はてなキーワード: 法則とは
入社して7年、30代を目前に第二次結婚ラッシュがはじまった。
次々結婚していく女性の同期をみていて、ある法則に気が付いた。
メールアドレスだ。
わが社は@より前を任意の文字列にできるのだが、名前@~の既婚率と、苗字@~の未婚率には歴然の差がある。
私は後者だ。
入社した際、苗字が変わるかもしれないことに考えも及ばなかった展望のなさ。
業務用アドレスとして増子@~と下の名前を使うことに、なぜか妙な照れを感じてしまう、いらぬ含羞。
そういうところだ。 それが私と彼女たちの差だ。
思えば子どものころからそうだった。保育園の「自分の絵を描きましょう」の時間、私は周囲の子のように、自分にリボンを描き加えたりすることができなかった。
愛犬に「ミルキー」とは名づけられず、道夫とつけた。
SMAP解散という衝撃のニュース。だが、多くの人は今年の初めに流れたニュースを思い出して、ある疑問を抱いているのではないだろうか?
SMAP解散を回避するため、木村拓哉がタイムリープを繰り返している――いくつもの動かしがたい証拠とともに提示された、木村拓哉が時空を超えているという説。木村は今も解散を止めるため、タイムリープを重ねているのではないか? SMAPは結局解散を避けられるのではないか?
結論から言おう。木村拓哉はもうタイムリープを行うわけにはいかない。我々の時空の物理法則は、彼が自在に時を駆け巡ることを許していない。彼の幾たびものタイムリープは、すでに我々の時空間に大きなゆがみをもたらしている。いくつもの並行宇宙が混じり合う事態が、すでに起きている。
そのことを指し示す記事を、いくつか適当にピックアップしてみた。
1.は、我々とは異なる世界線で書かれた記事であろう。数多のトラブルと問題が山積みだと噂されるみずほ銀行のシステム開発。それが予定通りに進んでいる――これが異次元でなくて何であろうか。
2.も同様。これは文字通り、鳥越氏が大健闘した世界の記事である。記事には得票順位が明示されていないが、もしかしたら鳥越氏が増田氏を制して次点に食い込んだ世界かもしれない。共産党がつねづね主張しているように、彼らの認知が歪んでいるのではない――彼らを取り巻く世界が歪んでいるのだ。
3.もかなり衝撃的な記事である。ここに紹介されている写真を見てほしい。被写体をとりまく空間が奇妙な歪曲を起こしていることがうかがえる。我々の宇宙そのものが危機に瀕しているのだ。
4.の記事が暗示する事態は深刻だ。我々のなじみ深いキャラクターが、若干異なるデザインと設定のものになっている。そんな異世界の住人が、この世界に迷い込んでいることを示している。
こうした事実を踏まえて、SMAP解散に関する木村拓哉のコメントをもう一度読み返してみよう。
「正直なところ本当に無念です」
……これは他のメンバーを責める言葉と解釈されて、木村が非難される一因となっているが、もちろんそのような心情によるものではない。幾たびもタイムリープを重ねながらSMAP解散を阻止できなかった、そして図らずもこの宇宙に危機をもたらしてしまった、自身の無力さを吐露しているのだ。
http://web.archive.org/web/20160808224033/http://www.tm2501.com/entry/Shin-gozira
記事を読んだ。風刺記事としての完成度が非常に高い。虚構新聞はこの記事を見習うべきである。
この記事は「エヴァだけ見て庵野を知ってるつもりになってるやつが、シンゴジラを見て庵野を初めて知ったやつに知ったかぶりを決めようとしたらこんな感じになる」というのを迫真のリアリティをもって描いている。
この記事に書いている内容の的外れぶりは本当に「ダメなオタクあるある」だ。ダメなオタクだったらこういうこと書きそうとういのが余すところなく書かれている。
よくぞここまで特徴をとらえて創作をしているなと感じさせる素晴らしい出来である。
ま る で 作 者 が 本 気 で そ う 思 っ て 書 い て い る ように見えるくらいだ。
この創作記事で話し手が庵野っぽいと言っている描写はだいたい庵野より前に元ネタがあるので、庵野の本質と関係ない。
庵野の本質がなにかなんか知らんが、特徴があるとしたら特撮好きってのがまず先にあって、あとはそれを演出するためにいろんなオマージュで彩られてるところだろうと。
だったら、庵野について多少なりとも興味あるなら、庵野のオマージュがどこから来てるのかを考えるはずである。
そういうところ理解したうえで庵野の本質とは、みたいなこと考えるならこちらも聞く耳持つ気になる。
ところが、この話者はその表面的な部分だけを見て、これが庵野の本質だってのを語る。
こ れ は 恥 ず か し い。
フォント芸はエヴァからだ、なんてことを本気で書いちゃう。さすがに恥ずかしすぎる。
会議シーンに触れるのに「日本の一番長い日」についての言及がないなんてことはありえないしほんと映画についてなんも知らんって白状してるようなもんだ。痛い痛い痛い。
実際多くの人が他の作品について触れる際に岡本喜八郎の作品に触れている。当たり前だよなぁ?
シンゴジラは私だって映画なんてろくに見てないけどわかるくらい「パロディ」に満ち溢れている。
それはエヴァとか庵野じゃなくて「日本映画」のパロディの集まりなのである。
だが、この虚構の話し手はそういうことを一切考えない。すべてエヴァから来てることにしてしまう。
エヴァしか知らないのに俺は庵野のことをよく知っていると勘違いしているため、「シンゴジラはエヴァの焼き直しである(キリッ)」などということを口にしてしまう。
アメリカはエヴァのネルフが元ネタだ(キリッ)……うわあああああああ(ゴロゴロゴロゴロ) やめろ、いっそ殺せ!
映画にはいろんなつながりがあり、そうした積み重ねで映画ができているなんてことは少し考えればわかることなのだが、この話者の脳内にはエヴァ以前には映画がなく、エヴァ以外には庵野作品がないかのようだ。
自分で見て知っていることがすべてであると考えるような頭の悪さがなければこういう思考にはならない。
話者が「すごい頭の悪いくせにオタクとして通ぶることで他人に褒めてもらうことくらいしか承認欲求を満たすことができないようなみじめな人間」であることを想像させる。
上でも書いたようにシンゴジラはいろんなもののパロディやオマージュに満ち溢れているわけだが、
この虚構の話者は、ただパロディやオマージュであるというだけで作品の評価を減点しているのである。
これは映画を楽しむ才能がない人間に典型的な「オリジナリティ幻想」というやつである。
こういうことを言い出す人間は、映画を楽しむことより、映画について詳しい自分というものを誇ることが第一目的なのだ。
だから、あのネタは前にも見た。すでに知っているから評価できない、などとのたまうのである。
こういう人間は、一緒に映画を見に行くと絶対に不快になるので、付き合ってくれる人がいなくなる。端的に言ってモテないであろう。
「通ぶりたいあまりに他人を不快にさせる上、その知識が雑魚すぎて役にも立たない、ただの迷惑なオタク」のイメージをこの上なく具体的に描いている。
ここまで人間として魅力なさそうな話者のイメージは想像でもなかなか作り出せない。
この記事を書いた人は実に「存在価値が全くないどころかマイナスのつまらないだけのオタク」というものをよく理解しているといえよう。
いやほんと、もし自分が大学生のころにこんなことを真顔で書いてたら、数年後に恥ずかしさで死にたくなるような記事だった。素晴らしい。
この記事によって、シン・ゴジラというのはこういう「つまらないオタク」でも一応見に行くほどのブームになっているのだなと初めて実感できた。
つまらないオタクがわざわざ見に行って文句をいう作品は名作であるというのは不変の法則であることを考えると、この記事は実はシン・ゴジラのステマではないだろうか。
俺がみんなに共感して欲しいと、気持ちを込めて書いたブコメには星が一つもつかないのに、
たいして興味がない記事に、何の気なしに書いたブコメに大量に星がついたりするのは
何でなんだぜ?
