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はてなキーワード: アニメ映画とは

2021-12-13

anond:20211213101952

企画屋Vtuberもいるし、動画勢のVtuberいるからそこは別にYoutuberとは変わらんよ。

爆食いする奴もいるし、新商品レビューする奴もいるし、ギャンブルする奴もいるし、料理する奴もいるし。

 

ただ、見てて思うのは俺らもヴァーチャルに対して期待しすぎていた部分もあるし、

冷静に考えてみたらヴァーチャルであることって何かをやるってことに関してはハードルが上がるんじゃないかってこと。

例えば、ヒカキンエッフェル塔の上からひもなしバンジーしたら「うおおお、やべえええええ」ってなるけど、

Vtuberエッフェル塔の上からひもなしバンジーしても「まぁ、ヴァーチャルだったらなんでもできますわな」ってなるじゃん。

どれだけすごいことをやったとしても「でもヴァーチャルじゃん」ってなる。

 

動画系のVtuberも実写系のYoutuberと同じようにペヤングの新作が出たら食って動画出してるけど、

仮に3Dトラッキングしたとしても実写の人間が食う激辛ペヤング動画情報量と、Vtuberが食う激辛ペヤング動画情報量の差は歴然なんだよね。流れ出る汗も、苦悶の表情も、手の微細な震えも、ほとんどまったく再現できない。

色々見てきて思うのは結局、ヴァーチャルは実写に比べると解像度が低すぎる。

料理系とか現実に対してアクションを起こす系は本気でやればやるほど「実写のパート」に「ガワをくっつけた」ものになる。

そして、ヴァーチャルじゃないとできないことをやればやるほど「でもヴァーチャルじゃん」ってなっちゃうし、

そっちに踏み入れれば踏み入れるほど「CGアニメーションでいいじゃん」ってことになっちゃう。

Vtuberがどんだけ凝っててすごいライブをしたとしてもpixerが本気でライブするアニメ映画作ったら余裕で吹き飛ばされる。

 

現状、Vtuber立ち位置って「現実世界にもCGアニメーションにも情報量で遠く及ばない」という中途半端位置にとどまってる。

2021-12-10

予約増田:2021年12月31日 午後6:01

Twitter地獄すぎる。

魔女見習いを探してのアンチが暴れている。

実家ボクシングを見ながら両親とアレコレ言いつつチラ見するTwitterアニメ映画声優以外が出てくると暴れるいつもの人達で溢れかえっていた。

魔女見習いを探しては確かにひどい映画だ。

主人公たちの喋りはやっぱり違和感がある。

おジャ魔女映画だと思って見に行って、流石に途中からおジャ魔女映画になると思ったら最後までそうはならなかった。

インターネットでの扱いも、ユアストーリーやレディプレイヤーワンにからめてケチをつけるチー牛でいっぱいで見れたものではない。

なんでこんなもの大晦日に流すのだろうか。

そもそも、多くの人は実家でこうして家族テレビを見るわけだが、そこでアニメ映画スピンオフなんていうオタクしか喜ばないようなものを見せられても困るだろう。

当時見ていた子供はいても、親も当時一緒に見ていたという家庭は少ないはずだ。

自分の子供と一緒に見たところで、子供おジャ魔女をみたことがないか、見たとしても最近見たばかりだろうから、幼少期の思い出として語る主人公感情移入はできないだろう。

こんな映画大晦日に見るのは、オタク同士で集まって映画を見るだけの変わり者か、実家にも帰らない、それか実家に帰っても部屋にこもってテレビを見ているような冷めた家庭で暮らすやつぐらいだ。

ある意味辻褄はあうな。

他のCHが家族で過ごす時間演出するなら、一人で過ごす連中の方を向いたほうが視聴率は出るだろう。

だけどNHKがそれをやるのは違うんじゃないのか?

お前らはニッチを拾うにしても結局其処にメジャーへの媚を売った形に加工して見せるべきだろう。

そういう役割なんだから

ニッチ向けのニッチ作品そのままで世の中に出すのはNHKに求められる役割じゃない。

受信料を返すべきだろう。

一年の終わりをアニメ映画に出てくる非本職声優へのアンチ活動で終わらせる奴らなんて、見たくはなかったよ。

年の瀬ぐらいゆっくり過ごさせてほしい

anond:20211210131748

ちょっと古いけど、ベルヴィル・ランデブーとかもフランスアニメ映画だったな。実写の映画独自存在感があるし、ゲーム開発でもアートディレクションが強い印象があるからCGとの組み合わせも得意だろうし、これからも期待がもてるな。

2021-12-02

フラ・フラダンスが爆死しようとしている

事前の予約状況が芳しく無いのである

やはりオタク向けに作られていない、がしか一般向けにしては絵柄が微妙という結論が出てしまった

集客ディーンフジオカに頼むあたり製作陣の感性がズレ過ぎてる

ディーンフジオカのファン層はおばさんなのだ

おばさんにあの絵柄の映画を見ろというのか

罰ゲームに等しい

・誰に向けているのか

・誰にどう思って欲しいのか

ここらへんきちっと考えていないと難しい

新海誠ははっきりと「若者に向けて」と公言している

細田守性癖しまって大衆受けしそうな要素だけぶっこんでとりあえず映画にしたものキャリアハイなのである

どれだけ良いものであろうが市場がでかくないと映画というのはヒットしないのだ

宮崎駿みたいにオナニーで稼ぎたいというのは無理な話であれは鈴木敏夫という一流の詐欺師そばにいたからで大衆を騙して売る技術を持ってる必要がある

とはいえ最近ネットのおかげで大衆を騙すテクニックがバレやすくなってきているかジブリ凋落したわけだが・・・

基本に立ち返ってお客のためにちゃん作品を作るっていう方法しか映画がヒットするわけがないんだ

これからアニメ映画作る人らはちゃんとお客の方を見て欲しい

2021-10-27

anond:20211027033015

女児向けアニメ映画の鑑賞に付き合ってくれる子供募集

どこですればいいの?

2021-10-24

anond:20211024124727

アニメ映画アニメ映画子連れが来て途中で「帰りたーい」とか言い始めてゲン萎えするんだよ

映画に否はないが人間がクソクソクソ嫌い過ぎるのが問題

2021-10-20

anond:20211014111638

日本、再来年には50歳越えが過半数(=6000万人)

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1410/14/news037.html 

50にもなって話題アニメ映画かいそいそ見に行くと思うか?

さらに残りの1/3くらい(2000万人)は子供自分映画を見に行けない

2021-10-16

なんだっけ、この間アマプラで見た、図書委員ヒロインかわいい仮想世界の話のアニメ映画、見終わってキャスト眺めてたらそのかわいいヒロイン中の人浜辺美波だったんだよ。中の人かわいいとか反則でしょ。

2021-10-01

結局声優メディアに出まくるのが正解だったじゃねえか

なりたい職業声優が上位に来たりテレビナレーションとなればテロップだけじゃなくわざわざ顔出しで自己紹介したり声優ドラマに出るのも当たり前になってきた

こうして知名度や影響力を持てば宮崎駿のせいで芸能人に奪われたアニメ映画メインキャストもいつか取り戻せるだろう

それもこれも堀江由衣とか田村ゆかりとか平野綾とかこの世代90年代以上に積極的に顔出ししたりライブしだしたおかげだろ

上の声優やら古いファンから最近声優は顔出しすぎ」「個性がない」「芝居の勉強してない」などヒドイ言われようだったのは忘れてねえぞ

この世代熱狂的なファンを生んで、そのファンが金を落とすから活動の幅はどんどん広がり、その影響で声優志望者を増えていき今の声優の扱われ方がある

それまでの一過性声優ブームで終わらずにこうして実を結んだのはこの世代が頑張ったからだというのは若い人達に覚えていて欲しい

2021-09-24

20世紀フォックスアナスタシアっていうアニメ映画があってディズニーを抜けたスタッフが作ったらしいんだけどなんかアニメーションタッチディズニーメインストリームとは微妙に違って好きなんだよね

リアルなんだけど優雅で、バレエダンサーとか古いハリウッド映画所作トレースしたみたいな不思議なエレガントさがある

髪の毛を振る仕草とか、腕を広げる動きとかがいいんだよね

あのアニメーターたちはそのあとどんな仕事をしたんだろ

2021-09-22

anond:20210922195656

俺もアニメ義務感で観てるなぁ。アニメ映画ならまだ楽しめるが、テレビシリーズはキツい。

anond:20210922170210

アニメ映画見るんだからオタク

vs

アニメ映画見るくらい普通

みたいな話になると

この胸の揺れは卑猥

vs

胸の揺れに気づかなかった

の話ももはや個人価値観だよねー、で終わりになる

2021-09-20

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

2021-09-16

特に興味もないよく知らないことについて想像で語れ

よく知らんけど頑張って概念説明を試みる


たことないけど多分あってる


よく知らんけど、さすがにあってるだろ

2021-09-15

疲れたアニメ映画身体休みたがってるんだ。」に出てくるモブリーマンになりそうなくらい疲れた

2021-09-14

昔観た映画タイトルが知りたい。

25年くらい前に某地方信用金庫主催(?)のアニメ映画鑑賞イベントがあって、親に連れられて観に行きました。

当時自分は5歳くらいでした。

映画館ではなく、講演とか演奏会とかが行われるようなホールで上映されました。

(なので、実際にその時期に映画館で上映されていた映画かどうかは分かりません。)

そもそも映画だったのか、というのも曖昧です。長編アニメという意味でここでは映画と書きます。)

覚えている内容は以下の通りです。かなり曖昧かつざっくりで、記憶違いもあるかもしれません。

人間の子ども(もしくは、人型の動物の子ども)が5~10人くらいで遊んでいた。

・ある子どもが虹の裏側(?)に行くと何か起こると聞き、みんなで向かう。

・実際にみんなで行ってみたところ、謎の力によって、子どもたちが数グループに分断され、

どこか知らない場所ワープで飛ばされてしまう。

・各グループ、仲間と合流し、帰るために行動する。

・あるグループ北極のような凍り付くような場所に飛ばされる。

・あるグループ通しで、合流できそうになったところ、また謎の力で飛ばされる。(結構絶望感)

最後なんやかんやで合流できて、何かの欠片を持ちながらみんなで円になって、「くっつけ、くっつけ、命の地球」みたいなセリフを何度もみんなで復唱して、その甲斐あって無事に帰れて(覚えてないけどたぶん帰れたんだと思う)おしまい

上記内容のような映画に心のあたりのある方は是非教えてください。

ずっと知りたくてもやもやしています

2021-09-01

アニメ映画ぼくらの7日間戦争」が面白かった

君の名は。フォロワー映画として視聴前の期待は低かったけど見てみたら悪くなかった。むしろ面白かった。

メンバー全員に表と裏のエピソードがありキャラ立ちされてる

・反抗する大人入国管理局でイマ的(メンバー外国人労働者の子供と知り合って守るために『戦争』になる)

実習生問題ネットでの誹謗中傷等、現代社会情勢がシナリオに盛り込まれてるがシナリオアクセントとして取り入れられてるのであって決してそれらの問題解決しようとキャラが動くのではなく、邪魔になってない

・前作となる宮沢りえ実写版ぼくらの七日間戦争」の戦車に対比するクライマックス脱出法は夢があって良かった

・偽RADWIMPSアーティストさんには失礼だけどこの挿入歌が「君の名は。フォロワーと呼んでしま所以)の挿入歌は笑ってしまった

ジュブナイルアニメとして満足な出来

 

もうちょっとな点

作画が凄いというシーンはない。「君の名は。」は無理だとしてもクライマックスシーンだけでも超絶作画で見たかった

エンドロール流れるキャラ後日談ヒロインしかないのが不満。メンバー7人全員の後日談を描こうよ!立てこもった炭鉱がその後どうなったかも気になる

・このシナリオならキャラ設定は高校生ではなく中学生で良かったと思う。高校生が「子供舐めんな」とか「大人勝手」とか言うのは違和感

批判意見として「現実一生懸命仕事してる入国管理局の人たちを悪く描くな」みたいなものがあったと思うが、それは気にならない。

 

今ならGYAO無料配信中よ

アニメ映画ローマ数字で「7日間」だったのね。修正しました。

2021-08-24

餅は餅屋

前々から芸人俳優アニメ映画声優に選ばれると「なんで声優じゃないの」「プロに任せて方が良くね?」という声を良く聞くが、今は逆に声優バラエティに出ることが多くなり、それに対しては誰もなんの文句も言わないことに違和感を感じている。

テレビ慣れしてないか司会者が気を使う場面が多いし、声を売りにしているのに顔出しして出ている意味がわからない。

餅は餅屋と言いその業界から出てくるなと言いたいのであれば、その逆も同じであると言えるのではないでしょうか?

2021-08-23

anond:20210823091856

エヴァに限らず創作物なんて全て「好きな人は好き、嫌いな人は嫌い」でしかないんだから、今回は増田エヴァと相性悪かったってだけの話なんじゃない

評価されてる=誰が見ても面白いってわけじゃないんだし

エヴァ場合は、ただ作品に対して好意的感想を持つ層が多いか世間大人気になっているように見えているだけで、評価してる人が多いから万人が見ても面白いなんてことはない

しろエヴァは誰が見ても面白い作品じゃないからこそ気に入ってるファンが多いようなコンテンツ

エヴァのすごいところはあんな尖ったことやってんのにコアなオタク以外も好んで見るような作品を作れてるところだろ

実際こんなに世界中で見られてる日本アニメ映画ってジブリ鬼滅を除くとそうそうないだろうし

2021-08-20

「竜とそばかすの姫」はなぜダメなのか

遅ればせながら「竜とそばかすの姫」を見てきた。ネタバレが嫌だったので、事前に紹介記事も読まなかったし、どんなストーリーかもろくろく知らなかった。

で、以下はその感想ネタバレ

鑑賞後にいくつかの感想ブログを読んだのだが、「映像演出はすばらしいが脚本ダメ」という評価が多かった。自分も同感である

おそらく最大の要因は、ネット世界リアル世界との分断が激しすぎて、どちらの世界キャラクターにも全く感情移入ができないことだろう。ネットでは暴れん坊の竜とネット自警団との戦いが続く一方、リアルでは陰キャ女子高生を中心としたラブコメもどきが進行する。

両方の世界の繋がりが緩いせいか、それぞれの世界に登場するキャラクターの行動原理が読めない。「コイツはなぜこんなことを?」という疑問が解けないまま、ストーリーは進行しつづける。

そして、多くの評者が指摘するように、物語の終盤にかけて脚本破綻は顕著になる。児童虐待を受けている兄弟父親から救うために、大人たちに見守られながらなぜか一人で関東へ向かう主人公。なぜか主人公に気圧されて、呻きだす兄弟父親兄弟たちが一体どうなったのかも観客には知らされないまま、さっぱりとした顔つきで故郷に戻ってくる主人公。竜とくっつくのかと思いきや、イケメンの幼馴染といい感じになる主人公なんでやねん!!!

というわけで、本作に不満は多々あるのだが、同情すべき部分もないわけではない。一部で指摘される細田守の「制度」に対する理解の欠如という点だ。要するに、細田作品世界のなかでは、福祉制度無能かつ無責任に描かれてしまうということであるしかし、これは現代日本映画事情を考えると、おそらくやむを得ないところだ。

そもそも物語制度とはあまり相性が良くない。物語は多くの場合主人公決断や行動でストーリーが展開していくし、視聴者や読者もそれを期待する。名探偵コナン犯人警視庁ローラー作戦逮捕されてしまうと、興ざめもいいところである。見ている側としては、コナン君の活躍事件解決するのを見たいのだ。

そういう物語制度との相性の悪さを補うための一つの方法が、制度中の人主人公にする、もしくは制度の中の協力者を登場させるというものだ。

だが、現代日本アニメ映画において、児童福祉施設職員主人公するという選択肢果たしてありうるだろうか。「おおかみこどもの雨と雪」はやや例外としても、ヒット作を目指すのであれば、主人公はどうしても高校生以下でなくてはならない。その縛りが脚本に大きな制約を生んでいる。

仮に児童福祉施設の協力者を登場させたとすれば、ストーリー説得力自体は増すものの、ラストあたりの展開は協力者に解決をぶん投げる形になり、主人公の出る幕はほぼなくなってしまう。それでは、エンターテイメントとしてのカタルシスに欠ける。

では、細田はいったいどうすべきだったのか?

そこで、この映画の最大の問題が浮かび上がる。

まり児童虐待のような現実社会と地続きの問題を登場させるから脚本いびつさが目立つのだ。子ども貧困を描いた新海誠の「天気の子」にも同様の問題が指摘できる。

現実社会には現実社会解決策がある。それを一足飛びに高校生解決させようとするから脚本に無理が生じる。主人公たちを活躍させるためには、制度無能に描き、リアリティを欠いた解決策をひねり出すよりほかない。

から細田守にせよ、新海誠にせよ、作品主人公には大人しく世界を救済させておけと言いたい(それが嫌なら、主人公高校生以下でなくてはならないという縛りと戦え)。

隕石が降ってくるとか、人工衛星が降ってくるとか、そういう超緊急事態を前にすれば制度は実に無力だ。だからこそ、主人公やその仲間たちの超人的な活躍が光るのだ。そして、世界を救うだけなら、より長期的には必要になる制度的(かつ地道な)解決策についても考えなくていい。

というわけで、高校生以下を主人公に据える限りにおいて、セカイ系物語にはそれなりに有用性があるのが理解できたことが「竜とそばかすの姫」を見た最大の収穫だったと思う。

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