最近「#私を布教して」というハッシュタグのツイートが頻繁にTLに流れてくる。
アマチュアで活動している人や絵師などが作品をツイートして「RTして宣伝しろ」という主旨のものである。
よく使われる言葉だとは知っている(つもりではある)。
そしてこれが「宣教」、つまり宗教を広めることが由来であることも
理解しているつもりではある。
しかしこれは「その作品を好きな人」が使う言葉ではなかったか。
私はこれを「言葉の誤用」や「言葉の意味の変容」だとは捉えていない。
「宣伝を広告費なしに行うことで物事が歪まされる過程」であると認識している。
そしてハッシュタグとはのきなみ(広告費なしに)宣伝を行う際に多用されるものである。
すでに私は「ハッシュタグ嫌い」になりつつある。
Bボタンを押して望まぬ進化をキャンセルするまで、もうほとんど余裕はない。
しかし誰もこのBボタンを探さないし、押すつもりもない。そもそも存在を知らない。
そして、我々にこの流れを押し止めるような強い力はない。
たとえ嫌悪の怒りを垂れ流したとして、金を求める動きには敵わないだろう。
私個人としては、どのようにハッシュタグを避けていこうかという課題が喫緊となっている。
諦めだ。私は諦めたのだ。この冷めた思いに、金への欲求は火を灯さない。
ぐんねりとハッシュタグにも絡みつく金への有象無象の欲望の炎を、
例の件を総括しないの?