はてなキーワード: 健康被害とは
全体的にJRの言い分を批判してるのは分かるけど、いきなり茶農家の言い分はデタラメとかあって意味わからんのだが、普通に茶農家は大井川の水を利用してるぞ
因みに名産品のお茶の品質にも影響が~って話もあるがそれは尻馬の出鱈目です。お茶は丘陵地帯で水が引けず耕作ができない処で発展したのが特徴ですので。
茶産地支える水利事業 一滴の重み、等しく共有【大井川とリニア 序章 命の水譲れない㊤】|あなたの静岡新聞
https://www.at-s.com/news/article/special/linear/805099.html
大井川の水は232カ所に上る水利用の貯留池「ファームポンド」や茶畑に配備された給水栓を通じ病害虫防除、凍霜害予防、かん水など茶栽培に不可欠な作業を支える。
【さらに詳しく】もう一つの用水―国営牧之原農業水利事業:関東農政局
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/oigawa/keii/02_1.html
水の不足は茶葉の生育を悪化させ、収穫を減少させるばかりか、翌年から翌々年まで品質に影響します。また、茶栽培では年に10回を超える病虫害の防除が行われますが、これにも多くの水が必要となります。さらには、施肥(しひ)のための水、霜害・塩害防止に使う水など、栽培技術が進歩すればするほど、茶栽培における水の重要性は高まっていきました。しかし、台地の上には水源となる川がありません。「牧之原に水を」を合言葉に、茶農家の気持ちは、眼下でとうとうと流れる大井川の水へと向いていきます。
40年前に始まった「水返せ運動」は大井川の流量低下による環境悪影響によって茶の品質低下が起きて茶農家が怒りに怒ったから県知事も一緒になって動いて一定の成果となった(あくまで「一定の」で水量が元に戻ったわけじゃない。そんな中でリニアで水量が減るかもとJR東海が言ってきたから余計に怒っている)
昔の大井川は発電用や工業用ダムが取水が際限なく行われ70年代には水涸れが起き「河原砂漠」と呼ばれ川底の砂が舞って健康被害起きたり気温上昇したりした。茶に関しては川霧の消滅によって品質低下が起きる悪影響があった。だから全国に波及するほどの大きな水返せ運動が起きた。
そのことがあり今回も大井川流域市町がJR東海のリニア工事を大きく問題視している(「市町」が問題視してるんだぞ。バカみたいに「県知事は中国の手先だから~」みたいな陰謀デマをほんこんとかが広めてるけど県はあくまで市町の意見をまとめ述べてる立場な)
TwitterとかでJR東海に批判的な投稿を見てても丹那トンネルの水涸れの話ばかり例示されて大井川の水返せ運動の歴史的経緯についてほとんど触れられてないのが残念
「摂取の進捗が順調」と言われる自治体に住んでおり、今のままの進捗状況だと、7月半から8月にワクチン摂取が完了するかもしれない。
そうなると免疫が勃起してきて自身の深刻な健康被害についてあまり考えなくても良くなるのは遅くて8月末というところ。
その頃には離れたところに住んでいる高齢の親も(いくら遅い自治体でも)摂取完了している可能性が高い。
そうなると二年離れてた旅行がてら帰省でもしようかなと思うけど、自分が移すリスクについてはまだ認識が整理されていない。
そこらあたりの研究(治験上とか理論上ではなく、実際の社会活動から見えた確度の高いやつ)とガイドラインが早く出てほしいな。
感染の再拡大自体は今の感じだとあると思うが、ワクチン摂取完了後にもそれがどれくらい活動の制限を要求してくるものなのか・・・
まあ手始めに健康ランドとか行くつもりだけれども。
専業主婦が一般的だったのは高度経済成長期の数十年、たった1世代でしかないという事実
よくあることなんだけど、今現在の社会的な慣習を永続的なものだとみんな勘違いしちゃうんだよ。
腕時計をするようになって1世代だが、携帯のせいで売り上げが3分の1に激減
社会人のたしなみと誰も疑ってなかったはずのものが、1世代であっけなく終了。
タバコと酒の消費量は戦後で1人あたり5倍くらいになってて、今みたいにパカパカ摂取するようになって1世代。
バカみたいな飲み会とかやってたのは実は団塊だけ。タバコは今のペースならあと0.5世代で滅ぶ。
自由恋愛も1〜2世代ですよね。だいたい告白という風習が少女漫画から広まったものじゃなかったっけ。1世代。
日本女性がブラジャーをつけるようになって1.5世代くらいか。
ほかにも「実はたった1世代」ってモノや慣習は無数にある。ちょっとこの事実にお前ら恐怖したほうがいいです。
だからまあ、なんも考えず親世代の真似をしようとするのはやめろ。無理だから。
喫煙所でタバコをふかしながら、ストロングチューハイを飲み過ぎることをガハガハと話しているらしい、そこそこの肥満体型の人がいてね。
で、その人がさ、やたらとワクチンを怖がるわけよ。
いや、単純に興味があって「どういう風にリスクを捉えているのかなー」と思って、正直に聞いてみたんだけど、聞き方が悪いのか、あまり理解できなかった。
具体的には、彼は「ワクチンは怖い。リスクがゼロではないと思うから打ちたくない」
「お酒やタバコは身体に悪いのは知っているけど、成分と弊害が分かっているから」
などとおっしゃっていました。
"たしかに未知に感じるものが怖いのはわかる。ただ、WHOは飲酒ゼロが1番リスクが低いとしているのは最近スッカリ有名になったし、健康被害は大量の習慣飲酒の方がワクチンよりよっぽどハイリスクだと思う。そんなに身体が大切なら、まずはわかっているリスクも避けるのをオススメしたいよなぁ。あと、ワクチンにはメリットがあるが、アルコールには身体的なメリットはないのでは?"
……などと思ったけど、「あ、そう思うんですねー」とリアクションするにとどめたよ。
俺はそろそろ嗜好用大麻が解禁するって海外のある街に行った際、地元の人の大麻についての価値観にカルチャーショックを受けた。
そこから、自分なりに調べたりしているんだが、雰囲気で「やばいやつ」、「人間をだめにする」みたいな考えが日本では流布していることがとても気になっている。
今、一部の地域で嗜好用大麻が解禁しているが、欧米では数年後にはほとんどの地域の嗜好用大麻が解禁になるだろう。
ここから、先進国での大麻についてのギャップが更に生じてくると思うし、日本はどういう道を歩んでいくか?というのを正確な情報を得て、
幻覚剤はLSD、マジックマッシュルームなどで大麻はそこに分類されない
ここは環境要因などといったところによるところがあると思うで一概にゲートウェイドラッグというものは定義できないとおもう
ただ、データとして上げたいのは日本の大麻、覚醒剤の摘発数(https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544241.pdf)
大麻の摘発数が上がる一方で覚醒剤が減少しているというのをみると、
大麻がゲートウェイドラッグではないという1つの反例となるのではないか?
肉体依存というのはないとは言われているが、酒などと同様に精神依存はある
逆にグリーンラッシュという言葉で大麻ビジネス産業でとても利益を生み出している
まずは、大麻というのが長年に渡り、酒、タバコと同じように一般社会に行き渡っているから
また、摂取割合はさほど変わらないのに有色人種が逮捕される割合が多く、人種差別の温床となっていたから
一時的な健忘症となり日頃悩んでいるような慢性的なストレスから開放される
五感が研ぎ澄まされ、娯楽が楽しくなる
空腹作用があり、食べ物が美味しく感じる(逆にこの作用により肥満になりやすい)
注意散漫となる
今の日本の大麻摘発数の上昇を見ると、使用者が増えているのは確か
このまま進んでいくと、他の国と同じように蔓延し、解禁すると思っている
逮捕者が大量発生してなし崩しに解禁というのは脱法行為が正しかったみたいでとても気持ちが悪い
しっかり、討論をして、どうやっていくのか話し合って解禁するのか?それとも正当な理由、根拠でこれからも禁止していくのか?というのを国民は考えるべきだし、国は方針を出してほしい
ちゃんと管理された大麻であれば、健康被害は大した問題じゃない。
それよりも産業面だ。
既にノウハウを蓄え、成熟したシステムを持つ世界中の大手大麻企業が続々と上陸する。
っていうかもうCBDオイルとか売ってる大麻企業は前からいるんだよな。
だが医療大麻が認可されればそれが本格化する。
大麻を数株ご家庭で育て、売らずに個人で吸うだけに規制できるなら理想的だ。
5G関連に荒唐無稽な陰謀論があるのは分かるが、5Gを怖れていると言っただけで陰謀論だと決めつけるのもまた非科学的な態度だと思う。
何が信じるに値しない話で、何を本当に心配しなければいけないのか親と一緒に調べてみてはどうだろう。
ここらへんが5Gへの慎重論だと思う↓
5G Is Coming: How Worried Should We Be about the Health Risks? - Scienfific American, By Kenneth R. Foster on September 16, 2019
We Have No Reason to Believe 5G Is Safe - Scienfific American, By Joel M. Moskowitz on October 17, 2019
https://blogs.scientificamerican.com/observations/we-have-no-reason-to-believe-5g-is-safe/
さらに話をややこしくしてるのがハバナ・シンドロームなんじゃなかろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%90%E3%83%8A%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 - Wikipedia
5G近傍の周波数帯を照射することで健康被害を及ぼすという兵器で、中国が実用化して政敵や敵国大使館員に実際使い始めていると今週海外のニュースで騒がしい。
中国人民解放軍、「マイクロ波兵器」すでに実用化か - 数ヶ月前だがJBPress
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
悪代官よろしく特効薬やワクチンを買い占めて利益狙っているとかならともかく、現状で政治家にできることなんてあっちを切るかこっちを切るかの選択ぐらいで、
たとえば医療従事者を守るために、悪役になって戒厳令でも出せるように制度変更し本当にごく一部のエッセンシャルワーカー以外は家に閉じ込めさせても、
今度は経済苦で首をくくったり、そこまで行かずとも体を壊したりして健康被害が出て、その親族から恨まれるようになる。
経済苦なんて補助金だせば解決、なんて勘違いしている人もいるけど、生産活動が縮小すれば消費可能な実物財・サービスが
直接的な足下への影響だけでなく将来への影響とそれがまた現在へと与える影響まで考えればなおさらだ。
で、結局はあちこち見ながら国民との空気読みをやった結果が今くらいの医療従事者や経済関係の負担ってこと。効率性フロンティアからそんなに外れているわけではないと思うよ。
今回の新型コロナウイルス感染拡大で明らかになったことがある。
コロナウイルス感染拡大は飛沫感染が大きな要因であり、多人数で会話しながら食事をすることが大きなリスクになっている。
多くのことはその情報は認知しているが、アルコールを飲む人は、まともな判断ができずにいくら政治家や行政が自粛要請をしても、酒場で大声で会話をしながら食事を続けていた。店舗で酒類の提供をやめると路上で飲酒してしまうほどの恐ろしい中毒性があるのだ。
そんなのは、一部のアルコール好きの人だけかというと、そんなことはない。
行政の人間でも、また市長で医師であってもアルコールの中毒性にさらされているのだ。
◆大阪市職員、5人以上の会食200件1000人超…3月以降の時短要請中
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210424-OYT1T50106/
◆“約70人と会食”の姫路市長『到着まで飲食伴う場であることや規模は知らなかった』
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20210430/GE00038097.shtml
このことから言えるのは「アルコールには恐るべき中毒性がある」ということだ。
真面目な行政の職員や市長でかつ医師である人間でさえも、アルコールを前にするとまともな判断ができなくなるのだ。
少量でも長期的にみて死亡リスクが高まるエビデンスはたくさんでてきている。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO52020370R11C19A1000000/
長期的だけではなく短期的にも、大きな負担を社会にかけている。
急性アルコール中毒で救急搬送された人数は、東京都だけでも年間18,212人もいるのだ。人口比でいうと全国ではこれの10倍ぐらいの件数になるはずだ。
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/lfe/kyuu-adv/201312/chudoku/
みんな少量をたしなむ程度だからアルコール中毒ではないと思っているようだが、定期的に飲酒としている人は、ほぼアルコール中毒なのだ。
ただ、あまりアルコールは中毒性が高く、その人数も多いために規制をかけることができない。実際にアメリカで20世紀初頭に禁酒法が制定された時には、密造酒、ギャングの台頭など大きな弊害がでてしまった。
アルコールを定期的に飲酒している人たちは、みんなアルコール中毒で、飲酒をやめることができない。また、飲酒に関してはまともな判断ができない思考に陥っているのだ。
だから声を大きくして言いたい。
飲酒をすることは…
①自分の快楽のために社会に迷惑をかけている行為なのだということ
この授業での様子は市内の新聞でも取り上げられた。
俺はそのことを、行きつけの喫茶店で知った。
あの時の会話を弟が聞いていたのかと気づいたのも、この時になってからだった。
「ハッ、時代だなあ」
「時代、ですか? むしろ、こういうのを厳しく指導しないのが現代だと思うんですが」
喫茶店のマスターと、常連客のタケモトさんも丁度その話題で盛り上がっていた。
「いやいや、オレから言わせりゃな、しっかり指導してこなかった時の“ツケ”を払わされてるのが今の若い世代なんだよ」
「と、言いますと?」
「箸の持ち方はな、現代社会の最前線にいる大人たち9割が従っていれば“環境が矯正”してくれるんだよ」
「箸の持ち方に限ったことじゃなく、常識とかマナー全般にいえることだがな。それを守ってる奴らが多くいれば、大抵の奴らは自分も守らなければって意識する」
「なるほど、行動の規範を形作る。それが“環境の矯正”ですか。逆に言えば、ルールを守らない人間が多くいれば、守ろうとする人間も減ると」
