はてなキーワード: メンヘラとは
小児性愛=男性 、という図式ばかりフィーチャーされがちだが、実は小児性愛の問題は男性に限ったものではない。
むしろ、隠れた小児性愛の問題は「女性」の側にこそ潜んでいる。
男性が若いアイドルばかり追いかけまわしていると思っているようだが、実は女性もまた、若い男性アイドルを追いかけまわしている。
例を挙げると、ジャニーズJr、神木隆之介、羽生結弦・・・etc (実際にはキリがない、というのもこの世には「男児」の水着イメージDVDなるものもあるからだ。)
彼らがまだうぶな少年だったあの頃、あのあどけない笑顔を性欲丸出しでおっかけていたおばさん達の表情を自分を決して忘れない。自分の息子を見つめる母親のような顔で彼らを応援するが、常識的に考えて"赤の他人"であるはずの男児にあんなに大挙して群がるはずがない。あの頃の自分は詰めが甘かった。
なぜ将棋の藤井聡太に若き日の羽生結弦ほど女性ファンが集まらないのだろう。単に将棋に興味がないだけだと思っていたが、しかし奴らはフィギュアスケートのルールすらほとんど知らないのだ。(もちろんマナーも)
はなはだ疑問である。
彼女たちは自分の汚らわしい性欲に過ぎないものを、まるで母性であるかのように"正当化"するのだ。
そういえばこの間も、ある成人女性が小学生男子との淫行で逮捕された事件があったが、普通に考えてあれは立派な"虐待"だ。
アホなネット民たちは「うらやまけしからん」などと笑い話で済ませていたが、本来ものの分別のない小学生に性行為を強要した場合、精神医学的に考えてどんな傷害(トラウマ)を残すかわかったもんじゃない。
世の中には一定数の"ショタコン"女がいるわけだが、もし自分に小さい息子がいたとして、そんな奴らが大勢いる保育園に子供を預けるわけにはいかない。ここは安全な男性に預けたいところだが、どういうわけかどの保育園も潜在的ショタコン欲求を持つ女性の保育士ばかりが大勢を占め、未だ男性は排除される流れになっている。(われわれは一体どこに愛する息子を預けたらいいんだ!)
自分は昔、母親と風呂に入っていた時に、母親にペニスを触られたことがある。あの時の母親はただ笑っていたが、今考えると鳥肌が立つような不快な体験だった。あれ以来母親を憎悪するようになり、自分は母親を徹底して忌避するようになった。自分はその時のことを誰にも何も言わなかったが、言えば性的虐待の件数としてカウントされたのだろうか?また、同じような経験をした男性は、潜在的にどれほどいるのだろう。性的なものであれ、お受験教育的なものであれ、それは等しく"虐待"ではないのか。
(考えてみれば、母親と恋人関係のような息子がたびたびテレビで報道されるが、あれも考えてみれば母親の"支配下"におかれ、もはや抵抗する気力を失った(無気力な)憐れな息子に違いない)
現実と妄想のつかないのはむしろ女性の方で、彼女たちはむしろ現実の男児に加害をなす恐れがあるのではないか、という問題をここに提起しておく。
「成人男性→幼女」の構図ばかりを心配していたら、気が付いたら女がショタを苦しめていたではないか。
願わくば彼女たちが、主にショタドールなどの現実の人間ではない架空の"物体"や、または腐女子のような高度な妄想技術を磨いてその危険かつ屈折した性欲を日常的に解消してくれればいいのだが……。
(追記)
どうせ興味ないだろうけど自分の子供時代の話をもう少しだけするが、自分は母親のせいで異性との付き合い方が分からなくなったと言っても過言ではない。小学校4年生のとき、女子からバレンタインチョコをもらい、その日母親に隠していたが、いつの間にか鞄を漁ったのかすぐに食卓の上に置かれていた。
中学の卒業式の夜、学ランの第二ボタンがないことを上目遣いのいやらしい目で家の暗い廊下で問い詰められた。
高校生になっても通学の自転車を漕いでいると母親が車で自分を見つけ、「誰と話してたの?」と頓珍漢な詰問にあう。
学校で女子に話しかけられてもどうせ深い付き合いになれないし、女友達になるにしてもそんなものが成立するとも思えない。
しかしこの頃から自分の母親と、学校の女子というものが、同じ「女」であることを強く感じ始める。
同級生の女子もまた、男子という人間に対して同じ女同士の友達とは違う対応を明確にとり始めるわけだが、その下心のようなものがどうも見え透いて自分でもなぜか分からないが拒絶反応が起こり始めた。
どうにも自分の母親と、目の前で気さくに声をかけてくれる女子の猫なで声が頭の中で共鳴し、嫌な思い出を引き出すのだ。
これは一体誰の責任なのだろうか?俺の心の問題なのか?俺の心が女性の侵入を許せばただちに問題は解決して、今頃、子供を作り幸せにやっていたのだろうか?分からない。しかしそんなあっさり心の問題を解決してしまえるような奴が子供を幸せにできるとも思えない。俺の精神の成長を止めたのは誰だ?俺か?俺だけなのか?あいつ(母親)は関係ないのか?猫なで声で接してきた同級生の女子は関係ないのか?じゃあ人間が一人で成長できるなら他人なんか要らないな。相変わらず都会のワンルームアパートで孤独にこんな匿名記事で愚痴を吐き出すしかできない。
ミソジニーなんて言葉があるが、どうせモテない奴の僻みだろなどと世間ではいうが、女性嫌いになるのはいろんなパターンがある。自分の場合はそれだった。一般的なこととして当てはまらない、統計的にマイノリティだ、だからこれとこれは別の話だというのかもしれない。
じゃあフェミニズムって一体何のためにあるんだ?
フェミニズムとは一人一人が固有の体験において様々な問題について打ち明けることのできる思想だったんじゃないのか。
では俺の場合は何に当てはまるのだろうか。俺は男性だ。男性のためのフェミニズムってあるのか?少なくとも自分は知らない。少なくとも多くのフェミニストはそんなものは無いと言うだろう。
自分がもし、女に産まれてきたとしよう。そうすると多分、今度は自分の父親に性的虐待をされていたんじゃないかと思えてくる。多分99%そうだろう。パソコンの履歴に「ロリコン 動画」などと検索するような奴だ。おまけに頭もものすごく悪い。まったく自分は男に産まれてきてよかった。じゃなきゃ今頃、風呂場で体中をまさぐられていたことを、今でも時折思い出しては発狂していただろう。いや、しかしこれも仮定の話に過ぎない。というのもそれを想像している自分はあくまで男だからだ。あんな父親に性的虐待されてる自分なんてゾッとする。多分訴訟沙汰になっていたかもしれない。でもどうだろう、それでも女の子だった場合の自分は、それでも無理やりにでもその時自分は愛情を感じていたのだと心を誤魔化し続けていたのかもしれない。
もしそんな自分がいたとしたら、男がいうところの論理的思考なんてできないまま大人になり、ひょっとするとメンヘラになるか過激なフェミニスト気取るか高いところから飛び降りていたかもしれん。男にモテてもモテなくても多分まともな人間関係が保てなかっただろうな。(この場合父親によって男性嫌いになっていることになっているが、もちろん母親との母娘関係においてまた別の問題が生じ、異性関係に支障をきたしたことだろう。あの母親はそういうやつだ。みんなは俺の両親については何も知らないかもしれないが、俺は"よく知っている"。奴らはそういう人間だ。どうせ互いの見た目(ルッキズム)だけで何も考えず結婚したのだあの馬鹿どもは。)
しかし今現在男である自分にとっての問題は、結局未だ母親によって受けたトラウマが癒せず、女性というものを理解できず、成熟した精神というものの内在しない二次元のアニメキャラにしか興奮できないということだ。
特に幼女のような見た目のキャラか、どっかで献血のポスターになってそうなありえないくらい異常に発達した巨乳の童顔キャラかだ。自分もまた父親とまったく同じ種類の性的快楽を感じているのだろうが、それが自分に向けられた性欲ではなく、男同士で連れションしている感覚で、そこには男同士の明確な暗黙ルールに基づいているためにこいつは全く自分とは別の人間だと安心できるのだ。五感も精神もすべてが何一つこいつに同調しない。
自分がもし、古代ギリシャのスパルタのような男だけの社会で厳しく育てられていたらすべては解決したのだろうか。
昭和の価値観でマッチョでホモソーシャルな奴らと共につるみ、「女なんて適当にあしらって子供だけ産ませときゃいいんだよ」とアドバイスされ、それに付き従い悪く言えば適当だが、良く言えば寛容な心で 結婚→出産 までのコースをサクッと潜り抜け、子供も5人ぐらいサクッと産ませて国家安泰って感じでよかったのだろうか。しかし今は何もかもがセンシティブだ。(コロナでわかったことは、一人の人間の命が昔に比べて遥かに重すぎるということか。)
自分は現実の女に興味がない。本当に電車での痴漢冤罪が怖い。そんなに男が嫌いなら、男の前に姿を現さないでほしい。
願ったりだ。そんな人間も当然のようにいる。しかしそれでももし、男だとか女だとかレッテル貼らずに一人の人間として対等に向き合う覚悟があるのなら、話ぐらいは聞いてやる。そしてそういう奴の言うことは、大抵「もっともだ」と自分は頷くだろう。
全ての問題は、男も女も、異性にしろ同性にしろ互いをモノとしてしか見てないところに原因があるような気がしている。
つまり自分が様々な問題を混同しているように見えるのだろう。確かにそのことについて自分も常に考えている。
しかし被害者とはそういうものだ。論理性などない。自分の感情をまとめることなど自分一人で到底できない。
あらゆる問題を混同したまま巻き込み、感情だけで片付く問題ではもちろんないが、論理だけで片付くとも到底思えない。
また、論理と感情を上手く整理できる人間がいるとも思えない。すべての問題は置き去りにされたまま勝手に次のステージに進む。いつだって冷静なふりをしている人間は次のゲームに乗り遅れる。ここからが心臓でここからが肺だとか、冷静にメスを入れることのできる奴だけが偉ぶって問題を"上"から片付けようとするが、現役のスポーツ選手にとっての実感はどれも等しく見分けがつかないほど連動しているってことだ。皆様は自分こそが上手に魚や牛を捌けるとマウントを取り合っているようだが、今自分のポジションはそのまな板の上の魚や牛で、あなた達が捌こうとしているものは実は"人間"で、そしてそのまな板の上の"人間"は自分なのだ。あなた方は私の身体の中身を知っているようでいて知らない。もちろん私にもわからない。私にわかるものは私が知っているものすべてであり、それを経験しているのは私だけなのだから。当然私はカウンセリングにも行ったし、いろんな人の話も聞いた。しかし結局誰にも共感できない心の構造を持っているのだ。なぜなら「この私」の経験は「この私」だけのものであり、経験していないものとそもそも共感などできないのだから。
だからこそ私は二次元の女の子を性的に愛する。あるいは精神が未熟な「ショタ」や「ロリ」や「犬」や「猫」に同情するし、共感する。
なので自分が男だからという理由だけで「ショタ」の立場だけに立つなどと勝手なミスリーディングはしないでほしい。
「ロリ」の苦しみは「この私」の苦しみだし、「犬」「猫」の苦しみも「この私」の苦しみだ。
ぶっちゃけると、男だろうが女だろうが、ショタだろうがロリだろうが犬だろうが豚だろうが誰が何に性欲を感じるかなんてもはやどうでもいい。等しく等価だ。性欲はただの性欲であって基本的に汚らわしいものだ。
そして現実の生き物に迷惑かけたくないから、自分は二次元に逃げた。
そしていつか大量の幼女ドールと巨乳ドールを専用の部屋に集めて飾ってやる。
白人と黒人の問題にせよ、どこからが白でどこまでが黒か奴らに分かっているとも思えない。
各々が各々の定義を持ち出して、勝手に"冷静に"まとめようとするが、どうせまた数十年後に奴らは同じような原因でデモをするだろう。
そもそも論理性だとか合理性だとか、そんなものが現実にどこまで通用するか、またそのようなものの合意もあるようでいて実は無い。なぜならそんなものは感情的な動物と化してしまったものには理解できないからだ。
ちょっとした軽い気持ちでこの文章を書き始めた自分だったが、結構数稼げたんじゃないかと思う。
君たちはこの文章をちゃんと読んでいるのか?それとも部分的に自分が反応するところにだけ反応しているだけなんじゃないのか?しかし実際のところ、多分そういう読み方しかできないような構造が出来上がっているのだろうなとも思う。
どうやら君たちのいうところ、自分は何らかの「被害者」のようだ。なので言わせてもらうが、自分のような「被害者」は実はどこにでも潜んでおり、たまたま自分が上手く言葉で説明できたに過ぎない。目に見えない自分のことを、どこまで真実を言っているのかわからないかもしれない。しかし今回の黒人のデモにおいて思うのは、発端となった殺害された黒人も、案外"不注意"だったのかもしれん。というのも奴が問題を起こさなければ(例え正しかろうが間違っていようが)このような全米を巻き込んだことにはならず、平穏に暮らし、コロナに対する犠牲者の数をいたずらに増やさなくても済んだのかもしれない。
自分がもし黙って何も投稿せずにいたら、ひょっとすると「ショタ」の問題などそもそもどこにも存在していなかったのかもしれない。
「被害者」は1人もどこにも存在せず、「ロリ」だけが被害を受けていることになっていたかもしれない。などと考えるのはただの自惚れかもしれん。しかし実際会ったことのないやつらに同情されても、結局同情という言葉だけが一人歩きするだけで、自分の情動に何のリアクションも起こさないのだ。この記事はただの自分のメモ帳みたいなものだ。ひょっとすると、本当は何の虐待も受けていなかったのかもしれない。すべては俺の誇大妄想で、あの時の自分の母親は彼女なりに自分に尽くそうと不器用に振る舞っただけだったのかもしれない。戦争体験者の証言もそうだが、いつも当事者の体験が一体どんなものだったか分からない。お前は「被害を受けたのだ」とレッテル貼られても、それでどうしろというのだ。金は動くが心は何も変わらない。
しかし冒頭を読み返すと女を煽ってるような気がする。奴らにも辛い経験が当然あったわけで申し訳ないと思うが、しかしいずれにせよ人間はそれを「乗り越え」ねばならんのだ。(これでまとめた感を作ってみました)
このような追記に追記を重ね、よくわからんただの歪なだけの文章を取り出して、それこそお前の精神構造を表しており、お前という人間の真理(心理)の一側面を表しているだなどとなんと精神科医とかはほざきそうなもんだが、ここまで書いてみて、君たちを鏡のように使ってみても、全然自分という人間がわからない。自分の母親だけが、自分に影響を与えていて、それだけで自分を構成しているとも到底思えない。とはいえ自分は結構いろいろなことも経験してきたからだ。
https://anond.hatelabo.jp/20200607213322
自分は別に彼女たちのことが嫌いではないし、嫉妬しているわけでもない。むしろ彼女たちは根本的に頭が悪かったり、貧乏だったり、もしかすると見た目が悪かったりして不遇な人生を歩んできた人たちが多い。(確かにこれはほとんど憶測だが、自分の好きな女性Vはアイドル目指す以外に何の取り柄もなく、家庭環境もまともでなく、とてもまともに社会で生きていけるとは思えない人たちばかりだった。余興でやってる余裕のあるVならともかく、何の保証もない不安定な世界に飛び込んで毎夜のごとくメンヘラ発症してるのを想像するといたたまれなくなる)
俺が今でもよく視聴している人が、
メンヘラ発症っていうか、長時間配信中に解離かなんか起こったのか、かつて自分に向けられた暴言か、
自分がいつも気にしているだろうことを迫真性と切迫感が伴った雰囲気で叫んで、
それでもやれることをやるんだみたいに言ったことは強く印象に残っているな。
コロナで自粛していたここ数カ月、暇を見つけてはVtuber動画に熱中していた自分だったが、最近段々と我に返ったかのように熱が冷めてきた。しかしなぜだろうとその理由を考えてみた。
・まずチャンネルページの動画一覧にずらりとサムネが並んでいるのがなんかダサい。1本あたり一時間とか二時間とかの中身のないだらだらとした雑談とか下手くそなゲーム実況で埋め尽くされているため、Vtuberの活動って一体何なんだろうと思ってしまう。(おまけに同じ企業でも膨大な数の配信者がいるため、視聴者の時間の奪い合いをしているのだと考えると虚しくなる)
・「チャンネル登録者数〇〇万人達成!!」とかの文言をみると結局、空虚な数の競い合いなんだと思えてしまう。(おまけに毎度のこと誕生日パーティーのような催しが盛大になされる)
・配信開始前にOPがついてる必死さが萎える。(peercastやニコ生にOPついてるのを想像するとなんか笑ってしまう)
・日本のアニメ漫画文化を培ってきた人々の成果を、なんだかタダ乗りしているような気がする。(Vの人たちも普通の声優と変わらない気もするのだが、しかし声優は声優で技術を磨き一つの仕事に専念して偉大な作品を作り上げてきたはずだ)
・知らぬ間にライブでずいぶん盛り上がったようだが、しかしこれも考えてみれば他の歌手の曲を「歌ってみた」だけだった。
・コロナで世間が混乱しているさなか、棚から牡丹餅とばかりに集金活動に勤しむ。(ちゃんと寄付とかしてるのか?)
・他人の著作物は金儲けに利用するが、自分たちの3Dモデルを金儲けに使われるのは規約違反という徹底さ。
しかし結局やってる内容はテレビのバラエティ以下なんじゃないか?彼ら彼女らにとってゲーム自体に興味はなく、数字が稼げればそれでいいのだ。
最近あった権利問題にしろ、何もかもがグダグダで中途半端な印象でしかなくなってしまった。身内のごたごたがある種のコンテンツになっているが、そんなもの楽しんでも仕方がない。
これからの時代、クリエーター志望の若い子が金儲け主義に走って中身のないコンテンツを量産しまくるのだと考えると暗澹たる思いだ。そのうち大手広告代理店なんかが絡んでそれは加速していくのだろうか。
もちろんすべて個人の感想でしかない。ただ、この業界全体を俯瞰して思うことは、やってることの割には金が流れ過ぎなんじゃねぇの?とは思う。初期の頃はこれが次の時代を担う新しい文化なんだなぁと思っていたのだが、如何せん場末の地下アイドル崩れみたいな連中が何の目的も高度な技術もなく、巨大なプラットフォーマーら(Youtube、エンジニア、イラストレーターなど)数字至上主義の連中の食い物にされているような気がして、肝心の「物語」がうまれてこず、オタク人生を数十年続けてきた身としては、ますます日本のオタク文化もつまらなくなるのかなと思った今日この頃。
こいつらは数年後、何をもって「私たち、頑張ったよね?」と互いを激励し合えるのだろうか?後に残るであろうものは、膨大な時間を浪費しただけの空虚な動画の一覧ばかりだ。頑張ったと言えば頑張ったといえるであろうが、やっぱり無といえば無だよな・・・と思えるそんな危うい業界。
自分がコロナで鬱になってるだけかもしれないから、聞き流してもらって構わない。
自分もVTuberのそれぞれ個性的な声とイラストのマッチングのクオリティに当初は感動さえ覚えていたもので、これが新しい文化を作ればいいと思っていた。(彼ら彼女らは、なんというかうまく言葉にできないけど、現実の人間と、2次元のキャラクターというものの枠組みを拡張させる何かがあるような気がした。)
しかし結局自分に対するコメにもある通り、嫌儲的な思想にならざるを得ないし、そうなることが正義のような気がする。
彼女らは自分たちで実際にソシャゲやゲームの課金要素に金を突っ込みまくり、それがさも普通の事であるかのように演出してみせる。そうなると当然、彼女らにスパチャを投げるのが当然のことなのだと若い子らを間接的に洗脳する。(Vtuber本人たちにもその意図が見え透いている感じがする。)
現代の貧乏な日本社会では、本を買う金すらも惜しむはずなのに、あんなものに金を突っ込んで本当に大丈夫なのか?と考えざるを得ない。
確かに世の中にはソシャゲやらなんやら巧妙な商法がもはや当然のようにまかり通っているが、Vtuberもまた、形を変えたキャバクラやホストのようなものだときつく言及しておいたほうがいいのではないか。
あの高速で流れる赤スパ(1万円の寄付)のような、金の流れを見ていると、自分もこの流れに乗らなければならない!と熱狂してしまう人間が少なからずいることは当然のことではないのか。一時の感情に瞬間的に値段をつけさせるシステムが怖い、というのもある。
自分は別に彼女たちのことが嫌いではないし、嫉妬しているわけでもない。むしろ彼女たちは根本的に頭が悪かったり、貧乏だったり、もしかすると見た目が悪かったりして不遇な人生を歩んできた人たちが多い。(確かにこれはほとんど憶測だが、自分の好きな女性Vはアイドル目指す以外に何の取り柄もなく、家庭環境もまともでなく、とてもまともに社会で生きていけるとは思えない人たちばかりだった。余興でやってる余裕のあるVならともかく、何の保証もない不安定な世界に飛び込んで毎夜のごとくメンヘラ発症してるのを想像するといたたまれなくなる)
そんな人たちが頑張って毎日のように配信したりTwitterで宣伝する姿は胸打つものがあるのだが、これも結局バックの何も考えていない大人たちに踊らされている気がしている。(ある配信者は、得意だったテトリス配信が権利関係のごたごたでできなくなってしまった)。
彼女たちは政治について語ることはないし、語ることもできない。無駄に歳を重ねて新しい若い子がでてきて一瞬で捨てられて忘れられてしまうのかなと思ってしまう。そう考えると彼女たちに全力でコミットできない。
自分はVの世界というか、アニメ漫画業界、あるいは今はGAFAに乗っ取られた日本社会全体について危惧している気がする。金持ちがいくら散財しようが知ったことではないが、10年後、20年後に咲く花の種を今植え始めたのだと考えると、今のアニメ業界(なろう系のような)を見れば焦土と化しつつあるのは火を見るよりも明らかだ。
既存のyoutuberや自分の嫌儲思想とごっちゃにするなという意見はわかるが、全てはつながっているし、つながってしまった。
youtubeというプラットフォームのせいで、どのコンテンツにどれくらいの価値があるかということが、動画再生数やチャンネル登録者数で決められてしまうような気がしている。そんな世界からオリジナリティのあるものなど生まれてこないのだ。なぜ、しょうもないお笑い芸人やyoutuberたちと高尚なオタク文化が混同されなければならんのだ。
Vtuberだけが倫理観のあるプラットフォーマーが構築した独自のシステムに移行するというのなら、自分は喜んで金を出すだろう。これだけ無駄に長い謎長文を書いてるんだから、自分がどれだけVtuberを愛しているかわかるだろう。
何か根本的なものが間違っている、これでは10年後に何も咲くものないのではないか、ということがいいたいだけだ。
確かに自分にしか当てはまらない、1つの実感でしかないかもしれない。自分には向いていないものかもしれないし、知らないVもたくさんいたことだろう。しかしなぜ、このような戯言のくだらない記事がここまで伸びてしまったか、そのこと、その事実そのものについて考えてみてほしい。熱狂していたものに冷めてしまうことというのは、日本人の戦争に対する見方を取り出すまでもないが、勝手に信じて勝手に裏切られたような気持ちになるのは見当違いだろう。「興味ないなら黙っていればいいじゃん」というロジックの人間は、ならば自分のこの記事に対しても余計なことを言わず黙ってスルーしてればいいじゃん、と忠告しておく。
いや、皆様本当に申し訳ない。こんな記事にたくさんのマジレス頂いて本当に恐縮しております。
考えてみれば自分がこんな文章書こうと思ったのはつい数日前にnetflixで攻殻機動隊見てそのクオリティの高さを改めて思い知り、今のアニメ産業に言いがかり的に文句言いたかっただけのようだ。自分の精神的な未熟さを甘んじて受け止めると共に、確かに自分もVtuberのことを皆様ほどあまりよく知らないのです。この記事にしたってよく考えて書いたわけではないし、ふと日本のサブカルチャー的なものに不安を感じてしまい、気軽なつもりで書いてみたら予想外に伸びてしまいました。
しかし逆にどうしてこれだけの人がこの記事に反応しちゃったのか疑問でもあります。
むしろ皆さまの方にV業界に関して思うところがあるのではないでしょうか?どうでもいいならむしろスルーしているはずです。それがこの業界の"鉄則"だったはず。
業界に対して、何か思うところがあるのなら、今のうちにちゃんと議論しておいて小さな芽は潰しておいたほうがいいのでは?
次に何を書けばもっと伸びるか考えてる。こりゃ確かにハマるわ。こうやって数字稼ぎを頑張ってるんだね、今の人々は。コメント欄でも書かれていたが、何もかも "not for me"だよ。すべてブーメランなんじゃないか?
そもそも俺は何も考えて書いてないもの。何を書いたのかももう忘れてしまった。
実は俺には何の信念もないし、何もよくわかってないし、何も考えていない。
それでも今のあなた達のような人々の神経を逆なでするくらいは、どんなネタでもあっけなく簡単にできるということが今回分かった。
この流れに乗じて言うが、コロナの件でも思ったけど今の人たちは言葉数が少なすぎじゃないか?
そうやって気にいらない意見を全力で叩き潰そうとしてもがき苦しんでいる姿があなた達の"病理"だと思う。
行け!もうすぐで200だ!
200行ったら記念配信するからみんな赤スパ投げてねv(^^)
今のあなた方を煽って数字を稼ぐのも、喜ばせてスパチャ投げさせるのも、赤子の手をひねるように簡単かもしれない。
ただ反応してるだけで、何の信念もない。もちろんこの記事も中身がない。
いつの間にか200行った!見ろ、数字ってのはこうやって稼ぐんだよ。
ふとVtuber的なもののパロディをこの場で再現できるのではないかと思いつき、良質な中身のないコンテンツを皆様にお届けできるかと思ったのだが、さすがに疲れたのでここで降りる。あなた達の時間を奪うことは、私の時間を無駄にすることと即ち同じだった。
たった少数の人間にたくさんの人間の人生の時間と金を消費されてることについてもっと考えてほしい。特に最後までこの記事を読んでしまったような人達と、給付金を一瞬でVに散財してしまったフリーターの友人に対しては。
自分はゆたぼんがお前らのせいでダークサイドに落ちないように見守る仕事に専念する。
起きたらまだ伸びてたので最後に1つ、自分が本当に言いたいことだけ書いておく。
別に特定の企業がどうとか、権利関係がどうとか、V業界に関する不満をぶつけてるわけではない。
それは飽くまできっかけに過ぎない。
このコロナ禍で思ったことは、個々の人間がどう立ち回れば自分が最も有利なポジションにつけるか少なからず学んでしまったことにあるんじゃないか、ということだ。
自分はたまたま在宅勤務を命じられて家にいることができたけど、現実には外で仕事するしかできない人間がたくさんいるってことだ。そいつらの中にはウィルスに感染して自粛警察や近所の人間に心無い迫害を受けたり、あるいは破産して生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっている奴もいる。
ところがyoutuberはどうだ?むしろこの機に乗じて独り勝ちして、リアルが上手くいかずやけくそになってる引きこもりリスナーは金を吐き出しまくっている。
確かに嫌儲は不健全な思想だろう。けれどこれが、儲けるにせよ儲けないにせよ自己責任という形をとってほしくないのだ。
自粛して家にいた若い子供たちの中に、恐らくこう思ってる奴もたくさんいるかもしれない。
「なんだ、結局外に出て働いている奴がバカで、家にいて配信で人集めて金稼いだ奴が勝ちなんだ」と。
これは俺の思い込みかもしれない。しかしそうでもないかもしれない。少なくとも自分だったらそう思っていただろう。
嫌儲だ!嫌儲だ!とバカの一つ覚えみたいに過剰に反応してレッテル貼りしてみんなで安心感を得たい気持ちもわかるが、しかし君たちの現実は大丈夫なのか?本当に生活費は払えているのか?少なくとも良識ある大人なのだったら、もっと自分の人生に必要なものに金を使ったほうがいいし、そういう忠告をする人間の言うことを多少は心にとどめておくべきだし、他人にもそう諭してやるべきなんじゃないか?
何に金使うのも自己責任、他人をそそのかして金を使わせるのもそいつの自己責任、Vにならなかったのもそいつの自己責任、そんな危ない思想を若い子たちに広めないでほしい。
多少思うところがあるから君たちも反応しちゃったんだろう、でなきゃそもそもこんなどうでもいい記事は普通ここまで伸びない。
キャラの向こう側にいる等身大の彼女たちをちゃんと見極めて、プラットフォーマーたちの作ったシステム上で数字を稼がせ、それが彼女たちのアイデンティティの全てだと思わせ、そのためには何でもするという闇に引きずりこまないでほしい。
ネットでは男性ばかり「リードしなくちゃいけない」「奢らなくちゃいけない」とブー垂れているように見受けられるが、
女性もそうだ。「可愛らしくいなくちゃいけない」「男を立てなくちゃいけない」もちろん、これらの愚痴を吐いている女性もいるけれど、
男性よりも少ない気がする。
私はまさに、可愛らしくなくて男性を立てられない女だ。
これまで男性と付き合ってきても、相手が卑屈になったり、嫌な言葉をぶつけられることが多かった。
■「俺のことを馬鹿にしているんだろ!」
けして馬鹿にはしていない。私はテレビ以外にもニュースを見たり本を読んだりしていて、その話題を何気なく振っただけだ。
「馬鹿にしているんだろ!」と同じくらいの頻度で言われるのが「正論を言うな!」である。
その後に続く言葉として「言っていることが女らしくない」「可愛げがない」だ。
これに関しては男女関係ない気もするが、圧倒的に男性に言われてきたうえに何かと「女らしくない」とその後に続くため、
あと、オタクの男性相手だと、相手が好きなジャンルを私の方が詳しくなってしまい落ち込まれたこともある。
「俺の方が先に好きだったのに、趣味を取らないでよ」と言われても……。
■「俺が店を選ばないほうがいいよね…」
私は食べることが好きだ。
失敗したくないので、食べログやグーグルマップのコメント、インスタなどを見て店を決めているのだが、それすらできない男性が多いようで(まあ私が特殊なのだろう)
美味しい店に連れて行くとなぜか落ち込まれる。
はじめは喜んでくれるのだ。しかし、何度も連れまわすとしゅんとされる。付き合う前は「楽でいいよ~」とニコニコしていたのに、徐々に自信をなくしていくのだ。
もちろん、相手が食べたいものを一番尊重したいので、好みや店の雰囲気もリサーチしたうえで決めている。自分勝手にならないようには気をつけているのに。
いつの間にか、一緒に楽しんでいたつもりが「俺と付き合っていて楽しい? いつも決めてもらって…」と落ち込まれる。
落ち込まれるのは面倒だ。好きでやっているし、店を決めることは苦ではない。「そんなことないよ。一緒にいるだけで楽しいよ」と言っても信じてくれない。
男女逆だとこうはならないだろう。
■「君は俺がいなくても生きていけるよね」
これは時々言われる言葉だ。
私は1人で行動することが好きで、彼氏がいようがいまいがあちこち遊びに行く。さすがに恋人がいたら旅行は我慢するが、立ち飲み屋くらいには行く。
もちろん、大人げない飲み方は一人ではしない。彼氏の前では羽目を外すこともあるが、それくらいだ。
一人遊びは好きだが、週に一度はデートを心がけている。けして寂しがらせてはいないはずだ。それが
「誘ってほしかったな」としょんぼりされる。しょんぼりされるだけならいいのだが
中には「女が一人で立ち飲み屋なんてみっともない」「自分の彼女が一人で外食なんて恥ずかしい」と言われる。
昭和の価値観か?と驚いてしまうのだが、何人もの男性から言われているから普通の価値観なのだろう。
私が男性ならば、外食くらいでどうこう言われないよなあ、と悲しくなる。
■「君は誰とでも打ち解けられるよね…」
そんなことはない。いつも緊張しているし、人見知りだ。
これもかなりの男性に言われてきた。特にオタクっぽい男性から。
店員に話しかけられてへらへらと受けごたえをしているだけなのだが、それが彼らの劣等感をくすぐるらしい。
「君は俺と違って…」といつも言われる。
「私も緊張しているし、ある程度話せるように努力はしてきたんだよ」と伝えても「いや俺は君と違うから…」とうじうじされる。
「君は話が面白いから一緒にいて楽しい。それに比べて…」ともよく言われるのだが、好きな相手といるのだから楽しませるのは当然だと思う。
私はただ、面白い話をして笑ってくれるだけで十分なのだ。彼らには面白さを求めていない。そう伝えているのに、うじうじされる。
これが男女逆だとどうだろう。ただのメンヘラ女と揶揄されるのではないか(まあ、彼らもメンヘラ男性なのかもしれないが)。
男はもてなして当然という価値観が世間にはあるらしいので、店員とちょっと話したり、面白い話で笑わせた程度では、いちいち落ち込まないだろう。
以上、私の経験談だ。
こんな性質なため、リードされたい男性を選んでいるのだが、そういう男性に限って卑屈になる。非常に面倒くさい。
だからといって、リードしたい男性と付き合ったら女性らしさを求められて、私が耐えられないだろう。
自分は10年以上年に2・3回程度の頻度ではてぶをwatchしているものだが、10年前とここ数年とで随分と様変わりしたと思う。
昔は有村悠とかはしごたんとかが恥ずかしげもなく内面を開陳し、そこにid:xevraとかがメンヘラ叩きをして抗争が勃発、さらにそこに犬アイコンの村長を名乗る人物が現れるなど、どろどろとした人間模様が日々繰り広げられていたように記憶する。
そうしたやり取りはけして健全では無いのだが、ただ「はてな村」なる場所があり、そこにユーザーが帰属意識を持っていたからこそそのような人間的営みが生じたのではないだろうか。
だが、「はてな村」はいつしか無くなり、はてぶは単なるニュースサイトでしかなくなった。
もちろんネット全般で「自分語り」が流行らなくなったことも原因としてはあるだろうが、「メンヘラ叩き」のxevraが勝利したからこそはてな村は崩壊し、今の状況に至ったのではなかろうか?
ただし最近「はてなの風評がー」なる増田が書かれたが、ニュースサイトでしかない「はてな」にも依然帰属意識を持つユーザーが一定数いるらしい。そのことが多少不思議であり懐かしくもある
○ご飯
朝食:ソーセージエッグ定食。昼食:ラーメンを茹でたあと冷や水で閉めてトマトとハムと小松菜を載せてあましょっぱいスープをかけてマヨネーズとカラシを添えていただくめし。夕食:豚肉とトマトと小松菜と人参を煮て大根おろしとネギとポン酢をつけて食べるやつ。のダシで作った雑炊。間食:栗まんじゅう。おにぎり煎餅。飴。アイスクリーム。
(今日食い過ぎでは?)
○調子
シンドいときは食事! 朝は外食! 昼は野菜と麺! 夜は野菜! 肉! 米! 最後にアイスクリーム!
これだけ食えば流石にエネルギー回復したし、何よりとにかく腹の詰めたので野菜の残り物が少ないのがいい感じだ。(人参と大根はまだあるけど
けどまあ、5年ぐらい前の薬漬けのメンヘラ時代みたいになることを思えば、腹一杯食ってグッスリ寝る方が健全か。5年!? いやはや……
僕の大大大好きな悪タイプのポケモン、その中でも一番愛しているダーテングの進化前タネボーちゃんのイベントだったので、久々にプレイ。
いや先週ぐらいのキバニアイベントも遊んだので割と最近遊んでるか。
お香を焚きながら、Youtubeを見て黙々と捕獲し、色違いを8匹捕獲できた。
それと最高個体値は捕獲できなかったものの、捕獲できた中でいい感じの子を育成しておいた。CP制限のルールがイマイチわかってないのだけど、ついでにCP1500ギリギリのも育成しておいた。
対人戦を遊ぶつもりはあまりなく愛でたいだけなので、まあこれでよしとしよう。