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はてなキーワード: アウティングとは

2021-10-20

anond:20211017231447

アメリカではかつて黒人白人スペースに入ることを禁じる法律存在したし、差別的法律があれば差別にならないなんてことはないっすわ。

べつに日本トランスジェンダー戸籍に則したトイレを利用しなきゃいけない法律があるわけではないけど(あったらとりわけ問題なのはパスしてるトランスアウティングが生じることと、パスしてるトランス男性なら通報される事態も生じること)。

2021-09-18

anond:20210917223549

その漫画ちょっとしか読んでないし、トランス当事者でもないので、ずれたコメントかもしれんが。

これってこの「春日さん」がいわゆるトランス女性だったなら、ルッキズム負担を感じずナチュラルに生きていられる事も「野本さん」がそれに惚れる事にも説得力が出来ちゃうんだけど。

トランス女性にとって容姿って、アウティング引き起こしアイデンティティ生活を脅かしたりする切実な問題なんじゃないの?

2021-09-07

anond:20210907230746

お辛かったですね。周りに広めた人に流石に気遣いがなかったと思いますアウティングの重大さが分かってない人なんでしょう。隠れてる身としてはい迷惑ですよね。

2021-09-05

ホモアウティングについて、いちヘテロセクシャルからレポート

「うん、ゲイなんだ。そうか。そう、じゃあ、俺のアナルとか、興味あったりするのね?」

「はぁ?、お前とヤるぐらいなら、死を選ぶわ!

なんなの、ホモって。女の腐ったようなものじゃないか

2021-09-02

anond:20210902192718

twitterアカ見つけて同僚に知らせるのやめようよ、って同僚に言っといて。言いたい気持ちは分かるけど、超えてはいけない一線というものがある。一種アウティングに近い。

2021-08-15

「あの人は女性らしい人だ」と言うのはセクハラ

分解して考える。

1.そもそも女性らしさ」という言葉は使ってよいか

A.よいはずである

なぜならば、トランスジェンダーの方々にとって、「〇性らしさ」は自己同一性の一部となっている。

ジェンダーレスという文脈で「らしさ」という言葉排除しようと考える向きがいるが、それは違う。

「〇性らしさ」を押し付けるのが悪であって、「〇性らしさ」が存在することは悪ではない。

「〇性らしさ」が悪であるならば、「〇性らしさ」を根拠自身性別判断することができなくなってしまう。

しかしそれをしたいと考えている人がいて、それを認めようという世の中である

故に、「女性らしさ」という言葉のもの有害とするのは現時点では間違っている。

2.人に「女性らしい人」と判断してよいか

A.不明

1.の通り、「〇性らしさ」を否定するのは間違っている。

しかし、その定義は非常に曖昧である

女性らしい人とは?男性らしい人とは?という定義聖書に書かれているわけではない(たぶん。書いてあったらごめんなさい)。

まり「〇性らしさ」とは存在するが、これと規定することができないものになっている。現実として。

その上に立って考えると、その人が「〇性らしい」という状態存在するはずだが、しかしそれを確定的に規定することはできない。そのため判断はできない。

自分の中の「〇性らしさ」と照らし合わせるしかなく、それが正しいことなのか誰も分からない。

この問題は、「私は女性だ」という人に対して「いや君は男性だ」「無性だ」という議論が出る余地示唆している。そしてそれは実際に起きている。

3.第三者を「女性らしい人」だと感じたことを表明してよいか

A.ナシ寄りかと思う。セクハラ判断する人間いるかもしれない。

2.で述べた通り、その人が「〇性らしさ」を持つかどうかは個別認識により解釈余地が出てくる。

そのため、自身認識とほかの人間認識は違う可能性があり、それはいくらアップデートしようが統一できるものではない。(それが多様性でもある)

しかし1.で述べた通り、「〇性らしさ」というのは存在する。少なくとも現代では存在するとコンセンサス形成をしないと少なくともTQの自認を否定することになる。それは望むことではない。

