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はてなキーワード: 家出とは

2024-10-26

ニートは親のペット

俺は親と相性が悪かったか無職でも速攻で家出たけど、居心地良かったら本当に居座っちゃってたんだろうな。 anond:20241026084410

2024-10-19

君はどう思って身を投げたのか

土曜日、待ちに待った週末だ。

君にはどんな景色に見えたか私たちは知らない。

人身事故が起きたのは一目でわかった。

群がる人だまりブルーシートを広げる駅員。

いつも通る踏切の前だった。

駅に向かうとけたたましいサイレン階段に座り込む人々でまさに混沌を極めていた。

昔、電車身投げしたことがある。

いや厳密にはすんでのところで止められたのだ。

見も知らぬおばさんに手を引き止められ大声で怒鳴られた。19歳のときだ。

家出しようと思って友達既読無視されたとき、ああ自分は誰から必要とされていないんだと思って身を投げた。

その日は土曜日だった。

電車身投げしようとする思考を私は知っている。

自分死ぬことで嫌な思い出として他人の中で生きたい」

実際本当にそうなると思っていたのだろう。そう思いたかったのだ。

でもたった50分で電車は復旧して、もう90%の人は運休の話をしていない。

君の策略にいとも簡単に嵌っているのは、この世界で私しかいないんじゃないかと思ってしまうくらいだ。

歩いて隣町に向かったのも友達との予定が遅れたのも、何も迷惑に思えない。

もちろん私の尊大自尊心が揺らいでないとはいえない

でも君はこんな日に何を思って身を投げたのだろう。

明日日曜日

暑さが止んで、これから始まる秋に何を思って身を投げたのだろう。

今これを書きながら、電車に乗っている。

私は君になるかもしれなかった人だ。

明日もただ自分のために金を稼いで疲れて寝る。

君はそうなりたくなかったのかもしれない。

2024-10-15

anond:20241014221436

そうだよなぁ 苗字って家制度の家の識別子なんだよな。〇〇家の〇〇さん。○○家と▢▢家出身の人が結婚して新しい家を作るとき、あたしは〇〇家、旦那は▢▢家って変だよね。家は違うけど同棲してんの。新規家名名乗れるようにできないんだっけ?

2024-10-13

半径1kmの屋外でラッパーイベントやってるみたいでうるせぇ…

ラッパーなんて弱小クラスタは狭い屋内でせこせことやってろよ。

どうせ葉っぱキメてるクソ共なんだからマトリに取り締まらせろよ。

 

イライラしながら夕食の材料を買いにスーパーに行ったら兄弟喧嘩をする子供達に怒鳴るクソガキがいてまたうるせぇ…

公衆面前で怒鳴るようなガキがガキをこさえてんじゃねぇよ。

少子化が叫ばれる昨今で3人の男の子を成しているのは素晴らしいし、父親一人で面倒見るのも大変だろうけど、うるせぇんだよ。

怒鳴るなり説教なりは家出やれっつー話なんだよ。

 

しかし俺は大人なのでそのイライラをそのクソガキを怒鳴ることで発散させず、一人で飲み込むためにスーパーのカゴにアルコールを追加するのであった…

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-11

大山のぶよ亡くなったか

エッセイ読むと私生活も壮絶でドラマ化とかできそうよね

母親高校生の時に亡くなり、進学も就職もせずに家のことやれと父親要求される

家出同然で飛び出して女優を目指し、小さい劇団座長アパートに住まわせてもらいつつ俳優座養成所に通う

座長セクハラパワハラされまくり愛人にされるが生活費など座長が出してくれているので逆らえない

食っていけるようになり座長と縁を切り、別の男性結婚

子供は一人目は死産、二人目は病気で生後まもなく死亡

また子供ができても死なせてしまうかもと恐怖してセックス恐怖症に

まだ若い夫がそれでは辛いだろうからと他の女性セックスすることを公認

やがてドラえもん声優になり忙しくなる中で、夫の世話をあまりできなくなったことに悩み、

夫の愛人の同居を許し、愛人に家庭のことをやってもらうようになった

のぶ代が売れっ子になったことで旦那はほぼニートと化し、のぶ代が旦那愛人を養った

泥沼のようではあるが愛人は人柄がよく、のぶ代も愛人と仲良くなり頼り姉妹のようだったという

愛人高齢から今どうなってるかわからんが、のぶ代を看取ってあげたのかな

2024-10-05

anond:20241005222224

前行った時いたとかそういう事だよ

またいるかもしれないってのが嫌だった

あと家出る前とか銭湯寄って帰ろうかという車の中とか、温泉ある旅行先の部屋でのビデオ

そこまで言わないとわからないし想像もつかないもん?

