グルーミング(性犯罪者が年下(もしかしたらそれに限らず?)との性的接触を実行段階に移す前段階としての信頼関係の構築を行う行為)への罰則をというニュースを見た。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_619f3793e4b044a1cc114845
ハフポストであるのでそこまで真剣に取り合う問題でもない気がするが、実際に行われるとしたら、社会全体が人間の発達期において、世代の上下をまたぐようなコミュニケーション全体を忌避するようになるのだろうか。
そのような環境が到来したときには、家族内部で解決できない、あるいはそこに起因する問題を抱えた子供を、血縁関係の外側にいる人間が個人や地域としてかかわるということは基本的に異常な行為とみなされ(今も?また基本的にそういう子供に“かかわる”人間は奇特な人間か異常者が多いのは確かかもしれないが…)、問題に対処する役割だということを国家が規定した施設や人物に問題を通告して、その後は関わらないのが正しい市民の在り方ということになるのだろう。
そうなったときにはおそらく今まで以上に児童相談所の役割は増大するのであろうし、そのために社会全体が経済的な負担をする必要があるが、果たしてそれを受け入れるのだろうか。
もしも負担なくして罰則を設けるということであれば、子供を取り巻く環境はかなり悪化するような気がする。
またうがった見方をすれば、国家が(あるいは何らかの共同体が?)家族の在り方というものにかなり深く干渉するきっかけとなりうる動きなのかもしれない。
しかしながら、民主主義社会にいる以上、声が上がったからにはその意見に対して真剣に向き合う必要があるのは確かであろうし、そもそもの問題として(グルーミングが)『性犯罪をおこなうのは見知らぬ通りすがりではなく、ある程度知り合った周囲の人間のほうが多い』という話とつながっている(顔見知りになり警戒を解いてから実行に移すので行為の成功率も高いし、発覚の恐れも少ない)のもたしかであろう。
外部の人間からすれば、「人間の記憶それ自体は内部・外部によって容易に操作され変質しうる(虐待や性犯罪の記憶は身体が捏造することもあり得る)」という事実のほうばかり向きがちで、実際に被害を受けた被害者の改革の訴えにはどうしても及び腰となるが、直接捜査や処罰の対象とはならずとも、発覚した性犯罪にたいして、完遂されたもの以外にも前段階にある性犯罪被害に対して罰則をという形であればある程度受け入れられやすいのではないだろうか。
ただし、罰則の追加や強化ははやり慎重に行われるべきであるし、加えて犯罪者となった人間をぶち込んで終わり、隔離して終わりという形の解決ではなく、被害者・加害者問わず治療などの防止策を含めて考える必要があるであろう。
再発の防止、被害の抑止という形での規制や改革は行われるべきであるが、性犯罪に限らず過去の被害の応報として社会の規則を定めたり変えたりということには少なくとも慎重であるべきだと思う。
先月から言われ始めてたよ規制 日本で公に言われたのは諸外国の青少年関連規制の調査報告書が出た2015年じゃないかな