ではなぜ「ナシ」「寄り」かというと、2つ観点がある。

1つ目は「アウティング」と「カミングアウトである

その人が「カミングアウト」するのは構わない。それは公開範囲意識することになる。

しか他人が「アウティング」をすることは認められない。本人の意識する公開範囲を逸脱するからである

そのため、他人の予想を本人の意図しない範囲勝手議論されるのも「ナシ」であろうと思われる。

2つ目は「扱い」に関する部分である

ある人物に対して、どうしても〇性として扱わなければならない場面が出てくる。

それは銭湯に行くときであり、スポーツをするときであり、つまり性差意識しなければならない場面である

また、その人が〇性として「扱われたい」という願いを持っている可能性もある。

例えば重いものを持って、と言われて傷つく人もいるかもしれないのである。(この問題は複雑で、言った側が性役割を基に言っているのか言われた側が性役割を過度に意識してしまうのかということがある。基本的相手を悪意を持っていると見ようと思えば多くの場合見ることができるので、ここはそもそも人間他者とのかかわり・受忍限度社会個人など属性関係なくすべての人間が考えるべき問題である。ここで「私女なんだけど」「女だからなに?」みたいなケンカになった場合にどちらが悪なのか?という話だ。まあどちらが悪というのがそもそもナンセンスで、他罰的にならず原理主義にならずそれこそ人の考えを尊重する態度が互いに必要だろう。禁句を言ったから悪いやつだ!という考えは不毛に思う。)

まり自身の性を意識してもらいたいという人がいる可能性があって、それを正しく扱うなら集団の中でコンセンサスを取っておく必要はあるわけである

その場合、どうしても「あの人は〇性らしいから」という言い方がでてくる。これは相手を慮った上でである。そのうえでセクハラだと判断される危険性も考慮する必要がある。これは個別認識に基づいて対応を変える必要がある。

そういう事情も鑑み、ナシでなくナシ「寄り」と表現した。(ナシみたいなリンゴ、「きおう」の話ではないhttps://www.ooyufarm.com/c/kiou

結びとして

こういったことを考えて話をしていくことになるが、実際のところ認知負荷が高く、5名を超えるグループでその考慮をしようというならそれはもう人知を超えているかと思う。

(いやもっと多くてもできるよと思っている人は、実際は相手支配した気になっている可能性もあるので、努々注意されたし。もちろんできる人はいるだろう。)

例外として、教師と生徒のような割と一方的な「管理関係」が成り立つなら、もう少し人数は増やせるだろう。しかしそれでも40人は多すぎる)

世の中が良くなっていくに際して、「これこそ正義、これこそ悪」という規定は難しい。

やはり隣人を大切にすべきであって、ネット上で属性間の断絶と憎悪を膨らませるのはほどほどにしないといけないと、私は思うのである

2021-06-19

anond:20210619091928

うそう、その通り。

普通の男はホモ告白されたら、困惑するし、怒りに震えて周囲に相談するのが人として当然の反応。

それをアウティングかいって法規制するのはおかしいよね。

anond:20210619063749

同じ恋愛土俵に立ったというなら、ここにこうしてアウティングしてるのはルール違反で責められるのはお前

淡々と断ればいいだけ

それで不利益被ったなら当局通報

2021-06-03

うるさいLGBT活動家異性愛者になれば良い。

 別にLGBでいることが悪い訳じゃない。先天的だろうし。ただ、大半の人と違う道を選べば人生大変なんだよ。それを覚悟の上で他人迷惑かけなけりゃなんの問題もなし。

 だが、最近LGBT活動家の「我々の意見を認めろ、異論は許さん」の圧は異常だ。たとえば、会社利益効率を上げようと思ったら個別配慮がなくてOKな人の方を、そりゃ採用したいでしょ。

