はてなキーワード: こじつけとは
コロナ「みなし入院」の大半、保険金の対象外に…生保協会に金融庁が要請
https://news.yahoo.co.jp/articles/e66f948a8fe584a8dc3b2d010087e589047eab8d
金融庁は1日、新型コロナウイルス感染者に支払われる医療保険の入院給付金を巡り、支払い対象者の見直し検討を生命保険協会に要請した。生保各社は対象者を高齢者らに限定する方針で、支払い対象は約7割減る見通しだ。
要請は感染者の全数把握見直しを踏まえた。各社は今後、支払い対象を〈1〉65歳以上の高齢者〈2〉要入院〈3〉薬剤投与などが必要な患者〈4〉妊婦――のいずれかにあてはまる感染者に絞り込む方向で調整する。9月下旬頃から変更し、軽症者は対象外となる見込みだ。
以上引用
新型コロナウイルスの感染が拡大し始めたときには約款を拡大解釈してまで支払いをし、
それをアピールしてきたのに実際に「みなし入院」での支払金額が嵩んでくると
全数把握見直しを踏まえるという意味不明なこじつけで支払を取りやめるのはどう考えても非合理的。
全数把握見直しは保健所等の負荷を踏まえ、疫学統計的に全数を把握しなくても傾向は追えるという政府の判断だという理解。
第2類が第5類になったというタイミングならまだわかるが、単なる政府統計の方針の違いで
保険契約者が得られる便益がコロコロ変わるのはどう考えてもおかしい。
そもそも今回の新型コロナウイルス感染症に対する取り扱いは約款からは若干無理のある解釈をして諸々の支払をしてきたと聞いている。
約定されている支払要件が保険会社(もっといえば保険会社の偉い人達)の気分で変わるなんてありえない。本当に先進国か。
感染者数も支払額も少ない、絶対安全な時期には色々拡大解釈して支払って、
感染者数も支払額も多くなると物怖じして支払わなくなるのは、随分都合がいい。
不正受給が疑われるなら不正受給を洗い出して支払わなければいいだけ。ちゃんと仕事しろよ。
現場がどうやって医療保険を売ってきたか知っているのだろうか。
「新型コロナウイルス感染で、入院とまではいかなくてもしばらく自宅療養で働けなくなる。
実際医療保険契約者のボリュームゾーンは現役世代だし、その世代がもっとも保障を必要としていると思う。
それがなぜ「〈1〉65歳以上の高齢者〈2〉要入院〈3〉薬剤投与などが必要な患者〈4〉妊婦」になるんだ?
おかしいと思わないのか?
自宅療養で働けない非正規雇用の人たちはどうなる?個人事業主はどうなる?
陽性になって社会に出られないなら全数把握であろうがなんであろうが一緒だろう。
入院したいけどできない人は?好きで自宅にいるわけじゃない人もいるだろう。
普段支払能力をアピールしているのはなんのためだ?何を支払う能力なんだ?
ソルベンシーマージン比率は飾りか?
米津玄師のlemonが流行っていた時、ウチのカップリングこそがlemonの世界観が似合うカップルだ!とプレゼンするというtwitter上の企画があった。これがとても面白かった。
この歌詞のこの部分が、まさにウチのカップリングのこういうエピソードと合致しているわけでして〜とひたすら、プレゼンした文章を披露する。全部でっち上げだし、こじつけなのだが(米津はアンナチュラルというドラマのためにこの曲を書いたので、それ以外はでっち上げであり、こじつけなのである。プレゼンの中には、この事実からアンナチュラルのキャラクターのカップリングこそが相応しいと主張するものもあった)その強引さに有り余るパワーと偏愛を感じるとても良い企画だった。
正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。
万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。
たまごっちと万歩計とピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html
いまは東京のビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年は幼稚園に通っていた。たしか年中だった。
おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。
それまではミッキー、くまのプーさん、ハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。
当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシ・カスミ・タケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。
ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。
残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。
ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。
当時大流行していたたまごっちのスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。
価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。
流行らないはずがない。
スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。
「えーいいな。ずるい」
あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。
ーーーー私はまだ買ってもらえない。
ポケットピカチュウをスイミングスクールのバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。
ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html
ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。
スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。
私は母に相談した。
「ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」
「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)
「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」
