はてなキーワード: 羞恥心とは
気持ち悪いと思う人もたくさんいるだろうから自己責任で読んでね。
私はものごころついたと同時に目覚めた。
初めは「おかいつ」の着ぐるみ着ておにいさんたちが踊ってる歌だったと思う。全身タイツも顔だけ出てる着ぐるみも、見ていると羞恥心でいっぱいになった。デフォルメされたかわいいクマや犬、もしくはモノ(エンピツとか)の着ぐるみから人間の顔が出ていてそこだけリアル。ああ、いい大人がこんなものに入れられて可哀想。なんだか見ていてむずむずした。
自分が動けなくなるのも好きだった。遊びで布団にぐるぐる巻きにされて動けなくなって、必死にもがくのが何とも情けなく恥ずかしかった。
初めてオナニーをしたのは幼稚園児か小学校1年生の頃で、リビングの机の脚でやって酷く怒られた。でもやめられなくて人目を盗んでやった。パンツの中にティッシュを詰めたりタイツを履いたりしてより気持ちよくなる方法を探した。寝転がって手ですることも覚えた。布団の中で隠れてやるようになった。学校でも机の下でこっそりした。
アニメも妄想でも「囚われの姫」「拷問」そんなのばっかり考えた。
この行為の名前を知ったのは中学生のときで、たいそうびっくりしたのを覚えている。家のパソコンでたまにそういうのを調べることはあったけど、見たいのは別に男女の裸とかではなかった。どういう言葉で調べたらいいのか、それすら分からなかった。
ケータイを買ってもらうと当然いろいろ調べた。自分の好きなジャンルが「BDSM」「ヒロインピンチ」「陵辱」「全タイ」「ボンテージ」「着ぐるみ」などだということが分かった。男性向けAVを見ることが多かったが本番行為には興味がなくいつもそこで止めていた。女の子の甲高い声も好きじゃなかった。
今わかってるのは、とにかくかわいそうで情けないジャンルが好きってこと。変な格好させられてギチギチに拘束されたい。縄でもガムテープでも鎖でも枷でも拘束衣でもシャチの浮き輪でもOK。そのままほっとかれてたい。肌は見えない方がいいけど痛いのは嫌。世に存在するらしい「ご主人様」に奉仕したいとは思わない。ただ物語の中で、不本意に捕まっていじめられたい。ドラマの撮影として縛られるのも良い。あくまでそういう設定の中で楽しみたい。強気で出て心を折られたい。
昔よく妄想したのは、誘拐されるやつ。無理やり連れていかれた先はそういうお店だったり奇妙な性癖をもつボスがいるところで、自分以外にも女の子がたくさんいることもある。全身タイツ+着ぐるみでお客さんやボスを喜ばせる。彼らに直接なにかされるわけでもなく、ただ芋虫の着ぐるみに入ってもぞもぞ動くのを鑑賞されたり、小魚の着ぐるみを着て大きなくじらに飲み込まれてり(する体のショー)。とてもAVじゃこんなのないから小説や漫画の方が好き。
ついでにそれ以外に対する許容範囲も広い(と思ってる)。レズもやってみたいと少し思うし、それ以外もまあいろいろ。
自分のように幼い頃から目覚めて今もこうして人に言えない歪んだ性癖を持ち続ける人はどのくらいいるだろう。多分思ったより沢山いるんだろうな。一貫性のない性格の自分が唯一持つアイデンティティとすら感じる。
お前ら、ナマポが「やむを得ず困窮した善良な市民」とでも思ってるのかよ?あまりにおめでたすぎる。小綺麗な幻想に取り憑かれて、日本の最低最悪のナマポ制度を無批判に肯定する思考停止が多すぎる。
俺はナマポだ。そして支援団体のお世話になってる関係上、ナマポの実態をよく知っている。その俺が、どんな奴らがナマポを受けてるか実例を教えてやる。
・本人低学歴無収入酒タバコ中毒女、DV無職男と結婚し子供3人作って結婚生活破綻してナマポ。諸々混んで月40万受給中。
・DVバツ3男、子供は5人くらいいる、養育費は当然払ってない。保護費は全額パチンコに突っ込んで支援団体にたかってる。
・若いスマホ中毒女。書類上メンヘラだが詐病。無職と言う建前だが風俗で働いている。稼いだ金は全部スマホゲーにつぎ込んでる。
・高学歴無能リベラル。口を開けば社会批判ばっかりしている。本人は学歴がいいのが自慢みたいだがバイト経験しかない。
・重度のメンヘラ。しかし実態は無能なくせに高報酬の気鋭のベンチャーに行ってついていけずに勝手に潰れたゴミクズ。最近はウマ娘から競馬にハマって多額の借金を背負った。
一番ひどいのはこんなところだが、支援団体にお世話になってる人間なんてみんなクズで、話を聞けば酒ギャンブルタバコで支給日から1週間で金を使いきって、後は支援団体にたかるか、禁止されている借金(ナマポに貸すくらいだから、それなりのところだ)して更に無駄遣いするかの二択だ。
ナマポを恥じる気持ちも、脱出するつもりもない。何なら労働者や納税者を小馬鹿にしてすらいる。
そんなの例外だろと、小綺麗な増田様は思うかも知れないが、自分はナマポを受けはじめて、ケースワーカーと揉めて、合計3回引っ越したが、どこの市でも状況は同じだった。ナマポには向上心も、羞恥心も、現状を改善しようと言う気持ちもない。
働かずに金もらえてラッキー。金がなくなったら誰かにたかればいい。どいつもこいつもそんな考えをしている。
勿論、あまりに生活が切羽詰まった奴が、足のつかない日雇労働をするなんてのもざらにある話だ。収入報告なんて全くしないし、それを自慢しあっている。
働く意欲があるけど、働き先がなく、やむを得ず生活保護を受けて生活を維持しつつ、再建を目指す。
そんな生活保護受給者は、現実を知らない、お前らの脳内にしかいない。
ナマポを受けるような奴らは、みな他人にたかることしか考えてないゴミクズで、自立した生活を目指そうなんて奴は1人もいない。例外はない。
勿論、俺も例外ではない。詐病でナマポを受けているゴミクズの1つでしかない。今更働くつもりはない。
ただ、日本と言う国に対して、それなりに敬意は払っている。だからこそ、日本と言う国家の体力を削るだけの無意味なナマポ制度の廃止を強く訴える。しかしノーリスクでたかれる手段が提供されている上、たからないと言う選択肢はない。その選択肢を奪う、自力で稼げない人間に対する救済制度を廃止する必要性を強く感じる。
そうなれば、俺は死ぬしかなくなるが、それは当然のことだろう。いや、その言い方はおかしいな。ゴミクズが生きている訳ないんだから、死ぬこともない。ただゴミクズが適切に処理されるようになるだけだ。それが最低限の義務として自らを自ら処理することになるのか、あるいは公的な機関が処理を代行してくれるのは知らないが、とかくゴミクズを処理しない限りこの国に未来はない。
制度上、存在が許されているなら存在したいが、その制度が間違っている。ゴミクズは存在すべきではない。美しい国は自立して生活できる自助精神のある美しい人間だけが存在すべきだ。
「青空文庫なりKindleなりで検索すればいくらでも読めるだろ」ではなく。
小説を読むとき、自分は文字から絵や音を想像しながら読んでいるが、恋愛の場面だけは何も想像できない。登場人物の表情が分からない。
面白い/面白くない以前の問題で、登場人物に感情移入できても、彼/彼女が抱く恋心には没入できない。「その気持ち分かる」がなさすぎて、五十音表をあ行から順番に見ているような気分で場面を読んでいる。当たり前だが、こう考えた時点で登場人物や物語に対する解像度は大幅に下がる。
正直、厨二コピペみたいで自分でもキモいなと思いながら書いてるけど、実際マジで分からないのだ。
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最近読んだ『若きウェルテルの悩み』を引き合いに出すが、主人公ウェルテルはシャルロッテ(ロッテ)という女性に恋をしていて、でもロッテには許嫁がいるからその恋は報われず、いろんな細かな不幸も重なって、結局ウェルテルは自殺してしまう。最初から希死念慮があるみたいな解説をどこかで読んだけど、最終的な自殺の後押しとなったのは失恋だと自分は解釈している。
超ざっくりとあらすじを要約すると「ウェルテルは失恋したので自殺した」となる。だが字面の上での因果関係は理解できても、だからといって「うんうん分かる。辛いよな。分かるよ」とまではいかない。その辛さには同情も共感も納得もできない。読んだ文章をうまく消化しきれない。失恋=辛いという公式を知っていても、自分で証明できない。実感としては無機質な報告書を読むように事実確認をしただけで読後感なんてものは無いし、当然ながら理解できないものは面白くないのでストレスと疲労感だけが残る。超有名な名作を理解できないという羞恥心が後から自分を責める。
