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2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160928104106

社会保障破綻するからコスパの悪い部分は諦めよう」というのはオレもそう思うよ。

胃ろうとか、止める病院も多いしね。

ただ、元々の増田が言ってる「例の自業自得患者死ね論者」は、コスパを考えてと言うよりケチなんだと思うよ。



国民は、生きてても良い≒国の都合で生き死にを左右しない」

ってので有名な日本国憲法第25条だけど、

アレは「社会保険破綻するから努力しないなら死んでくれ」と国が言ってはならないという宣言なわけで。

社会から見て有用でない」とか「社会から見て負担が重い」と言う理由で、人の生死を左右してはならんという意味ね。

社会保険破綻と、透析患者の死なら、守るべきは死にたくない透析患者が死なないような制度ってワリと重い宣言なわけだし。

苦しくなくて尊厳を守ってくれる死があればそっちの方がいい人は居る

ギリで生かすのは誰にとっても注ぎ込むお金に対して得るものが少なすぎる

というのとは違うってことね。

尊厳死の話は、どっかというと「死なせてくれない社会は嫌だ」って話じゃないかな。

更に一歩進めば、「最後一年で、それまでの20年分の医療費を使うのは、正しいのか?」って話になって、ソッチのほうが話題にスべきだと思うんだよね。

現に、効くのは効くんだけど莫大なカネのかかるがん治療薬とか話題になってきてるし。



家族のこと考えると他人事じゃないだけに、「社会保険破綻するから、カネ食うやつは死ね」ってのは、方向性としてダメだと思うんだよな。

尊厳もクソもなく、他人寿命決められるのはちょっとな。しかもそれが「オレの考える努力してないやつから死んでもらう」だと地獄感あるし。

http://anond.hatelabo.jp/20160928102958

ケチとかじゃなくてこのままだと社会保険破綻するのは事実なので

どこから減らしていくかは考えないといけないんだよ

俺は末期的な患者や老人をギリで生かす費用は削るべきだと思う

祖父母を見送ったでそう思う

苦しくなくて尊厳を守ってくれる死があればそっちの方がいい人は居る

ギリで生かすのは誰にとっても注ぎ込むお金に対して得るものが少なすぎる

2016-09-21

高齢化への歯止めのかけ方

人口減少、高齢化何が悪い


 民進党が党を挙げて擁立した、いわば野党代表就任早々に言ったセリフがこれだ。

事業仕分けで散々叩かれ、二重国籍問題で叩かれ、またも燃料投下。もはや炎上ブロガー以上の炎上スキルである



続けてこう発言した。

「今の政権では社会保障の充実が置き去りにされている」(中略)

人生の先輩方がどうやったら元気で、長く、自分らしく生きることができるのか、大きなかじ取りをさせていただきたい」

http://www.sankei.com/politics/news/160919/plt1609190021-n1.html




 我が国一般会計予算96兆円(H27)のうち、33%(31兆円)は「社会保障費」である。そのうち、いわゆる老人に使うカネである年金医療介護保険給付費 (年金医療介護)は23兆円なのだ。※1

まりざっくり言うと、国家予算23%は老人に費やしているのだ。この国の未来よりも、選挙で一番投票層の厚いこの世代の事を考えれば怖いもの無しというわけでしょうか。彼女はこれ以上社保障費を充実して、何を削るというのだろうか?




 社会保障費に対して、我が国の"未来への投資"はどうだろうか?

文教及び科学振興 」(5兆円)と「公共事業」 (6兆円)の割合は合わせて11兆円程度であり、わず11%にすぎない。




 高齢者に対する投資が足を引っ張っていることは明白なのだ

しかに年配者は聡明で何でも知っており、できれば長生きして貰いたい人だっている。けどそれとこれとは別で、老いれば誰しもが、もはや独りで自立できる状態では無くなってくるのだ。




 きっと原因は進みすぎた医療にあるとおもう。

いや医療技術技術としては本当に素晴らしい。大昔の平均寿命を考えれば、もはや神の領域だ。しか医療恩恵を受けるのは身体のみであり、脳は延命治療は施せない。本来であれば脳が死ぬ前に身体死ぬはずだったとしても、現在身体医療により脳の寿命より延命される。

まり脳が死んでもなお身体は生き続ける。これが認知症状態だ(少なくとも私はそう認識している)。

  江戸時代の平均が30~40歳で、平均寿命が50歳を超えたのは戦後すぐの1947年医療によりわずか70年で平均寿命さらに35年も伸びたのだ。

脳の寿命がこんな急激な変化に対応できるとは思えない。




 現在、要介護認定者は2014年に600万人を超え、65歳以上の約2割を占める。(全体の人口の5パーセント

この中のどれだけの人たちが認知症なのかはわからないが、医療により身体と脳の寿命バランスが崩れてきているのではないかという気がする。




 自立していたであろう大人が年を追うごとに、赤ん坊帰化するかのごとく、頭も身体も、自分の足では立つことが難しくなる。

経済上若者が納めた税金年金享受し、介護では肉体的に若者に支えてもらっているのが現状だ。それ自体は仕方がないし、支え合うのは当然だ。

 しかし、老人ホームへ赴くたびに若者がこんな処で消耗していていいのか?と思う。

貴重な国の財産であり、これから未来を担うはずの若者老人ホームで、もうすぐ死ぬであろう者のお世話をしている。きっと好きでやっているんだろうな。

そう考えるとおこがましいが、勝手にどこかで彼らに対し"勿体無い"という気持ちになる。




 高齢者に対し、身体的にも経済的にも投資することに対する見返りはほとんどない。いわば"沼"なのだ反発係数ゼロの壁だ。そこへ投資するカネはとたんに"死に金"になる。

我が国はこれ以上本当に高齢者に、莫大な時間と、若者の手と、カネを費やす必要はあるのだろうか?