想定通り蹴られた。
「サンタさんに頼んだらもらえるかもね」
手紙を書くために、一生懸命ひらがなとカタカナを書く練習をした。
クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。
「サンタさんにポケットピカチュウたのんだから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」
「たのしみだね」
「うん」
朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。
これで、やっとみんなと遊べる。
ポケットピカチュウが発売されたのが1998年の3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年の11月だからざっくり1年半は待っている。
5年ちょっとの人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。
はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。
出てきたのはーーーーーー
ピンクだった。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html
でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。
「ピカチュウ」といかいう、一過性のキャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか。
キャラクター同士が戦闘をするようなアニメ・ゲームは教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。
私は2000年に小学生になったので、幼稚園のメンバーとスイミングスクールにバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。
みんながポケットピカチュウで通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティでキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウとポケットハローキティでは通信はできない。
親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。
私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。
現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。
いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。
もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。
ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児期から私のダメなところだったのだろうか。
このお盆に実家を整理していたとき、たまたまポケットハローキティが出てきた。
親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事に遊んだおもちゃだと思って大切にしている。
ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
*****
追記:
1人目は、間違いなく今の私だ。
20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。
2人目は、当時の親(サンタさん)だ。
私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティの存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。
公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。
あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。
そういえば、我が家はポケモンのアニメはポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。
アニメもダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。
3人目は、当時の私だ。
包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。
親は自分の判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウがハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。
私は自分の気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。
これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
屋久島・知床・白神山地あたりは森系で被ってるので、特徴を拾い上げて誇張したほうがよさそう
屋久島はなんつっても屋久杉、あと雨量が多いって話だから、その辺を組み合わせて、ムチャクチャデカい木がバンバン生えていて、ずっと雨が降っている山 みたいな感じが基本になりそう
知床は北海道、北海道といえば寒い ということで、氷雪系ダンジョンの雰囲気を入れつつ、海と山が合わさった特異な環境って話でもあるので、水場も増やすといい感じかも
そうなると白神山地はもう、ガッツリ、純粋に日本的な山、森 っていう感じでいけるかもしれない
京都と日光と奈良なんかも被ってんだよな いや実際詳しい人から見たら被ってねえよ殺すぞって感じなんだろうけど、素人目には区別がつかねー
とりあえず京都は有名どころの五重塔とか金閣寺とか清水とか千本鳥居とかをモチーフにしていけばなんとかなる つうか、日本モチーフのダンジョンって大体京都モチーフみたいなとこあるしな……
ダンジョンっていうか、もう大仏一本で行くのが逆にいいのかもしれねえ 雑魚敵はモチロン鹿ですよね
日光なんかもうお手上げだ あれ比較的山奥にあるイメージなので、山と社寺のイメージの融合ってところで独自性を出していけばいいのか? でもそういえば3猿っていう強いキャラがおったな まあボスポジションはそこだよなあ
原爆ドームって独自性すげえし、だいぶいい感じのダンジョンモチーフ感あるんだけど、ただ、まあ、怒られるよなあ…… 戦場跡とかと違って、あそこで死んでんのって全員(短期的には)被害者って感じだもんな 亡霊扱いしたらムチャクチャ怒られることは間違いない
逆に、一切敵が出てこない、寂しい雰囲気だけがある、異様なダンジョンとして出すのがいいのかもしれない
・富士山
・琉球王国のやつ
この辺はかなりオイシイ感じがあるな
富士山は山登りダンジョンにできて、金剛杖とか富嶽三十六景とかいろいろモチーフも多い 旧火山っていうのもなかなか良い
明治時代系は毛色を変えられていい感じだけど、攘夷要素なんかをこじつけるのが意外と難しそうだな
琉球王国はサイコーって感じだ 沖縄の気候って異国みたい、というか実際異国だったわけだし、毛色はもう変わりまくりや シーサーもおるし
隠れキリシタンもいい ちょっとおどろおどろしい雰囲気を出しつつ、キリスト教つながりでやりたい放題やれそう 関係者もう死んでるからある程度冒涜的でも許されそうだしな 偏執狂的な、しかしひたむきな信仰……みたいな感じで、いい感じに宗教モチーフのボスが出せそう
ダンジョンっすよねえ……
タイトルの通りなんだけど最近事あるごとに言葉がキツイいと言われてへこんでいる。
自分からしたら大した事を言ってないのに大袈裟に捉えられて何を言っても空回ってる気がして人間関係が嫌になってきた。
昨日なんか友達と2人で行った居酒屋チェーンで店員さんが3枚お皿を出してきた事に「え!?なんで!怖い!」とホラーにこじつけたつっこみをしたつもりだったのに若い大人しそうな店員さんには何度も謝られるし友人には「クレーマーみたいな言い方」と言われた
怖いって言っただけでどういう事?と聞くと普通言わないだろみたいな反応。
その子に限った事ではなく他の友人からも言い方がキツイよと言われて辟易してる。昔からはっきり物事を言うタイプだったが言い方がキツイなんて言われていなかったし30代間近になって年重ねた分遠慮しなくなってより配慮出来なくなってるんだろうかと考える。
まさに社会人なりたての頃に嫌いだった所謂お局みたいな職場の先輩みたいになってる
夜中の独り言のつもりが思ったより急に伸びててびっくりした。最初に、なぜか一年前の 自分がお局になりそうで怖い この増田と同一人物って思ってる人いるけど全くの別人です。お局になりそうって共通点はあるけど自分は余計なこと言ってイライラさせる方のお局だと思う。
ASDとか年齢のせいにするなとか年齢と共に弁えろとか色々貰った。
例について言えば、嫌味っぽいってブコメを沢山貰ったけど本気で店員さんのミスを責めたつもりなく、皿が3枚出てきた事に対して"なんで?"とまず思って、次によくあるホラー展開(飲食店の店員さんにだけ見える3人目みたいな)だと思ったから"こわっ!"て脳直で言っただけで無遠慮だっただけ。
正直今でも自分の図々しい基準で考えてるからか、相手の反応が大袈裟だと思ったり、相手に同じこと言われても自分は平気みたいな態度取りたくなるけど一人じゃなく二人三人に言われてるのを真摯に受け止めます。
表現の自由戦士の人たち側が建前上はエロの自由以外も守るんだって言うことがそもそもよくわからん。
いや、表現の自由戦士を叩く側がエロしか守ってないと叩くのは当然なんだけど、
なぜ表現の自由戦士側も「エロ以外も守るべき」っていう考え方にのっかったようなことを言ってしまうの?
全国比例の組織候補枠として山田太郎と赤松健の両議院を送り込んでるって話じゃなかったん?
特定の支持母体のある議員が支持母体の求めるイシューを中心に活動するのはむしろ自然な話じゃん。
例えば郵便局長会の人が郵便局に限らず運輸業界一般のために働く義務があるとはあまり言われないわけじゃん。
オタクを「圧力団体」にして議会に送り込むのだ!って言うのならばそのオタクのための働きを期待するのが普通なのであって。
表現の自由というでかすぎるテーマ全体をその1人だけで完璧に行えること前提で投票するってのはなんか理解がたりてないのではって気がする。
N国がNHK問題しかやりません!と宣言して一応支持者の多くには受け入れられて、
逆に他の問題に手を出そうとすると叩かれてるような状態なわけで、同じような路線であるべきだと思うんだよ本来は。
それを例えばN国アンチが民放の問題も議論しろと言ってきたのでこじつけで民放にも対応してることにしてしまおう!とはあの人たちはしてないわけじゃん。
テレビというある程度の狭い話でもそうなのに、憲法上の自由権1つを総合的に扱うってのがどれだけのことか。
「表現の自由戦士」のくせに表現の自由っていうのがどれぐらい大きなテーマなのかわかってなさそうな言動が多々見られるのはちょっとなんかよくわからん。
火は水に弱く、木(風)に強い
→わかる、木ならわかるが風vs火?
水は木(風)に弱く、火に強い
→水vs木も水vs風もよくわからない。木を成長させてしまう? 風で飛ばされる? なら火も風に弱そうだけど
木(風)略
→木も風も直感的には火と水とうまいこと竦める魔法的元素ではない
他だと雷(水には強そう、火とはジャッジ不可能)とか、地(水にも火にも弱そう)とか金属とかうまいこと行かない
闇やら毒やら光やら聖やらは別カテゴリに入りがちだし混ぜると混とんとする
→まあわかる
火>金 金属を溶かすらしい。あと燃え尽きると灰になって土を強化
ただ、火と木が喧嘩しないのはこじつけに思える。金属よりも木のほうが簡単に燃える
土>水 土は水を汚すから説と土嚢で水を食い止める説があった。で、土から金属が生まれる
→まあわからないでもない
金>木 金属の斧とかで木を切り倒せる。金が水を強化するのがいまいち伝わらない。水滴だとか水増しできるだとか
→なんか無理やり。やはり火で木を燃やさないところがひっかかってくる
水>火 水で火を消すだけちゃんとしてる。水の力で木を育てるのもまあわかる。
水と火以外はガバガバ。3竦み候補として一番納得いくのは木か、やっぱり。
水>火>木>水
「木>水」のところがやはり弱い気がするが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/anatatachi_ohno/status/1544470962011115521
ようするに「Twitterもバイナリで表された文字を入力してるんだから同じだろ」「文句を言うなら(コンピュータを or Twitterを)使うな」ということを言ってる人間がいるんだけどさ
いや、それは性質が違うものを強引にこじつけてるよね、君も同じだよねと
Twitterなどはあくまで文字で入力し、文字で表示されている。コンピュータの中で勝手に数値の羅列に変換されることは、透過的で大抵の利用者の意識の中にはない