はてなキーワード: アウティングとは
風呂については差別に反対している人でも竿有りで女湯に入れろと主張しているトランス女性ってほとんどいないだろう。トイレについては意見が割れてるようだが、批判が大きいのは性器または戸籍を条件にすることで、それはパスしているトランス女性にとってアウティングになるし、パスしているトランス男性はなおさら詰むし、手術するにしてもその前にその性別で生活できそうか確認することが困難になるから無理だと言われている。
あらゆる手を使って犯罪を行うようなヤバい奴なら、トランス女性を排除しようが犯罪を行うと思うけどな。まず女装する時点で手間がかかるし、普通は目立ちまくるので、犯罪を行うハードルは低くないし。パス度で通報されるならなおさら高いだろう。
実際レイプや痴漢が起こってると言うなら、トランス女性へのレイプや痴漢だっていくらでも起こっている。LGBTを調査したらレズビアンよりトランス女性の方が性被害者の割合が高かったなんて話もある(https://www.tokyo-np.co.jp/article/76934 被害内容の内訳はわからないが)ので、ジェンダーを抜きにセックス(女体)のみを性被害の受けやすさと結びつけることには疑問がある。
そして性被害を抜きにしても、トランス女性はいじめや差別に大変遭いやすいグループである。トランス女性だと知られる事自体に好奇の目どころではない悪意をぶつけられたり生活を破壊されたりするリスクがある(パス度を上げ埋没することが回避方法になっている)ことも考えるべきだ。
それは怖いし、怖いのは既に実害だよなあ。
それ言われた瞬間に辞めるって言えば話もできたかもしれないが、正しさの話が通じる人ではなさそう。雇われ店長にルールを変える権限は無いし。
スーパーって客層も幅広いし変な人に会いやすい。早く辞められますように。
それはさておき名札が本名じゃなくていいのは本当にそうだし、突き詰めれば戸籍上の名前と仕事の通名が同じである必要は無いよなと思っている。被りやすい名前だと単純に不便だし、出身のアウティングにもなるし、良いことが無い。入社するときに決めらる会社も増えてきたし、入社前に要望してルールを見直した話もたまに聞く。これから変わっていくと思う。
frothmouth アウティングになる可能性がある話題に、わざわざブクマして「アウティングに加担する」のってどうなの?人権意識どうなっているの?/という感想です。ホントはここにブクマするのも良くないだろうな…🤔
mutinomutimutinomuti 表現の自由戦士「あれはアウティングじゃない、ただの感想」(´・_・`)こう主張しているので
とりあえずアホ2名ここに記録残しておく
もともとそんな民度の低い質問はしてないし大変とも思ってないのだが・・・
ジェンダー平等をテーマに掲げる8日の「国際女性デー」。ジェンダーにまつわることばを出発点に、見過ごされがちな差別や格差について、3回に分けて考えた今回の連載。男性優位主義の実態を指摘した近著「マチズモを削り取れ」があるライター武田砂鉄さんに、テーマに合わせて寄稿いただいた。(連載記事は記事末尾のリンクから)
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「最近は何を言ってもいろいろ言われちゃうから大変だよ」という言い方をよく聞く。その言い方は、「あちこちで物を言うのが不自由になってきた」と展開していくのだが、「なぜ、これまでは何も言われなかったのか」という観点がすっぽり抜けていたりする。これまでもダメだったのかもしれないのだ。
武田砂鉄さん
武田砂鉄さん
本人の性のあり方について本人の同意なく第三者に暴露してしまうことを「アウティング」と呼ぶ。自死につながったケースさえあるのだが、こうした事柄についても、「それくらいのことで」との声がまだまだ向かう。
何でもかんでもセクハラになっちゃうんだからたまったもんじゃないよ、と吐き捨てる人は、どういうわけか、セクハラにならない限界点を知ろうとする。「髪切った?」はいいのかな、「このあと、彼氏とデート?」はいけないのかな、といった具合に。「相手がどういう気持ちになるか考えてみましょう」と、小学校で習ったようなメッセージを改めて送りたくなる。
これまで自由に使えていた言葉が制限されると、自分たちが不自由になったと感じる人がいる。ジェンダー平等が繰り返し叫ばれる社会の中で、とりわけ男性はそう感じる機会が多いはず。その時、真っ先に、「これは、これまでもダメだったやつではないか」と考えなければいけない。そう考えないと、なぜかギリギリを目指してしまう。ギリギリを目指して、これもダメですと言われると、不自由な世の中だと世の中のせいにする。
石原慎太郎は差別発言を繰り返した。女性に、外国人に、障害者に対して、とにかく繰り返した。なぜ繰り返したかといえば、それを、日本社会が、そしてメディアが、彼のキャラクターとして許容してしまったからだ。彼が亡くなると、彼の差別発言について聞かれた幻冬舎・見城徹社長が「世間的な調整や気遣い、忖度のできない人なんです」(2022年2月9日・朝日新聞デジタル)と述べていた。
ほら、こんなことを言うのだ。なかなか「世間」とは合わせられない人だし、「忖度」が苦手だったと。ここには、それを言われた人がどう感じたかという視点がまったくない。棘として体に刺さったままの人がたくさんいる。その人にとっては、言われた人が亡くなろうが、棘がとれるわけではない。むしろ、偉大な作家・政治家だったと大ざっぱに肯定されれば、棘は改めて体に刺さる。
昔からダメだったものが、今、ようやくダメだと認定されるようになってきたという考え方をしたい。「こんなことも言えなくなっちゃったのか」があちこちから聞こえる。そんなことは、昔から言うべきではなかったのだ。ギリギリを目指す人には冷淡に接していい。「それ、ダメですよ」と言う。モゴモゴ文句を言うかもしれないが、だってダメなのだ。勉強してから出直してこい。年長者だろうが、この対応で構わない。
ちがいます。
ERでもフレンズでもレズネタが出てきたし、ドラマでレズが出てくる時、圧倒的に多いのは「白人で美人タイプ」でしょ?
統計を取ったことはないけど、「レズのキスシーン」の方が何倍も「ゲイのキスシーン」より多いと思うんだよね、体感的に。
キラキラしたイケメンのゲイキャラは登場しても、性的に描かれるのは断然レズキャラ。
多様性の尊重じゃなくて、本当に単に「美人のレズが見たいだけ」なんだよ。
何せゴリゴリの保守で有名だったFOXのドラマでも、白人の美人レズネタは出てくる。
向こうの有名なネットミームに「gay moment」(gayは同性の意味でレズにもつかう)ってものがあって、それだけレズファンがいる(またはそれを狙った制作者のあざとい展開に「辟易としてる」)ってこと。
後からキャラクターの性的志向を無理やり変えて、それに何の意味があるのか?って。
創作物に同性愛者が出ることが大事〜って理屈なら、グレーなキャラに白黒つけろ(レズにしろ)って要求はそもそも「アウティング」の強要に繋がる考えじゃないの?って。
君たち、セクシュアリティを全然尊重してなくない?って、普通は疑問に思うでしょ。
あれも、実は「レズものが好き」なやつらにとって、エルサってキャラが「ビンビンにレズ妄想に合致した」ってだけの話なんよ。
マイノリティ当事者とかキャラ本人のセクシュアリティのことじゃなくて、自分たちが楽しむためにキャラをレズにしろ、という要求を「ポリコレぶって」無理強いしただけなんだよ。
こんな感じで、アメリカドラマにレズが多いのは先進的だからとか多様性なんかじゃなくて(それも多少あるにせよ)、あれは単なる性的嗜好でしかない。
製作費に出資する側も、そうすれば評価と売上の両方が得られるから、みんなそういう流れになってる。
資本主義は正直だよ。
未だに進化論を否定して「聖書は同性愛を禁止している」って叫ぶ奴が半分いる国だし、国民投票でトランプが大統領になる国だし、黒人への暴力が平然と行われてる国だし。
人権とか根っこの部分で、驚くくらい日本より遅れてることも多い国じゃん。
何でもかんでも「先進的」なわけじゃないんよ。
嗜好を満たしつつ「多様性を重んじてるフリ」ができるから、(美人の)レズは「ポリコレ業界」では重宝されてるわけ。
アメリカのゲームは先進的~とか言う人いるけど、「クィア系の女キャラ」はかっこよくて奇麗な(男からも女からも人気が出る)デザインが多いからね。
エンターテインメントなんだから、本来それが正しいことだと思うけど。
ネタバレになるけど、何を隠そうパーソンオブインタレストこそがそういう「美人のレズカップルネタ」で人気を稼いだ作品なんだよね。
今後、露骨に美人レズ二人の恋愛がピックアップされた話になってくよ。(黒人女警官は、さてどうなるでしょう?)
多様性じゃなくて、BL(の逆)みたいな「嗜好品としてのレズ」なのがよーーくわかると思う。
美人のレズが出たら視聴者としての自分は嬉しいけれど、少なくともこれをポリコレだとか先進的と呼ぶことには抵抗があるし、しなければいけないと思う。
なんの予備知識もなく鑑賞したがガッカリな内容だった。ただただ薄っぺらい。意味のない無駄カットが多すぎる。そして、やたらナレーションや説明が多い。NHK『ノーナレ』千本ノックしてほしい。
「狭いところに閉じ込められてカワイソウ」以上のメッセージをわたしは受け取れなかった。さらに、アフリカの精神障害者は野外に鎖で繋がれているだけなので開放的というエピソードは一体なんのために挿入されたのかも意味不明。
この映画にはたくさんの精神障害者の顔写真と名前が出てくるが、ご本人やご遺族の許可が取れているのだろうか? 遺族の上映許可なく「この人は精神障害者で私宅監置されていた」と映画にしたなら、これは大規模な公衆アウティングであり重大な人権侵害だ。
事実、一部の遺族から無許可および事実誤認について異議申し立てがあったそうだ。原監督は「公表したのは名前だけで苗字を含まないから特定不可能」だという。地方の部落では同姓も多いからお互い名前で呼び合うのが普通だ。都会の人には想像すらできないだろうけれど、そこには隣近所のプライバシーや匿名性のない濃密な社会が存在する。映像内で第三者の「帰りたくても帰れなかった」という表現(事実誤認)は、インタビュー形式であればその発言の責を逃れられるという意味でそのまま残したのか? (わたしは初見だが、このインタビュイーの発言を事実として受け取った)
こうした遺族の異議申し立てによって、文化庁の上映会が延期されたそうだが、かかる人権侵害の申し立てがあれば主催する上映会の一時差し止めが常道であろう。それを遺族からの「クレーム」問題と捉える姿勢は悪質。原監督が「国家権力による言論封殺」と述べた時にはズッコけた。
現代社会の精神障害者が置かれている立場や精神科医療問題、さらに法整備への問題提起とはならなかった。むしろ、歴史上の「沖縄カワイソウ」にフォーカスし、精神科入院病棟があった本土や台湾などを上位づけするのは、現代につながる精神科病棟の諸問題(例えば医療保護入院や社会的入院など)を正当化するに等しく大いに誤解を招く内容だった。
というタイトルだけで内容が要約されてしまったので、これで終わりでもいいのだが、せっかくなのでもう少し書いてみる。
ただ、当事者にとってのアウティング(=バラし)になるリスクを踏まえ、可能な限りボカして書くので予めご容赦を。
その人と最後に会ったのが20年も前なので、まさしく昔も昔の知り合い。
いわば出向先で知り合った仕事づきあいでしかないのだが、とにかく仕事熱心で、自分がこの会社を支えているんだという、自信と自負に溢れていた。
新婚ホヤホヤで、奥さんと「子供どうしようかー」みたいな話をしていたっけ。
その実力で以て、業界でも少なからず活躍するだろうなーと当時は思っていた。
それが自分の社会人生活も20年目ということからか、最近になって当時のことがふと気になり、あの人、今どこで活躍しているのかなーと思って、名前と画像でググってみた。
程なく見覚えのある顔が、きれいなメイクと手入れの行き届いたロン毛に、柔らかそうなゆったりしたカットソーとともにヒットした。
ついでに現在の音声も聴く機会があって、「あーそういうことなんだ」と把握。
もちろん女性というジェンダーで生きる手段も色々あるようで、つまり全員が全員、手術して戸籍を変えて…というわけではなく、実際某東大教授のような「女装男子」もいる。
ただどんな形であれ、男性から女性にジェンダーを変えた=トランスジェンダーなのはほぼ確実だと思う。
ちなみにトランスジェンダーとして生きるきっかけは、いわゆる「性別違和」というやつだそうで、これはもうシスジェンダーの人間には想像を絶するほど苦しいと聞く。
トランスとして生き方を変える前はもちろん、体に大変な負荷と社会適応の苦労の末、望みのジェンダーを手に入れた後でさえ、自殺する者が少なからずいるらしい。
いわゆる「その立場になってみないと絶対にわからないこと」だらけの世界であることは間違いない。
なので、ただのシス男性でしかない自分がなにか軽々しく言えた話じゃないのは百も承知だが、
「それもまた人生だよな」
と、この件については不思議と納得していたり。
普通の枠に当てはまらない人間は別にそんな珍しいことじゃないし、「自分は普通のはずなのに」とわけもわからず苦しむのと、
「普通ではない」ことに自覚的に苦しむのでは、たとえ同じように死にたくなる苦しみだとしても、恐らく後者のほうがQOLはマシだろうから。
それに、普通の人とは世界の見え方が違うことが、何かマイナスじゃないことをもたらす可能性もあると思うし。
どこで足がつくかわからないこともあり、かつ書き方一つで炎上しそうな話題だと思い、なかなかリアルでは話せなかったので、ここに書き置いていく。
https://anond.hatelabo.jp/20211215104424 の続き
前述の通り騒動は運営の火消しも仁藤氏の撤退も早かった。結局当事者たちはバックレてるだけだが、まあ結果オーライだ。温泉むすめ騒動は私にとって理想に近い場所に軟着陸した。
この度初めて温泉むすめの基本設定や各キャラのプロフィールを読み込んでいった。まあ相当にボロボロだ。日本神話や神社制度にほぼ知識がない人が作ったであろう神さま設定。師範学校が何をする場所か知らずに命名してるっぽい温泉むすめ師範学校。各温泉むすめのプロフィールも泉質などとリンクさせているのは玉造温泉とか嬉野温泉などほんの一部で、大概は観光ガイドから抜き書きしたような観光地情報で大喜利をやっているだけだった。素人の仕事かと思ったら、プロデューサーが温泉ソムリエだと知って二度びっくりした。もう少し真面目にやってほしい。
ただ、ゲームアプリでそこまで練られた設定を目にすることもないので、温泉むすめの設定が特別ひどいということはないだろう。さいわい温泉むすめは実際の温泉地との結びつきも強いし、温泉地からのフィードバックも貰ってプロフィールの補強がなされていけばいいと思う。
この温泉むすめプロジェクト紹介ページの中で、私が気になった、いやはっきり気に入らない文言がある。
温泉むすめの物語の概要を紹介する段落の後ろに加えられた。“なお、温泉とお酒は切っても切り離せない関係のため、年齢不詳である神様であればお酒は飲めるだろうとして神様の設定が考案されました。” という一文だ。神さま設定の前に酒が先にあった。
すぐ直前に、温泉むすめは“人間と同じように赤ん坊として産まれ、温泉の源泉のように地域の人たちに大事に守り、育ててもらいながら、人と同じように歳を取っていきます。” とある。全然年齢不詳じゃない。人に取り上げてもらって産まれ、全員誕生日も判明してる。だいたいお酒を飲んでもいいのは成人であって年齢不詳の少女じゃない。
温泉むすめは全員例外なくセーラー服を着ているので、イラストは明確に「セーラー服を着た女子学生」として発注されている。飲酒設定が先にあるのに何故そんな未成年と誤解させるデザインにしたのか。アサヒビールのCMの乃木坂46おとな選抜でも誰も制服は着ていない。お酒とは切り離せないのに何故温泉むすめを未成年アイドルとしたのか。
“温泉とお酒は切っても切り離せない関係”とされている根拠も分からない。
温泉施設付属のレストランで見かける家族連れのお父さんもバイカーの爺さんもロードバイクのおっさんも山奥の現場帰りの兄ちゃんも酒なんか飲んでいない。ビールを飲んでいるのはバスで温泉に来ている高齢者の団体くらいだ。
環境省や大学などの温泉地の選択や温泉地での過ごし方を問う調査でも、温泉へ行くのに酒を目的とする回答はほとんど見られない。料理、温泉の効能、ロケーション、が温泉に望むことのほぼ全てだ。
温泉利用者調査で男女に有意差があるのは、男性は日帰り温泉利用が多く、女性は滞在型の利用を好み旅館の設備を気にすることなど。温泉の泉質や効能を気にするユーザー層は男女同程度で、男性も美肌の湯を指向して温泉に来る。グルメ、スイーツへの興味も男女同程度で、男でも酒よりスイーツを欲しがる。ユーザーは温泉に酒を求めていない。
温泉むすめは少女でなければならなかった。温泉むすめには飲酒させなければならなかった。