 ただでさえ各国に追い抜かれ、後進国となりつつある我が国若い層を大事にしなければならない。

子供を産ませ、教育サービス経済的支援を充実し、社会資本整備による国際競争力の向上、モノづくりに対する支援などで景気を好転せねばならない。でなければ、もう手遅れかもしれないが、秒読みでもっともっと情勢は悪くなるだろう。




 いずれは自分も、散々上記に挙げたような高齢者になるし、その時に誰にも助けてもらえなかったらと心配もするが、高齢者問題はこのままではあまりにも大きな重りとなって、この国を沈めてしまうだろう。

高齢者尊いし知恵もある人生の先輩だ。いつまでも元気で自分らしく生きて欲しいと願う気持ちも当然ある。

 かつて高齢者大事にしなさいとはよく言われたものだが、それは高齢者が数少ない貴重な存在だったからだ。貴重なものは確かに大事にすべきだが、高齢者はもはや増えすぎだ。

正直アンバランスである。数が多いもの大事にする必要があるかというとそんな事はないように私はおもう。




 例えば、うちのばーちゃんは認知症施設に置いている。

もう子供名前はわからないし、駄々をこねたように暴れたり、暴れお漏らしだってする。でもそんなことすら1時間もすれば忘れる。

そんな姿を見て、昔の姿と対比して、生きるってなんだろう?と思う。動いてれば生きてるということなんだろうか?解放できるのであれば、解放させてあげたいがそんなこともできない。

そんな祖母は上に挙げた社会保障から補助金施設に置くことができているし、幸運にも祖母自身にも貯金があった。そういう身内を支援する仕組みや貯金があって不幸中の幸いというやつだ。

よく無理心中の話も聞くが、これらが無かったらと思うとゾッとする。しかし世の中には当事者貯金もなく、要介護認定を得られなくて苦しんでる人だって、おそらく相当沢山いるのだろうな。




どうやって高齢化問題解決すればいいのだろう。現代姥捨山必要なのではないか

一定の年齢を超えたら無理に延命措置を取るのをやめる。

安楽死という手段合法化し、本人にも身内にも安楽死という手段選択肢に入るようにする。

これくらいしか思いつかない。というかこうでもしなくてはいけない段階にきているのではないかと思う。でも人間尊厳とかでそんなことを実現するのだって無理なんだろうな。根深い、根深いよ





※1 内訳には医療も含まれており一概に老人に使う金とは言えないが、医療費のかなりのウェイトを老人が占めるので多少大げさだがこの表現とした。

2016-09-19

久々に映画を見て泣いた話

結構前になるんだけど、マイケルムーア監督の「世界侵略のススメ」って映画を見た。

元々この監督は好きだったし、今回もアメリカンブラックジョークで笑かしてもらおう、みたいな軽い気持ちで観に行ったのね。

で、予想通りアメリカンジョークで笑ってたら、段々笑えなくなって来て、最後には結構泣いちゃってた。

映画自体が良かったのももちろんあるんだけど、映画の中で描かれてるアメリカ日本と同じなんだよね。

今までこの監督が作った映画ボウリング・フォー・コロンバイン華氏911シッコと言った映画は海の向こうのアメリカが抱える深刻な問題を扱ってた。(銃規制の話や、国民皆保険制度が無く貧困層医療恩恵を得られないと言った話)

それが今回は労働教育人間尊厳と言った問題がメインで、よくよく聞いてるとそういう話題アメリカの現状は日本と変わらないんだよね。

なので海の向こうの話かと思ってたら、突然話が身近で現実的な話になっちゃった他人事では聞いていられない。

アメリカ長時間労働低賃金休みも少ない。休みが多いと言われるフランスイタリアはどう?

アメリカ詰め込み教育学歴社会学力世界一フィンランドはどう?

アメリカ前科者は人間扱いされず。まともな職も得られない。死刑制度廃止したポルトガルはどうしてる?

もちろん良いことばかりじゃないし、不況だらけで経済は行き詰まってるけど、欧州の人は「やりたくないことはやらずに、人間らしく生きていこう」としてるんだよね。

社会で生きていくためには嫌なことでもやっていかなくちゃいけない。それができなくなったら人間失格だ。

そんなことはない、と思いながらも心のそこではそう思ってた自分に気づいて、そして大変ながらも人間らしく生きていこうとする欧州人達のその姿勢に涙が止まらなかった。

こんな日記を書きながら、休日なのに明日提出の資料がまだ半分残ってるのでこれから頑張る。

いつから幸福が当たり前になったのか

なぜ俺は不幸なんだ、俺ばっかり、こんなはずでは

 

のように嘆くことがある

これはよくよく考えると、2つの意味を持ち合わせている

 

理想人生とのギャップや、他者とのギャップ

・単純にツライ

 

前者は劣等感のようなもので、地位財ってやつだ

後者は非地位財、例えそのジャンル自分いちばんマシでも、ツライと思うこともある

 

地位財の方

 

前者の指す「理想」は作られたものであることが多い

 

例えば結婚

江戸時代生涯未婚率が2割だそうだ

望まぬ結婚もあるし、そもそも身分の差もある

それ以前に昔は戦や戦争病気でかんたんに死んだ

かんたんに死んだということは、その家族もかんたんに路頭に迷う

路頭に迷えば飢える、鬱だなんだ言う前に腹が減ってそれどころじゃない

 

だって身分の差がある

一日の労働時間もずっと長くキツイもの

 

江戸時代なんて言わず昭和に比べても大分良くなってる

 

 

しか高度経済成長期末期からバブルの当たりで何かが壊れた

あの時代は誰もがある程度金があって、誰もが結婚して、誰もが子を持って、経済も、学問も、メディア芸能も、うまく行き過ぎた

その時の価値観基準値として、今の時代が作られてしまっている

 

50点でハッピーだった時代から、90点で及第点時代になり、今は80点で不幸を感じる時代

「これだけお膳立てされてるんだ。90点取って当たり前だろう」のような空気がある

 

何かと間違ってる

不幸は常に存在するし

理不尽な方が当たり前なんだ

 

全員が各ジャンルに平均以上の点数を取れるわけがない

劣っていてもそれがどうしたと言えなければならない

しかし、自分の不幸な領域必要以上にコンプレックスを抱えてしま現代は病的だ

頭でわかっていても、


地位財の方 

 

コッチも現代ならでわな問題だと思う

 

単純にツライ

どこまで進んでも闇ばかり

頑張っても頑張っても何も解決せず

頑張ってないやつが幸せそうにしていたりする

 

これはマズロー欲求5段階説で言うところの、

生理的欲求安全欲求が満たされてしまっているからではないかと思う

 

現代人は自ずと、社会的欲求尊厳欲求自己実現欲求幸せを感じるようになる

しかしこれらは頑張って得られるモノというわけでもないし、全員が得られるものでもない

 

RPG最初で強めの武器を渡されて「90点取れるよね?」みたいな空気からスタートする

でも実際上手く行かない

特にぼっちにはキツイ

 

こっちは考え方を変えようがどうにもならない

どうすればいいんだろう

 

ダメだまとまらない

2016-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20160905182746

増田が挙げた例で言えば、

認知症」で尊厳が傷つくとすれば、尊厳とはつまりは理性のことだ。

「寝たきり」で尊厳が傷つくとすれば、尊厳行為あるいは行動力のことだ。

「生きるために生きている」ことで尊厳が傷つくとすれば、尊厳とは自由のことだ。

んでお金がちょくちょく出てるが、尊厳とはお金のことか?

