2024-05-20

子作りは基本的事業だが、建前と方式上、いかんせん誰にでも門戸は開かれているせいで、問題婉曲表現)のある人たちにとっては奴隷成年後見人の召喚にもなってしまっているという事実

私は自称アダルトチルドレンケアイカーだと思っている。

その根拠でもある増田過去編は https://anond.hatelabo.jp/20240506065437/ に書いた。

それはそうとして、そのように生きてきた弊害からか、「この世は私にとっての安寧の地ではない」と感じるようになった。

希死念慮自殺願望ではなく、「生きるのがつらいから◯にたい」ではなく、本当に私はこの世に自分の居場所はないと思っている。

というか、誰しもないのでは?とすら思う。

私は私の人生の苦しさしかからないが、少なくとも私はあの世からこの世に派遣された調査員あるいは流刑にされてあの世からやってきた囚人だと思い込むことで自我を保っている。

あるいは媒体

精神としての私の居場所はどこにもなく、ただ媒体としての私がこの世にはあるだけだと気付いた。

さらにそこに義務法律が付随する。

付随というか、結局は各々の問題を家庭(笑)という民間空間委託しているといってもいい。

少なくともこれまでの人生において、家庭(笑)問題については、公的第三者に助けられたことはほぼないと思う。

税金を納めるほどではない、どちらかと言えば税金のお世話になる可能性の高い人間がいっちょまえに社会的に何かしたいと思ったがゆえの生存戦略が子作りであり、言わばセルフケツモチ製造なのである

国もその子供が健常に育てばそいつら(親)を税金で面倒を見る必要もなく、相互扶助名目の元、後処理を押し付けられる。

大変子供けが損をするようなシステムだ。

問題は、そのようになった子供も同じことを繰り返してしま可能性があることだ。

ちなみに私は全く反出生主義者ではなく、この事実を嘆きたいだけだ。

圧倒的知能か恵まれ環境にあれば別だが、悲しいかな、人間は知能による公平さのジャッジよりも前に自分が受けた分の苦しさを取り返してやろうという感情が先に来るだろう。

この投稿も、読んでくれて記憶に残る人などほぼいないだろう。

話は戻るが、要は媒体として、支配対象としての子から20歳を機に搾取対象成年後見人へ。

そしてそこに義務法律で縛られる、というのが私の感覚だ。

この世は精神よりも物質が先に来る。

それどころか義務・罪・罰等は何もしなくとも来るのに、権利・功・賞等は能動的に動かないと得られない。

だってそういう風に法律ができているから。

「親の扶養義務(笑)」「共助(笑)」「扶養(笑)」「相続(笑)」。

仮にそれも考えて親が私を作って死なせない程度に育ててきたのだとしたら、天才だと思う。

仮に婚姻で救われたとしても隷属先が変わるだけに思えてならない。

それに婚姻は救済のための制度ではない。

詳細は伏せるが、現在進行系で親の尻拭いをしている。

きょうだい児を召喚する親もいれば子供成年後見人として召喚する親もいる。

言っちゃ悪いが、Xでよく見る、自分も障がいのあるのに、子供を作って愚痴を吐くアカウント確信した節もある。

私は比較的人付き合いも避けながらも何とか生きてきたため、恥ずかしながら精神疾患の世界も逆に上流階級のこともわからないが、一般的子供を作る前に自分社会的な自立が先な人間子供を作ってしまうのは、彼らには恋愛や性行為セラピーとして作用してしまっているがゆえの結果と、相対的自分よりも下の人間が作れる画期的手段が子作りだからではないかとも思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん