はてなキーワード: m2とは
[20130218追記]
タイトルがよくなかった。大学名をボカすために「高学歴な理系院生」とした次第で、そのすべてには当てはまりません。自分が話した工学系・理学系の修士学生10数人のうち8,9割に危うさを感じただけで、一般性もなにもない。
ブコメを読むと、理系は推薦使うから別にいいじゃん、と書いている方がいますが、最近は推薦でもコミュニケーション力重視を会社側が明言してるところ多いですよ。平気でたくさん落ちます。
自分のとこの会社は推薦でも自由でも受けることはできるけれど、推薦でも最終面接合格合格率は3倍くらい。
あと自分のスタンスについて説明しておく。OBの若手社員としてエントリーする学生を増やすことが目的。せいぜい今後の人事との面接で話すことになる志望動機をつくってもらう練習相手。なので自分の会社にいい後輩が入って欲しいというのもなくはないけれど、後輩にいい就活をして欲しいというののほうが強いかも。よく面倒をみてた後輩たちも就活しているのでかぶっている、かも。
思い込みの見当外れブコメも多いけれど、けっこう手厳しいブコメが多くて反省。
会社説明会で某地方国立大の学生何人かと話して危うさを感じた。たぶん無い内定がまたたくさん現れる。なんとかできるのはいまのうちだけ、かも。
先日、某地方国立大で催された会社の説明会に社員側として参加して学生たちと話をする機会があった。みんな理系で9割くらい修士で9割くらい男。
うちは業界では規模・売上・知名度とも国内トップの会社。もちろん、トップだからいい会社というわけではないけれど、エンジニアの採用も多い会社、とだけ説明しておく。
会社説明会をしてきたといっても自分は人事ではない。うちの会社の方針でエンジニア系の採用は大学のOB/OGが説明会をすることになっている。エントリー後はwebテストがあって、そのあとに人事や事業部の偉い人が面接していくという流れになる。今回は評価や面接はしなくて、あまり知られていない会社のことを説明して、多くの学生にエントリーしてもらうことが目的。
説明会のほかに、お昼を一緒に食べてざっくばらんに話をしたり、個別で相談/面談してきた。自分は12,3人くらいの学生と話をすることができた。そこで感じたのだけれど、大学生の就活けっこう危ない。
このままじゃ内定とれない学生がたくさん出そうと思うので、後輩のためにアドバイスという意味も込めて書いてみる。直接言うのもあれだしブログで書くと名前・会社がばれると面倒だし、学生はネット民多そうだったので匿名ダイアリーで失礼。
とは言っても、きちんとした採用活動の訓練を受けているわけではないので主観的な要素も多分にあると思う。補足や批判などあればお願いしたいし、共感できれば就活している学生に共有していただければ、と思う。
もし内容に、これおれのことじゃん、と思った方、勝手に使ってすみません。就活がんばってください。よければ弊社にエントリーしてください。
この日に話した10数人のうち、8割くらいは人と話すのが不得手そうであった。会話に割り込む。ぼそぼそしゃべる。一方的に話し続ける。下を向いてしゃべる人すらいた。
別に勧誘したり説得したり説法したり商談したり((あとダーラボンのまねをしたり))と高度な話術を求めているわけではない。面接みたいに緊張する場所や雰囲気でもなかったし、噛んだり整理されていなくてもいい。ただ自分のやっていることを話して欲しい。
エンジニアや研究者志望ということなら、多少のコミュ障ぶりは目をつぶれる。話し方よりも内容だよ。ということで、どういう研究しているかであったり、なにか勉強していることがあるかと聞いてみた。けれど、まともな返事が少ない。せいぜいありきたりなサークル活動がんばっていましたレベル。
これだけ会話が下手な人が多いと、日本企業がコミュニケーション力を重視するのもうなづける。
これまでは、技術力よりもコミュニケーション力を重視していて世界の競合と戦えるのかと苦々しく思っていたけれど、もしかしたらこれは正しい戦略なのかもしれない。日本の学生には、人になにかを説明したり相手の質問を理解する力、いわゆるコミュニケーション力が足りない人が多く、たとえ技術力があったとしても発揮できない。((使う側の能力の問題では?という指摘もあるかもしれない。それはその通りで、使う側にそういう能力を持った人が少ないので採用しないと思われる))
一方で、自分の主観的で狭い交友ではあるけれど、欧米の人は議論する能力がある人が多い。初等教育から高等教育までディベートや議論、質疑応答を訓練する機会が多いからかもしれない。その前提があるから欧米の企業ではあえてコミュニケーション力を評価対象として大きく扱わないのではないか。とも考えられる。
社員と学生が1対1か1対2くらいの個別面談では、会社の気になるところがあれば疑問を解消してもらうことと、実際の面接での話のネタにしてもらうくらいのスタンスだったのだけれど、学生からはあまり聞きたいことがないようだったのでこちらから質問していくことが多かった。
「どういう業界を志望しているのか。そのなかでこの業界、この会社を志望している理由は?」といったものと「大学でなにか打ち込んだことは?」((模範解答は「くさび」))というド定番。
「商社も志望してるんだね。もしよかったらその中でもどう考えているか聞かせてもらってもいい?」
「〜商事がいいかな、と思ってます。前に会った社員さんにフィーリング会う人がいて。〜物産はちょっと違うかな、と」
「・・・(それって君の大学のマジキチひとりとあったら君の大学のひとみんなマジキチだと思うようなものだけど、サンプル数大丈夫か)」
「社会のインフラに携わりたくて、電力以外のインフラ志望です」
「なんで電力以外なの?」
「某原発に見学に行ったとき、現場のひとの態度が悪くてこれはないと思って」
「ほかのインフラはそういうことはないの?(なんでわざわざ電力以外とネガティブな言い方をするんだ・・))」
「SIerを志望しているのはどうして?」
「ほかの業界でも社会貢献はしているよね。SIerならではの社会貢献ってなにか考えてる?」
「・・・」
「A社はいい会社だとは思うけれど、ほかの大企業とはなにが違うの?(そもそもA社も東証一部上場の大企業だ・・・)」
「ものづくりがしたいと思っていて、企画から完成まで携われそうだから。」
「ほかの会社ではそういうことはできないの?」
「A社にはその部分ごとの担当・専門家はいないの??部分を担当する人がいないならよほど小さい製品か、相当の少数精鋭かだけれど」
「」
2月という就活の序盤で、業界が定まっていないのは当然だしかまわないのだけれど、先入観だけで判断していて、それを先入観と気付いていないのはけっこう危うい。
そのものずばりな動機なんてなかなかないけれど、論文などで必要になる研究の背景とか目的と同じで、多少の味付けと詭弁はあってもそれなりに筋は通っているものを用意して欲しい。
もしかすると、こういう志望動機を言うのは茶番だ、という指摘もあるかもしれない。それは自分も思う。
けれど、海外と違って経験無し能力不明でも採用され得る日本の新卒採用ではそういうとこでしか差別化できない。((その是非は別問題。解雇規制もあるし会社にとっては良くないと思う))
海外に比べて、日本の新卒市場は圧倒的に学生有利なのでもうちょっとチャンスを生かして欲しい。
会社の説明会で行ったのに、就活の相談と言うよりもアドバイスと練習になってしまったかもしれない
上記でだいたいわかると思うけれど、みんなあまり準備していない。楽天的というか自信過剰。無邪気に内定とれるものと思っているフシがある。先輩の惨状とか知らないのかもしれない。自分は違うとでも思っている?毎年々々、M2がM1に「就活結構大変だから早いうちに準備して手広く受けた方がいいよ」と言ってM1は「自分はだいじょうぶ」と思って失敗するのを見聞きする気がする。
