少し思い出したことなどがあるので。特にためになる内容はないです。
私は1976年生まれの32歳だから、1980年代前半くらいに物心がついてだんだんと世界を理解していくようになっていった。
そのころ、私が理解した当時の世界は「核の時代」だったと思う。もちろん、それが全てではないのだが。
当時は今よりもNHKなどでは原爆の特集を頻繁やっていたし、広島・長崎の悲惨な写真などもよく見させられた。
また、「世界の終末時計」というもの印象に残っている。世界の終わり(核戦争の勃発)である0時まであと残り何分、という
その時計では、世界の終わりまであと5分くらいまでのところまで来ていた。
そこで、あらまし次のような観念が幼年私の一時期、頭に存在していた(書いていて現在の自分は大袈裟な感じがするが)。
「私および家族、その他世界は生き延びる余地なく死ぬ。その死に方は広島・長崎の悲惨な写真や「はだしのゲン」で描写されたようなものである。
そしてそれは、今日、明日もしくは近日起こる」
民間のジェット機が低空飛行した時の轟音がそういう映像を強烈に呼び起こす一時期が私にあった。
現在の観点からみれば、1980年代はソ連にアメリカがチキンレースを仕掛け、軍事費の増大に耐えかねたUSSRが没落していく時代だったんだよ、ということでFAなのだろう。
また、当時からそのような考えを持った知識人は確実に存在していただろう。しかし、私はそれを知らなかった。
ノストラダムスの大預言なぞ、今では「と」ネタにすらならないだろうが、疑念を覚えつつもどこか真に受けているバカな小学生くらいの私がいたことは事実であった。
1999年に何歳になるのか数えたりした。
とはいえ、そんな観念といつまでも同居できるものではないから、いつしかそんなことは忘れた。
現在ではその感覚はかろうじて思い出せるくらいのものでしかないが。
さて、こういう経験をした人間が長じてどのような人なるのか知れるというものだ。
「あんたの死の危機がそこまできているよ」と煽られると不安になって、その発言者の思惑で動いてしまうバカ=私」
そして、
「日常が続くならすべてがそれでよい私」
である。
ネットであまり30代の人のこういう記憶について聞いたことがないような気がするので、書いてみた。気がするだけか…
※「世界の終末時計」はリアルに何分後に世界がなくなります、というものではもちろんなく、危機の度合いを象徴的に表現したものです。
くわしくはwikiを見てください。
タメ年増田です。 ノストラダムスを間に受けてる人は、結構いたよね。俺は斜に構えてたけど。 あとソ連云々は、もう物心ついて、ある程度ニュースの言ってることも分かる様になった...