[追記]
前者:http://b.hatena.ne.jp/entry/news.yahoo.co.jp/feature/277
後者:http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/nakayamayujiro/20160804-00060527/
[追記2]
何だよ~。みんな優しいな(泣)
[追記3]
[追加4]
kyo_ju
問題の業者が動物愛護法に基づく登録取り消し処分を受けたということと、
動物愛護法の精神は何かということを考えていただきたいな、と思います。
行政処分を受けるような悪質業者は論外として、良心的に猫カフェを営業
していたとしても、経営に行きづまる事もあるわけで、そんな時に店にいた
面白い文章を書くコツは真面目な文体で、誇張せずに書く事です。文体では無く、内容・ギャグで勝負します。
寒い文章(詰まらない文章)を書くコツは、面白い文章の逆です。文体で無理矢理笑わせようとしたり、誇張する事です。
なので、面白い話を書きたいときは、政治系雑誌のライターか新聞記者にでもなったつもりで書くと良いでしょう。
例えば次のような状況を想像してください。
ニコニコ動画で、面白くも無い動画が「吹いたら負け」などというタイトルでアップロードされていたらどうでしょうか。
文章で書かれた、面白くも無いネタに「木亥火暴」(※)だの「wwwwww」だの「(爆笑)」などという具合で書かれていたらどうでしょうか。
これはギャグを言った人だけが一人で「私って面白いだろ」と得意になって笑っている、しかし周りは全く面白くも無いという状態です。つまり、滑っています。
ギャグの部分や著者のツッコミを派手なフォントで飾るのも同様です。また、普段使わない「うっひっひっひ」「余は満足じゃ」などの表現が書いてあったら、ふざけることで受けを狙っているのが読者にばれています。
可笑しいことを大真面目に言う(する)から面白いのです。例えば、コメディ映画の「変態仮面」が当てはまっていると思いました。馬鹿馬鹿しい設定を大真面目に演じており、非常に面白かったです。
ちなみにここは未確認ですが、チャップリンの喜劇や、落語などはこの考えで作られているそうです。面白いことを大真面目に演じる、面白い話を大真面目な表情で語る・・・これが一流と言われている人たちだそうです。
必ずこの法則が当てはまるのかというと、個人の好みにも左右されるでしょうが、知っておいて損は無いと思います。
注意:
・ここに書かれている考えはネット上の記事や市販の本を参考にしたものであり、私のオリジナルではありません。
・面白いネタとは何かについては、私は勉強していないのでここでは記述しません。
そのアカウントを捨てまた別IPでサブアカウントフル動員でブックマーク。
すべてのブクマの新しい方を見てもらえばわかるが、
http://b.hatena.ne.jp/entry/spotlight-media.jp/article/304114885455366584
法則がわかるだろうか?
全員がそうとは言い切れないが、このタイプはアカウントを捨てず継続的にバレないよう少数ブクマするタイプである。
次にこのエントリー
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=Ir8xLSoz8VI
6文字の人の名前+かぶらないように数字をどこかに入れる+あとで読むタグ
出現頻度が少ないが
http://b.hatena.ne.jp/entry/baito2ch.com/332
厄介なの2番のタイプで春過ぎからずっと運営は対処のしようがない状態が続いている。
私も報告はし運営もアカウント停止をしていたのだが、次から次へ湧いてきて私は諦めた。
そもそも2番のタイプは目立つ代わりにアカウントを維持する必要がない、そして対象をブーストできる。
ともあれわかることは個人で簡単に持ち上げれることだ。
気づいてから折れるまでアカウントをメモしながら運営にスパム報告してたが、
運営としても誤判定で事故になることは避けたいので停止にならないタイプはある。
1番目は一日のブックマークが少なく継続してるため基本停止にはならない
2番目は短期型かつタイミングも重複しやすいので停止にはなってるが意味が無い。
3番目はブックマーク数から捨て覚悟っぽいのだが、ブクマ時間ずらしと無関係タグ付けのおかげで停止にはなってない。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/07/19/000927
要約
はてこ「スパーン!話は聞いたぜ!それは違う!」
みんな「全部は聞いてないだろ」
はてなはもともと理系ユーザーが多くて、理系知識の前提ができている人が多かった。
今も理系専門家としてリアルで職をもった上で余技でブログを書いている人が多い。
ただ、今は特にリアル職業上必要でもないのだけれど、門前の小僧として、
まとまった時間が取れないのに「次はあれをおしえて」と、理系でもかまわずに、言って回る。
そして、「なんで!わからない!」と揚げ足(にもなっていないけれど)をとって騒ぎ出す感じ。
ここでいう「まとまった時間」とは、たとえば、前期講義90分×15単位=座学一単位。
はてこさんは、学ぶ姿勢を見せることでブロガーとして大成したいのかもしれないけれど、
民衆向けの本一冊でえられる知識なんて、授業の1回分かその半分くらいにしかならない。
残りの14回分の知識を同時にバリバリかみ砕ける状況なら当然にわかるだろう。
のこり14回にしっかり出席してくれれば残りもおのずから理解できる(学生もいる、
文系にとっては意味なしナンセンスにみえる定義とか、法則の部分を
500回くらい読んで深く理解しなければ。
専門家にとっては今更「1+1=2ってなるのはどうして?説明してよ私の感覚では3なのよ」と
きかれたようなもので、準備もないし、当惑とか迷惑の対象になる。
それは15冊分の本にわけて書いたから読んでね。高い?知識の対価はいつでも高いよ(義務教育の教科書以外)。
はてこさんの決まり文句は「仲良くしてね」なんだけど、仲良くもなにも、
