はてなキーワード: 思い出補正とは
次々良き日のサンデーらしい新連載を打ち出してる。
絵が可愛いし漫画も上手く神経もそれなりに繊細(繊細にしすぎて重くしてないと言う意味の「それなり」)でありながら嫌な味はしない。
良質のラブコメといえる。
作者は女性だと思う。
『初恋ゾンビ』は思春期男子の初恋の妄想を見ることが出来てしまう男子高校生の物語。
具体的に言うと、同じ学校の男子達の周囲にその初恋相手の女の子のビジョンがフワフワ漂ってる。
漂わせてない男子は既に初恋が成就したか破れて振り切ったか恋したことがない男子。
まあ読者サービスもあるわけでしょうけど。
特に主人公の親友の一人がクラスメート女子相手に初恋を抱いてるんですけど
その女子と毎日顔を合わせながら脳内ですごいエロい格好に変換してフラフラ漂わせてるわけです。
けど告白とかはしないししようと頑張ってる感じもない。
これは違うだろうと。
作者が女性だから「男なんてどうせみんなエロいよね」って勘違いしてるんですよ。
なんとも思ってない巨乳のクラスメートを視姦したり脳内妄想に使ってる男子ならよくいますよ。
でも好きな相手をそんなエグいエロ妄想に使う男子なんかいません。
毎日考えるほど好きな相手がいて、でも告白しようと言う素振りすらなく、延々エロ妄想に使ってるとか男から見てもちょっと不気味すぎる奴です。それを観察する主人公は真剣に「こいつ異常者なのでは…」と疑う所です。
主人公自身自分の子供の頃からの初恋の相手(の妄想ビジョン)を思い出補正で巨乳にしてるんですけど
そういう相手の理想化で巨乳にするとか、いないとはいわなくても多くはないですよ。
初恋の相手をどういう理想化するかというと「身体をエロくする」じゃなくて「顔を可愛くする」です。
まあいいんですけど。
ただ男性と女性はこんなとこにも相互理解のギャップがあるんだなと思いました。
それも含めて面白いですけど。
39歳男。独身バツなし彼女なし。先月、十数年ぶりに中学の同窓会があった。 学校主催ではなく有志が中心となり企画した同窓会だ。 高校卒業後に一人暮らししたので地元を離れて20年以上になる。 地元と言っても東京のベッドタウンだから1時間ちょいで帰れる場所。 同窓会では50人ほど参加していた。男女比は男が20人女が30人くらい。 女は20人結婚していた。独身10人のうち彼氏ありが3人。7人は完全フリーだった。 男も20人中5人が完全フリーだった。 幹事が気を利かせて2次会はフリー同士のテーブルを作らされた。 2次会に参加しなかった女が3人いたので2次会時点で男5人女4人。 男も女も中学卒業以来あってない人ばかりで中学の思い出なんてすべて忘れているため、 心境的には"はじめまして"の気分である。 第一印象は"みんな、おっさん、おばさんだな" 思い出補正がない場合、39歳なんてそんなもんで私もそう思われているだろう。 前置きが長くなったがこれからが本題。 なぜ独身なのか?というテーマに自然になり、どんな人を望んでいるの?と聞かれた。 私は、好意をもってもらおうとは考えてなかったので、本音を話した。 「37歳まで活動していわゆる子どもを持つ"普通"の結婚は諦めた。 子どもを安心して産める年代の人とは話が合わないから。 なので相手は必然的に今なら36歳以上なってしまう。 子どもができない可能性が高いのに結婚にこだわる意味がわからない。 お互い一緒にいたかったら一緒にいて、気持ちが離れたら別れるのではダメなの?」 回答はなかった。
日本が云々ということを置いておいても、大なり小なり他人を攻撃して、それによって自分自身が優位になろうとする衝動が人にはあると思う。レッテル貼り。マウンティング。優越感ゲーム。だから批判ってやつは昔から今と変わらないくらいの規模が存在してたと思うんだけど、それが自分の身を隠して批判できるネットの仕組みで解放されたと思う。みんな自分が困ることでもないのに、誰かを攻撃するのは大好きなんだ。それが人の本性。
それまでは身内だったり隣近所だったり、近いコミュニティで小規模に吐き出されてたのに。なぜ小規模にとどまるかというと、大声でそれを世の中に叫ぶには、他人の目が気になるから。そしてなにより「それほど声高に主張するほどの事でも無い」から。
