はてなキーワード: リアリズムとは
わたし、音楽好きなので音楽の例が多いけどMVの映像とかに多く見られるような
例えばこんなような
Oneohtrix Point Never - Problem Areas
https://www.youtube.com/watch?v=uvDzaQOSZ3E
Visible Cloaks, Yoshio Ojima & Satsuki Shibano - Stratum
https://www.youtube.com/watch?v=JRxDysnjlzs
アートって感じなんだろうけど、まあ理解をあんま必要としてない感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=Y5bk3VmBpIs
group_inou / JUDGE
昔、モヤモヤさまぁ~ずのデーマになってていいなと思ったけどMVめっちゃシュールだよね。
シュールって単語でシュールレアリスムって言葉を思い出したけど、リアリズムって感じは特に感じないんだよね。でも無意識から生まれるって近いかもしれない。でも最近感じるこれらは明らかにシュールレアリスムとは違う気がする。
映画で言うと
トム・フォードのノクターナル・アニマルズ。これは美術家のセレブの奥様に突然元彼から小説が届いて読み進めていくんだけど、それはとても胸糞の悪い話で...というような話なんだけど、ここの出来事や小説の内容には全然一貫性が一見なくて、かと思ったら少しつながっているような...最後までよくわからなかった映画なんだけど、なんか良いなって。
アーティストのマシュー・バーニーのDVDをいくつか持ってるんだけど、これもなにか意味がありそうでない感じ。もしくは深い意味があるが、見る側は理解しなくても良いと言われている感じ。口に布を縫い付けられた白い衣服を着た男が白い建物の中の吹き抜けになった階層をよじ登っていくと、様々なシュールな出来事が起こるやつ。わたしはなにをいってるんだ。
現代美術といわれるジャンルはコンテキストが複雑だから最悪わからなくても良いもの、みたいなのはある気がするんだけど、最近の世の表現物(わたしの見える範囲)はなにかこういう「意味がありそうで無いもの」みたいなものをテーマにしたものが増えてきた気がするんだ。あとわたしはこれらのどのジャンルの専門家でもないよ。好きなだけ。
結構こういうのって刹那的な感覚だったり大分後に思い出されたりしてまとめるのが大変なんだけどいまパッと浮かんだのはこれぐらい。
みんなの「そういうもの」あれば教えてほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/tikani-nemuru-m.hatenablog.com/entry/2019/05/13/003547
ヤクザだってハロウィンにはお菓子配ってくれるし、高い買い物をしたときには税金負けてくれるし
たまにみかじめ料を引き下げてくれることもあるんだよ。
民衆は、実権を握ったときにヤクザを追い出してくれなかったし、お菓子はくれたけど、高い買い物を
しても税金負けてくれなかったじゃないか。そんな民衆よりもリアリズムでたま~に甘い汁を垂らしくれる
ヤクザを支持するのが当たり前じゃないか!民衆もヤクザにお願いしろよ、もっと良い政治ができるように
ただの一側面としてだが平成になって変わったのが鬱病などの精神疾患に関する認知度だろう。うつ病になったら会社を休むのが普通でパニック障害などの精神疾患にも障がい者保険が適用されるようになった。いいことである。
精神疾患などのなにもかもたちゆかなくなる特殊な状態とは別に平成になって(というかここ最近)感じるようになったのが絶望したまま人といることが許されないような感じをうける。
特に社会人におけるコミュニケーションではそうだがポジティブでコミュニカティブで微笑を絶やさないで話すことを暗に強制しているような空気を感じるようになった。人間がゴロンとそのまま社会に存在することは許容されなくなっている。そんなロールプレイ的空気があるせいか無理してポジティブな人間であるとアピールするかのように取り繕っているように見える人もいる。
常に笑顔で聞き取りやすい声を発することがコミュニケーションをする条件のようになっていて普通に会話をすることがたまに難しいと感じる。普通に会話をすると「冷めた人間」のように見られるから自分も道化を演じる。本当は別に何も面白くもないのに笑ってみたりする。
定型文を駆使して会話を途切れさせないようにして別に興味もない話に無駄に多く相槌をうつ。正直言ってそのすべてがめんどくさい。もっと普通に話したい。でも普通に話すとコミュニケーション能力が低い人間のように見られる。
精神疾患は社会の病理だととらえられることがある。個人と社会の乖離がその個人の精神状態を疾患であると結論づけるとするなら社会が通常の状態から乖離しているかもしれないという視点もあってしかるべきである。
例えば人と食事するのが苦しいという会食恐怖症がいい例である。普通、他人がたくさんいる状況で食事をとることは人間を動物として考えた場合には自然状態とは言えない。僕達が他人と食事を共にするのは「慣習」である。その慣習がいきすぎたり気づいてしまった時には通常の状態でその場所にいることが難しくなる。
鬱病などの適応の作法であるコミュニケーションにおいても同様のことがいえる。コミュニケーションの舞台が過剰なポジティブであふれ返っていれば普通の状態でその場にいることは「相対的」に絶望している状態である。その相対をいつのまにか内面化して自分が悪いと自覚して劣等感を生み高じれば鬱病となる。
抑うつリアリズム(鬱病の人間のほうが社会を正しく見ているという説)がどういう論理のうえにたっているか普通に笑顔で会話している僕達のほうが考えるべきだろう。平成は社会から絶望を隔離した。鬱病という名のもとに。それは社会が過剰なポジティブに支配されている証左でもあるだろう。
作品を通してプリキュア視聴者の子供が出産の苦しみや祝福を感じとり、そのことで親に自分の話を聞いたりして親子の会話が膨らむ、そういうリアリズムもある。
親子の会話のきっかけって程度だったら別にリアリズムなんか全く要らないので…
感動狙いのものもあれば、妊娠出産の過程を「リアル」に教育する為の本も、いくらでもあるし。
絵本を読み聞かせたりもしないような家庭だったら、必要かもしれないけど
そんな家庭ならテレビに子守させてるだけで親は見てないんじゃない?
きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力だよなと改めて思う。 pic.twitter.com/YO2kVt6PYh— シュナムル (@chounamoul) September 8, 2018
誰かの人権を侵害する芸術はあってはならないけど、誰かを不快にさせる芸術はあって良い。例えばディクスの絵なんか陰鬱なリアリズムに見るたびうんざりするけど、そういう不快な芸術はこの社会の醜悪さを知らせるために必要ですらある。人権侵害と快不快とを混同する粗雑な論はダメ絶対。 pic.twitter.com/KFLlidmIfc— シュナムル (@chounamoul) November 28, 2018
「自民に勝とうだなんてー、めっ!だよ♡」
「兄の国への礼儀を教えてあげよう」
ごめなさい ごめんなさい
なんてのは もうごめんだ
いきなりきた 正念場 誰もアベを止めんな
ここで雑魚はぶっ潰す
破り捨てた9条
俺のヘイトはお前の脳に
直で届くリアリズム
見た目だけのリベラリスト
潰す まるで関東軍
はぁ? 笑わせんな
ここじゃKPOP未満
常に腹はくくる それがDead or live
何を偉そうに語っているペラペラ(Fu Fu)
(Fu Fu Fu Fu Fu)
いくら書いても売れない本と
増えるだけのペンダコ
(ん〜) なるほど (ふむふむ) 一理ある
できれば一緒にプロジェクト
なんて無理 「嘘ですよ」
足元も見えなきゃ躓くばかり
いつでも軍事力が正解じゃない
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
決着つける 今日の勝者を決める
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
南京事件はは こどもだましの戯れごと
望むはこころがわりを
黙っていればいい気になる
バカなら一気に 黙らせるその口チャック
さらに縫い合わせてく
えーやだー 過半数って どうせならば
中共みたいにかっこよくて
強い奴じゃないと不満です
いくらお口チャックしても
すぐに開くビリビリー
BTS どちらも響かせるよ どうかな?
「人の過去のことを何度も持ち出すんじゃねー」
これでどうだ いい加減 俺らこそが進化系
楽しくなっちゃう
ほらしちゃいなってギブギブ
そしたら 僕ら有田さんのとこに
すぐに行く行く
俺ら左翼 見せる絆
あーうるさいうるさい
黙れ 御託ばっか並べて
どんな辛い過去もヒックリ 返すだけだろ
それができる仲間たちと組んだ
この歴史戦
プロパガンダばかり
耳にに入り込んだやつらには
国のために 出す力で
それを歌い 握る拡声器
(靖国!)
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
決着つける 今日の勝者を決める
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
うーむ、まぁそうなるか。
何というか同意なんだけど、なんか割り切れなさが残る(そこで共産主義だ!とかは言わないよ)。
愛すべき人たちとの生活のために、愛していない人から搾取をするゲームみたいな気がしているのだが、そのゲーム参加時の搾取メンタリティ&競争疲弊が愛すべき人たちとの生活にも影響し、質をとても落とすのではないか?というのがスーパー虚無ポイントだ。
ナイーブが過ぎるのは自覚してるんだけど、競争時は無慈悲に搾取し、家に帰ったら愛しまくる、とか可能なのだろうか?
ここまでヘイト扱いされてる小川杉田両氏の件について疑問を述べるとすぐ右認定されるけどみんなあれちゃんと読んだ上で批判してるの?
言葉遣いがかなり稚拙だったってだけで差別を肯定もしていないしLGBTを排除しろなんて書いてないぞ。小川氏が誤読っつってたけど主張を誤読されたのに憤ってるのはけっこう同情するものがある。あれは「差別的」であって「差別」ではないから差別主義者認定されたらそりゃ人間なら怒るのが当然だよ。
痴漢が云々はあれは書き手の代替表現における「ミス」であって論旨は政治的と社会的と私的領域を分けて議論しようといった内容だったぞ。あれはLGBTのことを語っているようで実際的には語っていない文章だった。ようするに議論が深まったろう系の文章だったわけだ。
まぁ杉田氏のあれは制度設計を考える政治家としては最低で公共の理念に反する内容だったわけだがあれも彼女なりの間違った「リアリズム」なんだろう。けっこう典型的な低次の現実感というか区別的というかまあなんにしろ褒められたものではないが。
そんなことよりこれらの記事の反応がもう絶対におまえらあれ読んでないだろって内容ばかりでなんつうかそういう文章を読まないでイデオロギー的に反射で批判する空気のほうが大問題のように見えてしまったよ。新潮45はいい試金石だった。文章を読まない人が批判するその直列乾電池みたいな逡巡のない反応はやばいと思うよ。こういう立場の人にはこうこうこういう反応をするみたいなプログラム的に何かをいうその世界のほうこそを警戒するよ。
だってあれ1万部も出てないんでしょ。ニュースになってから買おうとしても買えなかったし。メインの購読者は老齢の保守層でネット民であれをニュース前から知っていたとなるとかなり少ないはず。自分はネットの反応が気持ち悪いと思って図書館で読んでみたけどそこまでしてる人もなかなかいないでしょ。
ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
今回はハイスクール・フリート(はいふり)を視聴した。視聴後の満足感は高く、その理由は登場人物がみんなかわいいし、手に汗握るアクションにドキドキしたしまあ最高なんだよ。
このアニメでは海保と海自の養成機関を異世界にぶっ飛ばしたような高校で美少女たちが艦艇にのって航海実習するお話。艦砲や魚雷、爆雷をバンバン打ちまくって、潜水艦や大型艦艇を沈めたり、タービンのお守りしながら最大戦速で相手の攻撃を回避しながら大海原を駆け巡ったりで、そーいうのが好きな人にはテンションMAXになるわけです。ソマリア海賊もビックリの戦艦への潜入作戦を敢行したり、まあ細かいことは気にしちゃイケないんだよ。
このアニメの特徴は「徹底したリアリズムの排除」だ。ツッコミどころは多いが、突っ込んだら負けなのだ。少女たちが水鉄砲感覚で艦砲や魚雷をバシバシ撃って沈めていく快感と美少女の可愛さが合わさって、細けえこたあいいんだよ! と叫びながら拍手を送りたい傑作だ。
一点だけ、リアルな描写がある。機関長はたいていちょっと変なヤツ。
水密区画を閉鎖するために仲間を内部に残したまま泣く泣く扉をロックするとか、
沈みゆく艦艇で総員退去を命じた艦長が自室にもどり船と運命を共にするとか、
そういうアニメも見たい気もするが、女の子がかわいくてバンバン撃ち合いしてれば、それは満足というものでしょう?
あ、ちなみに、自分が一番かわいいと思ったのは艦橋にいる褐色の娘ね。
このアニメは2016年のアニメだったんだ。2016年は僕だけがいない街、終末のイゼッタ、くまみこなどほんとに面白いアニメの多い年だったんだなあ。
結論から言うと、夢も希望どころか要望ですら出すとダメ出しを食らうほど心が無い。
こうなったらいいなー、こういうのあればいいなー、ここがこうならなぁ…というこの程度の考えですら、
徹底的に潰してくるリアリズムの塊ばかりだという現状。
上記のような考えを浮かべただけで、一言目には必ず否定の言葉「無理」と言ってくる。
夢や希望を持つ事、それを言葉にすることすら許されないというのは、もはや異常を通り越して病気だ。
それほどまでに現実に絶望して悲観するようなことがあったのか知らないが、他人の希望などは否定する必要性がないわけなのに
この手の人たちは、とにかく否定、必ず否定、絶対否定をしなければ済まない。
「そんな生き方、疲れない?」
こういったリアリズムでしかモノを考えられない、否定しかできない人が子どもたちの考えまで潰してしまう。
自分自身をリアリズムで構成するのは構わないが、他人にまでそのリアリズムを押し付けたり、それで否定するのは良くない。
手がかりは「やわらかいトゲ」「今ごろ…痛い」であり、ウチワサボテンの一種と推定される。「金烏帽子」「白桃扇」などだろうか。ウチワサボテンには柔らかく短いトゲがたくさん付いているものがあり、触れるとそれが刺さりっぱなしになってしまい、ふとした時に痛みを感じる。
私はそれを知らずに素手で植え替えをしてしまい、夜中チクチクと痛みに悩まされることとなった。ホームセンターなどで広く販売されているので、触れる際には気をつけるべきだ。不意に軽く触ってしまっただけでもトゲが刺さっている場合がある。
手がかりは「君がそだてたサボテンは小さな花をつくった 春はもうすぐそこまで」「この長い冬が終わるまでに」と冬に花を咲かせる品種であるのが明示されていること。と言うわけで、シャコバサボテン(ジャコバサボテン。間違えていた。コメントより。ありがとう。以降は修正済み)である。サボテンと名は付いているけれどトゲはなきに等しく、多肉植物や観葉植物と言ったほうがピンとくるかもしれない。広く販売されている。冬に花を咲かせるサボテンはこれ以外に知らない。
冬に花を咲かせる多肉植物としてはリトープスやコノフィツムなどのメセン類があるが、これをサボテンと誤認していたとは考え難いので、やはりシャコバサボテンが正解だろう。
(追記)冬に咲くサボテンとして「マミラリア類」があるとブコメで指摘頂いた。ありがとう。確かにこちらの方がイメージに近い。
手がかりが「サボテンに花が咲いたとか 小さな幸せ 数えるんだ」という部分しかなく、判別不能。「小さな幸せ」であることから、花が咲きにくい品種でないことはわかる。花が咲きにくい品種だったら大きな幸せだからだ。
「灼熱の太陽と 風が乾ききった砂漠の ど真ん中で叫ぶサボテン トゲを持ち夢の花を守れ」という部分から推察するに、砂漠にそびえ立つ大型の柱サボテンであると推測される。
手元ある『サボテン・多肉植物ポケット事典』(NHK出版)によれば、該当しそうな品種としては「武倫柱」「大鳳竜」「亀甲柱」「ネオブクスバウミア・マクロケファラ」などがある。ちなみにタイトルの「覇王樹」は品種名ではなく、サボテン自体の別名。
「僕はサボテン 見かけよりはすごくやさしいよ」という部分しか手がかりがなく、特定困難。「見かけよりは」と言っているということは、「金鯱」のようなトゲの激しい品種であると推定される。
「トゲトゲが伸びてつらくなってきて」とあることから、トゲの長い品種であろう。そして「歩く」とタイトルにあって擬人化されているということは、縦に長い柱サボテンであることが推測される。前掲書によればそれに該当しそうなのは「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたりだろうか。
歌詞に「トゲ」とあるので、トゲのないサボテンではない(つまり「兜」「ランポー」「老楽」などではない)ことはわかるけど、それ以上は手がかりが少なくてわからない。
■『レッツゴー!サボテン』サボ
歌詞に「砂漠」「トゲ」とあるので、砂漠に自生するサボテンであり(つまり「シャコバサボテン」ではない)、トゲのないサボテンではない(上のももクロの曲参照)というところまでしかわからない。
(追記)サボさんを見た。全体的な形状とトゲの長さ・少なさから判断するに、これは「墨こけし」で間違いない(https://greensnap.jp/post/311512)。特定した。
(追々記)墨こけしは3年くらい育てているけど花は見たことないなぁ。
歌詞中の「あなた」が何らかのサボテンをプレゼントしてくれた以上のことはわからない。(追記)たまに園芸店でハート型のサボテンが売られているが、それかもしれない。
「さむいのはにがてなんです」と歌い出しにあるが、サボテンは意外と寒さに強い。私は北関東に住んでいるが、育てているサボテンは冬でも外に出しっぱなしにしてある。但し、寒さに弱い品種があるのも確かである。幾つかは冬に枯らしてしまった。従って、ここで歌われているサボテンは寒さに弱いタイプの種類であると推測される。おそらくたくさんあるので特定は困難を極める。
■『サボテン』VIXX
「棘の先に華やかに咲く花」と歌詞にあることから、サボテンではなく多肉植物ユーフォルビアの一種であると推測される。具体的には「紅彩閣」あたりだろうか。
トゲのようなものを持つ多肉植物が幾つか存在するが、サボテンとの見分け方は「トゲの根元に綿みたいなものが付いているのがサボテン」と言われている。ユーフォルビアの「紅彩閣」にはトゲみたいなものはあるものの、綿みたいなものはないから多肉植物である。
で、その「トゲみたいなもの」は実はトゲではなくて「花座」と呼ばれるもので、季節になるとその先端に黄色い花を咲かせる。一方、サボテンのトゲは葉っぱが変化してできたものであり、棘の先に花を咲かせることは私の知る限りない。サボテン本体から蕾が出てきて花が咲く。
―追記―
「サボテンが赤い花を付けた」ことから赤い花を咲かせる品種であることはわかるものの、赤い花を咲かせるサボテンは結構たくさんあるので特定は困難を極める。今日、育てている「ランポー」が鮮やかな黄色い花を咲かせたので、ランポーではない。
歌詞中の手がかりが少なくて判別できない。「緑」というキーワードがあるので「(白い)ランポー」「老楽」「月世界」あたりではないと思う。
(追記)PV見た。ぷっくりとした美しい形だった。知る限りあの形に一番近いのはユーフォルビアの「大正キリン」かと思うが、断定はできない。
■『孤独のRunaway』B'z
「サボテンが街を笑い」とあるので街を笑うことのできるサボテンであることは確かだが、街を笑うことのできるサボテンは寡聞なので誠に遺憾だが判別できない。
あまりにも唐突な台詞であり、リアリズムと言うよりはメタファーであると思われ、品種を特定するための手がかりが少なすぎるので特定には困難を極める。(追記)画像を見るにこれ(https://www.iris-gardening.com/leaf/33_01.asp)に似ている。ただ、名前がわからない。わかったら書く。わかる人いたら教えてください。
―追記2―
「変な形してるのに 可愛い花咲く」が手がかりとなると思われるが、サボテンは厳しい環境を生き抜くために殆どが変な形にデザインされているし、変な形から比べると殆どが可愛い花を咲かせるので一般的な情報を越えない。
また「力一杯 握ってごらんよ」の部分からトゲがそんなに鋭利ではない種類であると推測される。鋭利なものだったら「力一杯」握ったらスプラッターと化すからである。これ以上のことはわからないものの、敢えてあげれば「金烏帽子」などのウチワサボテンあたりが妥当かと思われる。
■『仙人掌哀歌(サボテンエレジー)』二階堂衝(CV:織田優成)
ヒントが少なくて品種の特定は困難である。「仙人掌」とはサボテンの異名。