これ以上からんでいっても基礎知識がないことによる溝が深まるばっかりに見えるけどね。
最終的にうやむやで放置されたブロガーとの対話、今までいくつありましたか。
はてこさんは一定の理解水準に達せず、言葉尻をとらえて「そういう意味ならばいいのよわかりましたさようなら」と勝手にご自分の中でけりをつけていらっしゃる。
理系じゃないほかの専門職ブログについても、同じことをやらかしていらっしゃるのをみかけた。
別にテリトリーを侵すなとはいわないのだけれど(いや言ったほうがいいな)、
ちょっととっつきやすいけれど実は小難しいことを砕いて書いているブロガーさんは
「うちだけはみつからないようにしよう、
見てもあなたには説明してもわからないなどといわずに3か月くらい知らないふりしよう、
そもそも「だれでも楽しめる面白い専門書」なんてうかつなことは絶対にいわないようにしよう」
と思うだけです。まあうちには絶対来ないんだけど。
(はてこさんからみて最初から文章や心が汚いっぽい人のブログにはあのひとは来ないw)
それにしても、覚せい剤で罠にはめられたという飛鳥とおんなじで、
あのくらいの世代の人は内輪話にでもなんにでも自分からつっかかっていくのね。
仲間はずれで寂しいならまず同じ土俵でゲームなり勉強なりをやればいいのにね。うそです、やらないで。
理系にもゲームにも一生来ないでいいし、あなたたちにはもとより別世界のことだし、
デジタルネイティブでない世代は本当にデジタル世界とかを気にしないでほしい。
そのままのあなたでいて。気にせずにね!
追記
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
このへんがわかりやすい。
文意が取れないほど細切れな引用って具体的にどことどことどこがそうでどうしてそれが問題でなぜそう言えるのか具体的にきちんと指摘すらできないゴミクズザコのくせに口を開くな。
見てわかる事って有るよね。どこまで説明するのかは、まぁ君の要望じゃなくて僕の基準で決める訳だけどさ。
普通の教育を受けた人間なら、君の引用は細切れにし過ぎていると言う指摘は、見ただけで納得できるレベルだよ。
先に指摘している通り、君は日本語が使えないレベルの、本国でもクズ扱いの出稼ぎ程度の能力しかないと自白しているようなものだよ。
重要な論点が理解できてないバカがいる。そこら辺の職場という指摘をしているのに派遣というだけで具体的な業種を挙げてない時点でそこら辺の職場という表記に対応しておらず反論にすらなってないことにすら気づけない生ゴミ。偏見にせよ事実にせよそれらの人たちが差別的な認識をする人間によって生きづらさを感じてしまうという重要な論点にはいっさい触れておらず自分が人生を楽しんでいるという意味不明な議論にすらならないキチガイ発言。差別的な認識をすることが生きづらさを感じる人を発生させている証拠になるので差別的な認識を表したことが自分のクビを締めているという指摘なのに渡り歩いて来たオレサマは楽しんでる!だからクビを締めていない!という相手の文意()どころか論点すら理解しないまま口を開くタイプのキチガイアスペゴミクズ生ごみであり無能だという事実を表している。
例えば、君みたいな知性が残念で日本語が不自由な怠け者は、マトモなレベルのサークルには一生入れないんだ。
人は群れで生きる生き物だから、自然と似たものが集まる。その法則に反して入ってきたとしても合わないから。
僕は派遣の事務所では全く合わず、今のインナーサークルはとても居心地が良い。
というか、派遣の事務所では「君、何でこんな所に居るの?」ってよく言われたよ。酒やパチンコの話してる横で本読んでたからね。
人は区別されるし、分相応に収まるように出来ている。
君の喋り方、文章能力、仕事、境遇など、よく考えてみなよ。居心地が良いならお似合いだし、そうでないなら自意識過剰か能力が有るかだよ。前者っぽいけどね。
これに至っては論外。相手の論に対応した意見を発する訓練を積んでいないネトウヨとばかり喧嘩してホルホルしてしまうレベルの知性の持ち主であり具体的な指摘をせず相手の論点を理解していない上記の証拠をさらに補強するものとなっている。
君の文章は読点や句読点が無いのは誰が見ても明らかだし、小学校の先生に提出しても赤点貰うレベルだって自覚無いの?
まぁ君の人生だから、好きにすればいいのだけど、共通の言語を喋ってある程度の学が無いと会話にならないね。
あと、ホルホルって何?スラング使われてもわからないよ。日本語で喋ろうね。
どの文脈から「負け犬の遠吠え」とか「落ちぶれた」って話になるのかな?
そもそも、最初に僕が投稿した記事の元は、自分が負け犬であり死にたいと言ってる増田だよ。
もし君が元増田なら君こそが負け犬で落ちぶれて死ぬしか無いどん詰まりのカスじゃないの?
本当に珍獣って居るのだねと、僕は今新鮮な気分だよ。
結局エロいことにしか利用されない理論だから少年少女むけに空想して自然ないいわけを構成できないやつだね
重みが増えるとか抵抗とかその物質が移動するっていうこと自体が時間の経過でしかはかれないわけで
全部止めると光も止まるので止まった時間は完全に真っ黒
それを適当にエロいことができる状態にまで緩和してるのがいまの空想 時間の停止
時間ってものがそもそもすべての単位の基礎となる基準で それは物質とかの定義じゃない領域だとすると
空間とかと同じものなのでそれを自体を包括的に外部から動かすって考えになるでしょう
停止した時間というものを認識できる位置からまるで箱庭をいじるように位置をかえたりする
その位置からみた時間はものすごく圧縮された時間かもしくは別次元での出来事
というところまではいま他のジャンルでもある空想からつなぎ合わせることができる時間停止だと思うよ
停止した別の流れの時間は他のストーリーとして書き起こす文体があるからわざわざSF理論を成立させる必要もないし
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。
ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ち
Reannon Muth
「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。
「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」
彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人の日本人女性に抱きつかれていた。
問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。
私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然なウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。
でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身が透明人間になっていることに気がついた。
スターバックスのかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。
「積極的にならないと。」と日本人女性の友達はアドバイスをくれた。「日本の男はシャイだから、あなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランのメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。
「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞で男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性が日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?
アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独な独身女性の書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。
深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシストか男嫌いの俗物女のように思われてしまうからだ。
国外居住者と日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性は西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性はジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デートの相手にするのは事実上不可能と思われていた。
Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性の国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンのどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。
アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧にメイクしてミニスカートをはいたアジア人の女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーはケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートのルールがあらゆる論理や進化の法則に反している。アジアでは、オタクは王様なのだ。
立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセス・ストーリーそのものだ。魔法の抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。
時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性が西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデートの相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ。
でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブのダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初のデートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性はグルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。
でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語をマスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかったからだ。でも生活を日本に移すことが、恋愛生活を故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。
外国人女性の恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。
とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブン・イレブンの寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートをはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分が火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。
元記事:No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish