はてなキーワード: 注射とは
これからお仕事やご親族のご都合などでやむを得ず検査を受ける方の参考になれば。
まず自費検査を受けた理由は、非常〜にざっくり言えば、急用で遠出をしなければならず、過剰に心配する相手方を安心させるために受けざるを得なかったというところです。
11月某日、いくつか都内の病院のサイトをめぐり、やっぱり郵送はちょっと…と躊躇ったので(※1)、某人間ドック・健康診断を主に取り扱うクリニック(検索すれば出てくると思います)に問い合わせの電話しました。
快活な男性が電話に出られ、「当院は健康診断・人間ドックを主におこなっているため、症状のある方の検査はしていない。自費PCR検査は平日14時から行われており、値段は22,000円、翌日の14時でも対応可能」とのこと。
検査後は、2〜3営業日で結果報告のお電話がもらえ、その後書面での結果通知(陰性証明書ではないそう。陰性証明書は別料金らしい)を郵送していただけるとのことでした。
急ぎで結果が欲しかったため、そのまま申し込みました。電話口で氏名他結果通知の送付先住所を伝え、申し込み完了しました。
駅からのアクセスはよく、若干古めのオフィスビル、という佇まいでしたがクリニックの内装はそこそこ新しい印象でした。
受付で非接触体温測定、症状チェックシートの記入・署名を終え、受付の方から検査内容の確認書チェックシートを手渡され、これまた記入・署名を終えると、数字の書かれたバインダーを手渡され、同フロア内の検査エリアに移動するよう促されました。
受付エリアは待合室のようでたくさん椅子があり、ざっと7〜8名の方がいらっしゃいましたが、みなさんは健康診断の順番待ちのようでした。
指定された検査エリアは、検査服に着替えた方がたくさん。取り囲むように複数の個室があり、ここが健康診断のメイン会場のようでした。
入り口でバインダーを看護師さんに渡すと、トー●スラムネ、コー●ービー●の紙筒くらいのサイズで、下部が円錐形になったプラ容器を手渡されました。用意されていた容器の数から見るに、その日の検査者は3人くらいの様。
看護師さんに、検査服の方達の横を通され、パーテーションで区切られた非常階段横の一角に通されました。
一畳くらいのスペースに、どピンクの簡易机と折り畳み椅子だけの質素なスペース。机の上には小さなアルコールスプレーと箱ティッシュ、机の傍にはゴミ箱がありました。
机の上には説明書きが貼ってあり、
「必要な検体は2ml程度(容器にマジックで印が書いてありました)、口を閉じて俯き、1〜2分待って自然に出た唾液を容器の中に静かに吐き出してください。これを必要量に足るまで何度か繰り返してください」と書いてありました。(ティッシュは容器に唾液が垂れてしまった時にふきとる様らしい。)
早速口を閉じて俯いてみましたが、意外と唾液が出ない。梅干しなどすっぱいもののことを考えるなどして、俯く→吐き出すを6回ほど繰り返し、採取にはギリ10分はかからなかったかな?という感じでした。
印のところまで唾液を貯めたことを確認し、パーテーションを出て先ほどの看護師さんに検体を渡し、再度受付エリアに戻ってお会計でした。
受付から、トータルでの所要時間は30分もかからなかったと思います。
(領収書を会社名義にするか、個人名義にするか聞いてくださいました)
検査結果の電話をいただいたのは検査から2営業日後。陰性とのことでした。
結果の入った封筒は電話の翌日(3営業日後)郵便受けに投函されており、検査日・なぜか生年月日・検査結果などが記されておりました。
以上がレポートです。
※1
郵送PCR検査を行なっていた病院は、たしかに安いのですが、血●クレン●ングや白●注射などもやっている美容整形外科で、ちょっと正直…抵抗があるな〜と思ってしまい、見送りました。実際どんな病院かは存じませんが…
夫は注射が苦手だ。針を見るのも怖いらしい。
ワクチン関連のニュースがTVで流れると、注射器を体に刺すシーンが画面に映される。夫はそのたびに「ヒッ」となり、そのニュースが終わるまで目をつぶっている。最近はワクチンの話題になると事前に目を逸らしているが、関係なさそうな話題でいきなり映されることもあり、大変そうだ。TVのニュースを見なくても、ネットニュースで注射器を指すシーンの画像がサムネイルになっていて避けるのも難しそうだ。
ワクチンの説明や研究の進捗については、わざわざ腕に刺すシーンを映さなくても内容を伝えられるのではないだろうか。映像を流すのはやめてほしいけど、無理なんだろうなと思う。
私自身は注射も平気だけど、苦手なぶつぶつ集合体が映されると「ヒッ」となるし、嫌な気分になる。
(最近は新しいZOZOスーツの映像が本当にダメだった。夢に出た)
人の家でテレビのリモコンの調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいいかもしれない。
当然だよ。と、言いたげなお前らの呆れ顔が目に浮かぶ。状況を整理する。
あれは新宿界隈のバーでだらだらとバイトをしていた。20歳前後の頃でした。お客様ですごく可愛らしい女性が来た。
目が大きくて、黒目も(カラコンかもしれないけど)大きくて、細くて、年齢も近かったので意気投合し、バイト後に飲みに行くことに…。
で、瞬く間に付き合うことになった。
きっとお互い暇だったんだと思う。出会ってから付き合うまで1週間くらい。
当時バイト先は新宿だったんだけど、自宅は新宿から離れていた。
彼女は俺に比べると新宿の近くに住んでいたため、付き合いをきっかけにバイト後は彼女の部屋に泊まる日もあった。
彼女、やけに元気な日もあれば、ものすごく落ち込んでいる日があって、そこに周期的なものや規則性が全く無い。
原因不明の浮き沈みの激しい女性は初めて付き合ったので、どうしたらよいのか対応が難しかったのを覚えてる(今だったらシカトして寝る)
ある晩、キスとともに彼女が何かを口移ししてきた。すると、俺はすぐに眠くなってしまった。あとからそれが睡眠薬であることがわかる。
それと、同時に彼女が複数の処方薬をアルコールと共に乱用していること、気持ちの浮き沈みもそれによるものもあるかもしれないと推測した。
余談だけど、大事な身体にセルフでつけたであろう傷も沢山あった。
一度、性的な行為の最中に、違う男の名前を呼ばれ続けたこともあった。
一回とかじゃなくて、最中ずっと。きっとラリってて、俺じゃない誰かと行為をしてたんだと思う。
今でこそ、相手が薬を服薬をしていようとも「あぁメンタルそっち系の子ね…」くらいで、どっしり構えていられそうなもんだけど、
当時はまだ少年の心を持ってたので、なぜ彼女はそうなってしまったのか、何か自分にできることは無いのか、薬漬けの彼女を助けたいと、思い悩んだ。
(きっと、他人にはどうすることもできない)
ある日、彼女が友達との約束で家にいない時に、彼女の家で一人でテレビを見ていた。
番組がつまらなかったのか、音量を変えたかったのか、リモコンを操作すると、
どうにもリモコンの効きが悪かった。リモコンの電池を交換しようと思った。
そうは言っても彼女の家だから、電池がどこにあるかはわからない。
あんまりよくないんだけど、プライバシーの意識の低さもあって、テレビ台の引き出しを勝手に開けてしまった。
すると
探している単4電池の細さよりも細長い、それでいてプラスチック状の半透明な注射器がでてきた。
先端には針がついている。中身は空だけど、ちょっと水分が残っているような感じ。
前述の薬のこともあって、すごく嫌な予感がした。
引き出しをそっと元に戻した。見なかったことにしよう。
いや、見なかったことにできる?まだわからない、それじゃないかもしれないし。
いくら眠剤と酒でぶっ飛んでるメンヘラだからって、まさか20歳そこそこで、まだそこまで辿りついてないでしょ。と自分に言い聞かせた。
そこにあったもののこと、あれは一体、何なのか。と聞いてみた。
すると、忘れもしない。
それ系の返し史上、最も明るいテンションではないかと思うのだけど、
その日以来、彼女とは会っていない。
あの日、一体俺はどうするのが正解だったんだろうか。
関係を断つ以外にやりようはあったのだろうか。
今の俺に言えるのは、
人の家でテレビのリモコンの調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいい。
ということ。
と、いったところで終わりたいところなのですが、
もう少々お付き合いください。
当時アメブロとかブログ系のサービスが流行っていたんだけど、この女の子もブログをやっていた。
(俺のことを途中から遊びと割り切っていたことや、彼女が学生専門ヘルスでバイトしてることが書いてあり、少々傷ついたのを覚えている)
さすがに薬で警察沙汰は勘弁と思ったので、付き合いを断ったわけだけど、
数週間経ってブログを見てみると、そこに気になる記述があった。
なんかまたちょっと嫌な予感というか、
気になった俺はメールをすることに。
増田「どうしたの?」
女「足を怪我して」
増田「なんで?」
俺がシ○ブにビビって身を引いたことが一因となっていないかと、変な気持ちになった。
今も笑顔で前を向いていてほしい。
要は自分が何を言いたいかというと「健康診断の検査つらい」なんですが。
それについていろいろと考察した長い文章が下に続いているだけ。
日本人の寿命が長いのって、国民皆保険があるからお金の負担が安いことと、会社員が35歳以降に人間ドックを毎年受けることで早期発見・治療しているからなのだろうか?人類の医療で生かされてる(活かされてる)んだよな、健康的な意味でも、寿命的な意味でも。そりゃあそうだ。予防医学だよな。歯医者の定期健診を受ける、とか。
でも、トシくって様々な検査がちょっと辛かったりするのを目の当たりにすると、
「検査をしたり医療を受けたりしてまでも生き永らえたいというモチベーションが、果たして自分にはあるのだろうか?」
積極的安楽死か、消極的安楽死か、なんか、そういうのが脳裏によぎる。
会社員でいる以上は、自分を労働リソースとして供出しているのだから、その「労働リソースとして将来的にどのくらい使えるか」ということが会社的には気になるわけだし、あと法律で決まってるのかな?その辺の理由で、会社側から言われたとおり健康診断を受けなきゃならない。「直せばまだ労力として使えるのならちゃんと直せ」というのが、営利企業や国力といった視点からの論理と言えるだろう。
なんか、「自分の体は自分だけのものじゃない」という感覚がする。「公僕」、会社や社会の共有物かのような感じがする。
あ、検査がつらいんで受けません。安楽死しまーす。っていう自分の体に自己決定の権利はないのかな。それ人道的にどうなのかな。
その「自分の体が自分のものじゃない」の最たるものが、家族の意向により、胃ろうで生かされている人間でしょう。倫理的にどうなのでしょうか。かくいう私の親戚にもいます。こわいので面会していないです。いまはコロナで面会もままならないですが。
医学は、人為的に死をコントロールできる術です。進歩すればするほどコントローラブルな範囲が広がる。いずれは不老不死も実現するのかも知れない。
そのコントローラーを渡されて握るのは、本人であるべきなのか、他人であるべきなのか。自分というシステムのroot権限は誰が持つのか。
それにしても、35歳くらいを超えてる会社員の全員がこういう検査受けてる、ってすごくないですか?
人によっては人間ドックを毎年サボってる常習犯が居たりして、まあ気持ちはわかる・・・ってなっちゃう。
医療体制がすごいのもあるし、検査にみんな耐えてるのえらいですよね。
医療が進歩して検査の負担を減らす改善も継続的に行われていて、胃カメラを口から入れるときの不快感を減らすためにイカリングみたいな白い輪っかをくわえると、かなりラクになるんですよね。あれ。ノーベル平和賞でしょ。10年前に受けた時あんなのなかったし肩に注射で麻酔してたんですけど、最近はのどスプレー麻酔になったし1時間で麻酔切れるし、カメラ自体も細くなった。昔の胃カメラでトラウマになってる人もいると思いますけど、いまだいぶ負担減ってるんで、バリウム飲むよりもラクじゃないかと思いますよ。
若い頃ってさ、なんか、さまざまな「リソース」というものが無限であるかのように錯覚していた。
言い方を変えれば「有限なリソース」という概念そのものが頭の中になかったのかも知れない。
健康も時間も、仕事にかけられる労力も、無限だと思ってたので、スケジュールも何もなくがむしゃらに働いていたような。
でも社会に出て、あ、いろんなものって有限なんだなって気づいて。そのリソース管理がすごく難しいことに気づいていった。
そして30を超えると、「自分の健康寿命」というリソースの有限さをひしひしと感じるようになる。
若いころはモノを買うとき、お金の使い方がコスパばっかり考えていたように思う。安物買いの銭失いだ。
それはそれで「将来への投資」の考えがなさすぎる、貧者の思想だとは思うけど。お金に対してそういう貧しい考え方で育ってしまったのだから仕方がない。トシとっていってお金の使い方が少しはマシになったし、服にかけるお金がふえたりした。
トシを取ると自分の寿命が頭の隅にチラつくので、コスパが多少悪くてもペイするように意識が変わっていっていると思う。
「いまは時期が悪い」とか言ってチャンスを見送っているうちに自分の寿命のほうがなくなっていくからね。
たとえ時期が多少悪くても、じゃあいまやろう。お金をポンと出してやったぜ。と。
経済の話でいうところの「機会損失」って、商品の在庫があるとか、買える機会とか、開催期間が限定されたイベントとか、そういう「外的な機会」の損失するかどうかを焦点にしがちに見えるけども、それだけじゃないんだな。外的機会がある間に、かつ、自分の健康もなければならない。健康でなければ商品を購入して満足することができないから。
「健康が不足していて機会損失」も大いにあり得るわけです。「大切な推しのイベントなのに風邪ひいていけなくなった」とか。
これっていうのは「推しは推せるときに推せ」「孝行したいときに親はいない」と通じるものがある。
だから商売するのって、「ちょっと健康に不安が出てきて、かつ、そこそこお金持ってる人」を狙うのが効率よさそうですよね。健康商品じゃなくても。
ゲスいですが。足元見てる。
そういうターゲッティングして商売してる人間自体も、いずれはその該当者になるんですよ。
「おれは長生きしないんだ」つって、暴飲暴食してる人、ラクに死ねると思うなよ。苦しむぞ。みたいな脅しツイートを見かけたりしますけど、まあ確かにそうなんですけど、それも安楽死があれば解決するんですよね。
日本における安楽死の議論での反対派って「イジメみたいに同調圧力によって安楽死の自己決定を促されてしまう」危惧をドグマにしてますけど、
すでに「健康診断の圧力によってつらい検査を受けさせられてる」現状があるので、たしかにそうかも。そうなるだろうなあとは思われます。
「自殺と他殺」という対比の概念がありますが、それと同じように「自生と他生」とでもいいましょうか。
どう転んでも、自分の体の健康維持や死についての決定権は、自分だけが独占的・排他的に所有してはいない(できない)ようですね・・・。やはり自分の体は公僕性、公共物性を帯びているようです。それは国民皆保険であるから、国としては保険で治療コストの高い病気をなるべく支払わずに済ませたいので、治療コストの高い病気にかかるリスクを下げておくための検査コストを支払っておく(強制的に受けさせる)ほうがトータルでコストが安い、という計算なのでしょうか。
他者の圧力によって胃ろうで生かされてしまうようなことがある社会と、
どっちがマシなんですかね?
「勝手に生きるな」
介錯してラクにさせてあげたほうがいいんじゃない?とも思うし、
人為的に死をコントロールできてしまうということは、サバイバーズ・ギルトってやつが生まれる。生存者の罪悪感。
面倒なことにならないように、自分の生死を他者の人為的なコントロール下に置かれることが無いようにしたいですね。
やっぱ自分がコントローラ握って健康診断うけるかどうか決めたり、コロっと安楽死が理想なんですよ。でもそれって一貫性としては、このコロナのご時世で「公衆衛生を省みない自分勝手な自由な行動に出ることの許容」をも意味してしまうのですが。感染症や、医療保険の有無、といった社会的な連帯関係のものは物議をかもしますよね。そりゃ。
自分が死ぬときはVR-HMDかぶって、なんか、すごい音と映像で逝きたい。
臨床宗教師の仕事の中に「VR機材の管理」も含まれてくると思うんですよね、今後は。「テクノ法要」もありますし。映像や音声のクリエイターも、その走馬灯のような「最期の映像」をクリエイトする日が来るわけですよ。
だからVR業界から法曹界・医療関係に転職するようなキャリアパスもあるでしょうね今後は。
塞翁が馬。
みとりびと、おくりびと
27歳。結婚して3ヶ月頑張ったけれど、子供ができないので気長に待つか〜!としていたら、幼馴染に勧められてブライダルチェックに婦人科へ行った。確証は無いけれど、自分は不妊だろうなと常々思っていたので即予約ポチした。何もなければラッキーだと思って。
結果は、多嚢胞性卵巣症候群だった。
写真には、未発達の卵子と思われる丸い物が20個くらい並んでた。大きさはバラバラで、好き放題にいる。
生理が重いのもこれだった。経血の量も多かったり少なかったり。女性なのに、お口周りに少し濃い目の毛が生えたり、たまにニキビが出来てたりするのも、これが要因の可能性があるって言われた。
「注射打って排卵を目指すか、ピル飲んで経過を見るかどちらがいいですか?」と聞かれ、一緒に検査しに来てくれた夫の顔を見ると躊躇なく「治療しよ」と言った。私もそうしたい。「します。」
夫の精液検査は次回にするらしい。「家で採精して、容器に入れて持って来てね!でも、事前に連絡入れてください。突然持って来られてもびっくりしちゃうから。」と言われた。私は内診でメンタルがボコられたので、いまいち内容が理解できずその場では呆然としていた。夫が頷いていたのは見えた。
次回の受診予約、受付横のカードリーダーで出来るので便利だと思った。全部の病院がネットで事前予約できて、次回予約もこうやって出来たらいいのにな。
帰り道、「たまご(卵子)いっぱいあったね。0じゃなくて、多くてラッキーだったね。」と言うと、夫が優しい声で「何事もほどほどがいいよ」と話した。笑って欲しかった。
「頑張ったからご褒美に一つだけ願いを叶えてあげよう」と夫が言ってくれたので、ケーキを買ってもらった。フルーツのタルトと、ベリーとチョコのケーキ。店員さんに「いつもありがとうございます」と言われて退店。月に2回行くだけで常連ぶれるのお得だね、と話して帰った。
自宅に帰って床に転がっていると、夫が私の横にゴロンと寝転がって来て腕枕をしてくれた。ギュッといつもより強い力でハグされて「何も(治療)しなくてもすぐ子どもができる人がうらやましいね」と言われた。
私に向けて責めるつもりで言ったわけじゃなくて、彼は私の気持ちを代弁しようとしてくれたと思うんだけれど、私はその言葉を受け止められなくてちょっと泣いた。
前々から子どもは欲しいと二人で話し合っていたのに、私が治療しないと子どもができない病気だったから、夫に迷惑かけてしまう結果になった。夫の期待に添えない自分に申し訳なく感じた。
めちゃくちゃ今更だが、宇崎のアレで献血行かなくなった
キモオタ絵に耐性はあったが「流石にこれは炎上するやろなあ」と思う側の人間だったので、ネットだと「これぐらい普通だ」みたいな声がデカくてすげえ気持ち悪かった
「いやあの絵は性的に描かれたものじゃん、そりゃ批判はされるだろ」という自分の認識について「じゃあ巨乳はエロってことですか差別ぅ」みたいなスタンスのやつが一番イラっときた
ただ事実を意図的に誤認する人間が嫌いだったのと、「着衣だからエロじゃない」の理屈を通されてこれ以上のものが通るようになったら嫌だなと思ったこと、嫌悪感の理由だった
更に、表現の自由を主張する人々が表現に関しては慣習や公共良俗を無視した「もの凄くリベラル」な主張をするにも関わらず、少子化を理由に女性の生き方の自由を否定する人間が多かったのも腹立たしかった
炎上を追いかけてていると、ともかく冷笑系、茶化す発言、ストローマン論法、行きすぎた個人攻撃が目につき不愉快であった
ともかく「表現の自由を主張する人々」にただならぬ嫌悪感を抱くようになった
そしてキモオタが赤十字の声を代弁し始めてから、その嫌悪感は赤十字のほうへ飛び火した
赤十字側は出版社との取り決めか担当の趣味かなにかで適当にコラボ先を決定し、提出されたイラストを何も考えずに使っただけだろう
それで炎上させたのはちょっと頭が足りない気もするが、始めは赤十字には特に悪感情はいだいてなかった
「オタクは献血によく行くから偉い。外野は黙ってろ」のような赤十字と自由側vs規制側のような分断を煽るような主張を多く目にして、しだいに表現の自由に抱くのと同じような嫌悪感を抱くようになった
自称献血関係者アカウントが女叩きに興じ、それにキモオタが群がるみたいなのも見つけてさらに嫌いになった
そうして、赤十字自体がなんだか嫌なものとして自分の中で認識されてしまった
また決定的なこととして、あるキモオタが「若くて健康な童貞の血が最高なんだ」みたいなこと言ってて、それにのっとればあのポスターを支持できない人間は献血の呼びかけは<not for you>ってことだよなあと思ってしまった
血もそんなに濃くなく200mlしか取れない自分はまあ要らんのかなと
宇崎炎上のあとも一度だけ献血に行ったが、モヤモヤしてあの微妙に優雅な空気やお菓子、優しい看護師さん、採血(採血が好きなのだ)を楽しめなかった
「表現を守るために献血に行こう」みたいな呼びかけも目にして、献血に行くことで間接的に支持を示す羽目になってしまうのも嫌だなと思って完全に行くのをやめた
ポスター自体の悪印象というよりは、炎上を通して差別的な発言、嘲笑、誹謗中傷、くだらない喧嘩、分断を煽る発言もろもろを目にしてしまって献血も赤十字も嫌になった
個人的には、普通はあんなポスター貼らないだろと思う。小学校に貼れないポスターを役所や駅に貼るべきじゃないと思うからだ。ただ、そういう個人的な考えが議論の場に引っ張り出されてイデオロギーに巻き込まれて批判非難の対象になるのはすごく疲れる。それはキモオタ側も同じだったろうけれど。
フェミだってキモオタに理解を求めてレスバなんかせずに無視し、粛々と自分のTLで意見表明すれば良かったし、キモオタも炎上しても無視、批判も表現の自由、ただポスターは貼り続け献血に通うみたいな対応もできたはずだ(実際そのほうが炎上は早く収まるだろう)。しかし、皆発言せずにはいられなかった。自分が「間違ってる」と思ったことに意見表明することをやめなかった。きっと人間はイデオロギーから逃れられない生き物なのだ。
ただ採血と優しさ目当てに通っていただけなのに、炎上が起きて性的消費だとかジェンダーだとか表現の自由だとか公共良俗だとか果てにはヘイトスピーチの自由にまで、社会の様々な問題について考えさせられるようになったのが嫌だ。献血という他意のなかった行為が、イデオロギーに巻き込まれてしまったのが嫌だ。
現代じゃ性別は生き方を大きく左右するし、男女が異なるものである以上、不平等に感じる人は必ず何処かに出てしまうだろう。だから誰しも自分の性のあり方について多少の思うところはあるのが当然だ。でも、仕方ないことだと目をつぶってやり過ごしてハッピーに生きたい。
表現の自由だって素晴らしいが、慣習に沿った社会で守られるものも沢山ある。自由にも不自由にも疑問を抱かずに生きられるならそれに越したことはない。自分の思い通りの社会になるに越したことはないが、完璧にコントロールするのなんて無理だから「そういうものだ」と諦めて無難に生きたい。
