はてなキーワード: 氷河期とは
誰も言わないからあえて言わせてもらうけどさ
ポスドクワープアの増田とか、彼女や彼氏がいないとか日本ではまともなIT企業がないとかいってるけど
こういう、一見能力は高そうだけど雇止めやロクに雇われなかったり会社で爪弾きになったってことは、ぶっちゃけその程度の人間ってことでしょ?
これって、逆に言えば研究者やITエンジニアや彼氏彼女持ちなんて、その程度で根性でなれるほど甘くはない、ということだし
そういう能力の足りなかった増田みたいな人間を排除することで、日本のITエンジニアや研究者の質や、優秀な遺伝子を保ててることになるんじゃないの?
つまりさ、現状の日本の社会や科学政策やIT政策、なーんも間違ってないじゃん、5Gにだって対応できてるし、いまだに組み込みやIoTは世界でも定評がある実力だし、医学系含めてノーベル賞取ってるエリートな学者がバンバン出てるわけじゃん
若者の恋愛離れだって、恋愛全盛期だったバブル期の頃ですら、男女は上位30パーセント間で付き合ってただけと統計で判明してて、それは今の値と全く変わってない、もっと言うと、江戸時代から変わってないんじゃないかって仮説さえでてるわけじゃん
ま、氷河期に限んないよね、これ
ようは能力の足りない出来損ないに救済措置を金かけて、それがなんか生産性あることにつながるの?って話
でも増田みたいなやつらは幸せだよな、自分の努力不足や自己責任を社会のせいだって言えるんだから
すげー羨ましいわ、マジで
俺のスペック
資格はなんも持ってない
年収850万
メガベンチャー自社サービス企業でAI系の分野でITエンジニアやってる(深くは守秘義務上話せないからこれくらいにとどめるけど)
俺みたいなスペックの人間でも、こんな超ホワイトな環境で好きなことできて、チヤホヤされて、金も稼げてるのはぶっちゃけ氷河期世代のエンジニアたちのお陰だと思う
何故なら、俺なんてほとんど上辺の業務レベルに落とし込めるくらいの知識しかないけど、それを積み重ねて研究して成果を地道に上げてたのってさ、ロスジェネ世代のエンジニアたちなんだよね、学術系でIT勉強してる増田にはピンとくるかもしれないけど。
今のAI系の基礎になってるディープラーニングの初期とさらに以前、エキスパートシステムや自然言語系の知見やノウハウを研究してたロスジェネエンジニアたちはどうなったのか、気になったのでわかる範囲で調べてみたらさ、彼らの残した論文やOSSを見る限り、俺よりおそらく10倍ははるかに理解が深くすごい奴らのはずなのに、年収は俺の三分の一、SES派遣で日銭を稼いで将来不安のワープア、一般派遣でブラック現場でいじめられながら、必死に教授の助手してる情報系のポスドク…etcとかなんだよね。
ひどい奴は、全盛期の野〇YRPで組み込み開発に投入されて、自殺したり精神障害を負って働けなくなったりした奴らもいるっつーね
方や、自慢じゃないが俺は彼らの研究していた技術のほんの1パーセントに満たない触りだけ覚えてりゃ、残業月0時間で年収850万、余った時間でナンパすりゃ、アニメとかよくわかんねーけど売り出してるみたいな?ドル声優なんかの彼氏になれちゃったりしてさ、最先端のエッジの効いた分野だから将来いくら落ちぶれて一般派遣レベルになったって、時給3000円割る方が難しいレベルってくらい将来も安定してる。
我ながらかわいそうだよな、不平等だよなーと思うと同時に怖さも同時に感じるんだよね
もし俺がロスジェネ世代で00年代にIT業界入りしてたらさ、俺多分3か月も持ってないと思うし、ワープア一直線だったと思うのよ
氷河期世代のエンジニアたちが、バタバタ死んでくれたおかげで、IT業界も随分とクリーンになってこうやって楽できるのには、マジで感謝しかない、ホント
だって俺だったらさ、よく聞く昔のIT業界の理不尽話聞いてたら、逃げるか即労基いくべ?それしないで脳梗塞や心臓発作おこるレベルまで労働に耐えたのって、ホント尊敬しますわ
人工知能系にスキルセットがあったとか勉強したのは、本当に偶然でテキトー、たまたまいた単位を簡単にくれる大学の教授が人工知能を研究してて、そこの研究室がヌルいことで有名だったからとかのレベルで、こんだけ稼げるくらい道を舗装してくれたわけなんだから。
逆にさ、この世代の氷河期エンジニアたちが、業界をクリーンにしようと活動してたら、俺は今ここまでの地位につけてないと思うのよ
だから氷河期世代のロスジェネエンジニアにはっきりと言いたい。
氷河期のこともなんとも思ってない
パンティーの冬(パンティーのふゆ、英: Panties winter)は、リチャード・パンティーや、カール・スキャンティーらにより提唱された現象で、超巨大パンティーを地球に被せる事により地球上に大規模環境変動が起き、人為的に氷河期が発生する、というもの。
この現象は、パンティーで地表を覆う事に伴う広範囲の日陰化により、日光が遮られた結果発生するとされる。
太陽光が超巨大パンティーによって大気透明度の低下で極端に遮断される事から、海洋植物プランクトンを含む植物が光合成を行えずに枯れ、それを食糧とする動物が飢えて死に、また気温も急激に下がる事が予想されるなど、人間が生存できない程の地球環境の悪化を招くとされているが、近年はこの仮説を真っ向から否定する論文も発表されており、パンティーの冬の存在自体に懐疑的な科学者も少なくない。
ちなみに、パンティーを強制的に被せられている事による催畸性の問題もあり、一度超巨大パンティーを地球が被れば、国家間の報復合戦から地域限定戦争によっても世界規模の被害が懸念され、超巨大パンティーの危険性を説明する上で、本項で述べる現象は度々引用される概念である。
私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。
実家は山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親は家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態、父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。
親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値の大学に進学させた後は地元の名家に見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。
中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳を食卓に放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供に人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉。後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。
高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験にはいい影響のはず、という割と軽い気持ち。父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。
大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強を理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学後最初のGW、駅前の中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応がなおざりだったのだろう。夜に一人でリビングでゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子はゴミ箱に突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子は祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。
バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはいい底辺高校卒フリーター(契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親に彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか。父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親にバラされて実家は大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学は卒業したけど、勝手に合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮の友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。
他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達と旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分の友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通の感覚なのかな。私は嫌だけど。
とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由で楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避。
大学は自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生で必死に単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。
そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドのファミリーセールのチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎに電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親に電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学の卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事な行事を台無しにしたことで落ち込んでいたらしいけども。
就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業の内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社に就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。
時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親の荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットのパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母の悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。
クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏はちゃんと大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったから相対的に評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。
出産。娘誕生。妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母は家事の達人、まさにプロの主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞をゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句に地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザが流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱だから直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親が泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。
それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。
私は遺伝性の病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたものを放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュやおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。
その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症のリスクは低く、そこまでのものは必要ない。主治医もウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているから携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのものは必要ないと副作用の説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。
翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢の限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。
それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通にメールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感と吐き気がこみ上げてきて、LINEもブロックした。もう解除するつもりはない。
一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。
母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母は積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。
まずは昼間にスマホをいじっていて子供の相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活が不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかったから。自分も引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかましい子供の相手をしていたところから気が抜けて、子供のアレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前を呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的なものを含むいじめの経験があるので…。
その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供の質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係の説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。
その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから、一方的にこちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。
私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口も漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。
そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情をほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。
正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。
レス職人、AA職人、フラッシュ職人さんたちがいなくなってYoutuberさんになったのかな。
面白くて博学でクリエイティブな人たちがみんなが掛け合いで面白いことして話題になって流行になって、みたいなのはなくなったよね。
アプリとかWEBサイトとかも超便利超すごいこんなの無料でほんとにいいの?みたいなのが減って
広告・広告・広告、そして広告、炎上してもPVがとれれば勝ち、コピペだまとめだ、個人情報集め、ねずみ講、ウイルスまがい、
情弱から1円ずつ集めて大金持ち、ガチャに課金で大儲け、みたいなつまらないもので埋め尽くされてしまったね。
インターネットの中心は今は中国らへんにあるのかな。日本の人たちはインターネットから離れて行ってるような感じがするよ。
GoogleやAmazonはもちろん道具として使うけど、それだけになってきた感じ。
あー、いるねーこういう人。
そうやって甘えた考えから抜け出せないからいつまでも鬱なんだよ、みたいな。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48547530U9A810C1MM8000/
このニュースを見たらなんだか急に記憶の扉が開いたので長文を書くことにした。
自分は就職氷河期が直撃した年齢だ。大学のとき、就職課のスタッフが全学生を講堂に集めて「お前らなんか取ってくれる会社があったらそれだけでありがたいと思え!」なんていう講習会を開くくらいに氷河期だった。
確かに自分の周りでは「いかに多くの会社に履歴書を書くか」とか「まぁ俺みたいなゴミクズ取ってくれる会社があるだけ御の字だわ」とかそんなやつが多かった。
自分が大学に入る少し前はリストラだなんだと言って会社はかなりえげつない作戦で人をやめさせて人件費を浮かせ、結果残った人たちが激務にならざるを得ないなんていう社会に移行していた。しまいには今流行ってるからとかそんな理由でリストラに踏み切る会社まであったような気がするが、このへんは現実とフィクションがごちゃまぜかもしれない。
そんな就職氷河期の凄まじさは、しまいには戦略的に留年するとか、大学院に進む人を増やした。なぜなら新卒カードがなくなったら何もかも終わるなんて言うことは当時の学生でもよくわかっていたからだ。いま卒業したら人生終わるなんていう凄まじい時代だ。
そんなわけで企業が学生に対してどこまでも強くなり、大した理由もないのに内定取り消しを会社がやるなんて言うことも結構やっていた気がする(違法だった気もするが平気でやっていた気がする)。
自分たちのちょっと前になるとバブル景気だ。この頃は会社が学生をごそっとハワイとかに連れて行ってアレヤコレヤと接待しまくった挙句にそのまま何もしないで採用していたらしい。バブル世代の社員から聞いたことがある。ハワイはないにしても飲み会に連れて行ったり旅行に連れて行ったりしていい気分にして採用の同意を取っていたそうだ。
本当かよって思うが実際にそうやって仕事を得たと言っていたのでそうなんだろう。
自分たちが何十枚も履歴書を書いて会社を選ぶ権利なんかないんだからとヒイヒイ言いながら会社を回ってどうにか面接にこぎつけて・・・とやっていたのにその目の前に座っている奴らはなんの苦労もなくハワイで採用されていたわけだ。
自分たちのちょっと後になるとむしろ学生が不足していて会社が一生懸命人を雇うようになっていた。彼らは戦略的に自分にあった会社を選んで着実にキャリアを積んでいる。
自分たちなんで「雇ってくれるだけでありがてえでございます!」なんていうメンタリティで仕事を探していた。目の前に座っている学生たちは「僕はやりたい仕事を入社したい会社でしますから」という体で話をしてくる。
なんで自分たちだけが必死に地面に頭をこすりつけて就職活動してきたのか、という疑問は今も拭えないし、なんで会社はそれでも新卒しか取らないのか、新卒で就職を逃したら人生詰むのか、という疑問はある。第二新卒なんていう言葉もできたが、それだって結局新卒以外いらんという会社のメッセージでしかない。
そんな氷河期世代の記憶はあるが、それでも楽しげにやっているやつはいた。だが、自分は幼少の頃から親に植え付けられたトラウマのせいで更に世界に対してネガティブな感情を抱いている。
トラウマというのが何かはわからない人がいるかもしれないが、両親による虐待を受け続けてしまい、感情や行動が歪み、社会で生きづらい人、という感じで考えればいいと思う。みんなそれぞれ生きづらさを抱えているという反応ができる人は幸せだ。そうじゃないんだ。ちなみにトラウマを持たないか軽い人からしたら「どのくらい凄まじいか」は認識できないと思うから余計に苦しい。
両親からやられたことは、かんたんに言うと徹底的に人格を攻撃される、何か意見を言っても徹底的に叩き潰される、親に騙される、親に対する安心感がまったくない、ということを100%の善意でやられる上にやり方がうまくて周りの大人には「いいご両親ね!」と言われてしまうことだ。
このトラウマのせいで自分が世界に持っているネガティブな感情は凄まじい。
褒められたら「なんで誰にでもできることをわざわざ褒めてるんだ?」
同僚に誘われたら「あー割り勘要員ほしいんだよね」
がまず頭をよぎる。ある程度の歳になれば「理屈で」この反応をねじ伏せることもできるようになったが、返事をする頃には完全に疲弊している。「おいxx」「はい、何でしょう」の会話をするために一体どれだけの葛藤や闘争があるかはなかなかわかってもらえない。
「自分から徹底的に絞りたいやつがまた一人増えた」という理解でまず人を見るし、自分がなにか言っても結局みんな潰しにかかるし、否定する、だけど親が言った「信じることが大事」というキーワードで信じてしまう。
あれだけ自分の人格を崩壊させた親の言った人を信じろという言葉をなんで後生大事に抱えてるんだ?と思うかもしれないが、トラウマ、両親によって徹底的に破壊された人格は矛盾を矛盾と感じない。
テストを受けて結果を見せる、普段60点だけど少し頑張って80点とっても取れなかった20点だけに注視して「勉強時間を毎日2時間増やしなさい」というが、テレビなんかで同じ境遇の子供を見ると「私だったら子供が取った80点を褒めてあげたい、勉強は何時間やったかじゃない」と平気で言う。
成績表を見せれば泣き叫び具合が悪くなって寝込んでしまう。自分はわけもわからず謝るしかない。誤ったら誤っただけ善意で滅多刺しにされる。あなたにはもっと頑張ってもらいたい、あなたはやればできるのに、なんで頑張ってくれないの、なんで私の気持ちわかってくれないの、何時間もだ。要は「自分の子供は100点しか取らない、成績表には5しかつかない」というわけのわからない前提で見ているから「100点を取れないことがムカつく、5以外の数字があることがムカつく」ということなんだろう。
でも勉強ができない子供をテレビなんかで見たら「子供の個性が大事、個性を伸ばすようにしないと」と平気で言う。
父親は完全にランダムで激怒する。もう何を言ったら怒鳴られるかわかったものではない。彼は平気で嘘をつく、論点をずらす、自分の記憶を改ざんする、そうして俺をとにかく黙らせて「ハイ論破wwwww」となる。当時の話だからまんま言わないが要はそういうことだ。それについて蒸し返すことはできない。もう徹底的に無視される。自分が言いたいことだけを無理やり相手に納得させる。そもそも「どう反応すればこいつを叩き潰せるか」でしか返事をしないから平気で矛盾したことを言う。30秒前に肯定したことを今否定するなんてことはザラだ。とにかく大事なのは俺を潰すことでしかない。下手に矛盾を指摘すれば更に激怒の時間が増えるだけだ。
一度火が付けば満員電車の中だろうが飲食店の中だろうが徹底的に怒鳴りつける。周囲の目線が痛い。やめてほしい、死にたい、消えたい、という気持ちだけで下を向くしかない。それとは対象的に恍惚とした父の顔、恐怖でしかない。
そうやって育った俺は結局「人を完全に疑ってかかるけど、言われたことを馬鹿正直に信じて実行して痛い目を見るやつ」になった。
どうしてこうなった?と思うかもしれない、だがそうなった。なんの一貫性もない人格。ただただ苦しみでしかない人生。世界で一番信じられないのは自分、世界一醜いのは自分、世界一ダメなやつは自分、自分の笑顔を写真で見ると鳥肌が立つ。なんでこんなに気持ち悪い生き物が写ってるんだ?周りはそんな自分をたまに褒めるが、パニックでしかない。「こんな誰がやってもできそうなことなのになんで褒めるんだ?意味がわからない。むしろやめてほしい、おだてて俺からまた何か絞る気か?むしろとっとと切り捨ててくれたほうが自分の感情と矛盾しないだけスッキリする」
ということを言っている方が安心できる自分がいる。そんな自分が氷河期世代の救済を政府が始めたときいたところで自分の中に構築された論理は「あーあいつらまた美味しい宝の山でも見つけたんだろうな」としか思えない。もし自分が生まれる前に行けるなら、徹底的に自分が生まれないようにしたい。