の勉強ができなかったから頭悪くて人生が破滅する、なんてことはない。筆者は三十路だが、このタイミングで学校の勉強が唐突に誰よりもできるようになったとして、大した意味はないだろう。学校の勉強ができなくて悩んでるなら、あなたは今学生か、学歴コンプレックスがあるんだろう。後者の場合、そんなことで悩んでるなんて、自分はなんて「頭が悪い」んだ、みたいなことを思っているかもしれない。その場合、解決すべきは「そんなことで悩んでいる」の部分。学校の勉強ができるようになることじゃない。悩んだっていいし、悩まなくなったっていい。どっちの方向でも、「自分の中の心の傷がどこにあるか」がわかった時点で、コンプレックス解消の7割は完了している。あとはその傷を愛でるもよし、治すもよし、うまく付き合っていくもよしだ。自分のコンプレックスという、究極の自分ごとを言語化、言語化できなくてもそこに何かがあると理解できれば、その時点で「意味不明に私を苦しめるもの」から「意味不明だが自分の中の何か」に変わる。それだけでだいぶ楽になる。ひとつずつでいい、手の届く範囲で、解消すべき「頭の悪さ」を見つけてけ。これは本当に人それぞれいろんなパターンがある。どうしても行き詰まったらカウンセラーを頼れ。
よし、じゃあそれを治すという選択した場合について話していくぞ。先に言っておく、辞めとけ。愛でるかうまく付き合っていく選択にしたほうがいいぞ。
人はなぜコンプレックスを感じるか、治すのにめちゃくちゃ苦労するからだ。シンプルに変えるのが困難か、もともと向いてないんだよ。だからコンプレックスなんだ。人生はままならない。地獄だ。普通の人が1の労力で1得ているところ、向いてない自分がやると10の労力で0.1くらいしか効果がない、なんてよくある。地獄だよ。そこで大事なのは目的と目標の設定だ。
目的は一旦「頭よくなりたい」としようか。じゃあ具体的に何を満たしたら「頭良い」状態になるか?という目標設定が必要になるな、できれば定量的に決めよう。さあ、君のコンプレックス大開陳祭りだ。この時点できついぞ。頭が良いとはどういうことか?それに対して自分の現在はどうか?どんなギャップがあるか?ちゃんと並べてけ。きついぞ。そしてこのキツさは序章にすぎない。
コンプレックスを治すことがなぜ地獄か?目標設定が地獄、かつ、目標を満たしても満足行かないことが多々あり、無間地獄にハマっていくのだ。目標は、自分が満足できるならどんな目標設定でもいいぞ。例えば「長文が書けるようになりたい」を目的にしたら、目標として「増田お気持ち長文で100ブクマ超える」でも構わんのだ。できるやつにとっては簡単だろうな、私もできたぞ。でも意味の通る長文がそもそも書けん、なんてのはごまんといるし、人並みがロクにできないからコンプレックスになるのだ。それができてなんの意味があるのか?意味なんてねえよバカ。強いて言うなら自分が満足するためだよ。だからこそ、目標は達成したら自分が満足できるものにする必要がある。で、長文書けるようになりたい奴が、それを達成したとして、「なんだこんなもんか」だろ。童貞コンプレックスに悩む奴がナンパのノウハウ買ってセックスしたとして、より童貞コンプレックスが深くなる、なんてよくある話だろ。それが悪いと言ってるんじゃない、単に無間地獄だよと言っている。その無間地獄を渡りきった先に何があるって、諦めか寿命だ。大成もありうるかな?見たこと無いけど。
まあとにかく、コンプレックスを治すのは修羅の道だ。一度劣等感で傷ついたところはどんだけ修復しても元には戻らん。それはなぜか。「できること」に対する過度な期待があるからだ。学歴高いやつ羨ましい、学歴高けりゃ今の生活が1ランクあがるんじゃないか、他人を見下せて気分がいいんじゃないか。文章力あるやつ羨ましい、こんだけ書けたら楽しいだろう、ちやほやされてさぞ気分がいいだろう。全部、そんなことはない。それができても、全然そんなことはない。そんなことはないのだ。期待するな、自己満足で終わらせないと、待ってるのは無間地獄だ。