 発達障害だろうと精神疾患だろうと、障害者枠じゃ正社員と同じ給料を貰えないの。先天的だろうがね。ブサイクハゲからって特別手当は出ないの。頭悪くても特別手当は出ないの、知能なんて半分は遺伝なのに。ジェンダー以外にも世の中は公平じゃない。

 だから発達障害薬とか育毛剤とか整形とかで、多数派迎合するようなアプローチ模索してるじゃん。まだ完全ではないけど。でもLGBは、そういう方向からアプローチ放棄しちゃったんだよ。おそらく活動家ロビー活動で。だからWHOがLGBはいかなる場合でも精神疾患じゃないと表明した。

 まあ、=疾患ではないし、自分が気に入らないからと迫害ダメだ。しかし、異性愛者になる方法模索放棄する必要はなかった。ここが他のマイノリティと違う点だ。30年もあれば今なら、何かしらアプローチ法が分かったかもしれないのに。

 だから立場が宙ぶらりになった。他人から差別より、絶対に叶わない恋をする、子供を残せない自分存在意義について自問自答、親に孫を見せられない、みんなと好きな異性の話して馬鹿騒ぎしたかった、の方がよほど辛いと思う。近年は物質的豊かで平和な世だったからいろんな生き方が認められてたけど、これから中国ドンパチや産めよ増やせよ時代になったら、いつまでも相手変えてフラフラしてたら周りから白い目で見られるし、本人も何やってんだ俺となるだろう。

 特に今となっては、活動家野党迎合しちゃって話がこじれてる。これらフラストレーション溜まって、活動家差別差別だと、差別禁止法案を作ろうとしている。それがさらなる分断に繋がりかねないのに。LGBT理解増進法の差別禁止規定についても、どういう場合差別定義するか活動家提案すればいいのに言わない。認めろのゴリ押し政治的意図があるんだろう。LGBT当事者から疑問視してる声が多いのに、それは無視。今となっては本当に当事者を救おうとしてるのか?人権ビジネスだよね。

 マスコミにもみんな不信感を持ってる。一橋大学事件しろ求愛された方もアプローチが強烈で困った果てのアウティングらしいのに、一方的に告られた方を悪者扱い。何年も昔のLGBTは虐げられてるというデータを流して、LGBT被害者と印象付けようとする。今ではYoutubeでLGカップルが動画上げてるよ?悩みの種が少しズレているのに、虐げられ像だけをクローズアップ差別禁止法案をそこまでして通したいのだろうか?

 実際に差別するのはダメでも、他人気持ち悪いという内的な感情までは変えられない。それは相手権利侵害。内的差別詭弁だ。生理的に無理な相手から性の対象と思われたら、モーションかけられたら一定距離を置きたくなるって、そりゃ。女性には生理的に無理な男性っているじゃん。

 それが気に食わないなら、みんなと群れられないことが悲しいなら、うるさい活動家異性愛者になればいい。そういった研究を進めるべきだよ。今までの転向療法に根拠がなかったのがいけない。しっかり基礎研究に取り組めば良い。初めから子供作る選択肢ないのは悲しいと思うしな。

 繰り返すが、LGBであることを悪く言ってない。人と違う人生は大変なことも多い。でも、都合よく個性被害者像を使い分け、野党と結託してノイジーマイノリティになるのはやめろと言っている。

2021-05-21

anond:20210521185131

仮にゲイだとしてそれはそれで問題になっているアウティングじゃないの?

2021-05-10

anond:20210510212718

アウティングは(守秘義務を果たせないヤツが悪いだけの犯罪からここに混ぜるのは)いかんでしょ

anond:20210510185103

誰にも話してほしくないような繊細なことだったらそもそも鍵垢であろうとツイートするなと思うが今やそういう行為が「アウティング」と命名されて裁判にもなってることを思うとネットの発達により人の会話はますます息苦しいものになっていくな

2021-04-27

女性として会社勤務してるmtfだけど、側から見て偏見が終わってる。

職業は伏せるけど、まだ未手術。

会社では一部の人しか実情を知らない。

性別適合手術(性転換手術とも言われるけど、今はこの言い方が正しい)が金銭的にできなくてお金を貯めてる状況。未手術と言っても、ホルモン治療はしてるし、睾丸摘出はした。外見もほぼ女。何も言わなければ女としてしか扱われない。

どうせこんな落書き、まともな人は誰も見てないだろうけど、ここ2, 3年ほど未手術の性自認が女のトランスジェンダーが女湯に侵入するやら、女性専用スペースに特攻するだのと、mtfに対する偏見がひどい。こっちから言わせてみれば、未手術で女湯に侵入するやつなんかどう考えてもただの犯罪者じゃん、属性で語るなよとしか思わない。

トランスジェンダーが〜や性同一性(性自認)が女で身体的には男性が〜とか言う主語の大きい言葉は、これだから女性は〜と同じで差別再生産してるだけだしそれを自覚すべき。特に身体的に男性って何を指して言ってるの?性器のこと?染色体のこと?みたいな当事者を煽るような言葉を使わないで欲しい。

なんでftmが出てこない?っていう疑問もあるけど、ホルモンの不可逆効果が大きくて表層に出てきにくいだけ、つまり普通の男にしか見えないことがmtfに比べて多いから。

たまにTwitter拡散されてる銭湯に未手術の性自認女が〜と言う件は、TERF(トランス排除的ラディカルフミニスト)の扇動だし、海外では〜と語られるそのほとんどは日本では実現されないよ。

トイレ更衣室については、多少の配慮でどうにかなる場合も知らずに発言する人が多い。公衆浴場とは違って直接性器を視認できるわけでもない。未手術だとしても、ホルモン治療などで見た目もほぼ女性になって、女性として日常生活を送ってる人にとってそういった場所に入れないのは苦痛しかないし、自分の元の性別アウティングされる行為と等しい。男性用を使うたびに、怪訝な顔やジロジロ見られる苦痛自分身体性を再自覚しないといけないのは、本当につらい。

同一性(性自認)が女でも男の女装しか見えない人は残念ながら誰でもトイレを使うしかない。

それはまた別の方法解決すべきだし、今すぐに解決できない問題だよ。

ジェンダー理解があるふりをする人が多すぎる。わかってないなら、調べてからものを言って欲しいし、調べないならわかったふりをしないで欲しいし、むしろからない方がマシ。

あと、知り合いが元男と知ってたとしても絶対に他の人に言うな、その一言で1人の人生がめちゃくちゃになるって言っても嘘じゃない。

2021-04-13

anond:20110114142319

AとBが敵対していて、A側が論点をずらすと、B側もそれに釣られて先鋭化していくという話はよくあるけど、これもそういうパターンかなぁ。

冷静によく考えてみれば、「政治家に対する侮辱と、一般市民属性に対する侮辱は、全く同等には語れない」というのは当たり前のことのはずなんだけど。(「政治家に対する侮辱は全て許される」という話になると、犯罪予告アウティングなども許されることになってしまいそうで怖いので、そこは少し慎重になるとしても。)

しかしまあ、具体的な対象としては政治家個人を想定していたとしても、例えば「これだから女は」「これだから老人は」のような言葉遣いをすればそれは「属性に対する侮辱」の性質を帯びるわけで、そこを批判された時に「政治家に対する侮辱と~~」は言い訳にならない。そういう論点ずらしがまかり通ってきたツケなのかもな。(言葉遣い問題以外にも、同種の構造はたくさんある。)


まあ、そういうことをやってきた(やってる)人達は、これを読んでも「自分が同じことをやってる」とは気付かないんだろうけど。

2021-04-08

anond:20210408190823

Gでアウティングに耐えられず自殺した男の前でも同じことが言えるのん

2021-04-06

はてなって「掘られエモンのメスイキ豚」とかって言ってたよね

ホリエモン大島薫によって同性愛ネコってことがアウティングされたとき、「掘られエモンのメスイキ豚」

とか言って喜んでたよね。

これも常識アップデートされたってヤツなのかな?

2021-04-03

anond:20210403212816

セクシーであるからといってポルノ扱いされていいわけではないからね。夜は家で恋人セックスするからと言って、昼に外で恋人と手を繋いで歩くくらい許されていいように、あの程度のセクシーさは普通に表に出てきてもいいものだろう。

まあその辺の当事者感覚というのは、「アウティングが許されない」ことと、「カミングアウトされたら受け入れよう」というのが両立するのと同じ話よな。

2021-03-31

シリアスな笑いが許容されてきた時代終焉と作者のお気持ち時代の到来

BL同人ネタにされて同人作者からお気持ちされて話題になりましたね。

これは晒しだ、クローズドセンシティブである同人ネタにしたのだから問題なのだというふうになっていますが、これはただたんに作者にとって不快、要するにネタとして扱ってほしくないという単純明快な話だと思います

現在だと男性から見てセクシー女性に対してセクシーだよねというのはご法度ですし、頭が薄い人に対して面と向かってハゲというのもご法度です。アウティングご法度相手気持ちを踏みにじる行為は今後さら自分自身を痛めつける行為となってしまうでしょう。

そして今回の話題で新しい問題提起になりそうだなと私が思っているのは、「作者にとって不快であることが今後どんどん発信されていき、バクマン面白い漫画の特徴の一つとして挙げられていたシリアスな笑いが終わりへと近づいていくだろうということです。


読者にとってネタとして面白く、それをネタとして公に発信してしまった場合、そのネタが作者にとって解釈違いだった場合にそれが問題となりうる時代が来ているのでは?ということです。

少年漫画を例として挙げましたが、実際のところBLでも男性用の成人向けでも18禁漫画シリアスな笑い内包している作品が多いです。

大体の漫画がまぐわうことを軸としているので、展開が強引になりやすくそこがネタとして読者は受け取ってしまうことが多くなってしまます

クリムゾン先生作品がビクビクしまくっているだとか、そこをネタにしてこれ面白いわwとかYouTubeTwitterで言ってしまった場合、作者がそこを面白いとか言ってほしくないというお気持ちを表明したらもうそこをネタにすることは公の場合不可能になる時代が来ることが予想されます

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同人作者のTwitterではお金も入らないしというものもありましたが、果たして今回の問題お金解決できる問題なのでしょうか?

私はすべてお気持ちになると思っています。そして、今後二次創作はすべて作者のお気持ち次第になるのでは?と思っています


二次創作の作者ではなく、二次創作元の作者のお気持ちが今後表明される時代が来る。そして作者が許容している場合のみ二次創作お金を取ることが可能となる未来が来ると予想しています

二次創作されてしまっている側の作者のお気持ちが一番になり、いわば自分作品なのに作者には何にも還元されなく、ある意味転売されている今の二次創作システムが終りを迎えるということです。


私の作品エロ漫画を描かないでください、勝手ゲイにしないでください。

そういった作者のお気持ちを表明されてしまったとしたら今の同人業界はどうなるのでしょうか。

作者の気持ちを踏みにじってまでお気持ちを表明し、二次創作を行う人も出てくるかもしれませんね。

2021-03-28

警視庁組織ぐるみLGBT者のアウティングを行ってる件

 東京都台東区にある民営LGBT者の集いの場周辺で、ここを訪れるLGBT者に対し警察官執拗職務質問を繰り返しています

 職務質問をする相手は決まって女装者で、素の男性、この世界で言うところの純男は全く声をかけられません。


 その職務質問のやり方も異様で、女装者の実名生年月日住所を確認し、それ以降女装者の実名フルネームを大声で繰り返し呼びながら、「山田太郎さんはここによく来られるの?」「山田太郎さんは今日電車で来たの?」「山田太郎さんは〇〇(憩いの場の店名)に何しに来たの?」などと、付近を通りすがる人や近隣住宅まで響き渡るように職務質問を続けます

 これは非常に性質の悪いアウティングではないかと私は思います

 女性の格好をしているこの人物は実は男性フルネーム山田太郎と言うんですよ!と、警察官が周辺にいる人々に言いふらしている状況だからです。

 私はこの憩いの場にたまに行く程度でこういった事情に疎かったのですが、先日目の前を歩く女装者さんが警察官に呼び止められて、上記したような職務質問をされているのをこの目で見て、それで初めて知りました。

 私はその時は純男としてその憩いの場に行くつもりですぐそばを歩いている時にその様子を目にし、その女装者さんが心配になって20か30メートルほど離れた物陰で様子を見ていたのですが、そこでも警察官質問内容がはっきり聞き取れるくらい、異様に大きな声でした。

 ちなみにその女装者さんは職務質問を終えたあと、方向を変えて違う方へ行かれ、憩いの場でお見かけする事はありませんでした。帰られたのかもしれません。

 それで憩いの場で同好の皆さん達にこの経験を話した所、このような異様な職務質問がここ1年くらい、複数警察官によってずっと続けられているのだと、初めて知ったというわけです。

 皆さん非常に憤っているものの、かといって事を荒立ててLGBTである事や女装をする事を親族や周囲に知られるような事態にするわけにもいかず、泣き寝入りされています

 ここ1年くらいという事ですから、もしかたらこの憩いの場が東京五輪に向けた浄化作戦みたいなものの矛先を向けられているのかもしれませんが、だとしても、いくらなんでもあんな人の心を踏みつけにするようなやり方で排除しようとするのはあんまりです。

 森喜朗氏の事や電通の人の事などでただでさえ人権後進国ぶりが世界に広まりつつあるのに、警視庁問題意識を持つべきではないでしょうか。

 非常に読みにくい文章で失礼しました。

2021-03-23

アウティング禁止

性指向暴露禁止条例を可決、三重 | ロイター

罰則はないとのこと。

だがどうにもモヤモヤしたものを感じてしまう。

条例目的を「性の多様性を認め合う社会の実現」

これが実現したら、そもそもカミングアウトアウティングも何ら問題なくなるからあくまで過渡期の施策ってことだよね。

でも

性的指向性自認第三者暴露する「アウティング」と、カミングアウト強制禁止する

これって第一から限定カミングアウトを受けた『第二者』のことを基本的に気に留めてないよね。どういう意図自分カミングアウトを受けたのか、自分一人の心にしまい込むしかない。

結果として限定的なカミングアウトしづらくなり、性的少数者は自らの指向を隠しがちになる。世間性的少数者存在ますます認知出来なくなるし、偏見という溝も埋まらないままの悪循環

どうするのがいいんだろうな。乱暴意見かも知れないが、性的少数者にはバンバンカミングアウトしてもらって、存在を半ば強引にに社会根付かせるくらいしか思い浮かばない。

自らの性的指向を『隠す』のと社会に『受け入れられる』のって食い合わせがすごく悪い…、というか基本的真逆なこととしか思えない。

こういう問題マイノリティマジョリティ側に来るか(基本的性的指向は開けっ広げなものとして扱う)、マジョリティマイノリティ側に行くか(基本的性的指向は秘匿的なものとして扱う)、だと思うんだけど、社会としてはどちらを目指すんだろうか。

anond:20210323143807

アウティングという概念は明らかにおかしいよね。

秘密にしてほしいなら、お前が黙っとけよ・・・みたいな。

2021-03-16

anond:20210316090623

まあセクシュアルマイノリティ的な議論LGBT方面で散々行われてきた通りよね。

カミングアウトしたら受け入れる」ことと、「勝手アウティングしない」ことは両方大事

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-04

あの人はゲイアウティング、だめ、それに対し「あの不細工から好か

なんで?

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