はてなキーワード: 思い出補正とは
超楽しみなので、ふとここで原作のどんな話が好きかなと思い返して個人的にランク付けします。
忘れてる国もたくさんあるし、読んだのは結構前なのであやふやです。
3位 人の痛みがわかる国
確か1巻1話の話だったはず。
豊かな国が「相手の思ったことがわかる」薬を開発して、大喜びで全国民で飲んだら
すべて伝わるが故に人間関係が破綻してしまい、お互い干渉なく暮らすようになったから滅びかけていたって国。
そりゃ思いが全部伝わったらそうなるわ。
初期だったからかもしれないけど、話自体は暗いんだけどオチが明るめだったなぁと旧アニメ見てて思った。
2位 優しい国
キノが唯一あと3日ルールを破って延長しようとした(未遂)国だったかな。
旅人の間で悪評な国に足を運んだら、そこは評判と真逆の優しい人たちの国だった。しかしそこは滅びの運命にある国で
それを受け入れるしかない国民が、最後の旅人におもてなしして評判を変えたかったからだった。
さくらが不憫すぎるし、キノがうれしそうに国を案内されたりしたときと火砕流に飲み込まれるのを見たときのギャップがつらかった。
アニメだとさくら役の声優がリメイクアニメのキノ役なんだってね。
1位 祝福のつもり
コロシアム直前に国に寄ったシズが、女の子の身売りに会って結局根負けしてかっちゃう。
その女の子は家族や国とさっさと離れたいようだがなぜか家族たちは泣いており…って話。
シズもこれでコロシアムに対して死ぬ気で覚悟決めたんだろうな。この後船の国と合わせて読みたい。
コレに関してはゲーム版が素晴らしくて間違いなく思い出補正。動画がどっかにあがってるからぜひ見て欲しい。
シズと犬、地の文に関してはあの声でリメイクされないだろうか。無理か。
もし他にいい国があれば教えて欲しい。
おまけ アジン(略)の国
と思っていたのですがね。
それは置いといて、最近って独立開発系のゲームが賑(にぎ)わってませんか?
前から面白いインディーズゲームは沢山ありましたが、質と量が加速し続けていよいよピークに到達したのが今だと思うのですよ。
娯楽の歴史から見た経験値的にここから3年ぐらいするとレッドオーシャンによる共食い現象で緩やかな衰退が始まると思われ。
おっとここで使う経験値は次のレベルになるため殺すべきスライムの数を意味する経験値ではなくて、今までの経験則から推察される値という意味の経験値ですぞ詳しくはググってくだされ。
おっと拙者としたことが話が逸れてしまったで御座(ござ)るフォカヌポウ(核爆)
昨今(さっこん)のゲーム開発はリッチになりすぎたと言いますが、面白インディーズゲーがぽこじゃか産まれている事を見るにそれは一面的な見方をしているのだと思います。
ゲームという単語の枠組みを小さく捉えすぎていると言いますか、グラフィックが綺麗でTVCMがじゃんじゃんばりばり流れているゲーム以外の存在を見落としているのではないでしょうか。
ですが、DQとFFとマリオにしか興味がない人達はそれでいいのかも知れません。
そういう世界からわざわざ出てくる必要がない……というよりもいくつもある他の世界を主に生きていてそこで別の娯楽や人生を楽しんでいるのだから、時折しかやってこないゲーム世界の事なんて詳しく知らなくてもいい……というので何の問題もないのかも知れないです。
でもそれがゲームの全てだよと教えちゃうようなニュース記事はノーサンキューですね。
そしてそういったノーサンキューな記事に踊らされておきながら俺ゲーム詳しいんだぜと思い込んじゃう大人キッズもノーサンキューであります。
何の話だったんだコレ。
雑に纏めると「ゲームの可能性を感じる道としてのフリゲは今でも健在だし、インディーズもいい感じですよ」という世界。
最後になるけど、具体的なゲーム名挙げろって定番のツッコミはあえてのスルー。
カラーっていうかこちら側の属性はこういう物だと決めつけられてしまうような色眼鏡の材料っつーか。
俺と好きなゲーム似てるからこの人はセンスいいぞー、とかそういう眼鏡をかけて読んで欲しくないのよね。