社会問題を刺激されることで、「無難に生きていた私たち」が実は異なる意見を持つ違う人間なのだと気付かされるのがめんどくさい。だから賛成か反対か、赤か白か問われたくない。献血は私にその問いを突きつけてくるものになってしまった。楽しい献血のために、炎上するようなポスターを使わないで欲しかった。(それに、環境型セクハラだと思うこともやめて欲しいし、不快に思うのもやめて欲しいし、感情をTwitterに書き込むのもやめて欲しいし、表現の自由を求めるのもやめて欲しいし、批判されるような絵を公開しないで欲しいし、表現に対する批判ぐらい我慢して欲しいし、表現規制も我慢して欲しいし、自分を論理的だと思い込むのも見苦しいからやめて欲しいし、フェミを不快に思うのもやめて欲しいし、炎上してると意見表明するのもやめて欲しかった。)
社会に問題提起するマーケティングなども世の中にあるし、それはあっていいと思う。が、献血はそういう問題を刺激しないで欲しかった。世の中必要以上にめんどくさくしないで欲しい。ともかくわたしの持つ赤十字のイメージは落ちた。
楽しく採血されたかっただけなのに最悪の出来事だった。「採血される!しかも褒められる!優しくされる!お菓子ももらえる!」という大人に唯一残された「お注射我慢できたえらいね(つ🍬)」の楽園を踏み荒らされてがっかりである。ヘアドネーションのめんどくささや骨髄バンクのハードルの高さなどを考えても見て欲しい。献血に勝るエキサイティングでお手軽なイベントはない。それがイデオロギーに汚されて手放しに楽しめなくなったのがなによりムカつく。
ヘルペスってのはたしか水疱瘡の一族。水疱瘡、金持ちのお子さんは3万円の予防注射を打っておけるけど
まにあわなかったらやっぱり水ぶくれ、痛み、アバタが残る。ニキビもまだできない子供の顔にブツブツの模様があったらそれ。
で、通常ヘルペス(性器以外)も、年取ったらけっこうな確率でかかる。再燃するひともいる。
目に入ったら3日以内に抗ウイルス薬を点眼しないと失明することがある。
そのあとも患部に激痛や激かゆみがのこる。
激痛は神経ブロックで殺せる。
でも残るかゆみもひどい。爪で血が出てもなお肉をかきむしりたくなるくらいかゆい。
抵抗力がよわってると何回か再燃することがある。
水疱瘡より強い疱瘡はやはりパンデミックになった(つよすぎて保菌者が死に絶えた)
子供のころから予防注射はしよう。あと医者(臨床医)は体が強くないとなれない職業で本当のところ患者のいうことより痛み、かゆみと一行かいただけの本を信用している。心からの同情など一切ない。
患者どうしの細かい知識、民間療法(唐辛子チンキなど)もしっかりのこしていこう。
おわり
普通に一日過ごすだけでかなり不快なくらい汚くなる。汗とかいう臭い汁を出すのが悪そう
普通に飯食ってるだけで虫歯になりほっとくと死ぬところまで行く。こんなクソ生物いるか?
身体の隅々に必要な物質を行き渡らせるための液体が、身体の隅に傷をつけると流出して死ぬ。手首切っただけで死ぬのは控えめに言って雑魚すぎる
栄えると生殖しなくなるし、基本的に生活に常に苦痛を覚えてるように見える。内省の機能があるのが悪い
相当な割合の人間が20年生きる頃には補助器具がないとマトモにものを見られない視力になる。80年生きるんだからもっと保ちのいい眼にするなり、取り替え可能にするなりすべき
性欲を持て余し、自分で処理するとかいう完全に無駄な行為!性欲カットしたら相当な時間が浮きそう
ムダ毛って概念が存在するのが意味不明すぎる。自分の毛を用途もなくわざわざ抜く生き物っているか?
まあこれに関しては文化の方が悪い感はあるが、そういう文化を作った頭も人間の身体なわけで、シナジーがカス
かなりの男がハゲるしハゲると魅力が下がった扱いになるのもたいがい意味不明
走りまくってたらそのうち壊れて走れなくなるというクソ性能。軟骨くらい気合入れたら再生成できるんじゃないのか。産まれるときにはできたんだからもっかいやれよ
明らかになんの役にも立たなくなった同族(老人のこと)を生かすのは美しいけど、そのせいで社会がメチャメチャになりつつあるんじゃ世話ない
年始めに入院し、危篤状態で我が家に帰ってきた猫(獣医に「このままだとここで息を引き取ることになります。連れて帰りますか?」と訊かれた為連れ帰った)
死に水ではないが、母がミルクを飲ませようとすると健気にペロペロしたと聞き、大急ぎで違う病院へ連れて行った。
ミルクを飲む力があるのなら助かるのではないか?とセカンドオピニオンした(以前通っていた病院だが)