ネットによって世界中に、他人の目を気にすることなく批判を吐き出せるようになった。でもその本質は「それほど声高に主張するほどの事でも無い」もの。だけどみんながそれを気にしてる。いいんだって、気にしなくても。気にしない奴が一番強い。そもそも熱くなって批判してる人たちが殆ど自分に害のなんらないはずの部外者なんだもの。ちょっと前にSMAPの解散とかなんとかでネットの人たちがメチャクチャ熱くなってたけど、多分の事務所の偉いおじいちゃん・おばあちゃんには全然刺さってないよ。ネットなんてみちゃいねぇに違いない。まぁ雑誌とか新聞とかで多少なりとも情報は入るかもしれないけど。そんで今も変わらずSMAPはテレビに出てる。ちょっと特殊な例かもしれないけどね。とにかくネットの主張なんつーのは、気持ちのいいところだけ拾っておけばいいの。占いとかおみくじみたいな感覚で観ておけばいい。
そんで最初の記事に戻るけど、個人の規模で「昔の日本」を取り戻したいなら、ネットやめれば良いんじゃないかな。みんなよく言うじゃん「嫌なら見るな」って。どうしてもネットやりたいなら、ネットの中の事と、現実の世界の事を別物として切り分けないと。ネットを切り離した途端に、ほどほど批判はあるけど、まぁまぁ人は優しい社会が見えてくると思うのだけれど。
私の中でインスタントラーメンはサッポロ一番塩が長年揺るがぬ1位だった、そのままでも美味しいが野菜や卵を足した時の力が圧倒的で、さらにご飯を足した時の満足感がたまらない、そして王者の風格たるあのゴマは最強すぎる。
生麺風は旨い、それでも王者はサッポロ一番塩だと思うがこれはひょっとして思い出補正がかかっているからではないのか。
私も年をとり子供の頃に身近だった音楽や食べ物が妙に好きになってきた、例えば決して一番美味しいとは思わないが、幼い頃に外食でよく食べたスガキヤのラーメンを食べるときの嬉しさは異常だ。
サッポロ一番塩は既にスガキヤラーメンみたいな存在として私に愛されているだけで、客観的に見れば生麺風より劣っているのでは、解らない。
久しぶりにマスターキートンを読みたくなったんだけど、あの漫画短編集なんでストーリーの当たり外れが多い。特に後味悪い回を読むのは嫌になる。(村人が全員悪者の仲間とかそんなやつ)
つーわけで一番気に入った回だけピンポイントで読みたくて、友達にうろ覚えの内容で尋ねてみた
・貧民街で足の早い奴が出てくる
・印象に残ったキーアイテムは靴。タイトルは「靴とスニーカー」だったと思うけどググっても出てこないんで違うかも
で、導き出された答えはタイトル「ファイア&アイス」、2巻で読めるエピソードだったらしい。
改めて読んでみると思い出と全然違うのな
・足の早い貧民街のやつ、なんとなく女の子だと思ってたけど男だった。そして思った以上に出番が少ない
・師匠の爺さんが思ったより偏屈。なお重要人物爺さんは二人出てくるんで、もう一人の印象と混じった模様。こっちは罪悪感に苛まれるだけの普通の善人
・靴はキートンが武器に使ってた。スニーカーじゃなくて革靴。「靴とスニーカーって同じものじゃねえかよ」って突っ込まれたけどそりゃそうだ
・読後感は思ったよりよくなかった。まあいい話だけど偏屈な方の爺さんちょっと可愛そう
思い出補正とマスターキートン名作っていう評判に影響されて意外と良い印象に改変されていたらしい。
記憶はあてにならない。
オタクの覚書だけど大昔に好きだったアニメの二次創作にたまたま出会い今更再燃焼してしまい、
当時はビデオテープに残すか或いは公式のLD若しくはビデオテープを購入するしかなくて
つまり昔は「昔好きだったアニメ」をそう簡単に見る事は叶わず思い出のままだったんだけど
今になるとネットやらなんやらでいくらでも見る方法はあり、二次だけでなく勿論公式も見よう!と見てみたら
その後の補足話で正式に終了するのに10年近くかかっていた事に加え思い出補正で俺の嫁の声が俺の思い出と違いすぎて泣いた。
二日ほど悩んでいたけど当時はそのキャラクターに適した声優がいなかったんだと納得することにした。
実際リアルタイムでも顔と声あんまり合ってないなと子供心に思っていた事を覚えている。これ言い訳じゃねーから!