現代ライトノベルの価値観から言えば「ブギーポップは笑わない」「ロードス島伝説」「イリヤの空、UFOの夏」などを挙げたい。
まずブギーポップは作品の評価そのものは一段落ちるが、当時ファンタジー全盛の商業文学ジュブナイル業界においてこのような作品が許される、という前例をぶち上げた点として小説そのものと電撃文庫合わせて評価されるべき作品として推薦できる。奈須きのこや西尾維新が打って出る決心に影響を与えた功績もある。
次にロードス島伝説。ロードス島“戦記”ではなく“伝説”である。よく名作として戦記が挙げられるし、お題としては知名度の観点から戦記の方が適切かもしれない。しかし今一度読み直せばその評価が思い出補正に過ぎないことは明確だ。そしてその思い出は伝説で具現化されている。完成度の高いファンタジー小説の一角として推薦した。
最後にイリヤであるが、青春小説として読後感もよく、完結作品として非常によくまとまっている。ただ感性が若く豊かでなければ素直に評価しづらいという部分はあるのは否めない。中学生までに読むことができたかどうかで評価が別れる(個人の感想です)僕は中学生の時に読めて幸せです。
そして「ソードアート・オンライン」
これは間違いなく、誰もが認める名作扱いしてもよいだろう。だがちょっと待ってほしい。この作品はライトノベルか?
別に定義論争をシたいわけではない。僕は「あなたがそうだと思うものがライトノベルです」派だ。その立場から言わせてもらう。
SAOはWEB小説です。異論は認める。WEB小説としては「無職転生」に並ぶ誰もが認める名作だろう。だが断じてライトノベルではないのだ。これだけは主張したかった。
次点として「銀河英雄伝説」「デルフィニア戦記」といった有名作品、ややお題からずれるところとして「星の大地(冴木忍)」「傾物語(西尾維新)」「帝国の娘(須賀しのぶ)」「聖刻シリーズ(千葉暁)」「とある飛空士への追憶(犬村小六)」「ROOM NO.1301(新井輝)」など推薦したい。
またライトノベルとWEB小説は別の文化であるということを踏まえた上で、WEB小説側としては「ソードアート・オンライン」「無職転生」「本好きの下剋上」、次点として「異世界迷宮の最深部を目指そう」「レジェンド・オブ・イシュリーン」を挙げたい。
当時小学生で、妙な好奇心が強い年頃だったからか異様によく覚えていて、影響もかなり受けている。
何しろ年明け早々には阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン、夏には映画「学校の怪談」、秋には新世紀エヴァンゲリオン放映開始だ。
その中でもやっぱり地下鉄サリン事件・オウム真理教は印象的だ。
今では考えられないけど、朝から晩まで妙な新興宗教の変わった修行(水中で息止めるとか、生き埋めになるとか)やら洗脳ソングやら幹部の高学歴っぷり(上位大学はほぼ揃ってたはず)が報道されてた。
テレビというのは当時メディアの王様で、「テレビで堂々とやってるのなら」って感じで皆普通にオウムの話をしていた。
子供も影響を受けて、音楽の授業を真面目に受けて、放課後に洗脳ソングをリコーダーで練習したりしてた。
しかも学校の怪談ブームの真っ只中で、学校でコックリさんやったりオカルト話したり、テレビでスプーン曲げやってたり。
オカルトマニアにとっては「あれ、俺たちマニアだけどマジョリティじゃない?」って思えるくらいの時代だったと思う。
秋から始まったエヴァにはキリスト教モチーフが沢山出てくるし(子供の頃は難しくて分からなかったけど)。
その後の97年の少年A事件、99年のノストラダムスの大予言など、90年代後半はとにかく世紀末というのがぴったりの世相で、今の若い人が惹かれるのも分かる。
僕もあの時代のことは妙に懐かしく、不謹慎ながら魅力的に思い出してしまう(思い出補正がかかってるだろうけど)。
何というか、アニメの世界観が現出しちゃった感じの世の中だった。
この「あっ二次元の世界観が現実に!」に近い感覚は多分ネットの祭りなんだけど、最近は大規模な祭りもあんまりないしねぇ。さてどうしたものか。