どれも否だと俺は思うけどな。

やっぱ生命、生まれただけのものにも尊厳はあると思う。

人間尊厳には差があると認めろ

私は病人だ。

特定を避けるため詳しくは言わないが、他人の手を借りる程ではないものの、比較健康生活を維持するので精一杯で、働くことが出来ない程度の病気だ。

さてここで、相模原障害者施設殺傷事件について思い返したい。

私は犯人思想賛同はできない。しかし、そういう考えに至る点については理解できる。

例えば、認知症意識がなく寝たきりで、寝返りも排泄も他人に頼り、胃ろうによってただ生かされて続けている老人をみてどう思う?その老人は生きているといえるか?

少しスケールを下げてみる。

自己認識もあり、排泄食事その他も自分で行うことができるが、病気によって脅かされる生命維持の対処に一日の時間がほぼ費やされ、働く程の体力もなく、ただ日々「生命維持の為に努力し、生きる為に生きている」人間は、生きているといえるだろうか?(これはつまり私自身のことだ)

意識の有無の違いはあれど両者ともに、生きてはいる。しかし、生命の維持、つまり「日々息をし、食事をし、排泄し、眠る」以外の行動はほぼできていない。そして当然だが、「日々息をし、食事をし、排泄し、眠る」だけでは人は生活できない。当人以外の誰かが、食費や光熱費や住む場所為のお金を払っている。

私の疑問はシンプルだ。

人間尊厳とは、何だと思う?

生きることは無料ではない。寝たきり老人は誰かが世話をする必要があるし、生きる以外の事が出来ない病人生活費は誰かが稼がなければならず、施設の中で介助を受けながらただ生き続けるだけの障害者もまた同じだ。

人はひとりでは生きていけない。助けあって生きていく。どんな命も尊い。そういった考えは美しい。だが、そんなもの現実的な病苦や伴う苦労に対して何もしてくれない。

ベットの上で意識もなく生かされ続ける人に尊厳はあるか?苦痛中日々を生き延びるだけの人間尊厳はあるか?他者尊厳どころか自分尊厳さえ認識できない人間尊厳はあるのか?

本人の意思努力社会他者から認知支援では補えず、その排除永遠に叶わない「尊厳への攻撃」は、老いや病苦や障害存在のものなんだ。

「生きているだけで素晴らしい」というのは、「生きている限り少なくとも何かできる可能性がある」という前提がある時に響く言葉なんだ。

生きているだけで苦しむ人間に、生きる為だけに普通以上のコストを払う必要がある人間に、何かできる可能性すら持てない人間に、「それは素晴らしいことだ」と言えるか?

からすればそれは、永遠に排除が叶わない「尊厳への攻撃」を受け続けなくてもいい人間傲慢だ。

こんな、苦痛と、屈辱と、惨めさと、無力と無為にまみれた毎日のどこが素晴らしいんだ。想像力のない馬鹿の戯れ言だ。私が生きていることが「素晴らしい」ってんなら、いつでも変わってやるから変わってくれよ素晴らしいんだろ?

生への手放しの賞賛なんて、「生きているだけで尊厳への攻撃を受けている状況」へ対する否定無視なんだよ。

生きていることは素晴らしいから、家族からまれいるから、どんな人間であれ個人として尊重されるべきだから。わかる。理屈はわかる。正しい。

しかし、私の尊厳私自身で決めたい。勝手に決められたくない。生きていることは素晴らしいなんて思想押し付けないでくれ。「ひとりで生きていけなくても、同じ人間人権尊厳があるんだから生きるべき」とか、勝手に決めるな。

生きていることが望ましく善であると思えるのは、今いる場所マイナスじゃないからだ。生きているだけで尊厳への攻撃を受けている人間がいることを知ってくれ。苦しみながら、もしくはその苦しさを自覚する事すらできないまま、”ただ生き続けるだけ”しかできない人間まで「素晴らしい」なんて言うな。そうやって何の区別もせず生の賞賛をするから、建前と現実ギャップに耐えられない人間が「障害者(等の弱者)は人に迷惑をかける存在から死ぬべき」なんて思ってしまうんだ。

老いや病気障害というどうしようもない理不尽と不幸と差異を、いい加減真正から受け入れるべきだ。健康人間とそうじゃない人間は、どうしようもなく違うんだ。

死にたいわけじゃない。差別されたいわけじゃない。人権を捨てたいわけじゃない。必要や不必要の話ではない。尊厳の話なんだ。

私の尊厳は、私自身や誰かが何をしようと、いつだって病気によって脅かされているんだとわかってくれ。

「辛くても無為でも他者迷惑をかけても生きろ」というエゴ傲慢を、せめて認めてくれ。

「生きることは素晴らしく、意味がある」なんて思考停止した理想を掲げるのは、もうやめてくれ。

ただでさえ病気で苦しいんだ。自分尊厳なんてあるのかわからない。それでも、自分自分で維持できる最低限の尊厳とはなんだろうかと悩んでいるんだ。これ以上、教科書に書いてあるような「人間尊厳」を掲げて追い詰めるのはやめてくれ。私はそんなところまで上がる事ができないんだ。

綺麗で完璧人間尊厳という言葉で覆い隠して、逃れられない理不尽を受けている存在から目を逸らすのはもうやめてくれ。

病気理不尽に奪われてカスしか残ってない尊厳でも、それが自分の上限だって認めて必死でそのカスを維持しながら生きてる存在を、認めてくれよ。

2016-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20160826232139

暴力的に言えばそういう人たちは自分尊厳他人迷惑よりも、自分が目立つという目的に愚直なのだから良いじゃんと思うことが出来る。

そのファン人達も、粗野で無意味なことに時間金も掛けて本人の欲望は満足しないんだからひどい話だと思う。

2016-08-20

批判屋は責任をとらない。

貧困がどうこうだのPCを買えだの言う奴らは、だからと言って彼女人生責任をとるわけではない。

とれるわけがない。

娯楽費を削れだの、アニメーターの道を諦めて手に職つけるなりしろだの尤もらしい事を言う。尤もらしいがそれは必ずしも成功ではない。

StudyGiftのように金をせしめようとしたわけでもなく、貧困があることを知ってほしいと自分の例を出しただけで、ここまで叩かれるのは訳が分からない。不憫としか言いようがない。