因みにこれも別に言い聞かせているとかじゃなくて吐き出したい気持ちともしまた辛くなった時にこれを見て思い出す為の覚書なんだよ!!!
ラノベ原作アニメとしてはキャバルリスクの被りっぷりが話題になっているけども、鎌池和馬原作『ヘヴィーオブジェクト』の酷さも相当なものであると思う。
ヘヴィーオブジェクトのアニメを見た、まともな人間はこう思うはずである。
喋りすぎだ、と。
この点に関しては、同原作者による禁書目録の主人公、上条さんの長台詞=説教を参照して「鎌池だから仕方ない」という意見が少なからずあるようだ。
しかし俺は、上条さんの説教は「味」として楽しむことが出来るのに対して、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は単に冗長なものとしか思えない。
本稿は、上条さんの長い説教は「アリ」なのに、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は「ナシ」なのはなぜかということを考察するものである。
ちなみに俺は禁書目録は数年前に十数巻あたりまで読んで、ヘヴィーオブジェクトはアニメ3話まで観てから原作1巻の該当部分を読んだだけなので、思い出補正とかが作用している可能性は大いにある。
ヘヴィーオブジェクトアニメ3話までで最も問題になるのは、2話の「お姫様救難信号出してるのに長々喋りすぎ問題」と、3話の「敵基地に潜入してるのに大声で喋りすぎ問題」である。
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ヘイヴィア「だったらお前は、あのオブジェクトと戦えんのかよ! あの化物にたった一人で立ち向かって、お姫様を助けだすとかそんなのできたら最高だよ!! でも実際にどうにかできんのか! えぇ!? 人間なんか、レーダーに補足された瞬間に塵になっちまう。もう俺らに出来ることなんかねぇんだよ」
クウェンサー「あのお姫様は、そんな化物と戦ってくれてたんじゃないのか? 大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、照準合わされただけでショック死しちまうような、そんな化物から俺達を守るために、たった一人で戦ってくれてたんだろうが!! 貸せ!! 貸せ!! そのライフル!!」
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この部分は原作だとこうだった。
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「だったら、テメェはあのオブジェクトと戦えんのかよ!?」
「綺麗事だったら誰でも言える!! あの馬鹿デカいオブジェクトにたった一人で立ち向かってお姫様を助け出すとか、そんなの出来たら最高だよ!! でも、実際問題どうにかできんのか!! あんなもん、レーダーで補足された瞬間に生身の体なんか塵も残さず吹き飛ばされちまうじゃねえか!!」
ボロボロになったヘイヴィアに両肩を掴まれ、クウェンサーは思った。
(……ちくしょう)
どうしようもない、恐怖だった。
(怖いに決まっている。誰がなんて言ったって、どれだけ希望的な観測を並べたところで、度胸なんか湧くかよ。オブジェクトなんて化物だ。あんなもん相手に真正面から立ち向かうなんて間違ってる。少しでも近くにいたくない。ヘイヴィアの言う通りだ。どんなに綺麗事を並べたところで、この気持ち悪さがそうそう簡単に消える訳ないだろ……)
だが、クウェンサーの足は退却するためには動かなかった。
「……あのお姫様は、そんな化け物と戦ってくれていたんじゃないのか?」
「ッ」
「大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、ちょっと照準を合わせられただけでショック死してしまうような化物から!! 俺たちを守ってくれるために、たった一人でオブジェクトに乗って戦ってくれてたんだろうが!!」
そう。
