はてなキーワード: テレビ番組とは
結局自分が何をしたいのかわかってない連中が虚像を追い求めたなれの果てってやつじゃないのかね。
anond:20210222121211 はさ、トラブル対処能力は高かったんだろうけれど、自分の意思ってものがなかったんだろうなって思う。
anond:20210222021908 はさ、自分の軸がないから夫の為に降格なんてずれたことを言っている。
「俺たち有利なことをずっとやってきて、好きなことやったことないですもん」的なことをNEETが言っていたテレビ番組をみたけど、この高収入増田はまさにそれかなって思った。結局、結果を自分で引き受けないといけないわけなんだけど、どうしたい?
で、二人で料理しておしゃべりしながら猫動画の増田はさ、その辺の軸がぶれてなくて、夫婦ともその軸だからうまくいくのかなって思う。
...と書きながらお金があるから幸せってわけでもないよねとふと思った。
昔見ていたDIY系のブログで、転職して収入が上がったらDIY系の楽しいブログからだんだんと趣味のDIYの時間が取れず、仕事でやつれていくブログに変わった人がいたけど、その人にとっては少ない予算と豊富な時間でDIYしてたほうが幸せだったのかなって思う。
ぼくのマンガ紹介見てると
冷えたビールに枝豆におでんをありがたがる異世界人ってのが俺には感動ポルノにみえてね…
ぼく、「世界で評価された日本文化」みたいなのはそんなに嫌いじゃないんだけども、「異世界に現代の日本文化持っていったらすっごく評価された」っていうのは大嫌いなんですよ…
なんか、フィクションとしても底が浅いし、料理を扱うマンガとしても知識が狭い。
だからさぁ…読んで何になるのかな?
逆に「世界で評価される日本」系はそこに歴史的社会的な背景があるから
「これ世界では当たり前じゃないのね」
「そういう事があったのね」
みたいなのがあるけど、異世界にありふれた日本文化持っていって俺すげーはさ…よっぽど、現地の文化的背景描かないとキモいぞ。
描いてない人多いけどね
昼飯の流儀もぼくはあんまり好きじゃないけど…これはテレビが苦手な人と同じ文法なのかな…と思う。
先日あるテレビ番組がいくつかのハラスメントを扱い、その内容がネットでも話題になった。
それについて様々な反応が見られたが、そもそも「告白」という言葉の認識が人々の間でちゃんと共通しているのか私は気になった。
当たり前ではあるが、その認識にずれがあると無意識のうちに「告白ハラスメント」しかねない。
そこでタイトルの通り、恋愛における「告白」という行為のもつ様々な意味を考えることにした。
(ここで考える「告白」はセットで交際の申し込みがあるものとする。また論点がぶれるため、ここでは「交際」の意味については言及しないこととする。)
恋愛における「告白」の意味は、簡潔に述べるなら「自身の行為を意中の相手に伝えること」といったところか。
さすがにこれに異を唱える人はいないだろう。
今回取り上げる側面は、以下の2つである。
何当たり前のことを言ってるんだ、と突っ込まれそうだが恋愛における「告白」という文化が一般的な現代日本では重要なことだと私は考える。
このメリットは、告白された者が相手の好意を知った上で自身の気持ちを伝えることができる点である。
「あの人は私のことをどう思っているのだろう」とやきもきした経験は多くの人々にあるが、その葛藤がなくなることで晴れて交際が開始できるのだ。
さらに両想いなのに交際が遅れるまたは始まらないという悲劇を回避できる。
片思いであった場合、「そのままの関係でいよう」とどちらかが言ったとてきれいさっぱり意識しないのはほぼ不可能だろう。
どれだけ好意を寄せているようでも、告白していない段階ならばその好意を胸に秘めたままなかったことにできるが、告白したら後戻りはできない。
両者の関係が近ければ近いほど修復は難しく、学校や職場仲間や同性同士などの関係なら大変であるのは間違いない。
まず、序盤で述べた「告白ハラスメント」はこれに該当するだろう。
自己満足な「当たって砕けろ」なんて言葉はあるが、それは告白した者の当たり方が弱いこととされた者がきれいに砕けることが前提である。