ちなみに、歌詞中に「仙人掌はただ見つめてた 君の勇姿とあふれる夢を」とあるが『植物はそこまで知っている』(ダニエル・チャモヴィッツ、河出文庫)によれば「植物は、あなたが近づいてくるのを知っている。あなたがそばに立って、見下ろしているのを知っている。青いシャツを着ているか、赤いシャツを着ているかも知っている」とある。つまり単なる擬人化ではなく「仙人掌」は少なくとも「君の勇姿」はきちんと見ていた(モニタリングしていた)と考えられる。
「ここにサボテンを植えよう 花が千年に一度咲く」とあるけれど、千年に一度花を咲かせるサボテンは寡聞である。サボテンではないが、たまにニュースで見かける「スマトラオオコンニャク」は「7年に一度2日間」しか花を咲かせないらしい。
また、これもサボテンではないが、砂漠で千年以上も生き続ける植物としては「奇想天外」がある。2つの葉っぱが延々と伸び続けるだけという奇特な植物で、成長は遅く、「種子が発芽してから種子をつけるまでに、25年ほどもかかる」との情報がある。これをサボテンと誤認した可能性がなくはない。
歌詞に「紺碧の仙人掌」と出てくる。「サンタマリア」とはポルトガル語で「聖母マリア」のこと。「紺碧」とは「やや黒みがかった青」とのこと。
「やや黒みがかった青」っぽい色のサボテンには例えば「豹頭」などがある。また、サボテンではないが多肉植物として黒っぽいものには「黒法師」がある。いずれにしても特定は難しそうだ。
―追記3―
「棘」「砂漠」というキーワードがあることから、上に挙げたようにトゲのない品種ではなく、「シャコバサボテン(湿度が高めの森林地帯に自生する)」でもないことはわかる。自己防衛のメタファーとして「棘」と表現されているらしいので「金鯱」のような棘の鋭いものをイメージして書かれていると想像される。「金鯱」は丸く成長するので(つまり柱サボテンではない)、歌詞中に描かれる主人公が落胆してうずくまっているような様子とも合致するし、かなり大きく成長するので擬人化も容易そうだ。
「荒んだサボテンは 世界を敵に回すほど トゲを伸ばしたんだ 喉が渇いてSOS」なので、砂漠に生えてトゲの長い種類であることはわかる。柱サボテンであれば『歩くサボテン』(奥田民生)のところで挙げた「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたり、丸いサボテンなら「金鯱」あたりがイメージに近そう。「金鯱」の汎用性の高さ。
歌詞が見当たらないので全く見当がつかないが、汎用性の高さからすると「金鯱」あたりが妥当かと思われる。
クライマックスで「サボテン持って」といきなりサボテンが登場する。サボテンを持ってどこかに出かけるつもりのようだから、携帯に容易な品種であることは確実で、間違っても直径30cmの「金鯱」でないことはわかる。
「サボテンの花さいてる 砂と岩の西部」とあり、曲はアメリカのフォークソングであるようなので、アリゾナ州あたりに自生する何らかのサボテンであると思う。
生産現場の高度化について。
この古典的議論は、クラーク・カー著「インダストリアリズム」(川田 寿 (翻訳) 東洋経済新報社 1963)に見ることが出来るらしい。
下記のような論である。
産業の発達により職業の専門分化が進み、技術者やホワイトカラー職を中心に高学歴者の雇用が増えた。
生産現場(ブルーカラー職と言って良いだろうか?)でもオートメーションの導入により、仕事の責任水準が上昇し、労働者に対しても高度の認知的能力が必要になっていると指摘された。
このような論である。
まさか、「刺身にタンポポを乗せる仕事」のギャグを本気にしている人はほぼいないだろうが、しかし、単純労働のイメージから未だに脱却されない職業分野というのは存在するように思う。
例えば製造業である。何故か分からないが、人のイメージは当てにならない事は分かる。
※余談だが一言言っておくと、工場というのは職種では無くて、職場でしかない。
では今後はどうなるのか?