たとえオブジェクトなんて馬鹿げた兵器に乗っていたって、怖いに決まっている。あんな化物と立ち向かうのに、恐怖を感じない訳がない。
あの少女は、出撃の直前にこう言っていた。
勝てるかどうかは分からない、と。
特に真剣な調子ではなかったから、深い意味などないのだと思っていた。だが違う。もしもあれが何気ない表面にまで噴出してしまうほどの、大きな不安を抱えていたせいだったとしたら。とにかく誰にでもいいから言葉を放って、少しでも不安を払拭したいだけだったとしたら。
クウェンサーは思う。
自分はここでどう動くべきだ。
「……貸せ」
怪訝な顔をするヘイヴィアにもう一度、
「貸せ!! そのライフル!!」
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長い。長すぎである。アニメが原作の台詞を助詞レベルまで削っていたということがわかる。
しかし、俺は原作を読む最中はアニメほどには「喋ってないでさっさと行動しろ」と感じなかった。
それは恐らくセリフに輪をかけて地の文と括弧書きの心内文が長いためである。
地の文と心内文に関しては、どれほど長くても読者は東京大学物語のごとく(その間0.1秒)などと都合よく解釈することができる。特にここで描かれるような緊迫した場面では尚更である。
そのプロセスを経て文字数に対する時間感覚が混乱した状態であれば、長台詞を発語するための時間も無視することができるような気がしてくるのである。
この小説マジックを用いたシーンをそのまま映像にすれば「何くっちゃべってんだ」と思われるのは当然であり、これは脚本と監督の落ち度である。
では、作者に落ち度はないのか。
そんなことはない。以下はアニメ3話で「敵基地に侵入しているのに大声で喋りすぎ」と言われた部分の原作における描写である。
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「タイムオーバーだぜヒーローッ!! 三〇秒でここから出ないと袋の鼠だ!!」
「一分待て!!」
「何をゴソゴソやってんだよ! 爆破できねえのは分かったろ!?」
「あと四十五秒だ!!」
多くの足音が近づいてくるのを、ヘイヴィアは耳にした。恐らくクウェンサーは、目の前で取り上げられそうな希望にすがろうとして、冷静な判断能力を失っている。もう殴りつけてでもここから脱出しようかと考えたその時、ようやくクウェンサーがヘイヴィアのところまで戻ってきた。
「行こう。まだ間に合うか!?」
「どっかの馬鹿が道草食ってたせいでスリリングなことになってるよ!! こっちだ!!」
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アニメだとここは全力で叫んでいる。だが、少なくとも声優は悪くない。語尾に「ッ!!」が付けられていたならばそれは叫び台詞であると考えるのは当然である。
ただ、この部分を読んだだけなら、ニコニコのコメントが言うように「※実際は小声で話しています」というフォローが辛うじて出来ないでもない気がする。それを掬い取れなかったアニメスタッフが悪いのだ、と。
しかし原作はそんな幻想もぶち壊してくれる。原作では、小声の台詞とそれ以外はきちんと区別して表記されているのである。
以下は原作では35ページ、アニメでは1話にあった、和服上官に呼びつけられた時の二人の会話の原作における記述である。
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「(……どうするんだよヘイヴィア! だからやめようって俺は言ったんだ!! これならレーションどころか三日間雪の塊だけ頬張ってた方がまだマシだったんじゃないか!!)」
「(……うるせぇな畜生!! くそ、ほんとに一八歳かこの女。今時の洗浄に生身の兵隊は必要ねえとは思ってたけどよ、あいつに限って言えば握り拳でオブジェクトと戦えるんじゃねえのか!?)」
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この台詞はアニメでもきちんと囁き声で演じられている。他にアニメ3話の敵基地で捕縛されたシーンでも「(……俺が飛び出したら伏せろ。そっちに除雪用のトラクターあるだろ)」などと書かれている。
