「1980年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 1980年代とは

2017-05-14

健常者は神様です

俺はほっとき死ぬ障害を持って生まれたが、手術で助かった。

俺と同じ障害を持って生まれた奴は手術しなきゃ数歳で死ぬ。手術法の開発は1980年代だ。だから1980年以前の歴史上の人物に、俺と同じ障害を持って生まれた奴はいない。徳川家康コロンブスナポレオンも、全員、俺と同じ障害を持っては生まれてこなかったわけだ。

から、俺たちは人類歴史に関与していない。この世界は、お前ら健常者が作ったものだ。俺たちには関係ない。

俺たちは、1980年以降に生まれた新種の人類だ。俺たちは健常者の意思で生かされている。お前たちが手術をやめるだけで、俺たちを抹殺できる。

から、俺たちはお前たちに服従しなければならない。俺たちを誕生させるのは健常者だから。俺たちの創造主はお前ら健常者だ。被造物は創造主に従うべきだ。

から、俺が生きるべきか死ぬべきか、お前らが判断しろ。俺達が死ぬべきかどうか、お前らの責任でお前らが判断しろ

健常者は神様だ。俺たちを生かしたんだから、俺達の死にも責任を持て。

通訳という専門職で時給1200円なんて安いでしょうが

時給1200円とは、160h 換算でも19万円ちょっと。(税金社会保障を抜く前)

失われた20年よりも昔の、1980年代なら考えられない安さ。

いま、最低時給を1500円に、という運動まで起こっている。これは専門職ではなく。

専門職なら本当は2000円でも良いくらいだと思うがね。

http://anond.hatelabo.jp/20170514102559

2017-05-02

これだけ見ても、日本終わってるなと実感できる。

まず国民が分断されまくっていて自公も僅差でしか野党に勝てない。

から世論調査でも、例えば戦争挑発問題だけとっても意見が分かれる。

1980年代前生まれ世代だけで、右翼支持者の大半を占めてしまう。経済成長バブル期子供青春時代を過ごした中高年が十分な政治思想教育を受けていない。

確かにゆとり世代以降の若者富裕層系の高学歴層に左翼層がいるみたいだが、 それも日本社会陳腐化と老朽化する日本から人口流出(少子化ではない)で、これから日本国全体が更に凋落するだろう。

そもそも日本全体を見渡した時、日本でなければならないものがない。あの立憲君主制イギリスの真似。

強いて挙げれば天皇制なんだろうが、それとて国民が惰性的に支持しているに過ぎず、保守政権で反対者が少ないだけで、国民問題点に気づいて怒れば流れは一気に共和制に転落する。

また民間などでは質の高い社会システムを維持できないのも事実。使いづらさを嫌った国民公的機関に泣きつき、負債けが積み上がる現実

日本風景アジアラストベルトに、日本の政治トランプ政権になるだろう。10年後、15年後、いや、天皇制崩壊外国人首相誕生兆しから地獄が目に見えている。

懸命な高学歴ゆとり世代勝ち組諸君らに対しては、日本から脱出することを強くお勧めしたい。

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419130208

増田の半径数mの話を基準にされてもなあ

統計的には夫婦の年齢差は年々縮まっていて、女性が年上のケースも増えてるけど

勿論5年前から急増なんて話ではなくもっとから、長い時間をかけての話だ

ちょっとぐぐったがhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2454.htmlなんてのがあったな

変化が大きかった時期を見てみると、妻年上は1985年までは1012%だったのが、2005年にかけて一気に20数%と2倍にまで拡大しており、

1980年代後半からバブル崩壊失われた10年を挟んで2000年代の前半までの20年間の変化が大きかったということが分かる。

だそうで

2017-04-14

我が早漏

私は40代男性現在の私については追ってご説明差し上げるが、かつて、成人を迎えるまでは早漏であった。早漏という概念を人に、特に女性に対して説明するのはひどく難しい。なぜなら早漏基準が明確ではないからだ。じっさい、私が早漏であったのかどうかよくわからない。具体例をあげるので、私が早漏であったかどうかはこの文章を読んでくれている皆様の判断を仰ぎたいと思う。たとえば、ノーパンで(注/私は束縛を忌み嫌う尾崎豊信者だった)デニムを履けば、数秒のうちに射出していた。あの硬質な布地にテポドンが犯されている感覚を私は忘れることができない。たとえば、キッチンにあるホーロー鍋に早漏テポドン押し付けるだけで、数秒のうちに射出していた。事後、母がホーロー鍋でクリームシチューをつくったとき私が二度目の絶頂を迎えたのはいうまでもない。こうした経験から私自身には早漏という自負はあるが、世間一般的にみて私は早漏なのだろうか。1980年代人権意識が低い時代であった。早漏は人ではないという風潮があった。ホーロー早漏を重ねていた私には地獄の時期だった。さいわい、私のテポドンは適度にムケていたので、見た目で嘲笑されることはなかった。当時から現在まで、包茎テポドンの方々の苦難を想うだけで熱いものが頬を伝ってくる。もし私のテポドン早漏包茎だったら…。考えるだけでおそろしい。早漏なだけの私はまだ恵まれていた。ただ、年齢を重ねるにつれ、ホーロー押し付けるたびに、早漏という事実は私のなかで大きな質量をもったものになっていった。都会に隠れる殺人犯気持ちといったら大袈裟だろうか。早漏であるかぎり、ホーローしか相手にしてくれない。私は寂しかった。女性とちょめちょめしたかった。私は、己のテポドンを鍛えに鍛えた。私は映画ベストキッド」の特訓のように握りしめたテポドンライトサークル(ブルん)、レフトサークル(ブルッ)、アップダウンアップダウン(ブルブルブルブル)と振り回した。冷水かけ流したあとで熱湯につけた。痛めつけたりもした。繰り返した。当初、ブルブルするたびにドラゴンのごとく白き炎を吐き出していた私のテポドン熱湯コマーシャルを重ねるうちに大人階段を登り、多少の刺激にはビクともしなくなった。それからしばらくして、私は、私のテポドンは死んだ。勃起しなくなってしまったのだ。祈るような気持ちライトサークル、レフトサークルアップダウンアップダウンしても、私の、かつてドラゴンのように咆哮したテポドンは、ミミズの死骸のような無惨な姿を晒すだけである現在の私は包茎早漏以下のインポテンツ、最近バイアグラも効かなくなった。何も感じなくなった世界で、私はときどき、あの早漏の頃を思い出しては、そろそろとだらしなく精液を垂れ流している。

2017-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20170408150956

マジレスすると1980年代後半は美食ブーム時代

グルメ漫画とかが出てきて山岡士郎海原雄山が贅沢食材を使って料理を作って「こんなものは食えん!」とか言って食材無駄にしてた時期がこの頃。

2017-04-05

必要なのは第二の反管理教育運動

1980年代1990年代日本各地において管理教育に対する懐疑論が巻き起こっている中、外山恒一などの若者管理教育廃止のために立ち上がりました。

彼らの運動には犠牲もありましたが、1993年には事実上管理教育の終息を実現できたのです。

そして月日は流れること2013年公共交通利用者激怒させるような事件が発生しました。観光列車ブーム蔓延してしまったのです。

観光列車ブームは様々な効果をも起こしましたが、それはわずか。むしろ反発のほうが大きいです。

観光列車の走っている地域は走る前よりもむしろ沿線住民鉄道離れが加速しているようです。あたか観光列車公共交通を駄目にしているかのようです。

観光列車ブームの暗部に憤った人々がネット上で立ち上がりました。

彼らの思いはたったの一つ「公共交通を返せ」

私たちが出来ることは3つあります

2017-03-22

日本ポスト主義化と経済成長のまいた種

20世紀公共交通一強の時代が長く続いた。交通手段公共交通こそが超大国だった。世界から評価される、エコ経済的バリアフリー…多くのヒト・モノ・カネが鉄道界隈に集まり鉄道を中心に都会が動いていた。この流れからの大転換が日本人ポスト主義化だろう。

新自由主義を掛け声に、公共交通破壊蔓延する。貧民の末裔権力を手にした公共交通はあまりにも汚物象徴になってしまいそうだ。その一方で、自動車バスオートバイの躍進はそれを象徴としていて、過去には暴走族があったが日本人努力によって脱却している。

都会の宝、交通象徴という特性をより伸ばしていくことで発展を続け、世界中の人に優れた都市交通の手本を示し続けた日本だが、逆に言えば、その普遍的テーゼを失ってしまえば価値は大きく低下することになる。鉄道だけとっても他の国の方が優秀そうで、利益公益バランスが取れているように見えるのが、事実だ。

今はまさに分岐点を通過した直後だが、今後はさらに鮮明になりそうな気がする。日本私鉄がそのまままるごと公営化されたりとか、自転車であふれている都会の繁華街などが、いつの間にかバスオートバイに変わったりとか。日本の古きよき光景も変わることになる。

2010年代以降のメインカルチャーがまるで低迷する一方、今日繁栄する文化には共通点がある。どれも経済成長期に台頭した文化だということだ。自動車オートバイだけではない。たとえばオタク文化なんかまさにそうだろうし、特に漫画アニメが目覚ましい発展を遂げた。

最近息を吹き返した据え置き機ゲームも、ソシャゲと言われているオンラインゲーム台頭前は主流だったし、日本大衆ゲーム文化京都花札屋が原点にある。素晴らしいゲーム一見価値があるので、中古ショップオンラインで買って一度遊ぶといいよ。

急激な経済発展を遂げている商業出版界隈だって高度経済成長多様化した。太田出版と言えばサブカルチャーイメージで、過去には完全自殺マニュアルの苦い歴史があり、元少年Aの出版を引き入れたと言われてはいる。しかし、それを除けば普通サブカルチャー本ばかりだ。

すべては「高度経済成長のまいた種」である日本の文化自体がそう。たまたま20世紀には、メインカルチャーが一強構造だったが、21世紀にはそれがサブに、下層に、未知の領域にすら分散しているということ。これをどう付き合うか、私たちも考える必要がある。

同人誌販売オートバイを利用する若者は今では当たり前だという。いずれも昔は有り得なかったものだ。今でこそ中高生でもできるような商業デビューアプリ作成も昔なら不良文化(私の父が高校時代小説出版で当時のお金で何十万円数百万円かもらって停学になりかけたことがある。)で、そのイメージを払拭したのが1980年代2000年代若者たち。これが今の現実の礎を築いたんだろう。

2017-03-21

二分の一成人式って多分モンペ対策だよね

http://makomako108.net/2017/01/05/nibunnoichiseijinshiki5/

実際、2分の1成人式に出席した親です。そして、元教師でもあります。13年ほどやってました。

この記事に概ね同意意見SNSでよく見る。読んでみて、なるほどと思った。たしかにその通りと。

いっぽう、参加したときはそれはそれでやっぱり感動した。

うーん、なんだろうこの違和感

ところで2分の1成人式って、うちら子供ときはなかったよなと思った。

ただ、調べてみると考案自体1980年代という昔からのようだが、普及はどれくらいなのだろう。少なくとも私の学区では無かったです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E5%88%86%E3%81%AE1%E6%88%90%E4%BA%BA%E5%BC%8F

さて先の記事に戻って考えてみますと、感動ポルノっていう表現を使っているけども、たしかになんかそういう押し付けがましさは思った。

子供は、決まった答えしか書けないよな、と。

参加してみて、いろいろな子供の夢や感謝言葉を聞いた。へえとか、将来の夢にYouTuber声優が多いのって今風だよなと思いつつも、

なんかバラエティ番組を見ているようにも感じていた。

まり、前述の記事で取り上げられている境遇の子供のことは抜きにして、とりあえず9割がたの親は感動ができるとは思いました(ベネッセアンケートより)。

そうなると、現場先生にも凄くメリットがあると気づきます

・夢を語るというプレゼン=正解のない課題をさせることで先生負担が減る

・親御さんに満足を与えられる=モンペ対策(こんな素晴らしいことをしてくれる先生!)

正解のない課題をさせることはとても楽なのですよね。

例えば、割り算の単元に入ったときそれを全員に理解させることは難しいけれど、だいたいが筋書き通りであれば良い作文は、ほんと楽です。

事前にある程度のテンプレプリントを配って、授業時間を割り当てるだけで良いんですから。あと、出来た子供に出来ない子供フォロー

をさせれば良いし。目標クラス全員の行事成功ですから、出来る子供も納得。

※もちろん全校生徒で合唱したりと大変な一大行事になっている学校もあるとは思うけれど。それでも「テストなどの学力関係ない授業」

というのは、それに比べれば気は楽だと思う。

そして、親御さん側も正解を持ち合わせていないため、ほとんどクレームはこないでしょう。

モンペ対策は言い過ぎにしても、ラポール形成には、費用対効果的にきっと相当のプラスだと思いました。

ただ「ほとんどこない」、というのは前述の記事のとおりです。

前述の記事のように、そもそも感謝言葉を全員が述べたい、という前提の行事なので、そうでないケースがあると成り立たない。

そして、記事の著者は「学習が本分」というが、本当にそのとおりと思います

ただ、その学習の前提であるクラス調和先生多忙さが、このような行事を安住させたのではないかと。記事を読んでふと思ってしまいました。

しかに感動はしたけど、たしかに無くても困らない・・・

感動ポルノちょっと煽りすぎだと思いましたけれど、冷静に考える機会を与えてくれたとは思いました。

さて、ですが、ただそれを「じゃー来年からやめようよ」と、一介の親が言い出せないもどかしさは残ります

教育って、楽な方に行こうと思えば、ほんと簡単に行けちゃうんですよね。

だって、よほど受験熱の高い学区じゃない限り、正解ってないですし、子どもたちも、ある程度は楽な方をやっぱり喜びます

まして、厳しいことを厳しくできる学校って、ほんと限られてると思うし。とくに公立はほんといろいろな生徒が来るわけで。

なんか教育制度って、細かい点ではおかしいと思うことはほんとたくさんあると思うのだけど、何からどうすればいいんですかね。

難しい。

2017-03-14

なんか車社会感じ悪いよね

振返れば、2000年代前半くらいまでは、高校生バイク禁止時代なので若者鉄道趣味サブカルなどで無軌道さを競い合った。高校大学卒業して社会人になればみんなにわかから本物の「オタク」になり、もっとあか抜けた。当時はいまのようなバイク乗りの高校生みたいなものもなかったと思う。

それがだんだん車社会適応するように強いられ、気づけば高校生バイクのりが許される環境ができあがり、それをすべて適応してしまう人が増えた。合理的理由も、自己選択余地もなく、2010年代になれば、持つ層になれば、年長者になればと環境変化に基づいて装備を切り替えていく。

もっと不気味なのは全体としての車社会人口が減少しているということ。車嫌いは以外にも地方の中高年のほうが多いし、事実30代以上の中には車嫌いの影響で鉄道好きになる者もある。で、若者免許車両取得者が増加しているのだ。今では大都会道路でも無軌道者でないのに若者バイクに乗る。

普通に考えて、車社会や車やバイク洪水ってあんまり楽しい社会ではないよね。外国人車社会限界を感じて鉄道社会にあこがれている。で、日本1980年代公害車社会化の失敗で車社会を一回捨てたはずだった。

それか戦争中の国家連想するんだよな。非常にうざったいイメージ鉄道ファンと言うだけで後ろから指差されて侮辱される。たまに鉄道ファンと言うだけで悪者扱いされるパターンもある。昔の韓国台湾ロシアがそうだったんだけど、正直言って不気味さがあるよね。

日本の「今更な」車社会化やっぱこれ、世界右傾化あるいは日本左傾化が原因じゃないかと思う。今の二代目大日本帝国としての日本の起点にあるGHQは、例えば差別や変わり者嫌いの激しかった連合国のお堅い人達が、植民地政策劣化コピー猿真似日本社会全否定して近代化を進めた歴史がある。なので本来なら非合理や不公正なこともまかり通った。

なので韓国的な非寛容社会社会構造の中で仕組化され、それが問題であることにさえ気づきづらくされてしまう。欧米において時代遅れだった前時代的な交通スタイルである車社会」が何十年も遅れて猛威を振るっている。つまり、つきつめると若造が皆免許取得に走り、日本人が車嫌いを差別する原因はGHQ統治での失敗にあるということではないか

GHQ統治の失敗に対する怒りの感情に基づく行動パターンと照らし合わせれば、暴走族と不良の直結(日本以外では有り得なかった事)やギャルキモヲタヤンキー化は腑に落ちる。そしてGHQ残滓が源流の社会戦後一貫して最右翼で今もその地位にあり、欧米化ぶれする日本人や、右翼になびく日本人批判さらされていることの象徴の一つが、文教利権をめぐる一連の問題だ。

その思想集団に推奨される「人民教育」とは、「常識に反発する」ことを徹底的に去勢するようなものだ。差別偏見奨励で車嫌いの居場所大都会ですら奪い、自己決定権を奪い続け、若いうちに使う使わない問わず免許を取り、欧米目線思想を呑み込ませたり、疑うことの醜さを洗脳されるもの

2017-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20170310194856

増田の子供の頃がいつなのか分からないけど、

私が子供の頃の1980年代にはふつうに使っていたよ。

タンクマンパンでこれ以上は入らない。

マンパンには、満タンパンクしそうなイメージがある。

http://anond.hatelabo.jp/20170309181141

死ぬ覚悟?謎。年金を受取る権利はもらってますよ?それがダメになっても若い連中が産まないからだ!とはオレは言わない。

悪いのは政府でしょ。もっと言えば1980年代対策しなかった官僚政治家、それを選んだ人たち。

その人達にこそ責任を取らせるべく年金保険料カットさせるのが正しい。

2017-03-09

日本文化って歴史的栄光に反して現代ブランドイメージが低過ぎるのは何故?

http://anond.hatelabo.jp/20170309234833

あの発展途上国イギリス中国クラス歴史遺産クラス文化あったか

日本文化がここまで落ちぶれたのは、日本人韓国台湾コンプレックスで落ちた日本国民人間性責任じゃないの?

車社会コンプレックスとか、バイク乗りの高校生大学生とか、ポルノを叱れない大人とか。行き過ぎた統制主義とか。

秋葉原話題の続きだけど渋谷

一見外国人でにぎわうほどの栄えている地区だが、

鉄オタスポットが昭和時代に激減し路面電車が早期に消滅

1970年代にやっとブランドイメージ確立されたが、1980年代オタクの町として栄えるも10年も長続きせず。

挙げ句の果てに不良問題解決の遅れでイメージダウン

山手線バイパス1996年2008年にやっと開通。

ギャル文化あぼーん

おまけに今度は左翼運動事実上ホームグラウンド宣言と来た。

2017-03-03

聞こえてくる故郷日本」の断末魔

そういうわけで、今の日本殺意の矢面に立たされているのは「日本残滓」ともいえる。というのも最近自公政権おろし発言に、実に納得する。つまり、表面的に彼らがすべてを支配しているように見えるが、実は本当に窮地なのは日本残滓の側だろう。

1980年代昭和時代だが、まだ発展の前半だったので、当時の国民の誰もが残滓と戦っていた。1990年代残滓的なものますます壊れていったが、それは都市部に限ったことだった。2010年代、もはや日本残滓は、政治サブカル手法によって相互エンコ的に結び付きあわないと成り立たなくなってないか

おニャン子」の時代握手券もなければ秋元康氏が支配層とずぶずぶになることはなかった。ニューミュージック洋楽こそ限定的であった。しかし今の日本では、若者音楽離れすらしている。非常識的なCDセールス国策迎合がなければ国民グループは成り立たない。

ネトウヨサブカル風味(あの暴走族らしさも含めて)は特殊だが、日本的市民団体の多くは運動が成り立たなくなっていて、そういう政治団体組合会長左翼趣味をまき散らして云々することはできなくなっている。壁も中身もうすっぺらいサブカルしかない。

新自由主義」の美名のもとに、好景気まがいな豪華列車が全国各地で走ったり、今時ポストヤンキー名乗りをして道路利用者警察から顰蹙を買う連中は、寝台列車を走らせていたり、痛車ラノベ競争が行われていた頃よりはるか日本らしさを失っている。

日本残滓」がモンスターになったものが、あらゆるものを蝕んでいる。というわけだ。1980年代から1990年代ヤンキーつぶしの迷惑オタクが被っていた頃に比べると、今回の右傾化問題はちゃっちすぎじゃん。昔は、その地域の最大の家族一族大金持ちになり支配層になり、色々な産業に口出ししているということだが、今は新自由主義富裕層インフレするというショボいやり口になっている。日本残滓は弱体化している。

この線香花火が消える寸前にブワッと燃えるような感じの「日本残滓の悪あがき」が、2010年代日本なのである非行ネタ消費も、鬱陶しいほどの鉄道拝金志向オタクギャルヤンキー化もそう。全部が、断末魔。あからさまに必死になり癒着しあって虚勢を張っているだけだ。

から虚勢であり、内実がないから、これはしょせん偶像しかないし、前時代論理であり、ネタしかないし、あやかしであって、モンスターなのである。これに終止符を打つ、一種の抵抗を迎えるのが、今われわれ文明社会を信じて生きる都市住民にはあるのではないか

あの問題が第二次自公政権という擬似右翼政権の幕切れで終わる訳がないと思っている。日本社会性にも切り込まれるだろうし、現在人類が(人類が何度も滅んだと言う説もあるため一応。)文明社会始まって以来受け継いできた帝国システムも、そろそろしっかりと「精算」されるはずだ。2017年から2019年はまさに一つの人類伝統東洋小国から終わる時ではないか日本人自ら日本看板を捨てる。


今の日本人2000年代までとはまったく異質で極左的だ。天皇制への疑念も高い。

だが日本で起きようとしている2019年問題とは、まさに“嘗ての中国”が行ったことと親和性が強い。現在台湾中国王朝制度破壊したように。それがわからない「肉屋を支持する豚バカ支持母体となった社会崩壊する。日本故郷もつ私にはまことに不本意だが、肝心の彼らがこうなのだからもうどうしようもないとなかばあきらめている。

2017-02-28

いまや車社会田舎・都会問わず悪化しているのは目に見えている

1980年代2010年代鉄道トラブル比較運行業者責任事故が減少しているが利用者責任事故トラブルが急増している。これでは鉄道はまったく便利にならない。

それどころか、1980年代から2010年代にかけてずっと道路交通進歩が進んでいる。駐車場駐輪場車両自体の値段も安くなっている。レンタカーオートバイの普及で気軽に車社会に参加できるようになった。車を持たない人が増えても免許取得率が減ってない。鉄道会社鉄道ファンへの視線がどんどん白くなってる。だったら鉄道社会の発展を目指すための国鉄民営化など意味がない。とっとと失敗を認めろ。

鉄道社会民度が低くなり、鉄道の敵とされる交通手段の敷居が低くなれば、誰もが「公共交通ふざけるな、公共交通利用促進ポスターを剥がせ」になってしまうよな。

2017-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20170215210028

1980年代までは登校拒否する児童をとにかくどんな手段を使ってでも

学校に行かせ規律適応させるのが美談として称賛されていたような空気世間支配していたし

その時代は実際に(今でいう)教育困難校に勤務し歯向かってくる生徒に対して武力で言うことを聞かせる仕事をしていたなどと豪語する教員が実際に存在した

しか90年代から児童学校で締め上げても不毛だという流れが一定の力を持つようになった

それが神戸高塚高校校門圧死事件のような事件の痛ましさゆえだったのか

あるいは酒鬼薔薇のようなフリークスを生みだす可能性への危惧ゆえなのかはよくわからないが

偏差値を問わず自由校風を持つ学校一定数増加したこともまた事実だと思う

その自由校風学校がどういう意味もつのか忘れ去られたまま

端的にただ現場不毛に苦しんでいる教員がいるだけになっているというのがはてなに寄せられる教育関係者悲鳴からもわかる

2017-01-31

子どもの頃、携帯電話してるような感じで喋っている人をよく見かけた。

ショルダーホンなんかじゃなく、ガラケーを手ですっぽり隠してる感じ。

でも1980年代

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2017-01-10

フジロック2016の「政治を持ち込むな」批判再考(個人的感想)

時間もたって落ち着いた感もあるので。

フジロックで昨年、シールズトークショーに参加したことで批判を浴びた。

主に「フェス政治を持ち込むのはおかしい」

という批判だった。

その際にメディアで盛んに主張されたのが


音楽政治を持ち込むな」という主張はおかしい。

音楽が如何に政治と関わってきたのか?

という文脈無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である


と言う主張だ。

ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。


私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。

というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。

結論を出す前に少し基本的情報提示しておこう。


イベント団体アトミック・カフェ」が行うトークイベント

トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制沖縄憲法原発


ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである


アトミック・カフェフェスティバル(ACF)は、映画アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本1984年に開始した。


音楽を通じて反核脱原発を訴えていく」がテーマイベントで、1980年代には加藤登紀子浜田省吾宇崎竜童尾崎豊、ザ・ブルーハーツルースターズエコーズBOØWYらが出演していた。1984年日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代最後の開催は1987年であった。


2011年フジロックフェスティバルアトミック・カフェフェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所バイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージNGOヴィレッジの2か所。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7#.E3.82.A2.E3.83.88.E3.83.9F.E3.83.83.E3.82.AF.E3.83.BB.E3.82.AB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.BB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.82.B9.E3.83.86.E3.82.A3.E3.83.90.E3.83.AB

ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロック政治と密接に関わってきたからでもある。

ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。

※というか俺もそれほど詳しくないし。

ロックの曲自体反体制メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか

まぁそういう感じだ。


ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。


①そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?

安保沖縄反核脱原発というトークショーテーマ妥当


そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。

詳しく調べればまぁ、まず政治的メッセージの込められた歌はあるだろう。

しかしながら反核脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージ全然ない。

2016年フジロック反核脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である

まり現在ロック界の表現している内容とトークショーの内容があまり乖離しすぎではないのかということだ。

アジカン後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。

あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブMC政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。

普段から政治的発言あんましないんかい!wwwww

正直この発言を見てずっこけた。

そりゃ客も面食らうわ。

なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。

特に若い客なら当然そう思うだろう。

10台の客捕まえて、「俺達は政治的発言しないけど、過去の人はしてきたかロック反体制

とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。

今のロック雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。

そしてもう一点気になったのが以下である


安保法制沖縄反核脱原発というテーマ妥当

正直、安保沖縄反核脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?

と思うわけだ。

アニメが昨年大騒ぎだったのでアニメで語るけど

この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人生活について語る

とかならまぁわかる。

シン・ゴジラ君の名はポスト3・11について語る。

というのもまぁわかる。

そんなに好きじゃないけど。

でもフジロックでアトミックカフェ、というのはなんか

シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。

いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍虐殺したけどねって感じだ。

どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。

フジロックがそういうイベントから

と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評レベルが50年前走ってねぇかと思うわけである


と言うわけで反体制であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的お話をして

また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。

正直時間も立ちすぎてロックのもの反体制であるというのは無理が出てきている。

いまやじじいですらロックファンは山ほどいるのではないか

そんな状況ではロック存在のもの反体制とは安易には主張できない。

きちんと若い世代に伝える努力必要だと思う。

アトミックカフェをある種のイコンとか伝統としてフジロックに併設したいのは人間的心情としてわからんでもないが。

というわけでフジロックはなんかもうちょい具体的かつ現代的なトークショーもっと増やせ(ひどい

2017-01-05

まもなく1980年代が40年前になる時代がやってくる

1990年からみた1950年と同じだぞ

2017-01-02

全然わかってないやつが意見を言うとこうなる パーフェクトな変形合体をまったく分かってない

http://anond.hatelabo.jp/20170102044531

当時のマクロスを見ても分かるけど

変形合体の完璧さ、精度が最も上がっていた時代1980年代

トランスフォーマーアニメ化もこの時代

本当にお前は変形合体が分かってないな

2016-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20161224220409

語るに落ちる、とはテメーのことだな。

まあ視点を変えれば1980年代まれゲーム直撃世代なので幸福かもしれないけど

視点を変えたら他の世代幸福になるんだったら、それがまさに主観じゃんw

そんなんいったら、なんとでもいえるぜw

元増田とどっちが、主観に過ぎるのかなんて、ばかばかしくて論じる気にもならん。

http://anond.hatelabo.jp/20161224215725

主観すぎるな

 

団塊ジュニア時代は明らかに全人口に占める子供の割り合いが多かったか

世代団塊団塊ジュニアというターゲットフォーカスして商品が作られたのは容易に想像できる

しか団塊世代より経済的に成長した日本で)

 

団塊ジュニアの成長に合わせて遊びや流行が作られたから、他世代より幸せと言っても過言ではない

 

まあ視点を変えれば1980年代まれゲーム直撃世代なので幸福かもしれないけど

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん