はてなキーワード: 起訴とは
去年iPhoneの置引被害にあったんだが、犯人が捕まって本人が嫌疑を認める・示談なしで不起訴になった
サッカー選手や芸人の件でこれから不起訴だったから無実!みたいな擁護が飛び交うんだろうが窃盗の事実を認めても不起訴になるので不起訴=完全な無実ではないんだよな
逆の立場になって考えてみてよ。もしあなたが知能そのものや、冷静な判断力を失って、訳も分からずパニックになった時。
人を階段から付き飛ばしたり、拳が相手の頭部に思い切り当たってしまって、運悪く相手が亡くなったとする。
人が死んだという結果だけ見て刑務所に入れられても困るし、もし自分じゃなくて家族だったら、尚更悪くないのに責任を取らされる。
絶対納得できないだろうに。
意識障害で女子高生をひき殺した群馬のお爺さんは無罪になったし、認知症で男子小学生をひき殺した神奈川のお爺さんは不起訴になった。
https://www.sankei.com/article/20200305-PTH3WE5PRFNOBCYQL6TP6IQKGE/
統合失調症で5人を殺傷した静岡の女性も無罪になったし、愛知で認知症のおじいさんが線路に立ち入って電車の事故を引き起こした家族もJRから訴えられたけど、賠償しなくて良くなった。
バラエティ番組で死人出てるウンナンが人を傷つけないはどう考えてもおかしいだろ!!!!!
1993年6月24日未明、フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港のロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷)となって東京女子医科大学病院に搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。
6月26日、番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組の最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送が結果的に最終回となる。
6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビの村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体が野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ(平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。
7月1日、フジテレビの記者会見で番組の打ち切りが正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。
7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町のニッポン放送でウッチャンナンチャンの2人による謝罪の記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。
7月3日、ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番「あなたの心のスター大全集!!」(司会:峰竜太、中山秀征、鷲見利恵 制作:ジャパンプロデュース)が放送された。
上述の6月26日の放送で予告された7月10日にJリーグ中継[注釈 7]、7月17日に上記の「あなたの心のスター大全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社・スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。
12月、被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組のプロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。
1994年4月11日から『やるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。
さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャンの年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。
その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。
でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。
24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。
でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。
不起訴サービスも福祉サービスも、官僚人脈のある者には有利な分野です
官僚家どうしの結婚がしばしばあるのは、虐待と殺人計画の事実については習慣的に当然に口外が禁じられており、理解が得られやすいためです
何かしらやらかすと、すぐに大臣も総理も辞任していた20年前なら大騒ぎだったかもしれない。しかし、アベ以降の自民党があまりに腐っている惨状を、国民は繰り返し繰り返し見せられすぎた。多少なりと政治に関心のある国民なら、「ああハイハイ、大物はことごとく不起訴だし、解散とか言っても看板かけ替えるだけですよね、平常運行で腐ってますね。」と白けた面持ちで今回の件を眺めているに違いない。
キックバックの裏金化は自民党政権が腐っていることを示す事象群の一つでしかない。半世紀後も日本が存続していて日本史が書かれるならば、アベ以降の自民党の顕著な変質が一つのトピックとなり、キックバックの裏金化の露呈は、その変質の一例として脚注で取り上げられる細かな事実の一つ程度の扱いになるだろう。
追記:消し逃げで話が追えなくなってるので自分のをリンクしとく。
共犯の大道寺あや子が事件直後の1975年に捕まって、1977年にダッカ事件の超法規的措置で釈放されて逃走してるからなんよな。
起訴されてる最中の逃走なので大道寺あや子の時効は止まってる。
そして「共犯者が公判中」ってことで桐島聡の時効も止まってるの。
一連の事件起こした犯人の中で唯一前科もちじゃなかったのも桐島。
運も要領も悪い桐島。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
これ書いたものですけどhttps://anond.hatelabo.jp/20240123114222、いくつか回答します。こういう使い方は非推奨だったらすまん後で消す。
尻振るかどうかを決めているのは制作会社なのでタモリが決定してるわけではないと思う、容認は当然してただろうけど。そういえば山田五郎と尻の品評会もかつてはやってたし、オープニングの尻を選ぶオーデイションもやってた。ただタモリ倶楽部も後期では、このご時世なので…みたいな留保をつけながらやってたから、まぁ自主規制も緩い深夜枠とはいえタモリ倶楽部はアップデートしてた方だと思う。
刑事事件(罰が決まる)ではなく、民事事件(賠償金や和解金の金が決まる)なので、そもそも違う。罰は決めない。決着付けるための金額を決めるために事実や社会的影響が考慮されるということ。
裁判で笑いにできるぐらいならXで笑いにしてたと思う。いや本人は笑いにしたつもりだろうけどドン滑ったと元増田は感じている。増田はあのポスト面白かった?
松本ファンにミソジが多いのか、ミソジをこじらせているからずるくて悪い女に訴訟しかけた松ちゃんカッケーなのか、どっちなんだろ?どっちも?ファンの客筋の治安変化してるね、筋肉付けた賜物だ!
