はてなキーワード: 諌めるとは
先に書いたように、「表現を排除しよう」という言説について諌める者がほぼない時点で「総体としての傾向」はつかむことができる。
えーと、いやオタクの人たちが諌めてるんじゃないの?何を言ってんだコイツ。おまえの総体としての傾向センサーはガバガバだな。
作者は後輩女子に「彼氏いるの?」などと絡みに行く同僚に「あの絡みかたはやめたほうがいい」と注意したところ、「お前狙ってんの?じゃあお前にやるよ(笑)」と返された、と言う漫画。(うろ覚えなのですが確かこんな感じ)
例えば同性愛者同士で「可愛いね〜!パートナーいるの?」などと言う失礼な発言をしたとして、誰かがそれを諌める。
そしてそれを「狙っているんだ?じゃああげるよ(笑)」と返されたとしたら、これは女性蔑視とかではなく本人の人格がヤバいと言うことになるだろう。
完全に組み敷かれる側に対して、消費の対象としてしか見ていないと感じる。
自分は異性愛者であるので、同性愛者同士でこのような場面があるかどうかは分からないが普通にあるのではないか?と考える。
と言うことは、女性ガー!男性ガー!と言うよりはコイツは人間としてオカシイ。と言う結論に至る。
ツイッターをしてると良く女性蔑視!や男性への重圧!やら見かけるんだけど、本当に性別に対して理不尽と感じるもの(例えば某医学部問題とか)もあれば、いやいやそれ人格がおかしいだけじゃない?と感じるものも多い。
匿名のネット上から、関係のない第三者が話題に乗っかって、他人を貶める行為って止める方法がないんですよね。
在日差別のやつはこないだ裁かれてましたけど。ああいう極端なのが長い時間かけてやっと止められるとか、地獄じゃない?
事実なら他人を貶してもいいという事態が進行している。嘘をつかずに嘘をつくのもスパイスって感じで。
そこに人としての配慮はない、仮にそれを諌める者がいたとしても、無視されればそこで終わり。
他人のプライドを傷つけるのが楽しい、のたまう姿を見て楽しむ。
らしい。
ちょっと知らない人だけど有名人が”いじって”いる相手なら、一緒に笑ってやろう。
でもそれ、テレビの中のお笑い芸人ならいいさ。それを現実で真似したらダメだろうって思いますけどね。
差別対象を見つけて晒して笑う、自分の心が対象を笑って弄ってるということに無自覚なまま、
っていうか、他者を公に貶して笑い者にして遊ぶことを肯定している人がいる。
私が思う所では、いじりを肯定している人がいるのが信じられなかった。だから異様な光景に見えた。
あいつら何でそういう人間的に下劣なことをするんだろう、それも片一方では立派そうなご高説を吐いておきながら。
まぁそういう分かり合えない面もあるって事なんすが、晒されるのは晒される人はストレスになってるんだから、特に必要な理由がないならやめておけよって。
せめてネットではやめておけよって思うんだけどね。
でも止められていない。
止めた方がいいと思うんだけどね、フィクションで楽しめっていうか。
そういう人間の思考が止められないとするなら、そのためにフィクションを利用するしかないと思うんだが。
フィクションなら誰も傷つかない、フィクションてこれうまい仕組みだな、、、。
で、相変わらず匿名だから無敵状態で言いたい放題、貶し放題になるわけだが、そいつらは止められるのか、
誰かをボケ役に仕立て上げていじり倒す
そういうのがいじめだと思ってない人が大半で、レイプは犯罪じゃないよっていうそんな感じだよね。ボケのうまい女が悪いみたいなこと言ってる。
無敵のマウンティングをしながら、頭ひとつ抜けた評価を得られれば、
いとも簡単に拡散する事ができて、その情報を受け取った人々が挙って笑い者にしてしまう。
そういう人々はそこで笑われている個人を思うことはない。
そういう風に他人を貶す事ができるのもまた無敵の人だからなのではないか。
日常職場で学校で、何も関係ない理由もない、その人や周りの趣向によって弄って貶してっていう状況が発生してしまう。
現実でさえエグいのに、ネット上で匿名でやられた時のエグさと攻撃力と言ったらもう目も当てられないレベルだわ。
Hagexさんの件で、「殺人は許せないのは前提においた上で、彼やその取り巻きが日頃やっていた行為は『いじめ』であり、正当化されない」という意見と、『いや、叩くべき相手を叩いていたのであって、正当な批判だ。」という意見で割れています。
実際どうだったのでしょうか?
ほとんどのHagexさんのエントリは、うかつな差別意識をのぞかせた企業を叩いたりと、「正当な批判」と言えるものである一方で、よくよくエントリを見ると、その中には「イジメ」と言われても仕方のない面がありました。
印象論であると割れるので、Hagexさんがやっていたように引用ベースで『ウォッチ』していきます。
魔太郎界のサンドバッグ王子ことイケダハヤトさんがとりあげて、局地的に盛り上がっております。(出展)
魔太郎のような外観ですが、凄腕AV監督(はめ撮り系)のような声をしていました。(出展)
ちなみにネット界の風雲児!カリス魔太郎系プロフェッショナルブロガーで有名なイケダハヤトさんがよく「The Startup」の中の人について褒めているので、その点からも大変興味深い。(出展)
Hagexさんの過去のエントリを見ると、イケダハヤトさんを何度も「魔太郎」と呼んでいました。これは彼の容姿をさした「あだ名」です。
『魔太郎』にたとえて、人の容姿を公衆の前であざけるのは、控えめにいっても、ルッキズムであり「いじめ」としか形容できない侮辱行為です。加えていうなら、彼の言動を批判する際に「魔太郎界のサンドバッグ王子」のように過度に侮蔑的な表現を使う必要ってあるんでしょうか?
しかも、上記の記事は、イケダハヤトさんについて「Adsenseでマネタイズ出来ないのはプロブロガーとはいえない!」とか、「イケダハヤトがThe Startupを擁護している!」と言及している文脈なので、「悪いことをした奴を叩く際に、ふと出てしまった暴言」ですらありません。
Hagexさんは生前ネットウォッチについて、こんなポリシーを述べていました。
さて、不肖Hagexが、ネットでの論争・喧嘩・炎上時に「一番気をつけること」をお伝えします。それは、「本人の努力ではどうにもならない部分を攻撃・揶揄・嘲笑・理由にしない」ことです。もっと簡潔に言うなら「差別要素を入れるな」なんですが、「差別」と言われても具体的ではないので、イメージしにくいですね(出展)
Hagexさんらしい素晴らしいポリシーですね。どうやら、イケダハヤトさんにはどうやら適用されなかったようですが。
容姿を揶揄するのはルッキズムであり、直球ど真ん中の「差別」だと思うのですが、Hagexさんの中での「差別」の定義は違ったのかもしれませんね。
少なくとも「魔太郎」とよぶのは「正当な批判」とは程遠い侮辱であり、生まれつきの容姿を揶揄したものであり、「イジメ」では?と考えます。
イケダハヤトさんはサラリーマンを馬鹿にしていたり褒められた人ではないかもしれませんが、だからといって「魔太郎」とあだ名をつけて「いじる」のは正当化されないと思います。
・田端信太郎さんが梅木雄平さんの出会い系プロフを晒して大げんか
梅木さんのPairsプロフィール(非公開)がZOZO田端さんに晒された件について、晒されたプロフィールと一緒に再度まとめています。梅木さんはこのプロフィールを晒された事について、強く抗議をしていました。しかし、Hagexさんの記事で更に再拡散される形になりました。
この件に関しては、梅木さんはただ真面目に婚活をしていただけです。Pairsのプロフィールは極めてプライベートな事案のはず。Hagexさんの記事を見ればわかりますが、梅木さん本人も「これはイジメだ。嫌だ。本当にやめてほしい」と嫌がり、強く抗議していました。
梅木さんが本当に嫌がっているのに、ブログで改めて晒し上げる『正当な事由』というのは、いったいどこにあったのでしょうか?そもそも、これってどんな部分が「正当な批判」なんですかね?
この記事は、本人が嫌がっているPairsのプロフィールを「こんな痛いプロフィール書いてるぜ、こいつ。しかも、いじったらマジギレしてやんのwww」と晒し上げる『イジメ』以外の何者でもないと思います。
・大晦日の梅木祭り 出会い系アプリで梅木雄平さんがパパ活を行なっていた?
この記事では、梅木さんの写真をつかったユーザーがパパ活サイトで相手を値切ろうとしていたのでは?という趣旨を述べています。
「パパ活をしていた」というのは、本人の社会的信用を著しく毀損するものであり、本人との確定がとれていない以上とりあげるべきものではないですよね。梅木さんのように毀誉褒貶のある人なら、『騙り』の可能性もありますから。
誰かの社会的評判を下げるような未確定情報を流す人を諌めるのがHagexさんだったと思いますが、梅木さんは適用除外だったのでしょう。
この記事には「こいつパパ活してるぜー」以外の何の示唆もなく、梅木さんの評価をさげる目的の記事であり、「正当な批判」とは程遠いものだと思います。
ただ、梅木さんの記事については、当時から批判的なはてなユーザーもいたので、それははてなの良いところだと思います。
つらつら書いていくと、「加害者を正当化」「殺される理由にはならない」と論点をズラす人が出そうなので、改めて「正当な批判orいじめ」問題に論点を絞りますね。
これって「正当な批判」なんでしょうかね。私には「いじめ」「ネットリンチ」としか思えないのですが。
『どんなことをしていたにせよ、殺される理由にはなりえないし、殺害は正当化されない』という前提と、「Hagexさんのネットウォッチ作法の一部に問題はあった」と議論するのは両立します。
増田で故人の粗をまとめるのは良くない行為でしょうね。だけど、悪かった部分を指摘する意見すらも、声の大きい人達によって論点をすりかえられ、「彼の批判は正当なものだった」とされるのは違和感があります。
梅木さんも、イケダハヤトさんも、サラリーマンを馬鹿にしていたり褒められた人達ではないとは思いますが、だからといってイケダハヤトさんの容姿を「魔太郎」とからかうことは「正当な批判」なのでしょうか?
真面目に婚活しているだけの梅木さんのPairsプロフィールを晒し上げることに、いったい何の社会的意義があるのでしょうか?
ネトウヨと呼ばれる層は基本的に他の政党を頭から否定しているせいで、自分の嫌な情報を一切見ようとしない。パヨクと呼ばれる層も似たり寄ったり。
仮に彼らに「一つでも対抗勢力で素晴らしいと思った政策を挙げてみて」って聞いても、「野党(与党)が出す政策は全部最悪、論ずるまでもない」とか恥ずかしいことを大真面目に答えてくるので、こんな奴らにも選挙権が与えられているのは恐ろしい話だなと思う。
というわけで、今回はネトウヨ向けに、ネトウヨから見ても各種政党の評価出来るところを一つだけでも挙げていこうと思う。
共産党は罪作りな党だ。優秀な若い子たちの視野が狭いのを利用して政治活動に誘い込み、民青の名のもとに無償で街宣やアジ行為に使役し、結果共産党で出世するのは民青で上の立場にいた者たちである。まさに現代版動物農場だといえる。
共産党は、過去の歴史よりどうしても反社会的勢力の拠り所になる側面がある。共産党の勢力があまりに小さくなって地下に潜った場合、テロを含めた脅威度は跳ね上がる。なので自民なりが勝利することが明らかな選挙区の場合、支持をしていなくてもわざと共産党に投票する知識人もいる。政治の暗黒面をコントロールする政党であり、小さくなりすぎてはいけない。最近は大きくなりすぎているのでいらぬ心配だとは思うが。
なお政党助成金と企業献金を否定しており、活動資金は大部分を赤旗で賄っている。災害時に被災地へいち早く寄付したいと思った場合は、その地区の共産党に相談すると良い。野党なのでヒマであり、彼らも自身の活動になるので、大喜びで迅速に間を抜かず処理してくれる、という利用方法はある。
創価学会からの安定した票集めを武器にする党。与党。自民党に対して与党の立場から諌めることが出来る、自民の暴走をコントロール出来る重要な党。まあ真っ当な人間は自分から投票することはないが、それでも一部、自民が嫌いだが野党に投票するくらいならマシと公明党に投票する人はいる。もちろん公明党に投票するくらいなら野党に投票したほうがいいという判断で、選挙区では野党、比例では自民に投票する人もいる。
自民好き好き人間にとっては喉に刺さった骨というか鶏肋というかという感じだろうが、政党としては票集めの苦労もなく、彼らが考える正しい主張を遠慮なく主張出来る立場であり、かなり日本の安定に貢献しているので馬鹿にしたものではない。創価学会も基本クソでほとんどの信者が不幸になる宗教団体だが、彼らが果たしている役目についても今度どっかで書いておこう。
自民が大嫌いだという人の受け皿。自民や安倍がうんこではないと思いこんでいる層に、これらの政党の存在意義を説明するのは難しい。党内の思想もバラバラでまとまりがなく、二枚舌やブーメランを多発し、政党としてのスタンスは常にぼやけている。自民は絶対にイヤ、でも共産党や公明党はあり得ない、というような人が投票先に選ぶ。そういう意味で安定した票集めが出来ているのにも関わらず、日本の政治において果たしている役目があまりに小さい。公明党以下かもしれない。
政党としてはリベラルを自称しており、リベラルを自称する多くの知識人はこの党に肩入れしているが、実際の所彼らの自称するリベラルは反主流くらいの意味合いである。既存の支配体制からの自由とかそういうのは、あまり気にしていない。反主流と解釈されるリベラル旗を振っているので、自民に同調することは立場的にまずない。
まあ自民が大嫌いなら彼らに投票せざるを得ないので仕方ない。安倍首相もうんこみたいなもんなので、どちらのうんこがマシか、というレベル。今までの生活にそんなに不満がないからいいや、という人は安倍を、そうはいっても限度があるだろうという人がこれらの党を選ぶ。なので「立憲民主党(なり民進党なり)に投票しているとか馬鹿じゃね?公約もうんこだし、政治家の経歴もうんこだし、お前の頭もうんこなんじゃね?」というような批判をして、万が一彼らが納得したとしても、彼らは最初から強く「安倍もうんこ」と思っているので意味がない。お互いに意味も収益もない討論をふっかけるのはやめよう。
すごくぶっちゃけると、政治家個人には基盤がないことがほとんどで票集めは常に大変のようで、組織票をちらつかせながらお願いをするとかなりホイホイお願いを聞いてくれる。まあ野党なので出来ることには限度があるが、都市圏で政治家という肩書を利用したいならば便利な党ではある。
新保守主義・改革保守、みたいなお題目で新しく生まれた政党。どっちがどっちとは言わないけれど、この2つの党を一緒に扱うのはもう片方に失礼かなという気もするが、まあ両方重要な党ではないのでいいか。
自民は本格的にクソだと思っているが、かといってリベラル()に投票するのも沽券に関わる、とか考えている層を上手く取り込んで拡大した。両党とも地方選挙からスタートしているが、自民の大御所市議会議員とか信じられないくらい横柄なベスト・オブ・うんこみたいな人間がものすごい権力を持っていることが多く、地方でその不満を抱えている層を見事に狙い撃ちした大変良い発想の政党である。しかしやはり地方を超えて共感を得るのは難しいみたいだ。
ネトウヨもこの層にはあまり反発していないようなので、自民だいすき、安倍だいすき、という層も「これはどうなの」というような政治家が自民内にいることは理解している場面があるようで、ここらへん傍から見ていて面白い。
私には姉がいる。知的障害者の姉が。
姉のせいで人生いろいろ狂わされてきた。基本両親の稼いだお金はまず姉に使われ、その残りカスが私の分になった。
姉はおこずかいがなかった。それは定額を渡しても1ヶ月持たないからだ。例えば一万円を月初に渡すとする。そうすると一週間も経たずに使いきってしまう。だから姉には毎日お金を渡していた。月の総額はいくらかわからないが、私の3000円より多かったことは事実だ。
姉は高い学費の学校に通った。姉は絶望的に勉強ができないため、名前を書けば通るようなところくらいしか行かれなかったのだ。結局大学をたくさん受けたが一つも通らず、よくわかんない専門学校に通った。毎日東京まで通学していた。私はお金がかかるので、県内の大学のみ、しかも受験費用がもったいないので1回目で受からなかったら資格が取れる専門学校にしか受験を認めないとされた。試験は1発で通ったので大学には行けたが、本当に行きたかった大学は東京にあった。
(東京の大学がダメだったのは、卒業後に東京に就職されて実家を離れられると困るからだったらしい)
昔から理不尽なことを姉に言われたりされ続けたりしたが、親は一切姉を叱らなかった。むしろ私が叱られた。今では「言ってもわからない人なんだから仕方ないでしょ!」と怒られる。
他にもたくさんあるが、なんか書くの馬鹿らしくなってきたのでやめる。とりあえず姉は甘やかされ、金銭感覚も狂い、結果モンスターみたいになった。
姉以外の知的障害者の方と何度もお会いしたりお話ししたりした事があるが、いばらない、わがまま放題じゃない、身内が諌める、すげぇ。
親にも言ったが、姉はただの知的障害者ではなくめちゃくちゃ性格が悪い人なのだ。ウケるね。
12月に姉に暴言吐かれていろいろ積もり積もっててマジギレしてしまった。それ以降姉と一緒の空間にいないようにしている。
昨日姉が話しかけてきた。
「たくさんの悪い大人に騙されて私が悪いと思いこんでるようだけど、そんなことないから!」だってさ。ばーか。
ほんとお前の頭の中は都合がいいな
最近、発達障害やADHDやアスペルガー当事者が「〇〇は苦手!いつも辛い!」と書いてるブログなりツイッターをよく読む。実際、理解されない辛さとかいろいろあると思う。
でも読む度に「この人の家族はどういう思いだったのかな」と思ってしまう。だいたい親が悪く書かれているような気がする。事実として、自分と反りが合わない、理解してくれない親っていうのは毒だと思う。
凄く申し訳ないのですがヘイトも何も本当に理由が思い付かない出来事でした。
自分で言うのもなんですが、自分は相当小心者で、声も小さく、喫茶店のオーダーすら二度聞きされるタイプです。
また、パブリックな場で大きな物音を立てる事に抵抗があるタイプなので、入店から着席しPCを取りだし開きスリープ解除するまでの動作も相当に静かでした。
更に言えば、入店から着席までの導線で、その老人に迷惑をかける事自体、位置的にも角度的にも、ほぼ不可能な位置関係でもありました。
なのに、開いたPCに触れようとした瞬間に怒鳴られました「オマエは俺をバカにしてるんだろう!」と。
どう思い返しても(仮に無意識にであっても)自分は失礼に当たることは一切していません。しかも、怒鳴られ始めた時点では、努めて冷静に「何か失礼な事をしたのでしょうか?」と、礼を欠かない様に注意しながら質問をしましたが「やっぱりバカにしているな!」の一点張り。
ここまでされて、問うても理由を明かされず、一方的に静かな店内で罵声を浴びせられた上で、私にどの様な非があったのでしょうか?それでも自省をせよと仰られるのでしょうか?