告白した者の当たり方が強い例としては、目上の人が下の人に告白する場合、告白の内容が重かったり回数が多かったりする場合がある。
された者がきれいに砕ける例としては、目下の人が上の人に告白する場合、元の関係が希薄な場合、された者からした者への心遣いが良くも悪くもない場合がある。
これらのような条件が満たされないと、「告白ハラスメント」になりかねない。
また、周囲の人々が告白があったことを知っているとややこしい影響が出てくる。
「付き合えばいいのに」「ふられて可哀そう」と勝手な意見を出す野次馬的な人が出たり、告白した者に好意をもつ人が逆恨みしたりする(これの究極が不倫)。
他にも様々な影響はあるだろうが、ポジティブなものはほぼないと思う。
これら2つの側面を考えると、「告白」がいかに厄介なものかわかる。
だからこそ、「告白」をする者には事前にある程度状況を理解する義務があると言っていいだろう。
「告白」は基本的に一発逆転を狙う行為ではなく、両者の気持ちを確認する行為である。
確かに世の中に「○○ハラスメント」という言葉が増えて面倒に思うかもしれない。
しかし、「告白ハラスメント」という言葉を知って単純に批判的な考えを持った人の中に、相手のことを考えられない人がいないことを私は望む。
こちらへの投稿は初めてで、また自分は作文が得意ではなく、ただの(夢女子の)戯言といえばそうかもしれない。でも「王様の耳はロバの耳」の如く、吐き出して心を整理しなければ心が死んでしまうところだったので許してほしい。
自分はとある刀剣のゲームが好きなアラサーである。ゲームそのものは元々ブラウザのものであるが、自分のゲーム歴はスマホ版が出てしばらくしてから始めたので4年半くらいだろうか。始めたきっかけは同じ県出身で好きなイラストレーターがキャラクターデザインをしていたことだった。ただし当時は期間限定登場キャラクターだったため、始めた頃にはそのイベントは終了していて、それを知って崩れ落ちたのだが。
さて今年はゲーム開始6周年、そのゲームの存在は6年前の当時はちらっと知っていた程度ではあった。でもどうしても擬人化というのに対しては色物だからと苦手意識があった。テレビで刀の展示が特集されて「会いに来たよ〜」とか言って映っている女子も苦手だった。だがこの辺りは同族嫌悪なのかもしれない。自分も元々漫画などが好きなオタクで、マスコットやキーホルダーなど好きなものを鞄や携帯にジャラジャラ付けたい収集癖のあるオタクではあったのだが、人型イラストのないイメージグッズならともかく、ひと目でわかるキャラクターが描かれたグッズには抵抗があった。
そんな折、まだゲームも始めていない頃、地元の本屋で刀の雑誌を見かけた。キャラクターが全面に押し出されたものではなく、有名な刀剣を扱った図鑑だった。今引っ張り出したらゲーム実装刀の名前が表紙にズラっと書いてあるし、発行年月日も2015年6月とあったからゲーム開始直後に出た本といえばそうなんでしょう、審神者(ゲームプレーヤーの総称)を狙ったといえばそうかもしれない。その本で、運命の出会いがあった。
でもピンナップとして取り上げられるくらい、綺麗な刀だった。
自分の生まれ月が名前に入る、名の響きも姿も、美しい刀だった。
また刀工も同じ県だというのもあって、気にならないわけがなかった。
1番美しいと評判なのは別の刀だけど、刀に興味を持つきっかけになったのは間違いなくこの刀だった。
自分は、趣味の合う友人達とTwitterのグループDMでひたすらに騒いでいた。キャラクターのデザインもまぁ悪くは無いなと思っていた。ひたすらやかましかったので申し訳なかったとは思う。
でも後にキャラクター紹介の文面を見てびっくりした。別の方がはてなブログに書いてらしたように「なぜそんな内容をピックアップした!?」とは思った。自分がリアルにそのお刀と対面できたのは1、2年ほど前のたった1回、現在収蔵の美術館がある県の外に住んでいる関係もあって自分はろくに美術館周回もできてないので、その投稿者の方ほど熱狂的かというとそうでもないかもしれない。でも同じ美術館にある別の刀との回想など楽しみにしていたのもあって、実装後すぐには無かったので残念ではあった。そのあたり今後あったらええなとは思っている。
さてそのお刀であるが、つい先日、ミュージカル出演というのが明らかになった。ゲームで最近登場した、同じ刀工で別のお刀の姿もお披露目された。
周りがキャーキャー騒ぐ中、自分はというと……本当は、来ないでほしかった。
このようなゲーム発のミュージカルや舞台はいわゆる2.5次元と言われ、最近ではTVにも出てくるようになって発展が目覚ましいといえる。こうしたものから名前が知られてテレビ番組にも出てくる俳優の方も増えつつあると思う。間違いなく見目も整ってるし、こうした俳優さんの活躍は嬉しい。
ミュージカルの方は先日5周年を迎え、記念のミュージカルが上演された。このコロナ禍の中、運営側も感染対策をしっかりして、またライブビューイングや配信など、ファンに向けたサービスをよくやってくださった。ただ残念なことに現地では、今回はいつもある客降りがなく、また来場者も声出しができずにペンライトを振ったり拍手のみだった。きっと皆さんもっと騒ぎたかったことだろう、愛を叫びたかったことだろう。
━━ただ申し訳ないのだが、おかげで自分は今回、安心して配信を視聴できたのである。
書き方が悪く、性格悪いなという自覚はあるが、自分は客降りでのファンサービスやファンの歓声が苦手だ。観劇の上で、自分以外の存在があるのが苦手なのかもしれない。ライブビューイングや映画における応援上映なども行けず楽しめない、強火な同担拒否勢なのである。まぁひょっとしたら騒ぐのや人の目があるのが苦手と言うだけかもしれない、でもアーティストのライブは平気だったりするので本当になんなんだ自分、メンヘラなのか。
……まぁ刀剣絡みではないのだが、リアルでは自分の推し(ただのシスコンなので申し訳ない)である妹が「実家に彼氏を連れていく」とか言っていたのもあるので、正直荒れている。自分に浮いた話もない癖に年齢が年齢だけあって焦っているのかもしれない。ただ自分は、信頼していた既婚者大学OBと一緒に出かけたタイミングで突然キスされたのが原因で人間不信と男性恐怖症になったので、もう普通の恋愛はできないとは思っている。ごめんね、家族。ほんまはちゃんと自分の子に自分の愛すべきお刀を代々伝えてってほしいと思っていたが、結婚もできなさそうでまして子供なんてと思うので、自分が死んだら妹の家に相続してもらうとしようか。多分あっちの家の方が家柄もしっかりするだろうし、美術系好きな血筋ではあるから、しっかり守ってくれるさ。とりあえず自分が今後障害になりそうだったら、姿消すなりして迷惑かけないようにしようと思う。ま、生きてる限りはしっかり守り刀してもらうつもりですが。
もう行け、僕は少し泣く。
……話が逸れてしまった。救いといえば、どの作品でも「とある本丸」と明記していてくれることだろうか。よそはよそ、うちはうち。ましてただのゲームといえばそうなのだ、ただのフィクションなのだ。ならば自分の役目は、フィクションはフィクションなりに、その物語ごと愛すことだろうか。自分は周りと同じように楽しめないかもしれないけれど、今後ますますの発展、お祈りいたします。
通勤中イヤホンでランダム再生で近侍曲を聴いていることも多いのだが、同じ美術館所蔵の短刀の曲が流れると、やっぱりあの刀を思い出す。
長文乱文失礼しました。
ン年前、会社員のころうつ病で休職したら精神病院に連れていかれてテスト(WAIS-Ⅲ)受けさせられた。結果自閉症と診断された。
少なくとも自分が高校時代(2007.4~2010.3)のころから親や周囲の人から自閉症だなんだと周囲から言われ続けてきた。
しかし自分が自閉症だとは到底思えない。エビデンスも知能検査だけである。
3時間程度の知能検査を受けただけで自閉症認定され劣った人間の枠に入れられることは、正直憤懣やるかたない。
自閉症向けの支援施設に何度か無理やり連行されたこともあるが、はっきり言って自尊心がへし折られて泣きたくなった。
自分は五体満足であり、成育歴をみても「自閉症だよね」というエピソードには乏しい。
自分はアスペだということは周りには隠している。そんなことを周囲に吹聴しても何の得にもならないからだ。