ぐったりはしているものの、彼が家に居てくれるだけで幸せだった。
最初は毎日。次第に3日おき、一週間おき。最近では二週間おきで病院に通った。
獣医に「にゃあ!」と挨拶し、注射に「いてー!」と反抗する元気が出てきて安心していた。
日差しが強くなり気温が上がる頃には自力で家の中の快適な所へ勝手に出向いてドテンと転がっていることもしばしばだった。
うちには3匹猫が居るが、一番下の猫もとても心配して様子を見てくれていた。
容態が安定してから定期検査は2ヶ月に一回になっていた。次は9月の予定だった。
私は毎月検査して欲しいと思っていたが、獣医がそう言うなら良いかとも思った。
しかし先月末、突然療法食を食べなくなった。
猫缶は食べていたが、買っておいた腎臓病用のリキッドを飲ませてみようとした(飲まなかった)
検査すると内蔵全体が悪くなっていた。肺にも白い影がかかっていた。
各種数値は非常に悪い。
帰る時、猫の様子を見るといつも通りゴロゴロと喉を鳴らしていた。
がんばるんだよ。と声を掛け、後ろ髪を引かれる思いで帰宅。
どきどきしながら一晩過ごし、翌日仕事前に見舞いに行った。
その時、母の顔を見てニャー!と一声鳴いた。
こんなに苦しそうなのに、頑張れなどと声をかけることも出来ない。
そう思ったけれども、なんとか生き抜いて家に帰ってきて欲しいと願わずにはいられなかった。
また長く入院して苦しめることになるのかなあと思いながら。
仕事に行き、夕方の休憩時間にスマホを見ると母から着信が入っていた。
力が抜ける思いでLINEを開くと「息を引き取りました」とあった。
ぼんやりしながら仕事をこなし帰宅すると、氷に囲まれて冷え切って固くなった彼が横たわっていた。
冷たくて固いけど、見た目は寝ている様にしか見えない。
腹を撫でると毛並みがさざめいて息をしている様だ。
抱え上げると、病院に連れて行った時よりも重みを感じた。
入院する2日ほど前の夜、私の部屋にドタドタと駆け込んできて何やら沢山鳴いていた。
否、ここ半月程やたら鳴いて甘えていた。
「具合悪い!」と訴えていたのかもしれない。
具合が悪いから、いっぱいよしよししてくれと言っていたのかもしれない。
それなのに、あの日私は「うんうん。どうした?」と顔を覗き込んで頭を撫でるだけだった。
なんで膝に上げてやらなかったんだろう。
元々人の膝で寝るのが大好きな猫だった。
年老いて体が難儀なせいか、その体勢が辛い様であまり上がらなくなっていた。
こちらも気を使って抱え上げたりすることがなくなっていた。
あの温かく柔らかい重みをこの手に抱える最後のチャンスを捨ててしまったのが悔やまれてならない。
彼は本当に人間が大好きな猫だった。
そして何故か私の手を舐めまくるのが好きだった。
ひとしきり舐めさせて手を引っ込めようとすると、爪を出して押し止めるくらい。
美味しかったのだろうか?
他の人間の手を舐めることはなかったので、何かしら意味があったのだろう。
遺骸になった猫を撫で付けながらそんなことを思い出すと涙が止まらなかった。
このまま家の庭に埋葬するのはなんだかとても嫌だった。
部屋に寝かせている姿は以前のままだったから。
家まで来て貰い、家族みんなでお弔いをした。
炉に横たえた彼はやっぱり生前のままだった。
ツヤツヤの白い毛並みの大きな体は、2時間ほどで白い骨になった。
しっかりとした骨を桐の小箱に詰めていく。
股関節が悪くてドタドタ歩いてたけど、骨は立派なままだった。
でも不思議と落ち着いている。
酷いペットロスになるのではないかと思っていたが、何故か一区切りついた様な感覚だ。
亡くなった猫について人と話したり、こうして文章にしたりするとやっぱり涙が止まらないけれども。
前回倒れて奇跡的に回復し、この半年強という時間を与えられ、みんなで見守り続けて出来るだけのことをしたという感覚があるからだろうか。
思い返せば悔やまれることもあるけれども。
病院に居たせいで、家族の誰も看取ってやることが出来なかったのも辛いけれども。
今月7日で18歳になる筈だった彼。
苦しかっただろうに、7ヶ月以上も頑張って生きてくれた。
とても愛しく、大切な子だよ。
これまで傍に居てくれて本当にありがとう。