さ、みんなも頭良くなっていこうぜ。無間地獄に飛び込むんだよ。さあ、ほら、早く。地獄に来い。俺の前で楽しそうに生きるな。地獄へ来い。ふざけんな。頭悪いぞお前、頭良くなろうぜ。おい。頭悪いんだな?お前頭悪いんだろ?頭良くなろうぜ。地獄へ飛び込みに来い。クソが。全人類苦しめ。
例えば、知り合いから相談を受けるとき。悩みを聞かされるとき。この人はなぜ他人に対してここまで自己を開陳できるのだろうと疑問に思う。
話を聞かせた相手が本当に親身になってくれると思っているのか。今話している相手が他言無用の内容をべらべらと吹聴したり、ネットで放言しないと確信できているのか。それとも、最初から開陳している自己などなくすべてペルソナなのか。
私は、誰かを信用できたことなど一度もない。信用して裏切られるのが怖いのか?そんなことはない。そもそもに信用したことがないのだから他人に裏切られたと感じることもない。美容室でハサミを持った美容師が殺意を持っていれば私は死ぬだろうし、かかりつけの医者が嘘を言って薬を飲ませてもあっけなく死ぬだろう。そんな唐突な裏切りなんて馬鹿なことを考えるわけじゃない。私はただシンプルに、他人の自身の内面を知られることが嫌なのだ。
親兄弟や親戚。大切な恋人。旧来からの友人。診断する医者、カウンセラー。彼らは誰も、いや、この世界にひとりとて私の内面を知るものはいない。思ってもいないことを話し、生きていく上で必要な人間関係に必要以上に身を預けることはなく。道化を演じて、自己を偽る。誰かに己の内面を見せることなど恐ろしすぎる。誰にも私を知られていない。それが安心であり、私の心を支えている。しかし、それと同時に苦しさを感じている。
誰にも相談できない悩みがどんどん溜まっていき私の心を圧迫している。生きているだけで日々不安は募るし、解決できない悩みはいつまでも心の内をさまよっている。信頼できる誰かに心を打ち明けられたら、悩みを相談できたらどれほど楽だろうかと考える。「信頼できる誰かを作りましょう」なんて簡単に言えるが誰かを信頼する方法なんてどこにも載っていない。逆に世の人々はなぜそうも簡単に人を信頼できるのか。
みんな自身の心を誤魔化すために嘘の信頼をしているのか。最低限の暮らしのためにペルソナをかぶっているのか。本心に蓋をして生活しているのか。あるいは、何の理由も根拠もなく、自分以外の他人を本当に信頼できるのか。だとしたら、私には恐ろしい。私には困難な行いを、みんな平気で何の不自由もなく行なっているということだ。はたして私と彼らは同じ人間なのか?
私は誰かに本心を曝すことない。親には親、友人には友人、恋人には恋人、医者には医者、それぞれに対する仮面をかぶってそれらしい自分を演じている。君に対する相談事もこういうことを言えばそれらしい関係が築けることを知っての打算であり、人間関係をうまく保つためのパフォーマンスであり、適当に切り抜けるための計算なのだ。そうして、誰にも何も言えないままの苦しみを一生背負い続けていくのだろう。
わざわざこの文章を書いたのは、ネットの誰かに悩みを聞いてもらいたかったというわけではなく。誰かの共感やアドバイスを求めているわけでもない。この文章は呪詛である。
私は、今この文章を読んでいるあなたの親であり、兄弟であり、友人であり、恋人であり、仕事仲間であり、クラスメイトであり、同じ電車に乗っている一人であり、あなたの尊敬する人物であり、あなたがこの社会で日々接する誰かだ。私はあなたを信用しているように振る舞っているが、一度も信用したことなどないし、これからすることもないだろう。もし、あなたが無条件に人を信頼できる人だと言うのならば、偽りの存在を信じるのは可能だろうか?