2024-10-04

A男…紳士的なガキ

A男父母…常識的で顔が無い

B子交通遺児

B子伯父…NY農家をやってるキチガイ

B子祖父…A男に金玉の有無を問うた後、絶叫逝去

B子祖母…近所に住んでる優しいおばあちゃんで、C型肝炎

A男妹…トーローカル版みたいなとこでプチ家出してるヌルブルジョア不良

セックスした奴は顔がのっぺらぼうになる世界B子の父母の葬式に少ない親戚が集まってB子の預け先でモメるが、ポジティブめのモメであってくれ。NY環境変わりすぎだし、ばあちゃんはほぼ病院でそろそろ老人ホームだし。

(A男妹はB子と一緒に不登校する件で絡むぞ)

A一家シェアハウス引っ越してそこでひとつ屋根の下でドキド生活になるが、A男は交通事故にあった奴の心のスキにつけこんでセックスB子が悪いんだからな〜。顔が無くなるも、その無くなった顔からは清々しさすら感じられた。

[増田プロット][増田アイディア]

異性の家族と一緒にお風呂入らなくなるのって何歳くらい?

うちは就職家出るまで弟や父や母と普通に風呂入ってた

2024-09-27

anond:20240926152854 私も同じだ… 転職相談に乗ってほしい。

追記あり 一番下】

近いものがある…30代で働かないおばさんになってしまった…

元増田比較した現状

私も決して退職勧奨として閑職に追いやられてるとかでない。

繁忙期と閑散期の差が激しく、最近は閑散期ばかり…。

忙しい部署の人が稼いでくれたお金で、私は生活をさせて頂いている。

ここ2ヶ月のうち、マジで1日ぐらいしか仕事していない。あとはネットサーフィンか座ったまま寝てるだけ。

単位(今年1月から)で考えても、9ヶ月間のうち2ヶ月ぐらいしかまともに働いてない気がする。

雨が降っていなければ、午前30分、午後30分、1日合計1時間ぐらい散歩に出かける。

さすがにこの夏は暑すぎて散歩できなかったが…もう少し秋が深まれ散歩を再開する。

ずっと座りっぱなしだと、痔になるので…。

元増田と同じく残業も年間10時間ぐらい。

有給も毎年22日間付与され、ほぼ使い切る。土日祝&GW&盆暮れ正月休み

社内・部内のジョブローテーションも当面なさそう。

初めのうちは暇な時間ずっと勉強して資格を色々と取っていたが、興味のある資格もなくなってしまった。

毎朝出社して、Yahooニュースはてブを一通り見たあとは、一日中ひたすら天気予報か、近隣の飲食店メニューか、晩御飯のためのレシピサイトを見ている。

流石にYouTube 見るのは憚られるから見ない。←元増田と全く同じでワロタ

安定業界ではある?が、従業員70名程度の中小企業なので、20年、30年後も会社が続いているのか不安

(一応、今まで60年間も続いている会社らしいが)

この先、20~30年同じような生活ができるなら、全然今のままで良いのだが、この生活が今後も続けられるか不安マジで不安

続けられないようなら早めに転職しないと…と思っている。

社内の若手もどんどん転職している。中堅~ベテランで辞める人はいないが。

転職相談をしたい

今の会社メリットデメリット
メリット

・暇な時はほぼ一日中ネットサーフィンか寝てるか

・忙しい日々が続いても、毎日8時間びっしり仕事が詰まってる状況が1ヶ月続く程度で残業ほとんどない

休みが取りやすく、通勤時間が短く、健康的な生活が送れる

地方郊外在住で、毎日寝てても年収400万前後の安定した収入

・家から近い(車で10分)ので、朝7時に起きて8時に家出保育園子供送って出勤し、退勤後は子供を回収した後18時に家に帰れる。

子供2人いるが、上記環境なので子育てとの両立がしやす

職場の人とは仲良くはないが、「仲良くはない」だけで、決して嫌な人はいない。人間関係

デメリット

リモートワークができない

・定年までずっと働いて昇給しても年収600万程度

会社が定年まで潰れないか未知数(今のところ大丈夫そうではあるが)

特に興味の持てない、自分の得意なことを生かせるわけでもない業務内容

・これ以上のスキルアップキャリアアップが望めそうにない


ミドサー女増田は、転職した方がいいのか?アドバイス求む。

増田の売り

文系出身だが技術系の仕事をしている(QC、QA系

・TOEIC900点(喋れないけど)、そこそこ難しい法律国家資格×2、そこそこ難しい理系国家資格×3の資格持ち。(お勉強はできる)

・要領が良くて勉強好き。今から経験で新しい仕事でも全然OKー!マインド

・ワーママなので、女性活躍!なロールモデルを探してる企業は欲しいかも?

高学歴。もはやミドサーで何の意味があるのか…

増田の引っ掛かりそうなところ

子供一人産んでから就職したので、一般的な人より就業年数が少ない。

職歴も薄い。浅い。専門性が少なめ。

・37歳だが、職務経験アラサーレベルでは?

資格は色々あれど、実務経験が少ない。

希望条件

・家から近い(通勤時間が長いと疲れる)

・土日祝休み休日出勤はあってもいいけどね)

リモートワーク可

・体力がないので、体力仕事ではなく頭脳労働がしたい

年収が上がるともちろん嬉しいが、夫も働いているので必須ではない。

一応転職サイト登録しているが、地方郊外(とかいなか?)在住なだけあって、通勤距離を重視すると、企業もある程度限られてしまう。

引越しする選択は今のところない。

理系大卒程度の専門性があれば、+αの英語力があり、技術職として引く手数多なのだろうが、残念ながら技術職としては専門性が足りない。

飽き性な方で、正直言って、違う仕事もしてみたいのだが、小さな子供がいることもあり、残業やら何やらガッツリ働けるのは5年後10年後ぐらいになりそうだ。

経験可のポテンシャル採用に向いている人材だとは思うが、年齢が既にミドサー。だらだらしてると、40代ポテンシャル採用はさすがにキツそう…

45~50歳ぐらいからでも未経験ポテンシャル採用してくれるホワイト企業が世の中にたくさんあれば、こんなに悩まないんだけれどなあ。

あああー子供がある程度大きくなったら、第二新卒になりたいよーーーー!!!

転職して昇給を経て5年後とかに今より収入の上がりそうな大手企業求人はあるが、現時点で転職して収入が即上がりそうな転職先はない。

私は大手企業とか、高収入に憧れてるだけのダメな奴かもしれない。

高学歴なのに高収入ではないコンプレックスを解消したいだけのダメな奴なのかもしれない。

夫も普通に働いているし、年収を上げなければいけない差し迫った理由はない。

今、恵まれ環境にいるので、転職一種ギャンブルになってしまう気もする。

転職しない方がいいだろうか?

贅沢な悩みだとは分かっている。皆の意見を聞かせてほしい。

追記しました

まず初めに、ブクマカの皆さん、意見ありがとうございました。どのコメントも有り難く読みました。

やりがいや、自己実現のような馬鹿なこと考えるのはやめる。このままぬるま湯でヌクヌクと生きてやる。先のことはグツグツしてきて茹で上がってから考える。私は子供の頃から貯金好きで夏休みの宿題とか早く終わらせるタイプ。先のことを考えすぎだったのかもしれない。

何がやりたいのか見えない!

かにその通り!!!今の仕事はやりたいことではないが、だから本当は何をやりたいのかと聞かれてもやりたいことな特にない。昔からそうだった。将来の夢がある人が羨ましかった。

社内起業業務改善すれば?

これはありかもしれん

資格より実務経験大事

これは自分でもよく分かってるので、実務経験の少なさを強調したつもりです

夫も稼いでるならそんなに気にしなくても

その通りだな…。

でもこの意識の積み重ねが、マクロで見た時の男女の賃金格差に繋がってるんだろうな。

そんな小さな企業で暇してて、同僚の目は大丈夫なのか??

ワロタ。同じ部署の同僚は同じく暇してるし、他の部署の同僚はこちらの暇な現状を知らないので大丈夫

エージェント登録すれば?

書き方が悪かった。転職サイトじゃなくてエージェント登録済。面談もしたけど、希望条件は厳しいとのこと(当たり前)。暇だから求人情報は見てるけど応募はほとんどしていない。

もっと資格取ったら???

最近自分にとってはかなり難しめの、理系業務独占資格(しか人手不足系)を取って、一息ついて気が抜けたところなんだ。電気機械保全系で稼げるというコメもあったので、老後はそっちに行くのもありかと思ってる。

なんで資格隠すんだよ!

ごめん、ニッチ資格もあるので、身バレ可能性が普通にありまして…。一つ一つは司法試験のように難易度最高ではないし専門の人にとってはなんてことな資格かもしれないけど、バリエーション的には、私の保有資格を全て持ってる人は日本で私しかいないかもと思うぐらいなので…。家族や知り合いに見られたら確実に特定される。

リモワもこれから小路線よ?

かにそうだな。コロナも終わったしな…

から近い職場大事にしようと思った。

小説書けば?

それはアリかも

今の体力はこのまま続かないと思え

た、確かに盲点だった。

私は今の魅力がこのまま続かないと思って、先を見越して若いうちに結婚したんだよね。

転職も同じだよね。この体力・気力がずっと続く保証なんてないものね。

2024-09-25

anond:20240925090256

今までの育成費用叩きつけて家出ろよ

さっさと自立しなさい

2024-09-17

タイプロの菊池風磨構文が出た時の子、すごい貧乏家出身なんじゃないか

上のシャツ首元よれよれで明らかに安っぽいし、ボトムも靴も絶対安物。

髪はメッシュ入れてるけどくしゃくしゃ。なんかだらしなくて品が無い。

あと、課題曲は覚えられてないし、ダンスなんか練習すらしてない感じ。

なんかやっかい系の発達障害っぽい。これで頭が良かったらまだ違うんだけど…

人の目が気にならないし、本当に覚えようと思っても覚えられないから諦め癖が付いてる。

あと女の人への価値観やばい母親とうまく付き合えない環境だった気配がする。あるいは他の女性家族

タイムレスクリーンイメージには混ぜるな危険だけど、めちゃくちゃ顔整ってるしま20歳から、誰かが拾ってしぬほどしごいて一人前に育てればものになるかもしれない。

でも女性がらみのスキャンダルは事欠かなそう、子どもの時にできた価値観って基本変えられないと経験上思うから

このままなんかしてあげないと犯罪反社に行きそうなんだよな、それをどうにかしてあげたくはなるなと思った。

2024-09-16

anond:20240916163814

強男だったら金にもの言わせて家出未成年売春させたり、東南アジア人身売買できたのになぁ

まあ買春している限り根っこは同じく腐っているけども

2024-09-15

獣医結婚したが後悔している (ガチ)

anond:20240914232547

便乗して。

30代女、子有り、地方中核都市住み、メーカー勤務、獣医の夫と結婚して10年ほど。


・ 夫の給料が少ない。

給料というか年収だけど、30代男性正社員の平均くらいで私とほぼ同じ。

ちなみに夫は開業獣医師。

元のブコメ開業すれば儲かるみたいなこと書いてるけどそんなこと全く無いよ。

動物病院って飽和してるしそもそもタダの民間サービスから診療報酬が国からもらえる医者なんかとは全く違うの。

開業して年収1000万超えたら、同業からへーすごいねって言ってもらえるような世界だよ。

トリミングとかカフェとか謎のサプリ売ったりとかそういう診療とは全く関係ないとこで儲けないと成り立たないのが動物病院って世界

で、うちの夫はそういうのがあまりきじゃないか薄給だし、それでもなんとか同年代の平均くらいはお金を家に入れたいって気持ちだけで開業費の返済を調整してやっと平均レベルだよ。

それも地銀担当好意によるところが大きくて普通の借り入れ条件なら平均以下だしどちらにしてもものすごい額の借金が残ってるよ。


・ 夫が激務

朝7時半に家出て、夜11時に帰って来るよ。日曜以外、つまり土曜日もね。

水曜は午後休みだけど勉強会夕方からの手術があるから結局帰ってくるのはいつもと同じだよ。

帰ってきてから時間があれば月刊の専門書読んでて日曜も勉強病院事務作業を1日してる。

こんな私生活のほぼ全てを投げ売って修行僧みたいな生活してるのに収入普通からね、プロフェッショナルとしての夫は尊敬してるけど獣医ってコスパ悪すぎだと思うよ。

もちろん家事育児は全て私だから二人目はそうそうに諦めたし、何度も獣医という職業を恨んだよ。


・ 別の進路を勧めてれば良かった

私は学生の頃に夫と出会ったんだけど、臨床に行くの止めれば良かったと思ってるよ。

ほぼ全員が臨床に行く医学部と違って獣医学部の卒業生って臨床、つまり小動物診療(町の獣医さん)に行くのは半分以下なんだよね。

詳しくは調べてほしいけど公務員産業動物と製薬企業なんかに行く人も多いの。

私の夫は製薬企業から内定貰ったんだけどやっぱり憧れだった小動物やりたいって言って辞退しちゃったんだよね。

あの時もっとちゃんと調べて話し合って止めてればなーって今でも毎日夜な夜な思ってるよ!

そしたらこんなただただ激務な夫に頑張れーって言いながら内心なんでそこまで頑張ってるんだろうって思う日々なんてなかったのにね。


・ 別の進路を勧めてれば良かった2

自慢じゃないけど私の夫は偏差値だけなら地方医学部くらい余裕で受かる国立獣医学部卒なんだよね。

というか国立獣医学部生ってほとんどが底辺医学部なら受かるレベルなんだよ。

それが仕事の激務レベルだけは医者と同じなのに給料は天と地の差があるんだもん。

不公平すぎるというか、獣医ってコスパ最悪の資格だと思うね。

なんでこんなこと知ってるかというと「獣医 医者 偏差値」とか「獣医 医者 年収」とかで検索しまくってた日々があるからだよ。

世間的にはなんとなく医者より少し格落ちするけどハイステータス(金持ち)職業って認識なんだろうし、私も学生の頃はそう思ってたけど実態はそんなこと全くないよ。

何度も言うけど臨床獣医師日本の全ての資格の中で難易度と見返りのバランスが最も悪いコスパ最悪の資格かつ職業だと思う。


結婚したことは後悔してない

夫の職業は恨んでるけど結婚したことは後悔してないよ。

尊敬できるしま普通に好き。

以上。

2024-09-14

毎日同じ人と会うのがしんどい

会社の人とか。

たまにしか会う人には許せることも毎日会う人には許せなくなってしまうことが多い。今の生活だと会社の同部署の人がまさにそれで生理前とかにイラっとしてしまい口調が強くなってしまって帰宅自己嫌悪に落ち込むし会社を辞めたくなる。

実家にいた頃は家族に対して同じような気持ち抱いていて家出したくなったり反抗的な態度を取ってた。

たまにしか会わない人には優しくできるのに友人でも毎日遊ぶとかだと嫌なところが目についてしまう。

職場転職しない限り毎日会う人が同じでどんどん自分の心が狭くなってる気がして自分に対して悲しくなる。こうやってお局になっていくのかな…もし転職しても転職先でも同じことになってそうなのが予想できるし年齢的に転職するのに勇気がいる。

人とずっと一緒にいることに疲れてしまうから結婚する自分想像できないしきっと相手を傷つけるだろう。

人のいいところばかり見ることできたらなあ…

2024-09-13

けっきょく午後5時前くらいかシエスタして

午後6時くらいに起床しました。

そのころには子ども中学からかえってきていました。

夜のお稽古事についてはお休みすると言ってました。

今晩、妻がいないので(家出じゃないよ)

外食することとし、すしを食べにいきました。

そろそろ寝ますかね?

2024-09-11

無職になってから親が優しい

24歳1留+既卒ニート1年目。 女。

実家を出たいのは持病で免許が取れない&親が過干渉っぽいから。在学中より無職の今の方が親が優しい。

住みは群馬に近い埼玉。 4年生を2回やった。親の意向就職より卒論を優先した。

在学中は大学が遠く門限もあって人付き合いや課外活動が出来なくて一人暮らしたかったけど、今親から離れても大学生の友達関係とか恋愛は出来ないし、普通の人には4年分の積み上げがあるけど私にはないし。って考えちゃった。

経緯を書いていく。

19年入学→3年次躁鬱→4年生を2回やる→イマココ

干渉はずっと。バイトは8時まで。サークルの飲みは7時に抜けて9時には家に帰る。夜は送り迎えなしでは出掛けない、親が21時までしか起きれないから送迎有りでも21時まで。土日に2時間通勤して工場バイトした。昼間だけのところが他に無かったから。交通費はなかったから7時間働いても4000円にしかならなかった。精神科に行ったり行かなかったりを繰り返したところ自立支援医療を紹介された。2年からオンライン授業になったのもあり、百均バイトを始めた。しか抗うつ薬調子が良くなっても飲み続け、この時既に躁鬱になっていたと思う。地元友達に誘われたという理由車校契約をしたり、フォロワーがやっているという理由PS4買ったりした。親は泣いた。コロナで対面授業は無いのに、インスタで友達同士遊んでいるのを見て一人暮らしの人が羨ましくなった。増田は父の仕事柄もありコロナに敏感だったから。孤独感が強く、一人暮らししてる人への劣等感が強かった。2月バイト中に顎が外れるようになり、バイトを辞めた。3年次ゼミのこと仲良くなった。その子芸能活動の為に授業に出れないから、次の授業は休んでも支障ない内容か先生に聞いて欲しいと頼まれた。

結果私は口を滑らせ、その子は鬼LINEを送ってきた。ショックで下痢になり、授業中にも関わらず何回もトイレに行った。 過呼吸になって、リュックオーバーブリッジを殴った。帰宅自殺未遂した。入院した。

1ヶ月で退院した。

4年次で留年した理由は鬱の症状で卒論が手につかなかったこと。元々就職後引っ越す為のお金が欲しくてバイトをしていたが、4年の前期にパワハラバイトを辞め単発バイトをしようとしたらそんなに金が欲しいかと怒鳴られたこと。普通免許を躁鬱は取得できないことを知り、卒業しても就職出来ないと思い中退しようとしたから。親が泣き崩れて学生課に電話をかけ、おばさんカウンセラー教授との話し合いをすることになった。拒否したら親が泣いたり暴れると思ったから。

