はてなキーワード: 青魚とは
みんな旅行とか行ったのかな。
積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。
運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィーク、しかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席だからなのだろうが。
当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席のチケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。
窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。
奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。
そう、窓際の席とは山側なのだった。
初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである。
列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である。
新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。
さて、新潟平野の自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である。
そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まりは富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまりは日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである。日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。
富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しかし富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店かモーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業の吉野家のみであった。
その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦に唐揚げ、新鮮な蛍烏賊の踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。
しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。
あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。
さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。
日本海は海が近い。個人的な感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。
電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。
大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。
到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。
電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色も楽しいものだが、そこにご当地の駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。
朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。
改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。
しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。
いただいたのは鱈づくし弁当である。しかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメの天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。
味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかもスルメの天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います。
流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。
今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。
点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である。
美しい景色を眺めながら、その土地の食べ物をいただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福な感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。
ここが機内食やなんかと違う所なのである。駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。
反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。
元増田はもちろんそうなんだけど
北の海からきた青魚の皮にある油は冷凍しても凍らず酸化して生臭くなるので基本的には冷凍しない。ごまと同じだね。
脂身が少ない赤身マグロとかネギトロ用たたきなどの密封済み取り寄せ品なら少しは長いらしい。
密封してあっても少しずつ匂いは吸うが、どうしてもピザトーストが食べたいときに冷蔵庫にある安心感。ただし場所とる。
チンするときは1枚20秒で十分かも。
うどん、スパゲティなど。自分はようやく鍋の〆うどんやきしめんの味を覚えた。うまいぞ。
菌も死なない。ただし解凍でチンするときにはタレが爆発するから注意して取り除く。
枝豆、ミックスベジタブル、いんげんなど。枝豆はイザというとき氷枕にしてもよい。
加熱しないおひたしにできる、ビタミン生きてるっていろんなサイトに書いてあるけど殺菌がちょっと怖い。
他にも、葱、くしに切ったレモン、すだちなどの薬味は十分使用に耐える。すりおろしわさびも余ったら凍らせている。
あっでも生姜、葱だけは注意して密封しないと他に匂いがついてるのかも。
ソーセージ、ベーコンと同様。ちなみにはじけるソーセージは冷蔵庫から1本あたり15秒、冷凍庫からだと30秒くらいで熱々。
冷菓枠。ちょっと高い100%果汁チューチューアイスは味がガリガリ君っぽいうまさだし何かと冷却材にもつかいやすい。
こんな感じかね。
遅筋は持久力、速筋は瞬発力。
赤 身 の 魚はこってり味で、マグロ、カツオ、サバなどの回遊魚に多く
白 身 の 魚は淡白な味で、カレイ、ヒラメ、タイなどの根付き。
そして、いよいよ、青 魚。イワシ、サバ、アジのように背中が青い魚の総称。
ただし、前述の体側筋分類法でいくと、これらは全部、遅筋。つまり、イワシ、サバ、アジは赤 身 の 魚になっちゃうんだよなあ。ややこしや。
そして、背中分類法でいくと、マグロやカツオも青魚。どっちかって言うとお値段的には高級魚に分類されるんだけど、実はサバ科。
以上です!!
皆様、お足元の悪い中、「白米が無限に食べられるおかず選手権 ベスト10発表会」にご参加いただきありがとうございます。
今大会は増田の独断と偏見でできておりまして、一時期は中華料理の多さを考えて部門分けをすると増田が発表するなど、皆様の記憶に新しい事かと思いますが、無事、開催し、発表することができますことに大変感謝いたします。
8位:鮭の塩焼き(4570ポイント)
ますは第10位から第4位までをご覧いただきましたが、解説の増田さん、どうでしょうか。
やはり中華料理が多くなってしまいますよね。中華料理は旨味と脂質が多分に含まれており、それに掛け合わされる形で白米の糖を引き立てるのでしょう。
前回3位のカレーが7位にまで落ちているのはなぜでしょうか?
