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はてなキーワード: 方丈記とは

2024-02-29

じゃあ俺だってめちゃくちゃ面白い本をみんなに薦めたいじゃん

20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。

桶川ストーカー殺人事件遺言清水潔

1999年埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者ルポルタージュ事件事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミ面白おかし報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。

LIFE 人間が知らない生き方麻生羽呂

人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマビジネス書”と紹介されているが、バリバリビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。

『私の嫌いな10の人びと』中島義道

世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間中島が嫌いなのは「常に感謝気持ちをわすれない人」や「自分仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。

ナポレオン狂』阿刀田高

はいきました、直木賞作品小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章オチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。

宇宙人出会う前に読む本』高水裕一

めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系マジで想像以上に理系文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーション解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学科学技術系の新書シリーズの中の一冊。

マノン・レスコー』プレヴォ

光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやす出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃え駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないか詐欺します、どうやら彼女浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったか人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。

アタゴオルますむら・ひろし

小学生の頃図書館で読んで不思議気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブヒデヨシとその友達テンプラパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後コマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。

ものぐさ精神分析岸田秀

無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会本屋で、片田舎図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人からいたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論社会ピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。

2023-10-25

anond:20231024171448

それを理屈をこねて遊んでいる、と言われればそういった側面は多分にあるかもしれません。

側面どころか前面に押し出していますよ。

増田論法で行くと増税クソメガネいじめられている岸田も弱者、訴えられているトランプ弱者国際世論というとんでもない母数から責められているプーチン弱者、70億総弱者という話になるんだが?

羊の皮をかぶろうとしてもオオカミオオカミ

今の立場を捨てて年収400万・ヒラ・中年独身KKOわくわくセットになった方がマシというやつが弱者という結論方丈記にも出ている。

2023-05-12

anond:20230512104044

そりゃロールモデルになれるぐらい成功したら弱者じゃないからね

かつてはニートロールモデルとしてphaが担がれてたけど、本が売れたりイベント活動したりで金がありそれなりに女にモテてる現状ではもう誰もニートとは思ってないじゃん

方丈記なんか元祖弱男の生き方っぽいけど、あれは実家が超太いし

2023-03-13

高校教科書の載ってた古典文学への個人的感想

源氏物語

ロリコンマザコンイケメン主人公と聞いて、シャア大佐みたいなモテモテ人生なのかなって思ったら、歳とったら普通にモテなくなって、若いイケメン若い妻を寝取られ自分の子として育てるハメになる因果応報の話だった。

作者きっとすげーむっつり

枕草子

溢れ出すリア充臭。

語彙力があるパリピ

自己肯定感100%で全く迷いがない感じ。

紫式部と合わないのもすげーわかる。

平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。とか始まるから、虚しさが残る話かと思ったら、普通に爽快な軍記ものだった。

ノリノリで琵琶法師弾き語りしてそう。

徒然草

卑屈さと承認欲求が交互にやってくるのが人間臭くていい。くだらない噂話や伝聞に偉そうにマウントとるんだけど、そのマウントの取り方が枕草子微塵も迷いなくイケイケな感じじゃなくて、ウジウジしてる。

徒然草(兼好)「花は満開でもあえて引きこもりするのもなかなか風流

本居宣長「わけわからん負け惜しみ乙!」

って後の世のやりとりが好き。

方丈記

文章が綺麗で、よく練って書いたのだと思う。思いつくままに書き綴った感じの枕草子徒然草とは色合いが違う。

しかし、内容として面白いことがない。

偏屈ジジイ新聞への投書という感じ。

2022-03-20

ゼレンスキー演説@日本3/23は「ドラゴンボール演説」に

ゼレンスキー広報チームの役割は各国世論ウクライナ大正義モードにし、ウ国への全力支援を引き出すことである

一方ゼ広報チームの日本分析は以下のようだ。

1、日本人は日本固有のものを褒めそやかしてくれる外国人が大好き。すぐ好きになっちゃう。

2、北方領土シベリア抑留ポツダム宣言受諾後にも続けられた満州侵攻、ヒロシマナガサキ反核)、日露戦争話題が通じるのはtwitter右翼twitter左翼、つまりごく少数だけで本当のところ全年代が興味ない。

3、英国におけるチャーチル演説米国における真珠湾攻撃911のようなナラティブがもう日本にはないので戦意発揚プロパガンダネタがない

4、とはいえこれまでの各国演説どおり歴史をひくしかできない。「令和」を元に平安古典とかを持ってくる案もあったが、そんな古典に馴染んでいる日本人もやっぱりゼロ

5、平家物語とか方丈記とかは英国におけるシェイクスピアレベルでみんな知ってるぽいけど、逆にウクライナ人的にああいオリエンタル文学性はちゃん咀嚼ができないんでこっち系をネタにするのリスク高い

6、やばい、いいネタがない。このままだとスベりたおす

7、ていうかさ、冷静に考えれば日本をどうこうしたところでたいして役に立たないし、ウロ戦争において欧米は全く日本挙動に興味を持ってないし、日本演説にはチームのリソースは割かずに適当日本反戦反核意識を褒めて消化試合で済まして、やっぱ欧米向けプロパガンダがんばろ (いまここ)

ここでゼレンスキー広報チームのみなさんに朗報

ごく手軽に日本世論を完全にウクライナ一色に染めつつ(これはあん重要じゃない)、ごく手軽に欧米世論操作にも超高い効果もつ(これが重要もので、しか日本相手しか使えない大ネタがある。

日本欧米から注目されていない、つまり重要相手じゃない(そもそも欧米英米独仏以外に興味ないので日本演説することは欧米では全く報道されてない)からこそ新機軸をぶっ込んでも許される。変化球投げても許される。

それが「ドラゴンボール演説である

前半は適当普通反戦反核メッセージでいい。

締めにこれを入れればいい。

「WE Ukraine need your ''GENKI''.

We ask you JAPANESE people all that,

NIPPON NO MINNA, ORA TACHI NI TCHOTTO DAKE GENKI WO WAKETE KURE.

Let's make "GENKI-DAMA" together.

Let's make peace together.」

これです。

でこの演説のあとに両腕を上げて見上げている元気玉ポーズのゼ大統領写真twitter他の公式アカウント投稿しましょう。

日本が全世代的にナラティブを持っていつつ海外に絶大な影響を持てているもの現実的には悲しいか漫画アニメだけで、

使いやすさ、浸透レベル、年齢層から鑑みるドラゴンボールが最強です。

snsシェア最強ネタだし、中国人にもインド人にもイスラエル人にも効きます

もちろん日本ニュースメディアワイドショーはまる一週間リピートしまくります

キャプテンウクライナミームとかはゼ広報チームも最初はノって後押ししてたけど流石に英雄崇拝アプローチ自分の首を締めかねない危ういものって自己評価更新してきたところ。

ここにきて"GENKI-DAMA"は一人の英雄ではなく連帯象徴というミーム修正になるし、両手を挙げた写真シェアするだけでウクライナ連帯表明になるっつってバエバである

広報チームにお節介ちょっとだけ言っておくと、

侵略者フリーザとか、平和を脅かす独裁者セルとか、そのあたりまで寄せてこようとしたらディティールをミスると逆に世界中OTAKU MONSTERに叩かれるので元気玉くらいでいいと思う。

切り抜きしやすサイズ大事

Video game war (NINTENDO war)からSNS war (DRAGON BALL war) へ。

広報チームの皆さんの幸運を祈る。

2021-12-24

昨夜、夜中に唐突に思い立った。

方丈記』をノートに書き写したい! と。

やってみたら二十分くらいで飽きたけど、謎に満足感の高い行いだった。

2018-12-06

理由は無いけど西洋文化が苦手

なんでだろう

神話読むのが好きだったんだけど、ギリシャ神話とか北欧神話は全く面白くなかった

和歌集みたいな和歌の本とか方丈記みたいな随筆とか論語とか諸子百家の本を読むのは好きだったけど聖書とかシェイクスピアを読むのは嫌いだった

2018-11-05

本を読むことの効果って

学生時代毎日15分読書時間があった。

図書館古事記和歌集方丈記徒然草南総里見八犬伝東海道中膝栗毛といった古典をよく読んでいた。


社会人になってから本を読まなくなった。

別に読む読まないでさほど影響しないだろうと。

読まなくなって、長文を読むのが億劫になった。

ショートショートと言われる星新一短編ですら1Pで長いなあと思う様になった。

かに説明をするのが下手になった。

口頭でも文章でも、まさに今このはてな匿名ダイアリー日記ですら言いたいことをちゃんとまとめられなくなった気がする。

言いたいことが迷子になったり、順序がめちゃくちゃで見返して意味不明になったり。


これが本を読まなくなった弊害だとしたら、本を読むのって大事なんだなあと思う。

ただ、前述の通り本を読まなくなるとまた読めるようになるのは難しそう。

社会人になってから本を読むようになった人って、どういうきっかけで読むようになったのか教えてほしいです。

参考にしたい。

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170702021231

方丈記鴨長明は、元々エリートだったのが不運続きで転落して、しょぼい山小屋で生きるしかなくなった自分人生を慰めるために方丈記書いてるからな。

あそこに書いてあるのは一面の真理を突いているけど、実践するには信仰がないと無理だわ。

https://anond.hatelabo.jp/20161026040659

方丈記に「世を知り 事を知れれば 願はず 走らず ただ静かなるを望み 一身の憂へなきを楽しみとす」っていう言葉があった気がする(うろ覚え)。俺も世の理と物事道理を悟ったうえで増田と同じように身の丈にあった暮らしをするのが夢だ

2016-10-07

二重表現警察の方々へ

「音を聞く」は二重表現ですか? 音は聞くものだし、聞くと言えば音に決まっています

「目で見る」「映像を見る」は二重表現ですか? 「美味を味わう」は当然だめですよね。なんと言い換えますか? 「美を味わう」?

オーケストラ演奏」は二重表現ですか?「団体演奏」と言い換えればいいですか? 

音楽を奏でる」は当然だめですよね? 「川の流れ」も論外、「雲がたなびく」もだめ。

方丈記枕草子も、日本語破壊する大敵ですね!


…というわけで、皆さんが何を守っているのか私にはよくわかりません。

http://anond.hatelabo.jp/20161007133924

2013-08-28

あなたを救ってくれるような"魔法論理言葉"は存在するか?

人は苦しむ

そして、その解決策を探す

どこかに自分を納得させる魔法のようなセオリーがあって、それを見つけて理解する事で自分自身が救われるのだと

そして、今は自分の怠慢や能力不足のためにそれが見つけられていないから辛いのだと信じている

しかし、"本当にそのような魔法セオリー存在するのか?"という問いには答えられない

むろん、それは"カラスはすべて黒いのか?"という命題に等しく、証明困難な悪魔の証明

しかし、直感としてそれをどこまで信じられるか、主観的な視座において論拠があるように感じられるかについては別であろう

すなわち、可能性として"世界のどこにも、自分を納得させる様な魔法セオリーなど存在しない"という命題が成り立つ可能性について想定できているかという事だ

坂口安吾の「余はベンメイす」という作品を引用しよう

「 私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ。

 然し、真理といふもの実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。 私は日本伝統精神をヤッツケ、もののあはれさび幽玄の精神などを否定した。然し、私の言つてゐることは、真理でも何でもない。たゞ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、偽瞞を見破られ、論破される。私の否定の上に於て、再び、もののあはれは成り立つものです。ベンショウホウなどと言ふ必要はない。たゞ、あたりまへの話だ。人は死ぬ。物はこはれる。方丈記先生の仰有る通り、こはれない物はない。 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。」