修学継続アンケートに記入するとき「〇〇の意思留年するんだよね?勉強したいんだよね」と言われたが自分意思じゃなくてそう言わないと暴れると思ったから。

2回目の4年生で、また別な所でバイトを始めた。親には予め了承を取り、14時-22時契約で入ったものの「遅番が多すぎる!」「契約書に書いてあるからってシフト変えてくれないお店は違法!!」「お前がバイトすると私は死ぬ!!」など言われた。

ごめんね他県で就職する為に貯金したいんだよねと言ったら「地元就職すればいい」「月給16万でも実家暮らしならお金はいらない」など言われた。バイト先に事情を話したところ14時-18時出勤することになった。月7万から月3万に減った。親は夜入らない分午前中に入れて貰えると思っていたらしい。「こんなに減っちゃったの?でも勉強に集中できるし嬉しいな」と言っていた。私がバイトしてるからお母さんが体調悪くなるって言ったかシフト減らしたんだよ。勉強の為じゃないよ。ニヤニヤ笑ってた。

しかし今度は最初契約以上にシフトに入れられてしまう。人が辞めたからだ。週五で入らされた為辞めた。

その後元々登録していた派遣の待機案件で出勤しようとしたら羽交い締めにされて止められた。行くなと言われていたのを無視して出かけようとしたら羽交い締めになった。

母「もう増田大人から羽交い締めにしないと止められない」

それは先に暴力を振るう側のセリフでは無いと思った。

体調が悪いから、新百合ヶ丘は遠すぎるからお前の会社おかしい(2回目)etc.

暴力解決するなどまともな人間では無い」と返したら

父に親に携帯代払ってもらってるのに反抗するのか、と言われたがバイトすら辞めたら携帯代も払えない。

就活の予定を話すとでも卒論が、と言われた。在学中に実家を出る為、ソーシャルワーカーへの相談互助会保険金が貰えるか等奔走していたら卒論が疎かになった。卒論ギリギリに提出し、卒業した。

現在

無職既卒(卒業後3年以内は新卒扱いになる)で就職活動中。就活しながらバイトしたいけど週3〜希望/夜はいれないだとほぼ落とされる。なので家から出ない。

中途未経験枠は受けてみて嫌な会社が多いか新卒枠でやっているんだけど 母は「そんな会社ばかりじゃない」「ハロワマイナビよりまとも」と言う。これは時代の違いもあると思うんだけど 増田バイトに応募するとバイトより就活優先!と言うのだ。昨年就活出来なかったのはバイトのせいじゃなくて増田母とのトラブルで病んだからなんだけだな。

お母さんが優しい。

私が家にいるか不安にならないだけで、もし実家近くで就職したら「本当に残業なのか?」「必要飲み会なの?」色々言ってくると思う。

家出た方がいいのわかってるけど、大学生の時は一人暮らししたら友達とお泊まりできるし彼氏も欲しいなとか思ってたけど周りを見たら皆結婚出産意識してて、増田がその時経験できなかったことは出来ないままなんだよね。

アラサー彼氏出来ないとか言ってたら婚期逃しそうだし。来年就職しても皆と同じ土俵に立てないならもう地元出なくてもいいかなって。

2024-09-10

トー横とはなんなのか?

特徴

繁華街の中にある

・有名な場所であり、不良や、家出した子供が集まる

・おのずとそれ目当ての大人犯罪者も集まる

オーバードーズドラッグ)や、売春の温床になっている

・独特な文化も育っている

警察行政の人もたくさんいるが次から次への来るので対応しきれていない

 

ChatGPT

あなた説明している場所は、しばしば「オープンエアドラッグシーン(Open-Air Drug Scene)」や「ストリートカルチャーエリア」と呼ばれることがあります。これらの場所は、主に以下の特徴を持つエリアを指します:

繁華街都市中心部位置しており、人々が集まりやすい。

若者ホームレス家出した子供などの社会的脆弱な人々が多く集まる。

非合法活動(薬物乱用、売春など)の中心となりやすい。

犯罪者ピンプなど、脆弱な人々を利用しようとする大人が集まることも多い。

•そのような状況下で独自サブカルチャーコミュニティ形成されることがある。

警察行政が頻繁に介入するが、状況を完全に管理するのは難しい。

 

このような場所の例として、アメリカの「Skid Rowロサンゼルス)」や、カナダの「Downtown Eastside(バンクーバー)」、またはオランダの「De Wallen(アムステルダム)」などがあります。これらのエリアは、ホームレス、薬物使用者、不良の若者などが集まり、関連する社会問題が集中する場所として知られています

 

Skid Row

https://www.google.com/search?q=skid+row+los+angeles&sca_esv=cd905eee47e8a54c&sca_upv=1&rlz=1C5CHFA_enJP1083JP1083&udm=2&biw=1466&bih=1168&sxsrf=ADLYWIKzOl7x7Lhq2CiXeDSL3SeI9_szAg%3A1725959774161&ei=Xg7gZq_KCZ-Pvr0P8Nfi-A8&oq=Skid+Row+l&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiClNraWQgUm93IGwqAggAMgUQABiABDIFEAAYgAQyBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB5I_G5QmkZY9F5wA3gAkAEAmAFkoAGXAqoBAzIuMbgBA8gBAPgBAZgCBqACsALCAgcQABiABBgTmAMAiAYBkgcDNS4xoAeACQ&sclient=gws-wiz-serp

 

いや、ガチすぎるだろ

2024-09-09

(追記)ダブル育休で自傷再開しちった

追記

結構優しいこと言ってくれる方多くて本当に本当に涙が出るほどありがたいです...誰にも相談愚痴も言えず辛かったか増田があって良かった本当にありがとう、まず増田んちについては「良い旦那さんだね」「増田ちゃん幸せだよね」から始まるので...ダブル育休自体は素晴らしい制度だと思うよ!お父さんもお母さんも我が子の成長を同じだけ感じ取れるなんて喜ばしい限り。

ただ増田自身と夫の民度が令和の素晴らしい制度に追いついてなかった...とりあえず我が家ダブル育休が終わる日を待っています

以下本文

ダブル育休増田のアホな話だよ。

の子授かった時に夫が育休取りたい!て言い始めてもう2人以上子供持つ予定ないしせっかくだし取りなよ!と勧めちゃったのが終わりの始まりだったよ。

の子が産まれて夫は1年の育休を取ることが出来たよ。夫と上の子増田と下の子というチームで寝室を分けて寝ることにしたよ。下の子がとんでもねえ夜泣き大魔神なのと、しっかり寝てる夫が昼間の家事をがっつりやって、自分夜泣き対応と下の子の世話を頑張れば良いよね、という計画だったのと。

でもいざその生活が始まると、夫の家事が最小限でトイレ風呂台所といった水回りは汚くて、ゴミの日も忘れがちで、あと炊飯器のセットも忘れがちでおかずはあるけど...みたいな日もあって、夫1人に家は任せられない状態だったよ。でも指摘すると機嫌が悪くなるから結局そういう穴を増田が埋めてたらだんだん増田家事割合が増えていくことになったよ。下の子は絶好調で夜中泣き続けてたけども。

睡眠時間カス増田じゃなくて健康であるはずの夫が風邪を引くことも多くて、一旦かかると熱下がるまでに3日、謎の予備日(本当に謎)が1日と最低4日は夫は寝込むからその間は実質ワンオペ+看護だよ。

なぜか離乳食係も増田で、寝かしつけ終わってから手づかみごはんの作り置きして、その間夫はゲームしてる、みたいなこともしばしば。あと子育てイベントとか友達と遊びに行くとかで増田子どもたちが家出て、その間半日以上ひとりでのびのび出来る時間が月に2〜4回夫にはあったけど、別にその分何か見返りがあるでもなく、そもそも増田にはそんな日1日もないよ。

そして夫は夜泣き対応もなく体力と時間が有り余っているのでサカってくるんだけど、増田はしおれたきゅうりみたいになってるから全然性欲なくて、断るとこれもめちゃくちゃ機嫌が悪くなって最悪子どもがいる前でも1日無視とかされるからキツいよ。

で、そんな状態だけどダブル育休はやっぱり世間から見たらすごく恵まれてる状況だからワンオペ一生懸命頑張っているママ友たちには愚痴れず、若いから友達ライフステージが違う子が多くてやっぱ愚痴れず、オカンに言ってみても「かあさんはもっと大変だったから!」としかかえってこず、増田メンヘラ死にてえゲージがどんどん上がっていったよ。


んでこないだのセックスお断り報復無視の時に死にてえゲージが爆発してみんながリビングにいるすきにサッと台所に行って腕を10年以上ぶりに切ったよ。死にたい気持ちがぶわっと出てくる血と一緒に遠くに流れて行った。死にたいからリスカするんでしょ、とかいイメージあるけど、多分増田含めて半分くらいのリスカ経験者は、死にたい気持ちをそらすために切ってるんじゃないかな。切ると痛い!という気持ちが前に出てきて、死にたい気持ちが一瞬どっか行くのだ。死にたくないから切る。

夫はのんきにどっか引っ掛けたの?て聞いてきたからうん、て言っといた。これで家庭は平和だ。

なんかもうなんで生きてるのか分からないし、毎日めちゃくちゃ死にたいけど子どもに対して無責任過ぎるから切って今日も生きてるよ。最初からの子の時みたいにワンオペならこんなことにはならなかったかもしれない。おしまい死にたい

anond:20240908203119

子供なんてそう簡単に死なんよw

予防接種打たないからとて今日明日死ぬわけではない

未接種と接種で死亡率にさほどの差は無い、誤差程度も無い

BCGとて日本はつい最近まで結核の中度蔓延国だったのでヒステリックに打っていたが

最近ランクが下がった、結核菌のエンカウントはほぼ無視できる

先進国じゃほとんど打ってない

打つとツベルクリン反応が出るからアメリカ留学して米軍入隊とか面倒だよ

日本人はみんな引っかかるから追加検査必要なっちゃ

予防接種には二種類あり、個人防衛のもの社会防衛

ほとんどが社会防衛で、回りみんなが打ってくれりゃそれでいいんだよ

日本ポリオとかありえねぇしw

 

飯も自分だけ外で食うか、自分の分は自分で作って食えばいい

子供が年頃になれば外食ジャンクフード食わせればいい

嫁はブチギレるだろうが、戦え、そこは戦え

有無を言わせない自己、威厳

説得力など必要ない、どうせ論理で話せる相手ではないのだから

自分方針生き方絶対に曲げないと示し相手を諦めて妥協させる威圧

 

おしめ洗うのも面倒なら洗わなきゃいい

自分が変える時は紙おむつを使えばいい

嫁が発狂して布に履き替えさせるだろうから、ご苦労なこったと粛々とほっとけば良い

 

キミにはキミの方針がある、尊重しましょう

俺には俺の方針がある、尊重してくれ

真逆で互いに折れる事はないのだから、適度に干渉無視しながら子育てしようず

 

ここで合意取ればよかろうに

 

ここまで書いてて、筒井康隆の「日本列島七曲り」短編集の中の「融合家族」という作品を思い出した。

まったく参考にはならんが機会があったら読んでみてくれ

 

無責任アドバイスのようだが

俺は文化宗教も育ちも全く違う外国人結婚して、子育ての衝突、大喧嘩家出(俺)フルコースやって、幾度と繰り返し、最後は諦めたwほぼほぼ向こうの言いなり

ま、向こうも同じセリフを吐くだろうが

ともかく、それでも元気ないい子に育ったよ

 

夫婦仲もそれほど悪くない

週の半分は外で飯を食うが

がんばれw

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2024-09-07

誕生日おめでとう。

誕生日だった。

この日ばかりはどうしても今までの自分生き方について考えてしまう。

完全なる中年なのに結婚もしていない。子供もいない。毎日働いて慎ましく暮らしている。

単調な毎日だけど友達にも恵まれて、自分は本当に運が良かった。みんな愛しているよ。

けれど、幼い頃の自分がまだ心の中で泣いているな、と感じるときがある。

思春期の頃、当たり前のように実家に住んでいた自分は、いつも正解を探しながら暮らしていた気がする。

母親ルールの家庭だった。母方の祖父母と同居だったがいつも「母が怒るから」と母親が優先された。

そのため、母と誕生日が近い私にお祝い用のケーキを選ぶ権利はなかった。いつも母の食べたいケーキが用意された。

祖父母がいつも困った風に言う。「私は聞き分けがいから助かる」

ずっと良い子でありたいと思っていた。可愛がってもらいたいと。

同じく思春期兄弟はどんどんおかしくなっていった。家庭内暴力がでてくるようになった。

もちろん1番弱い自分に矛先が向けられることが多かった。

家出した。すぐ実家に戻された。そんな自分母親が言う。

「出ていくならあなた父親のところに行きなさい。祖父母は本当は兄弟のほうが可愛いの。」

自分がまだ幼少期にいなくなった父親に連絡が取られた。久しぶりに顔を見たな。働かず借金をし、女をつくり、もちろん養育費など払ったことがない父親

父は話を聞くだけ聞いて目の前から消えた。

そこから高校卒業するまで実家暮らした。

遠い昔の話だけど、今でも心が痛い。

最近ヤマシタトモコさんの「違国日記」が無料公開されていたので読んだ。無料で読ませていただけるなんて本当にありがとうございます

読み進めるごとに、これは大人が幼い頃の自分を救うための物語だな、と感じた。

そして、私も幼い頃の自分を救うために生きているのかもしれない、と思った。

いつも傷付いて愛されたいと泣いている私。

かに優しくされたいと叫んでいる私。

素直に言えて偉いじゃん。自分くらいは自分のこと全肯定できるようになるといいな。

自分で食べたい物を選んで好きなケーキを買って誕生日を祝う。

なかなか悪くないよね?

また1年よろしくお願いします。

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

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