たまに診断書が必要となってもらってくるのだが、診断書に踊る「自閉症」の3文字を見るたびに陰鬱な気分になる。
多分誤診で本当は自閉症ではないとは思いたい…
一方SNS(特にTwitter)を覗くと「私は自閉症です」みたいに自称している人を大勢見かける。何が目的なのかはわからない。
自閉症というのは負の属性であり、少なくとも差異化ゲームの道具やブランディングツールではない。
自閉症はコミュニケーションの問題が生じやすい(と一般的には言われている)ことから、特にSNSのようなコミュニケーションツールでは忌避される属性のはずである。
自閉症の症状を個性だと歪曲する人も散見されるが、障害を個性というのはおためごかし以外の何物でもない。
自閉症で成功した人も中にはいる。そういうのは自閉症だから成功したのではなく、それ以外の特技があったから成功したのである。
「日本人の○○さんはすごい、だから日本人の自分もすごい」と何ら変わらない論法だ。
ほかにもいろいろあるけどまあこんな感じ
2週間ぐらい更に抜いても大丈夫だと思う
むずかしー☆って演技してくれる役者さんを選んで、なんかのテレビ番組みたいにバンバン机叩いて
2週間ぐらいでおっさんに頼めばいい
コロナだけのせいではないと思うが、地震でもめっちゃびびるような母なので、毎日じんわり継続的に続くストレスが要因の一つだと思う。
あと、認知症で寝たきりになった祖母(101)が胃ろうを断った後も点滴だけで2年目の延命に突入したというのも関係があると思う。(担当医師の経験上、点滴での生存は平均1年と言っていた)
見舞いに行けない、もう会えないまま一人で亡くなるだろうという精神的苦痛のせいもあるだろうが、この件に関してはそれだけではない。
祖母のボケて行った過程と、母のそれが似ている事に私は気付いていた。
母は今年68になる。
その発端を詳しくは覚えていないが、あれは私が退職して夜中起きている事が多くなった頃の事だったと思うので、3~4年前の事だと思う。寝言が半端じゃなくなった。
スマホで録音して聞かせ笑い話にしていたが、多分原因は子供が無職で家にいるストレスだとよく言っていたので、その通りだなとも思っていた。
祖母の場合は同居している従姉妹がお金を盗んだと言い始め、夜間譫妄が酷くなって毎晩階下から大声で呼びつけられ寝ていられなくなった伯父夫婦が施設入居を手配した。
母もいつかそうなるだろうと私は予感していた。65になったくらいから耳が遠くなってきた事もあり、若干話が噛み合わない事も増えた。
鼻が利かなくなってきていて(本人曰く鼻炎のせい)料理の味付けもやや安定しない事もあり、寝言が酷い点とも一致するので、もしかするとレビー小体型認知症の初期では?と自覚を促し認知症に詳しそうな病院も調べたが、老体に鞭打ちながらも家事を問題なくこなし、現役パートで働いている自負もありまだ通院する気にはなれないらしい。
なのでいつの日にか、どんな風に決定的に認知症の症状が現れるのか、私はよく身構えて想像していた。
家に帰る道が分からなくなるのか
財布を失くしまくるのか等々
しかしまさかこんなに時代に即したボケ方をかましてくるとは想像できなかった。
結論から言うと高知東生さんが嵌まりかけたやつにどっぷり嵌まっている。
母がスマホに変えたのは3年前くらいだと思う。ユーチューブとかSNSの何が面白いのかさっぱり分からんと言い、2年と半年の間は換気扇の下でメビウスをふかしながらのナンプレ専用機と化していたのだが、このコロナで暇&テレビ番組クソ化からの愛の不時着からのヒョンビンをYouTubeで検索からの嫌韓動画おすすめ表示からの米大統領選陰謀論フィーバーというコンボが華麗に決まってしまった。
最近また最高に面白いユーチューバーをリコメンド動画から見つけたらしく、その教えに従って近い将来中国から物が入って来なくなるのに備え、この週末は食糧備蓄のための買い出しに行くそうだ。
私や父などはまだ覚醒(まま)していないので、何を言っても信じられないだろうが、バイデン大統領はフェイスマスクを被った偽物。就任演説はイタリアで1日早く放送されていたので録画映像。ファッキンヒラリーの身長が昔と全然違うぜフーアーユー?
なんとか法というのを作って税金改革をしようとしたためケネディ大統領は消された。しかし暗殺されたはずの息子?が実は◯×州で保護され生きており、不正選挙に立ち向かうトランプ大統領を影で応援していた。
などなど。
大紀元エポック社?とか百田尚樹さん界隈のユーチューバーを毎日最高にエキサイティングだと言って聞いている。スマホの画面は小さいのでほぼ見てはいない。コメントにいいねの数が3桁ついた事があるらしい。
こんなにすごい事が起きてるのに日本のマスゴミは一切放送しない。麻耶ちゃんもバイデンをディスる様な事を言っただけですぐ下ろされた。テレビ局も新聞社も中国人が牛耳っているので嘘ばかり流している。CIAもFBIもくそオブくそ。ダークステイトに買収されている奴らは共産主義が嫌ではないのか。中国が佐渡島に学校を作ったらしい。◯◯大学もいつの間にか中国資本が入っていてやばい。中国人に北海道の土地が買い漁られている。
真実を知らない人達は可哀想。この大統領選挙は歴史的大事件であり絶対に映画化すると思う。小さな事からコツコツと!トラさんがんばれ!(まま)
つらい。
起き抜けにNHKしか見てないから不正選挙の事を何も知らないと笑われた父はぶちギレて1ヶ月くらい口を聞かなかった。
母は家族も信じてくれなくて辛い。的な事も言っていたが、陰謀論者が信じてもらえない理由の一つに。周りを無知だと見下している精神性があると思う。
他者より一歩も二歩も先見の明がある自分像というものが無料の動画で永久に提供され続けている。
今思うと母は自分の『人をみる目』という第六感にかなりの自信を持っていた。
多目的事件の数年前から某グルメ王の目の奥が嘘臭くて嫌いと言い続けていた。
特殊詐欺被害者でいう『自分は絶対に騙されないと思っている一番騙しやすいタイプ』の傾向があった。
それに小出恵介は好きだと言っていた。
私はターミネーター2のジョンコナーになった様な気分の日々を過ごしている。
母はテレビをほぼ見なくなったので、話題が大統領もしくは中共(界隈で言う中国共産党のことらしい)しかない。夕飯の献立の話を話していても、そういえば……で、絶対に大統領の話になった。
例え数年後日本が共産化している未来を知っているとしても、家庭でその悲惨な未来の話ばかり繰り返し聞かされる家族はたまったものではない。未成年だったら確実にグレている。
そういえば私が高校生の時、家のポストにイカした宗教画のぶっ飛んだ教えの冊子がポスティングされていたので、そういうの(ムーとか)が好きな友達に見せようと思って学校に持っていったら大変喜ばれたが、その場に居た一人が不自然に席を立った。別の友達の目配せで察したが、どうやら両親がその宗教の信者だった様だ。
その友人は当時から成績優秀で今では先生と呼ばれ、wikipediaで近況を確認できるまでになっている。
私も一時同じ様な人生を望んだが、手に入らなかった。スタート地点は同じだった気もするが、なにせ家で集中して取り組む時間が少なすぎた……と、突然回想するに至ったのは、母がこうなってから、まあ家での学習が捗る。驚くほど集中できるのだ。何か、怒りとか悲しみみたいなものが私を没頭させてくれる。
思えば私は不思議なことに、十年以上かかるにしろ望んだものは運よくその切れ端くらいはなんとか手に入れてきたのだった。
『その友人の様な人生』は手に入らなかったが、もしかするとこれからそうなるのかも知れない。母のこの認知症もある意味想像し、望んだものだったのだろうか。
だとしたら引き寄せの法則という本がおすすめなのでぜひ読んでみて欲しい。
望んで手に入らないものはないのだ。
私がハイヤーセルフから得た知識を公開してるライフミッションについてのYouTube動画のリンクも張りたいが、そういう場所ではないので割愛する。
確かに昔の2ch(vipとか)にオナ禁耐久スレがあったことは間違いないが、別に性欲に対する嫌悪が原因でそういうブームが生まれたわけじゃない。
そういうスレってな、「オナ禁を続けると女性からモテる!」とかアホみたいなことがテンプレに書いてあったんだぞ。
本当に性欲が嫌いで消し去りたいんなら、そんな荒唐無稽な効能なんか喧伝するわけねえだろバーーーーカ。
あれは性欲の苦痛だ嫌悪だみたいな話じゃなくて、要するに「性欲の存在を認め肯定した上で、それを何日我慢できるか」という挑戦や競争のムーブメントだった……というのが、たぶん一番正確な説明だ。
それこそホモソーシャルゆえの気持ち悪い悪乗りやイキリの一種ではあっても、「苦痛から逃れたい」みたいなのとはもう全ッッッッッ然別の話なの。
というかオナ禁スレより前のテレビ番組で「断食」や「不眠」と並んで「禁H」耐久ってクソしょうもねえ企画があったんだけど、あの当時ネット民がやってたのはそのパクリのようなものでしかなかったわけ。
ネットにしてもバラエティにしても、てめえが期待してるような思想とはこれっぽっちも関係ねえの!
おわかりいただけましたか?
「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。
けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。
この本の主人公あかりは、推しに出会った時の私そのものだった。
部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。
けれど、幾ら推しを推している時間が楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。
気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイトは自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。
けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。
「折角、良い高校に入ったのに。」
気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。
推しに出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分はダメな人間なんだろう、と自分で自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。
推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会の歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。
苦しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議なもので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。
結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)
こんなにも自分は怠惰で堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分に出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分が詐欺師にでもなったかのような気分だった。
未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。
大学生になった。
詐欺師から普通の人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。
推し、燃ゆ。
こうなっていたかもしれない私の、話。
私の推しは今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。
ほとんど聞かなくなって数年は経つだろう。
むしろyoutube、Instagram、tiktokなどビジュアル先行型の
SNSが覇権を握ってるせいで特に若者にルッキズムは横溢してる。
不細工から脱却した男女のロールモデルが盛んに喧伝された煽りで、
もうKKOとか藻女とか自嘲してる余裕は無くなるよ。
テレビ番組とかSNSとかで。素直に、秘匿や拒否しなけりゃいいだけなのに。
あれだけ台湾や中国とかの施策を絶賛していたってことは、罰則化することのほうが効果的だって言ってたようなものじゃん。
多分、海外の成功事例のように新型コロナは抑えろ、しかしその事例のような罰則や私権制限はするな、ってことなんだろうけれど、割と無茶な気がする。
この記事で↓
弟の指パッチンとか爪がスマホの画面に当たる音とか口笛とか歌とか異常に気に障る
自分が変なことは自覚してるから言わないけどイライラしてて日常では常にイヤホンしてる
夜も耳栓したいんだけどアラーム聞こえなくなると困るし1日耳栓してると耳痛くなるから流石に外してる
なんでいらつくんだろう
hpsじゃないかって言われて特徴とか探してみたんだけど、その中に「人の気持ちを察知しすぎて同情、共感してしまう」というのがあった
ふと思い当たったのがタイトルで、テレビ番組で「シマウマは無事にチーターから逃れられました!」みたいな動物動画があるけど、自分はあれが見れない。