坂口安吾のこの節における真理を、"自分を納得させる魔法セオリー"として置き換えて考える事が出来る

人間はどこまでも自分を救う究極の理論や答え、真理というもの存在すると信じている

そして、それを得る事で自分は納得し、辛さや苦しみにに一定の決着がつき、心持が安らかになると信じている

しかし、その実存について(何度も繰り返すが、それが存在するかどうか)は真剣に議論されないように思う

現実的に考えれば、たか理論事実などで苦しさや辛さが綺麗さっぱり無くなるとは考えがたい

人は論理思想思念だけで生きているのではないので、理屈真実を突き付けられただけで楽にはならないのだ

事実真実が、必ずしも人を幸福にするとは限らないのと同様に

しかし、人は真理を探そうとする

そして、時にそれはある種の成功を収め、人生観世界観哲学としてその人の認知的な枠組みとして機能し始める

まり、ある一定の(その人固有の)論理構成や理屈付けの仕方が、その人自身の救いになる、指針になる

そして、それはその人自身には壊せない程度に堅牢であるだろう、思考錯誤の結果だから

しかし、やはりそれは部分的なものであって、生物的・生理社会的な制約(例えば神経伝達物質の異常や個人が変容不可能な環境の要因など)をうけるので、"すべてを救い、納得と平穏をもたらす様な魔法セオリー"足り得ない

その事に気づかなければ、人は真理を求めて彷徨う盲いた愚者に成り果ててしまうだろう

2013-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20130819224537

然し、私の言つてゐることは、真理でも何でもない

たゞ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、偽瞞を見破られ、論破される

私の否定の上に於て、再び、もののあはれは成り立つものです

ベンショウホウなどと言ふ必要はない。たゞ、あたりまへの話だ

人は死ぬ。物はこはれる。方丈記先生の仰有る通り、こはれない物はない

もとより、私は、こはれる

私は、たゞ、探してゐるだけ

汝、なぜ、探すか

探さずにゐられるほど、偉くないからだよ

面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです

2008-09-28

anond:20080928174820

五蘊皆空ってさ、人間感覚認識自我

ぜんぶ自然現象で能動的なところを一切持ってないってことだよなたぶん。

それは誤読ではないかな。ということで書いてみます。

照見五蘊皆空

「(観自在菩薩が)『五つの蘊(要素)が存在する、さらに、それらの本性は空である』ということを見極めた」

五蘊とは、それぞれ「色・受・想・行・識」と名付けられた5つの要素ことです。それぞれの内訳を簡単に述べます。

さいしょの色というのは。ここでは physical なもの、カラダのことです。(例えば、「"色"欲」っていうのは「"肉"欲」ともいうように。)。そして、受・想・行・識がそれぞれ mental な、ココロのはたらきのことです。それぞれ別々のはたらきを示しているのだけれど、ここでは省きます。そして、あなたにはこのような「五蘊」が存在する、ということを認識して、そして、「それらはすべて」(=「皆」)、「常に変化し、実態とか本質といえるものはない」(=「空」)と、述べられています。

で、それを承けて。カラダ自体はあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではないし、感情とか感覚といったココロもあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではない。でも、おかしくないか、カラダとココロがあってそれがあなたのはずなのに、でもあなたそのものってどこにもないよね? でもカラダもココロもあってそれはあなただと。なんだか矛盾するようだけど、そういうことが書いてあるということです。

釈迦さまのいたインドでは、それまではバラモンが「永遠に変わることのない普遍的な自我世界本質っていうのがあるはずだ」と考えていたのだけれど、そうではないのではないか、なぜならば……ということをこのような理屈で示した、といえばいいのかな。

たとえば鴨長明が「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」と『方丈記』で述べているように、カラダとかココロとかから超越した永遠に変わることのない普遍的な自分の本質、ほんとうの自分なんてものはない。といえば若干理解しやすいのかもしれません。

……というのが一応の説明。さんざん書いておいてナンですがあまり信用しないでくださいね。できればしっかりした解説書にあたってほしい。

そして、ここまでで述べてきたこれを踏まえて。この部分を読んで「自我って能動的なものなの?」という問いが出てくるのは少し疑問です。ちょっと違うレイヤーの問題なのではないかな、と思います。書かれていないことを疑問に思ってもテキストからは読むことができない。

……と、こんなところでどうでしょうか。

 
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