あの人って誰だ。先週1000ブクマ行ったやつなら私が書きました。こっちの方がより深く腹が立ち悲しいから乱暴な言葉になっているかも。
受験勉強の回答ではないので、色んな立場の人たちが大勢ひしめいて暮らしている社会では法律以外では白黒判定はつかなくて、価値観は、個別の誰かの何らかの感情や思惑によって変化の内容もスピードも変わる。それが社会ってやつなので仕方ない、大勢異なる人が住んでいるから。そしてそのあいまいで人によって違う尺度を「いっせいのせで変更しよう」となったらそれはファシズムでしかないと思う。
法律についていえば、セックスやわいせつ行為に関する犯罪・トラブルにおいてはこれまでとにかくヘテロ男性がひたすら有利だったのが、法改正で(完璧に機能しているとは言わないが)性加害自体を起訴しやすくしたり、男性の被害者を認定できるようにしたりと変わってきている。法改正はお望みの通りの「タイミングを揃えた変化」で、もっと言えば法律って社会生活における「NGの最低限の価値観」を明文化したものだ。最低限ラインすら変化してるんだよ?ということは断言できる。それまでは男性はレイプされても罪に問えなかったんですよ。男子もっと喜べばいいのに、不思議。
強制的に書かされた事実があればもちろん法的にアウトで何なら1翻乗る。「強制的に書かされた」と言い張る美人局的なことが立証されれば美人局側(強制された!と言った人)が犯罪になる。訴訟の行く末を見守るしかない(でも美人局や復讐であるとはさすがに言えないと思うだってお前らが呼んだ女やぞ?ってなるから。売名や金目当てというのも現状被害者が名前を出してないからあんまり筋が良くないと思う)
どうだろうか。松ちゃんは女遊びをすること自体、素人に行くこととかも含めて日頃からメディア出演の中でさんざん話しているのでそちらは名誉棄損にはならないんじゃないかと。性加害の有無は事実かどうかによって名誉棄損に当たるかはかなり微妙では。もしも事実なら名誉棄損どころか起訴になりうる。もし本当ならレイプであればまだ時効ではない(まぁでもお互い実証がしようがないからそこで泥仕合はしないと思うけどなぁ…するとしたら松本サイドは相当マヌケだと思う)
まぁね、その可能性は結構あるかもかなーと思ってるけど、さすがに陰謀論めいてくるので私は言わないようにしました。
元文春編集長が、A子さんは法廷に出ると言ってるそうなので、セカンドレイプが行われないような配慮をもってなされるといいなと願っています。
これは私の邪推だけど、松ちゃんは(相方であり幼馴染としての情や信頼は当然あるだろうけど)ビジネスパートナーとしてのハマタさんを日頃から、私や世の中の人たちの評価からしたら不当に低く見ている(見下している)と思っていて、ハマタさんの真似は絶対にしなさそう。
第一次氷河期世代です。談志が議員になってた頃は当然リアタイでの記憶はなく物心ついた後も「なんかバンダナひげの人がテレビで怒っている…」ぐらいの認識、大人になり当時の彼氏が談志大好きで本などを読まされてこのおっさんめちゃかっこ悪いと思った。落語会に行こうと誘われて何度か行ったけど政治をやったのを後悔するような話をぽつぽつするのがキュートだったという感じです。談志の落語については、私は結局あんまり好みではなかったな。彼氏(現夫)は今でもすごく好きみたいだけど。
分からんけど多分そうはならないと思う。文春はさすが下種メディアだけあってこの手の訴訟を始終抱えていて、そのことをご存じない程度には「それはそれとして訴訟は受けて立つ」体制になってるんだと思うますよ。
そもそも松ちゃんタレントとして名前が大きいから引きが強いし、相方のハマタさんはメディアに出続けるだろうから松本の不在は意識され続けるだろう。過去の例ではあるけど、たけし被告時代のテレビがまさに「たけしがいない」をひたすら意識する感じだったので。むしろそれより紳助に近い(いなくなったが今田東野が普通にやれてる)かもしれないけど、それはそれで松ちゃんには辛いかもね笑
私の文章についていえば、一丁前の口ではなく松本人志評でもないしお笑い評でもなくて、私のお笑いの体験と好きだったお笑い芸人が闇落ちしていくのが悲しいという文章なんです。わかっていただけていないようだったら残念です。
「松本人志は人をしてお笑いを語らしめるタイプのお笑い芸人である」という点については同意。それが仇になってる(裸の王様化)のが今だとも思ってて、むしろ私はそれを言いたいのでした。「お笑いが語るに足るなにかになった」のは松ちゃんだけの功績でもないし、それが功績だったとして自分がその功績を踏みにじってるのが今なのかもよ?
女で生まれて生きていて「面白いと思うのになんでこの女性蔑視はやめないんだろう、それをやらなくても全然面白いのにな」と思い続けているので、男に生まれるとそこらへんは鈍感になれるってことなのかな、だとしたらうらやましいっすね!
ありがとう。好きだったんだよなぁ、でも同時に好きじゃないところ(女性蔑視なところなど)もあった、そして好きじゃなかったところがどんどん肥大していって失望し続けている。悲しい。