多分、増田の舌がカレーよりも美味しいものを見つけたのでしょう。前回2位のレバニラ炒めが下がっていますが、これは去年の健康診断で尿酸値が高いことを指摘されてプリン体を避けていますね。本当は食べたいんですが、我慢しているといったところでしょうか。
続きまして、ベスト3位の発表です。
前回王者の麻婆豆腐がなんと3位です。これは一波乱ありそうですね。
一時期、行きつけの中華ランチで麻婆丼ばかり食べていましたもんね。最近ではあのお店の味の決め手が花椒だったことを理解して、あのお店に近づけるため努力しておりましたが、3位になってしましました。
ここで、野菜炒め。前回5位だったものの、胃腸の調子を考えて野菜炒めを頼む頻度が増えたのが原因でしょうか。
それもあるでしょうが、増田は以前の健康診断で尿酸値が高いことを気にしていましたので、前回2位のレバニラ炒めにプリン体が多いということで野菜炒めにしたのでしょう。
やはり増田の食べる物の頻度はかなり重要な事が伺いしれますね。
では、ついに、第一位の発表です。
(ドラムロール)
圧倒的でした。前回圏外だったさば味噌煮がなんとまさかの第一位。
寿司屋や居酒屋でなめろうの発展形としてバクダンがおいてあったら頼んでみるといいよ。
青魚のたたきに卵黄、魚卵、山芋おろし、オクラなど山ほど酒のつまみが入っていてぐりぐりまぜてちまちま食べてウマーなやつだよ。
昔、狂ったようにアジの刺身を食べていた時期がある。スーパーで意外と安く売っているし、美味しいからだ。
すっかり三枚おろしも板についた頃、ちょっと刺身以外にも手の込んだものを作ってみようか、と思い、調べた結果、「なめろう」に出会った。
港町の料理で、青魚、味噌、ネギ、大葉なんかをまな板の上にごちゃっと乗せて、包丁でひたすらたたく。魚の身がペースト状になる寸前で叩きストップ!おいしいつまみの完成だ。俺はネギを入れずに大葉を多め、さらにしょうがを多めに入れるのが好き。
初めてなめろうを食べた時の感動は忘れられない。これは日本酒のための料理だ。いや米と一緒に食べてもいける!なんならなめろう単体でもおいしいぞ!
狂ったようになめろうを食う日々が続いた。3ヶ月くらい、毎日のようにアジを3枚におろして叩いた。
流石に食べすぎて飽きてしまい、2年くらいご無沙汰だったのだが、昨日スーパーで4尾150円のイワシを発見し、「アジではないけど、久々に作ってみるか」と思い立った。
三枚おろしの腕はやや鈍ったが、とてもおいしい。本丸のアジで作ったらどうなっちゃうんだろう俺、ってくらい。久々に飲む日本酒もまた最高だった。
これから、また、毎日三枚おろし、叩き、おいしいお酒のルーティーンが続く。ストレスの溜まる日々だけど、俺はなめろうのために生きていく。
揚げ物は割と好きな料理なので、俺なりのコツを書いていく
揚げ物の美味しさは衣にあるという人は多い
天ぷらや唐揚げの様に、素材を衣に包んで揚げる意味は別のところにあるはずだ
個人的には唐揚げに限らず揚げ物は衣の外に水分を逃して、素材の味を濃縮する料理だとは思っている
素材の水分を抜き取る事で、素材の旨味や風味を濃縮する
例えば生ウニを天ぷらにしたりすると、こういう感覚は分かって貰えるかなと思う(失敗すると悲惨だが)
また山菜などが顕著だが水分と一緒に、素材のエグ味を取り除く効果もある
また、内部まで火が通っていない可能性が高い
温度が低すぎると衣に水分が残って、べちゃりとした食感になってしまう
水分が中途半端に残ってしまうので、味も微妙なものになりがちだ
テレビなどで天ぷら屋さんが、大きな底の深い鍋にたっぷり油を注いで揚げているのを見ると思う
あれは油の量が多い方が温度変化が少なく、キレイに揚げやすいという話を聞いた
個人的な経験からも揚げ物に不慣れな人ほど、大量の油で揚げたほうが失敗は少ない
素材が鍋の底にくっついて焦げ付いてしまう事も少なくなる
底が深い方が油と接触する面積が増えるので、水分が抜けやすくなる
油を節約したい場合は直径が小さく、底は深い鍋を使うといいと思う
できれば揚げ物用の鍋に挿しっぱなしにできる温度計があった方が、よりミスは少なくなる
最近はIHもちろん、ガスコンロでもセンサーによる温度調節機能が付いている場合も多い
いっそ家庭用のフライヤーを使うという手もある
道具で楽できる部分はどんどん楽してしまった方が、より料理を楽しめると思う
余談だが、揚げ物に使った油は揚げる素材にもよるが、何回かは再利用が可能だ
天かすのような剥がれた衣などの油に沈むゴミは、100円ショップに売ってる金属製のアク取りを使って取り除くと良い
基本的に、野菜<白身の魚やエビなど<脂身の少ない肉<脂身の多い肉<青魚など臭いのある素材、の順で油が汚れる
例えば野菜の天ぷらを揚げた油で、翌日イワシのすり身揚げを揚げるといった使い方ならば味への影響は少ない
逆にイワシのすり身揚げを揚げた油を使って、野菜や白身魚を揚げるのは避けた方がいいだろう
フライパンでちゃっちゃーと作りたいんじゃ! という人もいると思う
そういう人は薄い素材で作るといい
例えば鶏肉の唐揚げなら肉を薄切りして、面倒でなければスプーンなどで叩いて薄く伸ばしてから揚げる
また少ない油ではどうしても衣の火の通り方にムラがでる
そういう場合は、炒り胡麻や砕いたナッツ類を衣に混ぜたりして食感を補うと、美味しく食べられると思う
オーブンで焼いた唐揚げ風の鶏は、多少粉っぽいが味自体は悪くない
フライパンの上で焼き肉のタレとマヨネーズであえて、照りマヨ風にすると弁当のおかずにもなる
油で揚げるのと違って、慣れれば放ったらかしにできるのもメリットだ
例えば、味噌汁なんか最悪で自分は絶対に家の味噌汁どころか給食の味噌汁も、外食しにいったときについてくる味噌汁も飲まなかった。
いや、親からは外食は「嫌いでも食べずに残すのはだめ。本当に食べられなかったら残しなさい。」といわれていたので一口だけ飲んで「ごめんなさい。」と言って残していた。家では少量の味噌汁にしてくれていた。
もう一つ苦手なのが魚だった。これは刺し身すら好き嫌いがあった。いわゆる白身魚(カレイや鮭、ヒラメなど)は食べることが出来るがマグロやカツオはもちろん、鯵なんかの赤身魚は全く好まなかった。もちろん、人並みに寿司は好きだったが。
家をでるまでは、いやいや食べていた。家を出てからは、もう自分が嫌なものは食べなくてもいいんだと思って少しうれしかったのは内緒。
高校を卒業して、大学では昼は学食のカレーやうどん、夜はバイト先のまかないの蕎麦や天ぷらばかり食べており、就職して食べるものは相変わらず自分が好きなもの。特に、肉は鶏肉が大好きで、しかも肉系で一番安いので毎晩鶏肉を食っていた。
そんな生活を続けていたからか、健康診断であらゆる場所が悪いことを知らされ、医者からは食事を指導をされて、特に肉をできるだけ断って、意識的に鯖などの青魚を食べることを勧められた。
絶望だらけだった。あんなに昔嫌いで嫌いで仕方なかった魚を食べなきゃならないのだ。
そしていつもいくスーパーで鯖を二枚におろしたものを購入。今まで培ってきた自炊スキルを利用して、まずはトマト煮(トマト大好き)をしてみる。
にんにくなどで青臭さを消して食べてみると、案外いける。
「なんだ、全然、臭みを消せば食えるじゃないか」と思い、しばらくはトマト煮ばかりする。
だんだんトマト煮ばかりを毎日食べるのも空きてくるので様々な試行錯誤を繰り返し繰り返し、そしてようやく来るべき日。
「焼き魚」以外思いつかない日がくる。
冷蔵庫に鯖と卵しかなかった時に、「今日は卵だけ焼いて飯を食うか」と迷ったものの鯖の消費期限は今日。
みりん醤油につけておこうにもみりんがない。買い物に行けばいいけどめんどくさい。
すごく美味しい。
びっくりした。昔食べていた魚と特に味の特徴は変わらない。変わらないが、飯が進む。
会社でもあんだけ「焼き魚は無理なんですよ~」と言って、飲み屋でも「ホッケうまいぞ!くってみろ!」と言われても食わず嫌いで食べなかったのが馬鹿に感じるレベルで美味しい。
「もしかして味覚が変わったのでは」と思い、そこからは味噌も全然食べられるし、鯖の味噌煮なんて大好物になってしまった。
気がつけば20代の晩飯といえば「米、鶏肉、生サラダ、わかめスープ」だったのが今の晩御飯は「米、焼き魚、生サラダ、味噌汁」とかなり健康的と感じる食事になった。
同僚から言われた。自分がものすごく好き嫌いが多いから昼飯を誘おうにも誘えなかったと。でも今はお前はだいたいのもの食うから誘いやすくなった。
嫁はなんでも美味しく食べてくれるからいいかなと思ったと言っている。
もしあそこの健康診断で健康を損なわなかったらきっと今はないのだろう。
いつか、いつか美味しく食べてくれる時期が来るかな?と思いつつ、「嫌いでも食べずに残すのはだめ。本当に食べられなかったら残しなさい。」と言っている。
一番怖いのは、アレルギーの検査で若干の豆類アレルギーがあるそうで、本人はそんなこと構わずピーナッツを食べているのが怖いが、好きなものをあまり食べないようにしなさいと言わなければならないことだ。
幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。
また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。
ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。
バイトのシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。
現役で地方の駅弁大学に入学して、卒業が近くなってからは資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。
一応何とか大学は卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。
自分は、根本的に人生はディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的に自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分の学力のピークになっていたと思う。
確か当時の全国模試の総合偏差値は70を超えていたはずである。
でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。
何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。
その頃から学力の減退も生じていて、自分で自分がコントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校のランクを一つ落として、何とか国立の大学に合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分の人生の最盛期だったのではないかと思う。
大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活が崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数の語学習得を目指し大学のゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分をコントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。
俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分の計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活は大学を卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。
何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐、牛乳、納豆、青魚、葉野菜。こういうものをバランスよく摂るようにしていた。でも、自分が自分をコントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神でバイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。
いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。
さて。
いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しかし実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己をコントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。
原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である。身体におけるありとあらゆる不調や、自身のコントロールを掌握できていない感覚は殆どの場合、血流の低下に基づいているのである。ADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動が有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効なもののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。
シンプルながら散歩はADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である。普段自転車や原付で移動する距離を、例えば自転車や原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneのヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。
腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレは実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。
ドストエフスキーや夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHDの改善法となると俺は思っている。大抵の場合、活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書のカテゴリーに加えておく。
基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。
同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである。
すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書や文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画のイラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間を生活の中に設けるようにしている。ファミレスやハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。
ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHDの改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなのである。なので俺は最近は文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。
鬱持ち・ADHD持ちにありがちな、思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。
上で書いた通り、卵や牛乳、青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。
つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなのである。つまりそれは、そう、料理の煩雑さや億劫さである。
基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。
脳に一定以上の煩雑さや負担を押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。
追記。瞑想は効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブな効果が起こっていると思われる。
読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアルな瞑想を行うことがある。これもまたオススメ。
など
こんなところだろうか。
思い出し次第追記を行いたいと思う。
今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要な発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である。
上では書かなかったが、俺は重篤なインターネット依存症持ちでもある。
しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所や欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである。
是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。
自身の病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生」なのだ。
それでは。
などがありますが、いずれのソースも単体では味のパンチが弱いです。
なので、それを補うために必ず旨味のある肉類か魚類を加えることが重要です。肉類・魚類に一切頼らないパスタは、それ以外の素材が相当良いものでないと、満足のいく味に仕上げるのはなかなか難しいです。
(※ ソースの旨味の弱さを補うためにコンソメを加えるレシピが多々ありますが、味が画一的になりがちで食べ飽きやすいため、おすすめしません。)
逆に、以下の食材は案外味が蛋白なため、あまりおすすめできません。
また、加工されていない生肉・生魚を使う場合は、塩コショウでしっかり下味をつけるのを忘れないようにしましょう。
そして仕上げに、トングや菜箸でフライパンを 4〜5 周するように全体をぐるぐると激しく混ぜましょう。いわゆる乳化を狙ったものです。
これでソースがトロッとした状態になったら完成です。全体的にパサついていてトロッとならない場合は、EV オリーブオイル / バターを加える前にパスタの茹で汁で調整すると良いでしょう。
最後に、ミートソース(ボロネーゼ)は人気の割に美味しい作り方があまり知られていないため、触れておきます。
特に 1 が重要です。この飴色香味野菜こそがミートソースのコクのベースになります。
飴色になる時間を短縮させるコツは、香味野菜を極力小さなみじん切りにしておくことで、火が通しやすい状態にすることです。手動みじん切り器やフードプロセッサーを使うと良いでしょう。
( ※ ちなみにこの「飴色になるまで炒めた香味野菜」は一般にソフリットと呼ばれ、スープやトマト煮込み等で使うと味の素の役割を担ってくれます。まとめて作り置きしておくと重宝します。)
1, 2 どちらも満たすレシピをざっと調べましたが、 こちら などが良さそうです。(ブーケガルニは省いて良いと思います。)