戸愚呂(弟)がひとにらみしたら消えるレベル
参考:セルゲームに学ぶ「再チャレンジ支援税制」:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
こういうのもあった。
「ほかにどういうとこ見てるの?」
「え、経営状況悪いけどいいの・・?」
「関西で働きたくて」
「え、けっこう東南アジアの工場で勤務する人多いけれどいいの・・?」
ここで「いまは業績は悪いけれど、パナソニックのやっているスマートホームの事業はまだまだ可能性があって、自分の研究のこういうところで貢献できる、おれならこうする」とか考えているなら別だけれど、そういうわけでもない。(自分が就活していた数年前はすごい人気だったのを棚に上げています・・)
とりあえず、どういう動機でもいいのでいきたい会社があれば、そこの面接官にこいつを欲しいと思わせるためにはどうしたらいいか考える必要があると思う。会社選びは難しいしどうしたって先入観まみれになるので動機が恣意的になるのはやむを得ない。
ここあたりのことについてはいろんなひとが書いているので省略。
もちろんちゃんと考えていて行動している学生もたくさんいる。すでにヨコモジのコンサルとか金融に内定もらっていたり、エンジニアだとweb系のベンチャーにインターンしていたりしている学生も少なくないようだ。
イケてる業界でもイケてる会社でもないからそういうイケてる学生が集まっていないだけじゃないか,大企業志向・安定志向の学生ばかりじゃん、と言われればそれまでだけれど、会社説明会にわざわざ足を運んでくれた10数人の学生のうちの多くがこういう状態だったというのは暗澹たる気持ちにさせる。
能力はあって、ちゃんと考えているけれど、それを面接なりで伝えられなくて落ちる学生が多いのはもったいない。
小手先のテクニックと言われれば否定はできないけれど、消えない幻は現実。リア充のように振る舞って、リア充のようにみえるならばそれはリア充。時間は短いけれど新卒就活をうまく利用して欲しい、な。
以上、散漫とした、主観的な文章で恐縮ですが、感じたことをぼかして書いてみました。
この記事は見る人が見たら誰が書いたか分かると思いますが、わかった方はこっそりしておいて欲しいです。
(ここまで書いてきた批判は、たぶん学生だった頃の自分にも当てはまっていた。無能なわりに自信があった自分の鼻っ柱を折ってくれた先輩に感謝。たまたま内定とれたけれど、もうちょっとちゃんと就活しておけば良かったかなとは思う。)
今元増田と同じM2で、この一年は下の世代に教える立場だった。たしかにわからないところがあったら質問はして欲しい。
でも逆にググれば数秒で出るような本質的でない質問(パワポで図を書く方法がわかりません〜とか)を連発するのは勘弁。大事な質問も答える気が無くなってしまう…。
自分自身がゆとり教育もろな世代なんだが、ゆとり教育の子が何考えてるかわからないと散々言われた中で「なんですぐわかったふりするの?(≒人に聞かないの?)」というのがあった。
これがゆとり世代だけなのかはわからないけど、大学全入時代に入って試験勉強というものがかなり体系化されたせいも絡んでるんじゃないかと思ってる。参考書や問題集が充実していて、それの使い方すらマニュアル化されてるきらいがある。自分自身で試行錯誤したり他人に聞くという手法よりもそっちの方が効率的に勉強できるし、大学入試に必要なのは結局点数だからこういう体系化されたやり方ばかりが使われるようになる。もちろん、その中で試行錯誤はするんだけど0からというのとは違う。
そして大学へ、大学院へ、社会へと進んだときに戸惑うんだと思う。それらで求められるのは、大学入試で求められることと違うから。社会に出るにしたって同じ。いきなり「自分で考えろ」と言われるからうまく対応できなくて「これだからゆとり教育は…」とか言われるんだと思う。勝手だよなあ、と思ったりする。
以前、「学生時代にやってきた研究内容は、後輩へも受け継がれてるよ」と、指導教員から教えていただいた。
それは嬉しいなあと思い、後輩たちの卒論や修論を見たのだが、僕の論文に対しての引用内容が若干ずれていたり、文献の書き方(タイトルとかページとか)が正しくなかったりしたので少し泣けた。
僕はもう就職したし、業務内容も学生時代の研究とは関係なくなってしまったのだが、それでも正しく書かれていないのは悲しくなる。
自分の出身研究室は「先輩が面倒を見る」形式であったため、おそらく先輩(M1)がしっかり見れてないことが原因なのだろう。
以下は、「もしも、僕の出身研究室と同じように、M1がB4を指導するというスタイルのところがあったなら」という仮定で。
就職活動で忙しいのは凄く良く分かるけど、他人の論文を読んで、しっかり悪いところを指摘するのは大事な仕事であることを分かって欲しいな。
他人の未完成な論文を客観的な目で見て、指摘を入れること自体、就職活動で必要な履歴書やエントリーシート、小論文の執筆のヒントになるかもしれないのに。
少なくとも、他人の文を読むことで、一度自分の書いたものから離れることで気分転換にはなると思うんだよね。
指導教員に見てもらえばいいやとか先輩に見てもらえばいいやとか思わずに、しっかり責任持って書いてください。
誰でも分かるようなミスは勘弁して下さい。
発表、最終提出まであと二週間。
2か月研究室に顔を出していない。
「直接議論するのが筋」と言われた。そりゃそうだ。
だけど、研究室に行けない。
「やる気ないやつ研究室に残らせない」とのことで
修論書いたら出すらしいが、
色々考えると出れないんじゃないかと考えた。
どうしてこうなったんだろう。
そこで知った分野を二年間ぐらい勉強しようと
そこで大規模な研究室を見つける。
そこに行くことを決める。
ここで落とされておけばよかったのかもしれない。
そして院入学。
自分の中では頑張っていた。
「君は2~3他の人より進んでいるのになんでこんなに遅いの?」
ミーティングが怖くなった。
必修のインターン。
そして研究室に戻る。
研究がなかなか進まない。
教えてくれる人もいない。
素子が作れず涙が出る。
就活時期に入る。
研究との両立が完全にできなくなった。
二週間休みをもらった。
その時教官から「もし私のことが嫌ならテーマ変わってもいいから」
ただ、自分には変わるあてもなく、
そのまま続行する。
その後、別のD3、PDから「なんやこれwww」と意見をもらう。
自分の中で「教官にとって自分はどうでもいい目の上のたんこぶなんだな」と思い始める。
緊張しているどころじゃない。
質問の集中砲火。
精神的居づらさを感じてきた。
疲れていたのかもしれない。
そして12月。
「お前M2なのになにぬくぬく休んでんだ?」
完全におかしくなったのかもしれない。
研究室に1週間休む。
いろんな人と話して、行けば何とかなるからいきな。と言われる。
しかし翌週、体が動かない。
どうにか顔を出すが、頭動かない、どうしようもない。
両親と相談し、今後のことを話すためにも実家に一週間ほど帰ってこいと言われ、
逃げるようにして帰る。
そして、一週間後戻る。
正直その時は頭が真っ白になった。
「そんな状態で修論書いても制度上卒業できるかにも知れないけど
怖くて返信が出せなかった。
そして年明け一月。
精神的に安定していた。
彼女から「良く研究室行けずに50pもそこまでまとめられるね」
といわれ、内心「こんなのデータまとめているだけで考察もないよ・・・」
「メールでのやり取りだけで修了できるならそれでお願いします」と伝えた。
「体調が戻っているのなら最後にもう一度考えてみたら」
そして今に至る。自宅に引きこもり、修論、発表資料を執筆している。
引きこもりだ。
外には出れるし、朝早くも行動できる。
もう、行かなくても研究室から出すって言葉を信じて甘えている。
不安になって動かなくなり、抜け出せなくなる。
人間関係に臆病。
一つ甘えてしまったらずるずる。
研究室に戻れない。
戻って努力できるかわかんない。
戻ってまたあんな状態になるかもしれない。
臆病だ。
不安だ。
追記
言葉足らずでした。
私も院生時代あなたと同じような感じだった。別の側面から数年前にこんなことやこんなことを書いたこともある。当時はトンチンカンなところで炎上させられてはてなの恐ろしさを思い知ったものだったが。
が、ここではその話を繰り返すのではなく、私のケースについて視点を変えて別の話をする。
まあ、私とあなたが似てるといっても、私の教官はあなたのところほど放置型じゃなかったのだが、私の方が人間不信になっていて周囲の人間との間に壁を作ってしまった型だったからちょっと違う。
が、そんな私でも現在は企業の中で一応研究職の真似事をして生きているので、一応当時のドツボからは脱却できたつもりだ。
そんな私から、トラックバックで随分叩かれていてかわいそうだなと思ったのでちょっと擁護とアドバイス。
長くなりましたけど、B4達に私から出来るアドバイスとしては、
「自発的に進める」
ぐらいです。
これは全くその通りなのだが、前者はまあよいとして後者が問題。
「自発的に進める」ということがどういうことなのか、B4当時のあなたが言われてわかる?そもそもどの程度のことをしたら「研究」として成立するのか、そのことすら理解できないでしょ。
何しろ、あなたの分野の主たる雑誌が何で、既知の手法が何なのか、そういった「業界の常識」を把握しないことにはその上に上積みなんてできないわけで。
問題は、B4なんてそういう「知るべきこと」が何なのかさえ知らないし、そういうことを知らないこと自体知らないわけで、そういうことは誰かが教えてあげないとダメ。変なプライドが邪魔をしてB4あたりだとそういうことで教えを乞うことが恥だと思ったりするけど、違う。誰かが教えてあげなければ単に徒労を強いるだけということも世の中にはある。何でも自力解決するというのは賢いやり方ではない。そういうことを教えるのは「先達」の務めだ。
それが指導教官なのか先輩なのかは研究室によって違うから知らないけど、ともかくあなたの場合にはそういうサイクルが働いていなかった。それは上の人の過失だと思う。
まさにこれ。特に「その方法を教える」が一番重要。こういうノウハウは「亀の甲より年の功」そのものだ。
確かに、そういう孤立無援な状況で自力で巧くやれる人もいる。そのことを批判してるブコメやトラバもあるようだ。
だが、世の中の人間はそういう人ばかりではない。そういうところで人間関係が器用であることは「できた方がよいこと」ではあっても、「大人なら誰もが備えているべき能力」というわけでもない。
だいたい、研究者は意外と「世渡り術」が要求される職業であるというのはその通りなのだけれども、その「世渡り術」だって、かなりの程度は学んで身につけられるものだ。研究者としてのキャリアが0のB4がそれをできなかったのなら、それは必要なことを教えなかった上が悪いというだけのことだろう。
あとこれは私の場合にあったことだが、余り様子がわからないうちに同輩の意見を聞かない方がいい。特に、自分に自信をなくしてるうちは。
私の属していた専攻はけっこう色んな分野の研究室が混在していて、私の分野はその中でも一番理論系だった。理論系の研究というのは概して結果が出にくい。実験系の研究室では卒論の途中ぐらいで学会発表行けたりもする反面、私の研究室は博士進学するM2が修論提出後にようやくそんな機会を得られるという感じだった。
そんなとき、「自分は何の実績もないのに同輩や後輩は学会発表を重ねている。自分は負けている」などという風に勘違いして自分を責めてしまうとこれは単なる悪循環なので絶対にやらないこと。私は見事にこの悪循環にはまった(白状すると、一番上にリンクした増田を書いた時点でもまだ余り理解できていなかった)。そして、同輩から提供される情報なんて大抵は憶測込みの不確かなものだったりするのだ。
あなたの指導教官が「研究者として」まともであるならば信じてついていくのがよい。疑問に思ったことはまず指導教官に聞いたり、研究室のゼミなどで他の人の意見をもらったりするのがよい。そうすれば修士までに「まとも」なレベルには必ずなれる。「まとも」ということは業界の様子がわかって、自分の興味に従って博士段階で研究テーマを選んだり、場合によっては指導教官を変えたりなど、そういう判断が一応できるようになるということだ。
残念ながら、健康のことや留年・休学にたいしては世の中は理不尽に冷たい。
いっそ就職する前に休学でもして治しておこうかな。
なのでこれはお勧めできない。休学したら就職(企業だろうとアカポスだろうと)の面接で理由を聞かれることになる。「病気療養」という時点で「健康に問題がある」と判断されるとこれは大きなマイナス。ましてメンタルというと二重苦だ。
実は私の大学は専攻によっては半分ぐらい留年するところで、それでもどこかで立ち直って普通にやっていたりするのだが、就職後、他大出身の同期が「留年なんかする奴は人間としておかしい」とか平然と言いはなっているのを耳にして愕然としたことがある。良いか悪いかはともかく、世間にはそういう人がいるものだ。そして企業の人事部の採用担当など、率直に言って結構アホの集まりであることも多い(そうでない会社もあると思う)し、採用先の部署と意識のギャップがかなりあったりもするものだ。
いや、就職のことだけではない。新しい人間関係ができたときにもこれは黙っていなければなかなか厄介になりうるし、何より障害になりうるのは結婚のときではないだろうか。
だから、留年せずに通院治療で治せるのなら絶対その方がいい。でないと一生スティグマを背負うよ。その覚悟がないならその決断はお勧めできない。残念だけれどね。
「努力が足らん」って自分を責めてるみたいだけど、元増田はちゃんと指導教官にアプローチを試みていたわけだし、コミュニケーションが噛み合わなかった不幸かなあ。
気になったのは、「横のつながり」がどうだったのかな、ということ。他の研究室に行ったB4とは話さなかったの? B4の論文輪講で、後から他の研究室の様子を知ったって書いてるけど、発表前に「お前の研究室では今どんなことやってる?」みたいな話をしなかったのかなあ。
で、今はM2でしょ。そしたら学会大会とかで、他大学の院生とも交流のチャンスがあるよね。同分野の他研究室の院生と、どういう感じで研究を進めてるか、話したりしない? 国内学会の全国大会や研究会で他の大学に行った時に、その大学の同じ分野の研究室の人に連絡取って見学させてもらったりとか (まあこれは分野によっては秘密主義のところもあるとは思うけど)。
教員との相性にしたって、いろんな教員を比べて見ないとわからないし、自分とこの教員とうまく噛み合わないのは自分のアプローチがずれてるのか教員の方が偏屈なのか、そういうのだって他を見て比較しないと判断できないでしょう。
自発的に進めるといってもB4じゃ右も左もわからない。研究室内の縦の人間関係だけでなく、横の人間関係を広くとって視野を広げておくことは決定的に重要だと思うよ。
一応、誰が誰に入れたのかを公開することには形式的問題があるかもしれませんので、
下記のような理由でマイナーボートをした人もいた。と認識しておいてください。
※全く関係ない人へ…本日(6/24)全日本学生新人ディベート大会が行われ、(http://www.coda.or.jp/)そこの決勝戦(7人ジャッジ)で審判をしましたので、その判定理由の概要を示しています。論題は「日本は死刑制度を廃止すべき」
略語…Aff:肯定側 M:メリット Neg:否定側 DM:デメリット
■議論整理
Aff.
スタンスをスタンスとして抜き出しておく必要があったのかどうかは謎だが、とりあえずこれ自体は反駁もなく、発生はしていて、残っている。ただし、犯罪を増やしてまで採用すべきメリットなのかどうかについては立論・反駁中でも示されておらず、そこまで強いインパクトではないであろうとの判断。他の人の生命が守れれば正当化されてしまうと自ら言っているので。
発生するはするけれど、多少の合理的な反駁や、(そんなわけないのだけれどdropされた)再審請求していれば執行されないとの反駁もあり、数としては非常に少ないという判断。
拡大自殺に関しては、Negが言うように死刑があろうがなかろうが周りを巻き込む人もいるだろうし、一方で「死刑になりたくてやった」という人の存在自体は否定されず、多少は残るだろうという判断。
★この反駁と立証の評価でジャッジの判断は結構分かれた。反駁を大きくとりこのメリットをほぼ発生しないとしたジャッジも複数
問題は後半で、犯罪が減ったところもある、というのは分かったが、それが拡大自殺だけを反映しているわけではないだろうとも思うものの、触れられていないので明示的にはとれず。また、後述するが、背景要因の検討もこの試合においては不十分。まあとにかく減っているところもある、とだけ。
惜しむらくはせっかく質疑で残忍化効果を匂わせたのにそれを使わなかったところ。
Neg.
A 一般抑止 「死ぬのは怖い」-「ずっと閉じ込められるのは嫌だ」の差分がuniqueness。正直どれくらい大きいのかは不明だし数も不明。いなくもないだろうが、どっちも普通は嫌だし、Affの反駁にも返していないのであまり大きくはとれていない。
別に終身刑でも悪いこととは分かるであろう、という話を採用。上記の差分ともリンク。要は、その差分が大きいと思うか小さいと思うかはかなりジャッジの主観で分かれている。(数十年たたないと云々言っている割には、自ら後で出している資料は直後の増減を論じているというのも疑問)
C 抑止力低下
アーリックモデルに対して、社会的変数などが考慮されていないなど、これでもかというような反駁資料がつけられて、再反駁なかったので、このeviで実際に犯罪増えるとは言えない、という判断。
★このアーリックモデルに対する反駁のeviをこの試合の中でどの程度重視するか、単にこのカードへの返しとだけ考えるか、資料の立証責任レベルを上げるものと考えるかはジャッジで分かれ、投票割れにもつながる
D
・誘拐→「そもそもあまり知られていないのに抑止になるのか、時代も古すぎる」をほぼ返さず、大きくはとらず。まあ、なくもない程度。
・組織犯罪→塀の中から戻ってこれなければ、やはり元も子もないわけで、固有性不明。(なぜ親分に殺されるという話をしなかったんだろう) まあ、なくもない程度。
E 再犯の増加
特に反駁なかったが、結局Aの差分が効いてくるわけで、そこまでも大きくとれず。
S1 アメリカでは2倍に増えたらしい
ここはNeg.のアーリックモデルのカードを援用して立証評価。要は、経済条件はどうだったのかとか移民が増えたのではないかとか、そういう背景を全く言わずに「そのへんの年から2倍に」と言われてもこの試合ではそこまで単純に取れない。そういうことも考慮すべきであるとAff.から示されている以上。
ただ、そこまで考えるべきかどうかはジャッジで分かれていて、結果から言うとそこまで援用しなかったジャッジが多数派。本当はAff.がちらっとでも言うべきであった。
別に死刑囚じゃなくても諸外国ではよく暴動起きてるし…。質疑で応答した、期間が問題というのもよく分からない。それ以上の証明も深刻性言及もないし、立証不足。ていうかこれ発生過程じゃなくて全然別個のデメリットではないんだろうか。
深刻性は、まあそうですね、という判断。
■比較
結局、犯罪が増えるのか減るのかディベーターが明示的に比較していないのでジャッジが考えざるを得ない。
犯罪が増える可能性があるスキームも、減る可能性があるスキームも両方わずかながら生き残っていて、しかも相反しないので、両方起きると考える。
とした場合、減るという資料も増えるという資料もあって、どっちも背景証明が不十分となると、現状とほぼ変わらないのではないか、と判断。
じゃあ、俺も学生時代の思い出を書くよ
しばらくは飼い殺し。ネズミ世話当番をこなす。
その時は、研究室でやってるテーマとか材料を論文検索に突っ込んで、ページ数少なそうなやつを発表してた。
あんまり考えてなかった。
院生が教えてくれたのはそれっきりだと思う。
「なにを言ってるのかよくわからないだろうけど、この材料でこういうことをやれ。
2年前に卒業したやつの卒論の補完だから、その卒論と条件を揃えてやるように。」
どうやっていいかわからない。モノの場所も研究室ルールもわからない。
B4で似たような手技を使う先輩を捕まえて泣きつく。
その先輩、商業高校推薦で潜り込んだそうで、指数対数計算も出来ない。
左手で持って右手で注射する、その話は院生に聞いた、あてにするのはやめてとりあえず試行錯誤。
細々したルールを全無視して好き勝手やってると先輩たちから目の敵。
そんなこんな、色々と実験、というか半分はサンプルを野外から集めてきたり、それを精製したり調整したりという泥仕事が定着。
「いついつまでに誰にこういうサンプルを作って渡せ」
という指示が飛ぶようになる。
割に合わない泥仕事ばかりだったが、研究室のどこでどういう実験が動いているのか全容がわかるようになる。
他の連中が渡されたサンプルで渡された操作をしてるのに比べたら、まあ勉強にはなったわな。
とはいうものの、面白い結果がでたところで、次になにをやっていいかわからないのはやる前からわかってた。
教官狂喜するが
教官「で、次どうするか考えろ」
古今東西の文献を調べまくって、論文の束に付箋を貼りまくって、あーだこーだ説明。
その頃から自由にモノを買ったりするようになる。
たぶん院生よりも金を自由にしてた。
いつものように50万くらいのものを電話注文してたら、すっかり助教授(教官と呼んでいたのはそいつ)に研究は任せ、会議や事務仕事などに引っ込んでいた教授に見つかり、高額なものは助教授と相談して買うようにと言われる。
一声かけに行くと
教官(助教授)「お前がやってる研究に必要なモノをお前より俺がわかると思ってるのか!」
教官「増田くんは卒論のネタが3つも4つもあって余裕だから、同期の卒論をどうするか考えろ。」
要約すると、卒論のテーマを与えようと思ったが思いつかなかったらしい。
俺は泥仕事の過程で出たデータにちょいちょい足していけば、それっぽいストーリーがかける状態だったしで。
そのうちにどんどん増長していく。
今度配属されてくる後輩の面倒も一人見ろという。
同期のやつらも同じように後輩の面倒をみたりしていたが、手技を教えたりするだけだったんだが、俺の場合は卒論のネタまで考えて与えろと。
やれと言われたので、やった。
そのうち愚痴の聞き役担当にもなり、ウン年前に卒業した院生の博士論文であのデータが足りないとか、そういうまで。
なんか自分がすげぇやり手みたいに書いてるけど、教官の言ってることは半分くらいしかわからんかった。
どうも、その研究に必要な基礎知識とか、ライバルの論文は全部俺が読んでるという前提で話しているようで、
というノリ。
適当に相槌を打ってた。
教官「お前はネタが3つも4つもあるのに卒論は1つしか書かないなんて、残されたほうにもなってみろ!」
ということで卒業式の後に、卒論にしなかったネタをどうするか、誰かにデータを追加させてそいつの卒論にするとか、どうやって学会発表にもってくとか、そういう話をずっと。
相変わらず躁だったり欝だったり激しかった。
俺「先生、この間と言ってることが違うじゃないですか」
教官「おまえ、俺のことなんか信用できると思ってるのか?何年俺と付き合ってるんだ!」
しばらくして、その教官は死んだ。
自惚れではあるが、俺が院にいっていたら、死ななかったかもしれないと思ってる。
大学3年の年度末の研究室配属、私は晴れて志望のX研究室(イニシャルなどではない。念のため)に配属されることができた。
教員との相性や研究スタイルも考えず(というかどこも分野以外変わらないだろうと思っていたので)、
研究分野の興味だけで選んだ。
配属されてからしばらくは、ゼミもなく進捗報告もなく、ただX研の研究テーマで使うであろう器具をいじっていた。
「英論文を一本読んで、発表(7月頃)する」という課題が課されていた。
その発表を3週間後に控えた頃、X研のB4にも論文が配られた。
この英論文を読む作業は「先行研究調査」だとか「survey」と呼ばれる「研究をする上で非常に重要な作業」で、
しかし当時の私は「卒業に必要な単位を埋める作業」という認識でしかなく、
「院試の邪魔」だとか「自分で研究したわけでもないのに」と思っていた。
結果、モチベーションが保てず発表までに間に合わず、ひどい点数を取った。
「配属直後から」、「自分で論文を選んで」、「各B4の論文に対してゼミ中に研究室全体で」
取り組んでいたようだ(マンツーマンというところもあったらしい)。
ひどい点数を取ったのは自助努力が足らなかったからなのは認めるが、
論文を渡しただけでほったらかしにされるより、逐一指導される方が点数が高くなるのは火を見るよりも明らかだろう。
院進学は、他大も視野に入れて探してたけどいまいち興味が沸くところがなかったので
X研にそのまま推薦で内部進学することにした。
(内部進学の推薦院試なんてないようなもので、受験料納めて適当な書類2枚作るだけで通った。)
その後は12月まで、ひたすら器具をいじって過ごしていた。
相変わらずゼミや進捗報告は一切なかった。先生と話をするのはたまに先生が研究室に顔を出した時だけ。
途中不安になって研究テーマについて相談しに行ったこともあったが、
返ってくるのは決まってるんだかないんだかわからないような曖昧な答弁ばかり。
そして中間発表を2週間後に控えた頃、漸く研究テーマが割り当てられた。
指導教員は「他学科の先生だから毎日は指導できないよ」「質問はよく調べてからにして」というばかりで、
指導といえば発表練習に付き合ってダメ出しをするとか、テーマについての方向性や意味を教わるぐらいだった。
なんかもう「頼れるのは自分だけ」って感じだった。
そうして迎えた中間発表は、今ひとつな結果に終わった。
後日、指導教員に「キミ、このままじゃ院でやっていけないよ」と言われた。
いい歳をして泣いた。死にたくなった。
テーマが決まってからはがむしゃらにやってきたつもりだったのに。
こんなのがあと2年も続くなんてと思うと、
留年して進路選び直したほうがマシなんじゃないかとすら考えたけど、
何より学費を出してくれる親に申し訳なくなってできなかった。
死ぬとまでは行かなくても誰か話を聞いてくれるかなとか思っていたけど、
留年以上に周りに迷惑がかかるor親不孝な気がして結局今もこうして生きてる。
後日、研究室のコネのバイト不採用の通知が来てますます凹んだ。
あの日の頃のことは、今こうして思い出して書いてる時も涙が出る。
その後は研究を放り出したい気持ちを引きずりながら研究室に顔を出し、
泣きじゃくりながら卒論発表・提出までこぎつけ、無事卒業することが出来た。
何故卒研に失敗したのか。
それはやはり自分に真剣味だとか努力だとか行動力が足りなかったのだろう。
研究は自発的に進めるもの、指導教員の指導を待っていてはいけません。
でも初めて研究する(のが大半)なB4に、「全部自分で研究しろ」っていうのはちょっと酷じゃないか?
太平洋のど真ん中に、地球の地理も泳ぎ方もわからない人を放り出すようなもんだ。
せめて
までしてくれれば猶のことありがたかったけれど。
ちなみに、自分が「研究テーマとして重要な要素(研究をすることの意味・新規性など)」「先行研究調査の重要性」を知ったのは
…これらは本来卒業研究の時点で身についてなきゃいけないことなんじゃないですかね…。
発表練習だけは付き合っていただけたのは、
「外面を繕うぐらいは手伝ってやる」って意味だったのだろうか。
長くなりましたけど、B4達に私から出来るアドバイスとしては、
「自発的に進める」
ぐらいです。
「長い目で見ればやっぱり留年しておくべきだったのかな」と思っています。
いっそ就職する前に休学でもして治しておこうかな。
忘れないうちに幹事についてまとめる。
あとでトゥギャッターにでもしよう
本当に来ていただいた皆様には感謝
で今回は一応無事になんとか終わった印象。
少し私が顔とIDと経歴とを間違えてて不愉快にさせてしまった可能性は否めない案件はあって
hwoffについて、57人参加で運営上の大きなトラブルがないのは奇跡に近くて
それに甘えてる幹事な私。
普通このくらいの規模ならば、連絡なしのドタキャンが発生することは否めないし
可能性としては織り込まなければならない。
その場合にキャンセル料はどする?全額請求するのか、参加者につけ回すのか。
今回はドタキャン発生が皆無なのは本当にすばらしい、金銭的な収支も計算どおり。
実際はこれに対処する術をもっていない
現状1人でやってるってのは良くなくて、不測の事態が起きた時に対処が遅くなる。
本来ならばすでに1人でまわすことが無理あって
hwoffの参加者が行儀がいいだけの話。
なんで一人幹事ばかりなのかっていうと、話しあうとか意思疎通のコストが高いと思い込んでるから。
対人関係をうまく構築できないといってもいい。
運良けりゃ回るけど、最悪なことが起きた場合 例えば私が当日42度の熱出てほんとに動けないとか
そんな時を想定すると1人で回すのは愚の骨頂。
マネジメントみたいな話になると思うんだけど、もう少し
自分でやったほうが早いとかいってないで、自分の分身をつくらなきゃまずいよね 的な。
結局1hくらいはLTやってた、このあたりのバランスは確認したい。
全部に興味ある人はいないだろうし、それを考えるとLTを挟むことの是非とか。
もともとの趣旨は顔見せて集まることの少ないエンジニアの交流促進なわけで
そーすると無くてもいい事項か。
会費については5000円が妥当か。しゃぶ庵で3.5h専有して とか考えると
高いとは考えないが財布の状況を考えると軽食程度にして4kとかに抑えることも視野に。
今お越し頂いてる層が上は50くらい 下が19くらいなことを考えると微妙
大半は社会人なのを考えると5kにして、未成年とB2~M2まではキャッシュバックみたいな事を考えるか。
→コストどーすっかね。
例えば立食で軽食で4h専有できて60人でみたいなスペースはあるんじゃないか
しゃぶ庵のご飯は僕は好きだし美味しいと思うけど、それをメインにしてる人もいないのは事実
そーなると軽食のがいいのかしら。
これからの規模について
もし1人体制を改めるならより大きくする方向はありか無しか。
それとも縮小させるか。
すでにある程度顔見知りになってしまってる人が多いので
このまま回数重ねて同じ人ばっかりになるとコミュニケーションの方向性が内向きになることはやむを得ない。
すでに常連みたいな人は30人を超えてる。
そーなると新しい人が入りやすい、コミュニケーション取りやすく促進をはかるならば規模は増大させるほうが望ましkうはある。
いまの規模の制約条件は、私個人が幹事である、私の知り合いに基本声かかる 宣伝の問題なんか。
規模大きくすると、特徴性が薄くなるのは仕方ない。
もし来場者の満足度を最大限高める方法って。。?つうか顔見知りばかりなら僕が主催しなくてもいいよね。
もし規模を拡大するならば、親和性の高そうなところに声をかけるのはありではある。
例えばtggdとかUNIXのAndroidのとことかmbedのところとか
規模拡大させればいいこともあるし当然トラブルが増える可能性は非常に増大するよ。
定期的に開催することの意義はホントにあって
次いつやるかわからないよりは、来年もあるよね ってのが集客しやすいよね。来やすいだろうし。
会場にお願いの連絡いれて12/21にATND立ててしばらくはtwitterで広告みたいな感じか。
なので
もし来年も動くならば、それも一人でやらないなら少なくとも12/15くらいには動き始めようね 的な。
ということで乱文ですがざっと今回の0128hwoffの思うところでした。
匿名なのをいいことに書きたいことを書きなぐってみることにする.
現在工学系修士M2.幸いにも就職は決めることはできた.(苦しみはしたが)
しかしこの時期だというのに,とある問題に行き詰って研究室に行こうとすると吐き気がする.
またいやなことに,研究を進める上で通らなきゃならない問題なのにもかかわらず一向に解決が見えない.
教授には感謝しているし,研究室の同期にも心を許している.少なくともそういう感情は持っているつもりだ.
教授の車や人影を見るとぞくっと緊張が走る.
これまで,自分は少しは能力がある人間なのかもしれないなんて,そんな自惚れを持っていたのかもしれない.
でも,ここ半年(特に就活を経験してから)そんな自惚れは自惚れだったと気付かされた.
自分はいくら努力してもおそらく努力の向きを微妙に間違えていて,
書いたコードの行数は多いかもしれないけど,間違いなく成果には繋がってない.
さっき惨めで一人で泣いた.こころがしんどい.
俺は「糞を掃除する」側になった覚えが無いから特に同意する気持ちは無いけど、なんか心打たれるものが有るというか、格好良い文章だ。多分他の多くの人はそつの無く批判もされない文章を書こうとして結果的に論点をぼやけさせてしまうのに対し、この人の場合は自分の体験をそのまま、物事を一面的に、考え過ぎず素直に、思った事をありのまま書いているからこれだけの迫力が出るんだろう。
あと幼少時の一人称が「ぼく」な点から察するに投稿者は男なのか。殆どの一人称が私なのと文体で女だと思ってた。
汚れ仕事ををやる
「を」が一つ多い。
金がないってのは、そういうことだよな。
どんな発電所がどこに建てられるかは単に地域間の貧富差では決定しない。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
には、土地代は幾らか、土地の面積はどの位か、電力需要の高い地域から近いか、地形的にどんな発電所が建てられるか、貯水池の渇水期、凍結、降水量事情は水力発電が可能な程度か、炭鉱が有るか、大容量の電力連携系統が有るか、等様々な考慮すべき要素が挙げられている。福島県に原子力発電所が建てられたのは「金がない」からではなく「金がない事も含めた諸条件が揃った」からだ。
34ページ
3) 電源別平均的出力当敷地面積と建設費
電源別の代表的発電所についての出力当敷地面積(m2/kW)については、
石炭火力発電、原子力発電、石油火力発電、LNG火力発電の順に面積が小さくなっていることが観察される。
石炭火力発電については貯炭場*4、灰処理場などを併設する必要から敷地面積が極めて大きく、
原子力発電については、原子炉・発電設備などの面積は小さいが放射線管理のため
「周辺監視区域」という空地を設定する必要から敷地面積が大きくなっている。
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
福島県民も東京電力の有する福島県第一原子力発電所の電力を使っている。
また糞を掃除する、つまりは発電所を押し付けられる側は一方的に押し付けられていたのではない。1990年代前半迄は東京電力と東北電力は電力を季節毎に融通し合っていた。
福島の原子力 - 科学映像館 http://www.kagakueizo.org/2011/01/post-332.html
14分40秒
発電所で起こされた電気は、ここ、新福島変電所を通して首都圏に送られると同時に、東北電力の送電線に由って地元でも使われます。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
11ページ
1-4-2. 最大送電(kW)計画の推移 (図1-4-2-1.~-3.参照)
地域間連系送電に関する一般電気事業者の8月最大送電(kW)計画によれば、
大需要地である東京・関西の最大電力需要に対し、それぞれ東北、九州・四国などから大規模な
送電が行われていることが観察される。
東京、関西は1990年代前半は送電であったものが1990年代後半から受電に変化しており、
反対に東北、北陸は1990年代前半は受電であったものが1990年代後半から送電に変わっている。
15ページ
2) 東 北 (図2-1-1-2a,b. 参照)
東北においては、夏期に水力資源が豊富であり需要期に東京へ連系送電を行っている。
一方、冬期においては水力発電所が渇水・凍結により運用できない問題があり、1990年代
前半においては東京・北海道から連系受電し需要を賄ってきた。1990年代中盤以降東北及び
いやあんたそもそも北海道電力や東京電力や日本原子力発電の電気を福島県民として使っていた事を忘れる以前に知らなかったろ。関東人として福島県に罪悪感を抱く一方東北人として北海道や関東に罪悪感を抱かないのはちぐはぐだ。
(ソース:世界の中の東京(東京都環境局) http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/attachement/1-1.pdf )
(ソース:東京都建設局 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kouen/kouenannai/image/22menseki.pdf )
しかしながら、東京は狭い、というのは数字の上では間違いです。
むしろ、平面的な広がりでは、世界の中でも広い方で、現に人口密度でも、世界の大都市の中では、むしろかなり低いほうです。
その上に、東京の土地使用においては、住宅の占める比率はむしろ他の都市に比べても高い方です。
それにも関わらず、一人当り公園面積が小さく、住宅は狭く感じるのは、なぜなのでしょうか。
それは、「低層の建物が多いから」です。特に、「低層住宅が多いから」です。
森ビルのHPによると、東京23区の平均の容積率は、僅か131%です。
また、いかに東京に低層の建物が多く、公園が少ないかはGoogleマップでも確認できます。
シンガポール: http://goo.gl/maps/EUQR
他の都市では、航空写真で見ても、この縮尺でも確認できる建物が多いですが、東京では、新宿近辺などを除き、この縮尺で確認できないような小さい建物が広がっています。このような低層住宅が広がるのが東京の特徴と言えます。
しかし、このような低層住宅が延々と広がることは、それほど良いものなのでしょうか。
低層住宅といえば聞こえはいいが、しかし、東京の低層住宅というのは、私には良いものだとは思えません。
庭などはほとんどなく、1階の日当たりもほとんどない。また、建蔽率が50%であっても、建物の他の敷地はほとんど駐車場…一般的な東京の低層住宅街と言うのは、このようなものではないでしょうか。
そうではないという人は、高い家賃を払っているか、駅から遠いか、あるいは、郊外に住んでいるような人でしょう。
日本は地震国であるため、高層建築が発達せず、多くの床面積を作るためには、平面的に広がるという方法を選択してきました。しかし、地震に強い建築が確立されつつある今、もはや、僅かな人数しか居住させられないいにも関わらず土地を占有する低層住宅は最早害悪以外の何ものでもないような気がします。
少なくとも、狭い土地建っている木造3階の一戸建てなんかは、床面積に占める階段の比率が多くなってしまい、非効率この上ないのではないでしょうか。
加えて、平面的に広がる住宅街は、通勤時間を長いものにしてしまいます(家は駅から遠くなり、また、電車による移動時間も長くなります)。これらは、余暇の時間・家族の時間の減少に繋がっていきます。
東京は高層化さえできれば、広く、駅から近く、また職場にも近いゆとりのある住環境を提供できるポテンシャルを持っているはずです。
高層マンションに反対している人は、狭い家とか、駅から長い時間歩くとか、また長い時間電車に乗ってるのが好きか、ただゴネ得を狙ってるとしか思えません。
高層ビルは景観を壊すとか言ってる人は、公園も庭もない家が延々と続く景観が好きという奇特な方なのでしょう。
シンガポールなんかは、東京より多い人口密度(6283人/km2)でありながら、緑が多くて「ガーデンシティ」なんて言われています。
ボスの言われるままに進学したが、僕のレベルは周りよりはるかに下だった。
まず英語ができない。まわり頭いい。英語の論文の訳なんてできるわけがない。
課題もできない。なんでこんなの理解できるんだ。
やる気もない。そんな熱心にやらなくったって、もう実験の細かいところにこだわったって結果が極端によくなるわけないから適当でいいだろが。
「死にたい」とか「ワシ病んでるねん」などは思わないが、本当に修士に進むべきでなかったと思う。
私立の不人気学科ならなおさらだ。
すぐには働かなくていいし卒業後にもしも働けたときは学部卒より給料もいいだろうけど、よっぽど勉強が好きでないかぎり進学は禁止。おじさんとの約束だ。
さて、リクナビでも見るか。
7/19追記ー。
キュアサンシャインとけいおん!!のおかげで生きながらえてます。
研究と勉強の違いくらい理解してるよ!って言い訳しようかと思ったけど、また今度暇があるときに。
2/23追記。
内定とって修論発表も無事終えました。当時は精神的にかなり辛かったけど、とにかく胸をはってやることをやればなんとかなった。
就職できない人、修了できそうにない人の事を思うと胸が痛む。
昔の自分にアドヴァイスをするとしたら、とにかく前向きに自分より下と比べて自信を持って、元気よく出来うる限り最善を尽くして内定を取りにいってください、とエールを贈る。
…ってのが、大学入って院の人間を見て思ったこと。修士/博士の人、なんか間違ってるとこあったら言って下さい。人にケチつけるのは得意だよね。
あ、これから書くのはあくまで「俺が見た範囲」での博士の生き方です。分野によって、というか教官/研究室によって大分違うと思います。俺がいたのは「3Kどころか10Kでも20Kでも挙げられるぜ!」っていう分野の研究室です。
そこにいたD3の、俺が知る限りの生活。
9:00 研究室に
9:30 実験開始
12:30 先生と昼ご飯。俺もついていく
13:00 実験再開
22:00 そろそろ実験終えて文献を漁ったりする
その後 キリのいいところで帰宅
一番遅い人で2時くらい。3時まで残ってることはあんまりない。
こういう生活ならそりゃ専門バカにもなると思う。
スカトロってのは、まあ別にSMでも赤ちゃんプレイでもいいけど、他人に理解されない趣味。そして、ある意味では学問も同じ。人に理解されない趣味を持った人っていうのは、でも、どうやったって一定数生まれてくる。
ウンコを喰って興奮してしまう人が存在するのと同じくらいの必然性で、学問に取り憑かれてしまう人が存在する。彼らはそういう風にしか生きられない。
伝記の世界だと「○○に一生を捧げて死んだ」って人が山ほど出てくる。「一生を捧げる」ってのは当たり前だけど途方も無いエネルギーが必要で、けど、じゃあ何かに一生を捧げれば偉くなれるかっていうと、案外そうでもないんだろうなと思う。
何かに一生を捧げる人たちってのは多分どの時代にも結構な数がいて、人知れず消えていく。
別に、彼らの多くは偉くなりたいなんて思ってなくて、でも彼らは何よりも優先すべき事柄を見つけてしまって、それを追い求めずにはいられなくなったんじゃないか。
それは傍から見ればすごく不毛で苦しそうなことだけど、多分本人はすごく楽しいんだろうな、と。
俺はその姿に憧れてしまうけど、憧れてる時点で、既にダメなんじゃないかとも思う。
本当に何かを追い求められるのは、こんなことを考える前に行動を起こしてしまうような、こんなところでグダグダ書かないような人間なんだろう。
とりあえず、先輩、海外行っても頑張ってください。
ヤバイ。博士ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
博士ヤバイ。
まず賢い。もう賢いなんてもんじゃない。超賢い。
賢いとかっても
「おばあちゃんの知恵袋くらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろD3。スゲェ!なんかその後とか無いの。B4とかM2とかを超越してる。D3だし超賢い。
だって普通は大学の友達とか勉強しないじゃん。だって自分の学年の平均値がだんだん上がってったら困るじゃん。自分ひとりだけ単位不可とか困るっしょ。
先生が気合いれて、一回生のときはただの高校化学の延長だったのに、三回生のときは全合成のペーパーで反応機構を述べよとか泣くっしょ。
けど博士はヤバイ。そんなの気にしない。勉強しまくり。既知の知見全てを前提知識として議論を展開する。ヤバすぎ。
D3っていたけど、もしかしたらポスドクかもしんない。でもポスドクって事にすると
「じゃあ、任期切れたらどうするのよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと帰るの超遅い。約25:00。実働時間で言うと14時間くらい。ヤバイ。遅すぎ。恋人作る間もない。怖い。
それに超休み無い。超日曜出勤。それに超テキトー。白衣とか全く着ない。サンダルて。でも手袋・保護メガネはしてる、ずっと。
B4なんて原料合成とかたかだか10mmolスケールでやるだけで上手く精製できないからカラムしたり、再結晶で一晩置いてみたり、諦めてクルードのまま使ったりするのに、
修士で完全放置っていうのはちょっとひどいよなあ。数学とかだとそういうのもあるの?いや、最近話題の生物かな?
まあ、私立の院ということで、学生の数が指導教官に比べて多すぎるので眼が届かないんだろう。しかし、とにかく指導教官どのコミュニケーションが不足している気がする。
相手が怒ろうがどうしようがしつこく絡んだ方がいい。どうせ今年限りだ(M2だよね?)
まあ、君だけ無視されてるんだとすると自分ではどうしようもない状況になっている可能性もあるが、その場合(これは最悪の場合だと思うが)は指導教官を変えるという手もある。そろそろ納涼会みたいなイベントがあるだろ?そこで学科主任に泣きつくんだ。教授準教授縦割りシステムになってから、そうやってる移動している学生は結構いると思う。まあ俺が知っているのは国立の場合だけど。
ttp://brevis.exblog.jp/12270332/
ちなみに、工場見学をしていると、人によって見るところが違うことに気づく。たとえば、工場見学の初心者は、たとえば自動溶接ロボットの動く工程だとか、整然と美しく広々した構内、あるいはコンベヤが連続して運び出す製品などに感心する。いわば、工場の目をひく付属品や印象を見ているのである。
ところが、工場見学の中級者は、別のところを見る。たとえば、NCマシンのラインと汎用機のブロックを分けてレイアウトしているな、とか、なぜ大型の自動切削機を2階においているのだろうか、といった点に注目する。建物の床には耐荷重(m2あたり500Kgとか1 ton等)という設計指標があり、これを大きくするには柱・梁を太くしたり補強を入れる必要があって、建築費が高くなる。だから重量のある機械装置はふつう1階におくのが工場計画論の定石なのだ。つまり、中級者は工場の構造に注目するのである。
そして、諸先輩の中でも上級者クラスの人を見ると、この工場は製造ロットサイズが大きすぎるんじゃないか、とか、構内は整然として見えるが通路脇に置いてある部品カゴに現品表がついていないな、といったことを指摘する。つまり、工場というシステムの動きと機能を見ているのである。だから、いろいろな人と一緒に見学に行くと勉強になる。
工学系の学生向けなので、すべての学生に役に立つかは分かりませんが。
一番最初は、「研究ノートをつける」ということだと思います。自分が今日何をやったのか、何が分からなかったのか、などを書いておくことで、自分はやってるんだ感を出すという事と、時系列的に何をやってきたのかが明確になるので、修論を書くときに便利になります(分野によって違うかと思いますが、修論は普通の論文と構成が違っていて、序論、問題設定、アプローチ1、実験、考察、アプローチ1の問題点を改良(アプローチ2)、実験・・・まとめ という風になっていると思います)。あと毎日何をやったかまとめることによって、問題が整理され、新たな解決法を思いつくネタにもなります。
私自身は、普通のキャンパスノートを研究ノート替わりにつかっていますが、だいたい1ヶ月1冊のペースで使い終わります。
・平日はなるべく研究室にいく
M1のあいだは講義があって、講義が終わってから研究室いくの面倒だなと思うこともあるかもしれませんが、なるべく行くようにして、少しでも(それが論文を30分読むとかだけでも)研究に関連したことをやることによって、習慣付けされることを狙うということと、研究室に顔を出さないとやる気のないやつというレッテルを貼られたり、研究室にいかないことによって疎遠になって後々行きづらくなるということから避けられます。基本的に先輩たちは教えるのは好きなので、早い段階から周りと慣れておくと、研究もスムーズにいきます。
私はここに関して失敗した人間で、配属当初はボスのことがすごく嫌い(自分の興味のある研究テーマを悉く否定(否定理由:私はそれあんまり好きじゃないんだよね)され)で研究室にいくのがイヤだったのと、ちょうど1つ上にあたる先輩同士が、裏で貶しあってたりしている様をみて人間的に好きになれなかったのもあり、殆ど図書館でひたすらM2の先輩が卒業するまで図書館で論文や参考書を読み漁る日々でした。しかし、図書館でいくら論文をよんでみたところで、所詮学部からあがってきたばかりの学生の能力では、論文の表層しか読み取れないという問題もあり、今思うと非常に非効率的だったと思います。
・サイクル化する
研究をやっているとどうしても、もうちょっと・・・もうちょっとだけ・・・とやってしまい帰るのが遅くなり、睡眠時間が削られる、或いは、活動時間がずれていく。というような悪循環に陥ることがあります。なので、なるべく何時には研究室から帰るという時間を決めておいて、研究をこなしていくとよいと思います。
私自身もそれをやってしまい、昼夜が逆転しかけたことがあります(もちろん、そんなときはゼミの時間に起きれるはずもなく、ボスから怒られました)。なので、今はなるべく21時には帰宅、1時間ほどお風呂でリラックスして、22時から3時間~4時間論文や本を読む時間にあてて、1時~2時に寝て、4時半におきるという生活をしています。
サイクル化を達成するための方法として、公共交通機関をつかって学校へ通うというものが考えられます。公共の交通機関には最終便という制限があるので、それまでに終わらせないと帰れないわけです。自家用車だと、いつでも帰れるという心境が油断を生み、だらだらとすごしてしまいがちになります。
・学校には泊まらない
忙しくなると泊まったりしますが、泊まるというのは非常に効率的じゃなかったりします。その理由は、
(1) きちんと布団で寝ないと疲れが取れない
(2) 遅くまでのこってみたところで、殆どだらけていて意味がない
などがあります。
他にも色々あると思いますが、私はこんなところです。