日本が云々ということを置いておいても、大なり小なり他人を攻撃して、それによって自分自身が優位になろうとする衝動が人にはあると思う。レッテル貼り。マウンティング。優越感ゲーム。だから批判ってやつは昔から今と変わらないくらいの規模が存在してたと思うんだけど、それが自分の身を隠して批判できるネットの仕組みで解放されたと思う。みんな自分が困ることでもないのに、誰かを攻撃するのは大好きなんだ。それが人の本性。
それまでは身内だったり隣近所だったり、近いコミュニティで小規模に吐き出されてたのに。なぜ小規模にとどまるかというと、大声でそれを世の中に叫ぶには、他人の目が気になるから。そしてなにより「それほど声高に主張するほどの事でも無い」から。
ネットによって世界中に、他人の目を気にすることなく批判を吐き出せるようになった。でもその本質は「それほど声高に主張するほどの事でも無い」もの。だけどみんながそれを気にしてる。いいんだって、気にしなくても。気にしない奴が一番強い。そもそも熱くなって批判してる人たちが殆ど自分に害のなんらないはずの部外者なんだもの。ちょっと前にSMAPの解散とかなんとかでネットの人たちがメチャクチャ熱くなってたけど、多分の事務所の偉いおじいちゃん・おばあちゃんには全然刺さってないよ。ネットなんてみちゃいねぇに違いない。まぁ雑誌とか新聞とかで多少なりとも情報は入るかもしれないけど。そんで今も変わらずSMAPはテレビに出てる。ちょっと特殊な例かもしれないけどね。とにかくネットの主張なんつーのは、気持ちのいいところだけ拾っておけばいいの。占いとかおみくじみたいな感覚で観ておけばいい。
そんで最初の記事に戻るけど、個人の規模で「昔の日本」を取り戻したいなら、ネットやめれば良いんじゃないかな。みんなよく言うじゃん「嫌なら見るな」って。どうしてもネットやりたいなら、ネットの中の事と、現実の世界の事を別物として切り分けないと。ネットを切り離した途端に、ほどほど批判はあるけど、まぁまぁ人は優しい社会が見えてくると思うのだけれど。