今回の件で、生徒会長まで務めた彼女尊厳を傷つけられ、好きだった絵を投稿するTwitterアカウントを閉じざるをえなくなり、住所を曝される恐怖を植えつけられた。そして数ヶ月もすれば騒いだ奴らは忘れている。だが彼女の受けた屈辱に、奴らは何ら責任を負わない。

2016-08-18

相模原障害者殺人事件で思うんだけど

あの事件があって以来、あちこちでインタビュー記事があって、東大盲目先生が出てきたり、

野田聖子議員が出てきたりしてるけど、自分はこんなふうに思っている。

最重度の知的障害者は、施設で多くの人の手によってケアされたり見守られていたりする。

両親も、この子障害があるからとその障害を受け入れた上でその子を愛していたりする。


だが、軽度の知的障害者はどうだ。

彼らを救うものがまったくないのはどういうわけだ。

底辺女子に見られるように、パッと見てわからない知的障害のある女の子が、その知性のなさから騙されて転落し、ひどい境遇の中で

その性を搾取されて、売るものがない彼女たちは性を売ったり、体をいためつけるAVにいつのまにか出させられたりしている。

こういう女性が生まれてきた環境ももちろんまともとは言えない。

言い方は悪いが、親にも知性がない場合ほとんどだ。

家に帰ったところでろくでもない環境からこそ彼女たちは家庭を捨てている。

軽度だからこそ救われない。

そこがこの事件モヤモヤしてモヤモヤしてたまらないところなんだ。


コメやらインタビューやら記事やらで「障害があっても、その人の人生尊いものだ」「弱いものを包括してこその社会だ」とかいうのが散見されるけど、

これだって知的障害があるがゆえに性を売らなければいけなくなった女性にとっては、鼻でせせら笑うくらいにきれいごとだ。

何度も言うけど、軽度だからこそ救われないんだ。

障害があるのに、見た目ではわからない。

そして、軽度だが、生活保護自力申請できるだけの知力はない。

軽度だからこそ、生活保護スティグマになることもわかっている。

ホームレスもそうだ。ホームレス男性の3割は知的障害者だ。

からこそ貧困ビジネス搾取されたり、人間としての尊厳を失ったような目にあったりする。



最重度であれば見てわかる。手厚く保護される。

知性はあるにこしたことはない。でも、生まれとき自分でそれを選べない。

からこそ救いがない。

2016-08-09

turimotonaoki

これ「『私が』不快から認めない」以上の事は書いてないね

表現の自由範囲範疇』というもの自分一人で勝手に決めて癇癪を起こしている。

表現規制がどれだけの暴力であるかを理解していないからこんな事を軽々にほざけるんだろ。

ジョセーノジンケンって万能で無限じゃないよ?

 

日本人虐殺ゲームなるもの実在したとしたら、日本人の俺は不快に思うが別に規制しろとまでは言わない。

実際中国抗日ドラマ抗日ゲームはそういう内容だけど、規制しろなんて言ってる日本人なんて見た事無いし。

 

 

>でも、元記事見た?〈女子差別撤廃〉の記事について、女の私が、女の尊厳のために、感じることについて話している。

 

記事、見るだけじゃなくてちゃんと読んでる?記者女性で、国際連合市民団体の求める表現規制に反対してるけど。

 

http://anond.hatelabo.jp/20160219013645

2016-08-08

自分障害者になったらって考えてみなよ」の説得力のなさ

障害者尊厳が貶められるようなことがあった時に言われるこの言葉

「もし自分障害者になっても同じことを言えますか?」

おお、その通りだ。人生、一寸先は闇。明日何が起こるなんて誰にも分からない。交通事故に会うかもしれないし、病気に倒れるかもしれない。そもそも健常者に生まれたのだって単なる偶然にすぎないんだ。

障害者に向けた刃はあなたも殺すかもしれない。人の立場になって考えましょう。うんうん、全く道徳的だ。

私は人生の一時期を身内の介護に充てたことがある。毎日が辛かった。好転するとも思えない事態人生を費やし、このまま日々を重ねていくのかと絶望した。かつてあったはずの親愛の情は失せ果て、ただただ消えてくれと願った。またそうした負の感情を持つひどい人間だと気付かされるのにも嫌気が差した。介護が終わりを告げた時、私はホッとした。

私がリアリティを感じるifの世界はこうだ。

「もし自分人生障害者によって縛られことになっても同じことを言えますか?」

自分障害者になることよりも、障害者の世話に人生を費やさなければならないことの方が私にとってよっぽど恐怖なんだ。

2016-08-06

ゲイアウティング事件について語る

自分LGBTのいずれかであるが、カミングアウトすることには相当な勇気必要なのは理解出来る。

NHKだったり先進的なメディアではLGBTは異常でなく個性であり、分け隔てなく扱うべきというスタンスが目立つ。

それだけを見ているとまるでマイノリティに優しい世界のように見えるが、現実はそこまで進んでいない。

平等に見えるのは企業でもそこそこいいところだけであって、コンプライアンスが昨日していないような会社では平気で差別がある。

 

ましてや学生コミュニティでは(一部大人コミュニティでも)「弱い奴が悪い」という価値観リア充の中に蔓延しており、

もちろん、頭のいい人間が集まる場合部分的に慈悲や思いやりを見せる場合もあるが、それは偏屈コミュニティの中でのパフォーマンスに過ぎず、

本気でそういう人間と関わるのは面倒だから当たり障りのない対応をするというのが基本であり、

関わるほどにマイノリティマジョリティの溝のようなものはまだまだ埋められないと感じるだろう。

だってキモイじゃん」というのが正当な理由として扱われているのが現状なのだ

 

漫画なり動画なりアニメであっても、同性愛者やトランスジェンダーネタキャラキワモノとしての扱いであり、

受け入れられるのはそれをネタにして道化を演じることができるモノのみである

努力・友情・勝利には不要なのか、決してそういうサブキャラクターの辛さについて語られることはない。

自分自分であることの苦痛だったり、正体を隠して生きなければ人狼のごとく批判対象になってしまうという、

まるで亜人のような、B級人間であるかのような感覚普通の人は理解できない。

 

髪や肌の色が違うこと(もちろんそれによって苦しむ人もいるだろうが)とは違い、そうであるが故に尊厳を踏みにじっていい対象になってしまうことの屈辱と辛さは、目の見えない人に視覚を伝えるようなものなのだ

この部分は個人の感受性に大きく影響を受けるため、当人がどの程度それに苦痛を感じるかには個人差がある。

そのため、その苦痛が大きい人ほど、アウティングによるダメージは蓄積していくだろう。

 

彼が弱かったから悪いという意見があるが、それは存在のもの否定するのに等しい。

受け入れられない人間は受け入れられないのだ。

物理的なアレルギーがあるように、心理的アレルギー理解しなくてはいけない。

学生のノリで劣っている人間嘲笑対象にし、優越感を得たいという心理理解出来る。

しかし、それを咎めることができないこの世の中では、こうして裁判になり、世の中に取り上げられ、

人を貶めてはいけないという事実を全員で再認識する必要があるだろう。

 

一部の人間は裁判までするなんてと、裁判をすること自体がおこがましいという意見もある。

それは彼らがゲイ差別しているからだろう。

社会に受け入れてやっているのに裁判までして、たて突くのかと彼らは感じているのだ。

性同一性障害当事者裁判を起こした時の反応もそれに基づくだろう。

結局、彼らはいつまでも弱者のままで、会社に運良く入れてもそういう事情文句が言えない環境にあることが多い。

そういう不遇や不平等を解消するためにも裁判という手段があることを知ることが、弱者にとっての唯一の武器になるのだ。

 

結局、まだまだこの世の中は弱者を叩き、不条理なことをし、不正を働いたとしても、

それを咎めることで自分に悪影響が及ばなければいいやと考える人間で溢れかえる限り変化はないだろう。

そういう見過ごす者たちが責任を取らされる立場にならない限り、何も変わらないのだ。

きっと、普通人間はそのリスクコストから逃げたいばかりで、本当の意味でみんなが過ごしやす社会なんてものは求めていないのだ。

2016-07-31

相模原障害者殺傷事件、なぜ首相声明を出さないのか。

相模原障害者施設、やまゆり園で起こった殺傷事件でショックだったことはいくつもあるのだが、私の心に引っかかっているのは首相障害者差別に反対する声明を出さなかったことだ。声明はおろか、コメントすら無かった。

もし欧米諸国だったなら、こういう事件が起こったときに国のトップリーダーが「障害者の命を軽んじてはいけない」「わが国は全力で障害者人権を守る」という声明を出すと思う。なぜならこれは単なる殺人ではなく、あえて障害者ばかりを狙って殺傷するというテロであるからだ。

ゆえに日本政府は今回の殺傷事件テロとして扱い、障害者差別を許さないことを改めて宣言するべきである


障害者家族構成する団体は、『津久井やまゆり園での事件について (障害のあるみなさんへ)』という声明を発表した。

容疑者は「障害者はいなくなればいい」と 話していたそうです。みなさんの中には、そのことで 不安に感じる人も たくさんいると思います

[中略]

障害のある人もない人も、私たちは 一人ひとりが 大切な存在です。障害があるからといって 誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。

もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は 全力でみなさんのことを 守ります。ですから安心して、堂々と 生きてください。

(全国手をつなぐ育成会連合会

http://zen-iku.jp/info/member/3223.html

しかし、首相政府からは同様のコメントがなかった。私はそのことに絶望的な気持ちになった。

無論、植松容疑者障害者差別する発言執拗にしていたからといって、その差別感情が主要な動機だったかどうかは分からない。薬物をやっていたという報道もあるし、措置入院していたということもあり、現段階で犯行動機について断定するのは不適切だろう。

はいえ、これが障害者を狙った犯行であることは明らかである障害者やその家族たちの不安を取り除くには、真相究明や再発防止策を論じるより先に、まずまっさきに政府障害者を守るという姿勢を鮮明にするべきだ。


マスコミ報道では、「障害者なんていなくなればいい」「安楽死させるべきだ」「税金無駄」という容疑者発言がくりかえし流されている。テレビアナウンサーコメンテーターはそれを正当化するつもりは毛頭ないだろう。しかし、ありのまま引用して伝えることで、容疑者の主張はむしろ広く国民宣伝されてしまっている。

容疑者のこのような発言が出てきた際、それをすぐさま差別だと指摘して怒り、はっきりと全否定しないことが日本マスコミの駄目な点だと思う。あたかも“冷静に”、“中立に”、“客観的に”物事を取り上げて報道するというのがマスコミの宿痾なのだ

しかしそれより何より、なぜ安倍首相声明を出さなかったのか。私はそのことに憤りを感じている。


障害者やその家族たち、施設で働く職員たちは、植松容疑者模倣犯が出ることを不安に思っているかもしれない。だが、彼ら・彼女らの不安はそれだけではないだろう。容疑者差別発言テレビでくりかえし報じられているので、それを聞いて自分尊厳を傷つけられたと感じたり、おそろしくて辛い気持ちになってしまう人は多いはずだ。

これだけ毎日報道がされていると、植松容疑者の主張がどんどん社会に広まっているかのような錯覚に陥る。そして実際に日本社会にはまだたくさんの障害者差別があって、植松容疑者が述べているような考えを持つ人たちは少なから存在するのだ。

からこそ首相障害者差別に対し、きっぱりとノーを言うことが必要である。もし日本政府国民とともに障害者に寄り添う、私たちは決して障害者差別を許さないというメッセージを発信すれば、そのことがどれだけ障害者とその家族たちを勇気づけて救えるだろうかと思う。


ちなみに今回の事件に関して、アメリカプライス報道官は、「この凶悪犯罪障碍者施設で起きたという事実は、この事件を一層不快無分別ものにしています」と述べた。ロシアプーチン大統領も「無防備障害者に対する犯罪は、その残忍さと冷徹さで衝撃を与えた」というコメントを発表している。いずれもこれを単なる殺人事件として取り扱うのではなく、障害者をねらった差別犯罪ヘイトクライムであるという点を強く非難している。