「なのに、箸の持ち方を気にするなだの指摘するべきではないだの。そうやって表面的に意識だけ変えようとしても、ふさわしい持ち方自体は変わらんわけよ」
「まあ、そうですね。その、“ふさわしさ”を求められる場面ってのも依然ありますし」
「だから箸は正しく持てるに越したことはないんだよ。なのに、やらなくてもいいって環境を蔓延させて、結局は必要だから授業でみっちり教えるハメになってる」
「ちゃんと持てた方がいいって思わせる環境が出来ていれば、わざわざ授業で教えなくてもよかった、と。だから今の若い世代は“ツケ”を払わされてるってわけですね」
「しかも、しっかり指導されてこなかった世代が、今は指導する立場になってるわけだから、その“ツケ”は利子つきだぜ」
話の発端になった俺がいうのもなんだが、箸一つでよくここまで話を広げられるなと感心する。
「つまり、アレだ。オレがタバコを喫煙所でしか吸わない、というか吸えないというべきかもしれんが、それも“環境の矯正”があるからだよな」
「健康被害っていう大義名分があるだけで、マナーって枠組みで見たら同じだって。それを嫌に思う奴がいるから、矯正するための環境ができんだろ」
「私も煙は吸いますが、さすがにそれは強弁が過ぎませんか」
「分煙を徹底して、周りに迷惑をかけていない喫煙者だって周りには忌避されるだろ。箸をちゃんと持ててないやつだって周りには迷惑をかけてないが、同じくらい忌避されて然るべきじゃないか」
まあ、タケモトさんの場合、箸の持ち方がどうというより、嫌煙家が憎いだけなんだろうけど。
でも、この“ツケ”という視点は、割かし的を射ているような気もした。
子どもが走るのは未成熟な心臓の負担を減らすとかいうデマが7万いいねされててなんだかなあって思ったので。
https://twitter.com/mamepina/status/1376467518584352770?s=20
さすがに医療界隈も黙ってられないのか結構反論がどしどし、新潟大学小児科みたいな公式アカウントからもしっかり反論しているというね。
https://twitter.com/Niigata_u_ped/status/1377110778730274823?s=20
とはいえ目立ってわかりやすくなるよう画像付きで頑張って解説してる新潟大学小児科のツイートでも1000いいね800リツイート程度なのでまあ元のデマを見た人のところに十分に拡散するか・・・・
最初はスピリチュアルとかオーガニックにかぶれてなんちゃって医療風記事書いてるやつかぁって程度に考えていたけど、本人のツイート見たら小児科医がなぜ起こっているのかさすがに理解できた。何故かというと
”運動が心臓に与える影響に関してはこちらの記事がエビデンス付きで私の説明よりずっと分かりやすいとかと…理学療法士が解説「第二の心臓」簡単ヨガトレ!「ふくらはぎは第二の心臓」の意味と鍛えるメリットは?”
と記事を引き合いにしてエビデンス有り!としているが、そもそも引用している記事には一切子供の話はなく、よくある「ふくらはぎは第二の心臓」という記事だ。正直この記事も1999年に行われた"110人の慢性心不全患者を対象として、長期間にわたって中等度の運動トレーニングを行うランダム化比較試験”を運動することは心疾患のリスクを減らすというエビデンス(科学的根拠)! と書いてて一応正しいんだろうけど若干情報古いしエビデンスとして十分信頼できるものなの?ってもやもやする。
とはいえ曲がりなりにもランダム化比較試験を引っ張ってきて単に 「ヨガやろうぜって」 書いてる記事を子供が走る理由とするのはいくら何でも雑過ぎるだろう。そのうえでこちらの記事が私の説明よりずっと分かりやすいとか言われてもはさすがに記事からしても迷惑でしかない。
ツイートに対してかなりの反論が展開されていて、これによる被害を指摘する声がちらほら。
まあこの記事に限らず医療デマを広めること自体害悪なのは今更だからどうしようもないが、デマを広める人が何故に謎知識を披露するのか本当にわからない。このツイートは中でも心臓とかいう命にダイレクトに通じている臓器に言及しており、健康被害が起これば結構な事態につながると想像できていない。専門家でもないのに他人の命に害を与える可能性がある情報をお得情報並みの軽さで発信しているという自覚がまったくない。こういうのに対して専門家以外は黙った方がいいのかとか無知の知とか言う人がいるが、信頼できる根拠のない知識はただのデマだろうと。
死に至るレベルでなくても明らかに害を与える情報を広めても何ら問題にならないというのはいくらなんでもいい加減にしてほしい。このコロナで本当に実感したが根拠のない「僕の考えた最強知識・治療・防御」を発信する人が多すぎて本当に疲れる。とはいえ軽いノリでデマを発信した人を袋叩きにしたりつるし上げるのはなんか違うし、いい解決法はないものか。