「面白くなければ読まなければいい」で済むならそうしたいが、自分はそれができない環境に身を置いているため、ただただ苦痛。読み進めたページの分だけストレスが溜まる。『ウェルテル』だって読めと課題に出されたから読んだのであって、課題でなければたぶんウェルテルがロッテに恋心を抱いた場面(書簡体小説なので正確には手紙)で読むのをやめていた。
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必読と言われるような古典の名作ってだいたい主役の男女の恋愛要素が盛り込んであるし、その恋愛要素で話が動くし、恋愛要素そのものが主題になってたりするので、これから先こんな体たらくではやっていけないという不安が強い。実際に大学の講義で「『ウェルテル』を読んで共感できない若者はいない」とか先生に言い切られた。自分は20代になって少し経ちましたけど、話に共感できなかったのでもう若者じゃないんですね。
結局は自分が恋愛要素を忌避しているだけかも。嫌悪か? 好き嫌いの話なのか? それなら「自分が悪い」って単純に結論づけられるんだけどな。自分の今までの読み方が間違っていたってことなんだから。
改善しないといけないとは思っている。だから何とか読書量を増やして慣れようとしているのだが、これがしんどい。しんどいけど読まなきゃ改善できないから仕方なく読む。つらい。いつか小説を読むことすら苦痛になるのかもしれない。つらい。もっと昔からいっぱい読んでいればこんなことでいちいち悩んだりはしなかったんだろうな。薄っぺらい人生送ってきたんだな。つらい。
ぐだぐだ独り言言ってるだけだから時間を無駄にしたくない人は読まない方がいい
前から自己保身のためにしょうもない嘘をつくクセがあった。片想い期間が長かった彼氏に付き合って三ヶ月で二股かけられて振られたのが恥ずかしくて、彼氏のことを知らない友達に半年付き合った後自分から振ったって嘘ついたりなんだったり。
あと、数年前、はてな匿名ダイアリーで盛った話をアップするのにハマってた。まるっきり根も葉もない話じゃないけど知り合いに言ったら虚言症だと思われるレベルの嘘をついた。本当は甲子園準々決勝決勝敗退なのに、決勝進出した、みたいなね。
恋愛とか勉強とか頑張ってたことがことごとく途中でダメになって、だけどプライドだけ無駄に高すぎたからダメだったよって素直に友達に言えなかった。現実をうまく咀嚼できなかった。
ネットの中ではいろいろが叶ってる自分になりきっていたかった。
だけどそういうごっこ遊びにすぐ虚しくなって、はてな匿名ダイアリーの利用をやめた。
それから数年後の今日、私がはてな匿名ダイアリーにログインしたのは一人の夜がなんとなく寂しくなったからだ。まあこういう人間ですよ。惨めなぼっちは、しょうもない嘘松話に二、三個だけついてた温かなコメントを見たくなったんです。さもしいですね。
でさ、ログインしてみてびっくりしたんだ。二、三個しかコメントついてなくてブクマも多分ゼロだったはずの私のしょうもない嘘松話にめちゃくちゃブクマとコメントがついてたからだ。なんで今更掘り返されてんの??あれかな、誰かの返信がめちゃくちゃセンスがあって面白くて連鎖的にバズったのかな、とか思った、だけど違った。ファクトチェックで嘘がばれてぼこぼこに叩かれてたのだ。
なんか、血の気が引いて、バズってもない数年前の投稿のファクトチェックを丹念にする人ってのがインターネットにはいるんですねーこういう嘘ってバレるんですね、インターネットリテラシーを体で学びましたごめんなさいあはは、みたいな気持ちにはまあなった、なったんだけどそれ以上になんだかな、まあ恥ずかしくなったよね。
そりゃそうだって感じなんだけどさ、その恥ずかしさがなんというか、嘘をついていたことがバレた、人としての倫理にかかわる恥ずかしさとか話盛ってて現実のぱっとしなさが露呈した恥ずかしさもあるんだけど、なんというかもっと深い羞恥心?が重くのっかってきたんだ。
私はそりゃ、いろいろうまくいかなかったけどさ、自分なりに頑張ってはいた。それで甲子園の決勝には進めなかったけど準々決勝までは行った(もちろん甲子園というのは例えです、言わずもがな)。試合でそんなに活躍できなかったけど、少なくとも鬼コーチのしごきには最低限耐えた。
だけど決勝進出って嘘ついた瞬間、私は夢を持って白球追いかけてた私自身を、なんとか生きてた私自身を恥ずかしいものとしてドブの中に捨てちゃってたんだ。はてな匿名ダイアリーだけじゃない、現実の至るところで私は本当の私に「死ねよ、お前はいらない」って言い続けてたことに気づいた。こんなこと言うとありがちな自分を愛そう系自己啓発本みたいだけども。
こういうこと言っても狼少年的に嘘だと思われるかもだけど、こんな私にも気の置けない友達が少しいる。支配的な親との関係で病んでたとき関西からわざわざ飛んできてくれて、話を聞いてくれて、実家を出ることに対して背中を押してくれた幼なじみもいる。まるきり孤独というわけではないのに、ずーっと孤独感が抜けなかった。それは親子関係の不和もあるだろうけど、というか根幹はそれかもしれないけど、今の私自身の問題として考えると、私が私自身のダメなところを認めて、受け入れてあげなかったから、っていうのがしっくりくる気がした。
だけどファクトチェックによって嘘が浮き彫りになったことによる羞恥が分からせてくれた。
あと繰り返すようだけど嘘やごまかしってなんだかんだバレるんだって教えてくれてありがとう。というか倫理的に良くないよね。過激な正義厨を全肯定する気はないけど、自分も他人も貶める普通によくないことしてました。反省してます。
好きだった男性からセックスしたいと言われ、「まんこは不順だから嫌だけど、後ろの穴ならいいぞ」と、
興味も津々だったから言うと、それでいいならと壁に向かされて、ジーンズを膝まで脱がされた。
「えっ、ここで?いま?」と自分で言った言葉がやおいのそれで、(あ、これでいいのか)と判断してしまい、
でもショーツは女性用だし、でも脱がされて「だ、ダメだよっ」ってどもりまで再現。
後ろでちょっと戸惑ってる雰囲気がしたけど、お尻の割れ目に冷たい液体の感触がして、
それは彼が手に唾を撮って私のアナルに塗ったのであって、次にカチャカチャとベルトを外す音がして、
どんなtんkか見てみようと振り返ろうとしたとき、tんkの先が私のお尻に当たって、
下から突き上げられてtんkがアナルから入ってきた。(切れた)と思ったけど、
便秘気味の私の便とtんくぉ頭の中で比べていた。
「なにすんだよ。なに勝手に入れてんだよ」。許可したのにそんなありきたりな台詞しか出てこない。
(ショタウケの台詞だ。私はウケなんだ。ショタで)と攻めになる可能性なんてないのに、
(いま私、肛門を責められてる。。お尻を手で掴まれるの気持ち良い。横に広げられて、
お尻の穴丸見えなんだろうな。そこにtんk挿れられてて)ってイメージしたら弩エロくて
クリトリス触って自分でもオナニー始めちゃった。でもアナルセックス自体は気持ち良いのか悪いのか。
上に持ち上げられる感じだけで。
「お尻は根本が締まってきつい」「そうなんだ」「あと、おちんちんの先になんか当たって。。」
ってまで言われてすんごく恥ずかしくなって、前もって浣腸してとか考えてないし、
「ごめん、一旦抜いて」「抜いたらおちんちんに」「ひぃぃー」
そのまま二人は服を脱いで全裸になって、それでもつながったままだけど、
お風呂場に行って、「私が洗うから目を閉じてて。絶対見ないで。息も止めてて」。
太くて長い便が出るようにtんkを抜いて、高圧洗浄機の勢いのシャワーをtんkに当てながら、
痛そうだったから弱めて、なんか茶色いものが見えたか見えてないつもりでシャワーで流して、
私の肛門は、少し切れたときのウォシュレット程度痛かったが、この程度ならいつもだ。
コンビニに夕飯とか買いに出かけたとき、マツモトキヨシでコンドームと浣腸とローションを買って、
私はリビングの真ん中に四つん這いになり、浣腸されていた。「浣腸は人にされるもの」とゆう固定観念があった。
そもそも何故浣腸をするのか。それはtんkの先に何かが当たったとゆう負い目だろう。
そのまま「ぎりぎりまで我慢」と言われて、トイレで我慢すればいいのにそこで我慢するから、
肛門ひくひく締めてる姿見られてるの想像してバカみたいだし、お腹が超痛くなってきたし、
間に合わなくてここで吹き出したら大惨事とか、それもこれも「ギリギリまで我慢」の固定観念のせいだった。
自分の中で(もう責任取れん)と、結局は自分との戦いであったのだが(彼は見てるだけ)、
立ち上がってトイレまでの歩みのとき腿に何か垂れるものを感じで、
便座に座ってからもお腹がきりきり痛くて、うーんうーんとお腹を押さえて唸った。
浣腸はこんなに辛いものだったっけ。はるか遠くの子供の時にしたかどうか。
残便感が残る状態が20分続いたあと、やっと便意は収まった、私の便はどうして硬めで丸くてなんだろう。
うさぎなのかな。流石にお尻がひりひりした。
「さんざんだよ」。下半身裸でリビングに戻って、不満を示そうとそのまま立っていた。
いつもは普通の女子だけど、浣腸されると心が荒ぶるのだろうか。
浣腸されたら出るんだよ!そもそも恥ずかしいって、股間丸見えで浣腸されてるからな。
その後の「もらしちゃって、恥ずかしいねえ」なんて薄ら寒い台詞。
通勤電車でね、漏らさないっていうのは羞恥心じゃなくて社会的責任からでしょ?
みんなに迷惑がかかる。後も大変。限界点の3分前にはうまく泣けるかを考えてると思うわ、準備として。
「男のサラリーマンの場合は『すみません、我慢できずに漏らしてしまいす」と宣言したら、
ずっと聞いてた彼が喋った。「残ってる最善策」「宣言して、もう漏らしてもいいんだ、
となっても、自分で意図して漏らすのはできなくて(あれ、引っ込んだぞ)ってなりそうか、
漏らしながら宣言してたか」「漏らしたことある?」「満員電車でとか破滅的なのはないけど、
もうだめだと思ったことは何十回はある。そのとき考えてるのは、
「漏らしたらとんでもないことになるから漏らさない」ってことだけ。
漏らした未来を想像できないから、漏らさない。その時に漏らしてたら、
いまの僕は無いね。あるんだけど。社会に出るとトイレはどこにでもあるから安心した覚えがある。
高校生までの学校と比べて。いつでもトイレ行っていいんだって。」
「やおいは大変だってことだよ」「同情する気もないけど、ホモの人が大変なのかな」
浣腸の中にそうゆう作用のなんかがあるのだろうか。うんこした帰りにパンツはかずに腕組んで、
「なんかちょっと、しにくいけど。。」
「シャワーしてくる」
お尻をボディソープで洗ってるときに、彼が入って来ておっぱいを触られたら、
「ちょっともう、集中して洗えないし」って、元に戻った。
別の日に、浣腸して肛門ほぐしてローション塗ってアナルセックスしたら、
悪く無かった。やおい友達の彼氏できない民も、肛門に入れるためにディルドを買ってもいいか、検討していた。
ドラゴンボールが集まったら、何を願うのだろう。考えたとおりに間違えそうで、その前に注意する準備をしたい。
「なぜ揺れるのが嫌なのか」
わざわざ「胸を揺らす」というフェティシズムの発露に透ける作り手のねちっこい情念と、それを喜ぶ受け手の欲望を幻視するから。要するに「オタクキモい」というのが論理よりも先立ってるとは思う。個人的には「胸が揺れるからなんだ」と思わないでもないが、一方でこういう騒動があるたび「胸を揺らすこと」に並々ならぬこだわりを持つ人たちが顔を真っ赤にしているのではないかと思えるほどの必死さで胸揺れを擁護し、抗議者を悪し様に罵っているのを見るにつけ「これは子供の教育によくない…」という感情も生まれてくる。
てなことはさておき、現代において「揺れる胸」というのは「揺れる髪の毛」より性的な含意がある。だいたい自分の娘の髪の毛をブラッシングしたりで触れることはあっても、胸を触ったりはしない。「女性の胸」はそういうパーツであり、その延長線上で「胸が揺れる女体」を「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通の人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」と見做す方向の社会的判断はありうる(主に「女体を保護すべき」という家父長的思考と、「女体を男の性的欲求に利用すること許すまじ」という側面のフェミニズム的思考と、「えっちなのはいけないと思います」という付和雷同的大多数といったところか)。社会ではそういう綱引きがあり、現状どちらかといえば、胸を揺らしたがる勢力のほうが劣勢にある。