それに比べて安倍首相はどうだったろうか。被害者にむけて哀悼や見舞いの言葉を述べたり、真相解明や再発防止を訴えはしたものの、差別問題については全くと言っていいほど言及がなかった。

政府は、相模原市知的障害者施設で入所者などが刃物で刺されて19人が死亡、26人が重軽傷を負った事件を受けて、総理大臣官邸安倍総理大臣のほか、塩崎厚生労働大臣河野国家公安委員長らが出席して関係閣僚会議を開きました。

会議の冒頭、安倍総理大臣は「何の罪もない多くの方々の命が奪われた決してあってはならない事件であり、断じて許すことはできない。亡くなった方々のご冥福を心からお祈りするとともに、ご遺族にはお悔やみを申し上げたい」と述べました。

そのうえで、安倍総理大臣は「この事件で多くの方々が大変な不安を感じている。事件を徹底的に究明し、再発防止、安全確保に全力を尽くしていかなければならない。施設安全確保の強化、措置入院後のフォローアップなど、さまざまな観点から必要対策を早急に検討し、できるところから速やかに実行に移していくよう指示する」と述べ、措置入院の在り方の見直しも含めて、再発防止策を検討し速やかに実行に移していくよう指示しました。

NHK, 2016年7月28日

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160728/k10010612171000.html

安倍首相殺人という犯行を予断をもたずに非難する一方、障害者差別問題についてはなぜか一切言及していない。これではまるで植松容疑者の主張自体には一理あると認めるようなものではないか

それとも、植松容疑者が主張していることは精神異常者の支離滅裂妄言にすぎないから、それをいちいち障害者への差別として取りあげるべきではないとでもいうことなのだろうか。

しかに今回の場合責任能力のない容疑者妄言を吐いているという可能性もあるにはある。しかし、植松容疑者責任能力がどうであれ、少なくとも殺人という犯行は「断じて許すことはできない」として非難対象となっているのだ。それならば容疑者がおこなった差別を同様に非難対象にするのが道理である

すでに遅きに失したが、首相には今からでもその旨の声明を発表してもらいたいと思う。

2016-07-28

日本国民政府に怒れ、全ての政党に怒れ、政治家に怒れ、怒れ、怒れ、怒れ!

怒れ国民よ。

無能国民として怒れ。

己の人生を食い物にしてきた役人どもに怒れ。

自分たちに怒れ、己自身に怒れ。

尊厳を失ったことに怒れ。

怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ。

考える力を失ったことに怒れ。

政府民営化せよ。

2016-07-27

あくま友達の話です。私の友達の話。私の友達の。。。

アラサー女友達結婚焦ってト○アンナとか、ぱ○りことかの恋愛婚活ブログ真に受けて

「卑屈にならずに素直」に婚活した結果、確かに結婚できたんだけど、そのあとスピード離婚したので、

「ああ、結局、結婚自体目的婚活なんて不毛だよね」と実感した。



あなたには時間がないんですー! プライド常識に縛られるの禁止結果オーライ!」って煽られて、

複数男性と並行して交際して、結局交際半年同棲なし)で結婚とか悪手すぎる。

結局、並行した交際がバレて、結婚しなかった方の男性陣と色々揉めて、結婚した相手の方がドン引きして破局

ね、バカじゃない? 最初からこうなるって気づかなかったのかな?

結婚詐欺まがいということで元交際男性たち集団民事で訴えてこられたらしいよ。人生で最大の恐怖だったってさ)



そりゃ相手男性だってあなた人生かけてたんだよ。両天秤どころか、4人と同時交際とか平成の毒婦じゃん。

残り時間がないのを言い訳に、相手男性人格尊厳無視するような行為をした報いだよ。



とにかく、あの手の小利口な婚活を推奨するブログって、無責任に人を煽り立てるだけ煽り立てて、

何か問題が起きたらたぶん「そうやって他人社会のせいに(以下略)」と説教ぶちかましてくるんだろうし、

ちょっとした新興宗教みたいなものだよね。みんなで婚活!とか、統一教会かよって話。



あくま女友達の話だから自分が熱くなる必要はないんだけどね。あくま友達の話ね。友達の。

2016-07-26

慶応卒の俺が30歳まで童貞だった理由

外見はまぁまぁ。

まぁまぁガチスポーツ系のサークル

代表をつとめたり、意識高い系NPO幹部(笑)

意識高い系活動をしてた。

 

社会人になってから仕事を頑張ってまぁまぁ評価されて

プライベートでも趣味サークル作って遊んだりしてた。

 

今までの人生でたくさんの女の子デートしてきたけど

手をつなぐより先に行くことはなかった。

 

その大きな理由

自分恋人いたことがない童貞だと

相手に言えなかったから。

 

童貞カミングアウトすることや

風俗童貞を捨てることな

肥大化した自己プライドが許さなかった。

意識高い系プライドが高すぎたゆえに

変な言動も多く、わざと心の壁を作ったりして

デートして距離が広がることが多かった。

 

とにかく臆病になってた。

仕事で良い成果出すほうが

自分に合う恋人を見つけるほうが

とても簡単だなぁなんて思ってた。

 

転機は仕事だった。

自分一人でできることの限界が見えた。

メンバーの大切さ、かけがえのなさを痛感した。

一人ひとりに尊厳を持って接することができるようになって

自分の弱いところも相手の弱いところも受け入れられるようになった。

 

それから今の彼女と知り合って付き合って数年になる。

いろいろあるけど充実してる。

変われてよかった。

2016-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20160713183050

外見

香水フレグランスを好む

ファッションは飾り付けなどが多い

女性場合、化粧の下地ラインが濃い

男性場合、全体のまとまりより一部のアイテムにこだわる

かばんには物が多く入っている



行動

・人が気にしないようなことに異様に執着する

・人が気にするようなことに全く執着がない

協調性に欠け、自らが先導しようとする

集中力は高いが人の話は聞かない



食事

基本的外食。もしくはインスタント食品を好んで食べる。

・偏食

・食に対する知識が偏っている。

飲み物の飲み残しが多い。忘れて買い足す。

サプリなどの知識が豊富



仕事

・人よりも成果を出すが興味のないことは長続きしない。

独自ルールにおいて物が置かれているので他人が動かすことを異様に嫌う。

・引き継ぎが苦手

教育が苦手

特定の人物と常に揉め事を起こす

・道具を大切に使えない。よく無くす。



背景

兄弟が少ない。もしくは家庭に何かしらの問題がある。

母子家庭など、親の尊厳が弱い家庭で育つ。

愛情に乏しい。親に厳しい。

・早い段階から親元から独立している。もしくは片親と生活をしている。

・子なし共働き



全然専門家とかじゃないけど、観測範囲にいる人の特徴をまとめるとこんな感じ。

2016-07-12

僕が死んだ後、100年後、1000年後、10000年後の君に送る手紙

やあ、元気かい

 

僕は君が生まれる何年も前に生きていて、死んだ者だ。

君が生きている時代は今の僕からは遠い未来の話なんだろうね。

どうだい?