要するに、原作に従えば主人公たちは敵基地で相手の足音が聞こえる位置にいても実際にお互い叫びあっていたのであり、アニメスタッフはそれを忠実に映像化しただけなのである。
では、ヘヴィーオブジェクトにおける長台詞は、上条さんの「説教」と比べて何がダメだったのか。
俺はその原因を「鎌池の長台詞癖と、主人公をペアで行動させることの食い合わせの悪さ」に求めたいと思う。
上条さんは基本的に一人で行動するので、その長台詞=説教の相手は、自分がまさに直面している相手≒敵(ステイル、御坂、アクセラレータ等)であった。
無論その場合も、「うるせえ話長えよ(グサ」となる可能性はあるのだが、その可能性はむしろ「殺される可能性と引き換えにでも相手を全力で説得しようとする上条さん馬鹿だけどカッケー!」という評価に繋がっている。
しかし主人公をペアで行動させると、その長台詞=説教が敵ではなく相棒に向かってしまうために「馬鹿だけどカッケー!」ではなく単に「こいつ馬鹿じゃね?」というシーンが出来上がってしまうのではなかろうか。
禁書目録と毛色を変えたかったのは分かるけど、主人公をペアで行動させたければ、鎌池の説教体質も変えなければならなかったのではないかと思う。
いわゆる「ゲーマー」にとってソシャゲというものは叩かれやすく
よく議論の種になる(ここでいう「ソシャゲ」とはスマートフォン向けゲーム、「パズドラ」とか「モンスト」とかそういう類のゲームを指すと思ってほしい)
スマートフォンというのはとんでもなく高性能なデバイスだけれど
ゲーム機としては最新機種と比べれば遥かに低スペックで操作性も劣悪
そんなゲームに適さないデバイスでゲーム開発をすることはゲーム業界の技術力を退化させ衰退させることに繋がっているのではないか。という意見
(個人的にはスマートフォンでゲームはしたくないが、モバイル高速通信、GPSが標準装備されていて普及率も圧倒的なこのデバイスは、工夫次第で今まで考えもしなかったまったく新しいゲーム体験をさせてくれる可能性を秘めていると思う)
とりあえずゲーム業界にとっての一番の問題は「ガチャが儲かりすぎる」こと
低コストで作ったゲームのほうが儲かるってんならそりゃみんなソシャゲ作る
ハイリスクローリターンとローリスクハイリターンなら後者を取るのは企業として当然のことだけれど
それはゲームを面白くするよりガチャを増やすことがゲームクリエイターのお仕事と化してしまう
(自分のソシャゲに対する意見に一番近い。前述したようにスマートフォンの持つ未来のゲームへの可能性を全て金儲けの可能性にしている。営利目的にやってるんだから金儲けすること自体は悪くないし仕方ないことなんだけれども、ゲーマーとしてはやはり悲しい)
「ソシャゲもガチャだけじゃなくいろいろな工夫がされて面白いものも増えてきた」みたいな意見もある
また、少人数低予算のベンチャーでも作れるから、今まで埋もれていた才能が発掘される可能性もある
(本当にそうだったらいいのにね。後半に関しては特にそう思う。でも僕はガチャを捨てない限りそういう意見は認められない。本当に面白いゲームをスマートフォンで作っているという自負があるなら売り切りにするかガチャなしのアイテム課金にしてみろ。それができないなら結局はゲーム付きパチンコの域を出ていない。極論だけどそう思う)
ゲーム業界…というよりゲームという娯楽そのものに絶望し、諦めているタイプ
無料で楽しめる娯楽(YouTubeとか)が大量にある今の時代
さらにメインのプレイヤーであるはずの子どもたちも少子化で減り続けてる
昨今のソシャゲの隆盛はゲーム業界のドーピングした最後っ屁みたいなもんだ
という意見
(これも自分の意見に近い。無料で暇つぶしできるのに、何故高い金払ってテレビの前に座って、コントローラー握って暇つぶししないといけないんだよと言われたらどうしようもない。悲しいけど)
最近のゲームはグラフィックばっかりで全然面白くない!だからゲーム業界は衰退するのだという意見
(そういう意見は一理あるとは思うけど、たいていこういう意見を言う人は思い出補正全開で、最近のゲームは実況動画なんかをみるだけだったりでゲームをやらないからたちが悪い。あとグラフィックが向上すること自体はいいことなんだけれども、彼らからするとグラフィックが向上することが悪いことみたいになっているのが解せぬ)
ちなみに僕はソシャゲの隆盛は気に食わないけれど
整理してたらハルヒ(2006)が出てきて暇だったしちょっと見たわけですよ。12話の、伝説のライブ回。
いやあ、平野綾って歌下手だねえ。まずOPでコケた。10年前の俺はなんでこれ上手え!って思ってたんだ。
肝心の演技の方は、まあ上手いけどこのレベルならわりといるじゃん? もっと突き抜けたものを持ってたように思ってたけどそれも当時の信者耳だったか。
それ以上にキョンが受け付けなかったけど。おっとこれは杉田が好きじゃないだけだった。
作画は…けいおん、ユーフォとパワーアップしてきたライブ作画と比べちゃうと大分見劣りして、ちょっと辛かった。キャラの芝居もなんだか大雑把で、これが細かい芝居と演出で名を馳せる予定の京アニか?ってね。つってもこれヤマカンだし、奴はこの後京アニ去るわけだから単に演出担当の個性ってだけかもしれん。ただ、これぞ京アニ!ってオーラは、もうこのフィルムからは感じなかった。時代の役割を終えた作品なんだと思った。
ハルヒあたりから深夜アニメ見出して10年経って、相変わらずのニワカではあるけど俺の目も多少は肥えた。でもそれ以上にアニメ業界のレベルって上がってるんだよね
だってEDのハルヒダンス、当時は話題になったし凄いなって思ってたけど今あれくらいならどこのスタジオがやってもおかしくない。
もちろんハルヒがあったから、業界全体のレベルが上がったんだ。SHIROBAKOで宮森がスピーチしたことって、こういう事なんだろうなあ。
<追記>
10年前の水準で凄いってのは理解してるつもり、でもやっぱり不満感じるんだよなあ
中途半端に古いのが駄目なのかも、思い出補正で「もっと凄かったはずなのに?」ってなっちゃう
年取っただけかな・・・
音楽もゲーム内容も2のほうが楽しかったっていうのが思い出補正なのかなあ・・・
音楽は頭に残らないし、ごくごく最初らへんでやり直しの手間がすっごい面があるし。
ギミックもめんどくさいし
ただ横に進む・上に進むってだけじゃなくなったからわかりにくくなった
いかんせんグラフィックきれいだからどこが進めるかとかがわかりづらいし
ボスも弱い割に妙に倒しにくいし
(俺が下手なだけだけど3面のかたつむりにぞうの水鉄砲で挑むやつ、ぞうの操作性悪すぎてめっちゃ死にまくった)
アニマルフレンドも扱いにくいし
ステージ移動がめんどくさいし
ステージ移動がどこにいけばいいのかすっげーわかりにくいし
3面がどこにあるのかめっちゃ迷ったわ
ディクシーは相変わらずカワイイ
リンクリーなんか死にかけのおばーちゃんみたいと思ってたらほんとにこの後死ぬらしい
高校の頃あんなに仲良くやれてたのに、大学に入学してから言動とかが頭の悪い大学生っぽくなっててげんなりした。
酔ってたのもあるだろうが、いちいち罵倒してきたり、蔑んできたり、本当にうんざりする。
馬鹿話しててもまとめサイトの話題をさも自分が体験したかのように話してるし、全く勉強してないことを誇るかのような物言いをしたりもする。
昔俺はこいつとどんな風に話してたんだっけとふと思った。
思い出補正とかを抜きにしてもめちゃくちゃ楽しかった覚えがある。
大切な思い出には必ずそいつの姿があるほど気の合う友人だったんだけど、もうこれにて縁を切ることにする。
一緒に酒を飲んで昔の続きのように笑い合ったり、ゆくゆくは結婚式とかにも呼びたいと思っていたのだけど、とても残念だ。
彼も同じようなことを思ってるんじゃないの。「元彼女に会ったけど、あの時ほど面白くなかったし刺激的な会話もできなかった。良くも悪くも普通の人になっててガッカリした」って。
たぶん元増田は、自分自身はそれなりに当時と同じままでいるつもりだと思うんだけど、自分の変化って自分ではなかなかわからないもの。かつて彼を面白いと思っていたアンテナが鈍っていたり、そもそも男の趣味が変わっている可能性を端から見ると無視できない感じ。
あと思い出補正ってやつね。過ぎたことはとかくいい思い出に美化しがちだから、当時覚えていたイライラや不満なんかは都合良く忘れている、またはそれすらもなつかしさにすり替えちゃって評価が変わっていることを自覚していない、なんて実にありがち。
それらもろもろをひっくるめて「彼は変わってしまった」と全部相手の責任にしちゃうのはまぁ、ちょっとみっともないなとは思う。彼が変わるくらいの時間が経ってるなら、程度はどうあれあんたも変わってないわけないんだよ。
あと「猛烈に好きになれない」のは相手のせいじゃなくて自分のせい。好きになる、ってのはどうやったって自発的な行いだからね。相手から強制的に暗示を受けたりするわけじゃないんだからw
アニメは割と好きなんだけど、アニメ見るの面倒臭くて、改編期には、第1話は、一通り見るようにしてるけど、最終的には、週3~4本程度に落ち着く
今僕がアニメ見てるのって、昔アニメを見るのが楽しかった頃があって、また楽しいアニメがあるかもしれないと思って見てるんだと思う
世間の流行りとはずれているようで、自分が面白いと思って見てたアニメがネットで叩かれまくってたり
逆に、つまらんと思って切ったアニメが大人気だったりして、アニメ配信サイトで全話パックを買って見なおしてみたけど、結局途中で限界で見るのやめてしまった作品もある
思い出補正もあるんだろうが、昨今のアニメは、映像は昔に比べて綺麗になったけど、似たようなのばっかりでつまらないものが多いと思う
20億円を蹴って4億円を選んだ!…「男気」を感じさせるということで、大絶賛されている広島カープ、黒田博樹投手。
あちこちで大絶賛され、ヒーローのような扱いになりつつありますが、本当にこれがカープのためになるのかといえば微妙な気がしています。
安い安いとはいえ、4億円。他球団ならまだしもカープでの4億円は非常な高年俸です。いや、それどころかカープの歴代最高年俸。
ちなみに次点は前田健太投手の3億円。これも数日間は歴代最高年俸になっていました。
その次になるとブラッド・エルドレッド選手の1億900万円。9000万円ではなく900万円です。
ちなみに、昨年のカープの選手で、セリーグファンの印象に最も強く残ってるであろう菊池涼介選手は8500万円、シンデレラボーイ一岡竜司選手は2400万円、辛いさんは2000万円での復帰です。
エルドレッドの4倍弱、菊池の5倍弱、一岡の17倍弱、辛いさんのちょうど20倍…
11勝9敗、防御率2.60、187投球回、QS70%、完投完封1
…とまあ、CS出場チームのエースとしては物足りない気がしなくもないですが、187回を稼いでいるのは頼りがいのある数字です。
これが26歳エース、3億円の成績。
そこに40歳が復帰、4億円。奇しくも2014年は11勝9敗。
マエケンと同じ成績を残せれば御の字でしょうけど。
「メジャー帰りの技術を伝承してくれる!」「男気を見せてチームを引っ張ってくれる!」
なんて声が大きいわけですが、返す返すも4億円。
活躍すれば上記の声もその通りですが…
となること請け合い。しかも悪いことに毎年引退を匂わせていた男、「思い出づくりに戻ってきた」みたいな空気になること間違いなし。
そして若手の間で囁かれる「あの程度の投手に4億出せる程度には金がある。だけどもっと活躍した俺には出してくれない」
ちなみにシーズン通しての貢献度は、レギュラーなら100試合以上に出場する野手の方が高くなるわけで、菊池・丸あたりは年俸格差に不満を感じるのではないでしょうか。
いろいろ書き連ねてきましたが、とにかく黒田投手は活躍すればいいわけです。マエケンと肩を並べるぐらいの活躍をできれば、ファンの間には思い出補正もあるから、4億円も納得の数字になるでしょう。
これまでの言動から2015年シーズン、カープで引退をするであろう黒田博樹投手。その活躍で今後数年のカープのチーム経営が変わってくるでしょう。