2018-11-17

ハッシュタグの使われ方がいつもおかしく感じる

最近「#私を布教して」というハッシュタグツイートが頻繁にTLに流れてくる。

アマチュア活動している人や絵師などが作品ツイートして「RTして宣伝しろ」という主旨のものである

布教」とは、こういう使われ方をする言葉だったか

もちろんオタク自分の好きなものを「他人に勧める」とき

よく使われる言葉だとは知っている(つもりではある)。

そしてこれが「宣教」、つまり宗教を広めることが由来であることも

理解しているつもりではある。

しかしこれは「その作品好きな人」が使う言葉ではなかったか

もしくは好きな作品をしつこく勧めてくる迷惑さを

いくら揶揄するために使われる言葉ではなかったか

私はこれを「言葉誤用」や「言葉意味の変容」だとは捉えていない。

宣伝広告費なしに行うことで物事が歪まされる過程である認識している。

そしてハッシュタグとはのきなみ(広告費なしに)宣伝を行う際に多用されるものである

すでに私は「ハッシュタグ嫌い」になりつつある。

Bボタンを押して望まぬ進化キャンセルするまで、もうほとんど余裕はない。

しかし誰もこのBボタンを探さないし、押すつもりもない。そもそも存在を知らない。

そして、我々にこの流れを押し止めるような強い力はない。

たとえ嫌悪の怒りを垂れ流したとして、金を求める動きには敵わないだろう。

個人としては、どのようにハッシュタグを避けていこうかという課題喫緊となっている。

諦めだ。私は諦めたのだ。この冷めた思いに、金への欲求は火を灯さない。

ぐんねりとハッシュタグにも絡みつく金への有象無象欲望の炎を、

いつ枯れるとも知れぬ焚き火のように見つめるしかないのだろうか。

演繹的には、そうするしかないのだろう。

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