はてなキーワード: 法律とは
男系男子維持の為に旧皇族復帰云々麻生さんなどが話し合ってる様子がニュースで流れていた。
ふっざけんなと。
今でも膨大な予算が皇室に消えてるのに、迎えるとなったら何百億だか何千億で家建てて、毎年何億もの予算で生活してもらうことになるだろうが、男系男子とかわけわからんことのために、どこの馬の骨か知らんような人達を皇族に迎えてこれ以上増税されて市民の生活しめ上げてるような余裕が日本にあるのかと。
天皇・上皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので、法律により定額が定められ、令和6年度は、3億2,400万円です。
皇族費
皇族としての品位保持の資に充てるためのもので、各宮家の皇族に対し年額により支出されます。
皇族費の定額は法律により定められ、令和6年度は、3,050万円です。これは、各皇族ごとに皇族費を算出する基礎となる額で、令和6年度の皇族費の総額は、2億6,372万円です
(秋篠宮家1億2250万9000円常陸宮家4575万円三笠宮家5856万円高円宮家3690万5000円)
儀式、国賓・公賓等の接遇、行幸啓、外国ご訪問など皇室の公的ご活動等に必要な経費、皇室用財産の管理に必要な経費、皇居等の施設の整備に必要な経費などで、令和6年度は、95億5,381万円です
中絶は悪じゃないよな
子供をおろすといっても、まだ人間の形をしてない状態なんだから自分の意思もないし、殺されたことも気付かない
人殺しとかとは全く異なるんだよ
そんなの言ったら、出産も悪になるよ?
「中絶は悪じゃない」
今回の男性声優の件は、不倫は不法行為だから責められても仕方ない
でも中絶は悪くないよ
悪じゃないよな
大人の二人がした行為なんだから、責められるものじゃないし、ましてや男性だけが悪い、とかはあり得ない
そういうことを前提として考えてほしい
増田は軽口が過ぎるとはいえ、差別者認定したりえらい剣幕で説教してるブコメはなんなんやろと思ったら、解同disが逆鱗に触れたのか?
「今の法律だと直系尊属の戸籍しか請求できないんだし、見せてくれたって何の問題もない」は何もおかしい事言ってないと思うけどな。
御用聞きのメンタリティだ
「客が法律破れといったから破った」の極論につながるメンタリティだ
そして経営者は
3年も中にいれば気づくと思うがそうでもないのかな
SIerとは真逆のとこでやってるし庇うわけじゃ無いけどそこは本来ユーザーが決めるべきとこなんだよ
勝手にどういうフローでなんというステータスになるかとか決められないじゃん?
そういうエクセル上でも動くもの、動かなくてはいけないもの、は最終決定ユーザーなんだよね
もちろんそこはコンサルがユーザーと話して作ってくべきなのでコンサルの腕もあるけど
ユーザーがあまりにもダメだとどうにもならないし、とりあえず請負ならユーザーの判断のまま作れば契約は完了だし逆にそうしなかったら契約上問題だし
もう電燈もガスも鉄道もある、道義も人情も仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。
このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、
アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。
正しい思想というものは、オレと大衆の優劣感のあるところから生れたものではあり得ない。
つまり、たゞ人間、キリストは原罪をとき、孔子は生活の原理に仁を見た。
何千年逆転してもかまわぬ。
モロモロの何千年の時間、カミシモはすべてムダであったと見なければならぬ。
人間性は万人に於て変りはない。
罪人に於ても聖人に於ても変りはない。
この自覚の行われざる社会に於て、いかなるカミシモをつくりだしても、折あれば中世の群盗精神へ逆転する、それだけのものにすぎないのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html
結婚の見込みがない29歳正常独身青年が、ご先祖様に申し訳ないという気持ちから先祖の戸籍を請求した。6市町から31通の戸籍謄本を取り寄せ、Excelにまとめた。戸籍制度の変遷や行政区画の歴史を知ることができ、何故か海外移民の歴史にも繋がり、祖父母との会話のきっかけにもなった。独身の暇つぶしにはもちろん、子供の自由研究にもおすすめである。かわいいあの子と新戸籍編製したい。助けて。
俺が末代だ(誤用)→ ご先祖様に申し訳ないにゃあ → そもそも先祖って具体的に誰やねん → そうだ、戸籍、取ろう
ワイ、29歳素人童貞。自分は子孫を残せないかもしれないというぼんやりした不安がいよいよ現実味を帯びてきた今日この頃。親にも祖父母にもご先祖様にも顔向けができぬと思った時、はて自分の先祖ってどんな人たちだったんだらうという疑問が湧いてきた。祖父母に聞いてみても、こんな先祖がいたという話は出てくるがそれが自分にとって何にあたる人なのか(曾祖父?曾祖母?高祖父?)が分からない。墓石や位牌を見てみても名前と戒名と行年が分かるだけ。家系図なんて高尚なものもなし。というわけで、先祖の戸籍、取り寄せてみました。
僕は埼玉生まれ埼玉育ち、岐阜県在住29歳素人童貞工場勤務現場労働限界サラリーマン。父親は次男で地元は山口県、母親は次女で地元は栃木県、そんな2人が地元を捨てて東京の大学で出会い、埼玉で僕が爆誕したってわけ。親の背中を見てすくすく育った僕は当然のように親元を離れ、縁もゆかりもなかった岐阜で働き、親に会うのも年1回、これが因果ってやつです。
さて、いざ戸籍を請求しようと思っても、やり方もようわからん。こういう時はとりあえずググる。ふむふむ、直系尊属の戸籍なら請求できる、と。まずは自分とか親の戸籍を取って、そこに親の名前と前の戸籍の本籍地が書いてあるから、親、その親、そのまた親って遡っていけばいいわけか。同じ市町村内なら先祖の戸籍をある分だけまとめて請求も出来るんだな。自分の本籍地が父親の実家にあることは以前に住民票取った時にわかってたから、山口県の役所まで行かなきゃいけないのかなと思ってたけど、どうやら郵送でも請求できるらしい。これはありがたいね。で、必要なものは、と……、まず請求書か、これはあとでコンビニでプリントだな(プリンターなんて持っていない限界独身青年)。本人確認書類は免許証でいいな、これも後でコンビニでコピー。返信用封筒と切手は買ってこなきゃ。あとは手数料を、定額小為替?、何だこれ、ていがくしょうかわせって読むのか?郵便局でしか入手できないし、貯金窓口って平日16時までしか空いてないのか、これは面倒だな……。
実際の手続きは市区町村のサイトにやり方書いてあるんで、それを見れば誰でもできます。面倒だったり時間がなかったりする人は司法書士とか行政書士とかに依頼したらやってくれるらしいよ。僕はコミュ障だからそっちの方が面倒なので1人でやった。手続き関連で意味わからんのは定額小為替。読み方もわからんくて、僕は最初郵便局の窓口で「ていがくしょうかわせください」って言って小恥かいた(ていがくこがわせ)。これは要するに戸籍の発行代を、現金は郵送できないから代わりに為替で送るってことなんだけど、小為替の額面にかかわらず1枚の発行に200円の手数料がかかる(2022年までは100円だったらしい)。200円の定額小為替1枚にも200円かかるし、750円の定額小為替5枚で1,000円の手数料だよ⁉ 平日の昼間になんとか時間作ってるのにこんな手数料取られるの、ほんとアホらしい。オンライン決済に対応してくれ。社会人の時間と金を返せー。北方領土も返せー。
まあそんなことは置いといて、戸籍の請求の時に用意しとくと便利なもの挙げときます。①プリンター: これがないと請求書の印刷とか本人確認書類のコピーとかでいちいちコンビニに行かなければいけなくなる。行った。必要項目さえ書いてあれば手書きの書面でもいいらしいんだけど、今時そんな人なかなかいないよね。②角形2号封筒: 請求書発送と返信用として同封する分で結構使う。③A4クリアファイル: 封筒に入れる書類はクリアファイルに入れる、これ社会人の常識ね。え?ギリギリ働けているだけの無能が社会人面してんじゃねえ?いいいいイキってすみません…
戸籍には、3つ種類がありまして、戸籍に除籍に改製原戸籍、この3つなんですが、まあ大雑把に言ってしまえば生きている戸籍と死んだ戸籍と旧版の戸籍って感じです。先祖のことを知りたいのなら、とりあえず全部1通ずつ請求すればオケ。現存している先祖の戸籍は全部手に入れてやるくらいの気持ちでいきましょう。請求理由に家系図作成のためって書いておけば、まとめて請求もできます。
戸籍はこれまで法改正によって6種類の様式が作られていて(明治5年式・明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式・平成6年式)、現在入手可能で最古のものは明治19年式。ここまで遡れれば、だいたい江戸後期生まれの先祖がわかります。そして、さらに遡りたくなります、なるんです。ところが、明治5年式はいわゆる壬申戸籍ってやつで、新平民とか元穢多とかの表記があるらしく、昔の差別ガーって五月蠅かった奴らのせいで見ることができない。これ、完全に国民の知る権利の侵害じゃね?今の法律だと直系尊属の戸籍しか請求できないんだし、見せてくれたって何の問題もないよね。まあそもそも、部落差別がどうとかいう話がまず胡散臭すぎるし(職業差別なんか?地域差別なんか?血統差別なんか?)、そんなもん現代に存在しないやろ。解放同盟とか、差別反対って叫んでる連中が日本を歪めてるって、こんなとこでもわかんだね。みんなも部落探訪、もとい曲輪クエスト(©鳥取ループ)してこ♪ 楽しいよ!
で、戸籍請求して特に不備がなければ、1週間程度で返送されてくる。僕は最初に戸籍をまとめて請求した時、想定よりも枚数が多かったので小為替が足りず、追加で小為替を送ることになった。小為替は多めに用意しとくのがヨシ。
ここからは自分の先祖の戸籍の話。父方の実家は山口県の田舎で、江戸時代からそこに住んでいたと聞いていたので、1回の請求で割と簡単に明治19年式戸籍まで入手することができた。しかし、よく見ると本籍地の表記が現在のものと違っている。もちろん市町村合併が何度かあって〇〇郡〇〇村とかが今と違うのはわかるんだけど、番地が全然違うのだ。今の番地が「〇〇番地」なのに対し、明治19年式では「第△□番屋敷」になっていて数字も違う。調べてみると、現在の本籍地は地番を記載しているが、明治19年式の段階では地番とは別の壬申戸籍編製時に家ごとにつけた屋敷番号というものを載せているらしい、ということが分かった。そしてややこしいのが、地番と屋敷番号は全く対応していないようなのだ。その辺は地域差もあるみたいで、近代化の過渡期って感じのカオスが面白いですね。まあ現代でも住所表記は複雑で統一されてないし、そんなもんか。もしこの明治19年式の期間に先祖が転籍していたら、以前の本籍地が現在でいうどの場所にあったのか、地番と対応していないのでちょっとやそっとじゃわからないらしい。僕も詳しくはないから、知りたい方はググってみてくれ。そう思うと、父方の家が江戸時代からずっとそこにあるというのは、運がよかったのかもしれん。
他にも、高祖母の家系の明治19年式戸籍で、「〇〇郡〇〇浦」という、「町」でも「村」でもない表記のものがあった。町村制は明治22年施行だから、それ以前の藩政時代の表記が残っていたのだろう。これまた過渡期って感じでたまらぬ。こうなると郡制とか府県制とか市制町村制とか、行政区画の歴史についても、わたし、気になります!状態。心の中のえるたそが犬みたいに瞳を輝かせて迫ってくる。やれやれ、僕の頭脳はほうたるだからね、手短にね、やっちゃいましょうかね(Wikiを読む)。
そんなこんなで、クソ労働により病みそうで病まない少し病んでいる状態になりつつも請求を粛々と進め、とりあえず6市町から31通の戸籍を入手した。ある程度集めたところでExcelにまとめる作業に入り、そちらの作業の方に時間がかかってしまってまだ先祖の戸籍すべては請求できていない。単純に高祖父母の代まででも2^4=16家系あるからね、というのは言い訳ですごめんなさい。今のところ、一番遡れた人が高祖母の祖母にあたる人で文政3年(1820)生まれ、さらにその1代前の両親まで生年月日は不明ながらも名前は判明した。やろうと思えば200年くらい遡れるんやな。
戸籍には生年月日や出生地、婚姻などによる入籍・除籍日、死亡日、死亡地などが載っているので、ひとまずExcelでまとめてみた。眺めてみると、子供が早くに亡くなっていたり、夫と死別して出戻りしていたり、養子を迎えたり、韓国京城で死んでたり樺太真岡で死んでたりアメリカで死んでたり、戸籍から見えてくるものなんてその人の人生のごくごくわずかな部分にすぎないけれど、だからこそいろんな人生があったんだなと想像しちゃう。それに対して僕の人生……。もうずっと静止期、Stationary phase。Log phaseが一瞬すぎたんよ。いや、まだ長すぎるLag phaseの途中って可能性もないことも……ないか。
戸籍で父方の方を辿っていくと、長男がずっと(途中養子を挟んでいたが)家を継いでいて、一方母方の方を辿ると四男の四男の長男みたいな感じで家を継ぐという感じではなく、そこは対照的だなという感想をまず持った。自分のアイデンティティはやっぱり父方の方にあるけれど、自分自身の境遇(次男の長男です)を思うと、母方の方にも親近感が湧く。故郷を離れる、離れざるをえない人生というものに。特に母方の方は、一度栃木県を離れて北海道に渡ってからまた栃木に戻ってきており、中には樺太に渡って真岡で死んでいる親族もいて、これはおそらく長男の家系じゃなかったから移住したのだろうと思う。真岡なんて真岡郵便電信局事件でしか知らなかった地名だよ。こんなところで樺太と繋がるとは思わなかった。戸籍だと直系しか辿れないから、祖父母の兄弟とか曾祖父母の兄弟とかの傍系がその後どうなっていったのかまではわからないんだけど、自分自身が親元を離れていて昔の次男三男みたいな生き方をしているので、そっちの方も気になってしまう。それでも、おそらく当時の人たちには生まれ故郷という感覚はあったんだろうなと思ってて、自分なんかはもはや故郷が存在しなくていつか故郷に戻るみたいな感覚が全くないので、故郷が欲しい帰る場所が欲しいと思ってしまうんだけど、これはないものねだりだよね……。強く生きていくしか、ないね……。
父方の方は父方の方で、明治末から大正時代にアメリカに渡ってアメリカで死んだ親族が2人もいた。で、調べてみると山口県は全国でも5指に入る移民送出県らしい。有名なのは周防大島(屋代島)からのハワイ移民で、島には日本ハワイ移民資料館もあるよ。行ってみたいね。海外移民の歴史については、詳しくはググればWikiとかも出てくるし(Wikiの「広島県人の移民」の項目は読み応えあった)、興味ある方は調べてみてほしい。実際、父方の実家からは瀬戸内海を挟んで周防大島がよく見える。でかい。一時期周防大島出身の民俗学者・宮本常一の本を読んでいたことがあって、そこに宮本常一の父親が明治27年にフィジーに出稼ぎに行く話が出ていたので、まあ島と本土の違いはあるとは言え、あの辺一帯に外に出ていく気風みたいなものがあったのかなと想像してる。こんな感じで、家系っていう私的なものから歴史に繋がるのも面白いですな。
ここまで調べたことを表にまとめて、父方の祖父母に見せてみた。よお調べたのおって言われました。
「この人はアメリカに渡って、稼いだから家を建てちゃるけぇって言っちょったけど、向こうで喧嘩を止めに入って死んじゃったんよ」
「このおばあさんは酒造の娘でのぉ、気位が高い人じゃった」
「このおじいさんは働かん人だったみたいでねぇ、田んぼを売っちゃって大変じゃったんを○○さん(息子)が頑張って立て直したんよ」
あとは祖父が実は山口ではなく東京で生まれて幼少期は東京で暮らしていたり(当時は東京府東京市)、祖母が京都で生まれていてそれが実は自分が大学時代に下宿していた場所の近くだったり、なんてことも初めて知って、いろいろと話せて楽しかったです。
① 引き続き戸籍を請求:多分まだ結構取り寄せられる戸籍が残っているので、続けていこうと思う。古い戸籍は廃棄している自治体もあって(実際にもう無いですって3件ほど言われた・昔は除籍後80年経過したら廃棄してもよかったらしい・今は150年)、あれはとても悲しい。1回広島市に請求した時に無いですって言われたので、もしや原爆のせいか⁉と思って調べてみたんだけど、戸籍は疎開させていて無事で、単純に大正3年以前に除籍された戸籍を廃棄してだけでした。貴重な資料なんだし、廃棄せずに何とか残せんかったんかな。
② 昔の住宅地図を見る:せっかく先祖の本籍地を集めたので、古い住宅地図で本籍地がどういうところだったのかを見てみたい。複写したい。でも住宅地図は図書館でも禁帯出で、地域の図書館とか国会図書館とかの現地に行かないと見ることができないからな……。やるか――住宅地図複写旅――。
③ 菩提寺に過去帳を見せてもらう:これもいつかやってみたいね。
実際にやってみて思ったけど、これ、中学生の自由研究とかにいいんじゃないかな。役所で手続きして、資料集めて、整理して、発表用にまとめる。広げようと思えば家制度とか行政区画とかの歴史にまで広げてレポートにもできる。祖父母との会話のきっかけにもなる。お子さんがいる方、おすすめですよ!もちろん子供をもつ見込みのない独身の暇つぶしとしてもかなり面白いと思う。まあ、休日に何してるの?って職場で聞かれたときに先祖の戸籍集めてまとめてますって答えたらちょっと引かれたけどね。そもそも休日が少なすぎて疲弊して遊びにも行けんのじゃこのクソ会社がコラ。でも一人、この話に食いついてくれた女の子もいたので、あわよくばお近づきになりたいよ。一緒に新戸籍編製しませんか?住宅地図複写デートとかどうですか?もちろんオシャレなカフェとか映画館とか夢の国とかにも行きますから。高いご飯も奢りますから。自分、やれます、やらせてください。使うあてもないのにNISAで順調に積み立てられていく資産、何も積み上らない人生、虚しい。寂しい。一発やるまで死ねるか!!!
呼吸がね、上手くできなくなるんだよ。職場に行くと物凄い臭いオッサンがいて、あまりの臭さに呼吸機能が正常に働かなくなる。ずっと酸欠みたいになるんだ。
全然集中できないんだよね。職場にいる時は全然集中が出来ない。臭いオッサンが臭すぎて。皆同じように文句を言ってるよ。あのオッサンは流石に臭すぎるって。
でも下手にクビにしたり文句言ったら逆スメハラって言われそうでしょ?
そのオッサンさ、そこそこ頭は良いんだよ。変に頭がいい人特有のキレやすさもある。そんで、皆が疎ましく感じていることに対して逆ギレみたいな気持ちをもってるっぽいんだよね。
誰かが「流石に今日はクサすぎだろ」とボソリと言ったらさ、その人がビクとなって、職場の空気が一瞬凍ったよ。怖かったな。
あんなに臭いならもう普通に働くのは辞めてテレワークだけしてればいいのにね。うちの会社はテレワーク導入してないから毎日オッサンは出てくるし、毎日皆が臭い思いをしてる。
オッサンは別に仕事ができないわけじゃないけど、オッサンがいるせいで皆が呼吸困難になることを考えると差し引きで絶対にマイナス。
でも下手にクビにして恨まれたくないからか会社はずっとそのオッサンを雇ってる。
デオドラントを使ったり石鹸を工夫したり色々やってるんだろうなというのは伝わってくる。
それでもありえないぐらい臭いんだから、もう遺伝子レベルで臭いんだよ。死んでもらうしかないんだよ。
でもそれを普通の人が決断するのってやっぱりストレスじゃん?国がちゃんと法律を決めて、騒音おばさんや悪臭おじさんは公害だから死んでいいってルールにしてくれないかな。
https://x.com/abacha93435322/status/1789460372677873742
はるかぜちゃんが警視庁に出演中止を求められたエロ舞台について裁判中で触れられたそうで
「くぱぁ」とかの文が引用されてぬこちゃんの発言として気持ち悪いと言われているが
5ちゃんには「裸の女性が登場する演劇」というスレがあり、当時のスレで「くぱぁするからおすすめ」ってな風にレビューされていた
実際はるかぜちゃんが降板になった舞台は、前張りなしで女性器も男性器も出してもちろん乳首も出して最前席だと汁がかかるとかいう超ドスケベアングラ劇
AV女優がやるよりも、これは意識の高いアートなんだと信じるままにずるずる露出が増えていった生え抜きの舞台女優がやる方がエロいけどね
法律の上では演劇場って小学校から何キロ以内では禁止ってなってるのだが、あそこに限らずそういうアートという名のくぱぁ劇がたまにあるからだ
はるかぜちゃん本人は当時17歳だからヌードは免れたが、共演者がはるかぜちゃんも脱ぐことをほのめかしていたため通報されて警視庁が出てくる騒ぎになった
ヌード免除は、警視庁が出てきてしまったから「そういうこと」にしただけで、共演者の発言はジョークではなくガチだったのでは?と思わなくもないが
本当に本人が脱がなくても、前張りなしで全裸で絡み合う男女の中に17歳女子がいるのは普通にいかんわな
あの舞台は降板になったが、その前の舞台でははるかぜちゃんは全裸で性器出してる成人男性に水をかける役とかやっていた
舞台俳優やモデルなんかは早着替えで共演者やスタッフに裸さらすのなんか日常茶飯事らしいので、舞台上でチンポ眺めてようが今更かもしれないが
ぬこちゃんは生IPで10年ぐらいはるかぜちゃん叩きをしていたので、最近の慰謝料高額化を考えれば200万ぐらい取られてもおかしくはない
だがくぱぁとかエロ舞台についてのあの文はぬこちゃんが考えて書いたものではないだろうから、そこはめちゃくちゃ可哀想だし、あんな舞台に子供を出すはるかぜ親は考えなしだ
自分たちでそういう芝居に出させといて、崇高なアートとして女性器開いてんのにくぱぁと表現するのは名誉毀損とかアホかとバカかと
ちょっと調べたら、これは「歩合」の単位とされていて、その方面で調べれば過去の使用例がわかるらしい。小学生教育方面だと「最初は借金の利率で使われた」って説明があったけど、その初出までは書かれてなかった。まあ小学生がそこまで興味持たないだろうからしょうがないか。
正直、興味を持ったのは「分」との歴史的な前後関係なのだ。勘違いしがちだが、「1割1分」の時の「1分」は1%で0.01だが、「五分五分」のときの「五分」は50%でこれはつまり0.5,つまりこの場合の1分は0.1になる。数字の扱いが違うだろうと思ったかもしれないが、「割」はもともと十分率の単位で、十分率を単位とすればその1分は0.1で正しいのだ(このへんはWikipediaにも書いてある)。これを無理やり百分率で例えると、1.1%を「1%1分」と書くようなものだ(実際には今はこういう書き方はしない、例示として書いた)。
とはいえ、借金の利率なら最初から「分」で表してもそれほど困るような気がしない。実際前述にもあるようにことわざでは「割」使う場面少ないしね。「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足したのか、まえは「分」で示していたのが何らかの都合(借金は特別扱いしたいとか)で「割」を使うようになってそっちが当たり前になったのか、たぶんどっちかなのだ。
税率を割合で示すようなことは租庸調の時代からやってたみたいだから、たぶん文献は豊富にあるはずなんだが、こんな簡単なことがネット検索でわからない。調べるキーワードが足りないだけかもしれないけれど。
(追記: ついでにまとめ)
みなさん反応ありがとうございます。結果的に人力検索になってしまいましたが、もともとこれはそれを目的として投稿したものじゃなくて、自分が「ここまで調べた」のまとめとして書いたものでした。いずれ調べが捗って本当に感謝しています。
とりあえず、
ようで、「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足した、の予想がそこそこ近かったようだ。
調べているうちに出てきた新たな疑問としては、
あたり。このへんは今回の疑問から少し外れるので、まあそのうち。
「リファレンス使えば」。これね、時々思う。実際使ったこともある。とある地名の表記ブレを、行政機関があまり一般的じゃない方に統一した、って時に、それが単なる自治体PR(統一したほうにはそのPR要素があった)なのか、それともまあそうするだけの根拠があったのか、疑問に思って、「その地名の2つの表記の古文書での使用頻度」を調べてもらった。ちなみに結果としては30件くらい見つけてもらって、見事に半々っぽい結果だったのでまあ納得することになった。
今回は今回で調べてもらってもいいのだけど、前に頼んだ図書館にはおそらくこれ関連の古文書少ないのよ。そうすると一般書籍で記述のあるもの探してもらうことになる。それだったらネットで同じような疑問を持ってそれ調べた人の成果を探したほうが早いの。リファレンス使うとその図書館の調査には2,3週間かかることもあるのね。だったら自分で調べてたどり着けなくなってから頼んだほうがいいと思った。そうね、「分」の1/4 1/10 1/60問題についてはそのうち聞くかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20240521065825
晴生 出来上がっている糞
(放り出して
夕刊デイリー 誰も読まない、食べたビスケットが腸内で糞になったものをひり出して乾燥させて並べたような記事になっている。
判例六法 同じ。技術的内容側面は存在せず、まるで、彦田まり恵とか、谷水文香のよう。
任介辰哉 要するに糞。
法令 法律は作って使うものであるが、お前には論理性もないし、作ったものを操作する権限がない。
なお、数学の初等的な定理は発見して構成するだけだが、社会的なものはどのように出来ているかは、誰も理解できない。
前田氏が最後にスポーツ報知に掲載させた意見主張 : 理想を持ち東大法に進学したが卒業後に部屋が変わると別の糞みたいな醜悪な論理で動いており
その根拠でもある増田の過去編は https://anond.hatelabo.jp/20240506065437/ に書いた。
それはそうとして、そのように生きてきた弊害からか、「この世は私にとっての安寧の地ではない」と感じるようになった。
希死念慮や自殺願望ではなく、「生きるのがつらいから◯にたい」ではなく、本当に私はこの世に自分の居場所はないと思っている。
というか、誰しもないのでは?とすら思う。
私は私の人生の苦しさしかわからないが、少なくとも私はあの世からこの世に派遣された調査員あるいは流刑にされてあの世からやってきた囚人だと思い込むことで自我を保っている。
あるいは媒体。
精神としての私の居場所はどこにもなく、ただ媒体としての私がこの世にはあるだけだと気付いた。
付随というか、結局は各々の問題を家庭(笑)という民間の空間へ委託しているといってもいい。
少なくともこれまでの人生において、家庭(笑)の問題については、公的な第三者に助けられたことはほぼないと思う。
税金を納めるほどではない、どちらかと言えば税金のお世話になる可能性の高い人間がいっちょまえに社会的に何かしたいと思ったがゆえの生存戦略が子作りであり、言わばセルフケツモチ製造なのである。
国もその子供が健常に育てばそいつら(親)を税金で面倒を見る必要もなく、相互扶助の名目の元、後処理を押し付けられる。
問題は、そのようになった子供も同じことを繰り返してしまう可能性があることだ。
ちなみに私は全く反出生主義者ではなく、この事実を嘆きたいだけだ。
圧倒的知能か恵まれた環境にあれば別だが、悲しいかな、人間は知能による公平さのジャッジよりも前に自分が受けた分の苦しさを取り返してやろうという感情が先に来るだろう。
話は戻るが、要は媒体として、支配対象としての子供から20歳を機に搾取対象の成年後見人へ。
それどころか義務・罪・罰等は何もしなくとも来るのに、権利・功・賞等は能動的に動かないと得られない。
「親の扶養義務(笑)」「共助(笑)」「扶養(笑)」「相続(笑)」。
仮にそれも考えて親が私を作って死なせない程度に育ててきたのだとしたら、天才だと思う。
仮に婚姻で救われたとしても隷属先が変わるだけに思えてならない。
詳細は伏せるが、現在進行系で親の尻拭いをしている。
きょうだい児を召喚する親もいれば子供を成年後見人として召喚する親もいる。
言っちゃ悪いが、Xでよく見る、自分も障がいのあるのに、子供を作って愚痴を吐くアカウントで確信した節もある。
私は比較的人付き合いも避けながらも何とか生きてきたため、恥ずかしながら精神疾患の世界も逆に上流階級のこともわからないが、一般的に子供を作る前に自分の社会的な自立が先な人間も子供を作ってしまうのは、彼らには恋愛や性行為がセラピーとして作用してしまっているがゆえの結果と、相対的に自分よりも下の人間が作れる画期的な手段が子作りだからではないかとも思う。