この恐ろしい人の世をせめて呪って生きるのを許して欲しい。
40になってから相談所に入ったが、まずカウンセラー付きのコース選択を断られた
そして女の40過ぎからの婚活がいかに厳しいかということを説明された
検索で年齢の足切りをされること、相談所は機会提供の商売であって結婚できるかは関係ない、といった契約書類を説明された
カウンセラーの女性は40代の婚活者は切羽詰まっていて担当者に詰め寄ってくるタイプも多いと言った
44も半ば・もはや結婚も諦めつつあった頃に夫と会い、結婚退会したが、その時のカウンセラーは言った
40でも50でも皆さん結婚されて退会されていきますよ、増田さんに限らず…
入る時に言われた事と何か食い違うな、と思った
お世話になったとは思うが、なんだろうあまりいい思い出はない
婚活が終わったので脳に蓄積した要らないものをアウトプットして捨てようと思う
行ってた相談所では交際1ヶ月で意思確認、その後1人に絞ってから3ヶ月で結婚退会、というルールが決まっていた
それを3ヶ月やったところでお互いの何を知ってるというのか、と
それをカウンセラーに言うと、結婚していく人は週1と言わず時間取って会うし、会わない日も連絡を取り合っているようだ、と
これを聞いて私は、そもそもの恋愛経験値・コミュニケーションスキルの前提が違い過ぎる、そんな話はコミュ障で出不精で人付き合いが苦痛でしかない自分には何の参考にもならないと思ったものだった
3ヶ月の感覚は違っていたとは思う
次の約束が苦にならない
相談所には4年半在籍したが、それまでは見合いも交際も基本的には努力と苦行だった
平日残業疲れで帰宅し、交際相手との週末の予定について週中ごろから調整連絡をし、当日は早く起きて身支度をし会っている最中は努めて明るく楽しく過ごし、別れてからやっと一息つく
毎週会うのは疲れるので、週末に用があって1週あくとちょっと楽になった気がする
そうしているうちに相談所から連絡がある、交際についてどんな状況ですか?と
うんざりしながら当たり障りのない返事を遅れ遅れに返す
相手を絞る段階に進む前は、毎月のように申し込み締め切りに追われて、チケットを捨てるのもなんだしと手当たり次第に申し込む
交際している最中に別の見合いが入ることもたまにあり、そうすると土日が婚活で潰れる、休めない
お断り連絡や終了の連絡が来るのは落ち込むが、一方で
これでしばらく1人でゆっくり週末を過ごせると安堵する
そんな感じだった
相手と会うのはとにかく疲れなかった
毎週会っても疲れなかった
3ヶ月の結婚退会確認の時は、まだ3ヶ月なんだっけ?と感じたくらいだった
それまでは2ヶ月で結婚の話切り出されても、と思ったし、会って3ヶ月の人と結婚を決められるほど知り合えるはずもない、と思っていた
今大声で文句言ってるそれをカウンセラーにもやってみりゃいいのよ、口頭が無理ならその文面コピーして見せるのでもいい
前のカウンセリングで疑問に思ったことを箇条書きにするとかもね
うまくいくかとかは考えなくていいんよ、タダなんだし、タダと言っても学校からは金出てるんだからちゃんとやってくれるし
どうしても合わないなーと思うなら当然やめてもいいんだよ、もちろんカウンセリングに再チャレンジしないのも君の自由だし、カウンセラーにも当たり外れあるのは当然だから、そもそも外れパターンなのかもしれんし
タイトルの通り
女性では昨今珍しくないようだが、男性ではまだまだ一般的とまでは言えない気がするので知見を共有したい
もともと薄っすらとは興味があったが、最大の理由は、なんでも拾って口に入れる1歳の娘が、居間のフローリングで陰毛を咥えてくるようになったこと。
食べてはいけないものとは分かっていても、居間で小さなゴミを見つけると、必ず口に咥えて見せにくる。
それを親が慌てて口から取り出そうとするのが面白いらしい。おかげで頻繁に掃除機をかけるようになった。
しかし陰毛というやつはいつでもどこでも現れる。根絶することができない。
あとはヒゲ剃りも面倒に感じていた。
そんなに濃い方ではないが、夜勤明けにジョリジョリしたアゴになるのが地味に不快だった。
完全に脱毛するにはレーザー脱毛の施術を6回~10回ほど受けなければいけない。
というのも、毛はおおよそ1年のサイクルで生え変わっており、成長中の毛でないとレーザーを当てても意味がない。
そのため2ヶ月おきに何回もレーザーを照射してようやく根絶できる
説明を受けたクリニックでは基本1クール目は6回施術がセットになっている
その後ツルツルを目指す場合は更に2クール目6回を追加で、ほどほどでいい場合は3回、あるいはそこで打ち止めとするらしい。
なお、ヒゲの場合は生え変わりサイクルが早いため、1ヶ月おきに照射してもよいが、2ヶ月おきでも何ら問題はないとのこと。
東京で男性向けに医療脱毛しているクリニックは大手で3つほど。そう大差なさそうだったので、純粋に料金で選んだ。
ヒゲ(6回)3万、VIO(6回)7万ほど。他の大手の約半額程度。こまかなアフターサービスで差はあるようだったが、結構値段差は大きい。
自分のケツ毛を鏡なしで見たことがある人はどれほどいるだろうか?