彼とは、同棲期間を経ずに一緒に暮らし始めて3か月あまり。よく新婚生活どう?楽しい?って聞かれるけど、予想以上に夢も希望も無かった、あるのは現実だけだ。相手の生活リズムに入るストレスもあるし、私の勝手につき合わせているだろうというのも、自覚してしまえばかなりストレスだ。言葉尻をとらえるような些細な言い合いが増えた一方で、会話の量は一緒に住む前よりも減った。
こういうストレスとかはしばらく実家に帰るとかして距離を置けばよさそうな気もするんだけど、実家はなんだか追い出しムードで、泊まりたいといえる雰囲気でもない。帰る場所であるはずの新居には、逃げ場のなさを感じる。そうこうしている内に、夫というよりも大きな子供と暮らしているような気になってきて、ここのところは性的なスキンシップに拒否感を覚えるようになってしまった。今は好きも愛してるも言えない。たまに優しくされるのも辛い時がある。
ちなみに夫はこの結婚生活についてどう思ってるのかというと、うまくやっていると思っているらしい。思わず真顔で嘘でしょって言ってしまった。大らかな人ではあるが、いささか能天気すぎはしないか……?いっそ羨ましい。
こんなのは最初だけで、1年も経てば慣れるのではないかと信じているが、同時に1年も我慢しなくてはいけないのかと絶望的な気分になる。もしくはこれが一生続いたらと思うと、正直気が滅入る。少し前まで、私の人生と引き換えにこの人の人生が手に入るなら安いもんだ、位に思っていたはずなのに。
そんな生活の変化というストレスが、今、 “楽な方”へ流れていっている。自分の理解者というストレスフリーな相手。いまだに絶ち切れない、別れた人への未練だ。
実際に私がその人と結婚しなかったのは、タイミングが悪かったとしか言いようがない。散々泣かされたしいろいろなことがあったが、人生で一番幸せだったのも我儘な私が一番他人のことを考えられたのもあの人だった。もちろん結婚や将来のことも。
今となっては思い出が美しい、っていうのはよくわかる。思い出補正ハンパない自覚はある。麗しすぎてもはや現実味がない。
その相手とはしばらく連絡を取っていなかったのが、ひょんなことから、今はたまに話をするくらいの仲。婚約したとか結婚したとかは言ってあるが、たまにその気があるようなことを言われる。
もちろん相手の言うことを完全に真に受けてはいないし、本気にはしていない(つもりだ)が、いつまで経っても「もしかして」という期待?願望?が抜けきらない。多分、いまだに別れたことに対して納得ができていないからだろう。
感傷だとかマリッジブルーだとストレスだとか、そういう不安定なものからくる現実逃避だとは思っているんだけど。
あの時はダメだったけれど今ならもしかして、という可能性に縋りたくなってしまう。そんなのは心底夢物語で空想でしかないんだけど、分かってるんだけど、相手がかつてなく受け入れてくれるから、それに気を良くして。
スピード離婚した友人が「自分は結婚に対して覚悟と忍耐が足りなかった」と言っていた意味が、今すごくよくわかる。私には結婚は早かったのかもしれない。それにつき合わせているのかもしれない夫には今から、申し訳なさがある。
今、結婚した女友達から結婚したかったと言われた増田の話を読んで、なんとも言えない気分になった。そのブコメの数々が刺さる。
正直、結婚式という儀式を踏まえたらもう少し心境も落ち着くかもと思ってたんだけど、そういうこと言えちゃうものなんだ……多分あれは決別とかじゃない。実現しないだろうと分かっているだけの泡みたいな本音だと思う。でも私も同じようなこと思うんだろうな。地雷とかなりたくないんだけどな。
今日も、実家に帰るべきかもしれないと思いながら新居に帰る。冗談交じりではない話し合いを、その内しなければならないんだろう。
正直学校に無駄がないかと聞かれればあまりそんなことがないと思う。
音楽とか体育とか、やってたことのすべてをやらなきゃいけなかったのだろうか。
小学校しか使わないリコーダーの練習も、ポートボールなんて身長の格差をするだけの競技も、わざわざ国が金をかけてまですることでもないような気がする。この話はどう考えても思い出補正で否定はされるだろうが、義務教育に高校大学で時間と費用を費やして疲弊してる若者とかそれを見て焦る大人を見ているとやっぱり学校もこのままでは無駄が多いのだろう。
とくに道徳なんてまったく記憶にない。いじめも横行してるし、自殺も増えるし、教科書の話も一個も覚えてない。たぶん一番役立たない。道徳なんて国語と社会やればわかっていく話なのだ。
その分を給食費とか食べる時間に回した方が私はいいと思う。15分の食事をさせながらよく噛みなさいなんて話をせず、ゆっくり食事する時間があった方がよっぽど落ち着くだろう。
教師も精神病が増えたようだし、学校の勉強をもっと効率的にさせて、学校にいる、学校を動かす時間を減らさないと、学校が人の心身含めて国をまるごと食い潰すようになってしまいそうだ。
たぶん上手くまとめきれないし特に主張したいこともないし既に多くの人によって吐き出されている内容だろうけど、私もどこかにただただ吐き出したかったのでここに書くことにしました。
SIerってタイトルに含めたのですが、SIerだからアレだったのかその会社特有のアレだったのかはよくわかりません。
体力と気力を絞り出しながら過ごした日々から開放されて、やりたいと思っていたことを仕事にできて、子供と夕食を共にすることができる毎日が幸せです。
NとかIとかHとかFとかそこまで大きくないけれどそこそこの規模の会社でした。
NとかIとかHとかFとか程ではないってことで少し小さめのアルファベットで仮にD社とします。会社の頭文字ではないです。
(昔友人が頭文字Dの単行本を手にとって「これ、面白いよね、"あたまもじでぃー"」とドヤ顔で言っていた思い出もついでにここに置いておきますね。)
ブラックということはなく残業代も働いたら働いただけ出たし福利厚生も充実しているし客観的に見ると良い会社です。
何と言っても窓際の人たちを何十人も抱え続けられる体力はとても魅力です。万が一自分に何かあって戦力外になっても恐らく定年まで働けたんじゃないでしょうか。
そんなD社で私は既存システムの保守と新規案件のプロジェクトに携わり6年間ほど働きました。
辛いことの方が多かった気がしますが、喉元過ぎれば何とやら、思い出補正がかかって感慨深さでいっぱいです。でも、戻れと言われたら全力でNO!って言います。
やっぱ辛いものは辛い。
何が辛かったかな〜
プロジェクトが長期化したり些細なことでも問題が起きると上の上のそのまた上の人たちがいろいろ報告を求めるんですね。上の上の人が報告しないといけないから上の人たちがその資料を作ってその材料を平社員に報告させて、その材料かき集めてたら夕方になって「あ〜、今日のタスク終わらせるどころか始まってすらないよ〜。」ってな状況になったりします。
あとは社内でのリスケの交渉のために計画の見直しをするけど規模が大きすぎて見積もりに時間とられ本来の仕事ができなかったり、交渉しているうちに1か月過ぎて再見積もり、再々見積もりで
みたく見積もりしかしてない時期があったり、しかも実は当初決まった工数から増やせないという制約つきで結局ただの数字遊びに過ぎなかったりします。
「計画を見直せ。ただし人も増えない。納期も延びない。納期に間に合うように線を引くんだ!」ってどうやるんですか。
なんかよくわからないタイミングで作りかけのシステムの社内レビューみたいなのが開催されるときがあります。納期はまだまだ先です。
「スケジュールによるとX機能とY機能とZ機能はできているはずだから他の部署にも見てもらいなさい。」と。
だいたいそういう時はX機能しかできてなくて上の人に相談しても「もうXYZを見せると言ってしまったのでどうにもできない。」という展開になります。
そして突貫工事で作ったYとZは見た目は動いているけれどハリボテで、見せるためだけに書いたコードは捨てて作り直すことになります。
「タスクAもタスクBも今日中にやらないといけない。ちなみに今発生したタスクCは今日の午前までだから。」