なんにせよそれは「創作が悪意によって不当なレッテルを貼られている」ということではない。そういう時代なのである。いま我々はミニスカートの女性を見ても特段なにも感じないが、過去にはそれで神通力を失った仙人すらいたという。いつか胸揺れに誰すらも心乱れなくなり、胸が揺れた揺れないといって相争うことのない日が来れば………そのときはそのときで別のトピックで大騒ぎするんだろうね。
きっかけは今年リリースされてめちゃくちゃ流行ったソシャゲアプリだった。
俺はソシャゲはもういま遊んでいるもので手一杯だったので見送ったが、友人の一人がドハマりしていた。
アプリがリリースされてから数ヶ月後、そのドハマりした友人から一通のラインが飛んできた。
見ると「この動画めちゃくちゃ面白いから見てwww」とのことだったので、まあ時間もあるしと思い送られてきたリンクを開く。それはニコニコに投稿されたファン動画で、いわゆるニコ動的ノリの強い動画だった。
大昔流行ったCM音声に、彼がハマったソシャゲキャラの非公式MMDを付けて踊らせたもの。元がギャグ要素の強いCMだったからか流れていく米もまあまあ盛り上がっていた。
俺はこの手のノリ動画を中高生時代に通っていた世代だったため、どことない懐かしさと若干の羞恥心を覚えてしまった。
もういろんな作品で使い潰されたネタだし、そもそもこのアプリのことなんも知らんし正直なんとも思わなかったが、彼が熱心にファン動画を漁るほど作品を推していることもあり「面白いね」とだけ返してその日のラインは終了。
以降、毎日のように似たような動画のリンクが送られてくるようになった。
面倒くさくて未読スルーをした日もあったが、翌日に必ず「見た?ww」と追いラインが来るので無視もできない。
燃焼系アミノ式だのドナルドの何とか〜だの人力ボカロだの、もう15年近く前から使い古されたネタを今更笑えない。それに、さっきも言ったが俺はその手のノリを中高生の頃にもう卒業しているので、そんなネタで爆笑して知り合いに送りつけてしまう30代が見ていてキツすぎる。
正直俺はもう奴と縁を切りたい。知らん作品のおもんない動画の感想を求められ続けるのはしんどい。
何より奴はそれを「最新の笑い」として消費し楽しんでいるのだから、俺がこうして心の中でキツいキツいとバカにするのも失礼な話だろうし。
なんて言えばいいんだろうか。気が重いわ。
下着屋巡回してると出てきてこっちが避けないといけないし、検索結果のなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる。
こっちはただ履いてるだけなのにホッテントリにして燃やそうとしてくるのも噴パンティもの。なんでこっちがお前らに叩かれなきゃいけないわけェ!?
アホ面してパンティ履いてるパンティマーカーの下着屋も嫌だし、ハゲ頭で増田で逆履きしているジジイも嫌。
以前は「パンティも免許制にしろ!」って叫んでいたけど、もはや「パンティなんて禁止しろ!」って言いたい。
パンティってマジで邪魔すぎないですか。なんであんなにパンティを拗らせてくるんですか。
やってる感ゼロのところをちょっとは出したいからってUIや仕様の改悪ばかりする卑しさ。ノーパンは何もするな!
そのうえ平気でマザーズ上場していく羞恥心のなさ。そんなに話題になりたいなら洗濯しろ!
嫌いすぎて定期的に「パンティ」で検索しては、汚い染みを見てゲラゲラ笑っている。
こんな俺って普通?
ネット巡回してると出てきてこっちが避けないといけないし、検索結果のなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる。
こっちはただ呟いてるだけなのにホッテントリにして燃やそうとしてくるのも噴飯もの。なんでこっちがお前らに叩かれなきゃいけないわけェ!?
アホ面してブコメ書いているブックマーカーのはてなも嫌だし、ハゲ頭で増田で逆張りしているジジイも嫌。
以前は「はてなも免許制にしろ!」って叫んでいたけど、もはや「はてななんて禁止しろ!」って言いたい。
はてなってマジで邪魔すぎないですか。なんであんなに童貞を拗らせてくるんですか。
やってる感ゼロのところをちょっとは出したいからってUIや仕様の改悪ばかりする卑しさ。無能は何もするな!
そのうえ平気でマザーズ上場していく羞恥心のなさ。そんなに話題になりたいなら爆発しろ!
嫌いすぎて定期的に「はてな」で検索しては、低い株価を見てゲラゲラ笑っている。
こんな俺って普通?
この、「被害が生じてるから性的なものを表に出すな」系の主張の最大の問題って、異常な基準の低さだと思うんですよね。
例えば、性器や女性の乳首丸出しだったり、性交や性交類似行為に及んでいることが明らかな意匠((屋外広告条例ではカンバンとかの絵や写真、デザインとかを意匠と言う))がアウトになるのは、まあ僕みたいな表現の自由戦士でも理解できるんですよ。
でも、着衣のAV女優が、ちょっと色っぽい感じを出しているだけの広告や、大きい胸が強調されているに過ぎないような描写まで規制しようと言うのは明らかにおかしいでしょう。
規制をしうる基準と言うのは、ほとんどの人が耐え難たい不快感や羞恥心を感じるようなものであったり、見た人の半分がセクハラを開始したりするようなものであって、単に「エッチなのはいけないと思います」程度のお気持ちじゃいかんだろうよってことですよ。
ただ、お腹の具合が悪く水っぽい大だったんだ。
だから音聞こえるじゃん?大の音だけじゃなくて、屁も出たんだよ。
個室に入ったときは運良く誰もいなかったから思い切り出せたんだけどさ、
途中から隣の個室に人が入ってきたわけ。
こっちはお腹痛い、けど隣に人が居て気まずい。
ただ、隣のヤツはその音が聞こえても気にせずゆっくりカラカラしてるんだよ。
こっちは我慢してんのにさ。
我慢の限界になって、残りも「ポト」とか「プゥ」とか情けない音を出しながら出すしかなかったんだよ。
で、問題は出した後だよ。
こっちが羞恥心で悔しい思いをしながら出し切ったときには隣のヤツは個室から出ていたわけ。
ただ、いつまで立っても部屋の扉の音が聞こえない。
こっちは仕事中だから、仕方なしに個室から出たらさ、そいつ化粧してんだよ。出くわしてしまったんだよ。
同じビルの違う会社の人だろうけどさ、そりゃないよって。あんた。
音聞こえたよね?個室ニ個しかない部屋だもんね。
生きてるのつらいわ。
Twitterや増田でお気持ち表明する程度の効果しかないよね。
「みんな投票しようね!」って「みんな平等に他人に優しくしようね!」
というかさ、自民がどうとか、立憲がどうとか、そういう下らないゲームからもう降りてるんだよね、俺達。
善悪の問題じゃなくて、コスト対効果が見合わないなって合理的理由から降りてる。
世の情勢について調べて、情報が事実かどうかダブルチェックトリプルチェックして。
んで投票対象の経歴調べて。
その投票対象すらごくごく小さな発言力、影響力しかない。さらに結果、自分に都合のいい世の中になるかはギャンブル。
労力に大して結果が見合わねーならやらないよ。
もっと言うなら、現代人にわざわざ投票所の場所調べさせて、足を運ばせるってのがもうコスト高すぎるって気づこうよ。
投票しないと後ろめたいとか、そういう下らない義務感とか羞恥心を持てという話をされるかもしれないね。
ないわー。これからは多様性、自分らしい生き方の時代だもん。人に非合理的行動強いるとか、全体主義者かー?
てかさ、投票をしたしてないを見張って注意してくる人間いないし、罰則もないんだから、投票義務を果たす意味がないよね。
恥ずかしくないのか?全然恥ずかしくない。
いや恥ずかしいのかもしれないが、投票先の政治家調べて政策調べて党について調べて世界について調べて正しいのか正しくないのかよくわからない中でファクトチェックして投票所に行く手間暇と比べたらなんてことないや。
何度も言うけどモラルや善悪の問題じゃなくて費用対効果の話だから。
気づいちゃってるんだよみんな。
あ、これ効果ないなって。
加えて言うならさ、政治の話してる人ってどいつもこいつも面白くないし、楽しくなさそうだし、いつもイライラしてるじゃん?
苦労してまでああなりたくないんだよね。