当然見えないのである
ここで間違ってもカミソリを使ってはならない
良くてカミソリ負け、悪ければ流血沙汰だ
電話で予約。まず初回はカウンセリングの予約になる。同日に脱毛も希望する場合受けられるようだったので希望した。
まずはカウンセラー(というより単なる美容スタッフだろう)からレーザー脱毛の説明を受ける。30分ほど。
その後医師の診察。一瞬で終わる。
再度カウンセラーが現れて契約、料金の説明。トータルで1時間ほど。
そしてそのまま処置室に移動し、看護師によるレーザー脱毛の処置を受ける。
カウンセリングと処置含めてトータルで2時間ほどだった。2回目以降は施術だけなので、1時間もかからないだろう。
概ねテキパキと進むが、カウンセラーから一通りの説明を受けたあとに取り出されたのがクリニック謹製の保湿ローション、保湿クリーム。そしてVIO専用クリーム。各7000円ほど。
保湿やら創傷治癒因子やら(レーザーは一応熱傷ではある)メラニン生成抑制やらそれっぽい単語が並んでいる。
あの、これ必要ですか?と聞くとカウンセラーは満面の笑みでぜひこれを使って戴くとその後の治りもよくきれいになります!とお答えになる。
その後の医師診察時にこっそり必要性を聞いたら、少し苦笑いしつつ言葉を濁される。
少なくとも医学的に明確な差が出るわけではないだろう。
そもそもそれを使わないと術後の肌トラブルが多発するんだとしたら、全員に使わせないとリスク管理としても割に合わない。
その後にカウンセラーが持ってきた見積書にはしっかりとオプションのローション類計2万円が計上されていたので、丁重に辞退させていただいた。
何種類か機器があるらしいが、アレキサンドライトを用いる一般的な機種だった。もう少し痛みが抑えられる機器も世の中にはあるようだ。
痛みには個人差が結構大きいらしい。「輪ゴムで弾かれる感じ」と説明された。
個人的な感想としては「かなりキツイが耐えられないわけではない、ただし手は脂汗でじっとりするし涙目になる」といったもの。
一回一回はまあいいのだが、照射範囲は狭いので、例えばヒゲなら、10回~20回を5、6列受けることになる。
割と真面目に涙目になるし、照射のたびに体がのけぞってしまうが、外聞を気にするだけの余裕はなかった…
なお、顔面とVIOだと、顔面の方がレーザーの出力を高く設定する分、痛いらしい。
VIOはそもそも日焼けに弱く熱傷になりやすいため、最低限のレーザーしか当てられないのだ。
確かに考えてみると、常に日光にさらされる顔面に比べ、陰部が常に衣服に守られており日の目を浴びることはない
施術前は恥ずかしいかと思っていたが、実際に始まると緊張と痛みで全くそんな余裕はなかった
…のだが、だんだんと痛みにも慣れてくる
睾丸の皮を引っ張ってパツンパツンにしてからレーザーを漏れなく照射していくので、入念にそのあたりを触られる。
ふと我に返るとあらわな格好でこんな場所を丹念に触られている、と思うとだんだん変な気分になってくる。
事前の説明書にはしっかりと「勃起時には施術が行なえませんので、時間内に続く場合施術が行なえません。その場合料金は返金いたしません」と書かれている
最初はどんな変態がいるんだ、と思ったが、ちょっとその事態になるのもわからなくもない、と思ってしまった…
なお、院内掲示にはもちろん「セクハラ等の言動が続く場合は入店禁止等の厳重な対応をします」と書かれている
施術後数日は日焼け厳禁である。要するに熱傷なので、しっかり保湿して保護する必要がある
翌日はシャワーのみ
自分の場合ひげは問題なかったが、Vラインが毛嚢炎になってかなり痒くなった
・思ったよりは痛かったけど耐えられないことはない
・保湿ローション以外は変な勧誘もなかった
・早く6回受けてツルツルにしたい