「物理的に無理です。どれが一番優先度高いんですか?」
「全部優先度高いから。全部。今日中とは明日の午前9時までってことだから大丈夫。」
という具合に小鳥のさえずりを幾度となく聞きました。大丈夫じゃないです。
JavaのOptionalクラスを使っていて軽く説明したら「OptionalってわかりにくいからCheckNullみたいなクラス名にしてよ。」って言われました。
辛く無駄が多くどうしようもないのに個々の人と話すとその状況を何とか打破したいって言っている人が多いんですよ。
でも集団になると途端に変な方向に歩き出しちゃうんですよね。まるでコックリさんやってるみたいな感じ。
個人じゃどうにもできないから、最終的には辞めるっていう選択肢しかありませんでした。
とはいえ、上のようなことは転職を考えるきっかけになっただけで転職する決断をしたのは次の会社なら自分がやりたいことができると思ったからです。
その決断もかなり慎重にしました。D社にも夢と希望を持って入社した結果がこれなので。
辛いから辞めることを優先して行き先を妥協しても結局後悔するだけです。
おわり
長門好きの友人が、長門のキャラソンが消失のちょっとネタバレチックだけどすげえいい曲って興奮して話してきたのを今でも覚えている
SOSならだいじょーぶは部活終わりの夕方のちょっとせつない郷愁を思い出させてくれるような、例えるならアニメのED
こないだモナカ10周年?だかのインタビューがホッテントリにあがってたけど、その中でハルヒの詰め合わせ(God knows, Lost my music,恋のミクル伝説の3曲が入ったCD)が未だに売れている、という話が出てきててびっくらこいた
マジかよ
まあ確かに名盤ではあるよなあ
思い出補正もあると思うけど
First Good-Byeとか好きだったなあ
SuperDriverも好きだった
またあの頃に戻りたい
https://twitter.com/tm2501/status/753676514600771584
ソシャゲに、Twitterに話題になった奴に、一昔前の、今は軽くオワコン化した人気小説家が書いた題材からしてBL狙いにしか見えないスポーツもの…。
なんか、オタクがマジョリティになったんだなぁ〜オタクに強度が要らなくなったんだなぁ〜的な感想
https://twitter.com/tm2501/status/753677256740839424
なんか、ちゃんとポケモン見よう、コナン見ようと、今季アニメ見ない代わりに短期間で映画を10本20本見た僕のほうが一周回ってサブカルっぽくなっちゃったなぁ〜。
個人的には「寄せた」ぐらいの気持ちなんだけど、結局「寄せることができる人」が絶対的に減っちゃったからなぁ〜。
https://twitter.com/tm2501/status/753678708540514304
あーなんだろう…。コナンとポケモンをほぼ全部見ちゃったから、この勢いで、しんちゃんとジブリも見て、すごいボリュームの記事書いちゃおうかな…。
ツイッターで話題になったマンガやソシャゲーしかアニメ化しない深夜アニメ見るぐらいだったら、そっちの方がずっと面白いことしてる気がする
https://twitter.com/tm2501/status/753679086661185536
…僕は「コナンにうるさい」んじゃなくて、「90年代後半〜00年代後半までに放送されてて、子どもの時に見ちゃったもの全般」にうるさいんだよ…。
そこに、ジブリと、コナンと、しんちゃんと、ポケモンがあっただけのこと。
https://twitter.com/tm2501/status/753679573884166144
いや、ミュウツーの逆襲で泣いちゃった小学生は思春期引きずって生きるしかないんだよ。ラピュタに思い出補正かけまくって見ちゃって、ジブリで一番面白いのを最も宮﨑駿のエゴが少ないエンタメ作品であるラピュタだと言ってる人も、ポケモンと同じぐらい思春期引きずってるが…。
今の子は何だろ?
https://twitter.com/tm2501/status/753683648197431296
いや、オタクに特化した「おたくエリート」みたいな子を死ぬほど見てきたけど…そういう子って「手段としておたく」なだけ。知識が豊富で議論やネットの使い方がわかってるだけ。
思春期こじらせて「自生した」オタクよりも引き出しはあるんだけど…自分の意見とか位置関係がないんだよね…メタいの
すべての理屈が俺SUGEEEEにつながるのほんとすき。もう語り口調がどう考えてもおっさん。
そして自分がちょっとでも気に入らないものは全部ダメ! いってることがまともでもこんな老害おっさんから話聞きたくないわー。ないわー。ないわー。
https://twitter.com/tm2501/status/753547749262360576
「ミュウツーの逆襲」の名言を23個も書いて、I2の「悲しくて泣くのは人間だけ」というフレーズが出てこない辺り、このレビューサイトは節穴だと思う。20年先までの指針がそこに詰まってるのに/ミュウツーの逆襲の名言23個。ニャースやサトシ
ポケモン映画は、「悲しくて泣くのは人間だけ」というフレーズがミュウツーの逆襲の最初に出てきて、ピカチュウ達ポケモンの涙でサトシが奇跡的に復活する。「ポケモンは動物でも、従者でも、コレクターズアイテムでもなく、ポケモン。人間の友達であり、人間と同じ位置にいる存在」である何よりの証拠
ポケモン映画って、ポケモンと人間が対等な友達であることを20年貫いてる。
人間の方がおごっていても、ポケモンが人間に対して排他的でも、悪役になるし、ルカリオみたいにポケモン自身が下につこうとする場合もサトシと喧嘩になるのよねぇ…。
え?僕は、ポケモンとコナンとしんちゃん見る時はかなり高い精度で見てるよ?/一応読んでると思うけど、コナンで本気出したやつ貼っとく。ベーカー街のところとか見てみ?こんな精度で書いてるやつ自分以外見たことないわ
ちなみに、エヴァとかまどマギで本気出そうと思ったら、30年前のアニメどころか特撮まできっちり見てないとわかんないものを抑えてるかどうかで揉めるじゃん?作品の解釈どうこうじゃなくて、元ネタ当て合戦になるじゃん?俺、あっちの方面は弱いです
○朝食:なし
○夕食:五目あんかけ焼きそば
○調子
むきゅー。
ああ、いや、その一話からイキナリ「アレ」のせいでやる気がそがれて、ぶっちゃけあんまやってないっす。
○お便り返信
http://anond.hatelabo.jp/20160610093959
これ、諸悪の根源は「朝コンビニで買って、昼食べる」という行動にありそうですね。
今の会社は昼休憩が45分しかないから、お昼寝時間確保のために、あんまりお昼に出歩きたくないんですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160610103331
ゴーストトリックはかなり好きですが、
逆転裁判3のシリーズを通しての完結っぷりにはさすがに敵いませんね。
「こっちには、1と2で築いた積み重ねがあるんだ!」って感じなので。
僕はゲームの評価において「思い出補正」と「ファン補正」をかなり重要視しています。
次々良き日のサンデーらしい新連載を打ち出してる。
絵が可愛いし漫画も上手く神経もそれなりに繊細(繊細にしすぎて重くしてないと言う意味の「それなり」)でありながら嫌な味はしない。
良質のラブコメといえる。
作者は女性だと思う。
『初恋ゾンビ』は思春期男子の初恋の妄想を見ることが出来てしまう男子高校生の物語。
具体的に言うと、同じ学校の男子達の周囲にその初恋相手の女の子のビジョンがフワフワ漂ってる。
漂わせてない男子は既に初恋が成就したか破れて振り切ったか恋したことがない男子。
まあ読者サービスもあるわけでしょうけど。
特に主人公の親友の一人がクラスメート女子相手に初恋を抱いてるんですけど
その女子と毎日顔を合わせながら脳内ですごいエロい格好に変換してフラフラ漂わせてるわけです。
けど告白とかはしないししようと頑張ってる感じもない。
これは違うだろうと。
作者が女性だから「男なんてどうせみんなエロいよね」って勘違いしてるんですよ。
なんとも思ってない巨乳のクラスメートを視姦したり脳内妄想に使ってる男子ならよくいますよ。
でも好きな相手をそんなエグいエロ妄想に使う男子なんかいません。
毎日考えるほど好きな相手がいて、でも告白しようと言う素振りすらなく、延々エロ妄想に使ってるとか男から見てもちょっと不気味すぎる奴です。それを観察する主人公は真剣に「こいつ異常者なのでは…」と疑う所です。
主人公自身自分の子供の頃からの初恋の相手(の妄想ビジョン)を思い出補正で巨乳にしてるんですけど
そういう相手の理想化で巨乳にするとか、いないとはいわなくても多くはないですよ。
初恋の相手をどういう理想化するかというと「身体をエロくする」じゃなくて「顔を可愛くする」です。
まあいいんですけど。
ただ男性と女性はこんなとこにも相互理解のギャップがあるんだなと思いました。
それも含めて面白いですけど。
39歳男。独身バツなし彼女なし。先月、十数年ぶりに中学の同窓会があった。 学校主催ではなく有志が中心となり企画した同窓会だ。 高校卒業後に一人暮らししたので地元を離れて20年以上になる。 地元と言っても東京のベッドタウンだから1時間ちょいで帰れる場所。 同窓会では50人ほど参加していた。男女比は男が20人女が30人くらい。 女は20人結婚していた。独身10人のうち彼氏ありが3人。7人は完全フリーだった。 男も20人中5人が完全フリーだった。 幹事が気を利かせて2次会はフリー同士のテーブルを作らされた。 2次会に参加しなかった女が3人いたので2次会時点で男5人女4人。 男も女も中学卒業以来あってない人ばかりで中学の思い出なんてすべて忘れているため、 心境的には"はじめまして"の気分である。 第一印象は"みんな、おっさん、おばさんだな" 思い出補正がない場合、39歳なんてそんなもんで私もそう思われているだろう。 前置きが長くなったがこれからが本題。 なぜ独身なのか?というテーマに自然になり、どんな人を望んでいるの?と聞かれた。 私は、好意をもってもらおうとは考えてなかったので、本音を話した。 「37歳まで活動していわゆる子どもを持つ"普通"の結婚は諦めた。 子どもを安心して産める年代の人とは話が合わないから。 なので相手は必然的に今なら36歳以上なってしまう。 子どもができない可能性が高いのに結婚にこだわる意味がわからない。 お互い一緒にいたかったら一緒にいて、気持ちが離れたら別れるのではダメなの?」 回答はなかった。
日本が云々ということを置いておいても、大なり小なり他人を攻撃して、それによって自分自身が優位になろうとする衝動が人にはあると思う。レッテル貼り。マウンティング。優越感ゲーム。だから批判ってやつは昔から今と変わらないくらいの規模が存在してたと思うんだけど、それが自分の身を隠して批判できるネットの仕組みで解放されたと思う。みんな自分が困ることでもないのに、誰かを攻撃するのは大好きなんだ。それが人の本性。
それまでは身内だったり隣近所だったり、近いコミュニティで小規模に吐き出されてたのに。なぜ小規模にとどまるかというと、大声でそれを世の中に叫ぶには、他人の目が気になるから。そしてなにより「それほど声高に主張するほどの事でも無い」から。
ネットによって世界中に、他人の目を気にすることなく批判を吐き出せるようになった。でもその本質は「それほど声高に主張するほどの事でも無い」もの。だけどみんながそれを気にしてる。いいんだって、気にしなくても。気にしない奴が一番強い。そもそも熱くなって批判してる人たちが殆ど自分に害のなんらないはずの部外者なんだもの。ちょっと前にSMAPの解散とかなんとかでネットの人たちがメチャクチャ熱くなってたけど、多分の事務所の偉いおじいちゃん・おばあちゃんには全然刺さってないよ。ネットなんてみちゃいねぇに違いない。まぁ雑誌とか新聞とかで多少なりとも情報は入るかもしれないけど。そんで今も変わらずSMAPはテレビに出てる。ちょっと特殊な例かもしれないけどね。とにかくネットの主張なんつーのは、気持ちのいいところだけ拾っておけばいいの。占いとかおみくじみたいな感覚で観ておけばいい。
そんで最初の記事に戻るけど、個人の規模で「昔の日本」を取り戻したいなら、ネットやめれば良いんじゃないかな。みんなよく言うじゃん「嫌なら見るな」って。どうしてもネットやりたいなら、ネットの中の事と、現実の世界の事を別物として切り分けないと。ネットを切り離した途端に、ほどほど批判はあるけど、まぁまぁ人は優しい社会が見えてくると思うのだけれど。
私の中でインスタントラーメンはサッポロ一番塩が長年揺るがぬ1位だった、そのままでも美味しいが野菜や卵を足した時の力が圧倒的で、さらにご飯を足した時の満足感がたまらない、そして王者の風格たるあのゴマは最強すぎる。
生麺風は旨い、それでも王者はサッポロ一番塩だと思うがこれはひょっとして思い出補正がかかっているからではないのか。
私も年をとり子供の頃に身近だった音楽や食べ物が妙に好きになってきた、例えば決して一番美味しいとは思わないが、幼い頃に外食でよく食べたスガキヤのラーメンを食べるときの嬉しさは異常だ。
サッポロ一番塩は既にスガキヤラーメンみたいな存在として私に愛されているだけで、客観的に見れば生麺風より劣っているのでは、解らない。
久しぶりにマスターキートンを読みたくなったんだけど、あの漫画短編集なんでストーリーの当たり外れが多い。特に後味悪い回を読むのは嫌になる。(村人が全員悪者の仲間とかそんなやつ)
つーわけで一番気に入った回だけピンポイントで読みたくて、友達にうろ覚えの内容で尋ねてみた
・貧民街で足の早い奴が出てくる
・印象に残ったキーアイテムは靴。タイトルは「靴とスニーカー」だったと思うけどググっても出てこないんで違うかも
で、導き出された答えはタイトル「ファイア&アイス」、2巻で読めるエピソードだったらしい。
改めて読んでみると思い出と全然違うのな
・足の早い貧民街のやつ、なんとなく女の子だと思ってたけど男だった。そして思った以上に出番が少ない
・師匠の爺さんが思ったより偏屈。なお重要人物爺さんは二人出てくるんで、もう一人の印象と混じった模様。こっちは罪悪感に苛まれるだけの普通の善人
・靴はキートンが武器に使ってた。スニーカーじゃなくて革靴。「靴とスニーカーって同じものじゃねえかよ」って突っ込まれたけどそりゃそうだ
・読後感は思ったよりよくなかった。まあいい話だけど偏屈な方の爺さんちょっと可愛そう
思い出補正とマスターキートン名作っていう評判に影響されて意外と良い印象に改変されていたらしい。
記憶はあてにならない。
オタクの覚書だけど大昔に好きだったアニメの二次創作にたまたま出会い今更再燃焼してしまい、
当時はビデオテープに残すか或いは公式のLD若しくはビデオテープを購入するしかなくて
つまり昔は「昔好きだったアニメ」をそう簡単に見る事は叶わず思い出のままだったんだけど
今になるとネットやらなんやらでいくらでも見る方法はあり、二次だけでなく勿論公式も見よう!と見てみたら
その後の補足話で正式に終了するのに10年近くかかっていた事に加え思い出補正で俺の嫁の声が俺の思い出と違いすぎて泣いた。
二日ほど悩んでいたけど当時はそのキャラクターに適した声優がいなかったんだと納得することにした。
実際リアルタイムでも顔と声あんまり合ってないなと子供心に思っていた事を覚えている。これ言い訳じゃねーから!
因みにこれも別に言い聞かせているとかじゃなくて吐き出したい気持ちともしまた辛くなった時にこれを見て思い出す為の覚書なんだよ!!!