はてなキーワード: 公言とは
処女好きを公表すること自体、女性器名称を恥じらいもなく口にして「ああ、舐めて~」っていうぐらい気持ち悪い。
特に実在の女性からすれば、一度失ってしまえばどうしようもない可逆性に欠けたものに対する物言いだからな。
あえていえば俺は好きなほうだぞ。
どちらかといえばそうとうな、な。
数字をとったわけではないがな。
この場合そうした好みをもつだけで、実在女性に対してきわめて無礼をはたらくことになる。
人をたくさん集めておいて一定以上の大学を卒業してない人間は大学名以外を見ずに落とす面接のようなもんだ。
増田が処女好きだとして(元増田では厳格にそう宣言してるわけではないようだしな)、自分が公表すべき好みをもっていないことを自覚していない、それこそが元増田の悪いところだ。
その他にも、処女好きは女キャラに「膜」があるかないかで判断しているわけで、そうした実に性的で、物理的で、生々しく、市井で口外することのない情報に関して、日頃から「このキャラは(女は)どうだろう?」と思考をめぐらせることの気持ち悪さがわかるか?
新宿駅前で「あー、あいつヅラ、こいつもヅラ、隠すの上手いがあれもヅラ」って、嘲笑うでもなく見下すでもなく認定してまわるのより酷い。
ズル剥けじゃない限り人間と認めない、そう言う女がいたらどう思うか、に近いかもしれない。
ひとつ一般の皆様方にクソ気持ちわりい情報をお披露目するなら、「独占」という言葉がこの世には存在する、ということだ。存分に気持ち悪くなれるぞ。
主にエロゲの分野でのプレーヤーがしてみせる分類のひとつだが、
そういうゲームのことを指す。
つまり処女ヒロインたちを主人公に自己投影したプレーヤーが「独占」する、という代物だ。
気持ち悪いんだよ、これが。
俺からすると、「自分を客観的に見ると気持ち悪い」ってことだがな。
もし皆様方がこの情報を今まで知らなかったのなら、こういう人間をなるべく触らずほっといてやってほしい。
知らなかったのなら、それだけ巧く「隠れて」やってたわけだから。
ハーレム云々は別としても、処女好きというものは、そういう好みを抱いている時点で、他者を傷つけないために「非処女を責めてはならぬ」という不文律という枷をかまされることとなる。
となると初めから「処女好きを非処女の前で公言しない」というのが、処女好き訓戒の第一条に書かれているレベルの話なのである。
だから増田でその話を持ち出すこと自体が悪、気持ち悪いではない、悪ということだ。
公言していないLGBTや性同一性障害の人の前で、彼/彼女たちを揶揄してしまうような類の話はしないようにしよう、そんな当たり前のことよりずっと浅い話で、ちょっと考えればわかることだ。
これを読んで気分を害した人たちには、どうかこうして元増田を律するために、矛盾した形で俺が愚かしくも自分の好みを公開露呈させたことを謝罪したい。
許してくれとはいわない。
次に、せめて今を楽しめ。
http://b.hatena.ne.jp/yoyoprofane/20170609#bookmark-339804670
『ネタバレNG派がネタバレ平気派をクリエイションへの敬意が無いとか頭が悪いか感性が鈍すぎるとか差別意識全開で罵ってるのくそおもしろいw 人間とは…』
コレに星集めてる人が多いという事実にショックを受けた。
作者がネタバレを、自分の作品の楽しまれ方として考慮してるとでも思ってるの?
一生懸命作者が練ってつくったお話の流れの中から生まれる、感動なり、カタルシスなりを喪失するのが、ネタバレですよ。
それを公言する人も、擁護する人も、差別意識とかではなく、事実として感性が死んでるでしょ。
「あらすじ」と「ネタバレ」は別ですよ。
こんなブクマに星を集めておきながら、自らをクリエイションへの敬意も・それなりの感性もあると思い込める、はてな民の傲慢さが辛い。
「○○が好きなんじゃなくて、"○○を好きな自分"が好きなだけでしょ?」
誰にでもどのシチュエーションにでも当てはまる汎用性の高さ・便利さゆえなのか最近よく使われてる場面を見かける。
しかしこれ諸刃の剣。そもそも雑な反論だし、おまえが相手のメンツ潰すためにメタ視点でマウント取りに行ってるわけじゃん。
ちゃぶ台ひっくり返してるだけ。誰も得しない、不毛な論法なので使用は自粛したほうがいいかと。誰も「好き」を言えなくなる。
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追記1
○○が好き・嫌い、と自己愛の有無はそれぞれ独立したパラメータと考えたほうがいいのでは。どの趣味にも人間性がヤバい人は混じる。
何かを好きになったり嫌った時に、自己嫌悪することもある。「お酒は好き。でも酒ばっかり飲んでる自分が嫌い」とか。依存症っぽいけど。
自己肯定感が低い人なら「自分自身が嫌い、でも自己憐憫に酔ってる自分はもっと嫌い」とか。4パターンのどれもありうる。
自分に酔ってる感じがするから、エゴが含まれてるから本当の好きではない、って前提はない。「本当に好きならなぁ〜」ってマウント合戦を始めるんかい?
あんまり掘り下げるとコミュニケーション・処世術とか、愛とはなんぞや、みたいな増田で書くにはメンドくさいテーマになっていきそうだが。
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追記2
この増田記事を書こうと思った背景というか文脈を明かすと、別に自分がどこかで誰かにそう言われて悔しかったからって話じゃ全然なくて。
まず、ちょっと前にたしかTwitterだったかで「映画好きのサブカルくそ野郎がマウントとってきて、言い返してスッキリ」みたいなストーリーの漫画が上がってて
その中でこういうセリフが使われてた。(ソース見つからない。タイトル忘れた…)その時もなんだかなぁ、とモヤモヤした気持ちがあったけど、まぁスルーした。
で、最近のコーヒー好きが言いにくいって増田の記事がヒットしてて、そのブクマコメントの中にそういうこと言いだしてるやつがまさにいたわけ。(わざわざ晒さないけど)
うわぁー実際に言ってるやついるよ、ちょっとひとこと言っておかないと伝家の宝刀みたいに使いまくるやつこれから増えそうだな、と思ってカァーっとなってこれを書きました。
他人の「好き」の定義に振り回されて萎縮というか、「自分はこれを本当に好きなのだろうか?」って疑心暗鬼になることないよなーっと。
ただ注意が必要なのは、よく主語警察がよく指摘してる"主語の大きさ"ってやつが問題になるように、ジャンルというか大きい括りでの○○好きを気軽に公言しない方がいい場面もあるだろうってところで。
例えばコーヒー好きと最初から大きく名乗るのではなく、「こういう状況で飲むどこそこの缶コーヒーが好きなんですよー」って小さく限定しておいてから、話を徐々に広げるとか。
という理由ではない。
二次創作というのは『慣行上は許容されているし、実際”ここまではOK”というガイドラインを作者・会社自ら出していることも多い』が、逆に『権利者に文句を言われたら危ない』ことも間違いない。
男性向けの場合、「ラブひなのエロ同人買って喜んで見てます」と公言している赤松健先生を筆頭にその辺に寛容な人は多いが、その点で言うとBL二次創作はどうしても『異性愛か同性愛か』などに起因する作者の許容度の違いは現実として出てくるし、
現に女性に人気のある作品の原作者で『BLだけはダメ。それ以外の同人は基本的にOK』という趣旨のことを公言している人もいた。
そのような理由から、BL二次創作は原作者バレそのもの・目立つことによる原作者バレの可能性を増やす行為を嫌う傾向にある。
作者がOKと言っているのに学級会化することもあり、その点については疑問も感じるが…………。
どうやって話を盛り上げるかちゃんと考えられてる。
アニメもクリフハンガーとか基本をきっちり抑えててエンタメとして考えりゃ一流の仕事だ。
英語圏で受けるためにはやっぱこの辺押さえておかないと駄目だな。
Youtubeで違法なReaction動画が山ほどあってワロタよ。
いかにもなオタク系だけじゃなくて夫婦で見たりグループで見てるようなパリピみたいなやつらまで見てるし。
話のテーマもfakenewsが流行ってる今の時代に完全に一致しとる。
主人公達が情報に翻弄される様とか偏りすぎたイデオロギーが何を引き起こすのかとかネトウヨ全盛時代に影響受けたと公言するだけあってよくできてる。
一歩引いて作ってるから極端な左翼右翼じゃなくてファクトを重視しろみたいな部分も見えるし。
やっぱ2000年代のネトウヨ(alt-right)流行は英語圏より早かったのかもしれん。
それだけに2期が13話しかないのが惜しい。
最初は「好きな人もいるんだろう」程度で見ていたが,いくらなんでも増えすぎだと思う.
その理由は当然だが近頃のパクチーブームにあるだろう.そもそもパクチーブームってなんだ.料理やスイーツといった人の手が加わったものがブームになるならわかるが.たかだか一食材がブームって意味わからないだろ.
百歩譲ってブームだったとしよう.ブームになったら「パクチー好き」がマジョリティになるのか?食えなくはないけど好きでもない奴が大多数なんじゃないのか?
パクチーが嫌いな俺からすれば,邪魔で仕方がない.新商品のコーナーだけでなく,カップ麺やおつまみなどのありとあらゆるコーナーがパクチー商品で汚染されている.
勿論,パクチー関連の商品でないものが店頭から消えたわけではないから,我々パクチー嫌いはそれらを気にせず好きな商品を買えばいいのかもしれない.
だが,店内のありとあらゆる什器にパクチー商品があるという光景は聊か奇妙であるし,余りにも視界に入りすぎると不快感を覚える.
そもそもパクチー好きってそんなにいるのか?パクチー商品ってそんなに売れているのか?パクチーってそんなにうまいか?
「パクチー大好き!」とほざくクソ女どもに俺は問いたい.お前は心の底からパクチーが好きなのか?「パクチー」という好みが別れる食べ物を「好きな自分」が好きなだけなんじゃないのか?
無理やり「好き」だと思い込んで食っているんじゃないのか?「えー!?パクチー好きなの??」って言われたいだけじゃないのか?「パクチー好き」というサブカル的なコミュニティに参加してパクチー嫌いを心のどこかで見下したいんじゃないのか?
俺はパクチーが嫌いだが,別に食おうと思えば食えるし,好きだと思いこんで大量に食うこともできる.「パクチー好き」を公言してるクソどもはきっとこんな奴らが大多数だろう.
「私のあこがれるあの人もパクチーが好きだから」とかそんな感じの下らない理由で食べはじめて,「別に好きじゃないけど無理やり食べてたら慣れちゃった」っていう感じなんだよ.
パクチーの入った料理を注文したら,パクチー嫌いな奴から「パクチー好きなの?すごいね」みたいなニュアンスのこと言われて調子乗っちゃったんだよ.わかるんだよ俺は.そうに決まってる.
レストランでパクチーを山盛りにしてパクチーだけを食ってる奴を見ると,本当にアホかと思う.パクチーって香辛料だろ,そのまま大量に食うもんじゃないだろ.うまいわけがないだろ.
いくらネギとかニラがうまいからって,それだけを山盛りにして食ってもすぐ飽きるだろ.
料理のトッピングで大量にパクチーを入れるのもよくわからない.もちろん多少のトッピングならアクセントとして効くかもしれないが,奴らのトッピングする量は度を越えている.下品だし.
その料理はそんな大量のパクチーで味を隠さないと食えないほどまずい料理なのか?やってることはサイ〇リヤで粉チーズを大量に入れる中学生とさほどかわんねえぞと言いたい.
最近いたるところで「パクチー」って文字を見すぎてあまりにもイライラするので書いた.
もちろん本当にパクチーが好きで,丁度いい塩梅でパクチーを食べている人がいるのもわかっている.でもそういう人たちは「パクチー大好き!」って言って大量に食ったりしないと思う.
それにしたってパクチーとかレモングラスとかその辺の香辛料って独特の臭い発しすぎだろと思う.もうちょっと食いやすくしてくれよ.タイ人ってみんなあれが普通の料理だと思って当たり前のように食べてるのか.
こんなツイートを見ました。
ペドフィリアが欲求を表明する「自由」は既に保証されているわけで、SNSであえて彼らを擁護してみせる人たちはそれ以上の、たとえば批判すら受けない権利を要求しているように見えるが、そんなの無理に決まってるだろ。— デビルトラックさん (@deviltruck2010) 2017年5月8日
確かに「批判すら受けない権利」を要求しているような語り口の人もいるでしょうが、ペドフィリアにも不当な批判に抗議する権利は当然あるでしょう。
「しかし、本当にペドフィリアは不当な批判に晒されているのか?」
はい。
ペドファイル男性っていわゆる「ネット右翼」みたいなもので,主張の極端さ故にマジョリイティから忌避されているだけで決して全否定はされておらず,時には擁護されたり,あるいは鉄砲玉みたいに使い捨てられたりしてるよね。— デビルトラックさん (@deviltruck2010) 2016年9月26日
こういうのがまさにそうです。
“ペドファイル男性っていわゆる「ネット右翼」みたいなもので”
パンチラインですね。
「主張の極端さ故に」って、そもそもペドフィリアは主張ではないし、ペドファイル男性というのは思想集団とかではないんですが、何を仰るんでしょうか。