自動車は空を飛んでいるかい?

働かなくても食事ができて雨風をしのげる生活をしているかい?

ワープできたり、生まれつきのハンディを克服できるバイオテクノロジー存在したり、

星と星の間を自由に行き来して星間旅行を楽しんでいるかい?

もうすぐ不老不死も実現できそう?

そうかい…。

 

僕が思っていたよりもずっと未来は明るいらしいね

僕はその恩恵を何一つ受けることはできなかったけど、

今の君たちが幸せならそれで何よりだ。

 

でも、まだ何か悩んでるんじゃないのかな?

例えば人間関係とか、自分存在価値への承認とか、能力限界とか、

怒り、愛憎、焦り、不安孤独憎悪…まだ人間の原始から来る感情に悩まされているんじゃないのかい

実は、未だに戦争をしている地域がどこかにあるんじゃないのかい

どこかで飢えて抵抗することもできずに命を落とす子どもたちが…いるんじゃないのかい

そうかい…。

 

僕が思っていたとおり、未来になっても人の原罪は償え切れるものではなかったようだ。

僕は君に謝る。

すまなかったと。

遠い過去に生きる僕たちが人類悪夢を終わらせることができなかったことを。

テクノロジーの発展に尽力することはできたが、

幸福の手助けには遠く及ばなかったということを。

たった一人の人間幸せにすることも難しいままだということを…。

 

謝罪と同時に願いを送らせてほしい。

どうか君の時代では、人々が憎しみで争うことがないように。

どうか、お互いがお互いを思いやり尊厳を持って接し合うように。

どうか…愛する人を守り、幸せにすることができるように。

 

今の僕ではできなかったことを未来の君たちに託す。

どうか君は失敗しないでおくれ。

僕の希望を叶えて見せてくれ……。

2016-07-10

容姿至上主義

人間順位をつけ、一番でなければ認めない傾向にある。

富士山を登頂した者がいても、エベレストを登頂した者がいれば、前者が登山を語ることに疑問を抱く者が出てくる。

もちろん、相対的に素晴らしいものを認めることができる人間もいるがそれは少数派だ。

 

インターネットの普及で上位数パーセントの整った容姿を持つ人間を多く見ることができるようになった。

実際の割合というのは昔と大差ないはずだが、美形な人間が増えているかのように錯覚させる。

かくして、男女ともに容姿に対する要求は高くなる。

昔だったら美形だったはずの人間ブサイクのように扱われ、昔ながらのブサイク嘲笑対象になっている。

だってお前ブサイクじゃん」、「ブスのくせに」

そんなセリフで笑いをとることに疑問を感じなくなっている。文化とうオールマイティー免罪符を使えば誰も咎められない。

人種病気障害者などへの差別撤廃を叫ぶ一方で、変えることのできない、できても整形手術と相性のよい一握り人間のみしか変えることのできない新たな階級形成しつつある。

 

求める要求が高くなり、その種類が多くなるほど人の心に余裕がなくなる。

期末試験で科目数と難易度が去年の2倍になりました。それは進学に影響を与えます。」

そう言われれば誰だってゆとりがなくなるだろう。

それが現在の息苦しい世の中を形成している大きな要因の1つにもなっている。

美人でも整形手術を繰り返したり、その日の顔のむくみ一喜一憂している世の中はいい世の中だろうか。

ただし、これは達成可能だと自覚している者側の視線だ。

自分能力要求が大きく乖離している場合はどうなるだろうか。

中学生の段階で、高校3年生の学力要求されたら逆にやる気をなくす人間も出てくるだろう。

どうでもよくなるのだ。

何をしてもブサイクという階級から這い上がることができない。

たとえ何かを達成しても、容姿というパラメータ一つで尊厳は奪われてしまう。

社会からドロップアウトしてしまう人や無気力人間生産しているのはこの雰囲気によるところも大きいと推測する。

時にそんな社会を恨み、それがいきすぎて犯罪に至る者が出てくることも想像できる。

 

こういう雰囲気を解消するにはどうするべきだろうか。

私はメディア責任が大きいと考えている。

テレビバラエティなどでブサイクを貶めて笑いにすることは許容されている。

製作からすればただのショーであり、仕事をこなしているだけだろうが、

文化形成するのに多大な影響を与えていることは紛れもない事実だ。

また、美に関して順位をつけ、不安を煽る方が刺激的で、注目を集めやすい。

視聴率企業利益を考えると、それを自主的に止めることは難しいだろう。

彼らを動かすには多数の声が必要なのだ

みんながこの閉塞感の蔓延した社会を解消するように訴えるしかないのだ。

 

容姿至上主義を和らげるには、多数の声が必要だ。

これを見て共感してくれた人は、その主張を広めていってほしい。

はじめは負け犬の遠吠えダサいやつらのやっかみだ、と思われるだろうが、

それは歳をとった自分や、運悪く美形でない容姿を持った子孫の生活に大きく影響するのだ。

稚拙文章申し訳ないが、どうか協力をお願いいたい。

2016-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20160707234517

そういうふうに解釈余地があるからこそ憲法9条は優れているんだ。

それは9条に限った事ではなく24条なんかもそうだよ

「1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2.配偶者選択財産権相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等立脚して、制定されなければならない。」

24条1項の『両性』は「男性女性」だけでなく、「男性女性」「女性女性」という解釈も出来

同性婚への道筋否定していない。

滅多に変更できない硬性憲法にはこういう柔軟性が求められるのであり、ガチガチに決めてしまってはダメ

世界転生作品って人として越えてはいけないライン越えてる感ある

クラス女子モテモテになるとか、

人気バンドボーカルになって大スターなっちゃうとか、

学校にやってきたテロリストを1人でやっつけてしまうとか、

世の中恥ずかしい妄想っていろいろあると思うんだけどさ、




でもどれだけ落ちぶれようとも社会的地位が低かろうとも

無職キモヲタが異世界転生してチート能力を手に入れて助けた美少女奴隷たちに感謝されながらハーレムを作る」

みたいな妄想っていくら頭のなかの世界でもしてしまったら人としての尊厳に関わりそうっていうか、

人間としての『越えちゃいけないライン』みたいなのを越えちゃってる気がするんだよね。


小説家になろうランキング見てあまりにもそういう臭さがある作品が上位にあると

需要に合わせて作品書いて承認欲求満たしてる作者はともかくとして、

その手の作品を読んでも自分が感じてる臭さみたいなのを一切感じないどころか

主人公自己投影して作品を十分謳歌できちゃう読者の人たちって結構な数いるようで、

なんか凄いなーって思っちゃう



こういう感覚、わからない?

2016-07-07

田舎者から思うんだけど、援助というのは消して好かれるものではないということ

バングラディッシュのテロでいろいろ思うところあった

やれ安倍のせいだなんだと右左でいろいろ言い合ってたりする後に

援助してたのになぜなんだというコメントもあったりして、タイトルのようなものを思った

地方からなんとなくわかるんだけど

からもらう地方交付金というものへのなんとなく感じるうしろめたさとか、やるせなさのようなものがね

橋下府知事なんかが代表的いか、あそこまで地方自治を大きく問題化させた人もいないだろうからいい例なんだけど

からもらえる援助というもの基本的には使い道が決まってるんだよね

そんななかで使い道が自由になるような改革なんかもあったりしたんだけど

おれはべつに政治の話ができるほど頭がいいわけではないので政治の話はこのあたりで終わらせたい



俺が言いたいのが

結局だから尊厳とかそういう話ですよ

施しをうけるって結構プライド問題があるよねって話



沖縄基地問題もそう

雇用が生まれてるんだからいいじゃんとか

そういう話じゃないじゃん



から話を海外に持っていくけど

途上国なんかにこれ見よがしに国旗マークつけた支援物資とかが運ばれてたりするけど

あれってどう思われてるんだろうっていつもおもってる



何年か前に日立イギリス鉄道車両工場を作るって言って

鉄道母国車両が作られるのが何十年ぶりとかそういう話だったらしい

そんなニュースときに向こうのニュースコメント欄での焦点は

日立への感謝でもなく、仕事が増えることへの喜びでもなく、イギリス凋落だった

かつて日本鉄道技術を教えたイギリスの現状への不満がいろいろ話されていた

シャープなんかは逆パターンだよね

雇用という点ではありがたいんだろうけどなんか嫌な感じだったよね

鴻海っていう会社がどういうものなのかはしらないけどさ

正確にはこの工場の話は援助ではなく投資から今回の話とは違うんだけどね



もちろん全員ではない

開き直ったり、合理的に考えたりする人もいる

でもゼロでもない

そしてテロというのはその人たちがやるわけだ



人間というのはそう割り切れるものではないし

金さえもらえればいい、仕事さえあればいい、生活が豊かになればいい

そんなことで幸せなら我々だってここまで苦労するわけでもないし

そして尊厳というものに苦しむ必要もないわけで



憲法九条て焦点が、戦争できるかできないかになってたりするけど

俺は違うと思う

右のひとらが何気にしてるかって

あれがアメリカ様に与えられたものだっていうストーリーが気に入らないわけよ

自分たちで勝ち取ったものでも何でもない

アメリカ様に施しを受けた結果のもの

アメリカの援助によってできたものってことよ

自分たちで勝ち取ったものだったらもしかしたら右翼こそこれを守ろうとしたかもしれない




バングラディッシュのテロリストがどういったいきさつでああなったかは知らないけどさ

援助してるのに嫌われるのはおかしいよねなんていう、そういうのはおかしいと思うという話がしたかった

2016-06-28

サイファー増田場所

マイクは渡る増田から増田

つないでけ社会への怨念

失ってけみずから尊厳

それでも続く怠惰on and on

2016-06-23

生活水準尊厳を守るということ

恒例(笑)の「痛いニュース」より、こんな記事がまたはてブで上がっていた。

痛いニュース(ノ∀`) : 貧困の“実相” 「毎日毎日おなかがすいて、敗戦時と同じ状況」…年金22万でも家賃13万円 - ライブドアブログ

これでふと思い出したのが(そんなに関連性はないのだが)、ある知り合いのお爺さん。私は孫のような年齢だから、そこまで話したことがなかったが、私の父と仲がよかった。

裕福な家庭に生まれ、ずっと一等地に暮らしていたが、今で言う「老後破産」的状況に陥り、晩年バイトで食いつないでいた。人前では気丈に振る舞っていたが、独身で、親戚との関係が悪く身寄りがおらず、相当困窮していたという話を後々聞いている。

それでも彼は、もっと家賃物価の安い場所に、という判断ができなかった。プライドもあったろうし、そもそも人間の本性として、いままでの生活レベルを下げる、というのは相当の意志必要だ。生活水準がその人の人としての価値尊厳に直結している、というのは多かれ少なかれ多くの人が考えてしまうことだ。経済学的には、収入の減少にあわせて自分生活も抵抗なく変えられる人と、そうでない人がおり、この人は完全に後者の方だったのだろう。

ある日彼は早朝バイトへの通勤途中、踏切電車にはねられ亡くなった。彼は足が悪かった。警察渡りきることができず「事故」に至ったと結論づけたようだ。(「自殺」と判断され、身寄りのない当人賠償請求が課せられるのはあまりに酷だという配慮もあったかもしれない。)しかし私が噂に聞いた話では、目撃者がおり、それによると、彼は線路の真ん中で立ち止まり、その場でへたり込んでしまったのだという。

真相はどうあれ、人として生きる、しか尊厳を抱いて生きる、というのは如何に難しいことか。彼が自らの尊厳を守ろうと、意識的にか無意識的にか、線路の上に立ったのだとしたら、それはあまりにも悲しい「尊厳死」だ。そしてきっと、全国でそんなような「尊厳死」のケースはあるのだろう。今20代の私も、我が行く末、そしてこの社会の行く末を思うと胸が苦しい。