申し訳ないのですが、全く納得が行きません。有耶無耶にせず本当に警察に行けばよかった。年長者への敬意は人並みに持ち合わせているつもりですが、理不尽を諌める事に年齢は関係性ありません。そう思い直しました。
もうひとつ。ここまで書いたので「一回目」についても捕捉します。
「一回目」は全く違う街の喫茶店で、入店後マスターに「電源をお借りしつつPCを使って良いでしょうか?」とことわり、マスターから「どうぞどうぞ」と言われた上で、PCを開き、電源アダプターをセットした所で、見ず知らずの老人から「この電気窃盗犯が!」といきなり怒鳴られました。この時は「お店の方から了承をいただきましたよ」と返答すると、謝罪の言葉もなく「ふざけてやがる…」とぶつぶつ言いながら退店して行きました。
会社が成長するにつれ起きる主に人事関連で起きる問題を象徴的に表す言葉で「●人の壁」というのがあります。
その30人の壁・50人の壁を体験している社長さん側の語りは見たことがあるのですが、社員側の意見を読んだことがないなと思い、筆を取りました。
ちなみに特に結論みたいなものはありません。「ふーん」と読んでくれればと思います。
しばらく前になりますが、六本木の安い居酒屋でベンチャー社長たちと飲んでいるとひとりの社長が語り出しました。
「いまちょうど30人の壁のようなものにぶち当たっている気がするのがけれど、何がいけないのかわからない。会社は順調だし、ブラックでもないし」と。
数億の資金調達をし、界隈ではそこそこいけている感じの会社だったと思います。
自分は少し前に独立したのですが、話を聞いた時はこの社長とは別のベンチャー社員でした。30人の壁とやらで辞めたうちの一人です。
30人の壁を前に、そして真っ最中に、どういうことか起きるか、起きたかを羅列してみたいと思います。自分は辞めた側なので当たり前にマイナスなことが中心になります。
ちなみにこの壁とやらが30人で起きるのか50人で起きるのかは会社によるのですが、簡単な言葉で言うと『社長の器による』という印象です。20人で起きている場合も、50人でも平和そのものという会社もあります。
そして、ここ重要ですが、「社長はこう思ってるんだよ」「イチ従業員の君たちにはわからないだろうが」というのは当たり前ですが一切抜きでいきます。
30人の壁を見上げる者、また後方から眺める者としての一方的な意見です。
1、フラットに近かった関係性に「組織」という概念が生まれる。人事に納得のいかない社員がつまらない思いをする。(自分はこれです)
2、縁故採用だけではなく、一般採用が急激に増え、コミュニケーション不足による不協和音が発生する。
3、サービス認知の拡大により1→10のフェーズに入り、これまでヒーローとされていたゼロイチが得意なメンバーが営業チームに押され、プライドが傷つく。(自分はこれです)
4、社長ブログがパワーアップして胸焼けする。(自分はこれです)
で、この中で、2や3は社長さんたちのブログなんかでよく見かけるので(でも的外れな意見だったりするとは思う)、1についてやや深堀りし、4についてはもっと深堀りたいと思います。
まず1の組織化ですが、全員が納得する人事なんてあるはずもなく、自分はもっと良いポジションにあるべきだという(自分のような)人は、よっぽどその会社に恩義を感じていたり、給料が良かったりしない限りは俄然やる気が消滅します。そして当たり前のように「会社やめよっかな〜」と言う考えが脳裏をよぎるようになるのです。
何せここは引き抜きが横行するベンチャー界です。しかも今は大型資金調達の成功が続き、経営者たちは西にIoTプログラマーがいればウチならもっと唯一無二の開発ができるよと口説きに走り、東に死ぬまで売りまくる営業がいればビジョンと涙を垂れ流して獲得に行く、そんな時代。ライバル企業のメンバーを堂々と引き抜きにかかる猛者もいます。人材流動性の高いベンチャー界においては人事は諸刃の剣となることはいうまでもなく、「このポジションでしばらく我慢してくれよ」と言っている間によそから引き抜かれてもしょうがないのです。
自分の場合でいうと、辞めた会社では一桁台の入社で、自分の能力で会社を支えてきた自負がありました。技術の方向性と会社の事業もマッチしている。自分が開発したものが売れて、人の役に立っている様子はとても嬉しかった。みんな忙しいだろうなとひとり仕事を抱えたことも数知れず。でもベンチャーってそういうもんなんだろうなと思っていたので頑張ってました。
でも人事で自分の上に立ったのは、自分より後から入ってきた「人に仕事を渡すのが上手い人」。技術者として自分よりいい仕事をしているとは思わない。お恥ずかしながら勝手に感じていた社長との信頼関係はないものなのだと感じ、人事発令から2ヶ月で、辞めますよと(slackで笑)辛い時期を支え合った総務のメンバーに伝えました。
「情けないな、次の人事で上に行くように頑張ればいい」という、自分の大人気のなさを諌める自分も出てきて一瞬悩みましたが、その時間ももったいないと思い、すっぱり辞めることにしました。
そもそも管理職になりたいのかというとそうでもない。ただ、会社の行方には口は出したい、そんなわがままな気持ちがあることもここで気づかされました。
出した退職届はそれなりの引き止めののち受理され、いま自分は独立してひとりで仕事をしています。誰かを雇うなどは考えていません。めんどくさいので。
さて、僕のしみったれた話はこの辺にして、次に、4の社長ブログについて。
そもそも壁とか関係なく社長ブログを好まない社員も多いと思います。自分も嫌でした。
以下、社長がブログを書いている会社の社員に聞いてみた、社長ブログで「まじ勘弁」と思っていることベスト3です。(3人しか聞いてませんが。プラス自分)
1位 読んでることが前提なこと(勝手に発信して読んどけ感出すな。)
2位 すべてに感謝感謝みたいな内容(マジでやめてほしい。恥ずかしい。イタイ。 ※20代は拒絶反応)
3位 名前は出さなくても社員の誰のこと書いてるかわかる批判(自分のことだなっていう内容を書かれたあとどういう反応したらいいかわからない)
壁とどういう関係があるのかというと、やっぱり組織化すると雰囲気変わるんです。ブログもちょっとより社長っぽくなる。
辞めるまでの2ヶ月、組織ってどう変わるんだろうと思って見てたんですが、それぞれがそれぞれっぽくなるんです。
総務がめちゃくちゃ厳しくなったり。営業でそれまで自由にやっていた子がなんかパワー半減してたり、その上に行った人はキリッとしてたり。「俺通して」感出るんですよね。
それが耐えられなかったんですよね。なんか。子どもですね。自分がそこに混れなかったからかもしれませんが。
前の会社は入った時から組織ができていたからなんとも思わなかったんだと思うんですけど、みんなが窮屈そうになったのがなんか嫌で。もう自由になろうと決めました。
社長のブログはよりラブ&ピースになり、以前からあった特定の誰かを示唆する内容がより増えました。僕以外にも人事に抵抗しつつ残っている人はなんかかわいそうなくらい書かれていました。あれって、社員には言い返す場がないんですよね。ずるいよ。
いきなりですが、ネガティブな気持ち書いてたら疲れてきたのでここらで締めます。
結論はありません。では。
近所のスーパーにかわいい女性店員がいたんだけど、彼女が別店舗に異動になってしまった。その移動先の店舗にも通って食事に誘ったけど、やんわり断られてしまった。仲良くなりたいんだけどどうすればいいですかというラジオの投稿をきいた。ちなみに投稿者は50代で相手の女性は20代後半らしい。
DJの人達は「彼女からしたらお客さんに手は出せないよ~」と笑いつつも、最後は「犯罪にならない程度にがんばって。応援してまーす。」と答えていた。
普通にこの投稿者のことが怖いし、なんでこの投稿読んだんだよとか、DJもやんわりと投稿者を諌めるのかと思えば最後は「応援してます」だしわけわかんねーし、そもそも考えすぎかもしれないけどどうかネタであってほしいなと思う。
もちろん、面白かったひともいると思う。これはそういう人に向けて書いた文ではないので、引き返していただいたほうがいいと思う(と、予防線を張っておく)。
私はアガルタがつまらなくて、不快だった。この新宿のネタバレに溢れた話を、「新宿より先にやってもいい」と判断した運営には心底驚愕したし、はじめて運営の意見フォームから意見を出した。ツイッターでも正直につまらなかったと言った。
しかし私がここで書きたいのは、アガルタのどこがどうつまらなくて、どこがどう不快だったかという話ではない。そういうのは書きつくされていると感じるし、それを書くためにアガルタを読み返すことすらしたくない。
私がしたいのは、アガルタ公開後にツイッターで湧いて出た『考察』についての話である。
本編で提示されていない内容を元にした考察は全て妄想である、という話をしたいわけではない(その意見には全面的に同意だけど、妄想してはいけないというわけではない。妄想であることを自覚して欲しいとは思うけれど)。
ただ、私が見かけた『考察』のうち、どうしても思うところがあるものが二つほど存在し、その二つがどうやら同じモノを発端として発生しているような気がしたので、ひとつの覚書としてこれを書いている。
先に言っておくと、「だからどうした」みたいな話だ。単なる思いつきのメモである。でもどうしても、それこそ「吐き出したく」なったので書く。
※あ、ここから先アガルタの根幹に関するネタバレが存在するので、アガルタ未クリアのかたはご注意下さい。
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というわけで、『考察』の話をしよう。
ひとつは、『アガルタ』のつまらなさ(『平坦さ』『薄っぺらさ』)はある程度意図されたものである、という『考察』である。
『アガルタ』はすべて『不夜城のキャスター』が紡いだ物語である。故にお伽噺のように平坦だし、寝物語のように淡々として、即興で紡いだがゆえにちぐはぐであり、ご都合主義がまかり通る。そういう意見である。これはかなりRTされていたように思うので、見かけた人も多いのではないだろうか。
この考察は『本編で提示されていない』とまでは言えない。『アガルタ』が不夜城のキャスターの宝具によって紡がれた世界である、というのは、本編中で示唆されている内容だ。
「『アガルタ』は、(15節まで)不夜城のキャスターが紡いだ『物語』である。」
問題は、これがどうして「だからつまらない」となるのか、という話である。不夜城のキャスターは千夜物語を紡いだ語り手だ。「つまらない」話など紡いだらその場で殺される、そういう状況で語り続けた語り手なのだ。その彼女が紡いだ物語が「つまらない」ものであるはずがないし、「これが不夜城のキャスターによって紡がれた物語である」ということを示すために「つまらなさ」を選択する必要はない。
例えば、必要以上に大げさな展開・カルデアとはかけ離れて愉快な配役のキャラクター・荒唐無稽で「楽しい」物語。学園モノで言う文化祭のような? ──そういったものでも「これは『物語』である」ということを示すことは十分に可能なはずだ。普通に考えて、ソーシャルゲームという「飽きられたら終わり」の世界(これはある意味「飽きたら殺される」不夜城のキャスターが置かれていた状況に近いとも言える)で、わざわざ意図して「つまらない」物語を提供する、そんな作り手が居るはずがない。っていうか「つまらない」と自分で思っている話を15節も書き続ける苦行をやる書き手がいるか?
というわけで、この『考察』は間違っていると私は思う。『物語』である部分は正しいかもしれないけれど、「だからつまらない」という理由にはならない。
……が、私が今言いたいのは、この『考察』が正しいかどうかについてではない。
こちらの『考察』は、「マシュ・キリエライトは1.5部でビースト化の道を辿っているのではないか」というものである。
この『考察』は、不夜城のキャスターが不用意に放った発言に対し、マシュが「貴方は私達の逆鱗に触れました」(だっけ? 読み返していないので正確なものではないけど、ニュアンスとしては間違っていないはず)と発言したことに端を発する。
状況としては、(これは何処かで見た表現なのだけど)「交通事故遺族のマシュに対して、不夜城のキャスターは、マシュが交通事故遺族であることを知らずに『交通事故って一瞬で死ねそうで羨ましいです』と言った」と理解するひとが多いと思う。個人的には、ロマニ・アーキマンは自らそれを選び取った(けれど、決してそうしたいわけではなかった)という点において不十分なたとえである気もするけど、まあ、その点はさして重要ではない。問題は、このマシュ此処で不夜城のキャスターに対して『キレた』ことが、今までのマシュのキャラクターからすると不自然である(と感じたユーザーがいる)ため、これはマシュが『変化している』ということではないか、ということから生まれた仮説である(と思う。違ってたらすみません)。
この『考察』については、1.5部のラストに辿り着くまで、正しいかどうかはわからない。わからないが、私はこの『考察』にも違和感がある。
何故なら、このマシュの言動に対して、主人公やダ・ヴィンチちゃん、シャーロック・ホームズというその場に居た面々が、違和感を覚えている描写が存在しないからである。
物語として仕組まれた『変化』なら、それが『変化』であるということも同時に示されるはずだ。ダ・ヴィンチちゃんが違和感を覚えるのでもいい。主人公がマシュを諌めるのでもいい。六章でマシュを激励したところのホームズだって、その役目を負うに十分だろう。けれども彼らは、マシュの『変化』に気付くことはなく、心情に理解を示した。ならば(素直に読み解くのならば)、ストーリー上は引っかかるように書かれた部分ではなく、マシュに『変化』は存在しないということだ。あれだけわかりやすく(傍点まで使って!)不夜城のキャスターにマシュを挑発させた書き手が、ここで示したかったのがマシュの『変化』であり、それがビースト化の布石であるというのなら、その『変化』はもっとわかりやすく、そう、【作中の誰かが危惧を抱く】という形で提示されるはずだろう。
……それで? と。
この『考察』が気に入らないのはわかったけれど、だから何なのか、と、そろそろ思われている頃だろう。というわけで、結論に入る。
これらの『考察』は、つまり、『公式が提示したものを批判してはいけない』という、ツイッターランド特有の文化から生まれた『考察』と言う名の言い訳なのではないだろうか?
「つまらなかった」「マシュのキャラが解釈違い」は推奨されるツイートではない、けど、自分が感じたことが正しくなかったとは思いたくない。だから彼らは『考察』するのだ。
「つまらなかったけど、つまらなかったとは思いたくない」→「つまらなかったのも公式が意図したことであれば、『つまらなかった』と思うのも当然!」
「マシュの言動に違和感がある。これは(私の考える)マシュじゃない」→「マシュの言動に違和感があるのは、公式がそう意図して表現しているから!」
……こうして『考察』することで、「自分は公式を『批判』しているのではない、寧ろ公式の意図を正しく汲み取っているのだ」と言うことができる。自分が行っているのはアンチ行為やヘイトではなくファン活動であると思うことができる。
「つまらなかったのも公式が意図したことであれば、『つまらなかった』と思うのも当然」という言説は、「面白かった」と感じた人の感じ方を「公式の意図を汲んでいない誤ったもの」にしてしまうことや、「マシュの言動に違和感があるのは、公式がそう意図して表現しているから」という主張は、マシュの怒りを当然のものと受け取った人の感情を「ビースト化に繋がるもの」と見做していることに、彼らはもちろん気づかない。
アガルタのマシュが解釈違いだったなら、解釈違いだったと言えばいい。
『考察』といういかにも理性的に見える言い回しで、貴方は、他人の感じ方を(ただ「つまらなかった」というよりもずっと強く)否定してはいないだろうか?
貴方の『考察』は、自分が公式に抱いた負の感情を、無理やり納得させるものではありはしないか?
つまらないものをつまらないと言えない世界には、『考察』という名の妄想が蔓延る。
公式とファンの距離が限りなく近づいた昨今、願わくはその妄想が、公式に逆輸入されてしまうことがありませんように。
(これでもしマシュのビースト化がきたとして、それなりの描写があれば受け入れないことはないけど、「アガルタから布石はあった!」って言われたら、さて、どうしようかなあ……)
(勿論全てがそうとは言わんけど)オタク趣味というものがどこか保守臭さを感じてしまう点があることは、まあ確かに否めないとは思います。
それはまあ、美少女キャラの消費の仕方が処女信仰的だとか、軍事要素大好きだとか、まあそこら辺ですね。
どうにもネトウヨだとかレッテル貼られても致し方ないとは、ある程度は思います。
こういうとき、オタクに対してサヨク的観点から批判的な目線を向けてしまいます。
でもその一方で、オタクのサヨク的特性も見逃せないのではないかなあ、と思います。
たとえば、学校でのいじめられっ子とか、ブラック労働者とか、今風で言うなら「陰キャ」な人々がやるせない現実から
(いやまあこの手の論も「最近のオタクはリア充多いだろ」で一蹴されそうではあるが…)
いくらウヨクっぽい趣味とは言え、その泣いて縋るような行動をそう簡単に諌めることは是なのでありましょうか?
そこで「そんなキモい趣味に走るんじゃねぇ~」とか言ってしまうのは、むしろマチズモ保守主義的価値観なのではないでしょうか?
こういうとき、オタクに対してウヨク的観点から抑圧的な説教を加えてしまいます。
何が言いたいかと言うとオタクって「ウヨク」的要素と「サヨク」的要素のハイブリッド感があるよなあ、ってことです。
いやハイブリッドとかかっこいいもんじゃねぇか。いいとこ取りというか。悪く言えば半端もんというか。
だからウヨク的に扱おうとしてもサヨク的に扱おうとしても、どうにも齟齬をきたしてしまう、と思うのですよねぇ。
まあしかしなんつーか、これ以降はオタクに限ったことではないけど、
世の中、何らかの集団や属性或いは個人についてパーペキに「あいつはウヨクだ」「こいつはサヨクだ」と
明確に分けられたもんじゃないと思うんですよ。
一見サヨクな人が保守臭いこと言い出したりとかなんてことは、ままあると思うんですよ。
「ガチでウヨク」「ガチでサヨク」な存在なんて、本当にほーんの一握りしかいない。