ペドフィリアは主張ではありません。ただし、ペドファイルを公言するのは悪であるという主張には一定数からの支持があります。であれば、ペドファイルを公言することもまた「ペドフィリアを公言することは悪ではない」という「主張」として機能し得るというような捉え方は可能です(「私は悪だ」というスタンスのペドファイルも中にはいるでしょうが)。恐らくは、そのような意味での「主張」が、マジョリティから「忌避」されつつも「擁護」されるという話だろうと思います。
ここでは「ペドフィリアを公言するのは悪であるという主張」自体の是非は論じません。個人的な見解はあるのですが、まとまっていないので。
それよりも指摘したいのは、デビルトラック氏がペドファイル男性とペドファイル“を公言している”男性を同一視しているということです(それ故に、言葉通りに読むと「ペドファイル男性」が皆「主張」をしているかのような奇妙な文が出来上がっている)。
氏のツイートからは、氏がペドファイル公言に否定的な立場であるか、又はその立場に一定の正当性があると見なしていることが伝わります。
その上で、「ペドファイル男性」と「ペドファイルを公言する男性」を混同した文章を書くのは、非常に悪質です。
要は公言しようがしまいが「ネット右翼みたいなもの」として一緒くたに叩くということなので。
デビルトラック氏に限らないのですが、ペドファイルを公言するべきでないという立場に立つ人(氏がこの立場なのかははっきりとはわからないけど)のうち一部に、
「ペドファイルを公言する人は××(批判文句)である」と書くべきところで「ペドファイルは××である」と書く人がいるのですが、
それは結局「ペドファイルは公言してはいけないけど、公言しなかろうが公言しているペドフィリアと一緒くたに攻撃する」ってことですよね。
勘弁してください。
(なお「私は内心に留めているペドファイルも批判する」という立場の人に対しては上の批判は当たりませんが、今書いたのは、デビルトラック氏のように内心に留めてるペドファイルと公言するペドファイルを混同してものを言う人の話です。)
茅ヶ崎の侍野郎ことbonchacchanga 1989年生まれ…人権がらみの仕事をしている。愛車は日産の軽自動車。埼玉の零細大学を出ている。
出身高校が神奈川ワーストの私立高校だった、東海道線で通学していた、小田原で同級生とおふざけしていた、などの証言
ついでにこいつも
自称・グダポンの影武者ことgreatchina2 1985年生まれ…小学生・中学生時代保護観察経験あり(不良との交際が理由らしい)。それなのになぜか進学高校を卒業。出身大学と現在の状況は不明。
バイク免許持ちや自転車乗り経験を公言しているが、なぜか自動車と自転車を毛嫌いしている。(愛車は50ccスクーターと250ccネイキッド)
祖母が元不良らしく、母もインテリ系ながら不良臭かったと公言しているらしい。(子供時代・青年期に母を怒らせて原付で引っ掻き回されたことがあるとか)
1995年まで貧乏だったらしく、保育園、幼稚園に通っていない。
影武者の趣味がついに判明したとか。グダポンと奇しくも同じで鉄道好き、アキバ系オタクなどなど、なかなか香ばしい状態のようですな…失礼だが車社会回帰と鉄道離れのきっかけになる気がするな。
大都市部の若者でも子ども扱いを嫌って車やバイクの免許を取る人が非常に多い現実ってことをよーく考えた方がいいね、グダポンの影武者を騙る某人。
https://twitter.com/Ch_Chulainn_fgo/status/860873009808105472
https://twitter.com/Ch_Chulainn_fgo/status/860875993778577408
15万つぎ込んで、それでも欲しかったキャラが引けなかった(一応このあとレアキャラはひいたらしい。よかったね)方のツイート。
勿論同情はするんだけども、これ消費者庁に言ってもお金は帰ってこないよなあとか思った。いやこの人はお金を返してほしい訳じゃないのは分かってるんだけどね。
で、割と周りの人は「そうだよね、それだけつぎ込んだのにレアキャラ引けないのって普通におかしいよね」っていう風潮が強いみたいなんだけどさ……。
私はパチ屋で働いているんだけど、お客様に「おいこの台15万つぎ込んだのに一回も当たらないんだけど。どうしてくれんの?」とお叱りを頂いても、店にはどうしようもない仕組みになってます。
昔ネトウヨ界隈で「パチンコは遠隔操作できるで」っていうのが流行ってたけど、そういうことは出来ないというか、やったらそれこそ消費者庁案件というか、パチ屋なんて黙認されないですわ。冷静に考えればわかるよね。
一応データはお客様の出玉補償のために取ってたりはするけど、本当にパチンコは運頼りです。引けないときはひけないし当たるときは当たるし。
そんでもって、いまのご時世射幸性(ギャンブル性)の強さも見直されて数年前よりも厳しくなってるし、どこのパチ屋にも依存症対策の相談電話番号とか貼ってあります。
私自身当たるか当たらないか分からないものにつぎ込むより、投資に回したほうが(もし赤字になっても)世の中のためになりそうな気がするので、適度に遊んでくれ! と願わずにはいられないです。
だから、この方みたいに「15万つぎ込んでこの結果って……(さめざめ)」という意見には、「それには同情しますが、残念ながらガチャはそういうものです」としか言えないです。
ていうかなんでそんなかつかつの5万をつぎ込もうと思ったの。もうこの時点でこの人こそ金銭感覚が可笑しい。ソシャゲ中毒というか、パチンコ中毒と同じようなものです。
何度もソーシャルゲーム界隈が消費者庁に注意されてるって話は聞くので、せめてガチャの確率とか(パチンコやスロットは公言されてる)、煙草とかじゃないけど警告文をどっかにいれるくらいしか対策は思いつかないです。
はっぴいえんどって今ではものすごい評価高いでしょう?でも当時はっぴいえんどを聴いてた人ってそんなに多くないのよ。
ヒットはしてたと思うけど、世の中を席巻したわけではないのよ。渋谷系も同じですわ。
宮崎駿の映画って、魔女の宅急便まではそんなにヒットしてなかったのよ。カリオストロも、アニメファンには知られていましたけど、興行的にはルパン対複製人間より下回ってますのよ。
こういうのって、誰かがしぶとく語りつづけたり、影響を公言したりしてきたから今でも忘れられないでいるのではないかしら。
歴史上の人物でも、何かで取り上げられたりしたのがきっかけで人気が高まることがあるでしょう?
誰かが何かを好きになり、そしてその「好き」をエネルギーに何かを生み出し、それがまた別の誰かの「好き」になり、エネルギーとなる。
「好き」は繋がり、受け継がれ、拡大していくのですわ。
一人の「好き」が世界を変えたり、誰かを救うことだってありますのよ。
語られることで歴史が紡がれていくのですわ。
だから、みんな自分の好きなものについてはどんどん語っていくべきなのよ。
影響を公言しなさいな。
語り部になって、大きな川の流れを、歴史の流れを、脈を、紡ぎなさいな。
歴史は語り部が作るのですわ。
(優しい人間が嫌いなやつはそいつは人間じゃないので恋愛対象にしなくてよし)
多数にモテる、最大公約数的にモテる=唯一好かれたい人間から好かれる可能性が上がるんだよ
非モテは僕だけをみて私だけをみてと言いたがるが
誰しもが欲しがる葡萄に自分がならない限りはたった一人に好かれることすらできんから
その努力を怠るやつにたった一人の好きな人から好きだと言ってもらえる可能性が下がるんだよ
選ぶサイドに立とうとせずに相手から選んでもらおうって魂胆が糞雑魚すぎ
まず男で女らしい魅力が嫌いってやつが少数派ってことを理解して
自分の好きな男がその少数派である確率が低いってことを理解しろ
じゃなきゃ一生非モテだ
口ではみんな巨乳が好きなんて公言しないが男はみんな巨乳デカケツ大好きだから
それを公言するとメリットどころかデメリットしかないからみんな濁してるだけ
明確に大きい方が嫌いって言わないやつ以外はどっちでもいい=巨乳好きだから
結婚できたとしても非モテ同士がくっついて非モテ思考の子どもを作るだけ
誰も幸せにならない
不幸の連鎖
■性犯罪者が存在するからといって、男性保育士を排除するのは差別だ。← 正しい。
■保育士さん達は子育てのプロなんです。それを解った上なら、今回のような話は想像すらしなくなると思いますよ(https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/ 千葉市長の発言) ← いや、プロとか関係ない
■(男性保育士反対の人ことを)プロフィールから過去の発言も全部追いかけて / で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。(https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/ 千葉市長の発言) ← ジェンダーフリーを公言してる人じゃなければ、思ってても言わないのでは? 差別主義者と断罪されるとわかってるし。
多くの男性にとって、子どもが被害にあう性犯罪は以下のようなものではないのか?
・あったとしても、不審者による事件をまず思い浮かべる(先生や保育士が加害者の話は、身近に聞いたことない)
で、これ、なんかに似てるなと思い出した。女性のほとんどは痴漢被害にあっているというアンケートだ。
【男性が知るべきこと】女性の58.3%は痴漢に遭ったことがあり、その殆どは泣き寝入り
http://sirabee.com/2014/06/24/560/
https://www.marsh-research.co.jp/examine/ex1705.html
首都圏在住で、通勤・通学に電車を利用してい人対象のアンケートでは83%が痴漢被害にあってるという結果が。
このような結果に対して「嘘だ誇張だ」という男性の意見に驚いたけれど、私だって痴漢にあったことを家族にも友人にも彼氏にも話してないから、男性が知らないのも当然かもしれない。
まわりに話してもいいことないし「隙がある」「ブスのくせに自意識過剰」って言われるのがオチだから黙っていた。
同じように男性にとって子どもへの性犯罪はレアケースでも、女性はよくあることと認識しているような気がした。
他の人はどうなのか知りたい。男女で結果が異なるのではないか。
【子どもが被害者の性犯罪が身近に起こったことがありますか?自分が被害にあったことがありますか?】
条件
・被害者もしくは加害者と面識がある(お互いに知り合って話したことがある)
・いい加減な噂などでなくある程度確実であること。
私は3件心当たりがある。
case1:小学生低学年のとき、担任の先生に罰としてお尻をつねられていた。変なつまみ方だった。今ならわかるがアウト。
case2:仲のいい友達が習い事の先生から被害にあった。直接聞いた。
case3:親戚の子が学童の先生から。母から聞き、あなたも気をつけなさいと言われた。
※公園で変なおじさんに…というような不審者は入れてない。入れたらもっと多くなる。
※3件とも警察沙汰にはなってません。
3件が多いのか少ないのかわからない。
でもきっと、私の兄は何も知らないと思う。
お尻をつねられても何も思わなかっただろうし、母から注意もされず、自分のまわりで起こってる事件に気づいていない。
痴漢と同じで、同じ環境に育ってても男性と女性で見てる世界が違う。
「3件は多すぎる、私は1件も知らない」という女性もいそう。
痴漢とは違って被害者のことを知る機会があり、いい家庭の子どもは狙われないので、育った環境によって偏りがあると思う。
言いたいこと
・でも事件はレアケースじゃなくよくあることなので、反対する気持ちもわかる。共感がある。
・反対する人をジェンダーフリーとか差別主義者ときめつけないでほしい。
私が敬愛して止まない、ふみふみこさんという漫画家さんがいる。
その方が本日twitterで下記のような事をおっしゃっていた。
発行部数が少なく、書店にあまりおいてない上、Amazon楽天もずっと欠品状態ですが、重版かからないと打ち切りという謎の状況です。ははは(乾いた笑い)どうぞみなさまご協力ください。としかいえません。まずは一話お試し読みを読んで下さい→https://t.co/QhCOic31uS— ふみふみこ@3/25『qtμt①』発売 (@fumifumiko23235) 2017年4月13日
本日はこの
「書店にあまりおいてない上、Amazon楽天もずっと欠品状態ですが、重版かからないと打ち切りという謎の状況」
漫画家(作家)が本を作って中身が完成してそれが世に出る事になった時、
同時進行で出版社内で行われているのが「部数の決定」です。
この本はどれだけ売れるだろう。
我が社の本はどれくらい売れるだろう。
この作者にファンはどれくらいいるだろう。
類書はどれくらい売れているだろう。
カバーの出来はどうだろう。
中身の出来はどうだろう。
事前の評判はどうだろう。
どんな人が買うだろう。
などなどなどなど、
まあ、いろいろ考えるわけですよ。
毎月たくさんの本を扱っているから、
数字のことはおおよそ分かる。
でも、作品のことは実はそんなに詳しくない。
当然だ。毎月かなりの量の本が出ているんだから、
そんなわけで部数はだいたい
・同一作者の過去実績
・類書の実績
さて、部数が決まったら営業は
これを「配本」って言います。
これを決めるのは営業部だったり、
でもわかりにくいのでその辺はスルーしてね。
全国で書店はだいたい13,000店くらいあるので、
この部数が多いのか少ないのかは、なんとも言えないですね。
ケースバイケース。分かりやすくするための数なので気にしないでね。
さーて、ではここで配本をするわけですが、
めちゃくちゃざっくり言って、
・実績配本
・均等配本
・傾斜配本
名前の付け方は仮です。
【実績配本】
その名の通り、実績で配本します。
シリーズ続刊だったら
「前の本が何冊売れたか」
4巻が2冊しか売れなかったのに、
5巻で50冊の注文を出しても2冊しかくれないよ。
読んで字の如く実績で配本するので、
続刊の時がだいたいこれです。
【均等配本】
全部のお店に均等に入れよう。という配本です。
今回のケースで言えば、
13,000店で13,000なので、
全部のお店に1冊ずつ送ろう!
でも、こんなやり方、ほぼ絶対にやりません。
売れる本が同じだなんてことは無いでしょう。
それぞれ得意不得意があるわけです。
じゃあ、得意なところにたくさん入れて、
不得意なところに入れるのやめようぜ。
というのが、三つ目です。
【傾斜配本】
もう、さっきほとんど全部書いちゃいました。
要するに、お店や地域によって配本数を変えるのです。
13,000部の本だけど、秋葉原でめっちゃ人気ある人の本だから、
秋葉原のオタク向けのお店4店舗にそれぞれ100冊ずつ置いてもらおう。
オタク向けのお店は全国展開していて、
それぞれのお店には15冊ずつ送ろう。
1冊か、送らなくてもいいや。仕方ないよね。
的なことをするわけです。
買いたい人と売りたい人のマッチングを考えるとこれがベターですね。
ん?
全部のお店に最低2冊は入れて、その上で秋葉原とかの量を増やせ?
刷って売れなきゃ赤字。
売れても刷った部数の5割は売れなきゃ赤字。
5割売れても5割じゃ続刊も無理。
って話だから、諦めてね?
さーて、そんなわけでいよいよ発売になった本。
当初の予想と少し違って、売ってみたら一般店で売れました。
なんかね、イオンの中に入ってる本屋さんで主婦が買ってるんだって。
ということは往々にしてあります。
でも、配本した時は秋葉原に傾斜をかけていたせいで、
イオンの中の本屋さんには2~4冊くらいしか入ってなくて、どこも完売。
「どこにも売ってないよー」の声があがりはじめます。
「売れてるし買えない人がいる。重版して!」
ところがどっこい。重版はできないのです。
読んで字の如く「市場に出回っているまだ買われていない在庫」です。
実は2,000部くらいになっていました。
池袋とか、大阪の日本橋とか、そのほか色々にも多めに送っているので、
13,000部のうち4,000部がそれらのお店に置いてあるのです。
もちろん、他にも置いているけれど売れていないお店はたくさんあります。
全部合わせて、2,000部くらい売れ残っているとしましょう。
するとどうでしょう。
世の中には「まだ6,000部の売れていない本がある」のです。
んで、これは「売れずに出版社に戻ってくるかもしれない本」なのです。
その状況で追加の重版はできないですよね……。
これが
「発行部数が少なく、書店にあまりおいてない上、Amazon楽天もずっと欠品状態ですが、重版かからないと打ち切りという謎の状況」
の正体です。
では傾向と対策。
そんなこと、言えるはずがないですよね。
「このお店で買うと栞がもらえるよ」
「このお店で買うと描きおろし冊子がもらえるよ」
「このお店で買うとサイン色紙がもらえるよ」
というのは、要するに
「このお店にたくさん本置いてもらうからそのお礼にいいものを付けるよ」
特典が付くお店には他のお店よりたくさん置いてある
=そのお店に行けば本を買える可能性が高い
のです。
この事実を知ってもらって、
店舗特典情報をきちんと出してもらうことがいちばん効果的です。
あと、例えば
「イオンに入れた4冊が1週間で3冊売れた」
と
「秋葉原入れた100冊が1週間で75冊売れた」
やばいです。100冊入れて75冊売れたら、即重版検討案件です。
しかも、秋葉原で売れたのであれば他のオタク街でも売れるのでは。
なので、オタク向けの本を描いていて、それを売りたいのであれば、
是が非でも「秋葉原で買え」というのがいちばんの効果を生むのです。
そうなんですよね。
読者にそこまで負担を強いるの、下の下ですよね。
買ってくれる人になぜ負担を強いるのか。ぷんぷん。
次善の策として、よく言われるのが「予約」です。
効果的な予約は、発売1ヶ月以上前にしないと、ほぼ無意味なのです。
本屋さんで売り切れてる本を予約して
「2ヶ月待ち」と言われたことありませんか?
あれ要するに
「出版社の手元に在庫無いから重版するか売れ残ったのが戻ってきたら送るね」
という状況なんです。
発売前の予約だと、配本時にその分の冊数が優先されます。
実は思われているほど冊数が極端に売れるわけではありません。
300とか500冊くらいで売れている方だと思われます。
なので、在庫切れは頻繁に起こるんですよね……。
みんなで秋葉原に行こう!
ちなみに重版については
http://anond.hatelabo.jp/20161218163305
を参考にするといいんじゃないかな。
いくつかの長ったらしい病名と薬を与えられて、
二十と数年の人生に判子が捺された。
薬を飲むと、ぼんやりとする。
思考は奪われ、やる気も起きず、
加えて、嘔吐感。
それがまた私を不安にさせて、夜に眠れなくなる。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
動機もするし涙も出るし、不眠にもなる。
人生だ。
これまで積み重ねてきたはずの人生が、
重く重くのしかかっているのだ。
そういうことができない子どもだった。
他人が悲しんでいる時に、
なぜ悲しんでいるのかわからない。
泣いているというステータスを人に見せつけて、
誇張無く、嘘偽り無く、
ということを、精神科医と話して初めて知った。
そして言われたのが
「それは普通じゃ無いんですよ」
という類の言葉だった。
他にもいろいろなことを話し、
いくつもの違いを指摘された。
そしてその後語られた症例が、
その時に初めて知った。
そう、知ったのだ。
この時は知っただけで、まだ何も考えられなかった。
それからとりあえず
「いい薬があるから」
私のこれまでの人生はなんだったんだろう、と。
私は熱に浮かされたような状況だったから、
まともに何かを考えることは、当然できていなかった。
そしてそれは治療できるというのだ!
なんと素晴らしいことだろう!
そう考えていた矢先、ふと、思ってしまった。
私のこれまでの人生はなんだったんだろう。
それを薬を飲むことで治療できるとして。
その先にある、正常な私は、
これまでの人生を歩んできた私と同一なのか。
それを裏切らないように、生きてきた。
行動は全てそれに準じている。
それは私のアイデンティティであり、
でも、これまでの話を総合すると、
病気によって生じた柱をもとに、二十数年を歩んできたのだ。
これまでの人生は、案外悪くなかった。
親とは不仲だし、顔を合わせたくもないし、
そんなことはどうでもいいくらいには、
親との不仲も、いじめの原因も、
結局は病気由来だったことも判明したのだけれど、
それを含めても、まあ、歩いてきたなと思う。
社会人になって大きく躓いた。
激務に次ぐ激務だったが、
他の人間には、それができていた。
でも自分にはできなかった。
限界を感じていた。
そして仕事で失敗をして、
巡り巡って精神科医にかかることになったわけだけれど。
そして今回発覚したのが、病気だったということだ。
それを「治療」することが、途端に怖くなった。
これまで意識をしたことはもちろん無かったが、
薬を飲んで治れば「普通の人」になることができる?
いままで歩いてきた人生はすべて間違っていたのか?
怖くて仕方がない。
でも、このままでは、生きていくことが難しいのだ。
お金も無い。人とのつながりも無い。親には関わりたくない。
きっとこのままなら、職も失う。
私は何を選べばいいのだろう。
うちの会社では、部内の人間が結婚/出産するとお祝い金を集める回覧板がまわってくる。
回覧に挟んである封筒に、現金500円を入れて次の人にまわす仕組みになっている。
建前上は任意ということにはなっているが、社内の空気的にほぼ強制的に500円入れるしかないのが現状だ。
以前は何も考えずに財布から500円入れていたのだが、最近これが嫌になってきた
理由は2つある(と思う)
1.味気なさなど
回覧板の対象になるのが部単位なので、他の支店の人が結婚したときも回覧板がまわってくる。
一緒に仕事したこともない、顔もよく知らない人のお祝いを強制されるのは精神的に苦痛を感じる。
同じ支店の社員など、そこそこ親しい仲なのに回覧板がまわってきて初めて結婚などの事実を知るのも地味にショックを受ける。
結婚相手や産まれた子どもの写真持って挨拶に来たらお祝いぐらいいくらでも出してやるのに。なんならメールでもいいから直接報告してくれよ!と思うこともある(いくらでも出すとは言っていない)
よく知らない人はもちろん、
しかも結婚相手がどんな人か、産まれた子どもが男か女か、どんな名前をつけたのかなど、
気持ちよくお祝いを出せる心境になれるような情報がないままお祝いを強制されることにストレスを感じる
2.不公平感
社員全員が結婚/出産する前提なら社員の間でお金がまわっているだけなので問題ないのかもしれないが、
結婚しない人も、結婚できない人も、子どもを作らない家庭も、子どもができない夫婦も居るだろう。
俺も結婚願望はあるが、結婚できるかわからない。(個人的には厳しいと思う)
最近では自分と同年代や年下の結婚/出産のお祝いを出すときに、祝福と妬みと羨ましさと諦めとが混ざった複雑な気持ちになる。
(居るか知らないけど)婚活に焦ってる30代の先輩なんかはさぞかし暗い気持ちで500円出しているかもしれない。俺もそうなるかもしれない。