その結果、神さま設定が考案され、人間の少女には許されない行為が温泉むすめには許されるようになった。日本神話風ファンタジーワールドを構築するその動機が、温泉むすめから人権を奪うことだったと、その一文で思いきりぶっちゃけている。その文がなくても説明ページは完了していたのに。
私は、温泉むすめを使役する人には温泉むすめをタレントとして扱ってほしい。神さまでもいいけど、人間と同じように大事にしてほしい。神さまに祭り上げる代わりにろくでもないことを押し付けるんじゃ軍神と変わらんじゃないか。仁藤氏が指摘したような炎上プロフィールも同じで、私にはあれはアウティングにしか見えなかった。何で事務所提供の紹介欄にネガティブな情報を書かれなきゃならないんだと。
温泉むすめはフィクションの存在で何を書かれても何をされても実際には傷つく人はいない。温泉むすめの存在しない人権を守ろうとすることで、温泉むすめで商売をしている人たちの権利がないがしろにされていると主張するオタク論客たちがいるが、露悪にも程がある。技能実習生が来なくて商売上がったりの農園や工場かよ。
温泉地において、飯坂真尋や小野川小町は商材でもお店の備品でもなかった。我が町のアイドルとして扱ってくれたし、温泉むすめを盛り上げよう、応援しようという熱も浴びた。推しがいることの喜びと、新しいことを始めているという大きな自負を感じた。温泉むすめのコアファンとの交流は出来ていないが、彼らも温泉むすめを消費するだけのユーザーではないと信じている。行く先々の温泉地で先達の温泉むすめファンたちのマナーの良さ、情熱について聞いていたからだ。これはおっぱい出せばチョロいオタクが飛びつくなんてコンテンツじゃない。
私は藤沢を舞台にしたアニメが作られるたび江の島へ行く。「きみの声をとどけたい」を見て、「青春ブタ野郎は ゆめみる少女の夢を見ない」を見て、そのたび江の島へ行き、島の茶屋あぶらやに「TARI TARI」のノートがまだ残っていることを確認する。新しい聖地を巡ることも楽しみだけど、いつまでも作品を覚えてくれている人のいる場所を辿ることもまた楽しみだから。
温泉むすめにも人の思い出になる力があると思っている。会ったことのない温泉むすめに出会うことも楽しみだけれど、飯坂真尋には来年も、五年後も、十年後も会いに行きたい。
私は、温泉むすめが、温泉ユーザーに温泉の泉質や効能の情報を提供し、温泉地の歴史や観光地、施設の案内をして、レストランやカフェ、名産品のナビゲートをしてくれるインフラになることを願っている。パネルに付いたQRコードを読めばマップや風景画像、声優の音声ガイダンスに繋がるなんてあれば楽しいじゃないか。初めて訪れた温泉地でも温泉むすめを見つけることが出来れば安心できる、そんなアイコンになってほしい。
アウティング?いやいや、隠してどうすんの?左ききなのを隠す必要がないのと同じく、心の性別が男・女なのも隠すようなことじゃない。恥ずかしい事じゃないんだから。見た目は中年のおっさんのXY同僚は私に「she/her」で呼んでって言ってきたし私も彼女の望み通りそう呼んでるよ。見た目が男性のXX・見た目が女性のXYがいるのが当たり前でそれが受け入れられている社会こそが正しいよね。日本もこれをみんなで目指してるんじゃないの?隠すようなことみたいな扱いをすることこそ差別で全く正しくない。アップデートしてください。
自分の意見としては、男女の分け方は時代にそぐわないからもう廃止して今後はXXトイレとXYトイレにするべき。
・基本的に生物学的女性はXX用に入る、生物学的男性はXY用に入る
・例外的措置として手術して性転換したならXXがXY、XYがXXトイレに入ることとする
小学校入学時点でXXにはXXカード、XYにはXYを交付、そのカードをかざしてそれぞれのトイレに入るようにすればいいと思う。性別適合手術したら役所でカード変更できるようにしたらいい。こうしたら女装したXYがXXトイレに侵入してXXに嫌がらせする事件が発生する心配もない。素晴らしいね。髭ボーボーのXXおじさんがXXトイレに入ってきても、それは確実に「身体的女性」だから周囲のXXは当然騒いだりしないね。まあ、パス度がどうのこうの言ってんの本人たちだけで、Y染色体の有無なんて骨格見れば分かるから自分は今でも騒がないけど。XXとXYは頭蓋骨からして形が違う。